内藤陽介 Yosuke NAITO
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 建軍90年で軍事パレード
2017-07-31 Mon 09:47
 中国人民解放軍(以下、人民解放軍)は、きのう(30日)、8月1日に建軍90周年を迎えるのを記念し、内モンゴル自治区“朱日和合同戦術訓練基地”で大規模な閲兵式と軍事パレードを行いました。8月1日の建軍記念日に合わせて閲兵式・軍事パレードを行うのは、今回が初めてです。というわけで、人民解放軍のパレードを取り上げた切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      マカオ・人民解放軍

 これは、2004年にマカオで発行された“中国人民解放軍駐澳門部隊”の切手のうち、人民解放軍の軍事パレードを取り上げた小型シートです。

 もともと、現在の中華人民共和国澳門特別行政区の憲法ともいうべきマカオ基本法では、1999年12月の“返還”後のマカオに人民解放軍が駐留するか否かについての明文規定はありませんでした。じっさい、香港の“返還”を間近に控えた1997年4月27日の時点では、香港澳門弁公室主任(香港・マカオ問題の中国側の実質的な責任者)の魯平は「マカオは狭すぎるから、人民解放軍を駐留させる予定はない」と発言していたほどです。

 しかし、翌1998年9月18日に開催された第3回返還準備委員会全体会合の開会の辞において、準備委員会主任で副総理の銭其琛は、「主権回復のあらわれとして、またマカオ社会の安定維持・経済発展に資するためにマカオに人民解放軍を駐留させる」と表明し、北京政府の方針転換を明らかにしました。

 その背景には、マカオで黒社会(暴力団)同士の抗争が激化し、治安が極端に悪化していたという事情がありました。

 対立抗争の主役となったのは、水房と14Kの2大組織です。

 このうち、14Kは、1940年代の国共内戦の時代に国民党軍の中将であった葛肇煌がつくった反共組織の“十四会”がそのルーツとされています。なお、14Kの14は当時の本部の所在地の住所(広州市西関宝華路14号)からの数字、Kは国民党ないしは葛肇煌の頭文字だともいわれています。

 その後、1949年に国民党が国共内戦に敗れ、台湾に逃れると、組織のメンバーは台湾や香港を拠点に、反中共の非合法工作活動を展開するようになりましたが、次第に、そうした政治工作とは無関係の犯罪行為にも手を染めるようになっていきます。

 1961年、カジノの独占経営権を獲得した何鴻燊は、みずからのカジノ利権の基盤を確立していく過程で、香港の賭博客をマカオに誘致することに力を注ぐとともに、香港の黒社会の力を借りて敵対勢力を排除しました。その見返りとして、何鴻燊は、澳門旅游娯楽公司の下請けとして彼らへのカジノのテーブルの貸出を始めます。この結果、カジノのテーブルの利権をめぐって、黒社会同志の対立・抗争が生じるようになりました。

 ただし、1980年代までのマカオの黒社会の抗争は、あくまでも、彼らの間で処理されており、一般市民が発砲事件の巻き添えになる例はほとんどなく、政府・警察の関係者を買収して敵対組織の会員(組員)を逮捕して相手に打撃を与えるという穏健な手口が用いられることも少なくありませんでした。

 こうした背景の下、1988年、14Kの実力者であった摩頂平が敵対する涉嫌謀を殺害し、マカオから逃れると、摩からカジノのテーブルの使用権を借りていた“孫請け胴元”だった張阿光・阿和・阿強の3兄弟は、カジノの利権を失うことを恐れ、14Kとは敵対組織だったはずの水房の首領、水房頼と密約を結び、カジノでの営業を継続。摩の逃亡後、14K内で急速に台頭していた崩牙駒(“歯欠けの駒”というニックネームで、本名は尹國駒)も張三兄弟と水房の密約を支持したので、いったんは勢力のバランスが保たれます。

 ところが、張3兄弟の弟2人は、経済成長著しい中国本土での利権を獲得しようとして、現地で14Kのメンバーと抗争を起こしてしまいました。この結果、14Kのメンバーでありながら水房ともつながっている張兄弟とその配下をめぐって、両組織が入り乱れての抗争が勃発。さらに、1997年の香港返還を前に、共産中国の支配下では黒社会に対する取り締まりが強化されることを恐れた面々がマカオに流入し始めたことで、対立の図式はさらに複雑化し、武力を用いた構想もいっそう激しくなっていきました。

