内藤陽介 Yosuke NAITO
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 敬老の日
2017-09-18 Mon 08:42
 きょう(18日)は“敬老の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ警察の日

 これは、2014年1月、パレスチナ自治政府(西岸のファタハ政府)が発行した“2013年 パレスチナ警察の日”の切手シートで、切手部分には、老女をサポートする警察官が取り上げられています。切手は、当初、2013年7月に発行の予定ですが、実際の発行は2014年1月までずれ込んでいます。なお、切手の製造はバハレーンのオリエンタル・セキュリティ・プリンティング・ソリューションが行いました。

 パレスチナ自治政府の警察機構は、1995年9月の暫定自治拡大合意に基づき、3万人を越えない範囲(西岸1万2000人、ガザ1万8000人)で“パレスチナ警察”が設置されたのが最初です。パレスチナ警察は、イスラエル当局と協力しつつ、テロに対処し、これを予防することになっていましたが、2000年9月に始まった第二次インティファーダを機に、イスラエル側との衝突により、特に西岸地区の警察関係機関は大きな打撃を受けました。

 2005年にパレスチナ自治政府の大統領に就任したマフムード・アッバースは就任後、治安組織の改革・強化として、同年4月、すべての治安機関を内務庁、国家治安部隊、総合諜報局の3機関に統合する決定を下すとともに、治安機関幹部の定年退職を実施し、人事の刷新を行いました。その後も、アッバース政権は米国の支援を受けつつ、治安組織の強化に取り組んでいます。

 切手シートの余白には、岩のドームを背景にパレスチナ国旗を掲げて行進する警察官が取り上げられていますが、現実には、岩のドームのある東エルサレムはイスラエルの統治下にあり、ファタハ政府の警察官がこうした場所を行進することはありません。しかし、ファタハ政府としては、今回ご紹介の切手シートを発行することにより、“エルサレムを首都とするパレスチナ国家”の治安は国際的に認められた正統政府としての自分たちが責任を持って守るという意思を示そうとしたものと考えられます。

 さて、先日でき上がってきたばかりの拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』では、2005年のアッバース政権発足後、パレスチナ自治政府が発行した切手についてもいろいろご紹介しております。奥付上の刊行は9月22日で、すでにネット書店での予約販売も始まっておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 *昨日、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、スタッフならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

      
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 ホークスが2年ぶりの優勝
2017-09-16 Sat 21:28
 プロ野球のパシフィック・リーグはソフトバンク・ホークスが2年ぶり18度目の優勝を果たしました。9月16日の優勝決定は2015年の9月17日より早いリーグ最速記録だそうです。というわけで、きょうは鷹を描いた切手の中からこの1枚です。

      ガザ・ジャアバリー追悼

 これは、2013年6月5日、ガザ地区を実行支配するハマース政府が発行したアフマド・ジャアバリーの追悼切手シートで、ジャーバリーの肖像と並んで、岩のドームを中心としたパレスチナの地図とアラブの象徴としての鷹、上空を飛ぶロケット弾と撃墜されるイスラエル軍の軍用ヘリがコラージュされています。

 アフマド・ジャアバリーは、1960年、ガザ生まれで、ガザのイスラム大学を卒業しました。当初はファタハの活動家として、世俗的な反イスラエル闘争に参加していましたが、1982年に逮捕され、獄中で13年間を過ごす間にイスラム原理主義に感化され、ファタハを離脱してハマースに参加します。

 1995年の釈放後は、ガザで反イスラエルの武装テロ活動に従事して頭角を現し、第二次インティファーダ発生後の2002年、ハマースの軍事組織、イッズッディーン・カッサーム旅団の事実上の司令官として戦闘を指揮。2006年にはイスラエル兵ギラド・シャリートの誘拐と他の兵士2名の殺害に関して主導的な役割を果たしたほか、2007年のハマースによるガザ制圧に際しても軍功を挙げました。

 以後、ハマースの軍事部門トップとして、ファタハ政府(パレスチナ自治政府として国際的な承認を得て西岸地区を統治)とイスラエルの和平交渉の進展を徹底的に妨害すべく、ロケット弾によるイスラエル領内への攻撃を指揮しました。当然のことながら、イスラエル側からすれば、ジャアバリーは、当時のもっとも凶悪・危険なテロリストとみなされていました。

