内藤陽介 Yosuke NAITO
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 米大使館、きょうエルサレムへ
2018-05-14 Mon 01:44
 米国は、昨年12月にトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことを受け、西暦でのイスラエル建国70周年にあたるきょう(14日)、在イスラエル大使館をテルアヴィヴからエルサレムに移転します。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・トルーマン(1975)

 これは、1975年、米国がイスラエルを国家承認した際の大統領としてのハリー・トルーマンを讃えてイスラエルが発行した切手です。

 トルーマンはカンザス・シティのビジネス・カレッジを卒業後、カンザス・シティのナショナル・バンク・オブ・コマースに窓口係として就職したのが社会人としてのキャリアのスタートでした。1905年、彼は、リトアニア出身のユダヤ人移民の子で、地元の洋品店で働いていたエドワード・ヤコブセンと知り合いになります。1917年に米国が第一次大戦に参戦すると、トルーマンとヤコブセンは徴兵され、ともに第129砲兵隊の酒保係に配属されました。“戦友”となった二人は大いに意気投合し、退役後、共同事業を始めます。ユダヤ人に対する差別が根強かった当時の米国では、トルーマンのように、ユダヤ人のヤコブセンとビジネス・パートナーの関係になるWASP(プロテスタントのアングロ・サクソン)は例外的な存在でした。

 その後、2人の共同事業はすぐに破綻しましたが、個人的な友情は生涯続き、1945年4月、フランクリン・ローズヴェルトの死により、トルーマンが大統領に就任すると、ヤコブセンはホワイトハウスに出入りできる例外的な民間人の一人となりました。

 こうしたヤコブセンとの個人的な友情関係に加え、上院議員として実績を積み重ね、副大統領、そして大統領になった老練な政治家としてのトルーマンは、政治的な打算から、ローズヴェルトと比べると、明らかに親ユダヤ的な態度を取っていました。

 すなわち、パレスチナでのアラブとイスラエルの対立に関して、米国は直接の当事者ではないとの認識から、ローズヴェルトは、アラブ諸国の指導者に対して、「米国としては、アラブ・ユダヤの双方と十分な協議をすることなくパレスチナの基本的な状況を変えることはしない」と約束しており、トルーマンも基本的にはこの方針を継承することを表明していました。その一方で、トルーマンは側近との会話では「米国の有権者のうち、いったい、アラブ系はどのくらいいるのかね」と述べており、シオニストへの支持を隠そうとしませんでした。

 さらに、ドイツの敗北により、アウシュヴィッツをはじめ強制収容所の悲惨な実態が白日の下にさらされるようになると、戦勝国の大義を示すためにも、米国ではユダヤ人犠牲者の救済が重要な課題と見なされるようになりました。

 かくして、1945年7月、トルーマンは英国政府に対して、ユダヤ人のパレスチナへの移住を制限する政策(1939年のマクドナルド白書で決定)を解除するよう要請。さらに、同年8月には、10万人のユダヤ系難民をパレスチナに移民として受け入れるよう、英国首相アトリー宛の書簡で要請します。

 このトルーマン書簡を契機として、米英両国の代表団からなるパレスチナ問題調査委員会が設立される。委員会は、1946年5月、①パレスチナはアラブ州・ユダヤ人州に分割せず、国連による暫定的な信託統治を行う、②ナチスの犠牲者となった10万人のユダヤ系難民のパレスチナ入国を認める、③パレスチナの土地譲渡制限を事実上撤廃する、という報告書をまとめました。

 しかし、報告書発表の直前、またしても、シオニスト過激派により英国人兵士6人が殺害されるテロ事件が発生。態度を硬化させた英国は、ユダヤ人テロ組織の武装解除を優先させるよう主張し、ユダヤ系難民のパレスチナ受け入れに強い難色を示します。英国のパレスチナ当局からすれば、“難民”というだけの理由で、身元の定かではないユダヤ人を大量に流入させれば、難民に偽装したテロリストも紛れ込み、パレスチナの治安を悪化させるリスクが高まるのは当然で、パレスチナ問題調査委員会の報告書の内容は受け入れがたいものでした。

 しかし、第二次大戦以前、ほとんど中東と接点のなかった米国をはじめ、戦勝諸国の大半は、そうしたパレスチナの事情を全く理解しようとはしませんでした。むしろ、侵略者の独裁国家を打倒して自由と民主主義を守ったことが自分たちの戦争の大義であると主張する必要から、彼らは、ナチス・ドイツの蛮行、特に、ユダヤ人迫害とその犠牲を強調し、彼らが救い出した“かわいそうなユダヤ人”に救いの手を差し伸べなければならないと信じていました。

 かくして、ユダヤ系難民の受け入れに慎重なパレスチナ当局の姿勢は、パレスチナの現実を知らない戦勝国の善男善女から批判を浴びただけではなく、“大英帝国”の一員として英国の戦争を戦ったパレスチナのユダヤ系住民のさらなる不満を醸成。シオニスト過激派による反英闘争も激化の一途をたどりました。

 この結果、シオニスト過激派の反英テロに手を焼いたイギリスは、ついに、自力でのパレスチナ問題の解決を放棄。1947年2月、国際連合(以下、国連)に問題の解決を一任すると一方的に宣言。