 結局、一連の抗争を通じて張3兄弟は次第に勢力を失い、水房も凋落。崩牙駒が勢力を急速に拡大していきます。14Kを完全に掌握した崩牙駒は、まさに「邪魔者は消せ」とばかりに、敵対勢力に対しては暴力を行使。その結果、一般市民が巻き添えになるケースが続発し、警察との衝突も増えていきました。マカオの治安は急速に悪化し、当時のわが国の外務省はマカオを危険地域に指定し、渡航自粛勧告を出していたほどです。

 そして、返還を目前に控えた1998年5月、警察司長官のアントニオ・マルケスの車に向かって爆弾が投げ込まれ、長官のマルケスがからくも逃れるという事件が発生。ここにいたり、マカオ警察は崩牙駒と4人の側近を逮捕しました。

 返還後のマカオへの人民解放軍の駐留が公表されたのは、その直後の1998年9月のことで、当時のマカオ市民の中には、人民解放軍の駐留によって治安が回復されることを歓迎する空気も少なくなかったと伝えられています。

 逮捕後の崩牙駒はコロアネ監獄に隔離されて収監されていましたが、高利貸しやマネーロンダリングで蓄えた巨万の富を背景に獄中でも贅沢三昧の生活をしていました。このため、マカオ市民はコロアネ監獄を“山頂別荘”と揶揄していましたが、はたして、彼の留置されていた部屋からは、その後、膨大な数の無線機器やテレビ、携帯電話などが発見され、公安関係者と黒社会の結びつきの深さが明らかになっています。

 結局、後難を恐れて崩牙駒の裁判には証人が十分に集まらなかったため、検察側はメディアに掲載された彼の談話やビデオ映像、録音テープなどを丹念に集めて証拠とし、通常は2ヵ月程度で判決が出るマカオの裁判では異例の1年半という時間をかけて、返還直前の1999年11月23日、マカオ法院(裁判所)から崩牙駒に懲役15年、その他の主要幹部にも実刑判決を引き出すことに成功。ちなみに、同日、マカオに隣接する中国広東省の珠海では、マカオ14Kの幹部だった葉成堅被告ら三人が死刑を宣告され、即日執行されています。

 これによって、崩牙駒の14Kは組織として壊滅的な打撃を受けました。マカオの黒社会の抗争が完全になくなったわけではないにせよ、一般市民を巻き添えにすることを全く躊躇しない崩牙駒らの勢力が抑えられたことで、多くのマカオ市民は安堵したといあれています。

 返還を前に、14Kが封じ込められ、マカオの社会秩序が回復されたのであれば、人民解放軍がマカオに進駐する必要も薄れたわけですが、結局、1999年6月、中国では全人代常務委員会において、駐留軍経費の中央負担、マカオ内部事務不関与等を規定して駐軍法が成立。ポルトガル側への配慮から、1999年11月18日に先遣隊が駐留するものの、本格的な部隊の駐留は、同月20日の“返還”記念式典に出席したポルトガル大統領ならびにマカオ総督がマカオを離れた後、開始されました。まぁ、世界最大のマフィア組織ともいわれる人民解放軍が、地元のローカル黒社会を駆逐して、マカオを新たな縄張りに加えたと考えればわかりやすいのかもしれませんが…。

 なお、“返還”前後のマカオの状況については、拙著『マカオ紀行』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * おかげさまで、きのう(30日)放送の拉致被害者全員奪還 ツイキャス、僕の出演回は終了いたしました。いろいろ不手際もあり、また、話がとっちらかって雑駁な内容になってしまいましたが、お聴きいただきました皆様、スタッフの皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 7月27日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第6回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、高校野球があるため、少し間が開いて8月24日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、27日放送分につきましては、8月3日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 澳門で終夜の線香焚き禁止へ
2017-01-08 Sun 17:59
 マカオ政府文化局は、きのう(7日)、寺院の消防管理に関する対策会議を開催し、2017年1月28日の春節(農暦新年)以降、「寺院境内室内における終夜の線香焚きの禁止及び夜間の電源オフ必須化」を全面実施する方針を示しました。昨年(2016年)2月、媽閣廟の正覚禅林殿で照明器具のショートが原因とみられる火災が発生し、建物の大半が焼失したことを踏まえての措置だそうです。というわけで、実際に線香の煙たなびくマカオの寺院を取り上げたマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      中国澳門・旧城壁印字切手FDC

