内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 クリスマスマーケットにトラック
2016-12-20 Tue 12:59
 ベルリン中心部で、昨晩(現地時間、日本時間20日未明)、大型トラックがクリスマスマーケットに突っ込み、この記事を書いている時点で、少なくとも12人が死亡、48人が負傷しました。トラックを運転していた容疑者は逮捕されたものの、背後関係はわかっておらず、独政府や警察はテロの可能性があるとみて背後関係を調べているそうです。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ドイツ・クリスマスマーケット(1937)

 これは、1937年にベルリンC2郵便局で使われた“クリスマスマーケット(Weihnachtsmarkt)の記念印が押されたオンピースです。ベルリンC2局は、後にテンペルホーフ空港内局となりますが、今回ご紹介の記念印が使われた1937年の時点では市内中心部にあり、主として航空郵便を取り扱う郵便局でした。なお、戦前のドイツでは、1936-38年にベルリンのクリスマスマーケットにあわせて記念印が使われています。

 さて、ドイツのクリスマスマーケットの起源については諸説あり、1393年にフランクフルト・アム・マインのクリスマスマーケットで行われたのが最初とする説や、それ以前にドレスデンもしくはストラスブール(現フランス領)で開催されていたとする説などがあります。ただし、いずれにせよ、初期のクリスマスマーケットは、厳冬期を前に、日用品を売買する最後の機会とされていました。

 19世紀以降、クリスマスマーケットは、クリスマスのデコレーションや地域の民芸品、レープクーヘンなどの焼菓子や玩具などを売買する場となり、現在では、ドイツ国内では2500以上のマーケットが開催されています。そのうち、“世界最大”のシュトゥットガルト、“(自称)世界最古”のドレスデン、“世界一有名”なニュルンベルクが三大クリスマスマーケットとされていますが、これに対して、ベルリンは“世界で一番種類が多く、個性的”なクリスマスマーケットの地として自らをアピールしています。

 今回、事件のあったクリスマスマーケットは、ベルリン中心部、ベルリン動物園と道路を挟んで向かい側にあるブライトシャイドプラッツ広場内のカイザー・ヴィルヘルム記念教会前で開催されていたもので、トラックはブダペスター通り方面から歩道を乗り越えて露店に突っ込み、人々を次々となぎ倒したうえ、カイザー・ヴィルヘルム記念教会前のクリスマスツリーのそばで止まりました。

 また、トラックはポーランドの運送会社所有のもので、鉄骨を積んでイタリアからポーランドに戻る途中、ドライバーがベルリンで休憩したいたところ、19日正午ごろからドライバーとの連絡が取れなくなったとのことで、おそらく、容疑者らに乗っ取られものたとみられています。

 トラックで突っ込むテロ事件といえば、今年7月、フランスのニースで花火の見物客に大型トラックが突入し、86人が亡くなった事件が記憶に新しいところですが、この時は、事件後に過激派組織“イスラム国”ことダーイシュが犯行声明を出しています。

 今回の事件については、現時点では背後関係が明らかになっておらず、ベルリン警察は周辺の住民に対し家に留まり、噂を広めないよう呼びかけてはいるものの、一部報道では、逮捕された容疑者はアフガニスタン人もしくはパキスタン人とみられているとされており、ただでさえ、メルケル首相の難民危機対応への不満がくすぶっているなかで、ドイツ政府はさらに難しい対応を迫られることになりそうです。


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 ベルリン王宮の再建はじまる
2013-06-13 Thu 10:56
 ドイツの首都ベルリンで、きのう(12日)、18紀に建てられた王宮を再建する工事の定礎式が行われました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ベルリン王宮

 これは、ナチス・ドイツ時代の1944年9月11日に発行された金工芸職人組合大会の付加金つき葉書で、当時は博物館として使われていたベルリン王宮が左側に大きく取り上げられています。

 ベルリン王宮は、1443年、フリードリヒ2世鉄歯侯がケルン市街の北側に築いたベルリン市城がそのルーツで、1701年にプロイセン王に即位したフリードリヒ1世によりバロック式の王宮として改修され、18世紀半ばにほぼ後年の姿となりました。

