内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 イランで対米補償請求法可決
2016-05-18 Wed 19:41
 イラン議会は、きのう(17日)。同国が過去63年間に米国から被った精神的、物的損害について補償を請求する法案を賛成多数で可決しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・モサデク生誕100年

 これは、1980年にイランが発行したモサッデグ生誕100周年の記念切手です。1951-53年にイランの首相を務めたモハンマド・モサッデグは、西暦では1882年5月19日生まれですので、その生誕100周年は西暦では1982年となりますが、今回の切手に関しては、ヒジュラ暦での100周年ということで1980年の発行となりました。ちなみに、イランでは、西暦・イラン暦(春分を元旦とする太陽暦)・ヒジュラ暦が併用されています。

 さて、第二次大戦後、いわゆるトルーマン・ドクトリンによって対ソ封じ込め政策が発動された際、米国は中東地域における同盟国としてイランを重要視する方針を固めたものの、1950年代初頭のイランは政情が極めて不安定であり、そのことは米国にとって頭痛の種となっていました。

 ことの発端は、石油開発に伴う利益を開発会社と油田の存在する国との間で50%ずつ配分するという方式がヴェネズエラ産石油に関して採用されたことにあります。

 この“ヴェネズエラ方式”は、すぐにサウジアラビア産の石油についても採用され、世界各地に広まっていきましたが、こうした世界的な流れを受けて、イランでも、従来、イラン産石油の利益の90%を独占していた英国系のアングロ・イラニアン石油会社に対して、相応の利益配分を求めるべきとの主張が浮上します。これに対して、アングロ・イラニアン石油会社側はヴェネズエラ方式を拒否して、イラン側の取り分を25%とすることを提案。しかし、当然のことながら、イラン側はこの提案を拒否し、イラン政界では石油国有化論が勢力を持つようになりました。この結果、当時のモサッデグ内閣は、1951年5月、石油国有化法を施行します。

 これだけなら、欲をかいた斜陽の大英帝国が結果的に大損をしたというだけのことなのですが、当時は朝鮮戦争の真只中であり、世界的に石油需要が増大していました。こうした状況の中で、米国は、イランの“反英ナショナリスト政権”が石油国有化に踏み切ったことに強い危機感を抱き、イランに圧力をかけるために世界市場でのイラン産石油の購入ボイコット運動を展開します。

 これに対して、追い詰められたモサッデグ政権は、英国への対抗上、北の隣国、ソ連に接近せざるを得なくなりました。

 しかし、19世紀以来、イランは英国とロシアないしはソ連の角逐の場となってきたという歴史的経緯があったことから、米国は、モサッデグ政権がソ連に接近すれば、ソ連はイランに勢力を扶植するに違いないとの危惧を抱き、1953年8月、CIA主導のクーデタを敢行。モサデクを追放し、イランに国王モハンマド・レザー・シャーを中心とする親米政権を樹立しました。

 ちなみに、イラン産石油の問題については、結局、アングロ・イラニアン石油会社は解散され、米英蘭仏の合弁企業イラン石油コンソーシアムが1954年から40年にわたってイラン国内の石油開発権を独占する代わりに、コンソーシアムの純益の50%がイラン政府に配分されるということで決着しました。

 今回、イラン議会で可決した法案に“過去63年間”とあるのは、このモサッデグ事件以降という意味で、そのほかにも米国による損害の具体例としては、1980-88年のイラン・イラク戦争でのイラク側への支援、1980年代末の石油掘削施設の破壊などが挙げられています。

 ただし、イランの場合、議会で可決された法案がそのまま無条件で法律として成立するわけではなく、12人の法学者で構成される“監督者評議会”によって、議会可決法案が憲法あるいはイスラム法に反すると判断された場合、法案は議会に差し戻されて再審議されることになっています。このため、実際には、法案がそのまま施行されるかどうかは現時点では確定していません。

 なお、今回の法案可決には、先月、米国の最高裁判所が、米国内のイランの凍結資産約20億ドルを、凍結解除後、イランが関与したとされるテロ事件の米国人被害者・遺族らに引き渡すべきだとの判決が下されたことへの報復という面もあると指摘されています。

