内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ユダヤ新年
2017-09-21 Thu 07:09
 きのう(20日)の日没をもって、ユダヤ暦5778年の“ローシュ・ハッシャーナー”(新年。直訳すると“年の頭”の意)となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・年賀(2001・軍人)

 これは、2001年9月3日に発行された“年賀切手”の1枚です。2001年のイスラエルの年賀切手は、ハイム・シュタイヤーの年賀絵葉書コレクションから題材を選んで6種セットで発行されました。今回ご紹介の切手の元になった年賀絵葉書は、鳩とオリーヴに兵士を組み合わせることで“平和と安全”を表現しているとのことですが、タブに“Happy New Year”となければ、年賀切手とはわかりづらいかもしれません。

 古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦と秋から1年が始まる政治暦が併存していました。政治暦は旧約聖書・レビ記23章24節に「第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい」とあるのを根拠として、宗教暦の7月1日から始まります。ただし、ユダヤ暦は太陰暦ですので、毎年、新年の日付は異なります。また、ユダヤ暦の紀元は、ユダヤ教において神が世界を創世した日を西暦に換算したとして、紀元前3761年10月7日とされています。

 さて、第一次大戦以前から、パレスチナに移住したユダヤ系移民は自分たちの定住地で自警団を組織していました。英国によるパレスチナ統治が始まると、ユダヤ系移民の急増に反発するアラブの暴動が発生したため、1920年6月、各地の自警団を統括する民兵組織として“ハガナー”が結成され、英軍による指導・訓練を受けました。また、第二次世界大戦中の1944年5月には、ナチスに対抗するために、英陸軍内にユダヤ旅団が編成され、5000人以上のユダヤ人志願兵が軍事訓練を受け、イタリア戦線に投入されました。

 1948年5月14日、英国によるパレスチナの委任統治が終了し、イスラエルが独立宣言を行うと、これを認めない周辺アラブ諸国がイスラエルに対して宣戦を布告し、第一次中東戦争が勃発します。しかし、この時点では、新生イスラエル国家には正規の国軍は存在しなかったため、5月26日付で臨時政府政令4号が発せられ、国防大臣の下にユダヤ人各武装勢力が集結・統合されることになりました。その結果、最大武装勢力であったハガナー(パルマッハ含む)を基盤に指揮系統等が再編され、5月31日以降、イスラエル国防軍として本格的に活動を開始します。

 第一次中東戦争後は、地下組織だったエツェルおよびレヒも国防軍に参加。以後、イスラエル国防軍はアラブ諸国との戦争をとおして近代化と効率化を進め、世界で最も練度の高い軍隊の一つに成長しました。

 なお、イスラエル建国後のイスラエル国防軍が周辺アラブ諸国・組織とどのように戦ってきたかについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★★ 

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 第1回シオニスト会議から120年
2017-08-29 Tue 10:11
 スイスのバーゼルで、1897年8月29日に第1回シオニスト会議が開催されてから、ちょうど120周年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・シオニスト会議100年

 これは、1996年9月3日にイスラエルが発行した“第1回シオニスト会議100周年”の切手シートで、会議の会場となったバーゼルのコンサート・ホール“シュタットカジノ”が取り上げられています。第1回シオニスト会議は1897年8月29-31日の3日間で、シート上の表示も“1897-1997”となっているのですが、シートそのものは1996年の発行ですので、注意が必要です。

 さて、近代以前のヨーロッパでは、ユダヤ人・ユダヤ教徒(以下、便宜的に“ユダヤ人”と総称)は、キリスト教徒からさまざまな差別と圧迫を受けてきた一方で、一部は金融や医術などに長じた存在として、権力者の個人的な庇護をうけるという特殊な存在でした。

 1789年のフランス革命後、フランスでは“国民国家”の理念の下、ユダヤ人にも“フランス国民”として制度上はキリスト教徒と同等の権利・義務が与えられました。19世紀以降、国民国家の理念が他の西欧諸国にも拡散していくと、ユダヤ人社会は、積極的に西欧社会に同化しようとするグループと、西洋化によりユダヤ人としての伝統的な信仰や習慣が毀損されることに反発し、ユダヤ人の独自性を強調するグループに事実上分裂します。

 1860年代、ドイツ系ユダヤ人の社会主義者、モーゼス(ドイツ名モリッツ)・ヘスは、「ヨーロッパ社会でユダヤ人が同化できる可能性は全くなく、ユダヤ人は自分の民族性を否定することによって他の民族の軽蔑を招いている。ユダヤ人はパレスチナに自分たちの国家を持つべきである」と主張し、“政治的シオニズム”を提唱します。ここから派生するかたちで、“宗教的シオニズム(信仰の崩壊や周囲への同化から、ユダヤ民族の統一を守ろうとし、ユダヤ人が自らイスラエルヘの帰還を準備するとき、神の助けが期待されるとする主張。パレスチナの植民地化を要求するものの、時期尚早の国家建設は、神への冒涜と批判)”、“文化的シオニズム(ユダヤ国家の建設は当面は不可能なので、2-3の入植地に集中して移住するのがよいとする主張。パレスチナはユダヤ民族全体の精神的拠点と位置付け、東欧ユダヤ人の文化的独自性を強調し、その再生復活を重視)”等、シオニズム諸派が生まれました。