 これは、2008年に中国澳門で発行された世界遺産切手のうち、舊城牆遺址(旧城壁)を取り上げた印字切手のFDCです。印字切手のデザインは大三巴(聖ポール天主堂跡)側から見た旧城壁を描いており、城壁の前には、同じく世界遺産に指定されている哪咤廟(ナーチャ廟)前の煙たなびく香炉を廃したデザインになっています。一方、マカオ郵政が制作したFDC用の封筒のカシェは、旧城壁の出入口を出たところから哪咤廟の香炉を描くデザインになっており、哪咤廟の軒先にぶら下がっている渦巻き線香もしっかり見えます。ちなみに、印字切手とほぼ同じ構図で見た実際の旧城壁と哪咤廟はこんな感じでした。

      澳門・旧城壁(実物)

 1569年にマカオに居住するようになって以来、ポルトガル人は何度となく、“海賊対策”の名目で城壁を築いてきましたが、そのたびに明朝から撤去を命ぜられてきました。

 しかし、1622年、オランダによる攻撃からマカオを貿易したことにより、明朝もポルトガルに対して城壁の建設を認めないわけにはいかなくなり、1632年までに、ポルトガル人は東望洋山(ギアの丘)から水坑尾街、モンテの丘を経て内港まで伸びる北側の城壁のみならず、半島南部にも城壁を築くことに成功しました。ちなみに、明朝が滅亡するのは、それから12年後の1644年のことです。

 こうして築かれたマカオの城壁でしたが、19世紀半ば以降、中国大陸から中国人が流入し、半島北部にまで市街地が広がったことで、かえって、域内交通にとっての障害となり、その多くが撤去されることになります。この結果、現在では、初期の城壁は大三巴の近くにごくわずか残るのみとなりました。この残った“旧城壁”が、現在の世界遺産の“舊城牆遺址”となります。

 一方、インドの神クベーラ(毘沙門天)の三男ナラクベーラがルーツとされる童子神、ナーチャは、道教では悪魔を退け災厄を払う神として人気があり、マカオの哪咤廟としては、大三巴南側の柿山に置かれたのが最初です。

 1888年、大三巴の周辺で疫病がはやったため、住民は疫病退散のために柿山の哪咤廟を大三巴近くに移転してほしいと頼んだものの、柿山はこれを拒否。このため、新たに作られたのが旧城壁前の哪咤廟で、大三巴と旧城壁と併せて、世界遺産に登録されました。

 なお、マカオの世界遺産については、拙著『マカオ紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 マカオ航空にやられた!
2016-11-25 Fri 16:39
 今日は個人的な事情から、マカオ航空のことを書きたいと思いますので、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

     マカオ・マカオ航空10年

 これは、2004年にマカオで発行されたマカオ航空10周年の小型シートです。

 マカオでは、宗主国のポルトガルが第二次大戦中は中立国だったため、大戦中にも極めて小規模な滑走路が存在していたほか、戦後の一時期は、キャセイパシフィック航空の飛行艇によるマカオ=香港線が就航していました。

 しかしマカオの経済発展に伴い、近代的なジェット旅客機の離着陸可能な空港が必要となったことから、ポルトガル統治時代末期の1995年11月に、マカオ唯一の国際空港としてタイパ島の東側埋立地にマカオ国際空港が開港します。これに先立ち、1994年9月13日、中航興業とTAP ポルトガル航空、マカオ総督府が出資して設立されたのがマカオ航空で、今回ご紹介の切手はここから起算して10周年になるのを記念して発行されたものです。なお、実際のマカオ航空の就航開始は、マカオ国際空港開港にあわせて、1995年11月9日のことでした。 

 さて、ここからが今日の本題なのですが、僕は、12月2日から、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市で開催のアジア国際切手展<CHINA 2016>に、日本コミッショナー兼審査員として参加することになっています。

 コミッショナーの仕事としては、日本からの出品作品をお預かりして11月30日に会場に搬入し、6日の会期終了後、それを日本に持ち帰るということがあるのですが、そのためには、現地の税関でしかるべき手続きをしなければなりません。このため、中国の他の都市での出入国は避け、南寧で直接、出入国および通関手続きは行うことにして、30日に現地入りできるフライトを探したところ、29日にマカオ航空で成田を出発し、マカオで1泊後、マカオから南寧に入るというルートをとることにして、チケットも手配していました。

 ところが、きょう(25日)の昼前になって、突如、チケット会社からこんなメールが送られてきました。

 (以下コピペ)
 ご予約いただきました海外航空券につきまして、航空会社より一部運休の連絡がございましたので、お知らせいたします。

 -----------------------------------------------------------------------
 【運休内容】
 -----------------------------------------------------------------------
 ■往路 : マカオ航空 NX196
 発 2016年11月30日(水) 17:20 MFM:マカオ国際空港
 着 2016年11月30日(水) 18:50 NNG:南寧(ナンネイ)/南寧呉墟国際空港

