内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 露伴ではなく漱石
2017-02-09 Thu 11:33
 1867年2月9日(慶応3年1月5日) に文豪・夏目漱石が生まれてから、今日でちょうど150周年です。というわけで、今日はストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      夏目漱石(文化人)

 これは、1950年4月10日に発行された“文化切手(文化人切手のことを当時はこう呼んでいました)”の第3弾として発行された夏目漱石の切手です。

 漱石を描く“文化切手”は、小説家を取り上げた日本切手としては最初の1枚となりますが、実は、日本の小説家切手第1号の候補に挙げられたのは、漱石ではなく、幸田露伴でした。

 もともと、“文化切手”の企画は、1946年8月に発足した学生郵便切手会(以下、学生切手会)が、同年12月、「文化貢献者の肖像切手 」の発行を提唱したことが出発点となったものといわれています。

 学生切手会の提案は、1947年6月の逓信文化委員会において、郵便事業の収支改善のための増収策として記念・特殊切手を積極的に発行する方針が採択されると、「肖像入り切手」の企画として採用されました。

 当初、逓信省の企画では、「肖像入り切手」は「わが國の文化貢献者などを新聞社などに委嘱、懸賞募集して、記念切手と同様趣旨 で一月から三種程度發行する」ものとされていました。もっとも、この段階では、「肖像入り切手」の具体的な内容は漠然としたものでしかなく、具体的な発行計画などは白紙の状態であったようです。

 これに対して、日本出版協会(以下、出版協会)は、「肖像入り切手」の企画が明らかになるや、「わが國文化史上不朽の功績を殘した文化人の像を圖案化した郵便切手を發行し國民の文化愛好の精神の振興を計る」ためとして、その実現に向けて積極的な運動を展開。1948年4月には、逓信大臣宛に次のような建議書を逓信大臣宛に提出しています。

  日本文化史上に不朽の足跡を印した文化人を郵便切手の圖案とする件、その第一着手として幸田露伴の像を圖案とせる記念切手をその一周忌(昭和二十三年七月三十日)に發行する件

 我が國が今日新憲法により世界に向つて平和を提唱し、民主政治の徹底と人間性の尊重を宣言していることは改めて言う迄もなく、之と共に進んで國民に平和を求め眞理を尊び文化を昂め藝術を愛する精神と熱情を振起浸透することは今後の施策に於て最も緊要であり切望せられるところと確信する 我々はこの所信に基きかかる線に沿う我國の文化施策の一として、茲に日本文化史上に不朽の業績を遺し巨歩を印した文化人を郵便切手の圖案として採擇せられることを建議し、その第一着手として幸田露伴の像を収めた記念切手をその一周忌に發行せられんことを提案するものである 露伴は明治二十二年文壇に一旗幟を飜して以來死に至る迄六十余年、明治、大正、昭和の三代に渉り稀に見る識見と學殖と文章をもつて、我國文運の進展に寄與した偉大なる業績については敢えて贅言する迄もなく、昭和十二年にはその文化的功績を嘉せられて文化勲章を授けられ、又その死去に當つては、政府に於て國葬の議さえあつたと聞く 我々の建議案の第一着手として露伴を選び、しかもその一周忌(昭和二十三年七月三十日)を期して記念切手の發行せられんことを望むことは最も妥當であり意義極めて深いことを信ずる 當局が我々の意のあるところを賢察せられ、右の建議を速かに實現せられることを多大の期待をもつて懇請する次第である

昭和二十三年四月十五日
日本出版協會々長 石井滿

逓信大臣 富吉榮二殿
 
 出版協会の建議は、共同通信のニュースとして配信されるなど社会的にも注目を集め、同年5月13日に開催された逓信文化委員会でも議事として採り上げられています。

 会議の結果、残念ながら、出版協会の主張する露伴切手の発行は見送られましたが、逓信省もようやく文化人切手の発行に本腰を入れて取り組むようになりました。そして、これを受け、共同通信は同年7月7日付で以下のような記事を各新聞社宛に配信しています。

 文化郵便切手十月頃發賣
 逓信省は郵便事業の赤字對策として文化郵便切手を十月頃から發行する これはわが國の文化面における先覺者中から世界に誇れる文化的偉人の肖像を圖案化する切手で、外國にも販路をひろめて外資導入にも一役買うものである さしあたり、第一次計畫として本年度から三ヶ年間に毎年四、五種(三ヶ年に十五人)をその文化的偉人の誕生日、命日またはその業績に關係の深い日などに順次發行する この文化的偉人の選定は「文化郵便切手選定審査會」を設けて決定する なお同切手の収益は年間二億圓を目標とする

 こうして、シリーズとしての概要や発行までの具体的な手順などが固まったことで、文化人切手の発行がにわかに現実味を帯びて語られるようになります。切手に取り上げる文化人切手の人選に関しては、1948年の段階では、文部省が、野口英世二宮金次郎、福沢諭吉、新井白石、新島襄、鈴木梅太郎、西田幾多郎等を候補者として逓信省に示していただけで、具体的な選考作業はいっさい行われていませんでした。ただし、この時点では、文部省としては漱石を積極的に推そうという意思はなかったようです。

 また、この時点で、一部新聞などでは、文部省の協力の下、芸術院・学士院の各会員を中心に衆参両院議長など30名からなる「文化偉人切手選定委員会」が設立され、その会議において文化人切手の第一段として野口英世が採り上げられることが内定したとの報道がさかんになされていましたが、これは完全な虚報で、1948年中に「文化偉人切手選定委員会」が設立された形跡はありません 。

 1949年6月、逓信省が郵政省と電気通信省に分割されると、これにともない、同年7月、新生郵政省の諮問機関として、郵政審議会(会長の末弘厳太郎 以下、35名の委員で構成)が発足。同月25日に開かれた第1回会合で、前年来、企画途中で放置されていた文化人切手が再び議題として取り上げられました。