 こうしたなかで、19世紀後半にはロシア帝国の支配下でポグロム(流血を伴うユダヤ人迫害事件)が繰り返されていたことに加え、1894年にフランスで、ユダヤ系将校のアルフレッド・ドレフュスがドイツのスパイであるとして冤罪逮捕・投獄された“ドレフュス事件”が発生。最終的に、ドレフュスは無罪となりましたが、ユダヤ人に対して最も寛容とみられていたフランスで事件が起きたことに多くのユダヤ人社会に大きな衝撃を与えます。

 ジャーナリストとしてドレフュス事件を取材していたユダヤ系オーストリア人、テオドール・ヘルツルは、もともとはユダヤ人の西洋化に積極的な人物でしたが、事件を機に失われた祖国“イスラエル”を取り戻す政治的シオニズム運動の活動家に転身。1896年、ユダヤ人国家像と国家建設の詳細なプログラムを記した『ユダヤ人国家』を出版しました。

 そして、翌1897年、スイスのバーゼルに各国から200人を集めて第1回シオニスト会議を開催。ヘルツル本人は、ユダヤ人国家の建設地としては、必ずしも聖地エルサレムがあるパレスチナにこだわらず、アルゼンチンやウガンダも候補地として挙げていましたが、最終的に、①シオニズムはユダヤ民族のためにパレスチナの地に公法で認められた郷土(ホームランド)を建設することを目的とする、②その実現のための組織としてシオニスト機構(現・世界シオニスト機構)を創設することなどを謳った「バーゼル綱領」を採択。その目標を達成するため、“世界シオニスト機”が創設されました。

 当初、シオニストは、パレスチナの主権者であるオスマン帝国のスルターン、アブデュルハミト2世から許可を得てパレスチナへ入植することを計画していましたが、オスマン帝国側の反応が芳しくなかったため、小規模移住による“ホームランド”の形成に方針を転換。1901年に創設されたユダヤ民族基金創設、1903年にナサニエル・ロスチャイルドの資金援助で設立されたアングロ・パレスチナ銀行創設が土地買収のための資金を提供するというかたちで、入植が進められることになりました。

 さて、ことし(2017年)は、第1回シオニスト会議の開催(1897年)から120年、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、『本のメルマガ』の連載「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


 ★★★ NHK・BSプレミアム 「アーススキャナー」  ★★★ 

 8月30日(水)21:00-22:30 NHK・BSプレミアムで放送予定の「アーススキャナー~“空白地帯”の謎に迫る~」で、シーランド公国の切手について、内藤が少しお話しますので、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 8月24日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第7回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、9月7日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、24日放送分につきましては、8月31日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 山の日
2017-08-11 Fri 11:04
 きょう(11日)は“山の日”です。というわけで、山に関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・エルサレムへの道(1949)

 これは、1949年にイスラエルが発行した普通切手のうち、“エルサレムへの道”をデザイン化した1枚で、城壁とダヴィデの塔を見上げる山道が描かれています。切手の下部にはイザヤ書52章9節の「主は(その民を慰め)エルサレムを贖われた」の文言が入っています。今回は、切手下のタブに同49章11節の「わたしはすべての山に道をひらき」の文言と山の絵が入っていますので、“山の日”ネタの1枚として持ってきました。

 ダヴィデ王の時代以前のエルサレムの集落は現在の城壁の南東部の斜面にありました。ちなみに、切手に描かれた“ダヴィデの塔”は、エルサレム旧市街の西側、ヤッファ門の近くに位置しており、ダヴィデ王が建立したとの伝承により、東ローマ帝国時代に“ダヴィデの塔”の名称が定着しました。ただし、歴史的事実としては、紀元前20年にヘロデ王がエルサレム防衛のために建設した要塞がその起源で、その後の増改築を経て、オスマン帝国のスレイマーン1世の治世下で現在の姿となりました。現在では、『旧約聖書』に登場するカナンの時代からイスラエル建国までの歴史を紹介する博物館として公開されています。

 ちなみに、歴代誌によれば、ダヴィデ王の子、ソロモン王の時代、“エルサレムのモリヤ山上”に神殿が建設されました。これは、今回ご紹介の切手にあるダヴィデの塔の付近から北側に向かって斜面を上りきった頂上を指しているとされ、現在の“神殿の丘/ハラム・シャリーフ”の起源となりました。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、現在、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 
  

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 トルキスタン総督府150年
2017-07-11 Tue 22:58
 1867年7月11日、ロシアによる中央アジア支配の拠点として、タシュケントにトルキスタン総督府が設置されて、今日でちょうど150年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブハラ・ユダヤ人(19世紀後半)