 1919年にドイツ帝国が崩壊した後、王宮の一部は博物館となり、他の部分は国家の式典などの行事に使われることになります。今回ご紹介の葉書は、そうした博物館時代の王宮を取り上げたもので、国名表示が“大ドイツ(GROSS DEUTSCHESREICH)”となっているのは、この葉書を含む付加金つきのセットのみです。なお、ここでいう”大ドイツ”というのは、1938年のオーストリア併合以降の呼称で、正式な国号とはなりませんでしたが1943年10月24日以降は切手の国名表示としても使われています。

 さて、博物館などとして使われていた王宮の建物は、第二次大戦末期の1945年2月、2度にわたる空襲により、外壁や建物の一部を残して焼け落ちました。このため、1945年から1950年までは、占領ソ連軍ならびに1949年に発足したドイツ民主共和国(東ドイツ)政府は屋根を掛けて仮設展示場として使用していました。しかし、東ドイツ政府は王宮をプロイセン軍国主義の象徴とみなし、1950年9月から12月30日にかけて解体工事を行い、その跡地は、当初はパレードのための広場として、1964年以降は、共和国宮殿を建造し、人民議会や美術館、レストラン、ボウリング場などに利用しています。

 その後、1990年10月のドイツ再統一の直前、共和国宮殿にはアスベストが多数使用されていることが判明。宮殿は閉鎖され、2003年までアスベスト除去作業を行った後、2008年までに解体・撤去されました。その跡地に王宮を復活させることについては、巨額の経費が掛かることもあって、一部に反対論もありましたが、最終的に、今回の再建工事着工になったというわけです。

 ちなみに、再建工事の総工費は5億9千万ユーロ(約750億円)で、完成は2019年の予定し。再建された“王宮”は、美術館などが入る複合文化施設として使用されることになっています。


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 ワーグナー生誕200年
2013-05-22 Wed 11:56
 1813年5月22日にリヒャルト・ワーグナーが生まれてから、今日でちょうど200年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       トリスタンとイゾルデ

 これは、1933年11月1日にドイツで発行された“ワーグナーの楽劇”の慈善切手のうち、「トリスタンとイゾルデ」を題材とした20+10ペニヒ切手です。なお、ドイツでは、この切手からナチスの鍵十字が透かしに入った用紙が使われています。

 ナチス時代のドイツにおいてワーグナーの作品が重用されていた理由としては、彼が『音楽におけるユダヤ性』と題する論文を発表し、ユダヤ人とユダヤ文化の影響力を激しく非難するなど、反ユダヤ主義を鮮明にしていたことによるもので、ニュルンベルク党大会で「マイスタージンガー序曲」が演奏されたことは有名です。

 さて、ワーグナーは、1849年、ドイツ3月革命に参加したかどでザクセン当局の指名手配を受けてスイス・チューリッヒに亡命しましたが、亡命中の1854年秋、トリスタン伝説に基づくオペラ作品の制作を着想。その後、ヴェーゼンドンクの妻マティルデとの恋愛を経て、1857年8月、『トリスタンとイゾルデ』の散文による筋書きに着手し、同年9月、マティルダに捧げるものとして台本を完成させました。ついで、10月1日から作曲を開始し、1858年4月に第1幕をチューリヒで、1859年3月に第2幕をヴェネツィアで、同年8月に第3幕をルツェルンで完成させました。ちなみに、第2幕以降がチューリヒで作曲されなかったのは、第1幕完成直後にワーグナーとマティルデの関係が発覚したため、ワーグナーがチューリヒを去らざるを得なくなったためです。

 当初、ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」を小品として制作する予定でしたが、結果的に大部な作品になってしまったため、初演までには相当の困難がありました。たとえば、1861年には、バーデン公国の首都カールスルーエの劇場で上演の話がまとまりかけたのですが、カールスルーエには主役を演じる歌手がいませんでした。このため、ワーグナーは歌手を探しにウィーンに向かい、ウィーンで歌手を見つけたものの、歌手が所属する劇場はウィーン以外に歌手を出すことに反対。このため、ワーグナーはウィーンでの上演を目指したものの、人間関係や金銭問題などの様々なトラブルから上演することができませんでした。最終的に、1865年6月、バイエルン国王のルートヴィヒ2世の援助により、完成から6年後、ようやく、ミュンヘンでの初演が実現しました。

