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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 イラン国会選挙、保守強硬派が圧勝
2020-02-24 Mon 02:56
 今月21日に投票が行われたイラン国会選挙は、きのう(23日)開票が終了し、選管当局などの発表によると革命防衛隊などが支持する保守強硬派が全議席の7割以上を獲得。特に、最大の選挙区のテヘラン市では全30議席を独占するなど圧勝しました。なお、投票率は1979年の革命以降の国会選挙では最低の42.57%でした。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・革命4周年(投票)

 これは、1983年にイランが発行した“革命4周年”の記念切手で、投票箱に票を投じる場面が描かれています。

 イランにおける議会は、ガージャール朝時代の1906年憲法に基づいて設置されたのが最初です。当初の議会は国民諮問評議会(下院)と上院から構成され、参政権は男性に限定されていましたが、パフラヴィー朝時代の1963年に発動された“白色革命”の一環として女性の参政権が認められました。

 これに対して、ホメイニーは白色革命を伝統的なイスラムの価値観に反するものと断じ、政府に対する抵抗運動として、白色革命の是非を問う国民投票へのボイコット、イラン暦の新年(イラン暦では春分の日が元日)の祝賀行事やアーシュラー(シーア派の伝統的な宗教行事)への不参加などを呼びかけたほか、モスクでの説教でも国王を罵倒します。

 このため、1963年6月5日、ホメイニーは逮捕されましたが、これに抗議する暴動がイラン全土で発生し、およそ400人が亡くなる騒動となります。混乱の中、同年10月6日には、女性議員も参加しての第21期国民諮問評議会が招集され、ホメイニもいったんは釈放されましたが、その後も彼は政府批判を止めず、1964年11月、国王と米国を非難して国外追放処分を受けました。

 1979年の革命後、上院は廃止されて一院制となり、1989年の憲法改定で“国民諮問評議会”は“イラン・イスラム議会”へと改称され、現在に至っています。現在の定数は290議席で、任期は4年。非ムスリムの宗教マイノリティには5議席が割り当てられていますが、立候補にあたっては、イスラーム法学者6名と一般法学者6名で構成される“監督者評議会”の資格審査が必要です。また、国会を通過した法案はすべて監督者評議会に送られその承認を得なければならないとされています。

 2016年に行われた前回の選挙では、対外融和派の改革普及連合が119議席を占めて第1党となり、同じく対外融和派で翌2017年の大統領選で再選を果たしたロウハニ大統領を支えていましたが、今回、対外融和派は50議席程度にとどまる惨敗となり、ロウハニ大統領は厳しい政権運営を迫られることになります。


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 米、イラン革命防衛隊幹部を空爆で殺害
2020-01-04 Sat 01:15
 米軍は、昨日(3日)、イラクのバグダッド国際空港を空爆し、イラン・イスラム革命防衛隊の一部門で、イラン国外で特殊作戦に従事するゴドゥス部隊のガーセム・ソレイマーニー司令官らを殺害しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・エルサレムの日(1983)

 これは、1983年にイランが発行した“世界エルサレムの日”の切手で、“神は偉大なり”の旗を付けた銃と岩のドームが描かれています。世界エルサレムの日は、「全世界のムスリムが、イスラムの聖地(でもある)エルサレムがイスラエルによって不当に占領されていることに抗議する」ための日で、イランでは、1982年以降、記念切手が発行されてきました。

 ところで、イランの切手では“世界エルサレムの日”の英文表記は“THE UNIVERSAL DAY OF GHODS”となっていますが、この“GHODS”がエルサレムのことです。エルサレムはアラビア語では“クドゥス(コドゥスと訛ることもある)”と呼ばれており、そのラテン文字表記は“Quds”が一般的ですが、アラビア文字の q に相当する音は、イランの言語であるペルシャ語では、しばしば、ガ行の音として発音されます。(ちなみに、“ガーセム”のガも q の文字です)

