内藤陽介 Yosuke NAITO
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 鉄道の日
2015-10-14 Wed 08:05
 きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、鉄道関係のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブレスラウ=オシフィエンチム(独)

 これは、1893年のベルリン宛の郵便物(残念ながら、差出地はわかりません)で、オシフィエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)=ブレスラウ(ポーランド語:ヴロツワフ)間の鉄郵印が押されています。

 1835年、ハプスブルク皇帝フェルディナントが即位すると、宰相メッテルニヒとも関係の深かったザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト(ロスチャイルド財閥の祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルトの二男)は、岩塩鉱のあるボフニャ(クラクフの東37km)から、ボヘミア方面の工業地帯を経てウィーンに至る鉄道建設の請願を皇帝に提出します。その際、ザーロモンは建設の認可を得るには皇帝の歓心を買うことが重要と考え、建設予定の鉄道を“フェルディナント皇帝北部鉄道”と命名しました。これが、現在のオーストリア北部鉄道のルーツとなります。

 フェルディナンド皇帝北部鉄道は、1837年、ウィーン近郊のフローリッツドルフ=ドイチュ・ヴァグラム間の13kmが最初に開通。その後、鉄道は順次路線を延伸し、1848年にオーデル河畔のボフミンを越えてポーランドの領域に入り、1855年にはボフミン=カルヴィネ=オシフィエンチム間が開通し、翌1856年にはクラクフまで路線が延伸されました。

 一方、プロイセンでは、1839年に認可を得た上シレジア鉄道会社が、1842年5月22日、最初の区間として、ブレスラウ=オーラウ(同オワパ)間で開業しています。ちなみに、現在のポーランド国家の領域内では、これが最初の鉄道となりました。

 ブレスラウは、もともとはシロンスク地方の中心都市で、ポーランドの諸都市の中では最も古い都市の一つとされていますが、1675年、この地の君主家からポーランド王国との男系の血縁が途絶えると、ハプスブルク家の支配下に置かれました。その後、1740-48年のオーストリア継承戦争の結果、プロイセン領となり、第二次大戦までドイツ領でしたが、現在はポーランド領です。

 さて、上シレジア鉄道は、その後、路線を延伸し、1846年には工業都市のカトヴィツ(ポーランド語:カトヴィツェ)に、さらに、翌1847年にはオーストリアとの国境に位置するムィスウォヴィツェを経てクラクフまで到達します。

 その後、1850年にムィスウォヴィツェ=クラクフ間の路線はハプスブルク帝国に売却されてオーストリア帝国東部鉄道となり、1856年、トシェビニャ=オシフィエンチム間が開通することによって、ウィーン=クラクフ間が鉄道で結ばれました。

 なお、ブレスラウからベルリンまでは、1846年、下シレジア=マルク鉄道(1843年開業。1852年までにプロイセン政府により国有化)が開通しており、オシフィエンチムからブレスラウを経由してベルリンまで鉄道で郵便を運ぶことが可能になっていました。

 今回ご紹介のカバーは、そうしたルートでベルリンまで運ばれた郵便物で、ドイツ帝国(プロイセン)内に入ってからの投函であったため、ドイツ切手が貼られ、ドイツ式の鉄道郵便の印が押されています。

 さて、以前の記事でも少し書きましたが、11月上旬、えにし書房から拙著『アウシュヴィッツの手紙』が刊行される予定です。同書では、いわゆる収容所関連のマテリアルのみならず、ドイツによる占領以前のアウシュヴィッツ(オシフィエンチム)の歴史についても詳しくご説明しております。また、同書の刊行に先立ち、下記のようなトークイベントも企画しておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


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        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 ボーア戦争の風刺絵葉書
2009-05-07 Thu 22:45
 来年のサッカーW杯開催国の南アフリカで、きのう(6日)、今年4月の総選挙で過半数を制した与党・アフリカ民族会議(ANC)の議長、ジェーコブ・ズマ氏が新大統領に選ばれました。というわけで、南アフリカがらみのネタは何かないかと探してみたところ、こんなモノが見つかりました。(画像はクリックで拡大されます)