 なお、今年はワーグナーの生誕200年ということでさまざまなイベントが行われていますが、切手に関していうと、祖国ドイツでの記念切手の発行は、きょう(22日)ではなく、5月2日のことでした。おそらく、何か大きなイベントが2日にあったということなのでしょうが、せっかく5月に出すのなら、きっちり誕生日に出した方がよかったんじゃないかと思うんですが…。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・6月1日(土) 11:00- 切手市場
 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 アンシュルス75年
2013-03-13 Wed 21:07
 1938年3月13日の“アンシュルス(独墺合法)”から、きょうでちょうど75年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        独墺合邦

 これは、1938年3月13日のアンシュルスを記念して発行された完成絵葉書で、ドイツとオーストリアの合邦状態の地図を背景にしたヒトラーの肖像が描かれています。葉書の下には「1938年3月13日 一つの民族・一つの帝国・一人の総統」というスローガンが入っています。

 19世紀以来、ドイツ国家の統一をめぐっては、多民族国家であるオーストリアを排除した“小ドイツ主義”と、オーストリアを含めた全ドイツ語圏の国家統一を目指す“大ドイツ主義”の対立がありましたが、1866年の普墺戦争の結果、プロイセンが主導権を掌握するかたちでの“小ドイツ主義”による統一が進められ、1871年、プロイセン王を皇帝とするドイツ帝国が成立しました。

 しかし、第一次大戦の敗戦により、ハプスブルク帝国が解体されると、ドイツ人が圧倒的多数を占める新生オーストリアにおいて、ふたたび、アンシュルス(独墺合邦)を求める“大ドイツ主義”が再浮上します。これに対して、戦勝諸国は、敗戦国のドイツがかえって国土を拡大させるのはおかしいとして、アンシュルスを認めず、1919年9月に締結されたサン=ジェルマン条約によって合邦は禁止されました。

 これに対して、1933年、オーストリア生まれのヒトラーが政権を掌握すると、その支援を受けたオーストリアのナチス党員がアンシュルスの実現を掲げ、政権奪取のためには暴力も辞さずという行動を展開。これに対して、アンシュルスが実現されるとヒトラー政権と国境を接することになるイタリアは、当初、明確に合邦に反対の立場を取っていました。

 一方、オーストリア国民の間では、そうしたオーストラリアのナチスの暴力に対しては反感を持っているものの、アンシュルスそのものは支持するという声が多数派でした。また、イギリスが対独宥和政策を展開している中で、1935年以降、エチオピア侵攻で国際的に孤立したイタリアはドイツとの協調路線に転換してベルリン・ローマ枢軸が成立。

 こうして、アンシュルスに対する国際的な障壁を取り除いたうえで、オーストリアでアンシュルスの是非を問う国民投票が計画されたことを察知したドイツは、1938年3月10日、オーストリア制圧作戦“オットー』”を発動。12日から、ドイツ軍が国境を越えてオールトリア各地に進駐を始め、翌13日、オーストリアを新たなドイツの州、オストマルク州とする法案「ドイツ帝国とオーストリア共和国の再統合に関す法律」の署名が行われました。この間、オーストリア国民は進駐してきたドイツ軍を熱狂的に歓迎し、そのために進軍速度が鈍ることもあったそうです。

 このように、独墺合邦の当時、オーストリア国民は“ヒトラー万歳”でこれを受け入れたわけですが、戦後になっていきなり、自分たちは被害者だったというのは、僕たちから見ると違和感をぬぐえませんねぇ。まぁ、アンシュルスに限らず、ヨーロッパの“戦後”というものが、ともかくも、ヒトラーとナチスにすべての“責任”を押し付けて、自分たちが頬かむりをしているということだけは、十分に理解しておかないと、厄介なことになると思います。無論、そこに目をつむったまま「日本はドイツに学べ」と言っている人たちのことを信用しろというのは、どうにも無理な相談ですな。


