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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の切手:イスラエル
2018-06-23 Sat 03:19
 ご紹介がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年6月13日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はイスラエルの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・聖墳墓教会(2014)

 これは、2014年にイスラエルとヴァティカンが共同発行した切手シートで、エルサレムの聖墳墓教会が取り上げられています。ついでですので、ことし(2018年)5月のエルサレム旅行に際して、切手とほぼ同じ構図で撮影した教会の外観の写真を下に貼っておきます。

      聖墳墓教会(実物・外観)

 ローマ皇帝として初めてキリスト教会に改宗したコンスタンティヌス1世は、325年頃に、イエスの磔刑の場所、ゴルゴタに教会を建てることを命じました。しかし、その時点では、イエスが生きていた時代のエルサレムの街区は、2度のユダヤ戦争によって完全に破壊されていただけでなく、135年頃にはローマ風の都市へと再開発されてしまったため、その後、ゴルゴタの丘やイエスの墓所の位置は分からなくなっていました。

 こうした中で、326年、コンスタンティヌスの母ヘレナがエルサレムを訪れ、当時はヴィーナス神殿となっていたこの地で磔刑に使われた聖十字架と聖釘などの聖遺物を発見したとされたため、その場所がゴルゴタと比定され、既存の神殿を取り壊して建てられたのが聖墳墓教会です。現在はカトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理となっており、一日中それぞれ何らかの教派によるミサ・聖体礼儀などの公祈祷が行われています。

 さて、『世界の切手コレクション』6月13日号の「世界の国々」では、エルサレム現代史についてまとめた長文コラムのほか、ルドウィック・ブルームの絵画養鶏業、ヨルダン川、アリエル・シャロン、第二次インティファーダプリムの祝祭ボネリークマタカの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のイスラエルの次は、6月27日に発売予定の7月4日号でのセネガル(と一部日本)の特集です。こちらについては、発行日の7月4日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 無事、帰国しました。
2018-06-02 Sat 19:07
      イスラエル展・クリティーク

 本日15:00頃、香港経由で、無事、イスラエルから帰国いたしました。世界切手展<WSC Israel 2018>の会期中、現地では、日本から参加された審査員の佐藤浩一さんご夫妻をはじめ、ご出品者の池田健三郎さん、吉田敬さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。冒頭の写真は、会期最終日の31日、出品者と審査員の対話の時間に、僕の作品 Postal History of Auschwitz 1939-1945 の前で、担当審査員の皆さんと一緒に記念撮影してもらったものです。(以下、画像はすべてクリックで拡大されます)

 今回の切手展のメダルは、以下のように立体的なモノで、ユダヤ暦の新年に鳴らされる角笛の上に、エルサレム旧市街をかたどったデザインとなっています。なお、審査員用・コミッショナー用、各賞の受賞者用、すべて同じものでした。

      イスラエル展(2018)メダル

 一方、審査員・コミッショナー等への感謝状、出品者への賞状は下の画像のようなもので、上部にはエルサレム市内のさまざまな名所の写真がデザインされています。

      イスラエル展(2018)記念シート

 また、会期初日にあたる5月27日には、今回の切手展のロゴ入りの切手シートも発行されました。

      イスラエル展(2018)記念シート

 切手シートは、イスラエル第2の国歌ともいわれる「黄金のエルサレム」を題材としたものです。

 「黄金のエルサレム」は、1967年のイスラエル独立記念日の音楽祭の招待曲として、女性作詞・作曲家のナオミ・シェメルが制作したもので、イスラエルの歴史から現代の希望までをカバーした壮大な内容の楽曲です。切手シートには、エルサレムの街並みをバックに、その歌詞が記されています。ちなみに、日本イスラエル親善協会による歌詞の日本語訳は、以下の通りです。

 山々の空気は葡萄酒のごとく澄み
 松の香は 鐘の音とともに黄昏の風にのる
 その内に城壁をいだき ひとりたたずむ その町は
 樹と石がまどろむとき 夢の中に捕らわれる
 黄金のエルサレムよ 銅と光のエルサレムよ
 わたしはあなたの調べを奏でる 竪琴ではないか

 なお、展覧会主催者側の報道資料による歌詞の英訳では、上記の日本語訳の“竪琴”の部分が“violin”となっており、切手のデザインもそれにあわせたものとなっています。

 「黄金のエルサレム」が発表されて間もない1967年6月5日、第3次中東戦争が勃発し、イスラエルはそれまでヨルダンの統治下にあった東エルサレム占領し、東西エルサレム統合の悲願を果たしました。こうしたこともあって、「黄金のエルサレム」はイスラエル国民の間で大いに人気を博し、発表翌年の1968年には、この曲を新国歌とする法案まで出されたほどでした。(結局、同案は否決されましたが)