 ボーア戦争絵葉書  ボーア戦争絵葉書(裏)

 これは、1900年にドイツで使われた風刺絵葉書で、当時、(第2次)ボーア戦争の泥沼にはまり込んでいたイギリスを皮肉る風刺画が描かれています。

 1886年、ヨハネスブルク近郊で金鉱が発見されると、当時、この地域を支配していたボーア人(オランダ系移民)のトランスヴァール共和国は、多くの企業を誘致し地代を負担させることで大きな利益を上げるようになりました。これに目をつけた大英帝国は、1899年、「ボーア人は黒人奴隷を虐待しているから、ボーア人の専制体制から黒人を救うのだ」との大義面分を掲げて、トランスヴァールと隣接するオレンジ自由国への侵略戦争を開始しました。

 50万もの大軍を投入するイギリスに対して、ボーア人はゲリラ戦術で激しく抵抗。大苦戦を余儀なくされたイギリスは、ボーア人ゲリラに対する食糧補給を断つべく、ボーア人の婦女子を強制収容所に隔離するなど、なりふり構わぬ戦術を展開しました。ちなみに、後にヒトラー政権はユダヤ人の収容所に“強制収容所”との名前を付けていますが、これは、ボーア戦争時のイギリスの先例に倣ったものと言われています。

 イギリスによる“汚い戦争”に対しては、当然のことながら、国際的な非難が集中しました。今回ご紹介の葉書も、そうした状況の下で、トランスヴァールとオレンジ自由国の抵抗で苦戦するイギリスを揶揄する内容のイラストが描かれています。

 最終的に、戦争は1902年にイギリスの勝利で終わり、トランスヴァールとオレンジ自由国はこの世から姿を消すことになります。しかし、戦勝国となったイギリスのダメージも大きく、以後、大英帝国は次第に衰退の道をたどっていくことになるのです。


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 90年前の偽造切手
2008-05-30 Fri 20:54
 韓国・釜山で日本の収入印紙や切手2億3000万円分を偽造した偽造団が摘発されたことが新聞などでも大々的に報じられています。すでに、一部は日本国内の金券ショップなどで売りさばかれ、流通しているとか…。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ゲルマニア(偽造)

 これは、ドイツのゲルマニア切手10ペニヒの偽物で、第一次大戦末期の1918年にイギリスで作られたものです。下に本物の画像もUPしておきますので、比べてみてください。

 ゲルマニア(本物)

 第一次大戦中、イギリスはドイツに潜入させたスパイの通信用として彼らに偽造切手を持たせ、郵便に使用させていました。偽造切手は相当な数が作られましたが、連合国側にスパイからのレポートが届き、情報の解析が済むと文書はすべて処分されたため、郵便物に貼られた状態のモノはほとんど残っていません。使われないままになっていた未使用切手については、1921年になって、イギリスの業者が入手し、発表したことで、その存在が広く知られるようになりました。
  
 偽造切手の製造を請け負ったのは、ロンドン郊外のウォータールー・ブラザーズ&レイトン社で、シートは10×10の100面または11×10の110面で印刷されました。細かく観察すると、版面には本物と異なるところがいくつかあるのですが、上下の目打が、本物は切手1枚当たり14穴なのに対して、偽造品では15穴になっているのが一番わかりやすい見分け方だと思います。なお、偽物には無目打のモノもあります。

 ゲルマニアの偽造切手は、ここでご紹介している10ペニヒのほか、15ペニヒのものも作られました。これは、当時のドイツの郵便料金が、20グラムまで15ペニヒで、20グラムを超えて250グラムまでは25ペニヒ(10+15)だったことによります。

 なお、戦時下での謀略・偽造切手の使用は、第二次大戦中にピークを迎えますが、それらについては、拙著『これが戦争だ!』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ご一読いただけると幸いです。

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
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