 このため、エルサレムを意味するペルシャ語の単語は、アラビア文字を使った表記上はアラビア語と同じですが、それを日本語表記にしようとすると、クドゥス、コドゥス、ゴドゥス、クッズ、ゴッズなどの揺れが生じることになります。

 今回殺害されたソレイマーニー司令官の組織名は、このクドゥスの名を冠した革命防衛隊の特殊工作部隊(ゴドゥス部隊)で、イラン・イラク戦争中に民兵組織の一部隊として組織されたのがその起源です。

 彼らの任務は、対イラク戦争を通じて拡大され、1983年、最初のテロ事件として、ベイルートで米海兵隊宿舎爆破事件を起こしました。その後も、ゴドゥス部隊は、イランが支援する各国の武装組織(ヒズボラハマース、イラクのシーア派民兵等)に対する軍事訓練や活動の調整、敵国(イスラエル、米国、サッダーム政権時代のイラク)に対する破壊工作、国外のイラン反体制派の排除などを行っており、1991年8月のパリでの元イラン首相シャープール・バフティヤール暗殺、1992年9月のベルリンでのクルディスタン民主党指導者サーディフ・シャラーフ=キンディ暗殺、1994年のブエノスアイレス・ユダヤ文化センター爆破テロ、1996年のフバル(サウジアラビア)でのフバルタワー爆破事件(米兵19人が死亡)などが、ゴドゥス部隊の犯行もしくは支援によるものとみられています。

 今回ご紹介の切手は、1983年4月18日、ヒズボラがベイルートの米大使館付近で自動車爆弾攻撃を実行して63人を殺害、120人を負傷させるテロ事件を起こした後、同年7月8日に発行されたもので、“武力によるエルサレム解放(ないしはイスラエルの打倒)”も否定せずとのヒズボラの路線を支持する姿勢が示されています。

 いずれにせよ、上述のような経緯から、2007年10月、米国のブッシュ政権は、革命防衛隊のうちのゴドゥス部隊を“テロ支援組織”に指定。さらに、2019年には革命防衛隊そのものを“外国テロ組織”に指定していました。今回のソレイマーニー司令官殺害に関しても、米国防総省は、昨年12月、米国人が死傷したイラク国内の基地への攻撃をソレイマーニー司令官が指揮したことなどを例に、同司令官が「米国の外交官と軍人を攻撃する計画を積極的に進めていた」と指摘したうえで、「大統領の指示で、米軍はソレイマーニーを殺害することで、海外の米国人を守るための断固たる防衛措置をとった」と表明しています。

 なお、イランの切手における“クドゥス”とその象徴としての岩のドームの関係については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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第11回テーマティク研究会切手展

      JTPC展2020ポスター

 1月11-12日(土・日) 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き11回目の開催で、香港情勢が緊迫している折から、メインテーマを香港とし、内藤も「香港の歴史」のコレクションを出品しています。

 また、会期中の12日13:00からは、拙著『(シリーズ韓国現代史1953-1865)日韓基本条約』の刊行を記念したトークイベントも行います。

 展覧会・トークイベントともに入場無料・事前予約不要ですので、ぜひ、遊びに来てください。


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 テヘラン米大使館占拠事件40年
2019-11-04 Mon 02:54
 1979年11月4日にテヘラン米大使館占拠事件が起きてから、ちょうど40年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・米国大使館占拠6周年

 これは、1985年にイランが発行した“米国大使館占拠6周年”の記念切手です。

 イランでは、一時期、毎年のように米国大使館占拠事件の周年記念切手が発行されていましたが、今回ご紹介の切手では、テヘランの米国大使館の門扉をCIAの文字をバックに打ち砕かれた大使館の看板を描き、その周囲には、大使館から送られた機密電が配されています。イラン側は、この切手を通じて、「テヘランの米国大使館はCIAによるスパイ活動の拠点であり、大使館占拠事件により米国の陰謀は打ち砕かれた」と主張したいようです。

 1979年2月のイラン・イスラム革命は、開発独裁政策を進めてきた親米パーレビ体制に対する不満が爆発したものでした。このため、パーレビ王制崩壊後、国民の矛先は旧王制を支え続けてきた米国へも向かうことになります。そして、亡命中の国王が治療を名目に米国に入ったことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件が発生しました。

