内藤陽介 Yosuke NAITO
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 キルギスで貨物機墜落
2017-01-17 Tue 09:49
 中央アジア・キルギスの首都ビシュケクのマナス国際空港近くで、きのう(16日)、香港を出発し、ビシュケク経由でイスタンブルに向かう途中だったトルコの航空貨物会社ACT航空の貨物機が住宅地に墜落。この事故で、43棟が損壊し、この記事を書いている時点で、住民と乗員5人を合わせて約40人が亡くなりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・マナス国際空港(1982)

 これは、旧ソ連時代の1984年に発行された切手つき封筒で、マナス国際空港が描かれています。
 
 もともと、ビシュケクの国際空港としては、首都南郊の旧フルンゼ空港がありましたが。これに代わる新空港として市街地の北西に建設されたのがマナス国際空港です。同空港は、1974年10月、当時のソ連首相アレクセイ・コスイギンを乗せた1番機が着陸して運用が開始され、1975年5月4日にはアエロフロートのモスクワ便が定期就航しています。

 マナスという空港名は、キルギスに伝わる英雄叙事詩の『マナス(マナスエポス)』に由来するものです。

 『マナス』はキルギスの伝説の王マナスと父のジャキルハーン、息子のセメティ、孫のセイテクを中心に、キルギスの民が団結し、カルマク(モンゴル系のオイラート)やクタイ(キタイとも。中国、契丹とみられている)等の敵と戦って勝利する物語や騎馬民族の文化、中央アジアの自然などを歌い上げた壮大な叙事詩で、19世紀に文書化されるまで、長らく口承によって伝えられてきました。その分量は50万行以上にも及び、世界で最も長い詩とされています。

 ロシア帝国の時代、西トルキスタンは1867年に設置されたトルキスタン総督府の支配下に置かれており、現在のキルギス国家の領域は、北部はセミレチエ州、南部はフェルガナ州の一部となりました。

 トルキスタン総督府の支配下で、セミレチエ州はロシア人農民の入植地となっていましたが、第一次大戦後中の1916年、戦時動員に対する反発から中央アジア全域で大規模な反乱が発生すると、セミレチエ州では、キルギス人とロシア人の間で大規模な衝突が発生し、流血の惨事が発生します。

 さらに、1917年のロシア革命後、旧トルキスタン総督領ではトルキスタン自治政府が成立しましたが、自治政府は赤軍の攻撃により崩壊。1918年2月、ソヴィエト共和国としてトルキスタン自治共和国が成立し、モスクワから派遣されたトルキスタン委員会の指導下に置かれました。

 1922年末にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立すると、中央アジアでは民族別の領域区分が導入されることになり、1924年、民族・共和国境界画定が行われます。これにより、キルギス人の居住地域は、ロシア共和国に帰属するカラ・キルギス自治州とされました。カラ・キルギス自治州は、1925年にはキルギス自治州に改称され、1926年にキルギス社会主義自治共和国となります。その後、1936年、自治共和国は、ソ連邦の構成共和国として、キルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格しました。

 スターリン体制の下では、“民族主義”は厳しく弾圧されていましたが、キルギスの『マナス』は(非ロシア人の)敵との戦いを強調する内容から、戦意高揚の役割を担うものとして、例外的に高い評価を受けていました。さらに、1960年代以降、中ソ対立が激しくなると、中国と思しきカタイ(キタイ)を打倒したマナス(王)の名を冠した施設が首都フルンゼ(現ビシュケク)に複数つくられます。今回ご紹介のマテリアルのマナス国際空港も、そのひとつです。

 なお、1991年のソ連崩壊によるキルギス独立当初、マナス国際空港は利用者が激減し寂れていましたが、2001年12月、国連の承認に基づきアフガニスタンにおける対テロ戦争支援の拠点としてマナス米空軍基地が設置され、米軍部隊が駐留するようになりました。

 今回の事故原因は現在調査中ですが、キルギスのアブルガジエフ副首相は国営テレビに対し、「予備段階の情報によれば、飛行機の墜落はパイロットのミスによるもの」だと説明しているそうです。亡くなられた方の御冥福をお祈りするとともに、住宅損壊の被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。