 これを受けて、同年5月、国連にパレスチナ問題特別委員会が設立され、8月31日、パレスチナにアラブ、ユダヤの二独立国を創設し、エルサレムとその周辺は国連信託統治下に置くというパレスチナ分割案を多数派意見として発表。この分割案は、ユダヤ人国家の創設に同情的であった米国のみならず、国内のユダヤ人をパレスチナへ入植させることで中東地域に影響力を扶植しようと考えていたソ連の賛成もあり、同年11月29日、国連決議第181号として採択されました。

 以後、これを不満とするアラブ住民とシオニストとの間でテロの応報が繰り広げられ、パレスチナ全土は事実上の内戦に突入。しかし、パレスチナの治安に責任を負うべきはずの英国は、英国人兵士や警官の死傷があいついだことを理由に、1947年12月、先の国連決議で決められた8月1日という日程を2ヵ月半繰り上げ、1948年5月15日をもってパレスチナから撤退すると発表。委任統治国としての責任を放棄し、みずからの中東政策の失敗が招いた混乱を放置してパレスチナから逃げ出すことになりました。

 これに対して、1948年2月、エジプト、トランスヨルダン、レバノン、シリア、サウジアラビア、イラクの六ヶ国がカイロで会議を開き、パレスチナでのユダヤ人国家の建設阻止の決議を採択。義勇兵の派遣を決定。一方、同年3月、シオニストたちはテルアヴィヴにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立し、新国家樹立に向けての具体的に動き始めました。

 これとあわせて、米国では在米シオニストの意を受けたヤコブセンの説得でトルーマンがハイム・ヴァイツマン(イスラエル建国後の初代大統領)と会見。トルーマンは、①ユダヤ人国家建設のために尽力すること、②新国家建国の暁にはそれを直ちに承認することをヴァイツマンに密約します。

 パレスチナでの内戦が激化する中で、英国の委任統治が終了する前日の1949年5月14日、テルアヴィヴの博物館でユダヤ国民評議会が開催され、イスラエル初代首相となったベングリオンが、「ユダヤ民族の天与の歴史的権利に基づき、国際連合の決議による」とするユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。これを受けて、同日、米国のトルーマン政権は主要国の中で最初にイスラエルを承認し、現在に至る米国=イスラエル関係がスタートしました。

 なお、イスラエル建国前後の状況については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。 


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 ゴラン高原の切手
2018-05-11 Fri 11:35
 イスラエル軍は、きのう(10日)未明、シリア・ゴラン高原にあるイスラエル入植地にイラン革命防衛隊がロケット弾20発を撃ち込んだと発表。、その報復として、70発以上のミサイルで、シリアにあるイランの軍事施設を攻撃し、両国の直接対決の懸念が高まっています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・ゴラン高原(1983)

 これは、1983年にイスラエルが発行した“ゴラン高原の入植地”の切手です。

 ゴラン(アラビア語でジャウラン)高原は、シリア南西端の丘陵地帯で、西はヨルダン川とガリラヤ湖、北はヘルモン山、東はヤルムーク川の支流アルルカド・ワディ、南はヤルムーク川に囲まれており、ヨルダン渓谷上流地帯を見通す位置にあります。

 年平均降水量500-800ミリと雨にも恵まれていることもあり、古くから肥沃な土地として知られ、聖書に登場する“ゴラン”の町は、現在のゴラン高原西側のハウラーン地方と考えられています。

 1967年の第三次中東戦争以前、ゴラン高原の大半は、行政上、シリアのクネイトラ県の領域で、一部が同ダルア県に属しており、推定人口は15万人で、スンナ派アラブを中心に、ドルーズ派、アラウィー派、チェルケス人(もとはコーカサス北東部に生活していたムスリムで、19世紀にロシアの圧迫を逃れ、オスマン帝国領に移住した人々の子孫)などが生活していました。

 1967年の第3次中東戦争でイスラエルはゴラン高原を占領。これに対して、1973年の第四次中東戦争では、当初、シリア軍がゴラン高原の一部を奪還したものの、最終的に、イスラエルの反撃でイスラエルが再占領しました。

 その後、1974年5月31日 米国の仲介で、シリアとイスラエルの間の兵力引き離し合意が成立(6月6日に実行)し、中心都市だったクネイトラを含む一部の地域がシリアに返還されましたが、それ以外の地域については、イスラエルは占領を継続。新しい入植地を建設したうえで、1981年、ゴラン高原の併合を宣言しました。今回ご紹介の切手も、こうした事情を踏まえて、ゴラン高原が自国領であることを示すため、イスラエルが発行したものです。ただし、イスラエルによるゴラン高原の併合宣言については、シリアと国連はこれを認めていません。


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 イスラエル独立70年
2018-04-19 Thu 01:14
 イスラエルの独立宣言は、西暦では1948年5月14日ですが、ユダヤ暦では5708年イヤル月5日です。ユダヤ暦換算では、きょう(18日の日没から19日の日没まで)がその70年にあたっており、イスラエルでは各種の記念イベントが行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・独立宣言

 これは、1973年にイスラエルが発行した独立25周年の記念切手で、イスラエル独立宣言のうち、初代大統領のベングリオン以下、閣僚たちの署名部分が取り上げられています。