 これは、2015年にイスラエルが発行した“ユダヤ・コミュニティの宝石”の切手のうち、19世紀後半、トルキスタン総督府支配下のブハラ・ユダヤ人の結婚式の新婦の髪飾りを取り上げた1枚で、タブには、当時の新郎新婦の写真が取り上げられています。

 現在、ウズベキスタンをはじめとする中央アジア諸国では人口の9割以上をムスリムが占めていますが、かつては、相当数のユダヤ人が住んでいました。

 歴史的にみると、中央アジアで比較的大きなユダヤ人コミュニティが存在していたのは、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドなど、現在のウズベキスタン領内の諸都市が中心でしたが、その居住地域は、現在の国名でいうと、ロシアやカザフスタン、アフガニスタン、トルクメニスタン、パキスタン、キルギス等にまで広がっていました。

 こうした中央アジアのユダヤ人は、ロシア人やアシュケナジーム(イディッシュ語を話すドイツ系ユダヤ人)から“ブハラ・アミール国(現在のウズベキスタンの前身の一つ)のユダヤ人”という意味で“ブハラ・ユダヤ人”と呼ばれていました。また、ブハラ、サマルカンド、タシュケント、コーカンドの各都市は、いずれも、シルクロードのオアシス都市として繁栄していたことから、イランやアフガニスタンなどから中央アジアへ移住するユダヤ人もあり、外部からは、彼らも一括してブハラ・ユダヤ人とされていました。

 ブハラ・ユダヤ人の多くは、自らを“ユダヤの失われた10支族(『旧約聖書』に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族)”のうち、紀元前6世紀のバビロン捕囚からの解放以後、カナンの地に戻らなかった支族の子孫であると主張しています。この伝承が歴史的事実であるかどうかはともかく、彼らが、中央アジアでも最も古い宗教・エスニック集団の一つとして独自の文化を育んできたことは間違いありません。

 ブハラ・ユダヤ人は、ヘブライ文字を使うタジク・ペルシャ語(通常のペルシャ語はアラビア文字を使います)を母語としていたため、周辺のムスリム系諸民族とも容易にコミュニケーションをとることができました。ただし、都市部においては、ブハラ・ユダヤ人は、ムスリムとは混在せず、シナゴーグを中心としたユダヤ人のみの居住区を作り、商業や手工業等に従事するというのが近代以前の一般的な姿でした。

 19世紀中盤以降、中央アジアへの本格的な進出を始めた帝政ロシアは、ブハラ・ユダヤ人を積極的に活用し、ユダヤ人の側もロシアとの交易拡大を期待してロシア人の進出を歓迎。この結果、1867年にトルキスタン総督府が設置され、ブハラ・アミール国が帝政ロシアによって保護国化されると、ロシアと結んで巨額の利益を得るユダヤ商人が数多く登場します。今回ご紹介の切手に取り上げられたブハラ・ユダヤ人の宝飾も、そうした彼らの財力を反映したものでした。

 19世紀末になり、シオニズムが登場すると、ブハラ・ユダヤ人の中にも、それに共鳴してエルサレムに移住する者が現れます。彼らの中には富裕な商人も少なくなかったため、1898年には、その財力を背景にエルサレム旧市街の城壁外にブハラ・ユダヤ人の居住区も建設されました。

 エルサレム在住のブハラ・ユダヤ人の人口は第一次大戦までに1500人にまで拡大したが、1917年のロシア革命で社会主義政権が誕生すると、ソ連(1922年末成立)領内からユダヤ人の出国は大きく制限され、ブハラ・ユダヤ人のパレスチナへの移住も途絶しました。

 さらに、ソ連の支配下で成立したウズベク・ソヴィエト社会主義共和国の支配下では、従来からのブハラ・ユダヤ人に加え、東欧など、他の地域から労働者や官僚、軍人などとしてウズベキスタンの地に移住するユダヤ人(その大半はアシュケナジーム)も増加したため、現在のウズベキスタン国家においては、ふたつの異なるユダヤ人コミュニティが併存するようになります。また、ソ連の教育により、彼らの間にロシア語が急速に普及していきました。

 1967年に第3次中東戦争が勃発した時点で、イスラエル在住のブハラ・ユダヤ人は約2万人でしたが、その後、ソ連は国内のユダヤ人の出国制限を緩和し、1980年代初頭までに約3万人が移住。さらに、1985年にペレストロイカが始まると、ブハラ・ユダヤ人の国外出国には拍車がかかり、1991年末のソ連崩壊を経て、1992年までに約4万人がイスラエル、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどに移住していきました。現在、ウズベキスタン国内のブハラ・ユダヤ人は、タシュケントを中心に、5000人以下にまで減少しています。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 第三次中東戦争勃発50年
2017-06-05 Mon 12:10
 1967年6月5日に第3次中東戦争が勃発してから、今日(5日)でちょうど50周年です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・再統一50年

