内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 ハラブジャ事件30年
2018-03-16 Fri 16:39
 イラン・イラク戦争末期の1988年3月16日に クルド人自治区のハラブジャに対してイラクが化学兵器を使用し、約3000人(諸説あります)を殺害したとされる“ハラブジャ事件”が起きてから、今日で30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ハラブジャ事件

 これは、1988年4月26日、ハラブジャ事件を非難するためにイランが発行した切手で、イラクの首都バグダードとハラブジャの位置関係を背景に、イラクの化学兵器に斃れるクルド人が描かれています。

 イラク国内のクルド人に関しては、バアス党政権下の1970年にクルド人自治区が設置されていました。しかし、イラン・イラク戦争が勃発し、戦場が次第にイラク不利となっていく中で、クルド人自治区ではイラクからの分離独立運動が高揚。これに対して、クルド系住民がイランに内通していると考えたサッダーム政権は、クルド人自治区のイラン国境に近い地域を中心に“アンファル作戦”を発動し、マスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用して多くのクルド系住民を殺害しました。

 今回ご紹介の切手の題材となったハラブジャ事件はその最大のもので、事件直後、現地に入ったイラン軍が“異常”を察知し、世界のジャーナリストを現場に招いたことで、その惨状が世界に知られるようになりました。今回ご紹介の切手は、この流れに沿って、イラクに対する国際的な非難の世論を喚起する一手段として発行されたものです。

 これに対して、イラクのサッダーム政権は「事件はイランの仕業」と主張して関与を否定。さらに、国際社会の大勢は、イランからのイスラム革命の拡大を懸念してイラクを支持していたため、当時、ハラブジャ事件をほぼ黙殺していました。

 なお、サッダーム政権下で、ハラブジャ事件を含むクルド人弾圧の中心的役割を担っていたアリー・ハサン・マジードは、化学兵器を使用したことから、欧米メディアでは“ケミカル・アリー”とも呼ばれていましたが、サッダーム政権崩壊後の2003年8月21日、サーマッラーで米軍に拘束された後、イラク特別法廷で4回の死刑判決を受け、2010年1月25日、絞首刑に処せられました。

 * 昨日(15日)NHKラジオ第一放送で放送の「ごごラジ・マニア的電話座談会」は無事に終了しました。リスナーの方々ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。なお、15日の放送につきましては、3月22日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 
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 イラン・イラク国境地帯でM7.3地震
2017-11-13 Mon 12:40
 イラク北東部、イランとの国境にも近いスレイマニア県を震源として、現地時間12日午後9時20分ごろ(日本時間13日午前3時20分ごろ)、マグニテュード7.3の大地震が発生。震源に近いイラン西部やイラク北部のクルディスタン地域で建物の倒壊などによる死傷者が出ており、なかでも、イラン西部、イラクとの国境に位置するケルマンシャー州では、この記事を書いている時点で少なくとも141人が亡くなったそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ケルマンシャー加刷

 これは、第一次大戦中の1917年、オスマン帝国占領下のケルマンシャーで発行された暫定加刷切手です。

 イラン西部ケルマンシャー州は米や野菜を産する豊かな農業地帯として古代から人々が定住しており、州都ケルマンシャーの歴史はピーシュダード朝(イラン最初の王朝とされる伝説上の王朝)のタフモレス・ディーヴバンドの時代にまでさかのぼるとされています。都市としての本格的な建設は、西暦4世紀、ササン朝のバフラーム4世の時代に進められ、以後、同王朝の下で何度かペルセポリスに次ぐ副都に指定されて繁栄を極めました。その後、アラブの侵攻により大きな被害を受けましたが、16世紀から18世紀にかけてのサファヴィー朝支配下では都市として復活しています。

 第一次大戦中、当時のペルシャを支配者であったカージャール朝は中立を宣言したものの、戦略的な要衝であるがゆえに各国の軍隊が進駐。1915年にはオスマン帝国の侵攻により、ケルマンシャーも同帝国の占領下に置かれました。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、1917年、12シャヒおよび24シャヒ切手が不足したため、1キラン(クランとも。1クラン=100シャヒ)切手に暫定的に改値加刷を行って発行されたものです。