 第2次大戦末期の1945年4月、ローズヴェルトの死により、急遽、米国大統領となったトルーマンは、中東地域に関して具体的な戦略的見通しを持っておらず、アラブ・ユダヤの双方と十分な協議をすることなくパレスチナの基本的な状況を変えることはしないとアラブ側に約束した前任者の方針を基本的には継承します。しかし、ナチス・ドイツの敗北により悲惨な収容所の実態を知ることになった彼は、ユダヤ人犠牲者の救済という視点から、パレスチナにユダヤ国家の建設を目指すシオニストに同情的な姿勢をとるようになっていきます。

 このため、1945年7月、トルーマンは英国政府に対して、ユダヤ人のパレスチナへの移住制限を解除するよう要請。さらに、同年8月には、パレスチナが10万人のユダヤ系難民を移民として受け入れるよう、アトリー(英首相)宛の書簡で求めています。

 これを契機として、米英両国の代表団からなるパレスチナ問題調査委員会が設立され、委員会は、1946年5月、①パレスチナはアラブ州・ユダヤ人州に分割せず、国連による暫定的な信託統治を行う、②ナチスの犠牲者となった10万人のユダヤ系難民のパレスチナ入国を認める、③パレスチナの土地譲渡制限を撤廃する、との報告書をまとめます。しかし、報告書発表の直前、シオニスト過激派により英軍兵士6人が殺害されるというテロ事件が発生。態度を硬化させた英国は、ユダヤ人テロ組織の武装解除を優先させるよう主張し、ユダヤ系難民のパレスチナ受け入れに強い難色を示しますが、このことは、英国の対応に不満を持つシオニストたちの反英闘争をより激化させる結果をもたらしました。

 シオニストの反英テロに手を焼いたイギリスは、ついに、自力でのパレスチナ問題の解決を放棄。1947年2月、国連に問題の解決を一任すると一方的に宣言います。これを受けて、5月に設立された国連パレスチナ問題特別委員会は、パレスチナにアラブ、ユダヤの二独立国を創設し、エルサレムとその周辺は国連信託統治下に置くというパレスチナ分割案を多数派意見として発表。同案は、同年11月29日、国連決議第181号(パレスチナ分割決議)として採択されました。

 これに対して、アラブ地域では、国連決議が採択された11月29日は“服喪と圧政の日”とされ、第二次大戦中は比較的収まっていたパレスチナ全土で反シオニストの武装闘争が再燃。アラブ住民とシオニストとの間でテロの応報が繰り広げられ、パレスチナ全土は事実上の内戦の突入していきます。

 一方、パレスチナの治安に責任を負うべきはずの英国は、英軍兵士や警官の死傷があいついだことを理由に、1947年12月、先の国連決議で決められた8月1日という日程を2ヵ月半も繰り上げ、1948年5月15日をもってパレスチナから撤退すると発表。委任統治国としての責任を放棄し、みずからの中東政策の失敗が招いた混乱を放置してパレスチナから逃げ出すのです。

 事実上の内戦に突入したパレスチナでは、1948年3月、国連のパレスチナ分割決議を受けて、シオニストたちがテルアビブにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立。新国家樹立に向けての具体的なスタートを切り、英国撤退の軍事的空白を利用して、1948年5月のイスラエル建国に向けて、準備を進めていきました。

 こうした中で、4月9日から10日にかけて、シオニストがアラブの村デイル・ヤーシーンを襲撃し、多くの村民を殺害する“デイル・ヤーシーン事件”が発生。事件後、身の危険を感じたアラブ系住民約10万人がパレスチナから脱出し、結果的に、シオニストによる建国準備は大きく前進することになります。

 こうして、騒然とした状況の中、パレスチナにおける英国の委任統治が終了する1948年5月14日午後4時6分(現地時間)、テルアビブの博物館でユダヤ国民評議会が開催され、イスラエル初代首相となったベングリオンが、「ユダヤ民族の天与の歴史的権利に基づき、国際連合の決議による」として、ユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。ベングリオンの独立宣言を受けて、同日、米国のトルーマン政権は主要国の中で最初にイスラエルを承認。ついで、5月17日にはソ連がイスラエルを承認しました。

 この間の5月16日、イスラエル国家は古代の貨幣を描く建国後最初の切手を発行します。ただし、この切手には「ヘブライ郵便」との表記はあるものの、「イスラエル」との表記はありません。これは、切手の制作時にはまだ新国家の正式な国号が決定されていなかったことによるもので、イスラエルの独立宣言がいかに慌しい状況の下に行われたかということを示しています。

 なお、イスラエル建国にいたる経緯については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

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 TAXE
2018-03-15 Thu 10:53
 ★★★ 緊急告知!★★★

 本日(15日・木)15:10頃~ NHKラジオ第1放送の「NHKごごラジ!パイロット」の「マニア的電話座談会」のコーナーに、内藤が電話出演します。テーマ(予定)は「好きなことを続けるためのマイルール」です。よろしかったら、ぜひお聴きください。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 所得税の確定申告は今日(15日)までですが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ませたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリ、先ほどようやく書類を提出したところです。というわけで、毎年恒例“TAX”ネタとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・T加刷(1948)