 今回の切手展は、一義的には、イスラエル建国70周年の記念行事の一環という位置づけですが、現地の関係者挨拶などでは、1967年の“東西エルサレム統合”から50年ということも盛んに強調されていました。切手シートの題材も、彼らのこうした思いを強くにじませたものと理解してよいと思います。ちなみに、この無目打の切手シートは、切手シートの身での販売はなく、切手展のカタログの付録として、3000部のみ発行されたもので、切手上部には3000番までの番号が入っています。

 ちなみに、東西エルサレムの“統合”の問題については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも、関連する切手や郵便物とともに、詳しくご世通名しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 さて、今年は、この後、8月にチェコ・プラハでの世界切手展、9月にマカオでのアジア切手展、11月にタイ・バンコクでの世界切手展が予定されています。このうち、9月のマカオ展には出品を予定しているほか、11月のバンコク展ではコミッショナーを仰せつかっており、関係の皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、引き続き、よろしくお願いいたします。
 

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 「私は弾劾する」120年
2018-01-13 Sat 13:50
 フランスの文豪エミール・ゾラが、1893年1月13日付の『オーロール』紙に、ドレフュス裁判の誤りを告発する「私は弾劾する」を掲載してから、きょう(13日)でちょうど120年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・ドレフュス事件

 これは、1994年にイスラエルが発行したドレフュス事件100周年の記念切手で、タブには、ゾラの「私は弾劾する」が掲載された紙面が取り上げられています。

 1871年、普仏戦争に敗れたフランスでは、経済的苦境を背景に、ブーランジェ将軍のクーデター未遂事件が発生するなど、社会的に不安定な状況が続いていました。

 1894年9月、陸軍情報部がパリのドイツ駐在武官邸から軍内に対独通牒者がいることを示すメモを入手。筆跡が似ていることを理由に、物証がないまま、参謀本部付のユダヤ人砲兵大尉、アルフレド・ドレフュスが逮捕されました。

 これに対して、反ユダヤ系の「自由言論」紙が事件をスクープし、「軍部は祖国を裏切る売国奴、ユダヤ人をかばっている」と糾弾。世論の批判を恐れた軍首脳部は、証拠もなく、ドレフュスが無罪を主張したにもかかわらず、非公開の軍法会議で有罪判決を下し、ドレフュスの軍籍を剥奪し(切手にはドレフュスが軍刀を奪われ、へし折られる場面が取り上げられています)、仏領ギアナ沖のディアブル島に終身禁錮としました。

 ところが、判決確定後の1896年、情報部長に着任したピカール中佐により、ドレフュスではなく、ハンガリー生まれのフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ少佐こそがドイツに通じていることをが発覚。ピカールは直ちに参謀総長に報告しました。

 ところが、軍上層部は、参謀次長がピカールに「終わったことだ、忘れるように」と諭しただけでなく、軍の権威失墜を恐れてもみ消しを図り、ピカールをテュニジアに左遷。エステルアジに対しては、形式的な裁判で無罪判決を出して釈放しました。ちなみに、エステルアジはその後、英国に逃亡し、そこで平穏な生涯を終えることになります。

 エステルアジの無罪判決に憤ったゾラは、1898年1月13日付の『オーロール』紙に「私は糾弾する」と題する公開質問状を掲載。以後、事態はドレフュス個人の事件から、自由と民主主義・共和制擁護か否かの政治闘争化し、1906年、ようやく、ドレフュスは無罪判決を勝ち取りました。

 なお、ドレフュス事件以前のテオドール・ヘルツルは、ユダヤ人はドイツ社会・文化と積極的に同化すべしとの立場でしたが、ジャーナリストとしての取材経験から、西欧では最もユダヤ人の権利が保障されていると見られていたフランスで事件が起きたことに衝撃を受け、以後、ユダヤ人の失われた祖国“イスラエル”を取り戻すシオニズム運動を主導するようになりました。

 そのシオニズムが1948年のイスラエル建国につながっていくプロセスについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

 1月11日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第14回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、2月8日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、1月11日放送分につきましては、1月18日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 米、エルサレムを首都と認定
2017-12-07 Thu 19:00
 トランプ米大統領は、きのう(6日)、ホワイトハウスで声明を発表し、エルサレムをイスラエルの首都と認め、テルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移転する手続きを始めるように指示したことを正式に表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・首都エルサレム50年

 これは、1999年にイスラエルが発行した“首都エルサレム50年”の記念切手で、エルサレムの風景画を数多く残した画家、ルドウィック・ブルームの作品が取り上げられています。

 第一次大戦後、パレスチナの地は英国の委任統治下に置かれ、エルサレムがその首府となりました。
 
 1947年11月29日、国連でパレスチナ分割決議が採択されると、パレスチナは事実上の内戦に突入し、1948年3月、シオニストたちはテルアヴィヴにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立。新国家樹立に向けての具体的なスタートを切り、英国撤退の軍事的空白を利用して、1948年5月のイスラエル建国に向けて、準備を進めていきました。