 審議会の結果、文化人切手を発行するという方針は確定されましたが、その具体的な人選に関しては、このときの会議では結論が出なかったため、切手候補者選定のための専門委員を置くこととなります。

 専門委員は“各界の権威者”のなかから13名 に委嘱され、9月1日、第1回の委員会が開催。委員会は、漱石を含む65名の候補者を挙げ、そこに、審議会会長の末弘の推薦により梅謙次郎を加えた計66名の中から、①正確な肖像写真がある(すなわち、明治以降の人物に限定する)、②政治家・軍人を省く、③生存中の人物も除く、などの条件で絞り込んだうえで、学術関係・文化関係(思想、教育、評論など)・芸術関係(文学、美術、演劇など)の三分野のバランスをとって、切手に取り上げる18名が決定されました。このうち、漱石は“芸術関係”の筆頭にリストされ、“学術関係”筆頭の野口英世、“文化関係”筆頭の福沢諭吉に次いで、文化切手の3番目に取り上げられることになったのです。

 さて、漱石切手の元になった肖像写真は、明治天皇の大葬後まもない1912年9月19日、東京の写真館で写真家・小川一真が撮影した4枚のうちの1枚で、オリジナルの写真では腕に喪章が付けられていますが、切手ではその部分はトリミングでカットされています。なお、旧1000円札の肖像の肖像も、この切手と同じ写真をもとに制作されました。

 切手としての原画は、木村勝が1950年1月に完成させ、渡辺文雄が原版の彫刻を担当しています。今回のデザインは、先に発行された野口・福沢の両切手とは若干趣を変えて、肖像の背景が白抜きではなくツブシとなったほか、額面数字のスタイルも変更されました。

 こうして、1950年4月10日、漱石切手が発行されましたが、切手の発行日は漱石関連の記念日とはいっさい関係がなく、単に郵政省の事務的な都合で設定されたものと思われます。このため、当日は(切手発行以外の)漱石関連の行事は何も行われず、記念スタンプの類も使用されませんでした。ただし、切手の贈呈式は福沢切手の先例にならって行われ、第一号のシートが遺族(当時は鏡子未亡人が存命)に贈呈されました。


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 すみだ北斎美術館オープン
2016-11-22 Tue 14:35
 葛飾北斎の作品を集めた“すみだ北斎美術館”が、きょう(22日)、東京・両国で開館しました。というわけで、今日は“北斎”にちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      北斎百年祭  北斎美術館

 これは、1948年4月18日に発行された“北斎百年祭”の記念小型シートです。ついでですので、隣には、きょうオープンの美術館の建物写真もアップしておきました。

 浮世絵の巨匠・葛飾北斎(以下、北斎)は、宝暦10年9月23日(1760年10月31日)、江戸本所に生まれました。20代から嘉永2年4月18日(1849年5月10日)に90歳で亡くなるまで、春朗、宗理、北斎、戴斗、為一、卍などの画号を用いて風景画のみならずさまざまなジャンルで膨大な数の作品を残しています。

 北斎とは日蓮宗の妙見(北斗七星)信仰に基づく号で、当初、北斎は北斗七星を意味する北辰にちなみ、「北斎辰政」と名乗っていました。また、実際に北斎の号を用いたのは文化2(1805)年から5年ほどの期間だけでしたが、後々まで「北斎改め戴斗」「北斎改め為一」などとこの号を部分的に使用していたため、この名が一般に定着したといわれています。

 文政6(1823)年に制作が始まり、天保2(1831年)年に初版が開版、同4(1833年)年に完結した『富嶽三十六景』は、70歳代前半に出版された作品で、版元は永寿堂西村屋与八。当初は表題の通り、主版の36枚で終結する予定でしたが、作品が人気を集めたため追加で10枚(“裏富士”と呼ばれる)が発表され、計46枚になりました。このうち、「神奈川沖浪裏」は、ゴッホが激賞し、印象派の画家たちに絶大な影響を与えたほか、そこから発想を得たドビュッシーが交響詩『海』を作曲するなど、その後の西欧の芸術家に大きなインパクトを与えたことでも知られています。

 1948年は、この北斎の100年祭(没後100年目)にあたっており、4月18日の祭典を中心に、上野(東京)の国立博物館をはじめ、日本橋(東京)の三越・高島屋両百貨店、鎌倉など、全国8ヶ所で記念展覧会が開催されました。

 “北斎百年祭”の記念展覧会開催にあわせて、上野の国立博物館長は逓信省に記念切手の発行を申請。申請を受けた逓信省は、前年(1947年)発行の「切手趣味の週間(以下、趣味週間)」小型シートが北斎の「山下白雨」を図案とする1円切手5枚を組み合わせたものであることに目をつけ、三島展の例にならい、売れ残り小型シートに記念文字を加刷したものを百年祭当日の4月18日に発行することにしました。

 その背景には、当時の逓信省にとって、趣味週間小型シートの在庫問題はきわめて憂慮すべき事態となってたという事情がありました。すなわち、今回ご紹介の小型シート発行前日(1948年4月17日)の時点で、昭和22年度発行の記念・特殊切手のうち、売捌率が6割を切っているのは趣味週間の小型シートのみで、切手(小型シート)の売れ残り在庫の実数で見ても、100万枚以上の売れ残りがあるのは、趣味週間の小型シート以外には、1000万枚発行された日本国憲法施行の記念切手共同募金の慈善切手のみでした。

 このように、このため、国立博物館からの北斎記念展への記念切手発行の申請は、大量の不良在庫を抱えていた逓信省にとって、趣味週間の小型シートを処理する上で格好の機会ととらえられたのでした。

