内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ソ連とマンデラ
2016-05-17 Tue 12:04
 南アフリカ共和国(以下、南ア)ダーバン米総領事館の元副領事で、CIAのエージェントだったドナルド・リカード氏(以下、敬称略)が、1962年にネルソン・マンデラが逮捕されるきっかけになったのはCIAの情報であったことを告白してから2週間後の今年(2016年)3月、急死していたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・マンデラ

 これは、1988年にソ連が発行したネルソン・マンデラの切手です。切手の発行時、マンデラはすでに白髪になっていたと思われますが、当時の彼は獄中にあり、直近の写真が公開されなかったため、切手の肖像も1963年の逮捕前の写真をもとに作成されました。

 第二次大戦中、南アのヤン・スマッツ連合党政権は英連邦、すなわち連合国の一員として第二次大戦に参戦。第二次大戦は連合国側の勝利に終わり、南アは戦勝国としての地位を確保しましたが、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大します。当時の南アでは、他の欧米のアフリカ植民地と同レベルの有色人種に対する差別的な制度が機能していましたが、連合党が有色人種に対する譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたマランの国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判することで、アフリカーナーの支持を獲得していきます。

 こうした背景の下、1948年の総選挙で国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンで、これにより、彼らは地滑り的な勝利を収めました。

 もともとオランダ改革派教会の聖職者だったマランは「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定し、さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 これと並行して、国軍を含む公職からアフリカーナーの国民党員以外の人物を締め出し、全国の選挙区の区割りを政権側に都合の良いように変更した上で集会の自由などの国民の権利を制限しました。もちろん、“抑圧された人々”の団結を唱える共産主義は御法度です。

 当然のことながら、独立運動組織のアフリカ民族会議(ANC)はこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで、“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されたりすることもありました)に抗議するデモ隊に警官隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ズールー語で“民族の槍”を意味するウムコント・ウェ・シズウェ(MK:uMkhonto we Sizwe)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行います。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化しました。

 この過程で、西側陣営の一角を占める南ア政府に対する反対勢力として、ソ連はANCの武装闘争を支援。武器の提供のみならず、2000人に及ぶMKの戦闘員の訓練も行ないました。こうしたことから、1962年、今回の報道で話題となったリカード はマンデラが「完全にソ連の影響下にあった人物で、南アで戦争を起こしかねなかった」との認識の下、マンデラらの情報を南ア政府に提供。マンデラは1962年8月に逮捕され、翌1963年7月にはウォルター・シスルやゴバン・ムベキらANC指導部がヨハネスブルク近郊のリヴォニアにおいて一斉逮捕(すでに獄中にあったマンデラも再逮捕)されました。ちなみに、米国政府は、2008年まで、ANCを“テロリスト団体”に指定していました。

 南ア政府の弾圧により、MK は壊滅的な打撃を受け、1970年前後にはその活動も大いに低迷しましたが、この時代にもソ連はANCならびにMKを存続させるためにさまざまな支援を行っていました。そして、1976年のソウェト蜂起後、ソ連で訓練を受けたMKの戦闘員が続々と南ア入りし、各地で破壊活動を展開。国際世論の圧力と併せて、南ア政府にアパルトヘイト政策の撤廃を決断させることになりました。

 今回ご紹介の切手は、そうした背景の下、ANC の大口スポンサー出会ったソ連が、“アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴”としてのマンデラを称えるために発行したものです。もっとも、切手発行から1年後の1989年にはベルリンの壁崩壊に始まる東欧共産諸国の崩壊が起こり、東西冷戦が事実上終結。この結果、もはやANC が南ア国内で一定の政治勢力となっても、南アが共産化する可能性はなくなったことを受けて、1990年2月11日、マンデラは27年ぶりに釈放されました。ちなみに、釈放後のマンデラに対して、ソ連政府はレーニン国際平和賞を授与しましたが、翌1991年にソ連そのものも崩壊してしまったことから、マンデラは同賞の最後の受賞者となりました。

