内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 ルハーンスク/ルガーンスク
2014-04-30 Wed 10:10
 ロシアと国境を接するウクライナ東部ルハーンシク(ロシア名:ルガーンスク。ルガンスクとも)州の州都ルハーンシクで、きのう(29日)、数百人の親露派が州政府庁舎を急襲して占拠。親露派勢力は“ルガンスク人民共和国”の創設を計画し、5月11日に住民投票を行って賛成多数ならウクライナからの分離独立を宣言すると主張しているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ヴォロシーロフ・不発行

 これは、1958年、ソ連が発行を予定していたものの、不発行に終わった“ヴォロシーロフグラード機関車工場”の切手です。

 現在のウクライナ・ルハーンシク州の地域は、17世紀にロシア帝国が併合しました。1790年、現在のルガンスク周辺で砂鉄と石炭が発見されたことから、エカテリーナ2世はこの地に鋳鉄製造工場の建立を命じました。これに伴い、工場周辺に“イエカテリノスラヴスキ・ザヴォド”と呼ばれる集落が形成されました。これが、現在のルガンスク市の起源とされています。

 イエカテリノスラヴスキ・ザヴォドは、1797年、“ルガーンスキイ・ザヴォート”と改称されます。1800年にはウクライナ発の高炉が建設され、英国出身の技師とセルビア出身の軍人を中心に、武器の生産がスタート。その後、1882年には“ルガーンスク”と改称され、1896年に蒸気機関車工場が建設されるなど、ロシア帝国有数の工業都市へと成長しました。

 ソ連成立後は、帝政ロシア時代のエカテリーノスラフ県(ソ連成立後はルガンースク州)出身の軍人、クリメント・エフレモヴィチ・ヴォロシーロフにちなんで、1935年、“ヴォロシーロフグラード”と改称されます。

 ヴォロシーロフはスターリンの側近として、1934年に国防人民委員(国防相)に就任し、翌1935年にはソ連邦元帥の称号を得て、赤軍内の大粛清を推進した人物です。ただし、大粛清の結果、赤軍は有能な幹部を多数失うことになり、1939-40年の第1次蘇芬(ソ連=フィンランド)戦争でのソ連側の苦戦や1941年以降の独ソ戦での緒戦での敗退の原因を作ることになりました。

 その後もヴォロシーロフはスターリンの中心であり続けましたが、1953年にスターリンが亡くなると、ソ連共産党第一書記のフルシチョフ、首相のゲオルギー・マレンコフによって、国家元首である最高会議幹部会議長に選出されます。当初は、フルシチョフによるスターリン批判に対しても否定的でしたが、最終的にフルシチョフ側に寝返り、その地位を維持しましたが、1960年5月7日、引退に追い込まれ、同年7月16日、党幹部会員から解任されました。

 こうした時勢の変化に伴い、ヴォロシーロフグラードは、1958年、旧称のルガーンスクに戻されます。今回ご紹介の切手は、改称後の発行が計画されていたものの、地名の表記が旧称の“ヴォロシーロフグラード”のままであったため、実際には発行されずに終わったものです。

 さて、1961年以降、ヴォロシーロフは引退して年金生活に入っていましたが、フルシチョフ失脚後の1966年、ブレジネフ(ちなみに、彼はヴォロシーロフの後任の最高会議幹部会議長でした)によって1966年に中央委員に返り咲き、1969年12月2日、モスクワで亡くなりました。

 これを受けて、1970年、ルガーンスクは再びヴォロシーロフグラードに改称されます。その後、ソ連末期の1990年には旧称のルガーンスクが3度目の復活を果たしたものの、翌1991年のウクライナ独立に伴い、地名もウクライナ語の“ルハーンシク”へと変更され、現在に至っているわけですが、今後も親露派勢力による都市の選挙が続き、5月11日の住民投票の結果、ウクライナからの分離独立が賛成多数を占めれば、当然、地名もロシア語のルガーンスクが復活することになるでしょう。そうすると、現在の“Луганськ(ウクライナ語)”となっている消印の表記も“Луганск(ロシア語)”に変わることが予想されますが、状況によっては、ウクライナ切手にロシア語表示の消印が押されていたり、ロシア切手にウクライナ語の消印が押されていたりと、過渡的なマテリアルが生まれることになりそうで、今後の推移に注目したいところです。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