 なお、この切手が発行されて間もなく、ロシアで10月革命が発生したため、ケルマンシャーを含むペルシャ北西部は、ロシア内戦に干渉するための前線基地として、英国がオスマン帝国を駆逐して占領しました。

 1979年のイスラム革命後、ケルマンシャーは、地名の“シャー”が忌避され、“バーフタラーン”と改称されましたが、イラン・イラク戦争(ケルマンシャーも国境の都市として大きな被害を受けました)の休戦後、旧称のケルマンシャーに復し、現在に至っています。ちなみに、ケルマンシャー州の現在の人口は約195万2000人、州都ケルマンシャーの人口は約82万3000人です。

 今回の地震では、ケルマンシャー州内では、イラクとの国境に近いサルポル・エ・ザハブの被害が特に深刻で、死亡者のうち60人以上が同郡に集中しているそうです。このほか、イラクのクルディスタン地域でも、東部スレイマニア県のダルバンディカン、カラル、アルビル県のコレなどで死者が出ているほか、ダルバンディカンには農業・発電用の利水ダムがあるため、クルド自治政府は余震に備えて住民に避難を呼びかけています。

 あらためて、亡くなられた方の御冥福と、被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りしております。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 テヘランで同時テロ
2017-06-08 Thu 07:53
 イランできのう(7日)、複数の武装グループが首都テヘラン中心部の国会議事堂と郊外のホメイニー廟をほぼ同時に襲撃。治安当局との銃撃戦で、民間人を含む少なくとも12人が死亡、40人以上が負傷しました。事件に関しては、“イスラム国”を自称するテロリスト集団、ダーイシュが「両事件はいずれもイスラム国の兵士らが実行した」とする声明を発表しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ホメイニー廟

 これは、1991年6月4日にイランが発行した“ホメイニー追悼”シリーズのうち、今回の事件現場のひとつ、ホメイニー廟を取り上げた切手です。

 ホメイニー廟は、イラン・イスラム革命の指導者、アーヤトッラー・ホメイニーと彼の家族(妻のハディージャ・サカフィーと次男のアフマド・ホメイニー)、ラフサンジャーニー大統領、ハサン・ハビービー副大統領、アリー・サイイド・シーラーズィー中将、思想家サーデク・タバタバーイーの遺体を安置した墓廟を中心とした複合施設です。

 ホメイニー廟の建設は、1989年6月にホメイニーが亡くなった直後の同年7月19日、テヘラン南郊のベヘシュテ・ザフラー墓地内で建設が開始され、墓廟本体は1992年6月2日に完成。4本のミナレットに囲まれた金色のドーム屋根は周辺一帯のランドマークとなりました。現在も、複合施設としてのホメイニー廟の建設は続けられており、に、最終的には、文化・観光センター、イスラム大学、ショッピング・モール、2万台収容可能な駐車場などからなる敷地面積20平方キロの複合施設となる予定です。

 ホメイニー廟はホメイニーの孫でイスラム法学者のアーヤトッラー・サイイド・ハサン・ホメイニーが管理しており、ホメイニーを慕う人々の参詣の場であるとともに、国賓がイランを訪問した際に訪れる象徴的な場所とされています。また、毎年6月4日のホメイニーの命日にはイラン政府要人と外国大使、それに一般国民が参加しての式典が行われています。今回の事件は、そのわずか3日後に起きたわけで、犯行が6月4日の式典当日に行われていたら…と考えると、本当に恐ろしいことです。

 あらためて、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りいたします。
 
 
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 イラン、現職大統領再選
2017-05-21 Sun 21:58
 19日に実施されたイランの大統領選挙は、対外融和路線を進める現職のロウハーニー(ロウハニ)大統領が57%以上の票を獲得して再選を果たしました。というわけで、今日は大統領の旧名、フェリドゥーンにちなんで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・国際フェルドゥーシー学会(ザッハーク封じ)

 これは、1990年にイランが発行した“国際フェルドゥーシー学会”の記念切手のうち、フェルドゥーシーの代表作『シャー・ナーメ』の写本のうち、フェリドゥーンが暴君ザッハークを封じ込めた場面の細密画を取り上げた1枚です。