 なお、ネルソン・マンデラとその時代については、拙著『喜望峰』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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 ソチ五輪まであと1年
2013-02-08 Fri 12:03
 2014年2月7日にロシアのソチで行われる冬季五輪の開会式まで1年となったことをうけ、昨日(7日)、ソチの五輪公園ではプーチン大統領や国際オリンピック委員会のロゲ会長らが出席し、記念式典が行われたそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ソチ150年

 これは、1988年にソ連で発行されたソチ150年記念の切手つき封筒にソチ150年の記念切手を貼り、ソチからムルマンスク宛に差し出された書留便です。印面などに描かれている建物は、ソチのランドマークとなっている中央駅の時計塔です。

 2014年冬季五輪の開催地となったソチは、黒海に面し、アブハジアとの国境に近い位置にあります。この地域がロシア領に編入されたのは1829年のことで、1838年、ソチ川の河口にアレキサンドリア要塞が建設されたのが、都市としての始まりとされています。

 ソ連時代の1923年、観光客・療養者目的の鉄道が開通。スターリンのお気に入りの避暑地として政府要人の別荘が置かれたほか、一般向けの保養地としての開発も進み、多くのホテルが建設され、ロシア最大のリゾート地に成長しました。ちなみに、スポーツ施設も整っており、かのシャラポアはこの地のテニススクールで修業を積んだそうです。

 ところで、ソチを含むコーカサス地方は、民族や言語が複雑に入り組んでいて、切手や郵便史の面でもいろいろと興味深いマテリアルが少なからずあります。その一部は、先日のヨーロッパ切手展でも展示作品としてまとめてみました。まだまだ発展途上の未熟なコレクションですが、近々刊行予定の同展の作品集(詳細についてはこちらをご覧ください)にも掲載されるということですので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。現在(国内での受付期間は14日まで)、僕が日本コミッショナーとして、その出品作品を募集しております。詳細はこちらをご覧ください。


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 お題は“岸”
2012-01-12 Thu 09:40
 きょう(12日)は歌会始の日です。今年のお題は“岸”ということなので、昨年刊行の拙著の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ハバロフの探検

 これは、1990年にソ連が発行した切手つき封筒で、ハバロフスクの名前の由来となったエロフェイ・ハバロフの極東探検が取り上げられています。元の額面5コペイカに対して5コペイカの切手を加貼して、ハバロフスクから記念印を押した書留便として差し出されているのがミソです。

 ハバロフは、1649年にヤクーツクからレナ川を遡り、オリョークマ川、トゥングル川を経て、アムール川上流のシルカ川に入り、1650年にはダウリヤに到達。ヤクーツクに帰着しました。この間、一行はトゥングル川の上流でいったん上陸し、船を担いで丘を越えてシルカ川岸にいたり、再び船を下ろしたといわれています。

 ハバロフの報告を受け、ヤクーツクの総督フランツベコフは探検隊を組織し、大規模な部隊とともにハバロフを派遣。シルカ川に至ったところで先住民の攻撃を受けた一行は、アムール川が最も北に達している地点でアルバジに率いられたソロン部(索倫部)のダウール族・オロチョン族らを破り、ソロン部の中心であったヤクサ(雅克薩)にアルバジン要塞を築いて越冬。翌1651年6月にはアムール川をさらに下り、9月にはアムール川とスンガリ川(松花江)の合流点に到達し、9月29日、アムール川とウスリー川との合流地点、現在のハバロフスク近郊にあるアチャンスクに要塞を築きました。ちなみに、印面部分の年号の1653年というのは一行がモスクワに帰着した年です。

 今回ご紹介の切手つき封筒では、印面部分にハバロフ一行が岸からボートを下ろす場面が、カシェの部分にはボートを岸に着ける場面が描かれているので、“岸”というお題にピッタリかなと思って持ってきました。