 ところで、2011年9月23日、ファタハ政府は“パレスチナ”として国連への加盟申請を行い、同年10月31日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)がパレスチナを加盟“国”として承認しましたが、これを受けて、国連の場では、パレスチナ自治政府を従来の“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする(=パレスチナを国連の“加盟国”としては認めないものの、正規の独立国であることを国連として事実上承認するという妥協策です)総会決議を2012年に採択する方向で調整が進められていました。これに対して、ハマース政府はガザを拠点にあくまでもイスラエル国家の存在そのものを否定し続けていたため、国連総会での決議採択を前に、イスラエルのネタニヤフ政権はハマースのテロ活動に打撃を与えるべく、2012年11月14日、ガザ地区に空爆を行い、車で移動中のハマースの軍事部門のトップ、アフマド・ジャアバリーを殺害しました。

 さらにジャアバリーの殺害に成功したイスラエル当局は、殺害の模様を撮影した動画を直ちにユーテューブに投稿。トゥイッターでもハマースがテロリストであることを強調したうえで、「ハマースの工作員は階級にかかわらず、今後数日間は地上に顔を出さないよう勧める」と発信します。

 イスラエルによるジャアバリー殺害に対しては、アラブ諸国がこれを批難し、エジプトはイスラエル大使を召還。当事者のハマースはイスラエルの“宣戦布告”に対して、同じくトゥイッターで「我々の神聖な手は、お前たちのリーダーや兵士がどこにいようと届く」と応酬しています。はたして、以後7日間、ハマースによるイスラエル領内への砲撃は激しさを増し、160人を超える死者が発生しました。

 こうした経緯を経て、ガザのハマース政府は、翌2013年6月5日、今回ご紹介の切手シートを発行しました。シートのデザインは、ジャアバリーの主導したロケット弾による対イスラエル攻撃を讃えるとともに、パレスチナ全土は“パレスチナ国家(ここではハマース政府のこと)”のものであり、その防衛のためには今後とも容赦なくイスラエルに対してロケット弾を撃ち込んで行く意思があることが示されています。

 ちなみに、ジャアバリー殺害から約半月後の2012年11月29日に開催された国連総会で、パレスチナ(ファタハ政府)を“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする決議67/19が、賛成138、反対9、棄権41、欠席5の圧倒的多数で承認されました。反対票を投じた9ヵ国はカナダ、チェコ、ミクロネシア、イスラエル、マーシャル諸島、ナウル、パラオ、パナマ、米国で、わが国は賛成票を投じています。

 なお、ガザ地区を実効支配下に置くハマース政府とそのプロパガンダ切手については、新刊の拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろと分析しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
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 岩のドームの郵便学(51)
2017-06-11 Sun 10:48
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』646号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1994年のパレスチナ自治政府発足について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府最初の切手(岩のドーム)

 これは、1994年に発行されたパレスチナ自治政府最初の切手のうち、岩のドームを取り上げた1000ミリーム切手です。

 湾岸戦争後の1991年10月末、米国は崩壊間際のソ連と共同してスペインのマドリードで中東和平に関する国際会議を開催します。この会議は、全当事国が一堂に会したという点で中東紛争の歴史の中で画期的なもので、その後の和平プロセスの起点となりました。

 当初、イスラエルはこの会議への参加を渋っていましたが、米国が会議への協力がなければイスラエルの求めている債務保証の申し出を拒否すると圧力をかけたこともあり、最終的に会議に参加。PLOはイスラエルの拒絶にあい参加しませんでしたが、パレスチナ代表団はPLOの意を体したメンバーで構成されました。

 会議では、シリア、レバノン、ヨルダンの各国とイスラエルとの二国間交渉の枠組みと、水資源や難民問題、安全保障などの多国間問題についての共同会議設立が決定され、1991年12月以降、米ワシントンで二国間交渉が個別に行われます。

 当初、イスラエル側は和平に対する意欲に乏しく、占領地でのユダヤ人の入植を拡大し続けていましたが、1992年の総選挙で新たに労働党のイツハク・ラビン政権が誕生すると、和平交渉は進展する兆しが見られるようになりました。

 しかし、和平プロセスの進展に対しては、ヨルダン川西岸とガザ地区を完全な自国領とみなして占領地の返還を拒否するイスラエル国内の右派勢力と、パレスチナ全域からのイスラエルの撤退を主張するパレスチナの強硬派がともに激しく反対。特に、イスラム原理主義組織ハマースは各種のテロ活動を展開し、多くの犠牲者を出していました。