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 セヴァストーポリの提督
2014-03-03 Mon 14:12
 おととい(1日)、ウクライナ新政権により同国の海軍総司令官に任命されたばかりのデニス・ベレゾフスキー提督が、きのう(2日)、セヴァストーポリの海軍本部をロシア軍の特殊部隊に包囲され、抵抗せずに降伏。これを受けて、クリミア自治共和国政府のアクショーノフ首相は、同日付で“クリミア海軍”を創設し、提督を同海軍司令官に任命するとともに、クリミア半島に駐留するウクライナ軍の全部隊に対し、自らへの忠誠を求めました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ナヒーモフ提督

 これは、1954年10月17日、ソ連が発行したセヴァストーポリ防衛100周年の記念切手のうち、1855年にセヴァストーポリ要塞で戦死したロシア海軍の英雄、パーヴェル・ステパーノヴィチ・ナヒーモフ提督を取り上げた1ルーブル切手です。“セヴァストーポリの提督”というと真っ先に名前の挙がる人物でしょう。ちなみに、この切手が発行された1954年は、ウクライナのロシアへの統合300年を記念して、クリミア州はソ連構成国のロシアからウクライナに移管された年でもあります。

 1853年7月、ロシアはオスマン帝国の宗主権の下で自治を認められていたモルダヴィアとワラキアを解放するとの名目で同地に進軍。これに対して、オスマン帝国はロシア側に撤兵を求めたものの、ロシア側がこれを無視したことで、同年10月、クリミア戦争が勃発しました。

 これに対して、ロシアの南下を嫌った英仏は、翌1854年3月28日、オスマン帝国と同盟を結んでロシアに対して宣戦布告。当初、同盟軍は黒海の要衝オデッサの攻略を目指していましたが、オーストリアが国境線に部隊を配置して同盟軍のバルカン山脈以北への進軍を阻止したため、黒海艦隊の基地があるセヴァストーポリが攻略目標となります。

 一方、迎え撃つロシア側は、英仏艦隊によるセヴァストーポリへの砲撃を防ぐため、湾内に黒海艦隊を自沈させ、陸上でも防塁を設けて街全体を要塞化して対抗。1854年9月28日に始まった包囲戦は長期化し、1855年9月11日の要塞陥落まで、両軍で20万人以上の死者(病死を含む)を出す激戦となりました。この間、1855年7月12日には、黒海艦隊司令長官のナヒーモフが頭に銃弾を受けて戦死。この結果、ナヒーモフはロシア海軍の英雄となり、ソ連時代の1944年には、現在まで続く“ナヒーモフ勲章”が制定されたほか、海軍幼年学校は“ナヒーモフ海軍学校”と称されるようになりました。

 さて、きのう、わずか1日でウクライナから寝返ったベレゾフスキーは、セヴァストーポリの海軍本部がロシア軍の特殊部隊に包囲されたため、抵抗できなかったということになっていますが、ウクライナ人からすると、セヴァストーポリの包囲戦で殉職したナヒーモフを見習えと言いたいところでしょうな。まぁ、今回、彼が“クリミア海軍”の初代海軍司令官に就任したことで、クリミア自治共和国内の海軍幼年学校が“ベレゾフスキー海軍学校”と名前を変えることぐらいはありうるかもしれません。そうなったら、同校の授業では、まず「寝返りは戦国の常」と学生たちに教えるんでしょうかね。


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 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 “私はカモメ”から50年
2013-06-16 Sun 11:31
 1963年6月16日に旧ソ連の宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワが女性で世界初の宇宙飛行を果たして、きょう(16日)で、ちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       テレシコワ