 なお、ハバロフの探検と彼の名を冠した極東の大都市ハバロフスクの物語については、拙著『(切手紀行シリーズ④)ハバロフスク』でいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ソ連崩壊20年
2011-12-25 Sun 23:13
 1991年12月25日にソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフが大統領職を辞し、名実ともにソ連が崩壊してから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        クリュチェフスキー

 これは、1991年12月12日にソ連が4種セットで発行した“ロシアの歴史家”の切手のうち、クリュチェフスキーを取り上げた10コペイカ切手です。“ロシアの歴史家”はソ連として最後の切手となりましたが、カタログの番号では今回ご紹介の1枚が最後の切手となります。

 クリュチェフスキーは、帝政時代の1841年1月28日、ヴォルガ川流域・ペンザ県で聖職者の子として生まれました。地元のペンザ神学校を卒業したものの、聖職者にはならず、モスクワ大学の歴史・文学部に入学。大学卒業後、1872年に論文「歴史資料としての古代ルーシ聖者伝」を発表して注目を集め、モスクワ大学教授就任後の1886年に発表した論文「モスクワ帝国に関する外国人の報告」でロシアを代表する歴史家としての地位を確立しました。レーニンも彼の著作の愛読者で、代表作『ロシア史講話』第5巻補筆が未完成のまま、1911年に亡くなりました。

 一方、ソ連崩壊のプロセスについても簡単にまとめておくと、1991年8月19日の共産党保守派によるクーデターが鎮圧された結果、8月28日には活動停止に追い込まれました。この間、8月24日にはウクライナがソ連からの独立を宣言。さらに、12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長がベラルーシのベロヴェーシの森で会談し、これら3国のソ連からの離脱とEUと同レベルの国家の共同体の創設が宣言されました。これを受けて、12月21日、カザフスタンのアルマ・アタでソ連を構成していた共和国の首脳が会談し、独立国家共同体(CIS)の創設が決定されます。これにより、ソ連はその存在意義を失い、12月25日のゴルバチョフ辞任につながっていくわけですが、今回ご紹介の切手は、まさに、そうした混乱のさなかに発行された1枚といってよいでしょう。

 ちなみに、11月に上梓した拙著『ハバロフスク』は、ソ連崩壊20周年の節目にあわせて、激動のソ連・ロシア現代史の一端を切り取るよう、努力して作ってみた本です。また、同署には先日亡くなったばかりの金正日の実際の生地ヴャツコエを訪ねたレポートも付録として掲載しておりますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ソ連8月クーデターから20年
2011-08-19 Fri 21:03
 ソ連崩壊の直接のきっかけとなった1991年8月19日のクーデターから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        8月クーデター失敗

 こては、1991年10月11日にソ連が発行した“8月クーデター失敗”の記念切手で、ロシア最高会議ビル(通称ホワイトハウス)を取り囲む市民が描かれています。

 1985年にソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、いわゆるペレストロイカとグラスノスチを推進し、東西冷戦に終止符を打ちましたが、彼の改革路線に対しては国内の守旧派の反発も強く、経済再建は事実上とん挫してしまいました。

 こうした中で、ゴルバチョフは事態を打開するための方策として、ソ連を構成する各主権共和国は独立した共和国として共通の大統領、外交、軍事政策下に連合するという新連邦条約を締結することを決断しました。

 これに対して、守旧派は新連邦条約によって、いわゆるバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の完全独立が促進され、ソ連の解体が進むことを恐れた保守派は、条約への大統領の署名予定日前日の1991年8月19日、クリミア半島フォロスの別荘で休暇中のゴルバチョフに対して、副大統領ヤナーエフへの全権委譲と非常事態宣言の受入れ、大統領辞任を要求。ゴルバチョフがこれを拒否すると、彼を別荘に軟禁しました。

 一方、モスクワでは、同日早朝、クーデター側の組織した国家非常事態委員会の名義で「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で執務不能となりヤナーエフ副大統領が大統領職務を引き継ぐ」との声明が発表されるとともに、クーデター側が全権を掌握し、モスクワ中心部に戦車が出動しモスクワ放送は占拠されました。