 ハマースの闘争に手を焼いたラビン政権は、1992年12月、ハマス関係者415名を一挙に国外追放処分にしましたが、この結果、米国が仲介する公式の和平交渉は完全に行き詰まってしまいます。

 一方、PLOは、湾岸戦争でイラクを支援したツケが響いて破産寸前の状態に追い込まれていました。

 すなわち、1990年の湾岸危機の時点で、すでに、冷戦時代にPLOを支援していた東側共産主義諸国の大半は崩壊していましたが、湾岸戦争を経て、サウジアラビアをはじめ湾岸諸国からの資金援助(年間約3億5000万ドルにも及んでいました)も打ち切られます。さらに、クウェートのパレスチナ人労働者は職を失い、彼らからPLOに納められる税収(PLOはクウェートで働くパレスチナ人から一定の「税収」を得ていた)もほぼ完全に途絶しました。

 経済的に追い詰められたPLOは、組織として急速に弱体化し、ラビン政権が発足した頃には、イスラエルとの対話路線を定着させる以外に存続のための選択肢は残されていませんでした。このため、もはやPLOはイスラエルにとっての脅威ではなくなっていたのですが、イスラエル側は、逆に、現状を放置すれば、PLOに代わってより過激なハマースがパレスチナ人の代表権を獲得するのではないかとの懸念を抱くようになりました。

 この結果、ハマースの勢力伸張は、イスラエルとPLO双方にとって共通の脅威となり、彼らは反ハマス連合として和解に到達するのです。

 かくして、イスラエルのラビン政権は、和平プロセスに関与しすぎた米国ではなく、ノルウェーのホルスト外相を通じてPLOと非公式に接触。1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン川西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意がまとめられました。米国は、このオスロ合意を引き取るかたちで、ワシントンで合意の調印式を開催します。

 その後、1994年5月にはカイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。

 暫定自治の開始に伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、イスラエルの郵政機関が閉鎖され、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、パレスチナ自治政府としての独自の切手を発行すべく、PLO駐独代表のアブドゥッラー・フランギーが、ドイツ社会民主党の国会議員でアラブ諸国との関係が深く、かつ切手収集家でもあったハンス・ユルゲン・ヴィシュネウスキーと接触。その結果、ドイツの老舗切手エージェント、ゲオルグ・ロール・ナシュフ社のコーディネートの下、国有ドイツ連邦印刷会社が切手を製造することで話がまとまり、1994年夏、ベルリンで切手の製造が行われます。

 切手のデザインは、イェリコのヒシャーム宮殿(5、10、20ミリーム)、東エルサレムの聖墳墓教会(30、40、50、75ミリーム)、パレスチナ自治政府の国旗(125、150、250、300、500ミリーム)に加え、最高額面の1000ミリーム切手(今回ご紹介の切手です)には岩のドームが取り上げられた。

 パレスチナ自治政府がドイツから切手を受け取ったのは1994年10月以降のことで、各地の郵便局では、いつからこれらの切手が実際に販売されたのか、現在となっては正確なデータは残されていません。なおちなみに、この切手の収集家向けの販売代理店となったゲオルグ・ロール・ナシュフ社は、1994年8月15日付の“初日カバー”を制作・販売していますが、この日付の時点では切手は実際にはパレスチナに到着していませんから、初日カバーに押されている消印の日付が“後押し”となっている点は注意が必要です。

 ところで、パレスチナ自治政府は、新切手の発行を、1948年の英委任統治終結以来、およそ半世紀ぶりの“パレスチナ切手”の復活と位置付け、英領時代の先例に倣い、切手の額面を“ミリーム”表記とします。

 一方、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”の第4条によると、自治政府の統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつも、ヨルダン川西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められることになっていました。ただし、パレスチナ自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はなかったため、イスラエル側は、1994年10月に登場した自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 このため、自治政府側は、パリ議定書で認められた通貨に対応すべく、ミリーム額面の切手に、ヨルダン・ディナールの補助通貨であるフィルス表示の額面を加刷した切手をあらためて発行。これにより、ようやく、パレスチナ自治政府の切手は、郵便料金の前納をします世紀の証紙として、世界的にも承認されることになりました。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