 これは、イスラエル建国当初の1948年5月に発行されたイスラエル最初の切手に、万国郵便連合の公用語、フランス語で郵便料金(=郵税)を意味する“TAXE”の頭文字の“T”の文字を加刷し、暫定的に不足料切手として使用したものです。

 1947年11月29日、国連でパレスチナ分割決議が採択されると、パレスチナは事実上の内戦に突入し、1948年3月、シオニストたちはテルアヴィヴにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立。新国家樹立に向けての具体的なスタートを切り、英国撤退の軍事的空白を利用して、イスラエル建国に向けて、準備を進めていきました。

 こうしたなかで、1948年5月14日、ユダヤ人国家“イスラエル”の建国が宣言され、これにあわせて古代通貨を描くイスラエル最初の切手が発行されましたが、その切手には、“ヘブライ郵便”との表記はあるものの、“イスラエル”との表記はありません。これは、切手の制作時にはまだ新国家の正式な国号が決定されていなかったことによるもので、このことからも、イスラエル国家の建設準備がいかに慌ただしく進められたか、イメージがわいてきます。 

 こうした事情でしたから、1948年5月28日にヘブライ文字を加刷した正規の不足料切手が発行されたものの、それらの配給が間に合わなかったハイファなどでは、今回ご紹介の切手のように、“T”の文字を暫定的に加刷したり、通常切手を“T”の印で抹消したりして対応することも行われました。

 なお、イスラエル建国とその前後の郵便事情については、昨年刊行の拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 米大使館、5月にエルサレム移転
2018-02-24 Sat 11:32
 米当局は、昨日(23日)、現在テルアヴィヴに置かれている在イスラエル米国大使館をイスラエル建国70周年に当たる今年(2018年)5月14日にエルサレム・アルノナ地区にある領事館建物のに移転すると明らかにしました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・西エルサレムカバー(1948)

 これは、第一次中東戦争中の1948年10月、イスラエル支配下の西エルサレムから米セントルイス宛のカバーです。左下のゴム印の日付は12月3日(?)となっており、戦時下ゆえ、米国到着まで2ヶ月を要しているのがわかります。

 第一次大戦後、パレスチナの地は英国の委任統治下に置かれ、エルサレムがその首府となりました。
 
 1947年11月29日、国連でパレスチナ分割決議が採択されると、パレスチナは事実上の内戦に突入し、1948年3月、シオニストたちはテルアヴィヴにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立。新国家樹立に向けての具体的なスタートを切り、英国撤退の軍事的空白を利用して、1948年5月のイスラエル建国に向けて、準備を進めていきました。

 イスラエルの建国宣言を受けて勃発した第1次中東戦争の結果、1949年、エルサレムはイスラエルとヨルダンによって分割され、ユダヤ教・キリスト教・イスラムの三宗教の聖地がある旧市街=東エルサレムはヨルダンの支配下に、新市街の西エルサレムはイスラエルの支配下に入ります。今回ご紹介のカバーは、こうした状況の下、西エルサレムから差し出されたもので、イスラエル切手が貼られ、イスラエルの消印が押されていることから、西エルサレムがイスラエルの支配下に置かれていたことがわかります。

 第一次中東戦争の休戦を受けて、1950年、イスラエル議会はエルサレムを首都と宣言して、テルアヴィヴの首都機能を西エルサレムに移転。米国を含む13カ国が西エルサレムに大使館を設置するなど、国際社会も西エルサレムをイスラエルの首都として事実上認定していました。

 1967年の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を占領して東西エルサレムを再統合し、“統一エルサレム”を“(イスラエルの)不可分の永遠の首都”とします。ただし、岩のドームのある“神殿の丘(ハラム・シャリーフ)”は歴史的にワクフ(イスラムに独特の財産寄進制度)の対象とされていることから、ヨルダン宗教省が引き続きその管理を行い、その域内ではユダヤ教徒とキリスト教徒による宗教儀式は原則禁止という変則的な状況となります。

 さて、第三次中東戦争は、理由はどうあれ、イスラエル側の先制攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども否定的で、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、英国、米国、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決しました。

 ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し続け、1980年には、あらためて「統一エルサレムはイスラエルの永遠の首都である」との決議がイスラエル議会で採択されました。これに対して、1967年までエルサレムに大使館を置いていた各国も、イスラエルの東エルサレム併合に抗議してテルアヴィヴに大使館を移転しています。

 これに対して、パレスチナ側では、1988年11月15日、アルジェで開催されたパレスチナ国民評議会(PNC)で、PLOがテロを放棄し、イスラエルの存在を認めたうえで、東エルサレムを首都とする“パレスチナ国”の独立宣言が採択されています。そして、1994年に発足したパレスチナ自治政府も、“パレスチナ国家”の首都は東エルサレムであるとの主張を掲げています。

 一方、米国の二大政党である民主党と共和党が綱領でエルサレムをイスラエルの首都と認めており、1995年には連邦議会で大使館のエルサレム移転を認める法律も可決されています。ただし、歴代の政権は大使館のエルサレム移転は中東和平実現の障害になるとの観点から、同法の実施を半年ごとに延期するということで問題を先延ばしにしてきました。

