内藤陽介 Yosuke NAITO
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 第1回日アラブ政治対話開催
2017-09-12 Tue 15:13
 日本時間のきょう未明(現地時間11日)、わが国の河野太郎外相とアラブ連盟(21ヶ国+パレスチナ)との“日アラブ政治対話”がカイロのアラブ連盟本部で行われ、中東和平の実現などの課題に日本政府としてより深く関与していくなどとした中東政策の基本姿勢を示したうえで、その具体的な取り組みとして“河野イニシアティブ”が発表されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ガザ地区・アラブ連盟週間(1962)

 これは、1962年、エジプト支配下のパレスチナ・ガザ地区用として発行された“アラブ連盟週間”の切手で、連盟のエンブレムの下、今回の対話が行われた連盟本部ビルが描かれています。

 アラブ諸国の地域協力組織を創設しようという具体的な動きは、もともと、第二次大戦中の1941年5月、アラブ諸国(委任統治下の自治政府等を含む)が枢軸側に就くことを避けるため、英外相アンソニー・イーデンが提案したのが最初です。当時の欧州戦線はドイツ軍に有利な戦況であったことから、アラブ側は様子見の構えで静観していましたが、連合国有利の戦況がほぼ確定した1943年2月になって英国が再提案すると、アラブ側がこれに反応し、具体化に向けて動き出すことになりました。

 ただし、連盟に対するアラブ諸国の思惑はさまざまで、まさに同床異夢の状況にありました。

 すなわち、アラブ随一の大国として、連盟設立の主導権を握っていたエジプトは、連盟はあくまでも国家間の緩やかな協力機構にするとの意向を持っていましたが、第一次大戦後のアラブ分割の結果として発足したトランスヨルダンシリアイラクの三国は、(現在の国名でいう)シリアからパレスチナにいたる“大シリア”を統合したうえで、他のアラブ諸国との連合を目指そうと考えていました。このうち、ハーシム家の王朝であるトランスヨルダンイラクは、ハーシム家による君主制の下、統制の強い国家連合を想定していましたが、シリアは共和政体を主張していました。

 一方、キリスト教徒が人口の半数を占めるように設定されたレバノンは、アラブ諸国が統合されると、全体としてはマイノリティとなるキリスト教徒の権利が制約されることを恐れ、主権の移譲には絶対反対しており、サウジアラビアとイエメンは、そもそもアラブ連盟が実際に設立される可能性は低いと考えていました。

 結局、エジプトが中心となってともかくも各国の妥協をまとめ、加盟国に対するいかなる強制力も持たない緩やかな地域協力機構として、1945年3月22日のアレキサンドリア議定書調印によって、アラブ連盟が結成されます。

 こうした経緯から、アラブ連盟の本部はエジプトの首都カイロに置かれていました。しかし、1978年3月、キャンプ・デービッド合意でエジプトがイスラエルと単独で停戦し、両国が相互承認を行ったことから、エジプトは連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとして、1979年、エジプトは連盟を追放され、連盟の本部はテュニスに移転しました。その後、1990年にエジプトは連盟に復帰し、本部もカイロへ戻り、現在に至っています。

 さて、ことし(2017年)は、第1回シオニスト会議の開催(1897年)から120年、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、今年8月まで『本のメルマガ』に連載していた「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』を9月22日付で刊行の予定です。すでにアマゾンなど一部のネット書店では予約販売も始まっておりますが、実物の見本が出来上がってきましたら、あらためて、このブログでもご報告いたしますので、よろしくお願いいたします。 


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 9月7日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第8回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月5日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、7日放送分につきましては、9月14日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
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 イスラエルとハマスの停戦合意
2012-11-22 Thu 11:01
 今月14日から、いわゆるイスラム原理主義組織のハマスが実効支配するガザ地区へイスラエルが空爆を繰り返し、その報復とみられるバスを狙った爆弾テロがテルアビブで発生し、多数の死者が出ていた問題で、イスラエルとハマスがきのう(21日)、停戦合意に達しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ガザ・国連停戦監視

 これは、1960年11月21日、ガザに駐留していた“第1次国際連合緊急軍(First United Nations Emergency Force:UNEF I)”の広報部門が差し出した帯封です。国連マークの入った印が押されているのがいいですな。