 これが、いわゆるテヘランの米国大使館占拠事件で、事件の責任を取って、バザルカーン暫定内閣は総辞職に追い込まれ、革命政権は“西でも東でもないイスラム共和国”として既存の世界秩序そのものに挑戦しはじめます。同時に、米国との国交も断絶し、1981年1月20日に人質が解放された後も、現在にいたるまでの両国の険悪な関係が決定的になりました。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、ホメイニ時代のイランの反米プロパガンダ切手については、拙著『反米の世界史』でも1章を設けて詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。
 

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日本史検定講座(全8講)
 12月13日(日)スタート!
 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。

・武蔵野大学生涯学習秋講座 
 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年―
 2019年12月15日(日) 
 (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 )



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 革命防衛隊、テロ組織指定へ
2019-04-06 Sat 12:13
 米政府は、週明けの8日にも、イランのイスラム革命防衛隊を“外国テロ組織”に指定する見通しであることが明らかになりました。実施されれば、外国の軍隊が同組織に指定される初めてのケースとなります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・革命防衛隊(1987)

 これは、1987年にイランが発行した“イマーム・フサイン誕生日/イスラム革命防衛隊の日”の記念切手で、行軍する革命防衛隊の兵士が描かれています。

 1979年2月のイラン・イスラム革命は、さまざまな勢力が反国王という一点においてのみ結集し、パーレヴィ王制を打倒したという性質のものでした。このため、革命後、各勢力の間で激しい主導権争いが展開されることになりますが、その過程で、国軍は旧王制への忠誠心が残っているとの疑念を持ったホメイニーは、1979年5月5日、国軍とは別の軍事組織として、イスラム革命防衛隊の組織を命じます。

 革命防衛隊は、国防省ではなく革命防衛隊省の統制下に置かれ、革命を防衛し、イスラム法と道徳の執行において法学者を援助するための組織として出発し、当初は陸海空軍3万人の人員でスタートしました。

 1980年にイラン・イラク戦争が勃発すると、兵員の不足を補う必要に迫られた革命政府は、イスラム革命防衛隊の下で大量の義勇兵を前線に派遣。この義勇兵たちの士気が高かったため、革命指導部は、1981年2月17日、革命防衛隊から民兵組織“バスィージ”を正式に創設しました。なお、バスィージの民兵は、平時には、体制批判を監視する秘密警察としての役割も担っています。

 1982年にバスラ近郊で行なわれたラマダン作戦では、欧米諸国の軍事援助で近代兵器を装備したイラク軍に対して、12-80歳までの民兵(その大半は、ほとんど軍事訓練を受けておらず、装備も銃だけでした)を中心とする10万人の隊員が徒歩で地雷原を越えてイラク領内に進み、化学兵器の攻撃を受けながら突撃作戦を敢行。多数の戦死者を出すとともに、約4万5000人が捕虜となりました。

 今回ご紹介の切手では、発行名目として、“イマーム・フサイン誕生日”と“イスラム革命防衛隊の日”が併記されていますが、このイマーム・フサインは、西暦680年10月10日、ウマイヤ朝の支配は不義・不正であるとして武装蜂起を企図したものの、ウマイヤ朝軍に包囲され、カルバラー(現イラク領)で殉教したことでシーア派の第3代イマームのことです。このフサインと革命防衛隊を並置することで、バスィージの民兵たちはフサインに比すべき殉教者として称えるべきというのが、この切手の主な意図と考えられます。