★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 スズキ、VWと提携解消へ
2011-09-13 Tue 23:52
 きのう(12日)、自動車メーカーのスズキがフォルクスワーゲン(VW)との資本・業務提携を解消を発表。これにより、世界最大の自動車連合は解体される見通しとなりました。というわけで、きょうはフォルクスワーゲンの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        フォルクスワーゲン

 これは、1939年、ベルリン・モーターショーに際してドイツが発行した寄附金つき切手の1枚で、フォルクスワーゲンのビートル(タイプ1)が描かれています。

 フォルクスワーゲンは、1934年、ヒトラーがベルリンモーターショウで提唱した“国民車(フォルクスワーゲン)”計画に従い、フェルディナント・ポルシェが開発した小型車で、1936年の試作車を経て、1938年に第1号車が発表されました。

 自動車メーカーとしては、1937年5月にフォルクスワーゲン準備会社がベルリンに本社を置いて設立され(1938年9月にフォルクスワーゲン製造会社と改称)、購入希望者は事前に開設された口座に週5マルク振り込んで積立金制度を設立し、生産が行われています。

 しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発したため、フォルクスワーゲン製造会社は軍用車の生産を行うこととなり、民間向けのフォルクスワーゲンは実際には生産されませんでした。ちなみに、戦時中のフォルクスワーゲン製造会社の生産ラインには連合国の捕虜やアウシュヴィッツ強制収容所の収容者など約2万人が動員されました。

 第二次大戦後、ドイツが連合国によって占領されると、フォルクスワーゲンの工場は、当初はソ連軍の、後にイギリス軍の管理下に置かれ、官営のフォルクスワーゲン社として再出発。1960年に株式会社化され、現在にいたっています。

 ちなみに、昨年(2010年)のフォルクスワーゲンの販売台数は全世界で714万台、これにスズキの259万台をあわせて、VW=スズキ連合の販売台数は973万台でした。これは、2位のトヨタ自動車グループの841万台を大きく引き離しての1位です。2018年に1000万台超の販売を目指して拡大路線をとってきたフォルクスワーゲンは、2009年12月にスズキ株の19.9%を取得して以来、スズキの経営に対する関与を強め、そのことがスズキ側の反発を招いて今回の提携解消となりましたが、世界的な資本・業務提携の進む自動車業界で、スズキが単独路線を貫くのも容易ではなさそうです。


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 ヒトラーの“名誉市民”取り消し
2011-07-11 Mon 23:58
 ナチス・ドイツの総統ヒトラーが生まれたオーストリア北部のブラウナウ市が、先週8日、今もヒトラーに名誉市民の称号を与えたままだとの疑惑を受け、称号を取り消したと発表したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ヒトラーと生家

 これは、1939年4月13日にドイツで発行された“ヒトラー生誕50年”の記念切手で、1938年3月12日、ドイツ国防軍のオーストリアへの進駐の日に、生家の前にたたずむヒトラーが描かれています。切手は、額面12ペニヒに対して、ヒトラー国家文化基金への寄附金、38ペニヒを上乗せして、50ペニヒで販売されました。

 アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、オーストリアとドイツとの国境にあるオーストリア側の都市ブラウナウで税関吏の子として生まれました。厳密にいうと、彼の出生地は、1889年の時点ではランスホーフェン市の域内にあり、彼がドイツの首相となった1933年にはランスホーフェン市が彼に“名誉市民”の称号を与えています。ただし、ランスホーフェン市は、1939年にブラウナウ市と合併したため、現在では、ヒトラーはブラウナウの出身とするのが一般的です。

 ところで、ヒトラーはもともとオーストリア生まれのオーストリア人でしたが、多民族から構成されるオーストリア軍の兵士となることを嫌い、第一次大戦がはじまると、バイエルン軍の志願兵として前線に赴きました。大戦後の1923年、いわゆるミュンヘン一揆を起こして逮捕されると、バイエルンは、ヒットラーをオーストリアに強制送還しようとしましたが、オーストリア側は身柄の引き取りを拒否。このため、ドイツでの服役生活を終えたヒトラーは、1925年4月 「受入れを拒否するような国の国籍などこちらから願い下げだ」として領事館にオーストリア国籍抹消を申請してしまいました。