 これは、今年(2017年)4月4日にイスラエルが発行した“再統一50年”の記念シートです。ここでいう“再統一”とは、第三次中東戦争の結果、それまでヨルダン領だった東エルサレムをイスラエルが占領し、戦前からのイスラエル領だった西エルサレムと統合したことを意味しています。ちなみに、イスラエルでは“(エルサレム)再統一”の記念日(ヨム・イェルシャライム:エルサレム記念日)は、毎年、ユダヤ暦イヤール月(第8月)28日に祝うことになっているため、一般的なグレゴリオ暦では毎年、日付が異なっており、今年は5月25日がその祝日にあたっていました。

 1956年の第二次中東戦争(スエズ動乱)は、英仏の侵攻に屈せず耐え抜いたという点で、エジプトは政治的に勝利を収め、ナセルの権威は絶頂に達したものの、純粋に軍事的な見地から見ると、英仏との密約によりエジプト領内に侵攻したイスラエル軍は、いともたやすくシナイ半島を横断してスエズ運河地帯まで進軍し、エジプト軍はそれを阻止することができず、惨敗に等しい状況でした。

 このため、イスラエルとの全面戦争になればエジプトには勝ち目はないことをナセルも思い知り、イスラエル打倒の勇ましいスローガンとは裏腹に、本音では、イスラエルとの戦争を回避しなければならないと考えるようになりました。そこで、ナセルは、対イスラエル闘争の統一司令部として“パレスチナ解放機構(PLO)”を作り、その傘下にパレスチナ人の武装組織を組み込むことで、強硬派の暴走を抑え、イスラエルを決して本気で怒らせない(=全面戦争には突入しない)程度に“抵抗運動”を継続して、パレスチナ解放の大義は維持した体裁をとりながら、アラブ世論のガス抜きをするという戦略を立てます。

 ところが、現実には、パレスチナ人武装勢力の中には、ナセルの微温的な姿勢を拒否して、PLOには参加せず、イスラエル領内での武装闘争をエスカレートさせるものも少なくなくありませでした。その代表的な存在が、ヤーセル・アラファート(以下、アラファト)ひきいるファタハです。

 1957年に創設され、反イスラエルの武装闘争(イスラエル側から見ればテロ活動)を展開していたファタハは、武装闘争/テロ活動をエスカレートさせてイスラエルの報復攻撃を引き出せば、アラブ諸国も対イスラエル全面戦争に参加せざるを得なくなると考えており、ソ連、東欧はもとより、中国を含む反西側諸国から武器を調達し、シリアの庇護下で戦闘能力を強化していました。

 一方、イスラエルの政府と国民にしてみれば、PLO傘下の団体であろうとなかろうと、国内の治安を乱すテロリストは駆逐すべき存在ですから、その討伐を求める世論が高揚。イスラエル=シリア国境では緊張感が高まっていきました。

 こうした中で、1967年4月、シリア、イスラエル両国の空軍が空中戦を展開し、シリアのミグ戦闘機6機が撃墜される事件が発生。これを機に、軍事的緊張は一挙に高まり、“アラブ世界の盟主”ナセルにイスラエルへの実力行使を求めるアラブ諸国の世論が沸騰します。

 当初、ナセルは慎重姿勢を保っていましたが、同年5月14日、アラブ諸国からの要請を拒否しきれずに、シナイ半島に兵力を進駐させ、第二次中東戦争の終結以来駐留を続けていた国連緊急軍に撤兵を要求。同月22日、チラン海峡(紅海につながるアカバ湾の出口)を封鎖しました。

 アラブ諸国はナセルの決断を歓迎し、5月30日にはヨルダンとエジプトとの間で相互防衛条約が調印されたほか、エジプトとシリア、ヨルダンの間では軍事同盟が結成された。さらに、イラク、クウェート、スーダン、アルジェリアの各国も有事の際の派兵を約束。イスラエルは周囲を完全に包囲されます。

 このため、イスラエルはアラブ諸国軍に対する戦闘準備を急ぎ、先制攻撃を計画。当初、米国はイスラエルの先制攻撃に反対し、問題の政治的解決を求めましたが、最終的には、和平解決のための具体的行動をとる用意がないことをイスラエルに通告します。これを受けて、6月5日、イスラエルはアラブ諸国軍に対する先制攻撃を開始しました。

 こうして、いわゆる第三次中東戦争の勃発します。

 戦争の勝敗は、開戦後まもなく、イスラエル空軍が、エジプト、ヨルダン、シリア、イラク各国の空軍基地を壊滅状態に追い込んだことによって、早々に決せられました。イスラエル軍は早くも6月7日には東エルサレムを占領し、同月10日にはゴラン高原のシリア軍が潰滅。この間、6月8日には国連安保理の勧告を受けて、エジプトが無条件停戦に応じ、シリアも10日には停戦に応じました。このため、イスラエル側は、この戦争を誇らしげに“6日戦争”と呼んでいます。