 ところで、革命防衛隊は、イラン・イラク戦争中に、民兵組織と並行して、特殊部隊としてゴドゥス部隊を組織しました。彼らの任務は、対イラク戦争を通じて拡大され、1983年には、レバノンの首都ベイルートで起きた米海兵隊宿舎爆破事件を起こしています。その後も、ゴドゥス部隊は、イランが支援する各国の武装組織(ヒズボラハマース、イラクのシーア派民兵等)に対する軍事訓練や活動の調整、敵国(イスラエル米国、サッダーム政権時代のイラク)に対する破壊工作、国外のイラン反体制派の排除などを行っており、1991年8月のパリでの元イラン首相シャープール・バフティヤール暗殺、1992年9月のベルリンでのクルディスタン民主党指導者サーディフ・シャラーフ=キンディ暗殺、1994年のブエノスアイレス・ユダヤ文化センター爆破テロ、1996年のフバル(サウジアラビア)でのフバルタワー爆破事件(米兵19人が死亡)などが、ゴドゥス部隊の犯行もしくは支援によるものとみられています。

 こうしたことから、2007年10月、米国のブッシュ政権は、革命防衛隊のうちのゴドゥス部隊を“テロ支援組織”に指定。さらに、昨年2018年)10月16日には、米国財務省がバスィージとその系列企業に対して、少年兵をシリア内戦に送りこんでいたことなどを理由に、経済制裁の対象に指定していました。

 *昨日(5日)、文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は5月10日の予定(仮)です。放送日が近づきましたら、また、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


 ★★★ メディア史研究会で発表します! ★★★

 4月20日(土) 14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス4号館地下1階 第4会議室A(地図はこちらをご覧ください)にて開催のメディア史研究会月例会にて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の内容を中心に、「メディアとしての“英雄的ゲリラ”」と題してお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

      
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      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 ハラブジャ事件30年
2018-03-16 Fri 16:39
 イラン・イラク戦争末期の1988年3月16日に クルド人自治区のハラブジャに対してイラクが化学兵器を使用し、約3000人(諸説あります)を殺害したとされる“ハラブジャ事件”が起きてから、今日で30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ハラブジャ事件

 これは、1988年4月26日、ハラブジャ事件を非難するためにイランが発行した切手で、イラクの首都バグダードとハラブジャの位置関係を背景に、イラクの化学兵器に斃れるクルド人が描かれています。

 イラク国内のクルド人に関しては、バアス党政権下の1970年にクルド人自治区が設置されていました。しかし、イラン・イラク戦争が勃発し、戦場が次第にイラク不利となっていく中で、クルド人自治区ではイラクからの分離独立運動が高揚。これに対して、クルド系住民がイランに内通していると考えたサッダーム政権は、クルド人自治区のイラン国境に近い地域を中心に“アンファル作戦”を発動し、マスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器を使用して多くのクルド系住民を殺害しました。

 今回ご紹介の切手の題材となったハラブジャ事件はその最大のもので、事件直後、現地に入ったイラン軍が“異常”を察知し、世界のジャーナリストを現場に招いたことで、その惨状が世界に知られるようになりました。今回ご紹介の切手は、この流れに沿って、イラクに対する国際的な非難の世論を喚起する一手段として発行されたものです。

 これに対して、イラクのサッダーム政権は「事件はイランの仕業」と主張して関与を否定。さらに、国際社会の大勢は、イランからのイスラム革命の拡大を懸念してイラクを支持していたため、当時、ハラブジャ事件をほぼ黙殺していました。

 なお、サッダーム政権下で、ハラブジャ事件を含むクルド人弾圧の中心的役割を担っていたアリー・ハサン・マジードは、化学兵器を使用したことから、欧米メディアでは“ケミカル・アリー”とも呼ばれていましたが、サッダーム政権崩壊後の2003年8月21日、サーマッラーで米軍に拘束された後、イラク特別法廷で4回の死刑判決を受け、2010年1月25日、絞首刑に処せられました。

 * 昨日(15日)NHKラジオ第一放送で放送の「ごごラジ・マニア的電話座談会」は無事に終了しました。リスナーの方々ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。なお、15日の放送につきましては、3月22日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 
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 イラン・イラク国境地帯でM7.3地震
2017-11-13 Mon 12:40
 イラク北東部、イランとの国境にも近いスレイマニア県を震源として、現地時間12日午後9時20分ごろ(日本時間13日午前3時20分ごろ)、マグニテュード7.3の大地震が発生。震源に近いイラン西部やイラク北部のクルディスタン地域で建物の倒壊などによる死傷者が出ており、なかでも、イラン西部、イラクとの国境に位置するケルマンシャー州では、この記事を書いている時点で少なくとも141人が亡くなったそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ケルマンシャー加刷