 この時点では、ヒトラーは第一次大戦での従軍体験を理由に、ドイツ国籍が容易に取得できるものと考えていたようですが、現実には、“前科者”の彼がドイツ国籍を取得するのは容易ではありませんでした。

 そこで、彼は、当時のドイツの国籍法では、外国人であっても公務員になると国籍が得られるとの規定を利用し、1932年2月25日 ブラウンシュヴァイク市のベルリン代表部経済担当のポストを得て、ドイツ国籍を取得。正式に、オーストリア国籍を離脱しました。

 その後、1933年の総選挙でヒトラー率いるナチスが第1党となり、ヒトラーがドイツの首相となると、オーストリア側の彼に対する態度は豹変。生まれ故郷のランスホーフェン市は彼を名誉市民としたというわけです。

 第二次大戦戦後、ヒトラーとナチスが全面的に否定されると、オーストリアはまたもや手のひらを返し、1989年には、ブラウナウ市長のゲアハルト・シーバが、ヒトラーの生家の前に“戦争とファシズムに反対する石碑”を建てています。

 今回の一件は、ことし5月に別の都市がヒトラーに贈った名誉市民の称号を剥奪したのをきっかけに、メディアが称号を付与したままとなっている自治体探しを開始し、ブラウナウ市にも疑いの目が向けられていたため、ブラウナウ市側が“念のため”として称号取り消しを発表したものですが、長年にわたり放置してきたものを、外部から指摘され、あわてて泥縄式に対応したというのが見え見えで、なんともご都合主義的な印象はぬぐえませんねぇ。もっとも、洋の東西を問わず、保身が第一のお役所というのはそういうものだと言ってしまえば、それまででしょうが。


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 独ソ戦70年
2011-06-22 Wed 19:07
 1941年6月22日、ドイツ国防軍がソ連に侵入し、いわゆる独ソ戦が勃発してから、きょうでちょうど70年になりました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      開戦5周年(ドイツ謀略)     KGV ジュビリー

 これは、1944年、第二次大戦開戦5周年に際してナチス・ドイツが作成した謀略切手(プロパガンダラベル)です。その元ネタになったイギリスのジョージ5世在位25周年の記念切手の画像を右側に貼っておきます。

 オリジナルの切手では中央の肖像はジョージ5世ですが、謀略切手ではスターリンです。肖像の両脇の年号は、オリジナルの1910と1935(国王の在位期間)が開戦5周年を意味する1939と1944に、また、肖像右側の月桂樹は“槌と鎌”に、それぞれ替えられています。王冠と“槌と鎌”という組み合わせには、前年のテヘラン会談に際して作られた謀略切手同様、イギリスとソ連の野合を揶揄する意図が込められているのはいうまでもないでしょう。

 さらに、切手上下の“SILVER JUBILEE(即位25周年)”と“1/2 HALF PENNY 1/2”の文字は、“THIS WAR IS JEWSH(ママ) WAR(この戦争はユダヤの戦争だ)”に替えられ、上段の左右にはユダヤを示すダビデの星が、下段の左右には槌と鎌が、それぞれ入っています。

 JEWISHのスペルがJEWSHと誤記されているのはご愛嬌ですが、第二次大戦は、ユダヤと共産主義者の陰謀であり、彼らと結託したイギリスを打倒すべしというナチス・ドイツの主張がストレートに表現されたカリカテュアとなっています。

 こうしたドイツ製の謀略切手は、実際には“切手”としての効力はなく、正確には切手を模したラベルというのが正しいのですが、古くから切手収集家の間では切手に準じるものとして人気があり、ドイツで発行されているドイツ切手の専門カタログにも載っています。


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 チャーチル以来
2010-05-12 Wed 12:14
 6日に投票が行われたイギリスの総選挙で第1党になった保守党のキャメロン党首が、きのう(11日)、エリザベス女王から首相に任命され、第3党の中道左派・自由民主党と連立政権を樹立することになりました。イギリスでの連立政権は、第2次大戦中のチャーチルの挙国一致内閣以来だそうです。というわけで、第2次大戦中のチャーチル関連のマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      チャーチル・プロパガンダ葉書