 イスラエルの建国宣言を受けて勃発した第1次中東戦争の結果、1949年、エルサレムはイスラエルとヨルダンによって分割され、ユダヤ教・キリスト教・イスラムの三宗教の聖地がある旧市街=東エルサレムはヨルダンの支配下に、新市街の西エルサレムはイスラエルの支配下に入ります。今回ご紹介の切手は、ここから起算して50年になるのを記念して発行されたものです。なお、1950年には、イスラエル議会はエルサレムを首都と宣言して、テルアヴィヴの首都機能を西エルサレムに移転。13カ国が西エルサレムに大使館を設置するなど、国際社会もこれを認めていました。

 1967年の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を占領して東西エルサレムを再統合し、“統一エルサレム”を“(イスラエルの)不可分の永遠の首都”とします。ただし、岩のドームのある“神殿の丘(ハラム・シャリーフ)”は歴史的にワクフ(イスラムに独特の財産寄進制度)の対象とされていることから、ヨルダン宗教省が引き続きその管理を行い、その域内ではユダヤ教徒とキリスト教徒による宗教儀式は原則禁止という変則的な状況となります。

 さて、第三次中東戦争は、理由はどうあれ、イスラエル側の先制攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども否定的で、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、英国、米国、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決しました。

 ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し続け、1980年には、あらためて「統一エルサレムはイスラエルの永遠の首都である」との決議がイスラエル議会で採択されました。これに対して、1967年までエルサレムに大使館を置いていた各国も、イスラエルの東エルサレム併合に抗議してテルアヴィヴに大使館を移転しています。

 これに対して、パレスチナ側では、1988年11月15日、アルジェで開催されたパレスチナ国民評議会(PNC)で、PLOがテロを放棄し、イスラエルの存在を認めたうえで、東エルサレムを首都とする“パレスチナ国”の独立宣言が採択されています。そして、1994年に発足したパレスチナ自治政府も、“パレスチナ国家”の首都は東エルサレムであるとの主張を掲げています。

 一方、米国の二大政党である民主党と共和党が綱領でエルサレムをイスラエルの首都と認めており、1995年には連邦議会で大使館のエルサレム移転を認める法律も可決されています。ただし、歴代の政権は大使館のエルサレム移転は中東和平実現の障害になるとの観点から、同法の実施を半年ごとに延期するということで問題を先延ばしにしてきました。

 これに対して、昨年(2016年)の大統領選挙で、大使館のエルサレム移転を公約したドナルド・トランプが当選。トランプ大統領は、2017年6月には歴代政権の先例を踏襲して大使館の移転を半年延期しましたが、今回、公約通り、大使館の移転手続きを開始したというわけです。

 なお、エルサレムとその歴史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は14日!★★

 12月14日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第12回が放送予定です。今回は、12月16日から公開予定の映画『ヒトラーに屈しなかった国王』にちなんで、第二次大戦中のノルウェーについてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 ユダヤ新年
2017-09-21 Thu 07:09
 きのう(20日)の日没をもって、ユダヤ暦5778年の“ローシュ・ハッシャーナー”(新年。直訳すると“年の頭”の意)となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・年賀(2001・軍人)

 これは、2001年9月3日に発行された“年賀切手”の1枚です。2001年のイスラエルの年賀切手は、ハイム・シュタイヤーの年賀絵葉書コレクションから題材を選んで6種セットで発行されました。今回ご紹介の切手の元になった年賀絵葉書は、鳩とオリーヴに兵士を組み合わせることで“平和と安全”を表現しているとのことですが、タブに“Happy New Year”となければ、年賀切手とはわかりづらいかもしれません。

 古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦と秋から1年が始まる政治暦が併存していました。政治暦は旧約聖書・レビ記23章24節に「第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい」とあるのを根拠として、宗教暦の7月1日から始まります。ただし、ユダヤ暦は太陰暦ですので、毎年、新年の日付は異なります。また、ユダヤ暦の紀元は、ユダヤ教において神が世界を創世した日を西暦に換算したとして、紀元前3761年10月7日とされています。

 さて、第一次大戦以前から、パレスチナに移住したユダヤ系移民は自分たちの定住地で自警団を組織していました。英国によるパレスチナ統治が始まると、ユダヤ系移民の急増に反発するアラブの暴動が発生したため、1920年6月、各地の自警団を統括する民兵組織として“ハガナー”が結成され、英軍による指導・訓練を受けました。また、第二次世界大戦中の1944年5月には、ナチスに対抗するために、英陸軍内にユダヤ旅団が編成され、5000人以上のユダヤ人志願兵が軍事訓練を受け、イタリア戦線に投入されました。

 1948年5月14日、英国によるパレスチナの委任統治が終了し、イスラエルが独立宣言を行うと、これを認めない周辺アラブ諸国がイスラエルに対して宣戦を布告し、第一次中東戦争が勃発します。しかし、この時点では、新生イスラエル国家には正規の国軍は存在しなかったため、5月26日付で臨時政府政令4号が発せられ、国防大臣の下にユダヤ人各武装勢力が集結・統合されることになりました。その結果、最大武装勢力であったハガナー(パルマッハ含む)を基盤に指揮系統等が再編され、5月31日以降、イスラエル国防軍として本格的に活動を開始します。