 ちなみに、逓信省は、「北斎百年祭」の小型シートは“時間上の制約”ゆえにオリジナル・デザインを製作する余裕がなく、趣味週間小型シートへの加刷に終わったと説明しています。また、季節をあらわす花の部分は、11月に発行された趣味週間小型シートの菊がそのまま活用され、加刷は行われませんでしたが、この点に関して、逓信省は、「北斎は菊の花を描くのを得意としていた」と苦しい説明をしています。なお、今回の小型シートの加刷文字は逓信省の加曾利鼎造がデザインし、印刷は東京の共同印刷で行われました。

 切手の発行数は12万3600枚で、記念展の会場(下谷局の臨時出張所)、下谷局、日本橋局(三越および高島屋で展覧会開催のため)、鎌倉局(展覧会開催地)の各局で発売されました。

 このうち、記念展の会場となった東京・上野の国立博物館には、2階ホールに下谷郵便局の臨時出張所が設置されましたが、初日のオープン前には大行列ができて一般の参観者の交通に支障が出るほどでした。この行列は、10時過ぎには100人以上に増え、館外にはみ出すほどになったため、当初は1人30枚まで、途中から1人10枚までの制限発売が行われています。

 もっとも、彼らの多くは小型シートを求めて記念押印を済ませると、肝心の展覧会にはほとんど目もくれずにそそくさと帰っていったようで、博物館の守衛が「この位熱心に浮世絵みてくれゝればよいのですがね」と嘆いていたとの報告があります。

 また、三越と高島屋で記念展が開かれる関係で小型シートを引き受けた日本橋局では、初日の18日が三越の定休日にあたっていたため、同日のシート発売を見合わせていましたが、集まった収集家から非難を浴びたため売り出したところ、即日完売になるなど、切手そのもの人気は高かったようです。

 *オマケ

      北斎美術館ちらし(1)  北斎美術館ちらし(2)

 我が家の郵便ポストに、すみだ北斎美術館の開館記念のチラシが入っていましたので、ついでにアップしておきます。左側が、開館そのものの周知、右側は開館記念イベントを周知するためのものです。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 終戦と軍国切手
2016-07-28 Thu 20:18
 ご報告が大変遅くなりましたが、雑誌『丸』2016年8月号が先月、発行されました。同誌には、僕も終戦特集の企画で「終戦と軍国切手」と題する文章を寄稿しています。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       追放切手最終日使用例

 これは、いわゆる追放切手の使用期限となった1947年8月31日、翌日から使用禁止となる楠公銅像の2銭葉書に、7種類・6図案の追放切手(八紘基柱東郷元帥乃木大将、楯と桜、戦闘機・飛燕、靖国神社)を貼って差し出した記念品です。

 敗戦後の占領下、GHQは1946年5月13日付で、「日本郵便切手及通貨ノ図案ニ就テノ禁止事項ニ関スル件」と題する指令AG第311・14号を発し、これにより、靖国神社の1円切手勅額切手等が使用禁止となりました。しかし、それらの例外を除き、一般の国民は、敗戦以前に発行された軍国調の切手を引き続き郵便に使い続けていました。

 一方、1946年8月1日には、GHQの“指導”の下、国名表示を戦前の“大日本帝國郵便”から“日本郵便”に変更し、“民主図案”を採用した新普通切手の第1号として、北斎の「山下白雨」をとりあげた1円切手が発行されます。以後、“民主図案”の新昭和切手が徐々に発行されていくわけですが、物資不足の深刻な時代だったこともあり、昭和22年に「日本国憲法」が施行された後も、“大日本帝国郵便”と表示された切手の使用は続いていました。

 しかし、ある偶然の出来事から、これらの切手もついに使用禁止に追い込まれてしまいます。

 それは、1947年5-6月頃のことでした。

 当時、GHQ最高司令官、ダグラス・マッカーサーの元には、毎日夥しい量の郵便物が届けられていましたが、その一通に、1942年に発行された“大東亜共栄圏”の地図を描いた10銭切手の貼られた封筒がありました。

 切手の図案は1942年の日本の勢力圏の地図ですから、そこには、当然のことながら、日本の占領下にあったフィリピンも含まれていたわけですが、そのことに気が付いたマッカーサーは激怒します。

 ウェストポイントの陸軍士官学校を開校以来の成績で卒業し、米陸軍の出世街道を驀進して、1930年に米陸軍史上最年少の50歳で参謀総長に就任したマッカーサーにとって、太平洋戦争緒戦でのフィリピンからの撤退は、輝かしい軍歴のただ一つの汚点でした。(後に、朝鮮戦争で中国人民志願軍の攻勢を受けて退却を余儀なくされたり、大統領のトルーマンと対立して司令官を解任されたりする運命が待ち受けていることを、この時点のマッカーサーが知る由もありませんので…)

 “アイ・シャル・リターン”を合言葉に対日戦を勝利に導き、日本占領の最高司令官として君臨することになったからこそ、日本人の側から、フィリピンでの敗北を想起させるものを彼の前に提示することはタブー中のタブーだったのです。

 マッカーサーの怒りは、大東亜共栄圏の切手を貼って郵便を送ってきた差出人よりも、そうした切手を依然として流通させている日本政府に向けられます。

 さっそく、逓信省の関係者がGHQに呼びつけられ、昭和21年5月13日付指令の第1項に該当する切手、すなわち、軍国主義、超国家主義、国家神道、旧植民地の風景を題材とした切手が、新憲法の施行後も使用されているのはおかしいではないかとの厳しい叱責を受けました。

 その背後にマッカーサー本人の意向を感じ取った逓信省は、6月29日、該当するすべての切手・葉書の発売停止を全国の郵便局に指示しました。いわゆる“追放切手”です。その対象となった図案の切手は以下の通りでした。