 これに対して、ロシア共和国大統領で急進改革派のエリツィンは「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」との声明を発表。連邦大統領のゴルバチョフが国民の前に姿を見せること、臨時人民代議員大会の招集などを要求し、自ら戦車の上で旗を振りゼネラル・ストライキを呼掛け戦車兵を説得しました。また、市民はこれに呼応してロシア共和国最高会議ビル周辺にバリケードを構築し、銃や火炎瓶を手に、クーデター側との戦闘に備えました。今回ご紹介の切手は、その場面を描いたものです。

 結局、守旧派のクーデターは国民の猛反発を招き、軍も早々に離反。国際社会の非難もあって、20日には一部で流血があり3人が犠牲となったものの、8月21日にはクーデターは完全な失敗に終わり、ゴルバチョフが復活しました。この事件をきっかけに、ソ連共産党の権威は完全に失墜し、8月28日には活動停止に追い込まれました。なお、ソ連そのものが完全に解体されたのは、同年12月25日のことでした。


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 世界漫郵記:ハバロフスク⑧
2011-07-20 Wed 23:58
 『キュリオマガジン』2011年8月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の8回目。今回と次回の2回に分けて、シェフチェンコ通りの3つの博物館について取り上げますが、その前編にあたる今回の記事の中から、こんなモノをご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        チェーホフ・サハリン旅行100年

 これは、1990年にソ連で発行された“チェーホフのサハリン旅行100年記念”の切手つき封筒です。

 ロシア文学を代表する文豪、アントン・チェーホフは1860年生まれで、1884年にモスクワ大学医学部を卒業して医師の資格を得た後、医師と作家の二足のわらじの生活を送っていました。当初、彼は生活費を稼ぐために短篇のユーモア小説を量産していましたが、1886年に老作家ドミートリイ・グリゴローヴィチの忠告を受けて本格的な長篇に取り組み、1887年、初の本格的な長編戯曲『イワーノフ』を発表。その成功により、一躍、文壇の寵児となりました。

 その後、チェーホフは1890年4月から12月まで、サハリン(当時は全島がロシア領)での流刑囚の実態調査のため、モスクワから9000キロの大旅行を行うのですが、その過程でハバロフスクにも立ち寄っています。その際、彼は、帝政ロシアの駐屯軍の将校集会所が置かれていた建物の特別室に宿泊しましたが、その建物は、現在、極東ロシアでも有数の美術館とされている極東美術館として利用されています。下はその画像です。

        極東美術館

 さて、サハリンから戻った彼は、道中の記録や調査の結果を『シベリアの旅』、『サハリン島』として順次発表しましたが、この『サハリン島』が作家チェーホフの転機になったとする専門家は多いようです。ただし、『シベリアの旅』は『サハリン島』の序文ともいうべき、ごく短い文章で、残念ながら、ハバロフスクについての記述はありません。

 ちなみに、チェーホフが泊った極東美術館の前の通りに名を残したタラース・シェフチェンコは、ウクライナ出身の詩人・画家で、ロシア皇帝とその妻を非難する詩を書いたことが露見してカザフスタンなどに流刑された人物です。チェーホフが生まれて間もない1861年に亡くなりましたが、チェーホフがハバロフスクを訪れた1890年の時点では、この通りは、“アレクセイ通り(1873年に極東総督アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ大公がこの地を訪れたことを記念して命名)”と呼ばれていました。流刑囚の悲惨な暮らしを抑えた筆致で淡々と記録したチェーホフも、まさか、自分の宿泊先の通りが流刑囚にちなんだ名前になるとは思いもしなかったでしょうね。

 今回の記事では、チェーホフゆかりの極東美術館とあわせて、通りを挟んで反対側の赤軍博物館についてもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 チェルノブイリ原発事故25年
2011-04-26 Tue 13:41
 1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起きてから、きょうでちょうど25年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     チェルノブイリ5周年