 これは、第一次大戦中の1917年、オスマン帝国占領下のケルマンシャーで発行された暫定加刷切手です。

 イラン西部ケルマンシャー州は米や野菜を産する豊かな農業地帯として古代から人々が定住しており、州都ケルマンシャーの歴史はピーシュダード朝(イラン最初の王朝とされる伝説上の王朝)のタフモレス・ディーヴバンドの時代にまでさかのぼるとされています。都市としての本格的な建設は、西暦4世紀、ササン朝のバフラーム4世の時代に進められ、以後、同王朝の下で何度かペルセポリスに次ぐ副都に指定されて繁栄を極めました。その後、アラブの侵攻により大きな被害を受けましたが、16世紀から18世紀にかけてのサファヴィー朝支配下では都市として復活しています。

 第一次大戦中、当時のペルシャを支配者であったカージャール朝は中立を宣言したものの、戦略的な要衝であるがゆえに各国の軍隊が進駐。1915年にはオスマン帝国の侵攻により、ケルマンシャーも同帝国の占領下に置かれました。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、1917年、12シャヒおよび24シャヒ切手が不足したため、1キラン(クランとも。1クラン=100シャヒ)切手に暫定的に改値加刷を行って発行されたものです。

 なお、この切手が発行されて間もなく、ロシアで10月革命が発生したため、ケルマンシャーを含むペルシャ北西部は、ロシア内戦に干渉するための前線基地として、英国がオスマン帝国を駆逐して占領しました。

 1979年のイスラム革命後、ケルマンシャーは、地名の“シャー”が忌避され、“バーフタラーン”と改称されましたが、イラン・イラク戦争(ケルマンシャーも国境の都市として大きな被害を受けました)の休戦後、旧称のケルマンシャーに復し、現在に至っています。ちなみに、ケルマンシャー州の現在の人口は約195万2000人、州都ケルマンシャーの人口は約82万3000人です。

 今回の地震では、ケルマンシャー州内では、イラクとの国境に近いサルポル・エ・ザハブの被害が特に深刻で、死亡者のうち60人以上が同郡に集中しているそうです。このほか、イラクのクルディスタン地域でも、東部スレイマニア県のダルバンディカン、カラル、アルビル県のコレなどで死者が出ているほか、ダルバンディカンには農業・発電用の利水ダムがあるため、クルド自治政府は余震に備えて住民に避難を呼びかけています。

 あらためて、亡くなられた方の御冥福と、被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りしております。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 テヘランで同時テロ
2017-06-08 Thu 07:53
 イランできのう(7日)、複数の武装グループが首都テヘラン中心部の国会議事堂と郊外のホメイニー廟をほぼ同時に襲撃。治安当局との銃撃戦で、民間人を含む少なくとも12人が死亡、40人以上が負傷しました。事件に関しては、“イスラム国”を自称するテロリスト集団、ダーイシュが「両事件はいずれもイスラム国の兵士らが実行した」とする声明を発表しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ホメイニー廟

 これは、1991年6月4日にイランが発行した“ホメイニー追悼”シリーズのうち、今回の事件現場のひとつ、ホメイニー廟を取り上げた切手です。

 ホメイニー廟は、イラン・イスラム革命の指導者、アーヤトッラー・ホメイニーと彼の家族(妻のハディージャ・サカフィーと次男のアフマド・ホメイニー)、ラフサンジャーニー大統領、ハサン・ハビービー副大統領、アリー・サイイド・シーラーズィー中将、思想家サーデク・タバタバーイーの遺体を安置した墓廟を中心とした複合施設です。