  
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 イランとサウジ、国交断絶
2016-01-05 Tue 10:51
 おととい(3日)、在イランのサウジアラビア大使館が暴徒の襲撃を受けたことを主な理由として、サウジアラビアがイランとの外交関係を断絶しました。さらに、きのう(4日)になって、サウジ外務省は、イランへの民間機の発着や国民のイラン渡航を禁止し、経済関係も断絶する考えを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・サウジ非難

 これは、1987年7月、イラン人のメッカ巡礼団とサウジの治安部隊が衝突し、イラン人巡礼者に死傷者が出たことを非難するイラン切手です。

 1979年のイラン・イスラム革命後、周辺アラブ諸国はイランによる“革命の輸出”を警戒し、ペルシャ湾を挟んで向かい合うサウジとイランの関係は緊張。サウジは革命の防波堤としてイランと戦うイラクを支援していました。1987年のメッカでの衝突事件は、こうした背景の下で起きたもので、事件後、イランは、イスラムの聖地を信徒の血で汚した不正なるイスラム体制としてサウジアラビアを激しく非難。これに対して、サウジ側は衝突事件で負傷した治安部隊の隊員がその後亡くなったことを理由に、イランとの国交を断絶しました。

 湾岸戦争終結後の1991年、両国はオマーンの仲介で国交を回復しましたが、その後も、たとえば、アフガニスタンでの内戦ではイランが反タリバンの北部同盟を、サウジがパキスタンとともにタリバンを支援するなど、各地の紛争では、しばしば、イランの勢力拡大を嫌うサウジがイランの支援を受けた勢力の敵対勢力を支援し、結果的に、両者の代理戦争ともいうべき状況が現出してきました。

 今回の国交断絶は、今月2日、サウジアラビア東部州出身で、反政府運動の精神的な支柱となっていたシーア派指導者ニムル・バーキル・ニムルを含む47人の死刑が執行されたことをサウジ外務省が発表したことから、翌3日、ニムルの死刑執行に抗議する市民が暴徒化し、テヘランのサウジ大使館、マシュハドのサウジ領事館を襲撃したことが直接の理由となっています。

 ニムルは、2011年に東部州で発生した抗議活動を扇動した容疑で2012年に拘束され、2014年に死刑判決を受けていましたが、この判決に関しては、シーア派国家としてのイランがサウジを非難していたほか、欧米諸国からも地域の宗派対立を煽るものとして懸念する声があがっていました。ただし、ニムルと同時に処刑された47人の大半はシーア派ではなく、スンナ派の過激派で、サウジ政府としても(ニムルがそれに該当するかどうかはともかく)テロリストに対しては厳しい姿勢で臨まなければならないという事情があるわけで、結果的にイランと対立することは承知しつつも、イランを挑発することが処刑の主たる目的ではないというのが実情でしょう。

 また、イラン政府も、サウジの外交施設を襲撃した暴徒を強制的に排除し、彼らを厳しく非難していますが、これは、過去のイラン政府が革命直後の学生による米国大使館占拠事件を称賛し、2011年の英国大使館襲撃事件では暴徒に対して寛容な態度をとっていたことと比べると、はるかにまともな対応です。ただ、大使館の襲撃というのは国交断絶の理由としては十分ですから、テロリストの処刑という国内問題への“内政干渉”を拒絶する意思を示すために、サウジとしては強硬姿勢を取らざるを得なかったという面があることも見逃せません。

 今回のサウジの対イラン断交を受けて、バーレーンとスーダンもイランとの断交を宣言し、アラブ首長国連邦(UAE)も駐イラン大使の召還など“外交関係の格下げ”を表明するなど、周辺諸国にも波紋は広がっていますが、現実の問題としては、おそらく、1988-91年の国交断絶の時と同じように、両国関係は“冷戦”状態がしばらく続くものの、すぐに直接的な衝突にいたるという可能性は低いのではないかと思います。それよりも、一連の騒動のそもそもの発端となったサウジ・東部州では、3日にも警察とデモ隊の衝突で犠牲者が出るなど緊張が高まっており、そちらの方がひょっとすると大事になるかもしれません。