 
 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は15日! ★★★ 

 6月15日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目が放送予定です。今回は、6月10日に開幕したばかりのアスタナ万博にちなんで、開催国のカザフスタンにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 母の日
2017-05-14 Sun 12:00
 きょうは“母の日”です。というわけで、毎年恒例、母と子を題材とした切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・ナクバ(2014)

 これは、2014年5月15日にパレスチナ・ガザ政府が発行した“ナクバ66周年”の記念切手で、子供を抱き、哺乳瓶代わりに鍵を咥えさせている母親が描かれています。

 “ナクバ”は、もともとはアラビア語で大災厄ないしはカタストロフを意味する語ですが、中東近現代史の文脈では、1948年5月のイスラエル建国とそれに伴う第一次中東戦争の結果、70-80万人のアラブが“パレスチナ難民”となったことを意味しています。

 第二次大戦後の1947年2月、パレスチナを委任統治領としていた英国はアラブとシオニストの対立を解決する責任を放棄し、国際連合に問題の解決を一任すると一方的に宣言。これを受けて、同年5月、国連にパレスチナ問題特別委員会が設立され、同委員会によるパレスチナ分割案(パレスチナにアラブ、ユダヤの二独立国を創設し、エルサレムとその周辺は国連信託統治下に置くという内容)が11月29日に国連決議第181号として採択されます。

 国連決議をめぐってパレスチナがアラブ対シオニストの内戦に突入する中、1948年3月、シオニストたちは、パレスチナ分割の国連決議を受けて、テルアビブにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府「ユダヤ国民評議会」を樹立し、新国家樹立に向けて動き出しました。同時に、シオニストたちは、英国の撤退後の軍事的空白を利用して、軍事的にパレスチナを制圧するダレット計画(パレスチナのアラブ社会を破壊してアラブ住民を追放し、パレスチナ全土を制圧してユダヤ人国家創設を既成事実とすることをめざす計画)を発動します。

 これにより、1948年4月の時点で、生命の危険を感じたアラブ系住民約10万人がパレスチナから脱出。こうした中で、シオニスト側は着々と建国準備を進め、パレスチナにおけるイギリスの委任統治が終了する1948年5月14日午後4時すぎ(現地時間)、テルアビブの博物館でユダヤ国民評議会が開催され、イスラエル初代首相となったベングリオンが、“ユダヤ民族の天与の歴史的権利に基づき、国際連合の決議による”ユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。これを認めない周辺アラブ諸国はイスラエルに宣戦を布告。イスラエルの独立戦争ともいうべき第一次中東戦争が勃発しました。

 一連の経緯を経て大量のパレスチナ難民が発生することになりましたが、その大半は、ユダヤ側軍事組織による大量虐殺や攻撃、銃器による脅迫等が原因で、パレスチナ域外に逃れた難民たちが故郷に残した資産の多くは没収されました。

 着の身着のままで難民となった人々は、いつか故郷の自分が元住んでいた家に帰還するという意思を込めて、鍵を“ナクバ”のシンボルとしており、今回の切手でも、祖国を知らぬままに生まれた子供の口に哺乳瓶ではなく鍵を咥えさせることで、そうした“民族の悲劇”を子々孫々に語り継いで一行という意図が示されています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正して書籍化する企画も現在進行中です。具体的な内容や発売日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 アース・デイとランド・デイ
2017-04-22 Sat 10:26
 きょう(22日)は“アース・デイ”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・アースデイ(2014)

 これは、2014年にパレスチナ・ガザ政府が発行した“アース・デイ”の記念切手で、図案としては、岩のドームを含むパレスチナの風景イメージと鳥、オレンジの木が組み合わされています。

 さて、今回ご紹介の切手の発行名目は“アース・デイ”となっていますが、そのアラビア語は“ يوم الأرض‎‎”です。このうち、“يوم ”は“日”ですが、“الأرض”は“地”の意味ですから、英語で“earth”とも“land”とも訳すことが可能で、世界的に認知されている4月22日の“アース・デイ”とは別に、“ランド・デイ”とされる記念日に対しても“ يوم الأرض‎‎”という語が使われています。