 これに対して、昨年(2016年)の大統領選挙で、大使館のエルサレム移転を公約したドナルド・トランプが当選。トランプ大統領は、2017年6月には歴代政権の先例を踏襲して大使館の移転を半年延期しましたが、昨年12月、エルサレムをイスラエルの首都と認める声明を発表し、大使館の移転手続きを開始。その具体的なプランとして、今回、エルサレム・アルノナ地区にある領事館建物内を当面の移転先として、大使館を移すことを発表したというわけです。

 なお、エルサレムとその歴史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

  
★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


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 「私は弾劾する」120年
2018-01-13 Sat 13:50
 フランスの文豪エミール・ゾラが、1893年1月13日付の『オーロール』紙に、ドレフュス裁判の誤りを告発する「私は弾劾する」を掲載してから、きょう(13日)でちょうど120年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・ドレフュス事件

 これは、1994年にイスラエルが発行したドレフュス事件100周年の記念切手で、タブには、ゾラの「私は弾劾する」が掲載された紙面が取り上げられています。

 1871年、普仏戦争に敗れたフランスでは、経済的苦境を背景に、ブーランジェ将軍のクーデター未遂事件が発生するなど、社会的に不安定な状況が続いていました。

 1894年9月、陸軍情報部がパリのドイツ駐在武官邸から軍内に対独通牒者がいることを示すメモを入手。筆跡が似ていることを理由に、物証がないまま、参謀本部付のユダヤ人砲兵大尉、アルフレド・ドレフュスが逮捕されました。

 これに対して、反ユダヤ系の「自由言論」紙が事件をスクープし、「軍部は祖国を裏切る売国奴、ユダヤ人をかばっている」と糾弾。世論の批判を恐れた軍首脳部は、証拠もなく、ドレフュスが無罪を主張したにもかかわらず、非公開の軍法会議で有罪判決を下し、ドレフュスの軍籍を剥奪し(切手にはドレフュスが軍刀を奪われ、へし折られる場面が取り上げられています)、仏領ギアナ沖のディアブル島に終身禁錮としました。

 ところが、判決確定後の1896年、情報部長に着任したピカール中佐により、ドレフュスではなく、ハンガリー生まれのフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ少佐こそがドイツに通じていることをが発覚。ピカールは直ちに参謀総長に報告しました。

 ところが、軍上層部は、参謀次長がピカールに「終わったことだ、忘れるように」と諭しただけでなく、軍の権威失墜を恐れてもみ消しを図り、ピカールをテュニジアに左遷。エステルアジに対しては、形式的な裁判で無罪判決を出して釈放しました。ちなみに、エステルアジはその後、英国に逃亡し、そこで平穏な生涯を終えることになります。

 エステルアジの無罪判決に憤ったゾラは、1898年1月13日付の『オーロール』紙に「私は糾弾する」と題する公開質問状を掲載。以後、事態はドレフュス個人の事件から、自由と民主主義・共和制擁護か否かの政治闘争化し、1906年、ようやく、ドレフュスは無罪判決を勝ち取りました。

 なお、ドレフュス事件以前のテオドール・ヘルツルは、ユダヤ人はドイツ社会・文化と積極的に同化すべしとの立場でしたが、ジャーナリストとしての取材経験から、西欧では最もユダヤ人の権利が保障されていると見られていたフランスで事件が起きたことに衝撃を受け、以後、ユダヤ人の失われた祖国“イスラエル”を取り戻すシオニズム運動を主導するようになりました。

 そのシオニズムが1948年のイスラエル建国につながっていくプロセスについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

 1月11日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第14回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、2月8日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、1月11日放送分につきましては、1月18日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 米、エルサレムを首都と認定
2017-12-07 Thu 19:00
 トランプ米大統領は、きのう(6日)、ホワイトハウスで声明を発表し、エルサレムをイスラエルの首都と認め、テルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移転する手続きを始めるように指示したことを正式に表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・首都エルサレム50年

 これは、1999年にイスラエルが発行した“首都エルサレム50年”の記念切手で、エルサレムの風景画を数多く残した画家、ルドウィック・ブルームの作品が取り上げられています。

 第一次大戦後、パレスチナの地は英国の委任統治下に置かれ、エルサレムがその首府となりました。
 
 1947年11月29日、国連でパレスチナ分割決議が採択されると、パレスチナは事実上の内戦に突入し、1948年3月、シオニストたちはテルアヴィヴにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府“ユダヤ国民評議会”を樹立。新国家樹立に向けての具体的なスタートを切り、英国撤退の軍事的空白を利用して、1948年5月のイスラエル建国に向けて、準備を進めていきました。

 イスラエルの建国宣言を受けて勃発した第1次中東戦争の結果、1949年、エルサレムはイスラエルとヨルダンによって分割され、ユダヤ教・キリスト教・イスラムの三宗教の聖地がある旧市街=東エルサレムはヨルダンの支配下に、新市街の西エルサレムはイスラエルの支配下に入ります。今回ご紹介の切手は、ここから起算して50年になるのを記念して発行されたものです。なお、1950年には、イスラエル議会はエルサレムを首都と宣言して、テルアヴィヴの首都機能を西エルサレムに移転。13カ国が西エルサレムに大使館を設置するなど、国際社会もこれを認めていました。