 これは、1963年にソ連で発行されたテレシコワの宇宙飛行成功の記念切手で、彼女を乗せたボストーク6号の軌道を背景に、彼女の肖像が大きく描かれています。

 テレシコワは、1937年、ロシア西部、ヤロスラヴリ州マスレンニコフの生まれ。地元の航空クラブでスカイダイビングを行っていたところ、1962年に女性飛行士候補に選抜され、翌1963年6月、ボストーク6号に単独搭乗して70時間50分で地球を48周して帰還しました。

 テレシコワといえば「わたしはカモメ」というフレーズが日本では有名ですが、これはもともと、彼女に与えられた個人識別用のコールサインがカモメ(チャイカ)であることから、ただ単に「こちら、チャイカ」と事務的に応じただけというのが真相です。しかし、彼女が女性初の宇宙飛行士であったことに加え、わが国ではチェーホフの戯曲『かもめ』のイメージが付け加えられて流布するようになったようです。

 宇宙飛行の後、テレシコワはジュコフスキー空軍大学で学び、1966年から1974年までソ連邦最高会議議員、1974年から1989年まで同会議の常任幹部会委員、さらに、1969年からソ連崩壊の1991年までソ連共産党中央委員会委員を歴任しました。

 その後、政界からは一時引退していましたが、2011年12月4日のロシア下院選に政権与党“統一ロシア”から出馬・当選して政界に復帰。76歳になった現在も下院議員として活動しており、今回の飛行50周年を機に、おととい(14日)、プーチン大統領は彼女を公邸に招いて勲章を授与したことが日本のメディアでも報じられました。

 なお、ソ連の宇宙開発とそれをめぐる各国のまなざしについては、以前、雑誌『ハッカージャパン』で4年間にわたり「切手が語る宇宙開発史」と題する連載をしていたのですが、連載はガガーリンが登場したところで終わってしまいました。ちゃんとペース配分を考えていれば、テレシコワの話題も取り上げることができたかもしれませんね。ちょっと反省しています。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 切手が語る宇宙開発史(24・最終回)
2013-02-23 Sat 15:36
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『ハッカージャパン』の2013年3月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」は、今回は、ガガーリンの有人宇宙飛行を取り上げました。その中から、きょうはこのマテリアルです。(画像はクリックで拡大されます)

        ガガーリン(ソ連・1961年)

 これは、人類初の有人宇宙飛行を記念してソ連が発行した記念切手のうち、ガガーリンの肖像を大きく取り上げた1枚です。

 ソ連空軍のパイロットだったユーリ・ガガーリンは、1961年4月12日午前9時7分、ボストーク3KA-2(ボストーク1号)でバイコヌール宇宙基地を飛び立ち、地球を1周した後、10時25分に逆噴射をかけて大気圏に再突入。高度7000mからパラシュートで降下し、無事帰還を果たしました。

 人類初の有人宇宙飛行の成功と同時に、ソ連当局は東西冷戦における自国の優位を示すものとしてこれを大々的に宣伝しましたが、準備段階では、計画は極秘裏に進められていました。ちなみに、ガガーリンは飛行中(帰還後ではなく)に中尉から少佐に二階級特進したことを告げられていますが、そこには、彼が無事に帰還できない可能性が少なからずあると判断したソ連当局の“温情”があったとも言われています。したがって、不幸にして彼が無事に帰還できなかったときには、事前に用意されていた切手もすべて破棄されていたものと思われます。

 結局、ガガーリンが無事に帰国したことを確認して、ソ連は人類初の有人宇宙飛行の成功を記念する切手を発行するのですが、その実際の発行日をどう考えるかということは、ちょっと厄介な問題です。

