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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 “マケドニア”国名論争が決着
2019-01-26 Sat 14:20
 ギリシャ国会は、きのう(25日)、隣国マケドニア(マケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国。以下、マケドニア)が“北マケドニア共和国”に国名変更する両国政府間の合意を賛成多数で承認しました。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      マケドニア・不足料(1991)

 これは、1991年12月30日に発行された“マケドニア”名義の郵便税切手です。1991年9月8日の独立宣言後、“マケドニア”名義で発行された最初の切手で、1991年12月30日から翌1992年9月8日まで、マケドニア国家の支配地域から旧ユーゴスラヴィア切手を貼って差し出す郵便物には貼付が義務付けられていました。

 さて、現在のマケドニア国家は、旧ユーゴスラヴィア連邦を構成していたマケドニア(社会主義)共和国が連邦から分離・独立するかたちで誕生しましたが、本来の地域概念でいう“マケドニア”の範囲は、古代のアレクサンダー大王の故地として、同国のみならず、ギリシャ、ブルガリアの3国にまたがり、さらに、アルバニア領マラ・プレスパおよびゴロ・ブルド、コソヴォ領ゴーラ、セルビア領プロホル・プチニスキをも含むものとされています。

 このため、広義のマケドニアの領域をめぐっては、歴史的にギリシャ、ユーゴスラヴィア、ブルガリアの3国が領有権を主張してきましたが、現状では、広義のマケドニアのうち、南部の面積にして約50%がギリシャ領で、マケドニアの領域は広義のマケドニアの北西部の約40%です。

 ただし、広義のマケドニアの歴史的な中心都市がギリシャ領のテッサロニキであることにくわえ、古代マケドニア王国がギリシャ系の国であったのに対して、現在のマケドニア共和国の多数派民族がスラブ系であることもあり、ギリシャ側は、本来のマケドニアはギリシャであると主張。1991年の独立宣言以来、マケドニアに対して国名の変更を求め続けていました。

 特に、1993年の国連加盟申請の際には、ギリシャの強い反発により、マケドニア共和国は“マケドニア旧ユーゴスラビア共和国”という暫定名で加盟するということで妥協が図られましたが、これに納得しないギリシャは、1994年2月にマケドニアに対する経済封鎖を実施。海を持たない内陸のマケドニア共和国は大きな打撃を受け、国旗のデザインを変更(1991年の独立時に定められた国旗は、古代マケドニアのヴェルギナの星を用いていました)するとともに、憲法を改正してギリシャ領のマケドニアに対する領土的野心がないことを明言するなどして、1995年に経済制裁を解除させています。

 しかし、その後も、ギリシャは“マケドニア”の国名変更を求め、マケドニア共和国がこれに抵抗するという構図の下、EUやNATOへの加盟も国名問題の解決までは保留という状態が続いてきました。

 こうした中で、2017年にマケドニアでゾラン・ザエフ政権が発足すると、同政権はNATOやEU加盟を目指すため従来の強硬姿勢を改め、これをギリシャ側も好感。2018年1月には両国の外相会談で国名改称に向けた作業部会の設置が決定され、翌2月、北マケドニア共和国、上マケドニア共和国、ヴァルダル・マケドニア共和国、マケドニア・スコピエ共和国の4案が提案されました。そして、2018年6月12日、マケドニアが国名を北マケドニア共和国とすることでギリシャとの政府間合意が成立します。

 これに対して、同年9月30日のマケドニアの国民投票では野党側がボイコットを呼び掛けたこともあり、投票率は約37%にとどまり成立条件の50%を下回ったため無効となりましたが、2019年1月11日、マケドニア議会において国名を「北マケドニア共和国」に変更するとした憲法改正案が賛成多数で承認。これを受けて、今回のギリシャ国会でもマケドニアとの政府間合意が承認され、ようやく、1991年のマケドニア独立以来の国名論争がようやく決着することになりました。