 第一次中東戦争後は、地下組織だったエツェルおよびレヒも国防軍に参加。以後、イスラエル国防軍はアラブ諸国との戦争をとおして近代化と効率化を進め、世界で最も練度の高い軍隊の一つに成長しました。

 なお、イスラエル建国後のイスラエル国防軍が周辺アラブ諸国・組織とどのように戦ってきたかについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

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 第1回シオニスト会議から120年
2017-08-29 Tue 10:11
 スイスのバーゼルで、1897年8月29日に第1回シオニスト会議が開催されてから、ちょうど120周年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・シオニスト会議100年

 これは、1996年9月3日にイスラエルが発行した“第1回シオニスト会議100周年”の切手シートで、会議の会場となったバーゼルのコンサート・ホール“シュタットカジノ”が取り上げられています。第1回シオニスト会議は1897年8月29-31日の3日間で、シート上の表示も“1897-1997”となっているのですが、シートそのものは1996年の発行ですので、注意が必要です。

 さて、近代以前のヨーロッパでは、ユダヤ人・ユダヤ教徒(以下、便宜的に“ユダヤ人”と総称)は、キリスト教徒からさまざまな差別と圧迫を受けてきた一方で、一部は金融や医術などに長じた存在として、権力者の個人的な庇護をうけるという特殊な存在でした。

 1789年のフランス革命後、フランスでは“国民国家”の理念の下、ユダヤ人にも“フランス国民”として制度上はキリスト教徒と同等の権利・義務が与えられました。19世紀以降、国民国家の理念が他の西欧諸国にも拡散していくと、ユダヤ人社会は、積極的に西欧社会に同化しようとするグループと、西洋化によりユダヤ人としての伝統的な信仰や習慣が毀損されることに反発し、ユダヤ人の独自性を強調するグループに事実上分裂します。

 1860年代、ドイツ系ユダヤ人の社会主義者、モーゼス(ドイツ名モリッツ)・ヘスは、「ヨーロッパ社会でユダヤ人が同化できる可能性は全くなく、ユダヤ人は自分の民族性を否定することによって他の民族の軽蔑を招いている。ユダヤ人はパレスチナに自分たちの国家を持つべきである」と主張し、“政治的シオニズム”を提唱します。ここから派生するかたちで、“宗教的シオニズム(信仰の崩壊や周囲への同化から、ユダヤ民族の統一を守ろうとし、ユダヤ人が自らイスラエルヘの帰還を準備するとき、神の助けが期待されるとする主張。パレスチナの植民地化を要求するものの、時期尚早の国家建設は、神への冒涜と批判)”、“文化的シオニズム(ユダヤ国家の建設は当面は不可能なので、2-3の入植地に集中して移住するのがよいとする主張。パレスチナはユダヤ民族全体の精神的拠点と位置付け、東欧ユダヤ人の文化的独自性を強調し、その再生復活を重視)”等、シオニズム諸派が生まれました。

 こうしたなかで、19世紀後半にはロシア帝国の支配下でポグロム(流血を伴うユダヤ人迫害事件)が繰り返されていたことに加え、1894年にフランスで、ユダヤ系将校のアルフレッド・ドレフュスがドイツのスパイであるとして冤罪逮捕・投獄された“ドレフュス事件”が発生。最終的に、ドレフュスは無罪となりましたが、ユダヤ人に対して最も寛容とみられていたフランスで事件が起きたことに多くのユダヤ人社会に大きな衝撃を与えます。

 ジャーナリストとしてドレフュス事件を取材していたユダヤ系オーストリア人、テオドール・ヘルツルは、もともとはユダヤ人の西洋化に積極的な人物でしたが、事件を機に失われた祖国“イスラエル”を取り戻す政治的シオニズム運動の活動家に転身。1896年、ユダヤ人国家像と国家建設の詳細なプログラムを記した『ユダヤ人国家』を出版しました。

 そして、翌1897年、スイスのバーゼルに各国から200人を集めて第1回シオニスト会議を開催。ヘルツル本人は、ユダヤ人国家の建設地としては、必ずしも聖地エルサレムがあるパレスチナにこだわらず、アルゼンチンやウガンダも候補地として挙げていましたが、最終的に、①シオニズムはユダヤ民族のためにパレスチナの地に公法で認められた郷土(ホームランド)を建設することを目的とする、②その実現のための組織としてシオニスト機構(現・世界シオニスト機構)を創設することなどを謳った「バーゼル綱領」を採択。その目標を達成するため、“世界シオニスト機”が創設されました。

 当初、シオニストは、パレスチナの主権者であるオスマン帝国のスルターン、アブデュルハミト2世から許可を得てパレスチナへ入植することを計画していましたが、オスマン帝国側の反応が芳しくなかったため、小規模移住による“ホームランド”の形成に方針を転換。1901年に創設されたユダヤ民族基金創設、1903年にナサニエル・ロスチャイルドの資金援助で設立されたアングロ・パレスチナ銀行創設が土地買収のための資金を提供するというかたちで、入植が進められることになりました。