 ホメイニー廟の建設は、1989年6月にホメイニーが亡くなった直後の同年7月19日、テヘラン南郊のベヘシュテ・ザフラー墓地内で建設が開始され、墓廟本体は1992年6月2日に完成。4本のミナレットに囲まれた金色のドーム屋根は周辺一帯のランドマークとなりました。現在も、複合施設としてのホメイニー廟の建設は続けられており、に、最終的には、文化・観光センター、イスラム大学、ショッピング・モール、2万台収容可能な駐車場などからなる敷地面積20平方キロの複合施設となる予定です。

 ホメイニー廟はホメイニーの孫でイスラム法学者のアーヤトッラー・サイイド・ハサン・ホメイニーが管理しており、ホメイニーを慕う人々の参詣の場であるとともに、国賓がイランを訪問した際に訪れる象徴的な場所とされています。また、毎年6月4日のホメイニーの命日にはイラン政府要人と外国大使、それに一般国民が参加しての式典が行われています。今回の事件は、そのわずか3日後に起きたわけで、犯行が6月4日の式典当日に行われていたら…と考えると、本当に恐ろしいことです。

 あらためて、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りいたします。
 
 
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 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 イラン、現職大統領再選
2017-05-21 Sun 21:58
 19日に実施されたイランの大統領選挙は、対外融和路線を進める現職のロウハーニー(ロウハニ)大統領が57%以上の票を獲得して再選を果たしました。というわけで、今日は大統領の旧名、フェリドゥーンにちなんで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・国際フェルドゥーシー学会(ザッハーク封じ)

 これは、1990年にイランが発行した“国際フェルドゥーシー学会”の記念切手のうち、フェルドゥーシーの代表作『シャー・ナーメ』の写本のうち、フェリドゥーンが暴君ザッハークを封じ込めた場面の細密画を取り上げた1枚です。

 今回、再選を果たしたイランの大統領の現在のラストネームは“ロウハーニー”ですが、1948年11月12日に彼が生まれた時のラストネームはフェリドゥーンでした。フェリドゥーンは、近世ペルシャ語文学の最高傑作とされる叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』に登場する英雄にちなむ名です。彼が、“精神性の高い”という意味のロウハーニーという名をいつから使い始めたのかは定かではありませんが、イラン・イスラム革命後の1981年、国会議員時代の彼の名前は“ハサン・フェリドゥーン・ロウハーニー”となっていました。その後、前回の2013年の大統領選挙期間中には、フェリドゥーンを名乗ることはなくなり、現在では、ロウハーニーというラストネームが定着しています。

 さて、フェリドゥーンの登場する『シャーナーメ』は、ササン朝時代の史書『フワダーイ・ナーマグ』を元に、詩聖フェルドゥーシーが980年頃から30年余の年月をかけて1010年に完成させました。当初、フェルドゥーシーは、自らの作品をサーマーン朝に献じる予定でしたが、999年、サーマーン朝は滅んでしまったためため、後継のガズナ朝の君主、マフムードに捧げています。

 『シャーナーメ』に登場するフェリドゥーンの父親は、両肩に蛇を生やした暴君、ザッハークの蛇の生贄として殺されました。その後、復讐を恐れたザッハークはフェリドゥーンを殺そうと追っ手を差し向けますが、フェリドゥーンはこれを逃れ、エルブルス山に隠れます。それから16年の後、フェリドゥーンは山を下り、ザッハークの圧政に苦しめられていた人々を集めて挙兵。天使の助けを得て、ザッハークの魔法を解く方法を学び、バグダードからチグリス川を渡り、ザッハークの城があるエルサレムを攻め落としました。

 エルサレム陥落時、インドにいたザッハークは、ただちに、悪魔と人間の混成軍を率いて戻り、フェリドゥーンの軍と戦い、宮殿内の一騎打ちで、フェリドゥーンはザッハークの頭を牛頭の矛で打ち砕きます。しかし、この時点ではザッハークには死期が来ていないことを天使ソルーシュから聞かされたため、フェリドゥーンはソルーシュの助言に従い、ザッハークの手足をライオンの皮で作った縄で縛り、ダマーヴァンド山の洞窟に幽閉して、さらに鉄の杭と鎖で動きを封じました。切手に取り上げられているのはこの場面で、中央には手足を縛られて封じ込められるザッハーク(両肩にはしっかりヘビが描かれています)が、その右側には赤い装束のフェリドゥーンが描かれています。

