内藤陽介 Yosuke NAITO
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 シュワルナゼ元大統領没す
2014-07-07 Mon 22:16
 ソ連末期、ゴルバチョフ政権の外相で、ソ連崩壊後は祖国グルジアの大統領を務めたエドアルド・シェワルナゼ氏(以下、敬称略)が、きょう(7日)、亡くなりました。享年86。という訳で、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      グルジア・国連加盟1周年

 これは、1993年7月31日にグルジアが発行した国連加盟1周年の記念切手で、グルジア地図(グルジア政府の主張によるものなので、アブハジアなどグルジア政府の支配が及んでいない地域も領土に含まれています)と国旗に国連マークを配したデザインとなっています。ちなみに、グルジアがソ連邦からの分離独立を宣言したのは1991年4月9日のことでしたが、グルジア郵政として発行した正刷切手は、これが最初の1点となります。

 さて、シュワルナゼは、1928年1月25日、ソ連を構成していたグルジア共和国ランチフティ地区ママティ村生まれ。1946年に首都トビリシのコムソモール指導員を皮切りに、地元の共産党組織で頭角を現し、グルジア共産党中央委員、グルジア共和国保安相(のち内相)等を歴任し、1972年、グルジア共産党第一書記に就任。グルジア共和国のトップとして、汚職の摘発に辣腕を振るいました。

 1985年3月、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任すると、同年7月、シェワルナゼはソ連共産党中央委員会政治局員ならびにソ連外相に抜擢されました。

 それまで外交経験は全くなかったシュワルナゼですが、グルジア共産党第一書記として、スタヴロポリ第一書記だったゴルバチョフとは個人的な信仰があったことに加え、グルジアで民族主義への配慮や世論調査の導入、実験的な経済改革等を行っていたことが、ゴルバチョフのペレストロイカ路線と合致していたことが、異例の抜擢の背景にはありました。

 ソ連外相としてのシュワルナゼはゴルバチョフ政権の番頭格として、米国との核軍縮や東西ドイツ統一などを推進。米ソ対立を終わらせ、国際協調の流れを作った立役者の一人となります。しかし、こうした外交路線の転換は共産党保守派の批判を浴び、窮地に追い込まれたゴルバチョフが保守派との妥協に傾くと、「独裁が近づいている」との警告を残して、1990年12月に外相を辞任しました。

 その後、1991年8月のソ連共産党保守派によるクーデターでは、いち早くエリツィン支持と独裁反対を訴え、クリミア半島フォロスの別荘に軟禁状態にあったゴルバチョフを救出することに成功。クーデター後の混乱を収拾させるため、ソ連最末期の外相に復帰しましたが、その努力もむなしく、1991年12月にソ連は崩壊しました。

 ソ連崩壊後、シュワルナゼの祖国グルジアでは、ズヴィアド・ガムサフルディア政権による強権政治が展開されており、アブハジア問題をはじめとする民族紛争と大量難民が発生。このため、1992年1月にクーデターが勃発してガムサフルディアはチェチェン共和国への亡命を余儀なくされます。こうした混乱の中で、同年3月、シュワルナゼは祖国再建のため、グルジアのトップに相当する国家評議会議長に就任。同年10月には最高会議議長に当選し、1995年8月の新憲法制定をはじめ新国家の建設に尽力しました。

 1995年11月には新憲法下での初代大統領に当選し、以後、2003年まで政権を維持します。この間、政権の初期には社会的な安定と経済成長を実現したものの、1998年には暗殺未遂事件が数回発生したことで政権は不安定化。アブハジアや南オセチアをめぐってロシアとの関係も悪化したことなどから、次第に新国家の建設は停滞したうえに旧ソ連時代以来の悪弊であった汚職の蔓延も復活したため、穏健改革派として漸進主義をとるシュワルナゼへの支持も低迷するようになりました。

 そして、2003年11月、議会選挙の不正に抗議して野党勢力が議会を占拠したことから、混乱の責任を取って大統領辞任に追い込まれます。その後、失意の前大統領に対しては、ソ連外相としてドイツ統一に尽力した功績に報いるため、ドイツが亡命を受け入れると表明しましたが、シェワルナゼ本人は、この申し出に感謝しつつも、家族とともに祖国に留まり、闘病生活の末、首都トビリシの病院で亡くなりました。

 謹んでご冥福をお祈りします。


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       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 切手の帝国:黒海沿岸にあった“英領”
2014-03-06 Thu 11:46
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2014年3月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」は今回が最終回。雑誌はソチ五輪開催中の発売でしたので、ソチからも近いバトゥミを取り上げました。その中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       バトゥミ加刷

 これは、1919年、英軍占領下のバトゥミで帝政ロシアの切手に加刷して発行された切手です。

 ソチから南へ370キロ南にあるグルジアの港湾都市バトゥミは、もともと、ギリシャ人の入植地でしたが、後にイスラム系の諸王朝が征服し、17世紀以降はオスマン帝国の支配下で黒海東南を代表する港湾都市として成長しました。

 19世紀、不凍港を求めて南下政策を進めた帝政ロシアはカフカース(コーカサス)を併呑し、1878年にはバトゥミを併合。しかし、第一次大戦中の1917年にロシア革命でロマノフ王朝が崩壊すると、1918年4月、バトゥミは失地の回復を目指すオスマン帝国によって占領されました。