 今回、再選を果たしたイランの大統領の現在のラストネームは“ロウハーニー”ですが、1948年11月12日に彼が生まれた時のラストネームはフェリドゥーンでした。フェリドゥーンは、近世ペルシャ語文学の最高傑作とされる叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』に登場する英雄にちなむ名です。彼が、“精神性の高い”という意味のロウハーニーという名をいつから使い始めたのかは定かではありませんが、イラン・イスラム革命後の1981年、国会議員時代の彼の名前は“ハサン・フェリドゥーン・ロウハーニー”となっていました。その後、前回の2013年の大統領選挙期間中には、フェリドゥーンを名乗ることはなくなり、現在では、ロウハーニーというラストネームが定着しています。

 さて、フェリドゥーンの登場する『シャーナーメ』は、ササン朝時代の史書『フワダーイ・ナーマグ』を元に、詩聖フェルドゥーシーが980年頃から30年余の年月をかけて1010年に完成させました。当初、フェルドゥーシーは、自らの作品をサーマーン朝に献じる予定でしたが、999年、サーマーン朝は滅んでしまったためため、後継のガズナ朝の君主、マフムードに捧げています。

 『シャーナーメ』に登場するフェリドゥーンの父親は、両肩に蛇を生やした暴君、ザッハークの蛇の生贄として殺されました。その後、復讐を恐れたザッハークはフェリドゥーンを殺そうと追っ手を差し向けますが、フェリドゥーンはこれを逃れ、エルブルス山に隠れます。それから16年の後、フェリドゥーンは山を下り、ザッハークの圧政に苦しめられていた人々を集めて挙兵。天使の助けを得て、ザッハークの魔法を解く方法を学び、バグダードからチグリス川を渡り、ザッハークの城があるエルサレムを攻め落としました。

 エルサレム陥落時、インドにいたザッハークは、ただちに、悪魔と人間の混成軍を率いて戻り、フェリドゥーンの軍と戦い、宮殿内の一騎打ちで、フェリドゥーンはザッハークの頭を牛頭の矛で打ち砕きます。しかし、この時点ではザッハークには死期が来ていないことを天使ソルーシュから聞かされたため、フェリドゥーンはソルーシュの助言に従い、ザッハークの手足をライオンの皮で作った縄で縛り、ダマーヴァンド山の洞窟に幽閉して、さらに鉄の杭と鎖で動きを封じました。切手に取り上げられているのはこの場面で、中央には手足を縛られて封じ込められるザッハーク(両肩にはしっかりヘビが描かれています)が、その右側には赤い装束のフェリドゥーンが描かれています。

 その後、フェリドゥーンは王位に就き、ザッハークに王位を奪われて殺されたイラン王ジャムシードの娘で、ザッハークに囚われていた2人の姫・シャフルナーズとアルナワーズを王妃に迎えています。

 ちなみに、『シャー・ナーメ』によれば、フェリドゥーンの王位はその後500年間続いたことになっていますが、今回再選を果たした(元)フェリドゥーン、ロウハーニー大統領の任期は2021年までの4年間です。

 * 本日未明、アクセスカウンターが179万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 岩のドームの郵便学(49)
2017-03-23 Thu 12:51
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』637号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第1次インティファーダの時期のイスラム主義者たちの活動について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・第一次インティファーダ

 これは、1988年5月13日、イランが発行した第1次インティファーダでの殉教者を讃える切手です。

 1987年12月に第1次インティファーダが発生すると、パレスチナのイスラム主義勢力もこれに加わり、武装闘争を展開します。

 1970年代以前のパレスチナでは、反イスラエルの武装闘争は世俗主義を掲げるPLO系の組織が中心で、ムスリム同胞団は主として救貧や医療などの社会活動を担い、武装闘争には慎重でした。

 これに対して、ガザ出身のファトヒー・シカーキー(シャカーキーとも)は1979年のイラン・イスラム革命に刺激を受け、『ホメイニー:イスラム的かつ新しい解決策』を刊行。PLOなど世俗主義的な解放運動はイスラムを欠き、ムスリム同胞団などイスラム復興運動はパレスチナを欠いているとの現状認識の下、イスラムに立脚したパレスチナ解放こそが重要であると主張しました。これは、ホメイニーのイスラム革命が“イスラムと闘争の結合”の結果であるとの理解によるもので、シカーキーはイランの樹立した“イスラム共和国”と類似の体制をパレスチナに樹立することを主張していたわけではありませんが、イスラム革命の精神そのものを大いに称揚していました。