 ※マカオ-南寧区間が月・金・日曜日のみの運航となりました。
 -----------------------------------------------------------------------

 上記運休区間につきましては、航空会社より下記代替便の提示がございますので、ご確認いただきますようお願いいたします。 (コピペ終わり)

 しかし、マカオ航空側が提示した代替便は会期初日の2日夜に到着ということで、使い物になりません。そこで、南寧発着の国際線をしらべたところ、バンコクとの便は比較的頻繁にあるので、かなりの大回りですが、バンコク=南寧便のチケットと、東京=バンコクの往復チケットを急遽予約したうえで、マカオ航空ならびにマカオでの宿泊をキャンセルしたのですが、そのやりとりで、ほとほと疲れ果ててしまいました。

 それにしても、僕の他にも、30日に南寧入りするマカオ航空を予約していた人はいたでしょうに、こんな直前になって、路線そのものが運休になるとは…。いやはや、本当にびっくりしました。ともかくも、無事に南寧に行って帰ってこられることを、神仏にお祈りしたい気分です。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 聖オーガスティン教会で崩落事故
2016-05-30 Mon 10:34
 マカオ半島中心部の聖オーガスティン教会(聖奥斯定教堂)で、きのう(29日)午後、天井の一部がおよそ5m四方にわたって崩落する事故が発生しました。さいわい、けが人はいなかったそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      聖オーガスティン教会  

 これは、2010年にマカオで発行された聖オーガスティン教会の切手です。ちなみに、実際の教会の外観は、こんな感じです。

      聖オーガスティン教会外観

 聖オーガスティン教会は、フランシスコ・ザヴィエルの右腕が安置されていることで知られる聖ヨゼフ修道院・聖堂(三巴仔)の裏手の聖オーガスティン広場(崗頂前地)と呼ばれる石畳の一角にあります。通りを挟んで反対側のドン・ペドロ5世劇場(崗頂劇院)は、かつて老朽化とシロアリの害が目立つようになり、1993年から2001年にかけて修復工事が行われましたので、今回の聖オーガスティン教会の崩落事故も、報道されているように、単なる老朽化だけではなく、白アリの害があったのかもしれません。

 さて、聖オーガスティン教会は、スペイン系の聖アウグスチノ修道会が1586年に創建した質素な木造の修道院がそのルーツです。当初は、現在の場所よりも南の西灣湖に面した場所にありましたが、1589年にポルトガル系のイエズス会が継承して現在の場所に移動し、1591年に付属教会が建てられました。なお、現在の建物は1874年に修復されたものです。

 渦巻型の窓飾りが印象的なファサードを潜り抜けると、広々とした堂内には、下の写真のように、どっしりとした柱列が並んでいます。

      聖オーガスティン教会内部

 その奥の中央祭壇には、こんな感じで、十字架を担いだキリスト像が祀られています。

      聖オーガスティン教会・キリスト像

 その昔、このキリスト像は、市内中心のセナド広場(議事亭前地)に近い大堂に移されましたが、誰にも見られることなく、いつの間にか聖オーガスティン教会に戻っていたとの伝説があり、これにちなみ、毎年、四旬節(復活祭前の40日間)の最初の日曜日には、男性信者がキリスト像をかついで教会から大堂まで夜通し練り歩くパレード“パッソスの聖体行列”が行われます。

 行列に参加する善男善女たちは、茨の冠をかぶせられ、ローマの兵士により鞭打たれながら、十字架を担ぐキリストの苦難を思って涙するのだそうですが、信仰心のない僕などは、聖書の記述に従っているとはいえ、高温多湿のマカオで一年中、ベルベットのローブを着せられたままになっていることの方が、キリストにとってはよっぽど苦痛なんじゃないか、とついつい思ってしまいますな。

 ちなみに、マカオの世界遺産をめぐっては、今年(2016年)に入ってから、1月25日に旧城壁の一部が何者かによって黄色い塗料で着色される事件が発生。その後も、2月5日には盧家大屋が隣接する建物の壁面が崩落によって破損、2月10日には媽閣廟の正覚禅林殿が火災で重大な損傷を受けるなど、ご難続きです。拙著『マカオ紀行』では、それらの世界遺産について詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 “フランシスコ”が正しい
2013-03-20 Wed 20:00
 きのう(19日)、正式に即位した新ローマ教皇のお名前は、これまで、“フランシスコ1世”とされてきましたが、法王庁が、別の法王が将来、同じ名前を継いで“フランシスコ2世”となるまでは“フランシスコ1世”ではなく“フランシスコ”が正しいと指摘。各メディアでも表記を訂正することになったそうです。というわけで、きょうはこんな“フランシスコ”ネタです。(画像はクリックで拡大されます)