 乃木希典大将(2銭切手)
 楯と桜(3銭切手)
 東郷平八郎元帥(4銭切手、5銭切手、7銭切手)
 八紘基柱(4銭切手)
 戦闘機・飛燕(5銭切手)
 台湾・鵞鑾鼻燈台(6銭切手・40銭切手)
 産業戦士(6銭切手)
 朝鮮・金剛山(7銭切手)
 明治神宮(8銭切手)
 日光東照宮陽明門(10銭切手)
 大東亜共栄圏地図(10銭切手)
 筥崎宮の勅額(10銭切手)
 航研機(12銭切手)
 春日大社(14銭切手)
 少年航空兵(15銭切手)
 靖国神社(17銭切手、27銭切手/別図案の1円切手)
 厳島神社(30銭切手)
 藤原鎌足(5円切手)
 楠公銅像(1銭5厘葉書、2銭葉書、3銭葉書、5銭葉書)

 追放切手とされたもののうち、日光東照宮や春日大社、厳島神社などは、国家神道とは直接無関係であり、単に日本を代表する文化財、歴史的建造物でしかないのですが、昭和21年5月13日付指令では「神道神社或ハ神道ノ他ノ象徴ノ表現」が一括して規制の対象となっているため、追放切手のリストに加えられたということなのでしょう。

 さらに、7月23日付の逓信省令では、1947年8月31日限りで、該当する切手・葉書に関しては、公衆手持ち分についても全面的に使用を禁止し、使用可能な切手と交換させることになりました。

 今回ご紹介の葉書は、こうした事情の下、当時の切手収集家が、使用禁止の“記念”として、差し出したものです。

 さて、今回の記事では、終戦前後の勅額切手騒動から、追放切手が使用禁止になるまでの顛末について、概論的にまとめています。機会がありましたら、ぜひ、雑誌の現物をお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 新作『リオデジャネイロ歴史紀行』 初売りのご案内 ★★★ 

 ・8月6日(土) 09:00- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。

 新作『リオデジャネイロ歴史紀行』の奥付上の刊行日は8月9日ですが、8月3日頃には現物ができあがってくるとの連絡がありました。そこで、さっそく、同書を中心に拙著を担いで行商に行きます。実物の販売は、この日が初売りとなる予定です。ぜひ遊びに来てください。


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 切手歳時記:花粉症の生みの親
2016-03-09 Wed 09:56
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2016年3月号ができあがりました。今回はスギ花粉症の時期に合わせて、僕の連載「切手歳時記」も、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      植林(産業図案)

 これは、1949年5月10日に発行された産業図案切手・植林の20円切手です。

 人類が花粉症に悩まされるようになったのは古代エジプト文明の時代にさかのぼるともいわれていますが、日本で患者が激増したのは1960年代以降のことです。ちなみに、日本におけるスギ花粉症についての最初の報告となる論文「栃木県日光地方におけるスギ花粉症 Japanese Cedar Pollinosis の発見」を斉藤洋三博士が発表したのは1963年のことでした。

 この時期、日本でスギ花粉症が急増した原因としては、一般に、農水省が推奨してきた大規模スギ植林が挙げられています。

 第二次大戦後、増大するばかりの木材需要を賄うために、農水省は林業の拡大と造林に力を注ぎましたが、その一環として、1948年には、「荒れた国土を平和な緑で」のスローガンの下、全国緑化運動が大々的に展開され、そのためのキャンペーン切手も発行されています。さらに、1949年には、当時の重要産業で働く人々を題材とした普通切手、“産業図案切手”の一枚として、今回ご紹介の植林切手も発行されました。

 林業を拡大しようという農水省の政策自体は、当時の社会情勢に照らして大いに理のあることだったわけですが、その際、成長率が高く、建材としての価値が高いスギやヒノキの植林が大々的に奨励されたため、十数年を経て、スギ花粉の飛散量も爆発的に増加。ちょうどそのタイミングで、わが国は経済大国となり、木材についても、国内で調達するよりも、外国からの質が良くて安い輸入品が優先されるようになり、大量に植えたスギの伐採や間伐もしだいに停滞していきました。そうなると、スギは減らず、花粉だけがどんどん増えていく結果になります。

 今回ご紹介の切手をよく見てみると、植えられている苗木は明らかに針葉樹ですから、十中八九、スギかヒノキではないかと思います。

 切手の中で実際に植林作業に汗を流している男たちは、自分たちの植えたスギやヒノキが豊かな日本を作り、子や孫の幸せにつながると固く信じていたのでしょうし、すくなくとも、現在の僕たちが、毎年、花粉症に悩むことになるとは夢にも思わなかったにちがいありません。

 歴史の皮肉を感じさせる切手を一枚挙げろと言われたら、毎年この時期、花粉症に悩まされている僕の脳裏には、先の大戦中に発行された戦意高揚のプロパガンダ切手よりも、まずは、この植林の切手が浮かんでくるのです。

 ちなみに、いまでこそ、いろいろと良い薬もありますし、さまざまな対策も知られるようになりましたが、そうではなかった昭和の時代の花粉症は本当につらいものでした。僕自身、鼻水がひどいときには、一日にティッシュペーパーを一箱使い切ってしまうほどで(若い男が“ティッシュペーパーを大量に使う”というと妙な誤解を招きかねないのですが、僕の場合、用途は、あくまでも鼻をかむためだったことはあらためて強調しておきます)、その結果、鼻の下も赤くはれ上がってしまって、とても髭を剃れるような状態ではありませんでした。

 幸い、大学生になると、1月末か2月の初めに学年末の試験が終わると4月までは学校に行く必要はなくなりましたので、2年生になる前の春先は、そのまま髭を剃らずにいました。新年度になっても、最初の頃は花粉症が収まりませんから、そのまま学校に行くと、友人たちから「なかなか髭が似合うじゃないか」と誉めてくれました。まぁ、お世辞だったのでしょうが、くどくどと事情を説明するのも億劫でしたし、そのまま30年近く、口髭が定着して現在に至るという次第でございます。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 うるう日
2016-02-29 Mon 10:54
 きょう(29日)は4年に1度の“うるう日”です。というわけで、4年前同様、手持ちの“うるう日”カバーのうち、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      済州宛・検閲便  済州宛・検閲便(裏)