 さて、ことし(2017年)は、第1回シオニスト会議の開催(1897年)から120年、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、『本のメルマガ』の連載「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


 ★★★ NHK・BSプレミアム 「アーススキャナー」  ★★★ 

 8月30日(水)21:00-22:30 NHK・BSプレミアムで放送予定の「アーススキャナー~“空白地帯”の謎に迫る~」で、シーランド公国の切手について、内藤が少しお話しますので、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 8月24日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第7回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、9月7日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、24日放送分につきましては、8月31日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 トルキスタン総督府150年
2017-07-11 Tue 22:58
 1867年7月11日、ロシアによる中央アジア支配の拠点として、タシュケントにトルキスタン総督府が設置されて、今日でちょうど150年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブハラ・ユダヤ人(19世紀後半)

 これは、2015年にイスラエルが発行した“ユダヤ・コミュニティの宝石”の切手のうち、19世紀後半、トルキスタン総督府支配下のブハラ・ユダヤ人の結婚式の新婦の髪飾りを取り上げた1枚で、タブには、当時の新郎新婦の写真が取り上げられています。

 現在、ウズベキスタンをはじめとする中央アジア諸国では人口の9割以上をムスリムが占めていますが、かつては、相当数のユダヤ人が住んでいました。

 歴史的にみると、中央アジアで比較的大きなユダヤ人コミュニティが存在していたのは、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドなど、現在のウズベキスタン領内の諸都市が中心でしたが、その居住地域は、現在の国名でいうと、ロシアやカザフスタン、アフガニスタン、トルクメニスタン、パキスタン、キルギス等にまで広がっていました。

 こうした中央アジアのユダヤ人は、ロシア人やアシュケナジーム(イディッシュ語を話すドイツ系ユダヤ人)から“ブハラ・アミール国(現在のウズベキスタンの前身の一つ)のユダヤ人”という意味で“ブハラ・ユダヤ人”と呼ばれていました。また、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドの各都市は、いずれも、シルクロードのオアシス都市として繁栄していたことから、イランやアフガニスタンなどから中央アジアへ移住するユダヤ人もあり、外部からは、彼らも一括してブハラ・ユダヤ人とされていました。

 ブハラ・ユダヤ人の多くは、自らを“ユダヤの失われた10支族(『旧約聖書』に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族)”のうち、紀元前6世紀のバビロン捕囚からの解放以後、カナンの地に戻らなかった支族の子孫であると主張しています。この伝承が歴史的事実であるかどうかはともかく、彼らが、中央アジアでも最も古い宗教・エスニック集団の一つとして独自の文化を育んできたことは間違いありません。

 ブハラ・ユダヤ人は、ヘブライ文字を使うタジク・ペルシャ語(通常のペルシャ語はアラビア文字を使います)を母語としていたため、周辺のムスリム系諸民族とも容易にコミュニケーションをとることができました。ただし、都市部においては、ブハラ・ユダヤ人は、ムスリムとは混在せず、シナゴーグを中心としたユダヤ人のみの居住区を作り、商業や手工業等に従事するというのが近代以前の一般的な姿でした。

 19世紀中盤以降、中央アジアへの本格的な進出を始めた帝政ロシアは、ブハラ・ユダヤ人を積極的に活用し、ユダヤ人の側もロシアとの交易拡大を期待してロシア人の進出を歓迎。この結果、1867年にトルキスタン総督府が設置され、ブハラ・アミール国が帝政ロシアによって保護国化されると、ロシアと結んで巨額の利益を得るユダヤ商人が数多く登場します。今回ご紹介の切手に取り上げられたブハラ・ユダヤ人の宝飾も、そうした彼らの財力を反映したものでした。

 19世紀末になり、シオニズムが登場すると、ブハラ・ユダヤ人の中にも、それに共鳴してエルサレムに移住する者が現れます。彼らの中には富裕な商人も少なくなかったため、1898年には、その財力を背景にエルサレム旧市街の城壁外にブハラ・ユダヤ人の居住区も建設されました。

 エルサレム在住のブハラ・ユダヤ人の人口は第一次大戦までに1500人にまで拡大したが、1917年のロシア革命で社会主義政権が誕生すると、ソ連(1922年末成立)領内からユダヤ人の出国は大きく制限され、ブハラ・ユダヤ人のパレスチナへの移住も途絶しました。

 さらに、ソ連の支配下で成立したウズベク・ソヴィエト社会主義共和国の支配下では、従来からのブハラ・ユダヤ人に加え、東欧など、他の地域から労働者や官僚、軍人などとしてウズベキスタンの地に移住するユダヤ人(その大半はアシュケナジーム)も増加したため、現在のウズベキスタン国家においては、ふたつの異なるユダヤ人コミュニティが併存するようになります。また、ソ連の教育により、彼らの間にロシア語が急速に普及していきました。