 いずれにせよ、この問題はしばらくニュースを賑わすことになるでしょうから、このブログでも、折に触れて関連のマテリアルなどをご紹介していければ…と考えております。


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 岩のドームの郵便学(29)
2015-05-03 Sun 23:59
 『本のメルマガ』571号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1979年のイスラム革命後のイラン切手に取り上げられた岩のドームの切手として、この切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

         イラン・岩のドーム(1980)

 これは、1980年10月、イランが発行した「エルサレムを解放しよう」とのプロパガンダ切手です。

 1979年2月11日、東西冷戦下の米国の中東政策の拠点となっていたイランで、イスラム革命が起こり、親米パーレビ王制が崩壊。同年3月の国民投票により、イラン・イスラム共和国が発足します。

 発足間もない革命政府(大統領はイスラム・リベラル派のバニサドル)の首班となったバザルカーン暫定政権は、米国との同盟関係を破棄し、イスラエルとも断交。イスラエルの外交使節団には国外退去が命じられ、代わりに、旧イスラエル大使館の建物はPLOの代表部にあてがわれました。

 王制時代、米国はパレスチナ問題の当事者であるアラブにイランが含まれないことに着目し、イランにイスラエルとの外交関係を維持することを要求しつづけました。当然、米国からすれば、この要求はパーレビ体制に対する巨額の援助の見返りとして当然のものであり、イランには(米国の理解では親ソ派の)アラブ民族主義に対抗するペルシア湾の憲兵となることが期待されていました。

 こうした背景ゆえに、革命後のイラン国民にとっては、反米と反イスラエルはごく自然に結び付くものとなります。もちろん、米国の存在を別にしても、イスラエル国家がイスラムの聖地でもあるエルサレムを不法に独占しているという現実(エルサレムは、本来、ユダヤ教・キリスト教・イスラムという三宗教の併存する聖地です)は、イスラム共和国を掲げる革命イランにとって、とうてい許容できるものではありません。革命直後の昂揚した空気の中で、イランがイスラエルと国交断絶に踏み切ったのも、彼らにしてみれば、至極当然のことでした。

 もっとも、パーレビ王制打倒と結び付いたかたちでの反米を掲げて成立した革命政府ではあったが、現実の外交政策においては、当初は、米国との直接敵対することは避け、東西両陣営の存在を前提に、両陣営から等距離を保とうとする穏健路線を模索していたともいわれています。

 しかし、イランのイスラム革命は、反国王という一点のみにおいて各種の勢力が結集された結果達成されたものであり、それゆえ、革命政権内部では、発足早々、主導権をめぐる権力闘争が発生。外交路線はその重要な争点となっていました。

 こうした状況の下、暫定内閣がアルジェリアで米国と接触したことに加え、亡命中の国王が治療を名目に渡米したことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランの米国大使館を占拠する事件が発生します。

 この結果、バザルカーン暫定内閣は総辞職に追い込まれ、革命政権は「西でも東でもないイスラム共和国」として既存の世界秩序そのものに挑戦しはじめました。

 なお、この「西でも東でもない」との表現については、若干の補足が必要かもしれません。

 東西冷戦時代、いわゆる非同盟諸国会議など、東西両陣営のいずれにも与することなく自立的な国家建設を行っていこうとする新興諸国は少なからず存在していました。もっとも、これらの新興諸国の多くは反帝国主義を基本にしており、その意味では、植民地主義の象徴・英仏を含む西側諸国から距離を置き、濃淡の差こそあれ、ソ連の支援を受ける事例が少なくありませんでした。

 これに対して、革命イランは、米ソがともに人造イデオロギーに依拠していることじたいを非難しています。いわゆるイスラム原理主義者の理解によれば、正しい統治は神に由来するイスラム法に依拠していなければならないからです。その意味では、共産主義であれ自由主義であれ、さらには反帝国主義であれ、イスラム法に基づかない(すなわち、人間の考案した)人造イデオロギーでしかなく、それゆえ、正統なる政府の理念的支柱にはなり得ません。このため、イスラム法に依拠している(ことになっている)革命イランの体制は、必然的に既存の東西の国家群からは明確に区別されるというのが彼らの主張であり、「西でも東でもない」との表現もそうした文脈に沿ったものといえます。