 1967年の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を占領して東西エルサレムを再統合し、“統一エルサレム”を“(イスラエルの)不可分の永遠の首都”とします。ただし、岩のドームのある“神殿の丘(ハラム・シャリーフ)”は歴史的にワクフ(イスラムに独特の財産寄進制度)の対象とされていることから、ヨルダン宗教省が引き続きその管理を行い、その域内ではユダヤ教徒とキリスト教徒による宗教儀式は原則禁止という変則的な状況となります。

 さて、第三次中東戦争は、理由はどうあれ、イスラエル側の先制攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども否定的で、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、英国、米国、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決しました。

 ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し続け、1980年には、あらためて「統一エルサレムはイスラエルの永遠の首都である」との決議がイスラエル議会で採択されました。これに対して、1967年までエルサレムに大使館を置いていた各国も、イスラエルの東エルサレム併合に抗議してテルアヴィヴに大使館を移転しています。

 これに対して、パレスチナ側では、1988年11月15日、アルジェで開催されたパレスチナ国民評議会(PNC)で、PLOがテロを放棄し、イスラエルの存在を認めたうえで、東エルサレムを首都とする“パレスチナ国”の独立宣言が採択されています。そして、1994年に発足したパレスチナ自治政府も、“パレスチナ国家”の首都は東エルサレムであるとの主張を掲げています。

 一方、米国の二大政党である民主党と共和党が綱領でエルサレムをイスラエルの首都と認めており、1995年には連邦議会で大使館のエルサレム移転を認める法律も可決されています。ただし、歴代の政権は大使館のエルサレム移転は中東和平実現の障害になるとの観点から、同法の実施を半年ごとに延期するということで問題を先延ばしにしてきました。

 これに対して、昨年(2016年)の大統領選挙で、大使館のエルサレム移転を公約したドナルド・トランプが当選。トランプ大統領は、2017年6月には歴代政権の先例を踏襲して大使館の移転を半年延期しましたが、今回、公約通り、大使館の移転手続きを開始したというわけです。

 なお、エルサレムとその歴史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は14日!★★

 12月14日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第12回が放送予定です。今回は、12月16日から公開予定の映画『ヒトラーに屈しなかった国王』にちなんで、第二次大戦中のノルウェーについてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 イスラエル・ワイン
2017-11-16 Thu 08:53
 きょう(16日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、毎年恒例、ワイン関連の切手の中から、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』にちなんで、この1枚です。

      イスラエル・申命記(1993)

 これは、1993年8月22日にイスラエルで発行された“年賀切手”の1枚で、ワインを意味するブドウが描かれています。タブには、ワイン絞りの道具と、『申命記』第11章14節の「主は(あなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、)穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ」との文言が入っています。

  ワインは『旧約聖書』のノアやモーセの物語にも登場しますが、実際、パレスチナの地域では紀元前2000年頃にワインが製造されていたことを示す遺跡が発見されています。ローマ帝国の時代には、パレスチナ産のワインは人気が高く、帝国各地に輸出されていましたが、7世紀に入り、パレスチナがムスリム(イスラム教徒)の支配下に入ると、キリスト教徒やユダヤ教徒が儀式のために使う少数の例外を除き、ワインの製造も禁止されてしまいました。

 ちなみに、近代以前、パレスチナのユダヤ人がワイン製造に際して使っていた圧搾施設は、今回ご紹介の切手のタブに見られるように、石造りのプールのような場所にワインを入れて足で踏みつぶし、プールの底にあけた穴に溜まった果汁を集めるというものでした。

 さて、パレスチナの地でワインの生産が再開されるのは1848年のことで、同年、この地で最初の近代的ワイナリーが開業します。その後、ロスチャイルド家のエドモンドが1882年にワイナリーを創設し、南仏の品種を導入して、ユダヤ教徒によるワイン製造を積極的に支援しました。ただし、当時のパレスチナ・ワインは、ユダヤ教の儀式に使用される甘口赤ワインが中心で、品質はあまり高くはありませんでした。

 しかし、第一次大戦後、パレスチナは英国の委任統治領となり、さらに、1933年以降、ナチスの迫害を逃れたユダヤ系難民がヨーロッパから大挙してパレスチナに移住したことで、パレスチナのユダヤ教徒の間でも、儀式用の甘いワインではなく、辛口ワインへの需要が高まりました。この傾向は、1948年のイスラエル建国後、さらに加速されましたが、1970年代半ばまでは中東戦争が相次いだこともあり、イスラエル国内ではなかなかワイン生産が広がりませんでした。

 その後、1976年、ゴラン高原で葡萄の植樹が行われ、1980年代以降、カリフォルニアを中心に、フランス、オーストラリアなどのから技術移転により、イスラエル・ワインの品質は飛躍的に向上することになりました。中でも特筆すべきは、1983年に創業のゴラン・ハイツ・ワイナリーで、同社が1984年にリリースしたヤルデンとガムラのヴィンテージはイスラエル・ワインとして初めて国際的な評価を得ただけでなく、2011年にはワインのオリンピックともいわれる“ヴィニタリー2011”で最優秀賞を受賞するなど、名実ともに、イスラエルを代表するワイナリーとして知られています。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 バルフォア宣言100年
2017-11-02 Thu 09:04
 1917年11月2日、アーサー・バルフォア英外相名義で、英国が大戦後にパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを認めた“バルフォア宣言”が発せられてから、きょう(2日)でちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・バルフォア宣言50年