 その後、フェリドゥーンは王位に就き、ザッハークに王位を奪われて殺されたイラン王ジャムシードの娘で、ザッハークに囚われていた2人の姫・シャフルナーズとアルナワーズを王妃に迎えています。

 ちなみに、『シャー・ナーメ』によれば、フェリドゥーンの王位はその後500年間続いたことになっていますが、今回再選を果たした(元)フェリドゥーン、ロウハーニー大統領の任期は2021年までの4年間です。

 * 本日未明、アクセスカウンターが179万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 岩のドームの郵便学(49)
2017-03-23 Thu 12:51
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』637号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第1次インティファーダの時期のイスラム主義者たちの活動について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・第一次インティファーダ

 これは、1988年5月13日、イランが発行した第1次インティファーダでの殉教者を讃える切手です。

 1987年12月に第1次インティファーダが発生すると、パレスチナのイスラム主義勢力もこれに加わり、武装闘争を展開します。

 1970年代以前のパレスチナでは、反イスラエルの武装闘争は世俗主義を掲げるPLO系の組織が中心で、ムスリム同胞団は主として救貧や医療などの社会活動を担い、武装闘争には慎重でした。

 これに対して、ガザ出身のファトヒー・シカーキー(シャカーキーとも)は1979年のイラン・イスラム革命に刺激を受け、『ホメイニー:イスラム的かつ新しい解決策』を刊行。PLOなど世俗主義的な解放運動はイスラムを欠き、ムスリム同胞団などイスラム復興運動はパレスチナを欠いているとの現状認識の下、イスラムに立脚したパレスチナ解放こそが重要であると主張しました。これは、ホメイニーのイスラム革命が“イスラムと闘争の結合”の結果であるとの理解によるもので、シカーキーはイランの樹立した“イスラム共和国”と類似の体制をパレスチナに樹立することを主張していたわけではありませんが、イスラム革命の精神そのものを大いに称揚していました。

 さらに、1980年、シカーキーは、イスラエルに対する武装闘争を“ジハード”と位置付け、パレスチナ全土の解放を目標とする少数精鋭主義の“パレスチナ・イスラム・ジハード運動(以下、ジハード運動)”を組織。その軍事部門である“クドゥス旅団(クドゥスはエルサレムのアラビア語名)”は、イランやシリアの支援を受け、レバノンのヒズブッラー(ヒズボラ)とも連携して、1986-87年にイスラエルに対する断続的な襲撃事件を起こしました。ちなみに、ジハード運動は自分たちに対するイスラエルの報復攻撃が第一次インティファーダの契機となったと主張しています。

 今回ご紹介の切手は、イランがジハード運動支援の姿勢を明らかにするために5種連刷形式で発行したもので、左側の4種が第一次インティファーダで“殉教”したジハード運動の活動家の肖像を、右端の1種が石礫を投げる人々を取り上げていますが、パレスチナの地図とイスラムの聖地・岩のドームを背景に、ダヴィデの星の形をした鉄条網が破れているというデザインは共通です。

 なお、第1次インティファーダの発生を受けて、ムスリム同胞団パレスチナ支部も従来の方針を転換し、1987年12月14日、アフマド・ヤースィーンを中心に行動組織の“イスラム抵抗運動”を結成。これが、現在、ガザ地区を実効支配しているハマースの原点です。ちなみに、イスラム抵抗運動は、アラビア語ではحركة المقاومة الاسلامية‎ となりますが、ハマースというのはそのアラビア文字の頭文字を取った略称で、ハマースという単語自体は、アラビア語で“激情”を意味しています。


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 イランで対米補償請求法可決
2016-05-18 Wed 19:41
 イラン議会は、きのう(17日)。同国が過去63年間に米国から被った精神的、物的損害について補償を請求する法案を賛成多数で可決しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・モサデク生誕100年