 第三次中東戦争の結果、イスラエルの占領地は一挙に戦前の3倍に拡大します。しかし、理由はどうあれ、戦争がイスラエル側の先制攻撃ではじまったことから、イスラエルによる占領地拡大の正統性については、アラブ諸国はもとより、社会主義諸国や中立諸国なども否定的で、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決。ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し、現在でも、東西エルサレムはイスラエルの“不可分の永遠の首都”であるというのが彼らの主張です。

 ちなみに、今回ご紹介の切手では、シートは中央のタブを挟んで左右に1枚ずつ切手が収められていますが、エルサレムを象徴するものとして左側の切手にはヘブライ大学の時計塔を、右側の切手には嘆きの壁を、それぞれ取り上げています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。
 
 
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 米大統領“嘆きの壁”初訪問
2017-05-23 Tue 11:20
 中東歴訪中のトランプ米大統領は、きのう(22日)、現職の米大統領としては初めて、エルサレムの“嘆きの壁”を訪問しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・エルサレム3000年

 これは、1995年9月4日にイスラエルで発行された“エルサレム3000年”の記念切手のうち、嘆きの壁を含む“神殿の丘”の絵図が取り上げた1枚で、切手の左側には壁越しの岩のドームが、切手の下についているタブには嘆きの壁で祈るユダヤ教徒が取り上げられています。ちなみに、エルサレムの歴史的な起源は、紀元前30世紀頃、古代セム系民族がカナンの地の“オフェルの丘”に築いた集落とされていますが、今回ご紹介の切手の“エルサレム3000年”は、紀元前1000年頃にヘブライ王国が成立し、ダヴィデ王がここを首都と定めたことから起算した年回りです。

 さて、切手の絵地図に取り上げられた“神殿の丘(ハラム・シャリーフ”は、もともとは自然の高台で、紀元前10世紀頃、ダヴィデ王の子、ソロモン王がここにエルサレム神殿(第一神殿)を建造しました。第一神殿は、紀元前587年、バビロニアにより破壊されましたが、紀元前515年に再建されます。これが第二神殿で、紀元前19年頃、神殿はヘロデ王によって大幅に拡張され、周囲は壁に覆われました。この時の神殿の範囲が現在の“神殿の丘”になります。

 その後、紀元後70年、第二神殿はローマ帝国によるエルサレム攻囲戦によって破壊され、ヘロデ王時代の西壁の幅490m、高さ32m(うち、地上に現れている部分は幅57m、高さ19m)が残るのみとなります。これが、今回ご紹介の切手のタブにも取り上げられた“嘆きの壁”です。なお、この壁に対して各国語で“嘆き”の形容詞が付けられているのは、神殿の破壊を嘆き悲しむため、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現したもので、ヘブライ語では“西の壁”と呼ばれています。

 132-135年のバル・コクバの乱(ユダヤ属州でのローマ帝国に対する反乱)の後、ユダヤ教徒は原則としてエルサレムへの立ち入りを禁止され、4世紀以降は1年に1日、例外的に立ち入りを認められるという状況が続いていました。これに対して、638年、いわゆるアラブの大征服の一環として、ムスリムがエルサレムを占領すると、ムスリムの支配下で、ローマ時代以来禁止されていたユダヤ教徒のエルサレムへの立入が認められるようになります。この結果、生活上の権利に一定の制約は設けられたものの、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、アブラハム以来の一神教の系譜に属する「啓典の民」として、この地でムスリムとともに共存していくことになりました。

 ところで、イスラムでは、エルサレムはメッカメディナに次ぐ第3の聖地とされています。エルサレムの中でも、ムスリムが(特にピンポイントで)聖地としている場所は、691年、アラブ系のウマイヤ朝によって、ムハンマドの天界飛翔伝説にちなむ聖なる石を包むように、“神殿の丘”の敷地内に建造された岩のドームですが、当時、メッカはウマイヤ朝の支配に異を唱えるイブン・ズバイルの一派により占領されており、ウマイヤ朝はメッカを回復できないという最悪の可能性も考慮して、ドームの建設を計画したといわれています。

 当然のことながら、“神殿の丘”はユダヤ教にとっても聖地だったのですが、正統派のユダヤ教においては、世界の終末に救世主が現れて神殿を再建するまで、ユダヤ教徒は神殿跡に入ってはならないとの教義もあります。したがって、“神殿の丘”の敷地内にイスラムの聖地としてモスク等が建造されても、少なくとも世界の終末までは、ユダヤ教徒にとって実質的なダメージはないというロジックが導き出されることになり、岩のドームを聖地とするムスリムと、嘆きの壁を聖地とするユダヤ教徒住み分けが可能となりました。

 その後、十字軍による侵略はあったものの、ラテン王国(キリスト教徒の占領軍が建国)の消滅後は、キリスト教側も聖地の奪還を断念。聖地への自由な通行権の確保と、現地キリスト教徒の保護を主要な関心とするようになり、エルサレムは三宗教共通の聖地(ただし、その具体的な場所は重ならない)として、ムスリムの支配者の下で、各宗教の信徒が共存する状況が20世紀に入るまで続くことになります。