        聖方濟各斜巷     聖方濟各斜巷(実物)

 左は2006年に中国マカオで発行された「澳門街道」の切手のうち“聖方濟各斜巷”を取り上げた1枚です。右側には、実際の“聖方濟各斜巷”の写真を貼っておきました。ポルトガル語の地名“CALÇADA DE S.FRANCISCO XAVIER”を直訳すると“聖フランシスコ・ザヴィエル歩道(舗道)”となりますが、漢字表記では方濟各(フランシスコ)だけで、ザヴィエルに相当する“沙勿略”がありませんので、聖フランシスコ通りということになりましょうか。

 さて、聖方濟各斜巷は、聖ポール天主堂跡(大三巴)の背後の旧城壁(舊城牆遺址)に沿った小道です。

  1569年にマカオに居住するようになって以来、ポルトガル人は何度となく、“海賊対策”の名目で城壁を築いてきましたが、そのたびに明朝から撤去を命ぜられてきました。しかし、1622年のオランダによるマカオ砲撃の後、さすがの明朝もポルトガルに対して城壁の建設を認めないわけにはいかなくなります。時代はちょうど明末の混乱期で、北方の満洲族対策に追われていた明朝側も、マカオに対する監視の目が行きとどかなくなっていたというじじょうもありました。

 かくして、1632年までに、ポルトガル人はギアの丘(東望洋山)から水坑尾街、モンテの丘を経て内港まで伸びる北側の城壁のみならず、半島南部にも城壁を築くことに成功します。ちなみに、明朝が滅亡するのは、それから12年後の1644年のことです。

 もっとも、こうして築かれたマカオの城壁でしたが、19世紀半ば以降、中国大陸から中国人が流入し、半島北部にまで市街地が広がったことで、かえって、域内交通にとっての障害となり、その多くが撤去されました。この結果、現在では、初期の城壁は大三巴の近くにごくわずか残るのみとなっています。

 一方、坂の上には、ナーチャ廟が見えます。

 ナーチャとは、インドの神クベーラ(毘沙門天)の3男ナラクベーラがルーツとされる童子神で、道教では悪魔を退け災厄を払う神として人気があります。

 もともと、マカオのナーチャ廟は、大三巴南側の柿山にありました。こちらの廟は、18世紀初めに腹掛けをした子供が拾われたものの、翌日、その子供はナーチャとなって風火輪に乗り飛び去ったため、廟を建てて祀ったのが起源といわれています。

 1888年、大三巴の周辺で疫病がはやったため、住民は疫病退散のために柿山のナーチャ廟を大三巴近くに移転してほしいと頼んだのですが、柿山はこれを拒否。このため、新たに作られたのが大三巴背後のナーチャ廟で、現在は、大三巴や旧城壁と並んで世界遺産に登録されています。

 なお、マカオの世界遺産については、拙著『マカオ紀行』でも詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
 ★★★ 『FLASH』グラビア特集“「趣味の切手」進化論!”の御案内 ★★★

        FLASH 切手特集号表紙     FLASH 切手特集扉

 現在発売中の雑誌『FLASH』4月2日号の「新シリーズ『いま』を究める!FLASHグラビア新書Vol.12」では“「趣味の切手」進化論!”と題して、7ページの切手特集が組まれています。記事では、昭和30-40年代に発行された記念切手の現状や中国の切手バブルの話、そして、各国事情が反映された“世界のオモシロ切手”の話など、盛りだくさんの内容となっており、僕も搭乗してコメントしております。雑誌は全国書店はもとより、駅売店・コンビニなどでも実物をお手に取っていただけますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

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  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

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 中国製のAU本部ビル完成
2012-01-29 Sun 17:52
 エチオピアの首都アディスアベバで、きのう(28日)、中国丸抱えで建設されたアフリカ連合(AU)の本部ビルが完成しました。中国がはビルの建設費2億ドルを全て負担したほか、内装を含めたすべての工事を請け負い、備品も全て中国製品だとか。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        鄭和600年(マカオ)

 これは、2005年、中国マカオで発行された鄭和の西洋航海600年の記念切手です。

 鄭和は1371年、雲南でムスリムの家に生まれました。宦官として燕王だった朱棣に献上されましたが、朱棣が1399-1402年の靖難の変で帝位を奪って永楽帝として即位すると、その際の功績を評価され、永楽帝より鄭の姓を下賜され、宦官の最高職である太監となりました。