 これは、1980年にイランが発行したモサッデグ生誕100周年の記念切手です。1951-53年にイランの首相を務めたモハンマド・モサッデグは、西暦では1882年5月19日生まれですので、その生誕100周年は西暦では1982年となりますが、今回の切手に関しては、ヒジュラ暦での100周年ということで1980年の発行となりました。ちなみに、イランでは、西暦・イラン暦(春分を元旦とする太陽暦)・ヒジュラ暦が併用されています。

 さて、第二次大戦後、いわゆるトルーマン・ドクトリンによって対ソ封じ込め政策が発動された際、米国は中東地域における同盟国としてイランを重要視する方針を固めたものの、1950年代初頭のイランは政情が極めて不安定であり、そのことは米国にとって頭痛の種となっていました。

 ことの発端は、石油開発に伴う利益を開発会社と油田の存在する国との間で50%ずつ配分するという方式がヴェネズエラ産石油に関して採用されたことにあります。

 この“ヴェネズエラ方式”は、すぐにサウジアラビア産の石油についても採用され、世界各地に広まっていきましたが、こうした世界的な流れを受けて、イランでも、従来、イラン産石油の利益の90%を独占していた英国系のアングロ・イラニアン石油会社に対して、相応の利益配分を求めるべきとの主張が浮上します。これに対して、アングロ・イラニアン石油会社側はヴェネズエラ方式を拒否して、イラン側の取り分を25%とすることを提案。しかし、当然のことながら、イラン側はこの提案を拒否し、イラン政界では石油国有化論が勢力を持つようになりました。この結果、当時のモサッデグ内閣は、1951年5月、石油国有化法を施行します。

 これだけなら、欲をかいた斜陽の大英帝国が結果的に大損をしたというだけのことなのですが、当時は朝鮮戦争の真只中であり、世界的に石油需要が増大していました。こうした状況の中で、米国は、イランの“反英ナショナリスト政権”が石油国有化に踏み切ったことに強い危機感を抱き、イランに圧力をかけるために世界市場でのイラン産石油の購入ボイコット運動を展開します。

 これに対して、追い詰められたモサッデグ政権は、英国への対抗上、北の隣国、ソ連に接近せざるを得なくなりました。

 しかし、19世紀以来、イランは英国とロシアないしはソ連の角逐の場となってきたという歴史的経緯があったことから、米国は、モサッデグ政権がソ連に接近すれば、ソ連はイランに勢力を扶植するに違いないとの危惧を抱き、1953年8月、CIA主導のクーデタを敢行。モサデクを追放し、イランに国王モハンマド・レザー・シャーを中心とする親米政権を樹立しました。

 ちなみに、イラン産石油の問題については、結局、アングロ・イラニアン石油会社は解散され、米英蘭仏の合弁企業イラン石油コンソーシアムが1954年から40年にわたってイラン国内の石油開発権を独占する代わりに、コンソーシアムの純益の50%がイラン政府に配分されるということで決着しました。

 今回、イラン議会で可決した法案に“過去63年間”とあるのは、このモサッデグ事件以降という意味で、そのほかにも米国による損害の具体例としては、1980-88年のイラン・イラク戦争でのイラク側への支援、1980年代末の石油掘削施設の破壊などが挙げられています。

 ただし、イランの場合、議会で可決された法案がそのまま無条件で法律として成立するわけではなく、12人の法学者で構成される“監督者評議会”によって、議会可決法案が憲法あるいはイスラム法に反すると判断された場合、法案は議会に差し戻されて再審議されることになっています。このため、実際には、法案がそのまま施行されるかどうかは現時点では確定していません。

 なお、今回の法案可決には、先月、米国の最高裁判所が、米国内のイランの凍結資産約20億ドルを、凍結解除後、イランが関与したとされるテロ事件の米国人被害者・遺族らに引き渡すべきだとの判決が下されたことへの報復という面もあると指摘されています。

  
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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