 これは、1991年にソ連で発行されたチェルノブイリ事故5周年の切手です。切手には放射能汚染を受けた草原が描かれています。チェルノブイリの地名は、ハーブの一種、Artemisia vulgaris(オオヨモギ?) を意味するロシア語のchornyj(黒い)+bylija(草)に由来するということなので、切手に描かれているのも、そうした野生のハーブなのかもしれません。

 ウクライナ(当時はソ連を構成する共和国の一つ)の首都キエフの北方、プリピャチ川沿岸のチェルノブイリ近郊、プリピャチ市の原子力発電所は、1971年に着工され、1978年5月に1号炉が営業運転を開始していましたが、1986年4月26日、当時操業休止中だった4号炉で、原子炉が止まった場合を想定した実験を行っていたところ、突如、制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされています。

 この爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に大量に(推定10t前後)放出されましたが、当初、ソ連政府は住民のパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を公表せず、また、付近住民の避難措置なども取られませんでした。しかし、翌27日、スウェーデンのフォルスマルク原子力発電所で、この事故が原因の放射性物質が検出されて事故が発覚。日本でも、5月3日に雨水中から放射性物質が確認されました。

 爆発後も火災は止まらず、5月6日まで大規模な放射性物質の漏出が続いた結果、チェルノブイリ周辺は、居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされました。ソ連当局によれば、事故発生から1ヶ月後までに原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したことになっていますが、故郷離れがたく地元に残った老人も少なからずいたことがわかっています。

 さて、3月の東日本大震災に伴う福島原発の事故で、ふたたびチェルノブイリのことが脚光を浴びるようになっていますが、ふたつの事故はいくつかの点で根本的に異なっています。

 まず、福島原発が軽水炉であるのに対して、チェルノブイリは黒鉛炉です。チェルノブイリでは、可燃性の黒鉛を中性子の減速材として用いていたことで、さらなる加熱と火災、爆発を生じ、放射能が遠くまで飛散することになりました。

 また、チェルノブイリでは、実験中に核分裂が暴走し臨界状態に至り爆発事故となりましたが、福島原発では一旦制御棒によって核分裂を停止しているので、臨界状態にはほど遠い「余熱」による比較的低いエネルギー状態から事故が始まっています。つまり、チェルノブイリのような爆発事故は、基本的にはあり得ないということです。

 さらに、チェルノブイリには福島原発のような圧力容器や格納容器もありませんでした。

 このように、事故そのもののレベルとしては、チェルノブイリの事故は福島よりもはるかに深刻な事態だったわけで、福島とチェルノブイリを同一視することは大いに疑問があります。それにもかかわらず、日本政府が福島の事故を国際評価尺度で最悪の「レベル7」(チェルノブイリ並み)に引き上げたのは、みずから、事故後の対応のまずさによる人災の面が大きいことを認めたということなのでしょうか。あるいは、天災に加えて“チェルノブイリ並み”だから仕方なかったと言いたいのかもしれませんが、そうだとしたら、責任逃れの詭弁にすぎません。まさに、左派系市民活動家たちが批判して止まない、戦前の“大本営発表”と同じですな。
 
 そういえば、良くも悪くも共産党の一党独裁国家だったソ連では、事故後の処理に対して強権を発動してともかくも1ヶ月で事故を収束させたのに対して、菅政権は、現場スタッフの奮闘をよそに、国民に対しては必要な情報を秘匿しながら、右往左往するばかりで貴重な1ヶ月を空費しました。これもまた、ふたつの事故の大きな違いといってよいでしょう。

 かつて、ソ連軍は、ノモンハン事件の体験から、日本軍は兵・下士官はきわめて優秀・勇猛だが、司令官はどうしようもなく無能という評価を下していたそうです。70年以上が経った現在でも、その本質があまり変わっていないというのも、情けない話ですな。


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 拙著『切手百撰 昭和戦後』の刊行を記念して、下記のイベントを行います。