 これは、占領下の1952年2月29日、東京から韓国・済州宛に差し出されたカバーで、国会内局の2月29日の消印が押されています。裏面には中継地・釜山の3月6日付の欧文印とムクゲ型の検閲印が押されており、表面には3月10日受取の書き込みがあります。通常であれば、東京=済州間の郵便物は1週間もあれば届くのでしょうが、このカバーの場合、10日以上の日数がかかっているのは、朝鮮戦争の最中であったことに加え、宛先地の済州道島内では左翼ゲリラに対する掃討戦が展開されている時期であり、そうした事情が反映されているのかもしれません。

 済州島は朝鮮王朝時代に政治犯の流刑地であったことから、日本時代を経て米軍政下でも、朝鮮本土では済州出身者に対する差別が色濃く残っていました。

 こうした背景の下、1947年3月1日、3・1独立運動28周年の記念式典の後のデモに対して米軍政庁の警官隊が発砲して6名が死亡すると、3月10日から島内では抗議のゼネストが行われました。これを“アカの蠢動”とみなした軍政庁と李承晩ら本土の保守派はゼネストを武力で粉砕。彼らに対する島民の不満を背景に、1948年4月3日、左翼勢力の南朝鮮労働党済州島委員会は警察支署や右派人士に対する一斉襲撃を開始しました。いわゆる済州島四・三事件です。

 事件は一般島民や本土から派遣された警官隊の家族らも巻き込んでエスカレートし、次第に、当時の南北朝鮮での左右対立の最大の争点であった5月10日の単独選挙阻止を主張するものへと変質していきます。結局、蜂起の指導部は、朝鮮国防警備隊(後の韓国軍)や警察、西北青年団(北朝鮮から南朝鮮へ逃れてきた反共・右翼青年の組織)などの治安部隊によって短期間で鎮圧されましたが、残存勢力は1957年まで山間部でゲリラ戦を展開して抵抗。最終的に、8万名の島民が犠牲になったといわれています。

 また、済州島での混乱と殺戮を逃れて、この時期、多くの密航者が日本に渡ってきたことも忘れてはなりません。ちなみに、1955年8月18日付の『朝日新聞』には、警視庁公安3課の調査結果として、推定65万人の在日朝鮮人のうち、密入国者は10万人を超えるとみられているとの記事も掲載されました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろご説明しておりますので、 機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 ・毎日文化センター 「宗教で読む国際ニュース」
 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


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       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

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 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 日韓基本条約発効50年
2015-12-18 Fri 12:02
 1965年12月18日に日韓基本条約(同年6月22日調印)が発効し、両国の国交が正式に樹立されてから、きょうでちょうど50年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      京城残置貯金問い合わせ(通信事務)  京城残置貯金問い合わせ(手紙)  京城残置貯金問い合わせ(回答)

 これは、1945年12月4日に京城(現ソウル)から岐阜県に引揚げてきた山本重雄(以下、敬称略)が、京城時代の貯金通帳の再交付(再発行)に関して、1946年12月10日付で逓信省貯金保険局に訴え出た手紙(の一部・画像中)と、それに対する貯金保険局側から回答文(画像右)、そられを送ってきた通信事務の封筒(画像左)です。

 まずは、山本の手紙を書き起こしてみます。

 御願
 私は昨年十二月四日朝鮮京城を引揚げ帰還せる者(に)有ります処、出発当日在鮮中多年親交ありたる当時京城府中区若草町に居住せる竹内義市を申(す)者が見送りに来り曰く郵便貯金通帳は途中掠奪され又は紛失せし者往々ある由に付自分は妻と共に許さるれば永住の覚悟に付預り置(き)情勢が緩和し郵便為替又は旅行等も出来得る様になれば送付すると申出たるを以て左記郵便貯金通帳(外に家族名の京城南大門金融組合の預金通帳等)を同人に託し置(き)出発したるに其の後一月以降数回に亘り同人へ通信せしも何れも転居先不明とて局より返戻あり(。)一方京城の槇様を聞くに京城在住者は二月中に概ね引揚たりとのことなりしも本人より何等の通信来らす(ず)不審に思ひ爾来八方手を尽し居所を探しことありしに最近福島に居住せること漸く判明せしを以て同地に態し出張し尋ねたるに果して在住し居り本件を面会したるに殊に申訳なきことなれと(ど)も引揚直前に鮮人に掠奪されたとのことに驚き入りたる次第に御座い(ます。)而して小生引揚後同人が京城金町一丁目郵便局に出頭したるに本人は昨年十二月四日旅費XXXXX宛四人分即ち金四千圓也を支払ひあり(。)本人は即日内地に引揚Xに付当局にては支払不能とのことに更にXXXX得さりしと申候
 以上の次第に付左記貯金通帳をX御手数ながら

 手紙の内容を要約すると、

 ①山本は、引揚げに際して、現地在住の知人である竹内義市から「引揚者は途中で貯金通帳を略奪されることが往々にしてあるし、自分は京城に永住するつもりなので、情勢が落ち着くまでは通帳を預かっても良いが…」と持ちかけられて通帳を渡したところ、その後は梨の礫となってしまった
 
 ②不審に思って調べたところ、竹内は福島に引揚げていることが判明。

 ③そこで、竹内を問い質したところ、竹内は引揚げ直前に貯金は朝鮮人によって略奪されたと主張。

 ④山本の照会に対して、京城金町一丁目の郵便局では、同人(を名乗る人物)に正規の手続きをもって払い出しを行ったので、再度の支払いはできないと返答した。

 現在となっては手紙の内容の真偽を確認するのはほぼ不可能でしょうが、終戦前後の混乱の中で、現地の朝鮮人の一部が朝鮮から引き揚げる日本人の資産を略奪していたということは事実であり、そうした状況が広く知られていたこと、さらにはそれを悪用して同胞の資産をだまし取る日本人もいたことを伺わせるエピソードといえましょう。