 1967年に第3次中東戦争が勃発した時点で、イスラエル在住のブハラ・ユダヤ人は約2万人でしたが、その後、ソ連は国内のユダヤ人の出国制限を緩和し、1980年代初頭までに約3万人が移住。さらに、1985年にペレストロイカが始まると、ブハラ・ユダヤ人の国外出国には拍車がかかり、1991年末のソ連崩壊を経て、1992年までに約4万人がイスラエル、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどに移住していきました。現在、ウズベキスタン国内のブハラ・ユダヤ人は、タシュケントを中心に、5000人以下にまで減少しています。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


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 第三次中東戦争勃発50年
2017-06-05 Mon 12:10
 1967年6月5日に第3次中東戦争が勃発してから、今日(5日)でちょうど50周年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・エルサレム再統合50年

 これは、今年(2017年)4月4日にイスラエルが発行した“再統一50年”の記念シートです。ここでいう“再統一”とは、第三次中東戦争の結果、それまでヨルダン領だった東エルサレムをイスラエルが占領し、戦前からのイスラエル領だった西エルサレムと統合したことを意味しています。ちなみに、イスラエルでは“(エルサレム)再統一”の記念日(ヨム・イェルシャライム:エルサレム記念日)は、毎年、ユダヤ暦イヤール月(第8月)28日に祝うことになっているため、一般的なグレゴリオ暦では毎年、日付が異なっており、今年は5月25日がその祝日にあたっていました。

 1956年の第二次中東戦争(スエズ動乱)は、英仏の侵攻に屈せず耐え抜いたという点で、エジプトは政治的に勝利を収め、ナセルの権威は絶頂に達したものの、純粋に軍事的な見地から見ると、英仏との密約によりエジプト領内に侵攻したイスラエル軍は、いともたやすくシナイ半島を横断してスエズ運河地帯まで進軍し、エジプト軍はそれを阻止することができず、惨敗に等しい状況でした。

 このため、イスラエルとの全面戦争になればエジプトには勝ち目はないことをナセルも思い知り、イスラエル打倒の勇ましいスローガンとは裏腹に、本音では、イスラエルとの戦争を回避しなければならないと考えるようになりました。そこで、ナセルは、対イスラエル闘争の統一司令部として“パレスチナ解放機構(PLO)”を作り、その傘下にパレスチナ人の武装組織を組み込むことで、強硬派の暴走を抑え、イスラエルを決して本気で怒らせない(=全面戦争には突入しない)程度に“抵抗運動”を継続して、パレスチナ解放の大義は維持した体裁をとりながら、アラブ世論のガス抜きをするという戦略を立てます。

 ところが、現実には、パレスチナ人武装勢力の中には、ナセルの微温的な姿勢を拒否して、PLOには参加せず、イスラエル領内での武装闘争をエスカレートさせるものも少なくなくありませでした。その代表的な存在が、ヤーセル・アラファート(以下、アラファト)ひきいるファタハです。

 1957年に創設され、反イスラエルの武装闘争(イスラエル側から見ればテロ活動)を展開していたファタハは、武装闘争/テロ活動をエスカレートさせてイスラエルの報復攻撃を引き出せば、アラブ諸国も対イスラエル全面戦争に参加せざるを得なくなると考えており、ソ連、東欧はもとより、中国を含む反西側諸国から武器を調達し、シリアの庇護下で戦闘能力を強化していました。

 一方、イスラエルの政府と国民にしてみれば、PLO傘下の団体であろうとなかろうと、国内の治安を乱すテロリストは駆逐すべき存在ですから、その討伐を求める世論が高揚。イスラエル=シリア国境では緊張感が高まっていきました。

 こうした中で、1967年4月、シリア、イスラエル両国の空軍が空中戦を展開し、シリアのミグ戦闘機6機が撃墜される事件が発生。これを機に、軍事的緊張は一挙に高まり、“アラブ世界の盟主”ナセルにイスラエルへの実力行使を求めるアラブ諸国の世論が沸騰します。

 当初、ナセルは慎重姿勢を保っていましたが、同年5月14日、アラブ諸国からの要請を拒否しきれずに、シナイ半島に兵力を進駐させ、第二次中東戦争の終結以来駐留を続けていた国連緊急軍に撤兵を要求。同月22日、チラン海峡(紅海につながるアカバ湾の出口)を封鎖しました。

 アラブ諸国はナセルの決断を歓迎し、5月30日にはヨルダンとエジプトとの間で相互防衛条約が調印されたほか、エジプトとシリア、ヨルダンの間では軍事同盟が結成された。さらに、イラク、クウェート、スーダン、アルジェリアの各国も有事の際の派兵を約束。イスラエルは周囲を完全に包囲されます。

 このため、イスラエルはアラブ諸国軍に対する戦闘準備を急ぎ、先制攻撃を計画。当初、米国はイスラエルの先制攻撃に反対し、問題の政治的解決を求めましたが、最終的には、和平解決のための具体的行動をとる用意がないことをイスラエルに通告します。これを受けて、6月5日、イスラエルはアラブ諸国軍に対する先制攻撃を開始しました。