 さて、「西でも東でもない」ことを標榜し、既存の世界秩序を否定するようになった革命イランは、その当然の帰結として自国の周辺への革命の輸出を国家目標として掲げるようになりました。今回ご紹介の切手も、そうしたぶみゃくに沿って発行されたもので、岩のドームにかけられた鉄条網を引きちぎる手を描き、「エルサレムを解放しよう」との文言の入っています。これは、革命イランが切手上において直接的に他国を批判の対象として取り上げた最初の事例であり、その後、イランが相次いで発行することになる“国際社会への異議申し立て”のプロパガンダ切手の嚆矢となりました。

 これに対して、切手発行前月の1980年9月、隣国イラクがイランの主要な空港を爆撃。国境を超えてイラン領内への侵入を開始し、宣戦布告のないまま、8年にも及ぶ泥沼のイラン・イラク戦争が勃発します。

 イラン・イラク戦争の本質は、イランとの領土問題を抱えていたイラクのサダム・フセイン政権が、革命後のイラン国内の混乱と、革命の波及を恐れる周辺諸国の世論を活用し、“革命の防波堤”を買って出るという形式を取って起こした侵略戦争でしたが、フセイン政権によるイラン侵攻を批難する国際世論はほとんど起こらず、既存の国際秩序に対する不満を募らせたイランは、ますます先鋭化していくという構図が生まれることになるのです。


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         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 シリア化学兵器廃棄決議採択
2013-09-28 Sat 16:54
 国連安全保障理事会が、シリアに化学兵器の廃棄を義務付ける決議を全会一致で採択しました。安保理での採択に先立ち、化学兵器禁止機関(OPCW)は廃棄計画を策定しており、10月1日からは専門家による現地査察が始まる見通しです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       イラン・化学兵器禁止条約

 これは、2007年にイランが発行した化学兵器禁止条約発効10周年の記念切手で、化学兵器の残骸と被害を受けた子供が描かれています。

 戦時における化学兵器の使用は1925年のジュネーヴ議定書で禁じられていましたが、兵器の開発・生産・貯蔵などは禁じられていなかったため、化学兵器の開発や生産は続けられていました。

 イラン・イラク戦争中の1985年から88年にかけて、イラク東部のサルダシュトやハラブジャなどでは、主としてクルド系住民がイラン側に協力したとして、当時のフセイン政権がマスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用し、多くの住民を殺害しました。イラク政府はこの事実を否定し、イランと戦うフセイン政権を支援していた米国も化学兵器はイラン側が使用したとの見解を発表していましたが、難を逃れたクルド人の証言により、次第に化学兵器使用の実態が明らかになります。

 1988年8月、イラン・イラク戦争が停戦になると、ヨーロッパでは、軍事目的に使用されることを知りながらイラクに化学兵器の原料を売却した当時の関係者の責任を問う声があがり、オランダ人実業家のフランス・ファン・アンラートがイタリアで逮捕されています。その後、ファン・アラートはイタリアから逃亡してイラクに亡命し、2003年のフセイン政権崩壊まで、イラクにかくまわれていましたが、2004年、オランダに帰国したところを逮捕され、禁錮15年・イランとイラクの住民に対する2万5000ユーロの賠償金の支払いを命じられています。

 こうした個別の犯罪追及と並行して、化学兵器の使用だけではなく、開発から生産、貯蔵までをも禁止するべきだとの国際世論が高まり、1992年、化学兵器禁止条約が署名されます。条約は1997年に発効し、これを受けて、実行機関としてオランダのハーグに設置されたのが、シリアでの査察を行う予定の化学兵器禁止機関(OPCW)です。