 1956年10月29日、エジプトによるスエズ運河の国有化をめぐって、第二次中東戦争が勃発します。通常なら、この紛争は国連安保理で対応が協議されることになるのですが、この戦争では當事者の英仏が常任理事国となっていたため、緊急総会が開催され、紛争当事国に対して、停戦とスエズ運河通航の再開が求められました。また、その一環として、関係国の同意を得たうえで派遣する国連主導の軍隊として、国際連合緊急軍(UNEF)が設立されることとなり、11月8日の停戦後、同月15日から現地での活動が開始されました。

 UNEFの任務は、停戦の監視および英仏イスラエル3国のエジプト領内からの撤退確認で、最大人員規模は約6000名。1957年3月に最後まで残っていたイスラエルが第一次中東戦争時の休戦ラインまで撤退した後も、エジプト・イスラエル国境のエジプト側に展開し、第三次中東戦争直前の1967年5月16日まで、停戦監視を続けました。

 さて、今回の停戦合意により、イスラエルによるガザへの地上部隊投入はひとまず回避されましたが、合意直後にハマスがイスラエル側にロケット弾を撃ち込むなど緊張は解けておらず、合意が実効性のあるものとなるかどうかは依然、不透明な状況です。このため、停戦を仲介した米国やエジプト、アラブ連盟などは双方に合意順守を促すとともに、停戦を持続させるための監視体制の構築が必要とみられており、それに伴う新たな郵趣マテリアルが現れるということになるかもしれません。


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 アラブの都市の物語:ガザ
2007-11-19 Mon 08:34
 NHKのアラビア語会話のテキスト12・1月号が出来上がってきました。僕の担当している連載「切手に見るアラブの都市の物語」では、今回はガザを取り上げました。その記事に使ったものの中から、今日は、こんなモノをお見せしましょう。(画像はクリックで拡大されます)

ガザ・イスラエル占領使用

 これは、第2次中東戦争(いわゆるスエズ動乱っていうヤツです)期の1956年12月25日、イスラエル占領下のガザで使用されたイスラエル切手です。

 イスラエル国家が建国される以前、現在のガザ地区はイギリス委任統治領としてのパレスチナ(英領パレスチナ)の一部でした。1947年、英領パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割する決議(パレスチナ分割決議)が国連で採択された際、ガザ地区はアラブ国家の領域とされます。

 翌1948年にイスラエルが建国を宣言すると、これを認めないアラブ諸国はイスラエルに対して宣戦を布告。ところが、彼らはパレスチナでのアラブ国家樹立を支援せず、エジプトとトランスヨルダンはどさくさに紛れて、旧英領パレスチナの一部を自国の領土に編入してしまいます。このとき、ガザ地区はエジプトに併合されました。

 その後、1956年に第2次中東戦争が勃発すると、イスラエル軍はあっという間にガザ地区を占領。今回ご紹介しているように、ガザ地区ではイスラエル切手が持ち込まれて使用されるようになります。

 第2次中東戦争は、エジプトがチラン海峡の封鎖を解除する代わりにイスラエルは背領地から撤退することでエジプト=イスラエル間の休戦が成立。ガザは再びエジプトの領土に復します。しかし、第3次中東戦争の結果、ガザは再びイスラエルに占領され、1993年のオスロ合意によって1994年にパレスチナ自治政府が発足するまで、およそ四半世紀にわたってイスラエルの占領が続けられました。

 今回の記事では、まもなく1987年12月にガザ地区でインティファーダが始まってから20周年になるのを機に、こうしたガザ地区の複雑な歴史を切手や郵便物を使って概観してみました。機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。
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 ガザのラムセス2世
2006-08-27 Sun 03:14
 カイロの駅前広場の名物として知られるラムセス2世(古代エジプトの王)像のお引越しというニュースをテレビで見ました。なんでも、カイロの中心街に置かれているため、排ガスや地下鉄の振動によって像の劣化が進んでいることもあって、2011年にギザに開館予定の“大エジプト博物館”の建設予定地に移されるのだそうです。

 というわけで、こんなモノを持ってきて見ました。(画像はクリックで拡大されます)