 その後、同年10月30日にオスマン帝国が協商側に降伏し、バトゥミから撤退すると、12月、英国がバトゥミを占領します。バクー(アゼルバイジャンの首都)を含むカスピ海西岸は世界有数の油田地帯であり、黒海に面したバトゥミはヨーロッパ向けの石油の重要な積出港になっていたため、英国は権力の空白の隙をついて確保しようとしたためです。

 さて、英国の主導の下、1919年1月、現地の親英勢力を擁立して、傀儡政権のバトゥミ共和国が建国されると、これにあわせて、新生バトゥミ共和国は独自の正刷切手を発行し、自分たちがロシアのボリシェヴィキ政権やグルジアから自立した存在であることを内外に示そうとしました。

 しかし、実際には、バトゥミ共和国政府には行政実務を担当するだけの準備も能力もなかったことから、1919年4月、英国は再びバトゥミを直接占領下に置き、軍政を施行。これに伴い、発行されたばかりの正刷切手や帝政ロシア時代の切手に“BRITISH OCCUPATION”の文字を加刷した切手が新たに発行されています。ちなみに、今回ご紹介の切手のキリル文字は“バトゥミ郵便”の意味です。

 1920年4月、英国はバトゥミを自由港とすることを宣言し、国際連盟の下で英仏伊三国がバトゥミを共同管理することが決められましたが、7月にはグルジア民主共和国(帝政ロシアの解体に伴い独立)がこの地を占領。英国はバトゥミから撤退を余儀なくされます。

 さらに、英国撤退後の1921年3月、バトゥミを併合したグルジアではソヴィエト政権が成立。1922年にソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が発足すると、バトゥミを含むグルジアは連邦を構成するザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の一部となり、1936年にグルジア・ソヴィエト社会主義共和国として連邦構成共和国に昇格しました。なお、1991年にグルジアはソ連から独立し、バトゥミは同国最大の港湾都市になっています。

 さて、冒頭にも申し上げました通り、2013年4月から1年にわたって続けてきた「切手の帝国」も、今回が最終回となりました。お付き合いいただきました読者の皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


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 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 911から10年
2011-09-11 Sun 23:59
 2001年のアメリカ同時多発テロ事件からちょうど10年が過ぎました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        グルジア・911

 これは、2001年の同時多発テロ事件の後、グルジアが発行した寄附金つき切手で、切手部分にはアメリカとグルジアの国旗が、小型シートの時の部分にはありし日のニューヨーク世界貿易センタービルと「我々はアメリカを信頼する」との文言が入っています。

 切手を発行したグルジアは旧ソ連を構成していた共和国の一つで、黒海の東岸に位置し、ソ連末期の1991年4月に連邦からの離脱を宣言しました。

 ソ連崩壊後のグルジアは、アブハジアや南オセチアの分離・独立問題などもあって、一貫してロシアとは距離を置き、欧米との関係強化に努めていました。同時多発テロ事件への報復として、アメリカは、首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンをかくまっているとの理由でアフガニスタンのタリバン政権に対する軍事攻撃を行うとともに、旧ソ連の中央アジア諸国に米軍を駐留させました。このことは、結果的に、ロシアの勢力拡大を牽制することになりますから、ロシア離れを加速させたいグルジアにとっては歓迎すべき事態でした。今回ご紹介の切手も、そうした背景の下で、アメリカによる“テロとの戦争”への積極的な支持を表明するために発行されたものといえます。

 同時多発テロ事件当時のグルジアは、元ソ連外相のエドゥアルド・シェワルナゼが大統領でしたが、シュワルナゼは2003年のいわゆるバラ革命で退陣を余儀なくされます。その後、2004年に大統領となったミヘイル・サアカシュヴィリは、ソ連崩壊翌年の1992年にウクライナのキエフ国立大学国際法学部を卒業して渡米し、コロンビア大学で法学修士号を取得した後、ニューヨークで弁護士をしていたというキャリアの持ち主。1994年の帰国後はシュワルナゼ政権与党のグルジア市民連合の国会議員となり、2000年には法務大臣にもなりましたが、後、シュワルナゼに反旗を翻して、バラ革命を経て大統領に就任したというわけです。

 サアカシュヴィリ政権は、大統領個人のキャリアもあって、アメリカの後ろ盾の下、親米・反露路線をより徹底させ、いわゆるイラク戦争では米英に次ぐ規模の兵士を派遣しました。また、2008年には、北京五輪でロシア大統領のプーチンが訪中している隙を狙って南オセチアへの軍事侵攻を行ったものの(ただし、さすがにアメリカも、この軍事侵攻はアメリカも支持しませんでしたが)、ロシア軍に撃退されてしまったことは、記憶に新しいところです。さらに、その直後にはリーマン・ショックも起きて、対米依存を強めていたグルジア経済も深刻な打撃を受けています。

 2009年に発足したオバマ政権は、ブッシュ前政権の外交政策を転換して、対露協調路線をとるようになっており、サアカシュヴィリ政権は完全にはしごを外された格好となり、国内の支持率も低迷を続けているようです。それでも、政権としては、「アメリカを信頼する」としか言えないところに、なんとも悲哀を感じますな。まぁ、対米従属という点では、わが国もあまり偉そうなことは言えないのですがね。
 

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