 さらに、1980年、シカーキーは、イスラエルに対する武装闘争を“ジハード”と位置付け、パレスチナ全土の解放を目標とする少数精鋭主義の“パレスチナ・イスラム・ジハード運動(以下、ジハード運動)”を組織。その軍事部門である“クドゥス旅団(クドゥスはエルサレムのアラビア語名)”は、イランやシリアの支援を受け、レバノンのヒズブッラー(ヒズボラ)とも連携して、1986-87年にイスラエルに対する断続的な襲撃事件を起こしました。ちなみに、ジハード運動は自分たちに対するイスラエルの報復攻撃が第一次インティファーダの契機となったと主張しています。

 今回ご紹介の切手は、イランがジハード運動支援の姿勢を明らかにするために5種連刷形式で発行したもので、左側の4種が第一次インティファーダで“殉教”したジハード運動の活動家の肖像を、右端の1種が石礫を投げる人々を取り上げていますが、パレスチナの地図とイスラムの聖地・岩のドームを背景に、ダヴィデの星の形をした鉄条網が破れているというデザインは共通です。

 なお、第1次インティファーダの発生を受けて、ムスリム同胞団パレスチナ支部も従来の方針を転換し、1987年12月14日、アフマド・ヤースィーンを中心に行動組織の“イスラム抵抗運動”を結成。これが、現在、ガザ地区を実効支配しているハマースの原点です。ちなみに、イスラム抵抗運動は、アラビア語ではحركة المقاومة الاسلامية‎ となりますが、ハマースというのはそのアラビア文字の頭文字を取った略称で、ハマースという単語自体は、アラビア語で“激情”を意味しています。


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 イランで対米補償請求法可決
2016-05-18 Wed 19:41
 イラン議会は、きのう(17日)。同国が過去63年間に米国から被った精神的、物的損害について補償を請求する法案を賛成多数で可決しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・モサデク生誕100年

 これは、1980年にイランが発行したモサッデグ生誕100周年の記念切手です。1951-53年にイランの首相を務めたモハンマド・モサッデグは、西暦では1882年5月19日生まれですので、その生誕100周年は西暦では1982年となりますが、今回の切手に関しては、ヒジュラ暦での100周年ということで1980年の発行となりました。ちなみに、イランでは、西暦・イラン暦(春分を元旦とする太陽暦)・ヒジュラ暦が併用されています。

 さて、第二次大戦後、いわゆるトルーマン・ドクトリンによって対ソ封じ込め政策が発動された際、米国は中東地域における同盟国としてイランを重要視する方針を固めたものの、1950年代初頭のイランは政情が極めて不安定であり、そのことは米国にとって頭痛の種となっていました。

 ことの発端は、石油開発に伴う利益を開発会社と油田の存在する国との間で50%ずつ配分するという方式がヴェネズエラ産石油に関して採用されたことにあります。

 この“ヴェネズエラ方式”は、すぐにサウジアラビア産の石油についても採用され、世界各地に広まっていきましたが、こうした世界的な流れを受けて、イランでも、従来、イラン産石油の利益の90%を独占していた英国系のアングロ・イラニアン石油会社に対して、相応の利益配分を求めるべきとの主張が浮上します。これに対して、アングロ・イラニアン石油会社側はヴェネズエラ方式を拒否して、イラン側の取り分を25%とすることを提案。しかし、当然のことながら、イラン側はこの提案を拒否し、イラン政界では石油国有化論が勢力を持つようになりました。この結果、当時のモサッデグ内閣は、1951年5月、石油国有化法を施行します。

 これだけなら、欲をかいた斜陽の大英帝国が結果的に大損をしたというだけのことなのですが、当時は朝鮮戦争の真只中であり、世界的に石油需要が増大していました。こうした状況の中で、米国は、イランの“反英ナショナリスト政権”が石油国有化に踏み切ったことに強い危機感を抱き、イランに圧力をかけるために世界市場でのイラン産石油の購入ボイコット運動を展開します。