 これは、第2次大戦中の1940年にベルリンから差し出された軍事郵便用の葉書で、額面部分にチャーチルのカリカテュアが描かれています。

 1939年9月に第2次欧州大戦が勃発し、イギリスがドイツに対して宣戦布告した時の首相はネヴィル・チェンバレンで、チャーチルは海軍大臣でした。もっとも、開戦からしばらくの間、西部戦線ではほとんど戦闘が行われていなかったことから、チェンバレンは秘密裏にドイツと交渉を続け、ドイツの目をソ連に向けさせようとしていました。

 ところが、秘密交渉は決裂し、1940年4月にドイツ軍はノルウェー作戦を発動。さらに、5月10日にはベルクス3国へ侵攻したことで、チェンバレンの宥和政策は破綻し、同日、彼の内閣は退陣を余儀なくされます。後継首相には、対独強硬派のチャーチルがただちに就任し、自由党・保守党・労働党を中心とする挙国一致内閣が組織されました。これが、前回のイギリスの連立政権です。

 今回ご紹介の葉書の“印面”下部には、ドイツ語で“1ペニヒの価値もない(WERT KEINEN PFENNIG)”との表記があり、右上には数字の1が×で抹消されています。

 多くの国では、祖国のために戦う将兵が差し出す軍事郵便は、(たいていは数量的な制限がありますが)無料で差し出せます。ドイツも例外ではありません。この葉書では、こうした軍事郵便の性質を利用して、郵便料金が無料であることと、敵国の首相は人間として無価値であることをかけて、こうしたイラストを印刷しています。なお、チャーチルの帽子のように見えるのは大破した軍艦で、そこには、ドイツ軍が圧倒的に優位という当時の状況の中で、押されっぱなしの海軍国・イギリスを揶揄する意図が込められているとみてよいでしょう。

 さて、現在、ヨーロッパの経済危機といえば、ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインのPIIGS諸国が問題視されていますが、GDP比の借金割合という点では、イギリスは、これら5ヵ国と同等以上に悪い状態とされており、イギリス経済はこの30年間で最悪の状況といわれています。今回発足した連立政権がこの国難を無事に乗り切れば、まさに、キャメロンはチャーチル以来の英雄ともてはやされることになるのでしょうが、ぜひとも、そうなってほしいものです。イギリス経済が破綻すれば、その世界的な影響が極めて甚大なものとなるのは明中のですから、くれぐれも、経済再建に失敗し、“1ペニヒーの価値もない首相”と呼ばれることのないよう、頑張ってほしいものです。

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 当世風・景気のいい話
2009-04-01 Wed 23:29
 今日から4月。新年度のスタートです。

 せっかくですから、何か景気のいい話はないかと探していたら、昨日(3月31日)付で発表されたドイツ高級車メーカーのポルシェの2009年1月中間決算の税引き前利益が、前年同期の4.4倍の73億ユーロ(約9500億円)になったというニュースが見つかりました。というわけで、今日はこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 Pワーゲン

 これは、1939年、ベルリン・モーターショーに際してドイツが発行した寄附金つき切手の1枚で、後にポルシェの創業者となるフェルディナント・ポルシェ(当時はフリーランス)が設計した、アウトウニオンのPワーゲンが取り上げられています。
 
 アウトウニオン社は1932年、ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWの4社合併により結成されましたが、早くも1934年から、宣伝のためにグランプリレースに出場しています。

 創業間もなく資金面での余裕がなかったアウトウニオン社はドイツ政府に援助を要請するため、1933年3月、ポルシェともども首相に就任したばかりのアドルフ・ヒトラーと会見。国際モータースポーツでのドイツ車の勝利が国威発揚にもなると考えるヒトラーから、45万マルクの資金援助を獲得しました。

 この資金をもとに開発が進められたPワーゲンは、45度V型16気筒4.35Lエンジンを搭載しているほか、トーションバーを用いたサスペンションなど、画期的なアイディアが満載で、現在のF1マシンの原型となりました。