 すなわち、ソ連当局の公式な記録では、飛行当日の4月12日に切手が発行され、即日、各地の郵便局で売りさばかれたということになっていますが、前日の4月11日まではソ連の一般国民はガガーリンのことを全く知らされていません。当然、各地の郵便局にも記念切手は配給されていなかったと考えるのが自然でしょう。したがって、飛行成功が確認されてすぐに切手の配給を始めたとしても、モスクワなどの主要都市でさえ、最短で4月12日の午後にならないと郵便局の窓口で売り出すことはきわめて困難です。

 ちなみに、世界の切手カタログでは、ソ連のガガーリン切手は4月15日発行の切手と22日発行の切手の間で、日付不詳の4月発行としてリストされています。僕の個人的な経験としては、ソ連のガガーリン切手を貼って、“発行日”の消印として4月19日付の印を押した記念の封筒を見たことがありますが、おそらく妥当な日付と思われます。なお、現在残されているソ連のガガーリン切手に押されている“発行初日”の記念印は、公式見解通り、大半が飛行当日に当たる4月12日付となっていますが、それらは、後になって消印の日付を遡って押印したものだろうと思います。

 ちなみに、ガガーリンが1968年に飛行訓練中の事故で亡くなった時の詳細が公表されたのは2011年のことです。人類初の宇宙飛行士として、ソ連の優位を象徴する英雄の地位に祭り上げられたガガーリンに関しては、歴史的事実とプロパガンダの物語を弁別することが容易ではない面も多々ありますが、それは、彼にまつわる切手についても例外ではないと言えそうです。

 なお、『ハッカージャパン』2009年5月号から24回にわたって連載してきた「切手が語る宇宙開発史」ですが、今回で最終回となりました。今まで4年間にわたりお付き合いいただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 ロシアの隕石
2013-02-15 Fri 18:29
 ロシア中部で、けさ(15日午前)、隕石とみられる物体が落下し、ウラル地方のチェラビンスク州からカザフスタンにかけての広い範囲で、窓ガラスが割れるなどの被害が出たほか、400人以上が負傷したそうです。というわけで、“ロシアの隕石”と言えば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

        ツングースカ大爆発50年

 これは、1958年にソ連が発行したツングースカ大爆発50年の記念切手で、切手には隕石を意味するロシア語の“МЕТЕОРИТА”の語も入っており、この切手が発行された時点では、ソ連当局はツングースカ爆発が隕石によるものと考えていたことがわかります。なお、切手に描かれている人物は、現地調査を行った天文学者レオニード・クーリックです。

 ツングースカ大爆発は、1908年6月30日、中央シベリア・エニセイ川支流のポドカメンナヤ・ツングースカ川上流(現クラスノヤルスク地方)の上空で起こった爆発で、半径約30キロメートルにわたって森林が炎上し、1000キロメートル離れた家の窓ガラスも割れたといわれています。爆発によって生じたキノコ雲は数百キロメートル離れた場所からも観測できたほか、イルクーツクでは、衝撃による地震も観測されました。ただし、爆発が起きた場所は非常な僻地であったため、死者は報告されていません。

 爆発地点では地球表面にはほとんど存在しない元素のイリジウムが検出されていることから、爆発は何らかの物体(破壊規模からして大きさは最小3m、最大70mと推定されています)が地球に落下したことによるものであるのは確実なのですが、いわゆる隕石の痕跡が発見されていないことから、何が落下してきたのかは現在でも諸説があり、結論は出ていません。

 爆発事故が起きたのは、帝政末期で日露戦争の終戦から間もない時期でもあったため、現地調査はしばらく行われず、ロシア革命後、ボリシェヴィキ政権下の1921年になって、ようやく、レオニード・クーリックを中心とする調査団による最初の現地調査が行われました。なお、クーリックはその後もツングースカ大爆発についての調査を重ね、計4度の現地調査を行っています。

 ちなみに、今回、落下した物体についても、現時点では“隕石とみられる物体”として報じられていますが、今後、調査が進めば、小惑星など、隕石以外の何かということになるかもしれません。