 * 昨晩、アクセスカウンターが201万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 
 
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 マケドニアで国名改称の国民投票
2018-09-30 Sun 01:39
 旧ユーゴスラビア構成国のマケドニアで、きょう(30日)、国名問題で長年対立していた隣国ギリシャと合意した“北マケドニア共和国”への改称について、国民投票が実施されます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      マケドニア加刷(1944)

 これは、1944年、ドイツ占領下で発行された“マケドニア”加刷切手です。国名表示が“マケドニア”となっている切手としては、これが最初の1枚となります。

 現在のマケドニア共和国は、旧ユーゴスラヴィア連邦を構成していたマケドニア(社会主義)共和国が連邦から分離・独立するかたちで誕生しましたが、本来の地域概念でいう“マケドニア”の範囲は、古代のアレクサンダー大王の故地として、同国のみならず、ギリシャ、ブルガリアの3国にまたがり、さらに、アルバニア領マラ・プレスパおよびゴロ・ブルド、コソヴォ領ゴーラ、セルビア領プロホル・プチニスキをも含むものとされています。

 このため、広義のマケドニアの領域をめぐっては、歴史的にギリシャ、ユーゴスラヴィア、ブルガリアの3国が領有権を主張してきましたが、第二次大戦中の1941年4月19日、枢軸陣営に参加していたブルガリアはマケドニアの大部分とセルビア東部の一部地方を占領。これらの土地はギリシャ領マケドニアおよび西部トラキアとともに5月14日にブルガリアの領土に編入されます。

 1942年以降、独ソ戦の戦局は次第にドイツ不利に傾き、ブルガリア国内でも連合国との講和を求める世論が高まったため、1943年春、ブルガリアは米国との和平交渉を開始。しかし、ブルガリアの無条件降伏を求める米国に対して、ブルガリアはヴァルダル・マケドニアと南ドブルジャを含む領土に固執したため交渉は決裂します。

 こうした中で、1944年1月以降、米英によるブルガリア空爆が開始。ブルガリアはソ連に米英との仲介を依頼したものの、9月5日、ソ連がブルガリアに宣戦布告し、領土内への侵攻します。こうした中で、9月9日には左派のクーデターが発生し、ブルガリアはドイツに宣戦布告しますが、これに対して、ドイツ軍はブルガリア軍の5個師団から成る第1占領軍団と第5軍を武装解除しました。

 今回ご紹介の切手は、その過程で、1944年9月8日から11月13日まで、ドイツ占領下のマケドニア地域でブルガリア切手を接収して、“マケドニア”の地名を加刷して発行されたものです。なお、現代のマケドニア国家に相当する地域は、1945年にはユーゴスラヴィアに統合されています。

 さて、広義のマケドニアのうち、現在の国境でいうと、南部の面積にして約50%がギリシャ領であり(ちなみに、マケドニア共和国の領域は広義のマケドニアの北西部の約40%です)、中心都市がギリシャのテッサロニキであることにくわえ、古代マケドニア王国がギリシャ系の国であったのに対して、現在のマケドニア共和国の多数派民族がスラブ系であることもあり、ギリシャ側は、本来のマケドニアはギリシャであると主張。マケドニア共和国に対して“マケドニア”の国名を変更するように求め続けていました。

 特に、1993年の国連加盟申請の際には、ギリシャの強い反発により、マケドニア共和国は“マケドニア旧ユーゴスラビア共和国”という暫定名で加盟するということで妥協が図られました。しかし、これに納得しないギリシャは、1994年2月にマケドニアに対する経済封鎖を実施。海を持たない内陸のマケドニア共和国は大きな打撃を受け、国旗のデザインを変更(1991年の独立時に定められた国旗は、古代マケドニアのヴェルギナの星を用いていました)するとともに、憲法を改正してギリシャ領のマケドニアに対する領土的野心がないことを明言するなどして、1995年に経済制裁を解除させています。

 しかし、その後も、ギリシャは“マケドニア”の国名変更を求め、マケドニア共和国がこれに抵抗するという構図の下、EUやNATOへの加盟も国名問題の解決までは保留という状態が続いてきました。