 これに対して、追い詰められたモサッデグ政権は、英国への対抗上、北の隣国、ソ連に接近せざるを得なくなりました。

 しかし、19世紀以来、イランは英国とロシアないしはソ連の角逐の場となってきたという歴史的経緯があったことから、米国は、モサッデグ政権がソ連に接近すれば、ソ連はイランに勢力を扶植するに違いないとの危惧を抱き、1953年8月、CIA主導のクーデタを敢行。モサデクを追放し、イランに国王モハンマド・レザー・シャーを中心とする親米政権を樹立しました。

 ちなみに、イラン産石油の問題については、結局、アングロ・イラニアン石油会社は解散され、米英蘭仏の合弁企業イラン石油コンソーシアムが1954年から40年にわたってイラン国内の石油開発権を独占する代わりに、コンソーシアムの純益の50%がイラン政府に配分されるということで決着しました。

 今回、イラン議会で可決した法案に“過去63年間”とあるのは、このモサッデグ事件以降という意味で、そのほかにも米国による損害の具体例としては、1980-88年のイラン・イラク戦争でのイラク側への支援、1980年代末の石油掘削施設の破壊などが挙げられています。

 ただし、イランの場合、議会で可決された法案がそのまま無条件で法律として成立するわけではなく、12人の法学者で構成される“監督者評議会”によって、議会可決法案が憲法あるいはイスラム法に反すると判断された場合、法案は議会に差し戻されて再審議されることになっています。このため、実際には、法案がそのまま施行されるかどうかは現時点では確定していません。

 なお、今回の法案可決には、先月、米国の最高裁判所が、米国内のイランの凍結資産約20億ドルを、凍結解除後、イランが関与したとされるテロ事件の米国人被害者・遺族らに引き渡すべきだとの判決が下されたことへの報復という面もあると指摘されています。

  
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 イランとサウジ、国交断絶
2016-01-05 Tue 10:51
 おととい(3日)、在イランのサウジアラビア大使館が暴徒の襲撃を受けたことを主な理由として、サウジアラビアがイランとの外交関係を断絶しました。さらに、きのう(4日)になって、サウジ外務省は、イランへの民間機の発着や国民のイラン渡航を禁止し、経済関係も断絶する考えを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・サウジ非難

 これは、1987年7月、イラン人のメッカ巡礼団とサウジの治安部隊が衝突し、イラン人巡礼者に死傷者が出たことを非難するイラン切手です。

 1979年のイラン・イスラム革命後、周辺アラブ諸国はイランによる“革命の輸出”を警戒し、ペルシャ湾を挟んで向かい合うサウジとイランの関係は緊張。サウジは革命の防波堤としてイランと戦うイラクを支援していました。1987年のメッカでの衝突事件は、こうした背景の下で起きたもので、事件後、イランは、イスラムの聖地を信徒の血で汚した不正なるイスラム体制としてサウジアラビアを激しく非難。これに対して、サウジ側は衝突事件で負傷した治安部隊の隊員がその後亡くなったことを理由に、イランとの国交を断絶しました。

 湾岸戦争終結後の1991年、両国はオマーンの仲介で国交を回復しましたが、その後も、たとえば、アフガニスタンでの内戦ではイランが反タリバンの北部同盟を、サウジがパキスタンとともにタリバンを支援するなど、各地の紛争では、しばしば、イランの勢力拡大を嫌うサウジがイランの支援を受けた勢力の敵対勢力を支援し、結果的に、両者の代理戦争ともいうべき状況が現出してきました。

 今回の国交断絶は、今月2日、サウジアラビア東部州出身で、反政府運動の精神的な支柱となっていたシーア派指導者ニムル・バーキル・ニムルを含む47人の死刑が執行されたことをサウジ外務省が発表したことから、翌3日、ニムルの死刑執行に抗議する市民が暴徒化し、テヘランのサウジ大使館、マシュハドのサウジ領事館を襲撃したことが直接の理由となっています。