 さて、一連のシリアで化学兵器が使用されたことは確実ですが、アサド政権と反政府側のどちらが使用したかという点については、現時点では明らかになっていません。というよりも、現在のシリア情勢は、シリアのアサド政権を背後から支えるロシア(タルトゥースには地中海唯一のロシア海軍の補給拠点があります)とイランに対して、中東地域でのイランの勢力拡大を望まないサウジアラビア、トルコ、米国が反政府勢力を支援しているものの、反政府勢力側には統一的な司令部はなく、いわゆるイスラム原理主義過激派を含む諸勢力が入り乱れて、くんずほぐれつの状態というのが実情のようです。ここはひとまず、どの勢力であれ、一般国民に対する化学兵器の使用を止めさせるということを最優先して考えるしかありませんな。

     
 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 アカデミー作品賞は『アルゴ』
2013-02-26 Tue 11:57
 第85回米アカデミー賞は、イスラム革命後のイランで起きた米国大使館占拠事件での人質救出の舞台裏を描いた「アルゴ」が作品賞を受賞しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アメリカ大使館占拠8周年

 これは、1987年11月にイランが発行した“米国大使館占拠8周年”の記念切手で、星条旗の背後にヒビの入った米国会議事堂と米国の国章が描かれています。ちなみに、切手の表記では、米国大使館ではなく、“米国のスパイの隠れ家”となっています。

 1979年2月のイスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきた米国へも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目に米国に入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生しました。

 これが、いわゆるテヘランの米国大使館占拠事件で、これを機に、イランと米国は国交を断絶。1981年1月20日に人質が解放された後も、現在にいたるまでの両国の険悪な関係が決定的になりました。

 イランでは、一時期、米国大使館占拠事件の周年記念切手を毎年発行していましたが、今回ご紹介の切手が発行された1987年は、7月に国連安保理の停戦決議(安保理決議598)が可決され、対イラク戦争の終結が現実味を帯びて語られるようになっていた時期でした。

 安保理決議598は、受諾を拒否する国に対しては、制裁などの措置を行いうるとして受諾圧力をかけた上で、停戦とともに双方が占領地域から撤退することを掲げていたため、当時、イラン領内に占領地を持たないイラクにとっては有利でしたが、イラク領内に占領地を有していたイランにとっては不利な内容でした。このため、一部では、イランがこの決議を拒否することを見越して、対イラン制裁措置を導き出そうとするアメリカの意図に沿って作成されたものとの解釈もなされています。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の中で発行されたもので、イラン国内の反米感情が、ふたたび沸騰していった状況を彷彿させるものともいえましょう。

 ちなみに、今回のアカデミー賞ではミシェル・オバマ大統領夫人が作品賞の発表を行うなど、政治的な演出には米国内でも批判の声が上がったそうで、当然のことながら、イラン政府は猛反発しています。収集家としては、ついつい、久しぶりにイランで“人質事件”を題材とした切手が発行されるかも…と期待(?)してしまいますな。


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 イラン軍艦、スエズ運河を通過
2012-02-19 Sun 23:22
 イランならびにシリアをめぐる状況が緊迫する中、イラン海軍の駆逐艦と補給艦の計2隻がスエズ運河を通過し、イスラエル沖の地中海を抜けてシリア西部タルトゥースに入港しました。というわけで、きょうはイランの軍艦切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ジャマラン

 これは、昨年(2010年)イランで発行された駆逐艦ジャマラン就役の記念切手で、ペルシャ湾の地図を背景に、ジャマランと国旗を背にした最高指導者ハメネイの肖像がデザインされています。

 ジャマランは、昨年2月に竣工したイラン初の国産駆逐艦で、全長は94m、満載排水量1500トン超排水量約1400トン。後部デッキはヘリコプターが発着できる飛行甲板になっています。昨年の就役後、アデン湾の海賊出没海域周辺で海賊対処任務、付近海域を航行するイラン船舶に対する護衛任務を行っていますが、今回のスエズ運河通過には参加していません。