 いずれにせよ、生活に困窮した山本は逓信省貯金保険局に対して、貯金通帳の再交付を求めるわけですが、それに対する貯金保険局の回答は以下のようなものでした。

 今回朝鮮記號郵便貯金通帳の紛失及び京城口座振替貯金の取扱について御申出になりましたが、目下のところ朝鮮官廳との連絡が不可能なため、取調べることも又通帳を再發行することも又振替貯金口座の殘額を振出したり、口座を内地へ移轉することも出來ないばかりでなく、將來の取扱方の見透しもつき兼ねますから、ご事情は甚だ御氣の毒ですが右悪しからず御諒承の上、右通帳に預入した貯金及び振替貯金の現在高は在外財産として、最寄りの日本銀行支店又は同代理店を通じて報告して下さい。

 要するに、日本政府としては、終戦後、朝鮮に残された日本の在外資産については、一応、申告を受け付けて記録には残すものの、現実にはどうしようもないという返事でした。おそらく、似たような事例は数多くあったものと思われます。

 いずれにせよ、こうした状況の下では、朝鮮に残してきた自分の資産を返してくれというのが(引揚げてきた)日本人としては自然な感情であって、“植民地支配を反省”して、朝鮮(人)に対して“謝罪と賠償”を申し出るという発想は出てこないのが自然だろうと思います。このことは、日韓国交正常化交渉が10年以上にもわたって大揉めに揉めた一つの要因でもあったわけで、じっさい、1953年10月の交渉では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」と発言して、韓国側が激昂する一幕もありました。ちなみに、日本が朝鮮半島から撤退する際に現地に残した資産は、当時のレートで、53億ドル相当と見積もられています。

 最終的に、1965年12月18日付で発行した日韓基本条約では、その付随協約である「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」において、日本は韓国に対し、朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄することとされ、山本の貯金が彼の元に戻ってくる可能性は完全に消滅することになりました。なお、同協定では、約11億ドルの無償資金と借款を援助することも規定されており、これが、“漢江の奇跡”と呼ばれるその後の韓国の経済成長の原資(の一部)となったことは広く知られています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手歳時記:夏服を着た女たち
2015-06-13 Sat 11:08
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』6月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、今回は“衣更え”(クールビズが始まってから、すっかり死語になった感もありますが)の時季ということで、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      赤目四十八瀧(千手瀧)

 これは、1951年6月1日に発行された「観光地百選」の“赤目四十八瀧”の8円切手です。

 毎年、この時期になると、僕はアーウィン・ショーの短篇『夏服を着た女たち』を思い出します。

 物語では、陽光そそぐ日曜日、ニューヨークの5番街を1組の夫婦が歩いているのですが、美しい妻はだんだん不機嫌になってきます。会話の途中でも、夫が町を歩く女たちを目で追っているのがわかるからです。

 最初のうち、妻は「首の骨を折るわよ」なんて冗談を言ってましたが、段々と会話は深刻になり、やがて素敵な日曜日に暗雲が立ち込めてきます。夫は色々と言い訳しますが妻の機嫌は中々直りません。

 そんなやり取りの後、一休みしようかと夫婦はバーに入って窓際の席に腰を下ろし、最終的に、夫は「この女はきれいだとか、あの女はどうとか言うのは止して」という妻の言い分を聞き入れます。

 そして、午後から友人夫妻に会うために、バーから電話をかけようと妻が席を立つと、彼女の歩く後姿を見た夫は「なんときれいな娘だろう。いい脚をしている」と考えた、というのがオチになります。

 今回ご紹介の切手は、日本切手の中で“夏服を着た女たち”を描く1枚というわけですが、切手の題材となった“赤目四十八瀧”は、三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷にある瀧の総称です。

 “赤目」”という名は、修験道の創始者・役小角が滝で修行をしていた際に不動明王が赤い目の牛に乗って現れたとの伝説に由来しています。実際には瀧の数は48以上ありますが、他の地域の“四十八瀧”同様、多くの滝があるという意味で、こう総称されるようになりました。

 なかでも、不動瀧・千手瀧・布曳瀧・荷担瀧・琵琶瀧は赤目五瀑とされていて、渓谷全体では4キロに呼ぶ遊歩道になっています。最寄駅とされる近鉄の赤目口駅からだと、最初の瀧が行者瀧で、次いで、不動瀧、乙女瀧を経て、四番目が、切手に取り上げられた千手瀧です。

 千手瀧は高さ15m・幅4mで、滝壺の深さは20m。名前の由来は、岩を伝って千手のように落水するからとも、千手観音にちなむものともいわれています。

 切手のもとになった写真は、奈良大和路の写真で有名な入江泰吉が撮影したものですが、画面手前の後姿の女性2人が良いアクセントになっていて、夏の滝の清涼な感じが伝わってくるのが良い感じです。彼女たちの白いシャツと帽子、スカートなどから、いかにもレトロな雰囲気が漂ってくるのも素敵です。アーウィン・ショーの物語で、主人公の男が目で追っていた女性の中にも、こんな感じの二人が紛れ込んでいたんじゃないかと想像したくなりますな。

 切手に描かれた千手の瀧から先に進んで歩いていけば、これからの時季、きっと、何人かの「夏服を着た女たち」を目にすることになると思います。ただし、千手瀧から四十八瀧最後の滝となる岩窟瀧までは片道一時間ほど歩かねばなりませんので、往復2時間歩いて千手瀧に戻ってきた時点で、小説の主人公のように、女性たちを目で追って楽しむ余裕があるかどうかは、個人差がありそうですが…。(僕には無理そうです)