 ニムルは、2011年に東部州で発生した抗議活動を扇動した容疑で2012年に拘束され、2014年に死刑判決を受けていましたが、この判決に関しては、シーア派国家としてのイランがサウジを非難していたほか、欧米諸国からも地域の宗派対立を煽るものとして懸念する声があがっていました。ただし、ニムルと同時に処刑された47人の大半はシーア派ではなく、スンナ派の過激派で、サウジ政府としても(ニムルがそれに該当するかどうかはともかく)テロリストに対しては厳しい姿勢で臨まなければならないという事情があるわけで、結果的にイランと対立することは承知しつつも、イランを挑発することが処刑の主たる目的ではないというのが実情でしょう。

 また、イラン政府も、サウジの外交施設を襲撃した暴徒を強制的に排除し、彼らを厳しく非難していますが、これは、過去のイラン政府が革命直後の学生による米国大使館占拠事件を称賛し、2011年の英国大使館襲撃事件では暴徒に対して寛容な態度をとっていたことと比べると、はるかにまともな対応です。ただ、大使館の襲撃というのは国交断絶の理由としては十分ですから、テロリストの処刑という国内問題への“内政干渉”を拒絶する意思を示すために、サウジとしては強硬姿勢を取らざるを得なかったという面があることも見逃せません。

 今回のサウジの対イラン断交を受けて、バーレーンとスーダンもイランとの断交を宣言し、アラブ首長国連邦(UAE)も駐イラン大使の召還など“外交関係の格下げ”を表明するなど、周辺諸国にも波紋は広がっていますが、現実の問題としては、おそらく、1988-91年の国交断絶の時と同じように、両国関係は“冷戦”状態がしばらく続くものの、すぐに直接的な衝突にいたるという可能性は低いのではないかと思います。それよりも、一連の騒動のそもそもの発端となったサウジ・東部州では、3日にも警察とデモ隊の衝突で犠牲者が出るなど緊張が高まっており、そちらの方がひょっとすると大事になるかもしれません。

 いずれにせよ、この問題はしばらくニュースを賑わすことになるでしょうから、このブログでも、折に触れて関連のマテリアルなどをご紹介していければ…と考えております。


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 岩のドームの郵便学(29)
2015-05-03 Sun 23:59
 『本のメルマガ』571号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1979年のイスラム革命後のイラン切手に取り上げられた岩のドームの切手として、この切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

         イラン・岩のドーム(1980)

 これは、1980年10月、イランが発行した「エルサレムを解放しよう」とのプロパガンダ切手です。

 1979年2月11日、東西冷戦下の米国の中東政策の拠点となっていたイランで、イスラム革命が起こり、親米パーレビ王制が崩壊。同年3月の国民投票により、イラン・イスラム共和国が発足します。

 発足間もない革命政府(大統領はイスラム・リベラル派のバニサドル)の首班となったバザルカーン暫定政権は、米国との同盟関係を破棄し、イスラエルとも断交。イスラエルの外交使節団には国外退去が命じられ、代わりに、旧イスラエル大使館の建物はPLOの代表部にあてがわれました。

 王制時代、米国はパレスチナ問題の当事者であるアラブにイランが含まれないことに着目し、イランにイスラエルとの外交関係を維持することを要求しつづけました。当然、米国からすれば、この要求はパーレビ体制に対する巨額の援助の見返りとして当然のものであり、イランには(米国の理解では親ソ派の)アラブ民族主義に対抗するペルシア湾の憲兵となることが期待されていました。

 こうした背景ゆえに、革命後のイラン国民にとっては、反米と反イスラエルはごく自然に結び付くものとなります。もちろん、米国の存在を別にしても、イスラエル国家がイスラムの聖地でもあるエルサレムを不法に独占しているという現実(エルサレムは、本来、ユダヤ教・キリスト教・イスラムという三宗教の併存する聖地です)は、イスラム共和国を掲げる革命イランにとって、とうてい許容できるものではありません。革命直後の昂揚した空気の中で、イランがイスラエルと国交断絶に踏み切ったのも、彼らにしてみれば、至極当然のことでした。

 もっとも、パーレビ王制打倒と結び付いたかたちでの反米を掲げて成立した革命政府ではあったが、現実の外交政策においては、当初は、米国との直接敵対することは避け、東西両陣営の存在を前提に、両陣営から等距離を保とうとする穏健路線を模索していたともいわれています。