 【世界切手展BRASILIANA 2013の出品について】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。出品の国内受付期間は昨日(14日)で終了しましたが、出品をお考えの方で、まだ書類をお送りいただいていない方は、至急、内藤までご連絡ください。展覧会の詳細はこちらをご覧ください。なお、現時点でお申込みいただいている出品の件数は、伝統1、郵便史1、テーマティク5、文献4です。


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 レスリング女子で金2
2012-08-09 Thu 08:14
 きのう(現地時間8日)のロンドン五輪では、レスリング女子の2階級が行われ、63キロ級の伊調馨と48キロ級の小原日登美がそろって金メダルを獲得しました。すでに、このブログでは日本のレスリング切手を全部紹介してしまいましたので、おととい(7日)同様、2020年の東京五輪招致応援企画を兼ね、1964年の東京五輪関連のマテリアルの中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       ソ連・東京五輪切手つき封筒

 これは、1964年の東京五輪に際してソ連が発行した切手つき封筒で、余白にレスリングが描かれています。日章旗と五輪マークとあわせて、キリル文字で“東京”と入っているのも良いですな。

 さて、東京五輪のレスリング競技は、男子のみグレコローマン8階級、フリースタイル8階級の計16階級で行われました。日程は10月11-19日です。ソ連選手は、グレコローマンで金1、銀3、銅1、フリースタイルで金2、銀1、銅2の計10個のメダルを獲得しています。

 ところで、会期中の10月13-14日、ソ連国内では、フルシチョフの電撃解任という衝撃的な事件が起こっています。すなわち、“火急の農業問題を話し合うための臨時の中央委員会総会”を開くためとして、急遽、休暇先の黒海沿岸のピツンダから呼び戻されたフルシチョフに対して、ミコヤンを除く幹部会員全員が彼の更迭を要求。フルシチョフは、年金生活に入るために“自発的”に党中央委員会第一書記と閣僚会議議長を辞任することに同意せざるを得なくなり、後任には第2書記のブレジネフと閣僚会議第一副議長のアレクセイ・コスイギンがそれぞれ昇格しています。このため、東京五輪の開会時と閉会時では、ソ連の最高指導者は別人になっていたというわけですが、東京に派遣されていた選手団の中にも、特に、役員や指導者たちのなかには、その影響を受けた人もいたかもしれません。

 そういえば、わが日本の政界では、早期解散の確約を求めていたはずの自民党が、社会保障・税一体改革関連法案の早期成立と法案成立後“近いうちに”国民に信を問うことで合意してしまいましたな。“近いうちに飯でも食おう”という近飯といえば、通常の日本語では実現しないものの代表格とされていますから、結局は、茶番だったということでしょう。やはり、デタラメ民主党を政権から引きずりおろすには電撃的にことを進めないと…。こりゃ、谷垣総裁が夏休みでサイクリングに興じている隙にでも、自民党は緊急役員会を招集して、総裁には自発的に年金生活に入ってもらうようにするしかないでしょうな。もっとも、その年金こそ、なんとかしないといけない懸案の一つであるわけですが…。


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 切手が語る宇宙開発史(18)
2012-02-15 Wed 21:56
 御報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2012年3月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ルナ3号

 これは、1959年10月12日にソ連で発行されたルナ3号打ち上げの記念切手です。

 1959年9月13日に月面に到着したルナ2号(打ち上げは前日の12日)に続き、10月4日には、ルナ3号がバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。

 ルナ3号は直接月へ向かう軌道に投入され、10月6日、月の南極付近の上空6200キロの地点まで最接近。月の引力で軌道を変えながら飛行を続け、翌7日、月の上空6万3500キロの地点で撮影を開始します。29枚の写真を撮影した後、月を半周して地球へ最接近する軌道に乗って地球へ戻りながら、18日までに17枚の画像データを送信。この時撮影された写真が、人類として月の裏側を撮影した最初の事例となりました。

 ルナ3号の成果により、月の裏側には表側(地球に向いている側)とは違って“月の海”がほとんど存在しないことが明らかになりましたが、ソ連は、ぬかりなく、ルナ3号によって判別できた月の地名に“モスクワの海”と名付けるなど、自分たちが米国に先んじて月を“征服”したことを誇示しています。