 ランド・デイというのは、1976年3月30日、イスラエル政府がガリラヤ地方の1万9000平方キロの土地を強制収用し、アラブ系の住民(いわゆるパレスチナ人)をネゲブ砂漠に強制移住させようとした際、これに対抗する大規模なデモが発生し、6人のパレスチナ人が殺されたことにちなむ記念日で、毎年、事件のあった3月30日には、イスラエルに抗議し、パレスチナの土地がパレスチナ人のものであると主張する大規模な集会やデモが行われています。

 さて、今回ご紹介の切手は、もともと、2014年3月30日の“ランド・デイ”にあわせて発行される予定でしたが、実際の発行は同年11月にまでずれ込んでいます。その際、“ يوم الأرض”の訳語として、従来用いられていた“ランド・デイ”ではなく、あえて“アース・デイ”があてられたのが興味深いところです。その理由は定かではないのですが、“(パレスチナの)ランド・デイ”に比べれば、はるかに認知度の高い“アース・デイ”の語を使うことで、あえて、4月22日のアース・デイの記念切手と誤解させ、この切手(とその背後にあるランド・デイ)に対する関心を集めようという意図があったのかもしれません。

 ちなみに、ガザの郵政当局が制作した公式FDCの消印には、3月30日付のモノと4月17日付のモノがありますので、その点でも、この“يوم الأرض”の切手が、ランド・デイを記念したものなのか、アース・デイを記念したものなのか、見る側は混乱してしまいそうですね。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第3次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっていますので、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、パレスチナにフォーカスをあてた書籍の企画も進めています。具体的な内容などが明らかになりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。
 

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

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 ヴァチカン、パレスチチナ国家承認へ
2015-05-14 Thu 20:28
 ヴァチカンは、きのう(13日)、パレスチナ自治政府との間で、“パレスチナ国家”の正式承認を盛り込んだ協定について最終合意したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       パレスチナ・教皇訪問(2014)

 これは、昨年(2014年)5月25日、パレスチナ自治政府が発行した教皇訪問の記念切手で、デザイン化された50の文字の0の中に、教皇フランシスコ、自治政府のアッバス大統領、コンスタンティノープル総主教バルトロメオ1世の3人の肖像が取り上げられています。

 教皇フランシスコは、2014年5月24-26日の3日間、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを歴訪しました。これは、1964年、当時の教皇パウロ6世による1964年の歴史的聖地訪問の50周年を記念するため計画されたもので、そのスケジュールは以下のようになっていました。

 24日:ヨルダンの首都アンマンに到着。王宮での歓迎式に続き、アブドゥッラー2世国王、政府要人らと会見後、アンマンの国際競技場でミサ。夕方、イエスが洗礼を受けたヨルダン川に行き、パウロ6世に倣い、水を祝別。ヨルダン川沿いのラテン典礼の教会で難民や障害者たちとも会見。

 25日午前:パレスチナのベツレヘムでアッバス大統領を訪問。聖誕教会前の広場でミサ。午後、フランシスコ会修道院付の巡礼者施設でパレスチナの家族らと昼食。聖誕教会で祈った後、難民キャンプで子どもたちと会見。

 25日午後:テルアビブ空港からイスラエルに入国し、エルサレムへ。ヴァチカン大使館でコンスタンティノポリス総主教バルトロメオス1世と会見後、聖墳墓教会で総主教と共に祈る。

 26日:エルサレムのグランド・ムフティに迎えられ、岩のドームを訪問。「嘆きの壁」での祈りの後、ホロコースト記念館を訪問。その後、大統領官邸でペレス大統領と、ノートルダム・エルサレム・センターでネタニヤフ首相と会見。夕方、ゲツセマネ教会で司祭や修道者を謁見し、最後の晩餐が行われたとされる場所でミサ。その後、テルアビブ経由で帰国。

 さて、ヴァチカンは、2000年、パレスチナ解放機構(PLO)との基本合意を調印しており、これまでも、パレスチナ自治政府とは事実上の外交関係を有していました。特に、2012年11月、国連総会がパレスチナ自治政府の地位を“オブザーバー機構”から“オブザーバー国家”に格上げし、国家として承認する決議を採択したことを受け、国家承認に向けた交渉を本格的に開始。その過程で行われた2014年のパレスチナ訪問に際して、教皇は「パレスチナ国家」の樹立を支持する立場を表明しました。

 今回の最終合意を受け、教皇は16日にヴァチカンでアッバス大統領と会談するとともに、翌17日には、オスマン帝国支配下のパレスチナで活動していた修道女2人を列聖する予定です。