 ・4月30日(土) 15:00- 出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。また、会場内で『切手百撰 昭和戦後』をお買い上げの方に、メイン企画の“わちふぃーるど”にちなみ、下の画像の猫切手(いずれも“昭和戦後”に発行されたものです)のうち2枚を各日先着100名様にプレゼントいたします。(上の画像は、会場内に掲示予定のポスターです。こちらもご覧ください)

     黒き猫  近代美術・黒船屋  ふみの日(1988年・猫)

 ・5月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。最新作の『切手百撰 昭和戦後』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。

 どちらも入場無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


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 ロシアのウナギ
2010-07-26 Mon 13:53
 きょう(26日)は土用の丑の日です。というわけで、ストレートにこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシアのウナギ

 これは、1986年にソ連で発行された切手つき封筒で、カシェに2匹のウナギが描かれています。

 近年、ロシアでは日本食が人気を集めており、2009年の時点で、モスクワにはおよそ600点もの(自称)日本食レストランがあるそうです。その結果、寿司など魚を中心とした料理が注目されるようになっているわけですが、その内実は、腐りかけたマグロでも新鮮なマグロに見せかけるために一酸化炭素ガスで処理する“ガスマグロ”が横行するなど、かなり厄介な状況です。

 ウナギに関しても、養殖に際して、発癌性の疑いのある防腐剤・マラカイトグリーンを使用した市場に氾濫していることが問題視されています。というのも、日本やアメリカ、EUではマラカイトグリーンを使って育てたウナギを販売することは違法ですが、ロシアではそうしたウナギを規制する法律がないため、他の市場では売れなくなったマラカイトグリーン入りのウナギがモスクワ市場に殺到しているためです。このため、ロシアのウナギ市場は“ウナギの墓場”とまで言われているのだとか…。なんとも恐ろしい話ですな。

 養殖モノの輸入ウナギがダメなら、アムール川あたりであがってくる天然物を食べられれば良いのですが、近年、アムール川は対岸の中国側から垂れ流される工場排水の影響で汚染が深刻となっていますので、こちらも安心して食べるというわけにはいかなさそうです。

 やっぱり、ウナギは国産のモノに限るということなんでしょう。まぁ、安物に飛びついて産地偽装ウナギをつかまされるのも癪ですし、年に一度のことですから、今夜は少し奮発して、神田か日本橋あたりの老舗の鰻屋に行ってみますかね。

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 KGBの亡霊?
2006-10-12 Thu 01:02
 日本では北朝鮮の核実験の影に隠れて目立たぬ扱いですが、ロシアでは反プーチンの急先鋒だった著名な女性ジャーナリストが暗殺され、かの国における“言論の自由”のあり方が欧米では問題視されているようです。そこで、こんなものを引っ張り出してみました。(画像はクリックで拡大されます)

KGB70周年

 これは、1988年、当時のソ連が発行した国境警備70周年の記念封筒ですが、よくみると、КГБ(KGB)の文字が入っているのがお分かりいただけると思います。このKGBは、まさに、あのKGB、国家保安委員会(正式名称はソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会)です。実は、当時のソ連では、国境警備はKGBの担当で、それゆえ、国境警備70年という機会にKGBの名前が表に出てきたというわけです。

 ロシア革命の直後から、レーニンは秘密警察を組織して反対派に対する恐怖政治を行っていました。その秘密警察の系譜に連なるものとして、1954年3月13日、内務省に統合されていた国家保安機能が再び独立して設立されたのが、国家保安委員会です。

 国家保安委員会の業務は、①資本主義諸国における諜報業務、②スパイ、破壊工作、テロその他の破壊活動対策、③反ソ及び民族分子の敵対活動対策、④ソ連軍・海軍・空軍・国境軍及び内務省軍における防諜業務、⑤特殊施設・特別重要産業施設及び輸送機関における防諜業務、⑥国境警備、⑦党及び政府の指導者の警護、⑧政府通信の組織及び保障、⑨無線防諜業務の組織、とされていました。その大半は、やはり、治安警察・諜報機関の役割に相当するもので、今回取り上げた国境警備という任務は、ちょっと例外的な感じがします。