 これは、1967年にイスラエルが発行した“バルフォア宣言50年”の記念切手のうち、バルフォア外相の肖像を取り上げた40アゴロット切手です。タブの部分には、エレミヤ書第31章17の一節「あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると主は言われる。」との文言が印刷されています。

 第一次大戦中、ロンドンではシオニズム(世界各地に離散したユダヤ人が“民族的郷土”であるシオンの丘=エルサレムに結集し、ユダヤ人国家を再建しようという政治的主張)の運動を展開していたシオニストたちが英国政府の支援を取り付けるべく工作を展開していました。

 そうしたなかで、シオニスト評議会の議長で、英海軍省の技術顧問だったハイム・ヴァイツマンは、第一次大戦の勃発後、英国に協力し、自らが開発したバクテリア発酵法(無煙火薬の原料となるアセトンをデンプンから合成する技術)の工業化に成功。この結果、年間3万トンのアセトンが英国軍に供給されることになり、その功績から、英政府・軍とのコネクション築きました。

 ヴァイツマンは、そうした人脈を最大限に活用し、アーサー・バルフォア外相から、ユダヤ系貴族院議員ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド男爵宛の書簡というかたちで、「英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に民族的郷土を樹立することを好意的に見ており、その目的の達成のために最大限の努力をいたします。ただし、すでにパレスチナに在住している非ユダヤ人の市民権、宗教的権利、及び他の諸国に住むユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位が、これによって害されるものではないことは明確に了解されます」との表明させることに成功しました。

 これがバルフォア宣言です。

 しかし、この時点で、英国はアラブに対して、英国とともにオスマン帝国と戦えば、大戦後、中東地域にアラブの独立国を樹立することを約束していた(フサイン・マクマホン書簡。ただし英国はアラブに対して“独立国”の範囲を明確にしていません)ほか、フランスとは、東地中海のアラブ地域の分割案であるサイクス・ピコ協定をまとめていました。

 こうした中で、1917年11月7日、ロシア10月革命が発生すると、社会主義政権の外相に就任したレフ・トロツキーは旧政権の悪事を暴くとして、サイクス・ピコ協定の内容を暴露。この結果、バルフォア宣言と併せて、中東における英国の“三枚舌外交”が明らかになり、国際世論は騒然となります。

 そこで、釈明を求められたバルフォアは、

 ①メソポタミアは英国の自由裁量(保護国としてのアラブ国家イラク誕生)
 ②レバノンは“純粋なアラブの地”ではなく、フランスの植民地
 ③シリアはフランスの保護下でアラブ人国家となる。ただし、ダマスカス周辺については、“純粋なアラブの地”なのかフランスの勢力圏なのかは不明確
 ④パレスチナは“純粋なアラブの地”の範囲外で、サイクス・ピコ協定で定めた“共同統治”とユダヤ人居住地を意味する“民族的郷土”は矛盾しない、

 とする議会答弁を行い、フサイン・マクマホン書簡、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言の三者は矛盾しないと主張しました。

 これに対して、アラブ側は英国に対して強い不信感を抱きましたが、戦時下においてはともかくもオスマン帝国に対する勝利を優先し、英国と行動を共にしました。しかし、当然のことながら、大戦後、それらの矛盾が噴出。英国によるパレスチナの委任統治が始まると、バルフォア宣言に基づいてパレスチナへの移住を求めるシオニストと、それを拒否するアラブ、そして両者の間で右往左往する英国という3者により、パレスチナは混乱の渦に巻き込まれていくことになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 世界切手展<WSC Israel 2018>のご案内
2017-09-28 Thu 17:40
      イスラエル・郵趣の日(1991)

 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりましたので、本ブログにて、同展の特別規則のうち、出品に関する事項を抜粋し、その概要をお知らせいたします。

 今回の切手展は、伝統・郵便史に限定した専門展で、一般出品の出品料は1フレームあたり80米ドルです。また、通常のFIP切手展のチャンピオンクラスではなく、過去にFIP切手展で金賞・大金賞を受賞した作品を対象としたワールド・スタンプ・チャンピオンシップ(WSC)のクラスが設けられています。

 なお、正式な規則の文言ならびに出品に必要な書類の用紙は、一般社団法人全日本郵趣連合のウェブサイト左側の「国際切手展情報」に掲載のPDFファイルをクリックしてご利用ください。また、同展のウェブサイトでは、随時、情報がアップされていますので、ご興味をお持ちの方は適宜チェックしてみてください。なお、印刷・製本された状態のブルテン等はこの記事をアップした時点では制作されていません。

 出品をご希望の方は、同展の特別規則をご理解いただいたうえで、指定の書類に必要事項を記入し、2017年11月10日までに、内藤宛にお申し込みください。

 以下、世界切手展<WSC Israel 2018>特別規則の概要です

1.会期 2018年5月27 日 –31日(5日間)