 しかし、イランのイスラム革命は、反国王という一点のみにおいて各種の勢力が結集された結果達成されたものであり、それゆえ、革命政権内部では、発足早々、主導権をめぐる権力闘争が発生。外交路線はその重要な争点となっていました。

 こうした状況の下、暫定内閣がアルジェリアで米国と接触したことに加え、亡命中の国王が治療を名目に渡米したことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランの米国大使館を占拠する事件が発生します。

 この結果、バザルカーン暫定内閣は総辞職に追い込まれ、革命政権は「西でも東でもないイスラム共和国」として既存の世界秩序そのものに挑戦しはじめました。

 なお、この「西でも東でもない」との表現については、若干の補足が必要かもしれません。

 東西冷戦時代、いわゆる非同盟諸国会議など、東西両陣営のいずれにも与することなく自立的な国家建設を行っていこうとする新興諸国は少なからず存在していました。もっとも、これらの新興諸国の多くは反帝国主義を基本にしており、その意味では、植民地主義の象徴・英仏を含む西側諸国から距離を置き、濃淡の差こそあれ、ソ連の支援を受ける事例が少なくありませんでした。

 これに対して、革命イランは、米ソがともに人造イデオロギーに依拠していることじたいを非難しています。いわゆるイスラム原理主義者の理解によれば、正しい統治は神に由来するイスラム法に依拠していなければならないからです。その意味では、共産主義であれ自由主義であれ、さらには反帝国主義であれ、イスラム法に基づかない(すなわち、人間の考案した)人造イデオロギーでしかなく、それゆえ、正統なる政府の理念的支柱にはなり得ません。このため、イスラム法に依拠している(ことになっている)革命イランの体制は、必然的に既存の東西の国家群からは明確に区別されるというのが彼らの主張であり、「西でも東でもない」との表現もそうした文脈に沿ったものといえます。

 さて、「西でも東でもない」ことを標榜し、既存の世界秩序を否定するようになった革命イランは、その当然の帰結として自国の周辺への革命の輸出を国家目標として掲げるようになりました。今回ご紹介の切手も、そうしたぶみゃくに沿って発行されたもので、岩のドームにかけられた鉄条網を引きちぎる手を描き、「エルサレムを解放しよう」との文言の入っています。これは、革命イランが切手上において直接的に他国を批判の対象として取り上げた最初の事例であり、その後、イランが相次いで発行することになる“国際社会への異議申し立て”のプロパガンダ切手の嚆矢となりました。

 これに対して、切手発行前月の1980年9月、隣国イラクがイランの主要な空港を爆撃。国境を超えてイラン領内への侵入を開始し、宣戦布告のないまま、8年にも及ぶ泥沼のイラン・イラク戦争が勃発します。

 イラン・イラク戦争の本質は、イランとの領土問題を抱えていたイラクのサダム・フセイン政権が、革命後のイラン国内の混乱と、革命の波及を恐れる周辺諸国の世論を活用し、“革命の防波堤”を買って出るという形式を取って起こした侵略戦争でしたが、フセイン政権によるイラン侵攻を批難する国際世論はほとんど起こらず、既存の国際秩序に対する不満を募らせたイランは、ますます先鋭化していくという構図が生まれることになるのです。


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         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 シリア化学兵器廃棄決議採択
2013-09-28 Sat 16:54
 国連安全保障理事会が、シリアに化学兵器の廃棄を義務付ける決議を全会一致で採択しました。安保理での採択に先立ち、化学兵器禁止機関(OPCW)は廃棄計画を策定しており、10月1日からは専門家による現地査察が始まる見通しです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       イラン・化学兵器禁止条約

 これは、2007年にイランが発行した化学兵器禁止条約発効10周年の記念切手で、化学兵器の残骸と被害を受けた子供が描かれています。

 戦時における化学兵器の使用は1925年のジュネーヴ議定書で禁じられていましたが、兵器の開発・生産・貯蔵などは禁じられていなかったため、化学兵器の開発や生産は続けられていました。

 イラン・イラク戦争中の1985年から88年にかけて、イラク東部のサルダシュトやハラブジャなどでは、主としてクルド系住民がイラン側に協力したとして、当時のフセイン政権がマスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用し、多くの住民を殺害しました。イラク政府はこの事実を否定し、イランと戦うフセイン政権を支援していた米国も化学兵器はイラン側が使用したとの見解を発表していましたが、難を逃れたクルド人の証言により、次第に化学兵器使用の実態が明らかになります。