 1405年7月、永楽帝の命を受けた鄭和は62隻・2万7800名の大船団を率いて蘇州を出発。以後、チャンパ、スマトラ、パレンバン、マラッカ、セイロンを経て、1407年初にカリカットへ到達。明と東南アジアとの交易の端緒を開いています。その後も、計7回の大航海を行い、その船団はカリカットを超えて、ペルシャ湾のホルムズやアラビア半島のアデン、アフリカ大陸東岸のマリンディにまで到達。7回目の航海から帰国後の1433年7月に亡くなりました。

 海の英雄としての鄭和は、近年、急速に海上進出を進めている中国のプロパガンダに盛んに利用されていますが、それと同時に、彼は中国によるアフリカ進出の先駆者としても位置づけられていることを見逃してはなりません。

 1990年代後半以降、中国は、かつての帝国主義列強と同様、資源と市場を求めてアフリカ諸国への進出を急加速させています。特に、地下資源の利権を確保するため、人権侵害などを理由に西側諸国から経済制裁を受けている独裁国家に対して、中国が“内政不干渉”を掲げて莫大な経済援助を行い、国際的な批判を浴びているのは周知のとおりです。

 たとえば、スーダン北西部のダルフールで、スーダン政府ならびにアラブ系民兵組織のジャンジャウィードが非アラブ系に対する大規模な“民族浄化”を行ってきた問題で、中国はスーダン政府とジャンジャウィードを積極的に支援し(彼らの兵器のほとんどは中国製です)、スーダン産の石油を独占的に確保するとともに、多数の労働者を派遣しています。

 国際的に孤立する独裁国家にとっては、同じく、共産党の一党独裁体制にある中国が、国連安保理の常任理事国という立場で後ろ盾となってくれるのは非常に心強いことであり、両者の関係はますます緊密化していくことになります。2006年11月に北京で開かれた“中国・アフリカ協力フォーラム”は、そうした中国の対アフリカ政策の成果を示す“祝典”であり、今回完成したAU本部ビルは、中国のアフリカ諸国に対する影響力を示すモニュメントといってよいでしょう。

 今回ご紹介の切手は、3種連刷の中央に、鄭和がアフリカから連れて帰ったキリンが大きく取り上げられています。彼が訪れた各地の風俗をバラスよく取り上げるのではなく、アフリカを強調して取り上げているのは、それだけ、北京の意を汲んだマカオの中国当局にとっては、対アフリカ関係が重要であったからだと考えてよいでしょう。彼らの歴史認識では、中国とアフリカとの歴史的な関係は、スペイン・ポルトガルによる大航海時代以前、すなわち、西欧列強によるアフリカ進出以前にまで遡れるものであり、それゆえ、中国のアフリカ進出には文句を言うなということなのかもしれません。

 なお、鄭和はマカオに寄港したことはないのですが、マカオの海事博物館には鄭和に関する大規模な展示コーナーが設置されています。このあたりの事情については、拙著『マカオ紀行』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 花まつり
2011-04-08 Fri 12:26
 きょう(8日)は、花祭りの日です。というわけで、お釈迦様ネタの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ・仏像

 これは、2001年4月に中国澳門で発行された「宗教信仰」の切手のうち仏教を取り上げた切手で、タイパ島・菩提禪院の釈迦如来像と思しき仏像が取り上げられています。ちなみに、菩提禪院の釈迦如来像の実物はこんな感じです。

        菩提禪院の釈迦如来像(実物)

 菩提禪院はタイパ最大の仏教寺院で、清代の光緒年間に山の地形を利用して建てられました。1960年代、寺は禅宗の僧侶によって買い取られ、色鮮やかな伽藍と数多くの仏像を有する現代風の寺院に生まれ変わりましたが、なかでも、本殿に安置されている釈迦如来像の大仏は、香港・大嶼島の釈迦如来像(天壇大仏)のモデルとして有名です。

 今回ご紹介の切手の釈迦如来像は、右手を胸の前に上げ、掌を正面に向けた姿勢を取っています。この手の形(印相)は“施無畏印”と呼ばれ、人々を安心させ、恐れを取り除く身振りとされています。また、左手は掌を前側に向けて下げる“与願印”となっていますが、これは、人々の願いを聞き入れ望むものを与えようとする深い慈悲を表わす身振りとされています。

 東日本大震災により物心両面で大きく傷ついた人々に、施無畏・与願印の御釈迦様のご慈悲が彼らに届きますようにと祈らずにはいられません。

 なお、今回ご紹介の大仏があるマカオ・タイパ地区については、拙著『マカオ紀行』でも1章を設けて取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 
 