ガザ・ラムセス2世

 このカバー(封筒)は、1958年7月1日、エジプト統治下のガザ(パレスチナ)からカイロ宛に差し出されたもので、ラムセス2世を描くエジプト本国の切手に“PALESTINE”と加刷された10ミリーム切手が貼られています。なお、カバー左側の円形の印は、エジプト郵政の検閲印です。

 1948年に始まった第一次中東戦争は、イギリス委任統治領であったパレスチナからイギリスが撤退した後、前年12月、国連で採択されたパレスチナ分割決議を既成事実化してユダヤ国家の樹立をめざすシオニストと、それを阻止しようとするアラブ側との戦いでした。しかし、アラブ諸国はイスラエル国家の建国を阻止できなかったばかりか、エジプトとトランスヨルダンはどさくさに紛れて旧英領パレスチナの一部を占領し、自国の領土に編入。国連の分割決議では樹立されることになっていたパレスチナのアラブ国家は誕生しないままに終わってしまいました。

 戦争の結果、旧英領パレスチナのうち、ガザ地区を自国領に編入したエジプトは、この地で使うために、本国切手に英語とアラビア語で“パレスチナ”と加刷した切手を発行します。今回ご紹介している切手もその種の1枚で、1957年に発行されたラムセス2世の切手を、1958年のエジプト・シリア合邦後、額面・刷色はそのままに、国名表示を“UAR”とあらためて発行されたものです。

 ところで、現在のエジプトでは、何か大きなニュースがあると、すぐに「イスラエルの陰謀ではないか?」という“陰謀説”が大衆の間で広がるのですが、今回のラムセス2世像の移転も例外ではありません。

 すなわち、ラムセス2世は預言者モーゼが奴隷状態のユダヤ人を率いてエジプトを脱出した「出エジプト」の時代の王との説が一部にあることから、「カイロ中心部からの像の撤去はイスラエル政府が仕組んだもの」という噂がインターネット上で蔓延。さらに、「イスラエルの意をくんだ日本は、像の移設を円借款の条件にしている」との説明までまことしやかに付け加えられているそうです。

 もちろん、エジプト文化省は“陰謀説”を完全に否定しているのですが、それにしても、思いもよらぬかたちで日本とイスラエルの“闇のつながり”が噂になるなんて、なんだかなぁ…という気分です。

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 ガザ
2005-08-23 Tue 10:47
 イスラエルが22日、ガザ地区中部のユダヤ人入植地ネツァリムの入植者を退去させ、ガザからのすべての入植者の撤退を完了しました。軍の施設などがまだ残っているため、完全撤退は9月末頃になるとのことですが、実質的にはイスラエルのガザ撤退は完了したと見て構わないでしょう。

 ガザ地区がイスラエルの占領下に置かれたのは、1967年6月の第3次中東戦争の時のことでしたから、占領の期間は実に38年に及んだことになります。ちなみに、僕は1967年の生まれですから、オギャーと生まれた赤ん坊がお腹周りを気にする中年男になるまでの時間の長さというものを改めて実感させられます。

 そんなわけで、今日は、イスラエルの占領直後のガザのマテリアルをご紹介してみましょう。

ガザ捕虜郵便

 このレターシートは、1967年6月(裏面に日付の記載がある)の第3次中東戦争に際して、イスラエルの捕虜になったアラブ兵がガザから差し出したものです。捕虜の通信は無料で取り扱うことが国際的に決められているため、切手は貼られていません。赤十字のマークや、ダビデの星の入ったイスラエル側の検閲印などが当時の状況を生々しく伝えています。宛先はイスラエル国内の郵便局の私書箱となっていますから、おそらく、戦前はエジプトなりヨルダンなりの領土だったものの、戦争の結果、イスラエル側に占領された地域だろうと考えられます。

 ガザの郵便は、オスマン帝国時代→イギリス委任統治時代→エジプト時代→イスラエル時代→パレスチナ自治政府時代、といった具合に、この100年でさまざまに変化していますので、郵便史コレクションをつくってみると面白いのではないかと常々思っています。そんなわけで、ガザ関係のカバー(封筒)は、気の利いたものがオークションに出るとポツポツ買ってはいるのですが、なかなかまとまったコレクションにはならないのが頭の痛いところです。

 そうはいっても、少しは面白そうなカバーも手許に溜まってきたので、いずれまた、このブログでも気まぐれにご紹介していくつもりです。
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