 1988年8月、イラン・イラク戦争が停戦になると、ヨーロッパでは、軍事目的に使用されることを知りながらイラクに化学兵器の原料を売却した当時の関係者の責任を問う声があがり、オランダ人実業家のフランス・ファン・アンラートがイタリアで逮捕されています。その後、ファン・アラートはイタリアから逃亡してイラクに亡命し、2003年のフセイン政権崩壊まで、イラクにかくまわれていましたが、2004年、オランダに帰国したところを逮捕され、禁錮15年・イランとイラクの住民に対する2万5000ユーロの賠償金の支払いを命じられています。

 こうした個別の犯罪追及と並行して、化学兵器の使用だけではなく、開発から生産、貯蔵までをも禁止するべきだとの国際世論が高まり、1992年、化学兵器禁止条約が署名されます。条約は1997年に発効し、これを受けて、実行機関としてオランダのハーグに設置されたのが、シリアでの査察を行う予定の化学兵器禁止機関(OPCW)です。

 さて、一連のシリアで化学兵器が使用されたことは確実ですが、アサド政権と反政府側のどちらが使用したかという点については、現時点では明らかになっていません。というよりも、現在のシリア情勢は、シリアのアサド政権を背後から支えるロシア(タルトゥースには地中海唯一のロシア海軍の補給拠点があります)とイランに対して、中東地域でのイランの勢力拡大を望まないサウジアラビア、トルコ、米国が反政府勢力を支援しているものの、反政府勢力側には統一的な司令部はなく、いわゆるイスラム原理主義過激派を含む諸勢力が入り乱れて、くんずほぐれつの状態というのが実情のようです。ここはひとまず、どの勢力であれ、一般国民に対する化学兵器の使用を止めさせるということを最優先して考えるしかありませんな。

     
 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 アカデミー作品賞は『アルゴ』
2013-02-26 Tue 11:57
 第85回米アカデミー賞は、イスラム革命後のイランで起きた米国大使館占拠事件での人質救出の舞台裏を描いた「アルゴ」が作品賞を受賞しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アメリカ大使館占拠8周年

 これは、1987年11月にイランが発行した“米国大使館占拠8周年”の記念切手で、星条旗の背後にヒビの入った米国会議事堂と米国の国章が描かれています。ちなみに、切手の表記では、米国大使館ではなく、“米国のスパイの隠れ家”となっています。

 1979年2月のイスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきた米国へも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目に米国に入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生しました。

 これが、いわゆるテヘランの米国大使館占拠事件で、これを機に、イランと米国は国交を断絶。1981年1月20日に人質が解放された後も、現在にいたるまでの両国の険悪な関係が決定的になりました。

 イランでは、一時期、米国大使館占拠事件の周年記念切手を毎年発行していましたが、今回ご紹介の切手が発行された1987年は、7月に国連安保理の停戦決議(安保理決議598)が可決され、対イラク戦争の終結が現実味を帯びて語られるようになっていた時期でした。

 安保理決議598は、受諾を拒否する国に対しては、制裁などの措置を行いうるとして受諾圧力をかけた上で、停戦とともに双方が占領地域から撤退することを掲げていたため、当時、イラン領内に占領地を持たないイラクにとっては有利でしたが、イラク領内に占領地を有していたイランにとっては不利な内容でした。このため、一部では、イランがこの決議を拒否することを見越して、対イラン制裁措置を導き出そうとするアメリカの意図に沿って作成されたものとの解釈もなされています。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の中で発行されたもので、イラン国内の反米感情が、ふたたび沸騰していった状況を彷彿させるものともいえましょう。

 ちなみに、今回のアカデミー賞ではミシェル・オバマ大統領夫人が作品賞の発表を行うなど、政治的な演出には米国内でも批判の声が上がったそうで、当然のことながら、イラン政府は猛反発しています。収集家としては、ついつい、久しぶりにイランで“人質事件”を題材とした切手が発行されるかも…と期待(?)してしまいますな。


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