 この間の12日にソ連が発行した記念切手は、地上から発射されたルナ3号が月の周囲を回って地球に戻り、さらに月へと向かっていくというプランが描かれました。このプランのゆえに、ソ連はルナ3号を“自動惑星間ステーション”と称しています。ルナ3号の実績からすれば、ここでいう“ステーション”は観測拠点と理解すべきものなのですが、それをあえてステーションと称した背後には、人々の宇宙に対するロマンを掻き立て、あわせてソ連の宇宙技術に対する過大評価と幻想を定着させようという意図が透けて見えるといえましょう。

 ところで、前回のルナ2号の際には、打ち上げ日直後の9月14日にもソ連は宇宙ロケットを描く切手を発行しているものの、月到着というルナ2号の具体的な計画については切手の図案としては表現されていませんでした。以前の記事でご紹介したようなルナ2号の具体的な成果を取り上げた切手が発行されたのは11月1日のことで、こちらは、ルナ2号の成功を確認してから切手の制作が開始されたためとみるのが妥当と思われます。

 これに対して、今回ご紹介の切手には、ルナ3号の具体的な予想航行図とあわせて、打ち上げ日の10月4日という日付も入っています。この切手を10月12日に発行するためには、遅くとも、ルナ2号が打ち上げられた時点では制作準備が進められていたはずで、ルナ3号の打ち上げが失敗に終わっていれば、切手は日の目を見ることなく終わっていたことでしょう。

 そうしたリスクを冒しても、あえて、こうしたデザインの切手が準備されたのは、10月4日というルナ3号の打ち上げの日が、1957年のスプートニク1号打ち上げから2周年の記念日であり、この2年間でソ連の宇宙開発が長足の進歩を遂げたことを誇示しようというソ連当局の強い意志の表れと考えることができます。そして、その結果として、ルナ3号の記念切手がルナ2号に先んじて発行されるという逆転現象が生じることになったのが興味深いところです。


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 切手が語る宇宙開発史(17)
2011-12-15 Thu 17:58
 御報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2012年1月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ルナ2号

 これは、1959年11月1日、ルナ2号の月面到達を記念してソ連が発行した記念切手です。

 1959年1月2日のルナ1号の打ち上げに続いて同年9月12日、ソ連が打ち上げたルナ2号は、翌13日、月面に到達しました。

 ちなみに、ソ連首相のフルシチョフが国連総会参加のために訪米し、第二次大戦後初の米ソ首脳会談を行ったのは9月15日のことです。この日程を見れば、ルナ2号の成功を露払いとして、西側のミサイルギャップ幻想をさらに煽り、自国に有利な“平和共存”路線に持ち込みたいという意図があったことは明白といえましょう。

 さて、打ち上げから月面に到達するまでの間、ルナ2号は観測活動を来ない、月には地球にあるような磁場が無くバンアレン帯のような放射線帯も存在しないことを明らかにしたほか、いわゆる太陽風(太陽から流れ出る大量のイオン流)の存在を確認するなどの成果を上げています。

 1957年のスプートニク1号以来、ソ連は衛星が発する電波の周波数をあえて公表し、それを西側機関が傍受することで、自国の技術力に対する“お墨付き”にしようとの戦略をとっていましたが、1959年1月のルナ1号に関しては、月を通過した時点で電波を傍受したと発表する西側機関はありませんでした。このため、一部にはルナ1号の成果を疑問視する声もありましたので、ルナ2号の打ち上げに際しては、ソ連は英国のジョドレルバンク電波天文台に電波傍受の協力を求め、ルナ2号が月に命中して崩壊し、電波の送信が途絶えるとともに、月の重量がわずかに増える瞬間を確認させています。もちろん、英国を通じて米国や西側世界にも情報が“流出”することを期待しての措置です。