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 年賀状の切手
2016-01-04 Mon 10:19
 例年のことですが、“郵便学者”という看板を掲げて生活している関係から、僕は毎年、年賀状には干支にちなんだ切手を取り上げることにしています。もっとも、ただ単に干支の切手を持ってくるだけではつまらないので、①できるだけ他の人が使いそうにないモノ、②その年の仕事の予告編になりそうなモノ、③可能な限り、干支を取り上げた年賀切手は除く、という基準で選んでいます。きょう(4日)は仕事始めでオフィスで僕の年賀状をご覧になるという方もあると思いますので、今回の年賀状の切手について簡単にご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・モスクワ動物園120年

 これは、1984年2月16日にソ連が発行した“モスクワ動物園120年”の記念切手のうち、マンドリルを描いた1枚です。

 元日のご挨拶でも少し触れましたが、今年は1956年の日ソ国交回復から60年という節目の年でもありますので、昨年11月に刊行した『アウシュヴィッツの手紙』の姉妹編として、秋にはシベリア抑留を題材とした本を作りたいと考えております。また、越年してしまった宿題としてのユダヤ本についても、ロシア・ソ連は重要な要素となることは確実なので、ソ連時代の切手の中から、最もインパクトのある猿ネタということで、この切手を持ってきました。

 さて、切手発行の名目となったモスクワ動物園は、1864年、帝国動物・植物環境順化ロシア協会として開園したロシア最古の動物園です。通りを挟んで旧園と新園(1927年開園)に分かれており、開園時には、ロシア国内に生息する動物のほか、皇帝アレクサンドル2世から寄贈されたインドゾウや皇族のコンスタンチン・ロマノフ公から寄贈されたサイなど、家畜134種類、野生動物と鳥類153種類、爬虫類7種類が飼育されていました。

 モスクワ動物園は、1941-45年の独ソ戦の最中でも休園せずに営業を続け、600万人以上の来場者を集めています。この間、園内に焼夷弾が落下した際には、職員が動物たちの側から離れず、自宅から持ち出した毛布などで割れた窓ガラスをふさいだり、脅える動物たちをなだめたりしたという英雄譚も伝えられています。

 なお、例によって、年賀状の投函は年末ぎりぎりになってしまいましたので、まだお手元に届いていない方もあるかと思います。(ちなみに、拙宅には、明らかに昨年の御用納め以前に投函されたと思しき、オフィスからの年賀状が昨日の夕方にも何通か届きました)

 早々に賀状をお送りいただきながら、僕の賀状がまだ届いていないという方々におかれましては、今しばらくお待ちいただきますよう、伏してお願い申し上げます。


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 世界漫郵記:ハバロフスク⑦
2011-06-24 Fri 09:31
 『キュリオマガジン』2011年7月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の7回目。前回に引き続き、栄光広場の話を書きましたが、その記事の中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ソ連邦英雄     ソ連邦英雄記念碑

 左は、1984年に発行された“ソ連邦英雄50年”の記念切手で、右は、栄光広場の一角に立てられた“ソ連邦英雄”のオベリスクです。

 ハバロフスクの栄光広場は上下二段式になっていますが、“永遠の火”の裏手から階段を上って上の広場へ行くと、正面のつきあたりに極東ロシアで最大というスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂があり、その手前右側にはソ連時代に“ソ連邦英雄”の称号を授与されたハバロフスク出身者をたたえるオベリスクが立っています。

 ソ連邦英雄は、旧ソ連で“英雄的な行為”を行った者に与えられたソ連最高の名誉称号であり、1934年の制定以来、1万2745人に授与されました。その多くは第二次大戦中の授与です。ハバロフスクとは直接関係ありませんが、スパイ事件で有名なリヒャルト・ゾルゲも、死後の1964年、ソ連邦英雄の称号を授与されています。

 このほか、ソ連では、主として経済・文化活動の功績に与えられる社会主義労働英雄(1938年12月27日に制定)や、10人の子を産んだ母親に与えられる母親英雄(1944年7月8日に制定)の称号があり、オベリスクの裏側には社会主義労働者英雄の名前も刻まれています。