 神殿の丘を含むエルサレム旧市街は、英国によるパレスチナ委任統治の終了後、1948-67年にはヨルダンの支配下に置かれ、イスラエル国籍の保有者の立ち入りは禁止されていました。

 1967年6月の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸を占領しましたが、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決。ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し、占領地の支配を継続しました。

 1979年のイスラエル=エジプト平和条約が調印されると、1980年、イスラエル議会は、あらためて、東西エルサレムを統合した“統一エルサレム”はイスラエルの永遠の首都であると宣言しました。エジプトとの平和条約により国境が画定し、東エルサレムの支配も追認されたというのがイスラエル側の主張です。

 このため、同年の国連総会は、安保理決議242が有効であることを改めて確認したうえで、イスラエルによる東エルサレムの占領を非難し、エルサレムを首都としたイスラエルの決定の無効を143対1(反対はイスラエルのみ、棄権は米国など4)で決議。この決議も現在なお有効で、国際社会はイスラエルによる東エルサレム支配の正当性を認めていません。
 
 こうした事情を踏まえて、今回のトランプ大統領の嘆きの壁訪問に際しては、この場所の主権がイスラエルにあることを(国連決議を無視して)認めたとの批判を避けるため、イスラエル側の関係者は同行しないという措置が取られたほか、米当局者も壁の帰属がイスラエルにあるのか否かについてはコメントを拒否しています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正して書籍化する企画も現在進行中です。具体的な内容や発売日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 年賀状の切手
2017-01-04 Wed 10:52
 毎年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、③可能な限り、干支を取り上げた年賀切手は除く、という基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、今回の年賀状の切手について簡単にご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・動物の親子(2010・部分)

 これは、2010年にイスラエルが発行した“動物の親子”のシートの右上の切手とタブ(と耳紙)の部分です。“動物の親子”のシートは、9面構成で、上段3枚がニワトリ、中段3枚がネコ、下段3枚がウサギで、それぞれ、左側が動物の子供を描く切手、中央が親子を描くタブ、右側が親を描いた切手となっています。ちなみに、シートの全体像の画像も下に貼っておきます。

       イスラエル・身近な動物(2010)

 元日のご挨拶でも少し触れましたが、ことしこそは、チャンネルくららで配信中の「きちんと学ぼう ユダヤと世界史」と連動した書籍を刊行せねば…と思っております。また、タイミング的にも、2017年は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第3次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっていますので、この機会を逃してはなりますまい。

 さて、人間と鶏の関係は、いまから5000年ほど前、インド東北部から中国西南部にかけての地域で、この地に広く分布するセキショクヤケイを飼い慣らしたのが始まりと考えられています。その後、家禽として鶏を買う習慣は中東から地中海地域に広まり、いかまら2300年ほど前の紀元前4世紀頃には、エルサレムの南西45kmのラキシュで食肉と卵を取るための養鶏が行われていたことが確認されています。

 現在のイスラエルは卵の消費量が多い国で、20世紀には、国民1人あたりの卵の年間消費量(加工食品を含む)が350個程度と、世界で断トツの1位でした。2000年代以降、イスラエル政府は統計データの発表を止めてしまったため、世界の消費ランキングからは外れてしまったものの、イスラエル国民の食生活が大きく変わったわけではないので、現在でもイスラエルが“隠れ1位”の可能性は大いにあります。ちなみに、公開されている統計データによると、2014年の国別の(1人あたり)卵の消費量のランキングは、1位がメキシコの352個、2位がマレーシアの343個で、わが国は329個で3位にランクされています。

 余談ですが、昨年6月、イスラエル国内では、パキスタンからの卵の密輸が警察と税関、イスラエル卵業養鶏協会によって摘発され、国内の食用基準を満たさない4万個が廃棄されるという事件がありました。卵の消費量が世界トップクラスの国ならでは事件といえますが、イスラエルへの卵の密輸相手が、政治的には親アラブ・反イスラエルの姿勢を鮮明にしているパキスタンだったというのも興味深いですな。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。(ちなみに、拙宅には、明らかに昨年の御用納め以前に投函されたと思しき、オフィスからの年賀状が昨日の夕方にも何通か届きました)

 早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。
      

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 岩のドームの郵便学(46)
2016-12-04 Sun 20:58
 『本のメルマガ』628号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1985年にテルアヴィヴで開催された世界切手展<Israphil '85>について取りあげ、その会期初日に発行された記念切手(下の画像。クリックで拡大されます)をご紹介しました。

            イスラエル・Israphil '85

 イスラエルでの世界切手展の開催は建国10年目にあたる1957年9月17-23日にテルアヴィヴで開催された<Tabil '57>が最初のことで、ついで、1974年3月25日から4月2日まで2回目の展覧会として<Jerusalem '73>エルサレムで行われました。1974年の開催であるにも関わらず、展覧会の名称が<Jerusalem '73>となっているのは、当初の会期予定が1973年12月19-30日だったものの、同年10月に第4次中東戦争が勃発したため、会期が延期されたという事情によるものです。