 こうして、いわゆる第三次中東戦争の勃発します。

 戦争の勝敗は、開戦後まもなく、イスラエル空軍が、エジプト、ヨルダン、シリア、イラク各国の空軍基地を壊滅状態に追い込んだことによって、早々に決せられました。イスラエル軍は早くも6月7日には東エルサレムを占領し、同月10日にはゴラン高原のシリア軍が潰滅。この間、6月8日には国連安保理の勧告を受けて、エジプトが無条件停戦に応じ、シリアも10日には停戦に応じました。このため、イスラエル側は、この戦争を誇らしげに“6日戦争”と呼んでいます。

 第三次中東戦争の結果、イスラエルの占領地は一挙に戦前の3倍に拡大します。しかし、理由はどうあれ、戦争がイスラエル側の先制攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども否定的で、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決。ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し、現在でも、東西エルサレムはイスラエルの“不可分の永遠の首都”であるというのが彼らの主張です。

 ちなみに、今回ご紹介の切手では、シートは中央のタブを挟んで左右に1枚ずつ切手が収められていますが、エルサレムを象徴するものとして左側の切手にはヘブライ大学の時計塔を、右側の切手には嘆きの壁を、それぞれ取り上げています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。
 
 
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 米大統領“嘆きの壁”初訪問
2017-05-23 Tue 11:20
 中東歴訪中のトランプ米大統領は、きのう(22日)、現職の米大統領としては初めて、エルサレムの“嘆きの壁”を訪問しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・エルサレム3000年

 これは、1995年9月4日にイスラエルで発行された“エルサレム3000年”の記念切手のうち、嘆きの壁を含む“神殿の丘”の絵図が取り上げた1枚で、切手の左側には壁越しの岩のドームが、切手の下についているタブには嘆きの壁で祈るユダヤ教徒が取り上げられています。ちなみに、エルサレムの歴史的な起源は、紀元前30世紀頃、古代セム系民族がカナンの地の“オフェルの丘”に築いた集落とされていますが、今回ご紹介の切手の“エルサレム3000年”は、紀元前1000年頃にヘブライ王国が成立し、ダヴィデ王がここを首都と定めたことから起算した年回りです。

 さて、切手の絵地図に取り上げられた“神殿の丘(ハラム・シャリーフ”は、もともとは自然の高台で、紀元前10世紀頃、ダヴィデ王の子、ソロモン王がここにエルサレム神殿(第一神殿)を建造しました。第一神殿は、紀元前587年、バビロニアにより破壊されましたが、紀元前515年に再建されます。これが第二神殿で、紀元前19年頃、神殿はヘロデ王によって大幅に拡張され、周囲は壁に覆われました。この時の神殿の範囲が現在の“神殿の丘”になります。

 その後、紀元後70年、第二神殿はローマ帝国によるエルサレム攻囲戦によって破壊され、ヘロデ王時代の西壁の幅490m、高さ32m(うち、地上に現れている部分は幅57m、高さ19m)が残るのみとなります。これが、今回ご紹介の切手のタブにも取り上げられた“嘆きの壁”です。なお、この壁に対して各国語で“嘆き”の形容詞が付けられているのは、神殿の破壊を嘆き悲しむため、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現したもので、ヘブライ語では“西の壁”と呼ばれています。

 132-135年のバル・コクバの乱(ユダヤ属州でのローマ帝国に対する反乱)の後、ユダヤ教徒は原則としてエルサレムへの立ち入りを禁止され、4世紀以降は1年に1日、例外的に立ち入りを認められるという状況が続いていました。これに対して、638年、いわゆるアラブの大征服の一環として、ムスリムがエルサレムを占領すると、ムスリムの支配下で、ローマ時代以来禁止されていたユダヤ教徒のエルサレムへの立入が認められるようになります。この結果、生活上の権利に一定の制約は設けられたものの、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、アブラハム以来の一神教の系譜に属する「啓典の民」として、この地でムスリムとともに共存していくことになりました。

 ところで、イスラムでは、エルサレムはメッカメディナに次ぐ第3の聖地とされています。エルサレムの中でも、ムスリムが(特にピンポイントで)聖地としている場所は、691年、アラブ系のウマイヤ朝によって、ムハンマドの天界飛翔伝説にちなむ聖なる石を包むように、“神殿の丘”の敷地内に建造された岩のドームですが、当時、メッカはウマイヤ朝の支配に異を唱えるイブン・ズバイルの一派により占領されており、ウマイヤ朝はメッカを回復できないという最悪の可能性も考慮して、ドームの建設を計画したといわれています。