 ソ連邦が解体される直前の1991年10月11日(昨日でちょうど15周年だったんですね)、KGBも共和国間保安庁(後のロシア連邦保安庁)、中央情報庁(後のロシア対外情報庁)、国境警備委員会に分離され消滅します。しかし、旧KGB関係者は、その性格上、ロシア社会の裏の裏まで知り尽くしているため、ソ連が解体され新生ロシアが発足した後も、合法・非合法な手段を駆使して社会的に成功を収めるケースが多いようです。現大統領のウラジミール・プーチンも旧KGBの出身であることは広く知られている通りです。

 今回の女性ジャーナリスト暗殺事件の犯人が何者なのか、現時点では不明ですが、ロシアでは大統領や体制に批判的なジャーナリストの暗殺事件がしばしば起こっていると報じられています。プーチンの過去のキャリアとあわせて、こうしたロシアの現状を見ると、いまなおかつてのKGBの亡霊が跋扈しているような印象を持ってしまうのは、おそらく、僕だけではないはずです。

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 レオナード・ペルティエ
2005-07-04 Mon 08:38
 今日は7月4日。いわずと知れたアメリカ合衆国の建国記念日です。

 アメリカという国が作られていく過程で、白人による西部開拓で、ネイティブ・アメリカン(いわゆるアメリカ・インディアン)が居留地に押し込められて苦境に追いやられたことは周知の通りです。近年、世界的な人権・環境保護の意識が高まったことで、アメリカ政府は過去の搾取への補償と土地返還などを求められていますが、その対応は必ずしも十分とはいえないようです。

 一方、いわゆるインディアンの側でも、白人社会に対する反応はさまざまですが、中には、既存のアメリカ社会に激しい敵意をあらわにしているグループもあります。その代表的なものが、1973年、ウーンデッド・ニー占拠事件を起こしてアメリカ政府軍と戦ったアメリカン・インディアン・ムーブメント(AIM)でした。

 で、そのAIMの中心人物としてFBIからマークされ、1977年にネイティブ・アメリカン居住区で起きたFBI捜査官の殺人事件の容疑者として逮捕され、現在も獄中にあるのが、レオナード・ペルティエです。ただし、ペルティエの逮捕に関しては、アメリカ国内でも証拠が不十分な上、裁判が公正に行われていないというとの批判も少なくなく、議論の的になっています。いずれにせよ、現代のアメリカ社会で、ネイティブ・インディアンの問題が語られる時、ペルティエのことは避けて通れない話題となっているようです。

 さて、そうしたペルティエの存在は、アメリカン人種差別を糾弾しようという側からすれば、格好の素材となっているわけで、たとえば、東西冷戦下の1985年、当時のソ連は、学生たちに、↓のようなカバーを組織的に差し出させています。

ペルティエ嘆願カバー

 カバーには、4000万人を超えるソ連の若者が、“アメリカ・インディアンの権利を求める闘士”ペルティエの解放を求めている旨の英語の文面が貼り付けられています。宛先は、ホワイトハウスで、おそらく、同種の内容の手紙(学校などで組織的に作られたものでしょう)が同封されていたものと思われます。

 アメリカの切手の中にはネイティブ・アメリカンを題材にしたモノもないわけではないのですが、当然のことながら、それらはアメリカ社会の暗部を記録したものとはなっていません。そこで、搦め手的なアプローチですが、ネイティブ・アメリカンの問題を切手や郵便物から語るための素材としては、こんなモノもあるんだよ、という意味で、このカバーをご紹介してみました。

 なお、アメリカの人種差別を告発するソ連のプロパガンダに関しては、ちょうど一月前、6月4日の日記 もあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベント告知 (明日です!) ★★★
 
 7月5日(火)、 新宿ロフトでトークイベント 「復活!!!!北朝鮮祭り~最近の北鮮総括!」に登場します。よろしかったら、遊びに来てください。 (詳細はhttp://www.piks.or.tv/ をご覧ください)
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