 最初のモデルであるTypeAのテスト走行が行われたのは1933年末のことでしたが、翌1934年3月にドイツ国内で開催された一般公開日には、250km/hの世界最高記録を含む7つの世界新記録を樹立。以後、改良を重ねながらおびただしい戦績を上げ、第二次大戦以前の欧州レース界を席巻しています。

 Pワーゲンの開発と並行して、ポルシェは国民車としてのフォルクス・ワーゲンの開発も担当しましたが、1939年に第二次大戦が勃発すると、フォルクスワーゲンをベースとした軍用車両(キューベルワーゲン、シュビムワーゲン)やティーガー戦車などの戦闘車両の設計に携わります。このため、第二次大戦後は、“戦犯”としてフランスに逮捕され、1947年7月末まで収監されていました。釈放後のポルシェは健康状態がすぐれず、1951年に亡くなっています。

 さて、今回のポルシェの決算をよくよく見てみると、売上高じたいは前年同期比12.8%減の30億ユーロにとどまっています。ところが、昨年秋以来の金融危機の中で、ヘッジファンドが子会社のフォルクスワーゲン(VW)株の空売り攻勢をかける過程で、ポルシェが将来の取得権利分まで含めてVWの発行済み株式の74%を確保していた事実が判明。このため、残り5%にまで減ったVWの浮動株にヘッジファンドが殺到し、それまで200ユーロ台で推移していたVWの株価は一気に1000ユーロを突破。ヘッジファンドは巨額の損失を出し、ポルシェには売上の倍以上、68億ユーロもの巨額の利益が転がり込んだのだそうです。

 まぁ、株価が下落しているときには空売りで儲けるというのが投機筋の古典的な手法なわけですが、結果的に、投機筋が大損して堅実なモノづくりメーカーが利益を手にしたというのは、庶民感情としては、なんとなく留飲の下がるような話ではありますな。


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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。
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 12万アクセス
2006-11-18 Sat 00:51
 昨日(17日)の午後10時頃、アクセスカウンターの数字が12万を越えました。何事にも3日坊主の僕が、曲がりなりにも1年半、毎日欠かさず日記を続けてこられたのも、ひとえに、毎日遊びに来てくださる皆様のおかげです。この場を借りて、あらためて日頃のご厚情にお礼申し上げます。

 さて、今日は12万アクセスにちなんで、こんな“12”がらみのモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ヒトラーの骸骨

 これは、1943年、アメリカの戦略情報局(OSS、現在のCIAの前身)がつくった謀略宣伝のためのパロディ切手で、ヒトラーの肖像が骸骨になっています。一応、額面は12ペニヒとなっていますが、ドイツ郵政が正式に作ったモノではありませんから、もちろん郵便に使うことはできません。ちなみに、この切手の元になった本物の画像を下に貼り付けておきましょう。

ヒトラー本物

 第2次大戦が始まると、アメリカの戦略情報局は、ドイツ国内を撹乱する目的で、当時ドイツ国内で流通していたヒトラー切手のニセモノを大量に作り、ドイツ国内に散布しました。

 その際、本物に似せた偽造切手と並んで、今回ご紹介しているようなパロディ切手も作られています。なお、この切手の場合、ヒトラーの顔が骸骨に変えられているだけでなく、ホンモノでは“DEUTSCHES REICH(ドイツ帝国)”となっている国名表示の最初のDEがFに変えられており、“FUTSCHES REICH(崩壊した帝国)”となっているなど、なかなか凝っています。

 この切手は、特別に高いものではないのですが、昔から収集家には人気があるため、“ニセモノ”(まぁ、この切手自体がそもそもニセモノといえばニセモノなのですが)が沢山作られています。ただし、本物を知っていれば、そうした“ニセモノ”は比較的容易に区別できます。もし必要でしたら、インターネットのオークションで入札する場合などには、この画像と比べてみてください。

 なお、第二次大戦中、ナチス・ドイツも連合国側もさまざまな謀略切手を作りましたが、その代表的なものについては、拙著『これが戦争だ!』でもいくつかご紹介しています。ご興味をお持ちの方は、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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