内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ソマリランド≠ソマリア
2011-05-24 Tue 16:17
 1991年5月24日にソマリランド共和国が独立を宣言してから、きょうで20年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ソマリランド加刷(1998)

 これは、1998年にソマリランドで発行された暫定加刷切手です。

 いわゆるアフリカの角の北側、アデン湾に面したソマリランドの地域は、1870年代までエジプトのムハンマド・アリー朝が支配しており、1876年にはエジプトの郵便局も開設されました。しかし、1884年、アデン駐留のイギリス軍が駐屯するようになり、エジプトはソマリランドから撤退。イギリスはソマリランドの各部族と協定を締結し、1887年には同国を保護領化します。これに伴い、1884年にイギリス局が開局し、英領インド切手が用いられるようになりました。その後、ソマリランドを管轄したのは、英領インド帝国→イギリス外務省→イギリス植民地省と変遷。英領ソマリランドとしての切手も、1903年から発行されています。

 一方、現在のソマリアの南部(内陸部)に相当する地域は1908年にイタリア領ソマリランドとなり、現在、ソマリア人の居住地域は英領とイタリア領に分割された状態が続きましたが、第2次大戦中の1941年2月16日、イギリス軍はイタリア領ソマリランドの首都であったモガディシオを占領。その後、1950年まで、この地はイギリスの占領下に置かれます。

 第2次大戦後の1947年、連合諸国とイタリアの講和条約が結ばれ、イタリアはイタリア領ソマリランドを含むアフリカの全植民地を放棄させられましたが、イタリア撤退後の旧イタリア領ソマリランドの帰属については連合国の間でも合意が成立しなかったため、1949年11月、10年以内にこの地域を独立させることを条件に、この地域を国連の信託統治下に置き、その間、イタリアが統治権を行使することが決定されます。

 こうして、1950年4月1日、イタリア信託統治領ソマリアが成立。イタリアによる南部ソマリアの信託統治期限が切れる直前の1960年6月26日、北部の英領地域がソマリランド共和国として独立。7月1日には南部のイタリア領地域も独立し、この両者が統合されて、現在、国際社会が認知している“ソマリア国家”が誕生しました。

 しかし、独立後のモガディシオ中央政府は旧イタリア領出身者が主導権を掌握し、南部優遇の経済政策などを推し進めた結果、旧英領地域ではソマリア中央政府および南部地域への反感が強くなり、ソマリアからの脱退を求める声も高まっていきます、そして、1991年1月にモハメド・シアド・バーレ独裁政権が崩壊した後、それまでの南部優遇政策と混迷を極めるソマリア情勢に失望したソマリ国民運動が、同年5月に北部の旧英領ソマリランド地域の分離・再独立を宣言。新生ソマリランド共和国を発足させました。

 今回ご紹介の切手は、そのソマリランドで1998年に暫定的に発行されたものです。
 
 当時、ソマリランド政府は、切手の印刷をイギリスの印刷会社、ハリソン&サンに発注しましたが、ハリソン社が印刷に必要な用紙を十分に手配できなかったため、応急措置として、同社の倉庫にあったイギリスの1ペニー切手に「ソマリランド共和国 500シリング」と加刷した切手がソマリランド側に納品されました。今回ご紹介のものは、イギリスの額面1ペニーが★で抹消されていますが、加刷切手の中には、★がないものもあります。

 当然のことながら、植民地時代を連想させる切手を受け取ったソマリランド側は不快感を隠さず、この切手は、ごく短期間販売されただけで、すぐに廃棄されたということです。

 アフリカ諸国の中には、ソマリランドのソマリアからの分離独立が、自国の民族問題に火をつけることになりかねないとして、これに強く反対している国も少なくないことにくわえ、一方の当事者であるソマリアが無政府状態に陥り、ソマリランドの独立を正式に協議できない状況にあることもあって、現在、国際社会では、ソマリランドはあくまでもソマリアの一部であるいうのが建前です。この結果、事実上、国家としては崩壊して実体がない“ソマリア”が国際的に承認されているにもかかわらず、事実上、独立国家として機能し、観光客を受け入れるほどに治安のよいソマリランドが承認されていないというねじれ現象が生じています。

 昨年(2010年)、日本ユニセフ協会の“大使”を名乗るアグネス・チャンは、こうした状況を逆手にとって、実際の訪問地はソマリランドだったにもかかわらず、“ソマリア”に訪問したと主張し、“戦乱と貧困に苦しむ子どもたち”(本当にそのことを語るのなら、ソマリランドではなくソマリアへ行くのが筋だと思いますが…)についての講演活動などを行っています。