 今回の協定は、ヴァチカン川にとっては、パレスチナにおけるカトリック教会の活動と信仰の自由を保障するのが目的で、ヴァチカンがイスラエルとパレスチナの「2国家」樹立による紛争解決を指示することも明記されています。欧米諸国などに対するヴァチカンの影響力は大きいですから、今後の国際社会の反応が注目されるところです。


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 パレスチナの“国旗”
2011-12-13 Tue 23:47
 パレスチナが国連教育科学文化機関(ユネスコ)に加盟したことを受け、きょう(13日)、パリのユネスコ本部にパレスチナの“国旗”が掲揚されました。国連機関に“加盟国”としてパレスチナの旗が掲げられるのは初めてのことです。というわけで、きょうはパレスチナ国旗を描いたこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガザ封鎖への抵抗

 これは、昨年(2010年)、パレスチナ自治政府が発行した“ガザ封鎖に反対するパレスチナ人の断固たる意志”の小型シートです。シートには、ガザ地区の地図を背景にパレスチナ国旗を持つ人物のシルエットを描く2000フィルス切手が1枚収められていますが、シート全体としては、国旗を持つ子供たちの写真に目を奪われますな。

 パレスチナ自治政府内部では、発足当初から、PLO傘下のファタハといわゆるイスラム原理主義勢力のハマスが対立し、各地で散発的な戦闘が発生していました。2007年6月、ハマスがガザを武力制圧すると、その対イスラエル強硬姿勢を懸念したイスラエルは、ガザへの人や物の出入りを従来にもまして厳しく制限。これに反発したハマスは、2008年1月9日、アメリカのブッシュ大統領のイスラエル・パレスチナ歴訪も合わせてイスラエルへのロケット弾攻撃を敢行し、イスラエルがその報復としてガザを完全封鎖するという事態になりました。

 その後、イスラエルとガザのハマス政権との間では散発的に戦闘が繰り返されており、イスラエル側は一時的に封鎖を緩和することもありましたが、基本的には、ガザとの境界、総延長75キロを高さ数メートルの金網フェンスやコンクリート壁で封鎖。ガザへの人や物の出入りをエジプト側のラファを含め計5カ所の検問所に限定し、軍の監視の下、人道支援物資の搬入や農産物など一部の搬出入のみ(国連パレスチナ難民救済事業機関:UNRWAによると、1日あたりトラック100台分程度だそうです)を認めるだけという状況が続いています。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、パレスチナ自治政府としてイスラエルによるガザ封鎖に抗議し、これに屈しないという意思を示すために発行されたもので、その象徴としての国旗の使われ方が実に印象的なデザインです。こういうデザインを見ると、あらためて、どんな国の国旗も丁重に扱わねばならないということを実感させられますな。

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 パレスチナ、国連加盟を申請
2011-09-24 Sat 23:18
 パレスチナ自治政府のアッバス議長が日本時間のきょう(ニューヨーク時間で23日)、国連への加盟申請書を潘基文事務総長に提出しました。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

        パレスチナ自治政府・国連参加

 これは、1998年にパレスチナ自治政府が発行した“国連参加”の記念切手です。

 国連におけるアラブ系パレスチナ人の代表としては、1974年にパレスチナ解放機構(PLO)が議決権を持たないオブザーバーとして参加を認められたのが最初のことです。

 1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン側西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意が調印され、パレスチナ自治政府が発足すると、1998年にはパレスチナに、一般討論への参加、反論権、ほかの加盟国が作成するパレスチナなど中東問題に関する決議案を共同提案する権利などが認められました。これによりパレスチナ自治政府は、議決権を持たない以外は、他の独立国とほぼ同格に扱われることになりました。今回ご紹介の切手は、これを記念して発行されたものです。

 今回の加盟申請は、昨年9月の国連総会での演説でオバマ米大統領が「2011年9月までに国連に加盟したパレスチナ国家を見たい」と中東和平に意欲を見せたことが発端となっていますが、皮肉なことに、オバマ演説の直後にパレスチナとイスラエルとの和平交渉が頓挫。パレスチナ自治政府は、イスラエル側が第3次中東戦争での“占領地”への入植を凍結することを交渉再開の条件としたものの、イスラエル側はこれを無視して入植を継続したため、交渉が再開しない場合は単独の行動をとり、国連に正式加盟を申請すると宣言していたパレスチナ側も加盟を申請せざるを得なくなったという面があります。