 <Israphil '85>はこれに続くイスラエル3回目の世界切手展の開催で、1985年5月14日から22日まで、テルアヴィヴで改愛されました。今回ご紹介の切手は、その会期初日に発行されたもので、エルサレム旧市街の3宗教の聖地、岩のドーム(イスラムの聖地)、嘆きの壁(ユダヤ教の聖地)、聖墳墓教会(キリスト教の聖地)を一つずつ取り上げています。

 さて、1974年の切手展はエルサレムで開催されたにもかかわらず、記念切手はエルサレムを想起させるデザインではなく、1948年に発行されたイスラエル最初の切手をデザインしたものでした。これに対して、1985年の切手展はテルアヴィヴでの開催にもかかわらず、エルサレムを象徴するデザインとなっているのが興味深いところです。

 1949年、第一次中東戦争の休戦協定により、エルサレムは東西に分断され、3宗教の聖地のある旧市街を含む東エルサレムはヨルダン領に、新市街のある西エルサレムはイスラエル領となりました。これを受けて、1950年、イスラエル議会はエルサレムを首都と宣言して、テルアヴィヴの首都機能を西エルサレムに移転します。

 その後、1967年6月の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸を占領しましたが、同年11月22日の国連安保理はイスラエルの占領を無効とする安保理決議242を全会一致(中華民国、フランス、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦、アルゼンチン、ブラジル、ブルガリア、カナダ、デンマーク、エチオピア、インド、日本、マリ、ナイジェリア)で可決。ただし、同決議では撤退期限は定められず、経済制裁などの具体的なイスラエルへの対抗措置も行われなかったため、イスラエルは決議を無視し、占領地の支配を継続しました。

 こうした事情もあって、東エルサレムの占領を誇示するようなデザインの切手は“平和維持に反する意図をもつ切手”として、そうした切手の貼られた郵便物の逓送を拒否する国もあったほどです。

 1974年にエルサレムで開催された切手展に関しても、そうした事情を反映して、“エルサレム”を想起させるデザインの切手を発行すれば、親アラブ諸国(ソ連東欧諸国など)からの作品の出品やブース出店がキャンセルされる可能性は十分にありました。この切手展に関しては、イスラエル郵政としては、ともかくも世界各国の出品者や郵政機関、切手商を1人でも多くエルサレムに集め、イベントを無事に成功させることで、“イスラエル支配下のエルサレム”という枠組みを認知させることが最優先課題でしたから、余計な摩擦を避けるためにも、“イスラエル最初の切手”という切手収集家・郵政関係者の関心を呼びそうな題材を記念切手に採用したものと考えられます。

 その後も、現在に至るまで安保理決議242は有効であり、国際社会はエルサレムがイスラエルの首都であることを認めていませんが、1979年のイスラエル=エジプト平和条約を経て、1980年、イスラエル議会は、あらためて、東西エルサレムを統合した“統一エルサレム”はイスラエルの永遠の首都であると宣言しました。エジプトとの平和条約により国境が画定し、エルサレムの支配も追認されたというのがイスラエル側の主張です。

 しかし、これに対して同年の国連総会は、安保理決議242が有効であることを改めて確認したうえで、イスラエルによる東エルサレムの占領を非難し、エルサレムを首都としたイスラエルの決定の無効を143対1(反対はイスラエルのみ、棄権は米国など4)で決議しています。

 1985年の切手展がテルアヴィヴで開催されたにもかかわらず、その記念切手がエルサレムを題材としたものとなっていたのも、1980年のエルサレム首都宣言後最初の世界切手展として、東エルサレムがイスラエルの支配下にあること、そして、彼ら自身はエルサレムが首都であると主張していることを、あらためて、全世界の収集家・郵政関係者にアピールする意図が込められていたものと考えるのが妥当でしょう。

 ちなみに、その後も、現在に至るまで、イスラエルはエルサレムを首都と宣言していますが、多くの国はこれを認めておらず、エルサレムに大使館・領事館を置いている国は一つもありません。先日の米国大統領選挙で当選したドナルド・トランプは、選挙期間中、親イスラエルの立場を明確にするため、イスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフ首相に対して「エルサレムは(東エルサレムも含め)イスラエルの不可分で永遠の首都だ」と伝えていますが、同様の“リップ・サービス”は歴代の大統領や大統領候補も繰り返しており、特に目新しいものではありません。
 

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 現存最古の「十戒」、85万$に
2016-11-18 Fri 21:12
 現存最古とみられるモーセの「十戒」を刻んだ石板が、きのう(17日)、米国のオークションに出品され、85万ドル(約9400万円)で落札されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・石板を受け取るモーセ(1981)