  【無錫アジア展・出品申し込みは本日〆切です】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <China 2011> の作品募集要項が発表になりました。くわしくはこちらをご覧ください。なお、出品申し込みは、本日(8日)が〆切ですので、ご注意ください。


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 觀音開庫
2011-02-28 Mon 11:35
 きょうは、旧暦の1月26日。年に一度、観音様の金庫が開く“觀音開庫”の日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        観音開庫

 これは、2010年に中国澳門で発行された“觀音開庫”の切手で、観音様に向かって一生懸命に祈りをささげる善男善女が描かれています。

 “觀音開庫”というのは、年に一度、観音様の金庫が開く日のことで、マカオや香港、廣州などでは、この日に観音様を詣でると、観音様がお金を貸してくれて財運が上がるとの言い伝えがあります。このため、マカオでは、もっとも有名な觀音廟である觀音堂こと普濟禪院が最も賑わう日となっています。ちなみに、普段の(“觀音開庫”以外の日の)觀音堂の境内は、こんな感じです。

        観音堂・実物

 觀音堂は明末の1627年に創建の古刹で、マカオ半島北部、中国との境界に近いエリアにあります。入ってすぐの伽藍には四大天王の石像があり、奥に進むと6つの仏殿がありますが、そのうちの大雄寶殿には三寶佛、觀音殿には觀音菩薩のほか韋駄天、十八羅漢などが、地蔵殿には地蔵王、閻魔様などが、武帝殿には関帝、馬大将などが祀られています。

 観光スポットとしては、1844年、アメリカがアヘン戦争に敗れた清朝にたいして押しつけた不平等条約の望厦条約が調印されたという御影石の円卓が有名で、日本のガイドブックにもそのことが記されていますが、まぁ、地元の人間にとっては、“觀音開庫”でお参りするところというイメージの方が強いんじゃないでしょうかねぇ。
 
 ところで、緊迫するリビア情勢では、いよいよ独裁者カダフィの命運が尽きかけています。なにせ、40年にわたって権力を独占してきた男ですから、フツーに考えれば、かなりあこぎな蓄財をしてきたんじゃなかろうかと思います。その“金庫”も、いよいよ40年ぶりにご開帳となりそうな気配ですが、リビア国民には、“觀音開庫”40年分のご利益があるといいですな。

 なお觀音堂を含むマカオ半島北部の名所旧跡については、拙著『マカオ紀行』でも1章を設けてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 マカオで過去最高のカジノ収入
2011-01-07 Fri 22:30
 5日付の環球網によると、2010年のマカオのカジノ収入は1883億4300万パタカ(約1兆9467億円)で、前年比57.8%増と激増し、過去最高を記録したとマカオ統計局が4日に発表したのだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        グランリスボア

 これは、2009年に発行されたマカオ返還10周年の記念切手の1枚で、中央左寄りにグラン・リスボアが、その隣にリスボアという2大カジノ・ホテルが描かれています。

 かつて、マカオ最大のカジノは、セナド広場から徒歩30秒の超高級ホテル、セントラルにありました。マカオ政庁は競争入札によって賭博場の権利を特定の業者に独占的に販売し、賭博場の経営者から莫大な税を徴収し、財政基盤としていましたが、セントラルが栄えていた1937年から61年までの24年間、この賭博場開設の権利を独占していたのは、高可寧と傅老榕が共同で経営する泰興娛樂總公司(泰興公司)で、同公司がマカオ政庁に毎年収めていた賭博税の金額の180万パタカは、当時の税収全体の40%を超えていたといわれています。

 これに対して、1960年、長年にわたって泰興公司の経営を取り仕切ってきた傅老榕が亡くなると、1961年、葉漢、葉利、何鴻燊、霍英東の4人は、マカオのカジノ経営権独占を実現すべく、澳門旅游娯樂有限公司(以下、娯楽公司)を設立。ポルトガル人の妻を持つ何はポルトガルに渡り、植民地を監督・経営する海外省などをまわって泰興公司とマカオ政府の癒着を告発するとともに、次期マカオ総督(任期は1962年4月から)に内定していたロペスとも面会し、カジノの収益をマカオのために使い、大戦後、香港の復興とともに経済が停滞していたマカオを再建してほしいと訴えました。