 また、ルナ2号には、ソ連の国章とCCCP(ソヴィエト社会主義共和国連邦のキリル文字での略称)を刻んだペナント(正確にはペナント状の金属片が貼られた金属球)が搭載されており、ソ連の月到達の証拠として、それを月面に置いてくるという使命が課せられていました。万一、月面到着時の衝撃でも衛星が解体されなかった場合には、機内に仕込まれた爆薬によって確実に解体が破壊されてペナントが飛び出すという念の入れようです。

 今回ご紹介の切手は、ルナ2号が月に到達するまでの経緯や月面に立てられた国旗を描き、ルナ2号の概要を手際よくまとめています。あるいは、“ペナント”の詳細を聞かされていなかったデザイナーは月面に立つソ連国旗を連想したのかもしれません。まぁ、そのどちらにせよ、その本質は変わりませんがね。

 ルナ2号の成功を受けて、訪米したフルシチョフは、米大統領のアイゼンハワーにペナントのレプリカを渡しながら、「米国も必ずや月に到達してソ連のペナントを見つけるでしょう。ソ連のペナントがお待ちしていますよ。米ソのペナントは、きっと、平和と友好の下に共存することになります」と得意げに語ったそうです。慇懃無礼という言葉がぴったりの挨拶を聞かされたアイゼンハワーの渋面が目に浮かぶようですな。


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 世界漫郵記:ハバロフスク⑪
2011-10-25 Tue 23:03
 『キュリオマガジン』2011年11月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、極東ロシア・ハバロフスク篇の11回目。今回は、ハバロフスクの“へそ”ともいうべきレーニン広場を取り上げましたが、その中から、こんなモノをご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      レーニン広場(切手つき封筒)     レーニン広場(2011年夏)

 左は、1961年にソ連で発行された切手つき封筒で、ハバロフスクのレーニン広場が描かれています。右側は、今年(2011年)8月に訪れた際のレーニン広場のようすです。

 ハバロフスクのレーニン広場は、ムラヴィヨフ=アムールスキー通りの東端に位置しており、帝政時代には観兵式の会場として、ソ連時代には革命記念日の軍事パレードやメーデーの行進が行われていました。現在でも、毎年5月にはハバロフスク創立記念日の祝賀パレードや対独戦勝記念軍事パレードが行われるほか、ロシア暦の新年と旧暦のクリスマスを祝うヨールカ祭の会場として氷の彫刻も展示されます。

 広場中央の大きな噴水は、冬には水が止まるものの、夏にはかなり勢いよく水を吹きだしており、そのミストは公園内の噴水からかなり離れた場所でも感じられるほどです。

 レーニン広場の噴水は、今回ご紹介のものを含め、ソ連時代の切手つき封筒にも何度か取り上げられていますが、現在のものとは若干、かたちが違っています。おそらく、2008年にハバロフスク150周年記念事業の一環として広場の改修が行われた際に、現在の姿になったのでしょう。

 広場の周囲は、極東国立公務員大学、極東国立医科大学、ハバロフスク州政府、第3市立病院などが取り囲んでおり、“本尊”のレーニン像は病院を背にして、広場の一番奥に鎮座しています。

 さて、奥付上の刊行日は11月5日ですが、本日から発売となった拙著『ハバロフスク』は、雑誌『キュリオマガジン』の連載をもとに、大幅に加筆を施してまとめた歴史紀行です。今回ご紹介のレーニン広場についても、日本人抑留者ゆかりの公務員大学や広場の本尊ともいうべきレーニン像についてもいろいろと解説を加えました。

 一部の書店では、すでに店頭にも並んでいるようですので、実物をお見かけになりましたら、ぜひお手にとってパラパラっと眺めていただけると幸いです。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 11月5日(土)、東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、以下のトークを行います。

・11:00 ハバロフスク…日本人の足跡を訪ねて
 切手紀行シリーズ④『ハバロフスク』の刊行を記念してのトークです。同書の中から、シベリア抑留の痕跡を中心に、ハバロフスクに残る日本人の活動の跡をたどります。なお、1フレーム作品として出品の「シベリア抑留日本人用往復葉書」についても、あわせて、簡単な解説を行います。