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 表紙の切手
2015-03-25 Wed 11:45
 きょう(25日)は、拙著『日の本切手 美女かるた』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーで取り上げた切手のうち、左下の切手について、ご説明しましょう。なお、過去の記事でも取り上げた右上の旧高額切手についてはこちら、中央の見返り美人についてはこちらをご覧ください。(画像はクリックで拡大されます)

       日本国憲法50年

 これは、1947年5月3日に発行された「日本国憲法施行」の記念切手のうち、国会議事堂を背景に母子を描いた50銭切手です。今回の『日の本切手 美女かるた』では、“は”の「母よあなたは強かった」に対応する絵札として使ってみました。

 「母よあなたは強かった」というフレーズは、もともとは、1939年にコロムビアレコードから発売された戦時歌謡「父よあなたは強かった」(福田節作詞、明本京静作曲)をもじった言い方です。

 僕が子供の頃は、「戦後強くなったのは女と靴下だ」と言っている大人たちが大勢いましたが、太古の昔から、いざという時には女性の方が強かったように思います。

 たとえば、作家・渡辺淳一は「男は女々しいもの」というエッセイで、男はもともと“未練がましくひ弱な生き物”であって、一般に、女性の方が精神的に強く、痛みや出血にも強くできていて、寿命は男性より長いと指摘していますが、たしかに、中小企業が倒産して債権者が押し掛ける場面などでは、それまで威勢の良かった社長のおじさんが急にオロオロしたり、シュンとしてしまったりして情けないことこの上ないのに対して、専務の“おかみさん”はどっしり構えているということがしばしばです。

 元ネタにあたる「父よあなたは強かった」の歌がいつしか忘れられ、そのパロディにあたる「母よあなたは強かった」が残ったのは、そちらの方が事実に近かったからに他なりません。

 そうしたことを念頭に、今回ご紹介の「日本国憲法施行」の記念切手を見ていただきましょう。

 1947年5月3日の「日本国憲法」施行合わせて記念切手を発行すべく、逓信省は「記念切手発行の意義をより広く一般に認識させるため」として切手図案を公募。50日余の募集期間に、1万2348点もの作品が寄せられました。

 その中から、1等に選ばれたのは中尾龍の「議事堂に鳩を配して平和の表現を主張した図案」でしたが、審査委員会の席上、中尾の作品は当時の封緘葉書の料額印面に似ているとの理由で、一部委員から物言いがつき、1等でありながら不採用という珍事となります。

 結局、2等の3作品(堀本正親の「花束」、大越秀男の「議事堂と門扉」、釜谷市太郎の「幼児を抱いた婦人と議事堂」)のうち、堀本と釜谷の作品が切手図案に採用されることとなり、大越作品はポスター図案に採用されました。

 このうち、釜谷の作品は、洋画家・木下孝則によって原作の女児を男児に改めるなどの修正を経て、1947年5月3日に切手として世に出たわけですが、修正を担当した木下にも“父親”を加えるという発想はなかったようです。

 フツーに考えれば、“平和な家族”のイメージには父親がいるのが自然な姿だと思うのですが、そうならなかったのは、闇市で食料を調達し、ベビーブームの子供を育てながら、必死になって生活を支えていたのは、敗戦のショックですっかり腑抜けになってしまった男たちではなく、女たちだったという現実があったからなのでしょう。あるいは、ただ単に、切手のモデルとなった母子の夫なり父親なりは、現実には、まだ復員していなかったか、あるいは戦死してしまったのかもしれませんが…。

 ちなみに、1937年に米国で発明されたナイロンのストッキングが日本に上陸したのは1952年のことでしたから、切手の彼女は、まだストッキングをはいていません。

 やはり、靴下よりもずっと前から父よりも母の方がずっと強かったといってよさそうです。

 さて、拙著 『日の本切手 美女かるた』は、明治以来、日本で発行された切手のうち、今回ご紹介の切手を含め、女性がデザインされた48点を選び、いろは47文字(+ん)のそれぞれで始まる読み札をつけた“かるた”形式のエッセイ集です。機会がありましたら、ぜひ実物をお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 北陸新幹線開業
2015-03-14 Sat 11:01
 北陸新幹線の長野−金沢間が、きょう(14日)、開業しました。というわけで、沿線の金沢・高岡(新幹線の駅としては“新高岡”ですが)の両方に関わるマテリアルとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       金沢・高岡展

 これは、1948年12月3日に発行された「明るい逓信文化展 金沢・高岡」の小型シートです。

 1948年11月、四国各地で開催された「四国切手展」に際して記念小型シートが発行されたことで、同年までに地方切手展の小型シートを発行していない逓信局は金沢と広島を残すのみとなりました。

 このうち、金沢逓信局には、すでに同年4月に記念小型シートを発行すべく、逓信省に働きかけていたものの、沙汰止みとなっていたという事情がありました。

 すなわち、前年の1947年秋、金沢の地元郵趣会である金沢切手会が、北陸観光宣伝のための名勝入り切手の小型シートを、1948年4月に開催予定の「郵便切手を知る展覧会・金沢展」にあわせて発行することを提案。これを受けて、金沢逓信局は切手の発行を逓信省に上申するとともに、切手展開催経費の一部を割いて図案の懸賞募集を行います。

 ちなみに、応募作品に対しては、地元審査員による予選の後、洋画家・宮本三郎による本審査が行われましたが、一等の該当作品はなく、黒部峡谷(富山県)を描いた有馬傳の作品ならびに安宅関跡(石川県)を描いた森高芳の作品の2点が二等に入賞したのが最高でした。ただし、実際には、4月の切手展にあわせて小型シートを発行するというプランは、時間的な制約から撤回され、同年4月に行われた審査の結果 、上位10作品が参考資料として逓信省郵務局へ送られました。

 もっとも、逓信省サイドでは、『京都寸葉』紙に対して、地元の行動を「金沢逓信局が勝手に募集したものであつて逓信省が計畫してゐる風景切手の一聯とは別個のものであり參考にはするが目下のところ發行具體化の話は何等進んでいない」と語っており、この段階では、金沢逓信局の図案募集は結果として勇み足だったというのが実情のようです。