 今回、スエズ運河を通過したのは、駆逐艦のシャヒード・カンディと補給艦のハルグの2隻で、航海の表向きの目的は、カスピ海沿岸のイマーム・ホメイニ海軍大学の学生の訓練ということになっていますが、海軍司令官のハビーブッラー・サイヤーリーがメディアの取材に「イランの国力を示し、地域に平和と友好のメッセージを伝えるのが目的だ」と応じているように、軍事的な示威行為にして、友好国であるシリア・アサド政権への支持表明であることはだれの目にも明らかです。

 なお、イラン軍艦のスエズ運河通過は、昨年2月以来、1979年の革命後は2度目のことですが核開発問題をめぐってイランと激しく対立しているイスラエルは、昨年の軍艦通過の際委は、イランの“挑発行為”に対して激しく反発しています。今回の一件もイスラエルを刺激することは確実でしょうな。

 ちなみに、1967年6月に第3次中東戦争が勃発する直前、エジプトはシナイ半島の国境地帯に兵力を進駐させ、第2次中東戦争の終結以来駐留を続けていた国連緊急軍に撤兵を要求するとともに、イスラエルにとって紅海への出口となるチラン海峡を封鎖。さらに、エジプトとシリア、ヨルダンの間では軍事同盟が結成され、イラク、クウェート、スーダン、アルジェリアの各国も有事の際の派兵を約束していたことは見逃してはなりません。結局、イスラエルは、これら一連の状況を“挑発行為”と判断し、アラブ諸国に対して先制攻撃に打って出ることになります。

 まぁ、外交というのは「なめられたら負け」ですので、ある程度の示威・挑発が必要なことは十分に理解できるのですが、こと相手がイスラエルの場合は、ほどほどにしておいた方がいいんじゃないのかなぁ。


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 今夜は皆既月食
2011-12-10 Sat 16:24
 今晩(10日夜)は晴れていれば、日本中で皆既月食の初めから終わりまで見ることができるそうです。このような好条件の月食は約11年振りなのだとか。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ビールーニーの月食図

 これは、2009年にイランが発行した世界天文年の記念切手で、ビールーニーの月相図が取り上げられています。

 アブー・ライハーン・ビールーニーは、973年、現在のウズベキスタン領内にあるホラズム地方の首府カース近郊で生まれました。イランや中央アジアの各地を回って諸学を修め、サーマーン朝の君主マンスール2世やホラズム・シャーのマァムーン、ガズナ朝のスルタン・マフムードなどに仕えて、数学、天文学、哲学、薬学、占星学、歴史、旅行記、言語学など多岐にわたる分野の著述を残しました。

 切手に取り上げられた月相図は、ペルシャ語で書かれた『占星術教程の書』に収められているもので、太陽光によって生じる光っている部分と影の部分との対応関係が示されています。右のやや大きめの円が太陽、左の大円の周囲に配された小円は地球を公転する月のそれぞれ位置を示しており、赤い直線は陽光などの光線です。いうまでもなく、月が一番左側の位置にあるときが月食になります。

 イランの切手というと、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもご紹介したようなプロパガンダ切手が強いという方も多いと思いますが、今回ご紹介した切手のように、自国の文化伝統を紹介するモノも少なからずあることは記憶にとどめておいてもよいかもしれません。

 さて、今夜の月食ですが、21時45分から部分月食が始まり、23時05分には皆既月食に突入。その後、皆既月食は23時58分まで続き、日付が変わった11日の01時18分には部分月食も終わりとなります。月食は、晴れていれば、肉眼でも十分に観察でき、インターネット中継も数多く予定されているそうです。

 なお、月食が始まる前の19:00-20:55の時間帯、僕は『年賀状の戦後史』の著者としてTBSラジオ(954kHz )で放送の鈴木おさむ 考えるラジオに出演いたします。僕の出番は20時を回った頃からですので、よろしかったら、ぜひ、お聞きいただけると幸いです。


  ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・12月10日(土) 鈴木おさむ 考えるラジオ
 
 TBSラジオ(954kHz )で19:00から放送の番組に『年賀状の戦後史』の著者として内藤が生放送出演します。ぜひ聞いてやってください。なお、放送番組の常として、諸般の事情により、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。