 これは、1981年にイスラエルが発行した『出エジプト記』の切手のうち、シナイ山に登ったモーセが、「十戒」(の刻まれた石板)を授けられ下山する場面が描かれています。タブの部分には、そのことを示す『出エジプト記』第34章29節の文言「(モーセが山を降りて来たとき)その手に二枚のあかしの石の板を持っていた」が記されています。

 さて、現在の一般的なイメージでは、今回ご紹介の切手に描かれているように、「十戒」の石板は、上部がかまぼこ型で、その下に長方形がついている形となっていますが、ユダヤ教やキリスト教の古い時代の古い石板は、今回落札された石板(下の画像)のように、丸みのない長方形でした。上部がかまぼこ型になったのは、中世以降のことで、レプリカとオリジナルの区別を容易にするためとの配慮によるものだそうです。

      最古の十戒の石板(実物)

 今回、落札された石板は大理石製で、縦横61センチ程度の四角形で、重さは52キロ。1913年、オスマン帝国支配下のパレスチナでの鉄道駅建設の際、ヤブネ近郊で発見されました。「十戒」の文言はサマリア語で刻まれていますが、その文字の形状からローマ帝国時代後期またはビザンツ帝国時代の紀元300-500年前後と推測され、それゆえ、現存最古の「十戒」と認定されています。

 石板の落札者は明かされていませんが、石板を出品したリビング・トーラー博物館(ニューヨーク)は、落札者が石板を公共の場に展示することを売却の条件としているため、遠からず、この石板はどこかで展示されることになるはずです。それが、どこになるのか、そちらもちょっと気になりますね。
       

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 HAPPY DIWALI!
2016-10-31 Mon 15:42
 きょう(31日)は、ヒンドゥーの新年のお祝い“ディーワリー”の日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・インドとの国交20年

 これは、2012年11月5日、イスラエルが発行したイスラエル=インド国交20年の記念切手のうち、インドの象徴として、ディーワーリーの灯明を描いた1枚です。

 インド亜大陸には、すでに紀元前10世紀のソロモン王の時代から、象牙や銀の交易のため、ユダヤ人が来訪していたとされています。その後、ローマによって古代イスラエル王国が滅亡させられると、離散したユダヤ人の一部はインドに逃れ、南インドのコーチン北方、クランガノールにはユダヤ人の居住区が成立します。

 ケーララの藩王(地方君主)たちは、比較的異教徒に対して寛大であったこともあって、クランガノールのユダヤ人たちは地元の地方君主と協調関係を築き、香辛料貿易を独占することに成功。彼らはユダヤ教徒としての信仰や伝統を維持しつつも、南インドの生活様式も取り込んでいったため、“ユダヤ人”としては、かなりユニークな存在となりました。

 1341年、クランガノールが水害で壊滅的な打撃を受け、ケーララの中心がコーチンへと移ると、ユダヤ人たちもコーチンへ移住してユダヤ人街を形成。コーチンのユダヤ人コミュニティは20世紀半ばにいたるまで、活況を呈していました。

 一方、インド独立運動の指導者であったガンディーはパレスチナにユダヤ人国家を建国するという計画には批判的で、1947年の国連のパレスチナ分割決議案は反対票を投じており、第一次中東戦争後の1949年に出されたイスラエルの国連加盟申請にも反対しています。ただし、1950年、インドはイスラエルとの正式の国交は樹立しないものの、現実にはイスラエル国家が存在しているという理由で、国家承認はするという微妙な立場を取っています。また、コーチン在住のユダヤ人も、その多くがイスラエルへと“帰還”し、インド国内のユダヤ人コミュニティは急激に縮小しました。

 その後、パレスチナ問題が東西冷戦の文脈に組み込まれていく中で、イスラエルが米国の支援を受けていたのに対して、インドはソ連寄りの姿勢を取っていたことに加え、インド国内には多数のムスリム(の有権者)が存在していたこともあって、インドはイスラエルとは距離を置き続けました。たとえば、、1974年には非アラブ諸国として初めて、PLOをパレスチナの代表として承認していますし、インドはイラク空軍の訓練に協力しています。また、スリランカ内戦に際して、1988年5月、インドの平和維持軍がスリランカに派遣されると、インドに併呑されるのではないかとの恐怖を抱いたスリランカ政府はイスラエルの支援を仰いでいます。

 ところが、1989年、ソ連軍がアフガニスタンから撤退すると、行き場を失ったムジャーヒディーンの一部がインドでテロ活動を展開するようになったため、インドはテロを封じ込めるためにもイスラエルとの関係改善が必要になり、1992年、両国間の正式の国交が樹立されました。今回ご紹介の切手はここから起算して20周年になるのを記念して発行されたものです。
 
 なお、インド=イスラエル国交樹立20周年の記念切手は、今回ご紹介のディーワーリーとあわせてイスラエルの代表的な行事としてハヌカーの切手との2種セットで発行され、インドでも同時に同図案の切手が発行されています。

 
★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

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