・16:00 年賀状の戦後史
 角川 one テーマ21(新書)『年賀状の戦後史』の刊行を記念してのトークです。同書の内容をご紹介しつつ、10日の一般発売に先駆け、会場内でのみの先行発売(限定30部)も行います。

 今回は、2冊の刊行時期が接近しているため、トークイベントもダブル・ヘッダーとなりました。ぜひ、遊びに来てください。


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 切手が語る宇宙開発史(16)
2011-10-17 Mon 15:50
 御報告が遅くなりましたが、 雑誌『ハッカージャパン』の2011年11月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        ルナ1号

 これは、1959年4月、ソ連が発行したルナ1号打ち上げの記念切手です。

 1958年の時点で人工衛星の地球周回軌道投入に成功していた米ソ両国にとって、次なる課題となったのが無人の月探査でした。

 1958年9月以降、アメリカはパイオニア月探査機の打ち上げを繰り返していましたが、成果を上げることができませんでした。一方、ソ連もルナ探査機を3回にわたって打ち上げたものの、1958年中はすべて失敗に終わっています。

 しかし、1959年1月1日、ソ連首相のフルシチョフが新年の辞で社会主義の優位をうたいあげ、その翌日の2日、バイコヌール宇宙基地から探査機を載せて打ち上げられたボストーク・ロケットは、ついに月へと向かう軌道に探査機を投入することに成功しました。これがルナ1号です。

 ルナ1号の目的は月面への着陸ないしは衝突でしたが、結果的に、同機は1月4日に月から5995キロの地点を通過し、初期の目的を達成できずに終わっています。

 もちろん、米国はU-2偵察機により、ルナ1号の打ち上げを察知しており、ソ連の“失敗”も把握していましたが、世界の世論は、米国のパイオニア1号が達成していた高度記録をソ連があっさりと破ったことに加え、衛星からナトリウムを放出して“人工彗星”をつくる実験に成功したこと、さらに、第2宇宙速度達成を達成したことに目を奪われ、スプートニク・ショック以来のソ連優位のイメージはますます強固になりました。ソ連科学アカデミーのブラゴヌラボフが「月ロケットのスピードは非常に大きく月の重力圏に入るには早すぎた。ロケットは月の衛星にはならず月を飛びこして太陽系内の宇宙を飛び続けるだろう」と“弁明”ことも、かえって、宇宙開発競争におけるソ連の優位を世界に印象づけ、多くの人々に月一番乗りもソ連が達成するのではないかと思わせる効果をもたらしたといってよいでしょう。

 はたして、ソ連は早速、ルナ1号の打ち上げを1月27日からの党大会を記念してのものと主張。これに先立つ1月4日から、副首相のミコヤンはルナ1号の成功を手土産に意気揚々と訪米しました。

 前回の本連載でご紹介した“ソヴィエト人民による宇宙征服”の切手は、こうした文脈の下で党大会に合わせて発行されたもので、切手はスプートニク1-3号の人工衛星とルナ1号を打ち上げたロケットを描くと説明されています。しかし、切手の製作準備が進められていた1958年中、ソ連がルナ探査機の打ち上げにことごとく失敗していたことを考えると、ルナ1号そのものが描かれていないことと併せて、これは後付けの説明のように思われます。

 ちなみに、ルナ1号打ち上げ成功をストレートに記念して、今回ご紹介の切手が発行されたのは、打ち上げから3ヶ月以上がたった4月13日のことでした。おそらく、それまでの経緯からして、打ち上げの成功を確認してからでないと、切手の制作作業に取り掛かれなかったためでしょう。ちなみに、今回ご紹介の切手は、あえて月を飛び越したロケットを描いており、ブラゴヌラボフ発言と同様のプロパガンダ効果を狙った内容となっている点も見逃せません。


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