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 テヘランの英国大使館襲撃
2011-11-30 Wed 22:12
 イランの首都テヘランの英国大使館に、きのう(29日)、体制派の民兵組織「バシジ」に所属する大学生ら300人以上が集まり、イランに経済制裁を強める英国政府に激しく抗議。警官隊の警備を無視した群衆の一部が大使館内に乱入し、英国国旗を焼いたり、車両に放火、公文書を盗んで破り捨てる事件が発生しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        イラン・アメリカ大使館占拠(1988)
 
 これは、1988年にイランが発行した米国大使館占拠9周年の記念切手で、大使館前の門扉を背景に、振り上げられた拳と崩れ落ちるハクトウワシ(米国の国鳥)のシルエットが描かれています。イランでは、一時期、米国大使館占拠事件の周年記念切手を毎年発行していましたが、これもその1枚です。

 1979年2月のイスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきた米国へも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目に米国に入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生しました。

 これが、いわゆるテヘランの米国大使館占拠事件で、これを機に、イランと米国は国交を断絶。現在にいたるまでの両国の険悪な関係が決定的になりました。

 ちなみに、今回の事件が起きたテヘランの英国大使館は、通りを挟んで旧米国大使館と反対側にありますので、この切手に描かれている構図は英国大使館側から見たものではないかと思います。もっとも、当時、通りの反対側の米国大使館での騒擾事件を見ていた英国大使館員のうち、自分たちのところでも同じようなことが起こると予想していた人がどれほどいたかはわかりませんが…。

 なお、イランのプロパガンダ切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・12月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『年賀状の戦後史』、『ハバロフスク』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 イラン特殊工作部隊の名前
2011-10-12 Wed 23:53
 アメリカ司法省はきのう(11日)、イラン革命防衛隊の特殊工作部隊の支持を受けて、駐米サウジアラビア大使の暗殺計画に関与したとして、イラン人の男など2人を訴追したと発表しました。で、この特殊工作部隊の名前が、日本の報道ではいろいろと表記が揺れているようなので、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        世界エルサレムの日

 これは、1982年にイランが発行した“世界エルサレムの日”の切手で、エルサレムにおけるイスラムの聖地、岩のドームが描かれています。

 1948年の第一次中東戦争の結果、イスラエルは西エルサレムを領土として確保しましたが、ユダヤ教・キリスト教・イスラムの三宗教の聖地であるエルサレム旧市街を含む東エルサレムとヨルダン川西岸地区はトランスヨルダンが領土として併合し、トランスヨルダンは現在のヨルダン・ハシミテ王国となりました。

 その後、1967年の第3次中東戦争の結果、イスラエルは東エルサレムとヨルダン川西岸地区を占領しましたが、この戦争がイスラエル側の先制奇襲攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども懐疑的で、1967年11月の国連安保理では、占領地域からのイスラエル軍の撤退を要求する決議が採択されました。

 これに対して、エルサレム全域を支配下に置いたイスラエルは、テルアビブからエルサレムへの“遷都”を宣言しましたが、上記のような理由で、国際社会は、イスラエルによる東エルサレムの占領を認めておらず、必然的に、エルサレムを“首都”とするイスラエル側の主張も認めていません。このため、在イスラエルの外国大使館は、従来どおり、テルアビブにおかれるのが慣例となっています。

 今回ご紹介の切手は、こうした背景の下で、イスラム原理主義国家のイランが、イスラエルによるエルサレム占領に抗議する国際世論を喚起するために発行したものですが、“世界エルサレムの日”の英文表記が“THE UNIVERSAL DAY OF GHODS”となっている点にご注目いただきたいと思います。

 ここに出てくる“GHODS”はエルサレムのことですが、エルサレムはアラビア語ではクドゥス(コドゥスと訛ることもあります)と呼ばれています。そのスペルをローナ字表記に直すと“Quds”となるのですが、アラビア文字のqに相当する音は、イランの言語であるペルシャ語では、しばしば、ガ行の音として発音されます。イランで近代郵便制度を導入し、最初の切手を発行した王朝が、日本語表記で、カージャール朝ともガージャール庁とも呼ばれるのは、単語の最初のqの音をどう表記するかという違いによるものです。