 記念碑は英雄称号を示す金星章(社会主義労働者英雄の場合は、1940年5月22日以降、星の中に槌と鎌のマークが入るようになりました)の下に、“英雄”たちの名前を刻んだもので、1970年代に建立されました。その背後には、やはり、各種の勲章受章者とその名前を刻んだ壁が続いています。

 なお、ソ連崩壊後、英雄称号を示す金星章を含め、旧ソ連の勲章がオークションなどに出品されるようになりましたが、レプリカも多いので入手には注意が必要です。少なくとも、観光地の露店で売られているようなものは、ほぼ確実にレプリカないしは偽物と見てよいでしょう。

 今回の記事では、このオベリスクとあわせて、背後のスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂とその内部の壮麗な装飾についてもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 フルンゼとビシュケク
2009-02-04 Wed 17:07
 旧ソ連諸国で構成するユーラシア経済共同体(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)と集団安全保障条約機構(上記5カ国とウズベキスタン、アルメニア)の首脳会議に出席するためモスクワを訪問していたキルギスのバキエフ大統領は、2001年9月のアメリカ同時テロ事件後、同国の首都ビシュケク近郊のマナス空港に置かれた米空軍基地の閉鎖を発表しました。というわけで、この1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 フルンゼ100年

 これは、1985年にソ連が発行したミハイル・フルンゼ生誕100周年の記念切手です。

 フルンゼは1885年、キルギスの首都ビシュケクで生まれました。10代の頃から社会主義者として活動し、1905年の第1次ロシア革命では繊維労働者のデモを組織。その後、逮捕されて死刑宣告を受けたものの、減刑されてシベリア送りとなりました。シベリアへの流刑中、彼はクラウゼヴィッツやジョミニ、孫子らの著作を読んで軍事知識を身に付けてからチタへ逃亡し、ボリシェヴィキの機関誌の編集を担当。1917年に2月革命が勃発すると、赤衛隊の指導者として活躍しました。

 革命後の内戦に際しては、赤軍の指揮官としてオムスクでアレクサンドル・コルチャク率いる白軍を破ったほか、東部戦線全体の総司令官としてトルキスタンの白軍を制圧。1920年11月には、最後まで白軍の支配下にあったクリミア半島を占領したほか、ウクライナのアナーキスト運動も鎮圧しています。こうした功績が認められ、1921年には党の中央委員会委員となり、1925年1月には陸海軍人民委員・革命軍事会議議長に就任しています。しかし、同年10月、腹部手術の失敗により(スターリンによる謀殺説もある)40歳の若さで亡くなり、遺体はクレムリンの城壁に葬られました。

 このように、ソ連建国の軍事的英雄として、ソ連時代のキルギスでは首都のビシュケクは彼にちなんでフルンゼと改称されたほか、モスクワには彼の名にちなんだエリート将校養成機関のフルンゼ総合軍事大学も設けられました。なお、1991年のキルギス独立に伴い、同国の首都はフルンゼからビシュケクへと改称されています。

 さて、今回の米軍基地の閉鎖は、表向き、駐留長期化に伴い、米兵による殺人事件の発生などで国内世論の反発が強まったことが理由となっています。しかし、実際には、アメリカからの経済支援が期待したほどには得られなかったことに不満を持っていたキルギスに対して、旧ソ連圏への影響力の保持を狙うロシアが財政支援(20億ドルの信用枠の提供と1億5000万ドルの金融支援)を持ちかけ、それと引き換えにキルギス側が米軍基地を閉鎖したという構図になっています。

 もちろん、ロシア・キルギス両国は、今後もアフガンでの対テロ作戦で米国と協力を続けると語っていますが、ロシアのメドベージェフ大統領は今回のキルギス支援に対して「同盟的性格を確認するものだ」と強調しています。まぁ、現在ではキルギスもれっきとした独立国ですから、ロシアにおもねってビシュケクが再びフルンゼと呼ばれるようになる日が来るということはないのでしょうが、今後、ロシアの影響力が一段と強まっていくことだけは避けられないでしょうね。


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