 はたして、1961年10月に行われた入札では娯楽公司が年316万7000パタカでカジノの経営権を獲得。政府はこの金額の10%をマカオの慈善事業に使い、残りの使途は娯楽公司との協議のうえで決めるということになります。このとき、娯楽公司はマカオ政府に対して、①カジノを世界的な水準のものとする、②一流のホテルを3件建てる、③新しい船着場を得建設する、④マカオ=香港間に水中翼船を就航させる、⑤港湾を含めマカオの交通事情を改善する、⑥毎年、港の底の100立方メートルの土砂を浚渫する、ことなどを約束しました。

 1962年、娯楽公司はまず、新花園に最初のカジノを開業した後、各地に小規模なカジノを次々に開業し、年末には内港の16号埠頭に“澳門皇宮”と名付けた大型カジノ船を係留しました。

 これに対して、何ら新興勢力の台頭を喜ばない有力者たちは何に対して脅迫状を送り付けたほか、マカオ船籍の船の香港との往来を妨害するなどの抵抗を試みましたが、何は脅迫状の内容を公開して世論の同情を集めるとともに、香港籍の船を確保。さらに、自分に対する暗殺指令が出ていることを察知すると、24時間以内に自分を狙っている暗殺者を発見した者には100万パタカの報酬を支払うとの新聞広告を大々的にうち、旧勢力を追い詰めていきました。

 さらに、それまでのマカオ経済の中心は内港エリアにありましたが、何は外港に新たなフェリーターミナルを建設。1975年には香港=マカオ間のフェリーの定期運行化を実現し、香港からの日帰りカジノ旅行を可能としました。また、場内で俳優や歌手を招いてショウを行うなど、ラスベガスに倣った最新式のカジノを備えたホテル、リスボアなどを外港エリアに相次いで建設し、外港との間に無料のシャトルバスを運行させるとともに、カジノ税の使途は娯楽公司と政府の協議によって決めるという条項を利用して、公共工事・公共事業の支出は外港エリアに集中させ、内港エリアへはほとんど支出しないようにすることで、内港地域を拠点としていた旧勢力を徹底的に干し上げました。

 かくして、マカオの繁華街は急速に外港寄りのエリアへとシフトし、人の流れからはずれた内港エリアは急速に衰退し、新たなカジノが集中する外港エリアが繁栄するようになります。切手でもひときわ大きく描かれているグラン・リスボアは、2007年2月、総額300億パタカをかけて完成、オープンしました。

 さて、拙著『マカオ紀行』は“カジノ抜きでも楽しめるマカオ”というのを一つのうたい文句としておりますが、マカオのカジノ史については、かなりのスペースを割いて解説しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

  1月9日(日) 切手市場  
  於・東京・浅草 台東区民会館 11:00~20:00 

 拙著『マカオ紀行』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。僕は午前中から会場にいる予定です。入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。詳細はこちらをご覧いただけると幸いです。

 
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 初競りの日
2011-01-05 Wed 22:52
 きょうは全国の主な卸売市場で初競りが行われました。というわけで、拙著『マカオ紀行』のなかから、市場の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

     紅街市     紅街市(実物)

 左は、2001年に発行された紅街市の切手です。切手と同じような角度から撮影した写真もあわせて貼っておきました。

 紅街市はマカオ半島の北部、罅些喇提督大馬路と高士大馬路の角にある三階建ての市場です。1939年に建てられたという赤レンガの建物は、中央の尖塔(実物を見るまでは時計塔かと思っていたのですが、実際には時計はついていませんでした)が印象的な外観で、現在でも現役の市場として多くのマカオ市民が利用しています。

 今回ご紹介の切手では、建物の前の罅些喇提督大馬路をバスが走っている場面が描かれているので、バスが同じ位置を通過しているところを写真に撮ろうとしたのですが、結局、何度やってもできませんでした。まぁ、車が途切れた隙をついて写真を撮った方が、建物の全体像がよくわかるといえば、負け惜しみになるでしょうか。

 “紅街市/Mercado Municipal Almirante Lacerda”とポルトガル語・中国語のバイリンガルの表示がある玄関から中に入ると、売り場は、1階が野菜、乾物、卵、調味料など、2階が魚介類、3階が肉類に分かれていますが、やはり、マカオ近海産の魚介類が並ぶ2階が一番楽しめます。市場の中には、商品別の平均的な値段の一覧表が掲げられていますので、これをチェックしてから店に行けば、素人だからといってぼったくられないで済みそうです。

 なお、今回ご紹介したのは“市場の切手”ですが、今度の日曜日には切手市場にてこの切手が掲載された『マカオ紀行』の行商を行っておりますので、ぜひとも遊びに来ていただきますよう、お願い申しあげます。 

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  於・東京・浅草 台東区民会館 11:00~20:00 

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