 こうした過去の経緯があったところへ、同年12月3-5日、「切手趣味の週間」に呼応して、金沢で「明るい逓信文化展」(金沢展)が開催されることになりました。

 そこで、これを好機ととらえた金沢逓信局は、あらためて同展の記念小型シート発行を逓信省に申請します。

 ところで、金沢展から1週間後の10-12日、「明るい逓信展」は会場を高岡に移して行われることになっていました。このため、金沢逓信局では、金沢展とは別に高岡の逓信展にも小型シートを発行してほしいと逓信省に申請します。

 そこで、逓信省では、当初、金沢・高岡の両展覧会の小型シートを別々に発行する計画を立て、準備を開始。見返り美人を取り上げた趣味週間の切手を収めた同形式の小型シートの地名部分のみを“金沢”と“高岡”に替えた2種類の小型シートを企画しました。
 
 しかし、準備期間の都合から、2種類の小型シートを製造することが困難になったため、小型シートは、金沢・高岡の両地名を併記することで両展覧会共通のものとされることになりました。

 こうして、金沢展の初日にあたる12月3日、「見返り美人」を中央に収めたグラビアの小型シートが発行され、両展覧会の会期中にそれぞれの地元で発売されたほか、新たに発足したばかりの逓信省切手普及部によって全国の収集家への取次が行われました。

 小型シートは、収集家の人気を博した「見返り美人」が中央に収められていたこともあって、収集家の反応はよく、展覧会の会場では早々に売り切れとなりました。

 ただし、周囲のもみじ模様については、収集家の間でも批判が多かったようです。

 たとえば、小型シート発行直後の12月6日、趣味週間の行事の一つとして東京・京橋郵便局三階で開催された「切手図案を語る座談会」の席上、学生郵便切手会の賛助会員として出席していた小倉謙(東京大学教授)は逓信省関係者を前に「實際はもつと葉の根本から分れ出ているべきものであります」と指摘。今回の小型シートに限らず、近年の切手図案の考証が不充分である点について苦言を呈しています。

 また、雑誌『郵趣』にも、「構成上、妙な日本風を取入れたので、羊かんのレツテルと評され、虎屋の夜の梅の折箱にでも貼つた方が良いなどと惡口を云はれた」との収集家の反応を紹介しています。

 さて、今回ご紹介の小型シートにも取り上げられた“見返り美人”といえば、3月25日刊行予定の拙著『日の本切手 美女かるた』(内容のサンプルはこちらでご覧になれます)でも表紙に取り上げているほか、いままでとは違った角度からコラムを書いています。機会がありましたら、25日以降、ぜひ実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 
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 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


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 切手歳時記:“クリスマス”の場
2014-12-13 Sat 14:03
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』12月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、“クリスマス”に絡めて、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      大浦天主堂(観光地百選)

 これは、1951年9月15日に発行された“観光地百選・都邑(長崎)”のうち、大浦天主堂を取り上げた8円切手です。

 12月25日のイエス・キリスト降誕祭に相当する言葉は世界各国語でさまざまですが、日本語の“クリスマス”は英語で“キリストのミサ”を意味するChristmasが語源になっていることは、いまさら言うまでもないでしょう。

 キリストは最後の晩餐に際して、パンを手に取り「これはあなたがたのために渡される私のからだである」と言い、ワインを注いで「これは私の血の杯、あなた方と多くの人のために流されて罪の赦しとなる新しい永遠の契約の血である」と言い、「これを私の記念として行いなさい」と命じたとされています。

 これに倣い、聖書の言葉を聞き、パンとワインを拝領するため、信徒が集まって行われるのがカトリックのミサです。なお、厳密にいうと“ミサ”というのはカトリックのみの用語で、同種の儀式は、東方正教会では“聖体礼儀”、プロテスタントでは“聖餐式”と呼んでいます。

 したがって、辞書的な意味での“クリスマスのミサ”としてのクリスマスにふさわしい切手を選ぶとなると、カトリック教会が大きく描かれている1枚ということになるわけで、そうなると、大浦天主堂の切手を持ってくるのが良いのではないかと思います。

 大浦天主堂は、正式には“日本二十六聖殉教者堂”といいます。日本二十六聖人とは、1597年、当時のキリシタン弾圧によって長崎の西坂の丘で磔刑に処せられたイスパニアの宣教師ペドロ・バブチスタ以下6名の外国人とパウロ三木ほか20名の日本人の計26名のことです。

 天主堂の建設は、幕末の開国後、1864年から始まりました。同年、教皇は二十六聖人を列聖したため、天主堂も彼らに捧げるものとして、殉教地の方角を向いて建設が進められ、1865年2月19日に完成しました。その直後の3月17日、浦上に潜伏していた“隠れキリシタン”が天主堂を訪ね、プティジャン神父に信仰者であることを名乗った(信徒発見)ことから、幕府の禁教下でも信仰を捨てなかったキリスト教徒がいたことに欧米社会は大いに驚き、感激した教皇は“東洋の奇跡”とこれを称えました。

 当初、木造だった天主堂は、1875年に外観が煉瓦造りとなって現在の姿となり、1933年には国宝にも指定されましたが、長崎の原爆により破損。1952年に補修再建されました。

 今回ご紹介の切手が発行された1951年当時、原爆で大きなダメージを受けた天主堂は再建途上の仮御堂が建っていました。このため、切手は実際の写真を取り上げるのではなく、写真などを元に、切手デザイナーの木村勝が原画を手がけています。

 なお、天主堂の公式ミサはクリスマスと3月17日の信徒発見の日の2日のみだそうです。来年の信徒発見150年を控えて、今年の“クリスマス”はさぞかし盛大に行われことでしょう。


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