2.会場 International Convention Center, Jerusalem

3.パトロネージ、運用される諸規則
 WSC Israel 2018はFIPパトロネージの “Specialised World Stamp” Exhibition(専門世界切手展)に相当します。
次の規則が適用されます。
- The General Regulations of the FIP for Exhibitions (GREX)
- The General Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (GREV)
- The Special Regulations of the FIP for the Evaluation of Competitive Exhibits at FIP Exhibitions (SREVs)
- Individual Regulations of WSC Israel 2018 (IREX) (GREX Article 3.10)

4.参加資格
 クラス4の現代郵趣とクラス5の文献を除き、競争出品は国内展で、少なくとも金銀賞を受賞していること。

5.出品クラス:
 競争出品
― Class 1:ワールド・スタンプ・チャンピオンシップ
 伝統郵趣もしくは郵便史の作品で以下の資格に該当するコレクション
 A)FIP展で金賞または大金賞を受賞した作品
 B)FIP展でグランプリを受賞した作品
 通常のFIP展のチャンピオンクラスと異なり、受賞期間の制限はありません
― Class 2:伝統郵趣
 A)ホリー・ランドおよびイスラエル
*ホリー・ランドは地域概念としてのパレスチナのこと。
 B)ヨーロッパ
 C) アジア、オセアニア、アフリカ
 D) アメリカ大陸
― Class 3:郵便史
 A)ホリー・ランドおよびイスラエル
 B)ヨーロッパ
 C) アジア、オセアニア、アフリカ
 D) アメリカ大陸
― Class 4:現代郵趣(1980年以降)
 A)伝統郵趣
 B)郵便史
* 国内展での受賞歴に関わらず、コミッショナーの推薦があれば出品できます。また、他部門への出品と重複しての出品も可能です。
― Class 5:文献
 A) 2013年1月1日以降に出版された書籍、パンフレット、研究書
 B) 2016年1月1日以降発行の雑誌、定期刊行物
 C) 2016年1月1日以降に出版されたカタログ
 通常の出品申込書に加え、文献用の情報フォームを記入すること。

6.審査と賞
 競争クラスの出品物はFIP審査員によりGREV、SREVsに従い審査されます。

7.リーフのサイズとフレームの割当数
・フレームの大きさは97cm×120cmになる予定です。1フレームは原則16リーフ構成で1リーフの大きさは23cm×29cm以内としてください。サイズの大きなリーフの場合、一部を重ねて展示することがあります。
・黒色ないしは濃色のリーフは受け付けません。
・ワールド・スタンプ・チャンピオンシップは8フレーム。それ以外は、GREXに従ってください。

8.出品申込と結果の通知
 出品申込に際しては、所定の書式(全日本郵趣連合のホームページもしくは展覧会のウェブサイトでダウンロードできます)に必要事項を記載の上、作品の内容を説明するページ(タイトルないしはプランのリーフ。英文)のコピーを添えてコミッショナー宛にお送りください。郵送だけではなく、電子メールでのご送付も受け付けます。なお、連絡先は文末に記載しております。

 *以前の出品作品のタイトルを変更して出品する場合は、必ず、以前のタイトルを出品申込書に記載してください。

 現地組織委員会への提出期限が2017年11月15日ですので、国内の受付〆切は11月10日(コミッショナー必着)とします。(10月下旬~11月初はブラジリア展へコミッショナーとして参加しているため、11月6日以降に到着するようにお送りいただけると助かります)ご出品の可否は、2018年1月15日までにコミッショナーに告知されることになっています。

9.出品料 1フレームにつき80米ドル。(出品の可否が決まった後、ご請求いたします。なお、2月15日までに組織委員会に送金するよう指示されています)

10.作品の搬入と返却
作品搬入は2018年5月25日までにコミッショナーが行うことになっております。したがって、コミッショナーと同行の上、ご本人が作品を搬入される場合を除き、コミッショナーが作品をお預かりすることになりますが、その場合は、別途、指定の条件をご承諾いただくことが前提となります。そのほか、なお、コミッショナーとの作品の受け渡しに関する詳細等については、内藤までお問い合わせください。
文献出品は2018年2月15日までに各タイトルにつき2部ずつ、下記宛に送付してください。
Israel Philatelic Federation, POB 3301, Tel Aviv 6103201, Israel.
 *価格が75米ドル以上の文献については、約20%のVATが課税されます。その場合、組織委員会がいったん立替払いを行い、後日、コミッショナーにその金額が請求されることになっております。ご出品者には、コミッショナーに請求された金額をお支払いいただきます。(お支払いの時期・方法等は、別途、ご相談させてください)
・〆切を過ぎて到着した作品は審査の対象外となります。作品未着の場合、出品料は返金されません。
・出品物は取り外し可能な保護カバーをつけ、各リーフの表面左下に展示順の番号を記してください。また、出品物は組織委員会の支給する指定の封筒に入れて搬入してください。

11.日本コミッショナー連絡先
 内藤陽介(ないとう・ようすけ)
 ご連絡は本ブログ右側、プロフィール下のメールフォームをご利用ください。

 ちなみに、本日の記事の冒頭に掲げた切手は、1991年にイスラエルで発行された“郵趣の日”の切手で、イスラエル最初の切手の初日印オンピースが取り上げられています。タブにFIPならびに今回の切手展の主催者の一団体、イスラエル郵趣連合のロゴが入っているので、持ってきてみました。

 1人でも多くの皆様のお申込み・お問い合わせを心よりお待ちしております。

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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