 こうした中で、2017年にマケドニアでゾラン・ザエフ政権が発足すると、同政権はNATOやEU加盟を目指すため従来の強硬姿勢を改め、これをギリシャ側も好感。2018年1月には両国の外相会談で国名改称に向けた作業部会の設置が決定され、翌2月、北マケドニア共和国、上マケドニア共和国、ヴァルダル・マケドニア共和国、マケドニア・スコピエ共和国の4案が提案されました。そして、2018年6月12日、マケドニアが国名を北マケドニア共和国とすることでギリシャとの政府間合意が成立。今回の国民投票はこれを受けて実施されるものです。

 ただし、マケドニアの国内法では、国名改称には、国民投票で有効投票の過半数の賛成を得ることが必要とされているものの、最大野党のマケドニア社会民主同盟が合意を非難しているほか、ジョルゲ・イヴァノフ大統領は承認を拒否する方針を表明しており、改称が実現されるかどうかは微妙な情勢と見られています。

 ちなみに、わが国の外務省は、国連加盟の国名に倣い“マケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国”を正式名称としており、“マケドニア共和国”との呼称は認めていません。ただし、メディアでは、この正式名称ではなく、“マケドニア(共和国)”ないしは“旧ユーゴ・マケドニア共和国”などと呼ばれることが多いようです。ただし、在京のギリシャ大使館がそのたびに抗議をしているかどうかは定かではありませんが…。


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 マケドニア共和国独立20年
2011-09-08 Thu 23:58
 1991年9月8日にマケドニアがユーゴスラビアからの独立を宣言してから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        マケドニア独立20年

 これは、2011年9月5日に発行されたばかりのマケドニア独立20年の記念切手です。

 現在のマケドニア共和国は、旧ユーゴスラビア連邦を構成していたマケドニア(社会主義)共和国が連邦から分離・独立するかたちで誕生しましたが、本来の地域概念でいう“マケドニア”の範囲は、古代のアレクサンダー大王の故地として、同国のみならず、ギリシャ、ブルガリアの3ヵ国にまたがり、さらに、アルバニア領マラ・プレスパおよびゴロ・ブルド、コソボ領ゴーラ」、セルビア領プロホル・プチニスキをも含むものとされています。

 この広義のマケドニアの南部、面積にして約50%がギリシャ領であり(ちなみに、マケドニア共和国の領域は広義のマケドニアの北西部の40%ほどです)、中心都市がギリシャのテッサロニキであることにくわえ、古代マケドニア王国がギリシャ系の国であったのに対して現在のマケドニア共和国の多数派民族がスラブ系であることもあり、ギリシャ側は、本来のマケドニアはギリシャであると主張。マケドニア共和国に対して“マケドニア”の国名を変更するように求め続けています。

 特に、1993年の国連加盟申請の際には、ギリシャの強い反発により、マケドニア共和国は“マケドニア旧ユーゴスラビア共和国”という暫定名で加盟するということで妥協が図られました。しかし、これに納得しないギリシャは、1994年2月にマケドニアに対する経済封鎖を実施。海を持たない内陸のマケドニア共和国は大きな打撃を受け、国旗のデザインを変更(1991年の独立時に定められた国旗は、古代マケドニアのヴェルギナの星を用いていました)するとともに、憲法を改正してギリシャ領のマケドニアに対する領土的野心がないことを明言するなどして、1995年に経済制裁を解除させました。

 しかし、その後も、ギリシャは“マケドニア”の国名変更を求め続けており、マケドニア共和国がこれに抵抗するという構図が続いており、EUやNATOへの加盟も国名問題の解決までは保留という状態となっています。

 ちなみに、わが国の外務省は、国連加盟の国名に倣い“マケドニア旧ユーゴスラビア共和国”を正式名称としており、“マケドニア共和国”との故障は認めていません。ただし、メディアでは、この正式名称ではなく、“マケドニア(共和国)”ないしは“旧ユーゴ・マケドニア共和国”などと呼ばれることが多いようです。これに対して、在京のギリシャ大使館がそのたびに抗議をしているかどうかは定かではありません。もっとも、“マケドニア旧ユーゴスラビア共和国”の話題が日本のメディアで取り上げられることはめったにないのですがね。


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