 今回の国連加盟申請に関して、すでにアメリカは拒否権を行使することを明らかにしており、パレスチナ自治政府もそのことを織り込み済みですが、国連加盟国のうち、126ヵ国がパレスチナを国家承認しているという現状を踏まえ、国際世論の圧力を背景に、今後の対イスラエル交渉を有利に進めたいとの狙いがあるものと思われます。

 もっとも、肝心のパレスチナの足元では、アッバス議長率いる穏健派政府が掌握しているヨルダン川西岸(の一部)と、強硬派のハマスが実効支配しているガザ地区とが事実上の分裂状態に陥っていることもあり、イスラエルを相手にはたしてまともな交渉を展開することができるかどうかは心もとないのが実情です。

 いずれにせよ、1948年のイスラエル建国からだと60年以上、1967年の第3次中東戦争からでも40年以上(余談ですが、僕自身が1967年生まれですから、オギャーと生まれた赤ん坊が、現在の中年男になる年月、といえば、その長さがわかろうというものです)も解決できなかった問題が、そうそう簡単に解決できるはずもないのですが、現在のパレスチナ問題の出発点ともいうべきバルフォア宣言から100年となる2017年までには、多少なりとも、事態が進展していてほしいものですな。


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 9年ぶりの中東歴訪
2008-01-10 Thu 11:42
 アメリカのブッシュ大統領が9日、最初の訪問国イスラエルに到着しました。アメリカ大統領のイスラエル訪問は1998年12月のクリントン前大統領以来9年ぶりだそうです。というわけで、今日はこんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ワイ合意

 これは、1998年10月23日のワイ合意調印を記念してパレスチナ自治政府が発行した切手で、合意文書に署名するアラファトとクリントンの二人が取り上げられています。

 1993年のオスロ合意の後、中東和平プロセスは順調に進んでいくかに見えましたが、1995年11月、和平プロセスを推進してきたイスラエルのラビン首相がユダヤの宗教系右派の青年により暗殺されると、イスラエルとパレスチナの関係は一転して悪化の一途をたどっていきます。

 ラビンの暗殺後、イスラエルの後継首相となったシモン・ペレス(ラビン政権時代の外相)は、ラビンの路線を継承して中東和平プロセスを進展させようとしていたが、1996年4月の首相公選で、対パレスチナ強硬派のリクード連合を基盤とするベンヤミン・ネタニヤフに敗退しました。

 ネタニヤフ政権は、対外的にはパレスチナ和平を進展すると主張しながら、実際には、パレスチナ人自治区域でのイスラエルの権利擁護に熱心でした。このため、和平プロセスの停滞を危惧したアメリカのクリントン政権は、イスラエルとパレスチナ自治政府との関係改善に乗り出し、1997年1月、ネタニヤフに対してヨルダン側請願のヘブロンからのイスラエル軍の撤退を認めさせています。

 イスラエル軍のヘブロンからの撤退を受けて、パレスチナ自治政府のアラファトがエルサレムをパレスチナとイスラエルの共同首都とすることを提案すると、ネタニヤフはこれを即座に拒否。エルサレムがイスラエルの首都であることを示すため、同年3月からユダヤ人の大規模住宅地の建設を開始しました。

 当然のことながら、こうしたネタニヤフの強硬姿勢はパレスチナ人の反発を招き、ハマスなどによる自爆テロ(彼らの呼称は“殉教作戦”)が頻発し、和平プロセスは停滞します。

 これに対してクリントンは、和平プロセスを進展させるため、ネタニヤフとアラファトの両首脳を強引に説得し、1998年10月、ヨルダン川西岸からのイスラエル軍の追加撤兵と、パレスチナ民族評議会憲章からのイスラエル破壊条項の削除を定めたワイ合意を実現させました。さらに、11月にワシントンで開催されたパレスチナ支援国会議では、和平プロセスの進展に経済的な裏づけを与えるため、アメリカは5年間で9億ドルの支援をパレスチナに対して約束しています。

 前回のアメリカ大統領の中東歴訪は、こうした状況の下で行われたもので、今回ご紹介の切手も、パレスチナ側が、一連のアメリカの動きを歓迎する意味を込めて、クリントンの帰国後に発行したものといってよいでしょう。