 したがって、エルサレムの呼び方は、ペルシャ語でもアラビア語に由来する“Quds”ですが、それを日本語表記にしようとすると、クドゥス、コドゥス、ゴドゥスなどの可能性が出てきます。さらに、“Quds”を英語読みするとクッズとなりますが、そこに上記のコドゥス、ゴドゥスが混じってくると、コッズやゴッズといった表記も出てくることになります。今回の報道での表記がいろいろと揺れていたのは、このためです。

 ちなみに、問題のクドゥス部隊は、もともとはイラン=イラク戦争の最中に編成された特殊部隊として出発し、その後、秘密工作担当となりました。レバノンのシーア派組織、ヒズボラの国際テロ部門を事実上指揮しているとされるほか、アフガニスタンではマスウードのタジク人部隊を支援し(アフガニスタンにおけるイランの影響力拡大を嫌ったサウジやパキスタンが、当初、ターリバーンを支援したのはこのためです)、イラクのクルド民兵やボスニア紛争時のイスラム教徒軍なども支援しており、世界の紛争・テロにおいて重要な役割を果たしているとも言われています。

 当然のことながら、アメリカをはじめ西側世界にとっては厄介な存在ですから、今後も、なにかと問題を起こしてニュースに登場することになると思います。それだけに、この組織の名前を日本語で表記どうするのかということも、どこかできちんと基準を作った方がよいでしょうね。
 

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 イラン・ブシェール原発が稼働
2011-05-19 Thu 12:16
 イラン国営通信によると、きのう(18日)、イラン南西部のブシェール原発が稼働し、近く電力供給が始まるのだそうです。中東での原発稼働はこれが最初のケースです。というわけで、“ブシェール”といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

        ブシェール占領加刷

 これは、第一次大戦中の1915年、イギリス占領下のブシェールで発行された加刷切手です。

 イラン南西部、ペルシャ湾に面したブシェールには、1856-57年のアングロ=ペルシャ戦争を経て、1864年5月1日に英領インド局が設置され、以後、ペルシャ領内でありながら、英領インド局が活動を展開していました。

 第一次大戦が勃発すると、イギリスはペルシャ湾からインド洋への制海権を確保するため、1915年8月8日、ブシェールを占領下に置き、同月15日、今回ご紹介しているような、イラン切手に“イギリス占領下ブシェール(BUSHIRE Under British Occupation)”と加刷した切手を発行し、使用しました。なお、第一次大戦以降、ブシェールは初期のインド行き航空路の中継地点となり、多くの飛行機がブシェールを経由しています。ちなみに、ブシェールの英領インド局が閉鎖され、ペルシャ郵政が業務を引き継いだのは、1923年4月1日のことでした。

 さて、ブシェール原発の計画は、パーレビ王政時代の1974年、ドイツ企業により建設が始まりました。しかし、計画は、1979年のイスラム革命で中断を余儀なくされ、1980年からのイラン・イラク戦争で建設途中の施設は壊滅的な打撃を受けます。

 イラン・イラク戦争後の戦後復興がある程度進むとともに、1991年の湾岸戦争で仮想敵国のイラクが敗北し、原発建設の障害がなくなると、1995年、イラン政府は中断していた原発建設をロシアの協力を得て再開します。当初、ブシェール原発は1999年に稼働開始の予定でしたが、再三延期され、今回、ようやく稼働開始にこぎつけたというわけです。

 ちなみに、先日の福島原発の事故を受けて、イランの宿敵であるイスラエルは原発建設計画の見直しを発表しましたが、イラン政府は、ブシェール原発を「最新の技術で建設されたもので全く問題はない」、「世界一安全な原発の一つ」と強調し、“脱原発”など一顧だにしていないようです。

 とはいえ、ブシェール周辺には活断層もありますから、原子炉がチェルノブイリのイメージが抜けないロシア製ということとあわせて、アラブ首長国連邦(UAE)をはじめ近隣諸国は、やはり、気が気じゃないでしょうな。


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