 それだけなら、単なるデタラメ芸能人の戯言で済むのかもしれませんが、彼女を広告塔として使っている日本ユニセフ協会は、集めたお金の2割程度を経費として使用することを募金者には秘匿したまま、現在なお「ソマリア教育募金」と称して募金活動を継続しています。ちなみに、同協会は、36の国と地域にある“ユニセフ国内委員会”のうちの1つではあるものの、ユニセフの日本事務所ではなく、募金ビジネスを通じて得られた“収益”により、東京都港区高輪の一等地に豪奢なビルを構えている団体で、当然のことながら、彼らの活動には詐欺まがいとの批判も少なくありません。

 こうした弊害をなくすためにも、実態にあわせて、国際社会がソマリランドの独立を早急に承認すべきではないかと僕は思います。

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 英領ソマリランド加刷
2010-08-24 Tue 22:45
 きのう(23日)、ソマリアで暫定政府軍などに対する“大規模戦争”の開始を宣言したイスラム過激派組織アッシャバーブが、きょう(24日)、首都モガディシオの暫定政府大統領宮殿近くのホテルに自爆テロなどを仕掛け、国会議員十数名を含むを含む31人が死亡、多数が負傷する事件が起きました。というわけで、きょうはソマリアがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         英領ソマリランド加刷

 これは、1903年に発行された英領ソマリランド加刷の切手です。

 いわゆるアフリカの角の北側、アデン湾に面した部分は、1870年代までエジプトのムハンマド・アリー朝が支配しており、1876年にはエジプトの郵便局も開設されました。しかし、1884年、アデン駐留のイギリス軍が駐屯するようになり、エジプトはソマリランドから撤退。イギリスはソマリランドの各部族と協定を締結し、1887年には同国を保護領化します。これに伴い、1884年にイギリス局が開局し、英領インド切手が用いられるようになりました。

 ソマリランドは、1898年までは行政上英領インド帝国の統治下に置かれていましたが、1903年にイギリス外務省の管轄に移ります。今回ご紹介の加刷切手は、これに伴い、英領インド切手に“BRITISH SOMALILAND”と加刷したものです。なお、英領ソマリランドの管轄権は1905年には植民地省に移りました。

 その後、1908年に現在のソマリアの南部(内陸部)に相当する地域はイタリア領ソマリランドとなり、現在のソマリア国家の領域は英領とイタリア領に分割された状態が続きましたが、第2次大戦中の1941年2月16日、イギリス軍はイタリア領ソマリランドの首都であったモガディシオを占領。その後、1950年まで、この地はイギリスの占領下に置かれます。

 第2次大戦後の1947年、連合諸国とイタリアの講和条約が結ばれ、イタリアはイタリア領ソマリランドを含むアフリカの全植民地を放棄させられましたが、イタリア撤退後の旧イタリア領ソマリランドの帰属については連合国の間でも合意が成立しなかったため、1949年11月、10年以内にこの地域を独立させることを条件に、この地域を国連の信託統治下に置き、その間、イタリアが統治権を行使することが決定されます。

 こうして、1950年4月1日、イタリア信託統治領ソマリアが成立。イタリアによる南部ソマリアの信託統治期限が切れる直前の1960年6月26日、北部の英領地域がソマリランド共和国として独立。7月1日には南部のイタリア領地域も独立し、この両者が統合されて現在のソマリア国家が誕生しました。

 しかし、独立後のモガディシオ中央政府は旧イタリア領出身者が主導権を掌握し、南部優遇の経済政策などを推し進めた結果、旧英領地域ではソマリア中央政府および南部地域への反感が強くなり、ソマリアからの脱退を求める声も高まっていきます、そして、1991年1月にモハメド・シアド・バーレ独裁政権が崩壊した後、それまでの南部優遇政策と混迷を極めるソマリア情勢に失望したイサック主体のソマリ国民運動が、同年5月に北部の旧イギリス領ソマリランド地域の分離・再独立を宣言。新生ソマリランド共和国を発足させました。

 現在、国際社会は、ソマリランドはあくまでもソマリアの一部であるとの立場を取っています。この結果、事実上、国家としては崩壊して実体がない“ソマリア”が国際的に承認されているにもかかわらず、事実上、独立国家として機能しているソマリランドが承認されていないというねじれ現象が生じています。

 さて、今回の“大規模戦争”がいつまで続くかはわかりませんが、いずれにせよ、当面、ソマリア情勢の混迷は続くことでしょう。きのうも、ソマリア沖・アデン湾での第6次派遣海賊対処行動部隊として、むつ市の海上自衛隊大湊基地の護衛艦「せとぎり」が大湊港から出航したということもありますし、今後も機会をとらえて、ソマリア関連の切手を御紹介していくつもりです。


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