 しかし、合意文書の調印に向けてアメリカのメリーランド州でクリントン、ネタニヤフ、アラファトが3者会談を行っている間、エルサレムのバスセンターではハマス活動家による自爆テロが発生するなど、パレスチナではイスラエルとの妥協を頑なに拒むハマスの勢力が強かったことにくわえ、ネタニヤフ政権じたいも後にワイ合意を反故にしてしまうなど、このときのクリントンの和平努力は結果として実を結ぶことはありませんでした。

 その後も、クリントン政権は、1999年9月のシャルム・シェイク合意(2000年9月までにパレスチナの最終地位合意を達成することを目標に、ワイ合意の実施スケジュールを定めた)、2007年7月のキャンプ・デーヴィッド交渉(クリントン政権下での最後の調停)などをまとめたものの、結果として、中東和平を進展させることなく不調に終わっています。

 さて、今回、中東和平への個人的な関与を避けてきたブッシュ大統領が同地域訪問に踏み切ったのは、任期1年を残して大統領としての“歴史的評価”を意識した結果との見方が有力ですが、クリントン時代以上に、成算は低いでしょうねぇ。すくなくとも、パレスチナを含むアラブ諸国が、イラク戦争を発動した張本人を“平和の使徒”であるかのようなかたちで記念切手に登場させる可能性は、限りなくゼロに近いように思われます。
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 パレスチナ国籍
2007-10-05 Fri 09:42
 法務省は4日、これまで無国籍として扱ってきた在留パレスチナ人について今月15日から“パレスチナ籍”とし、生まれた子供についても同国籍とすると全国の法務局などに通知しました。

 というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

パレスチナから日本宛

 これは、2004年9月、パレスチナ自治政府管理下のラマラから日本宛(というよりも僕宛ですが)に届けられたカバーで、自治政府発行の児童画の切手が貼られています。

 1993年のオスロ合意によって1994年に発足したパレスチナ自治政府は、当初から、独自の切手を発行して郵便サービスを提供しています。パレスチナ自治政府はあくまでもヨルダン川西岸の一部とガザ地区を管理する自治機関で、正規の国家ではありませんが、その切手は国際郵便でも有効と認められているため、このカバーでも不足料が徴収されてはいません。

 現在のところ、日本をはじめ多くの国々は、パレスチナ自治政府を“暫定政府”として扱っており、国家承認はしていません。法務省が日本国内のパレスチナ人を無国籍として扱ってきたのも、このためです。

 しかし、自治政府が将来的にパレスチナ国家の原型となることは、イスラエルを含む関係各国が暗黙の了解として認めていることに加え、2002年からは自治政府の旅券で日本への出入国が認められるようになるなど、小泉政権以降、日本・パレスチナ関係が深まったことなどから、今回の国籍承認ということになったのでしょう。

 今回の措置により、これまで“無国籍”扱いだったパレスチナ人は“パレスチナ籍”となるため、15日以降、日本で生まれたパレスチナ人の子供はパレスチナ籍になります。これに対して、それ以前に、“無国籍”だった時代のパレスチナ人の両親から日本で生まれた子供は、すでに日本国籍を取得しているため(日本の国籍法では、父母が“無国籍”の場合、日本で生まれた子どもは日本国籍となります)、新たにパレスチナ籍を与えられた上で、将来、どちらかの国籍を選択するということになります。

 パレスチナ籍が正式に国籍として認められたということは、パレスチナ人にとっては喜ばしいことにちがいはないのですが、ただ、これから日本で生まれるパレスチナ人の子供の多くは、パレスチナに帰らず(帰れず)、将来にわたって日本国内で生活していく可能性が高いということを考えると、本音の部分では、従来どおり日本国籍を取得できる方がありがたかったという人もいるのかもしれません。

 なお、1990年代のパレスチナの動きについては、2001年に刊行の拙著『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』でもまとめてみたことがあるのですが、切手や郵便物を使って展開するという仕事はまだやったことがありません。また、“切手で読み解く中東・イスラム世界”とサブタイトルをつけて刊行した『中東の誕生』でも、あまり新しい時代の話は入れていませんでしたし、そろそろ、中東がらみのニューバージョンの本を作らなくっちゃいけないかな、と考える今日この頃です。
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