 当然のことながら、“神殿の丘”はユダヤ教にとっても聖地だったのですが、正統派のユダヤ教においては、世界の終末に救世主が現れて神殿を再建するまで、ユダヤ教徒は神殿跡に入ってはならないとの教義もあります。したがって、“神殿の丘”の敷地内にイスラムの聖地としてモスク等が建造されても、少なくとも世界の終末までは、ユダヤ教徒にとって実質的なダメージはないというロジックが導き出されることになり、岩のドームを聖地とするムスリムと、嘆きの壁を聖地とするユダヤ教徒住み分けが可能となりました。

 その後、十字軍による侵略はあったものの、ラテン王国(キリスト教徒の占領軍が建国)の消滅後は、キリスト教側も聖地の奪還を断念。聖地への自由な通行権の確保と、現地キリスト教徒の保護を主要な関心とするようになり、エルサレムは三宗教共通の聖地(ただし、その具体的な場所は重ならない)として、ムスリムの支配者の下で、各宗教の信徒が共存する状況が20世紀に入るまで続くことになります。

 神殿の丘を含むエルサレム旧市街は、英国によるパレスチナ委任統治の終了後、1948-67年にはヨルダンの支配下に置かれ、イスラエル国籍の保有者の立ち入りは禁止されていました。

 1967年6月の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸を占領しましたが、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決。ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し、占領地の支配を継続しました。

 1979年のイスラエル=エジプト平和条約が調印されると、1980年、イスラエル議会は、あらためて、東西エルサレムを統合した“統一エルサレム”はイスラエルの永遠の首都であると宣言しました。エジプトとの平和条約により国境が画定し、東エルサレムの支配も追認されたというのがイスラエル側の主張です。

 このため、同年の国連総会は、安保理決議242が有効であることを改めて確認したうえで、イスラエルによる東エルサレムの占領を非難し、エルサレムを首都としたイスラエルの決定の無効を143対1(反対はイスラエルのみ、棄権は米国など4)で決議。この決議も現在なお有効で、国際社会はイスラエルによる東エルサレム支配の正当性を認めていません。
 
 こうした事情を踏まえて、今回のトランプ大統領の嘆きの壁訪問に際しては、この場所の主権がイスラエルにあることを(国連決議を無視して)認めたとの批判を避けるため、イスラエル側の関係者は同行しないという措置が取られたほか、米当局者も壁の帰属がイスラエルにあるのか否かについてはコメントを拒否しています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正して書籍化する企画も現在進行中です。具体的な内容や発売日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 年賀状の切手
2017-01-04 Wed 10:52
 毎年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、③可能な限り、干支を取り上げた年賀切手は除く、という基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、今回の年賀状の切手について簡単にご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・動物の親子(2010・部分)

 これは、2010年にイスラエルが発行した“動物の親子”のシートの右上の切手とタブ(と耳紙)の部分です。“動物の親子”のシートは、9面構成で、上段3枚がニワトリ、中段3枚がネコ、下段3枚がウサギで、それぞれ、左側が動物の子供を描く切手、中央が親子を描くタブ、右側が親を描いた切手となっています。ちなみに、シートの全体像の画像も下に貼っておきます。

       イスラエル・身近な動物(2010)

 元日のご挨拶でも少し触れましたが、ことしこそは、チャンネルくららで配信中の「きちんと学ぼう ユダヤと世界史」と連動した書籍を刊行せねば…と思っております。また、タイミング的にも、2017年は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第3次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっていますので、この機会を逃してはなりますまい。

 さて、人間と鶏の関係は、いまから5000年ほど前、インド東北部から中国西南部にかけての地域で、この地に広く分布するセキショクヤケイを飼い慣らしたのが始まりと考えられています。その後、家禽として鶏を買う習慣は中東から地中海地域に広まり、いかまら2300年ほど前の紀元前4世紀頃には、エルサレムの南西45kmのラキシュで食肉と卵を取るための養鶏が行われていたことが確認されています。

 現在のイスラエルは卵の消費量が多い国で、20世紀には、国民1人あたりの卵の年間消費量(加工食品を含む)が350個程度と、世界で断トツの1位でした。2000年代以降、イスラエル政府は統計データの発表を止めてしまったため、世界の消費ランキングからは外れてしまったものの、イスラエル国民の食生活が大きく変わったわけではないので、現在でもイスラエルが“隠れ1位”の可能性は大いにあります。ちなみに、公開されている統計データによると、2014年の国別の(1人あたり)卵の消費量のランキングは、1位がメキシコの352個、2位がマレーシアの343個で、わが国は329個で3位にランクされています。

 余談ですが、昨年6月、イスラエル国内では、パキスタンからの卵の密輸が警察と税関、イスラエル卵業養鶏協会によって摘発され、国内の食用基準を満たさない4万個が廃棄されるという事件がありました。卵の消費量が世界トップクラスの国ならでは事件といえますが、イスラエルへの卵の密輸相手が、政治的には親アラブ・反イスラエルの姿勢を鮮明にしているパキスタンだったというのも興味深いですな。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。(ちなみに、拙宅には、明らかに昨年の御用納め以前に投函されたと思しき、オフィスからの年賀状が昨日の夕方にも何通か届きました)

 早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。
      

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