内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(51)
2017-06-11 Sun 10:48
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』646号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1994年のパレスチナ自治政府発足について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府最初の切手(岩のドーム)

 これは、1994年に発行されたパレスチナ自治政府最初の切手のうち、岩のドームを取り上げた1000ミリーム切手です。

 湾岸戦争後の1991年10月末、米国は崩壊間際のソ連と共同してスペインのマドリードで中東和平に関する国際会議を開催します。この会議は、全当事国が一堂に会したという点で中東紛争の歴史の中で画期的なもので、その後の和平プロセスの起点となりました。

 当初、イスラエルはこの会議への参加を渋っていましたが、米国が会議への協力がなければイスラエルの求めている債務保証の申し出を拒否すると圧力をかけたこともあり、最終的に会議に参加。PLOはイスラエルの拒絶にあい参加しませんでしたが、パレスチナ代表団はPLOの意を体したメンバーで構成されました。

 会議では、シリア、レバノン、ヨルダンの各国とイスラエルとの二国間交渉の枠組みと、水資源や難民問題、安全保障などの多国間問題についての共同会議設立が決定され、1991年12月以降、米ワシントンで二国間交渉が個別に行われます。

 当初、イスラエル側は和平に対する意欲に乏しく、占領地でのユダヤ人の入植を拡大し続けていましたが、1992年の総選挙で新たに労働党のイツハク・ラビン政権が誕生すると、和平交渉は進展する兆しが見られるようになりました。

 しかし、和平プロセスの進展に対しては、ヨルダン川西岸とガザ地区を完全な自国領とみなして占領地の返還を拒否するイスラエル国内の右派勢力と、パレスチナ全域からのイスラエルの撤退を主張するパレスチナの強硬派がともに激しく反対。特に、イスラム原理主義組織ハマースは各種のテロ活動を展開し、多くの犠牲者を出していました。

 ハマースの闘争に手を焼いたラビン政権は、1992年12月、ハマス関係者415名を一挙に国外追放処分にしましたが、この結果、米国が仲介する公式の和平交渉は完全に行き詰まってしまいます。

 一方、PLOは、湾岸戦争でイラクを支援したツケが響いて破産寸前の状態に追い込まれていました。

 すなわち、1990年の湾岸危機の時点で、すでに、冷戦時代にPLOを支援していた東側共産主義諸国の大半は崩壊していましたが、湾岸戦争を経て、サウジアラビアをはじめ湾岸諸国からの資金援助(年間約3億5000万ドルにも及んでいました)も打ち切られます。さらに、クウェートのパレスチナ人労働者は職を失い、彼らからPLOに納められる税収(PLOはクウェートで働くパレスチナ人から一定の「税収」を得ていた)もほぼ完全に途絶しました。

 経済的に追い詰められたPLOは、組織として急速に弱体化し、ラビン政権が発足した頃には、イスラエルとの対話路線を定着させる以外に存続のための選択肢は残されていませんでした。このため、もはやPLOはイスラエルにとっての脅威ではなくなっていたのですが、イスラエル側は、逆に、現状を放置すれば、PLOに代わってより過激なハマースがパレスチナ人の代表権を獲得するのではないかとの懸念を抱くようになりました。

 この結果、ハマースの勢力伸張は、イスラエルとPLO双方にとって共通の脅威となり、彼らは反ハマス連合として和解に到達するのです。

 かくして、イスラエルのラビン政権は、和平プロセスに関与しすぎた米国ではなく、ノルウェーのホルスト外相を通じてPLOと非公式に接触。1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン川西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意がまとめられました。米国は、このオスロ合意を引き取るかたちで、ワシントンで合意の調印式を開催します。

 その後、1994年5月にはカイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。

 暫定自治の開始に伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、イスラエルの郵政機関が閉鎖され、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、パレスチナ自治政府としての独自の切手を発行すべく、PLO駐独代表のアブドゥッラー・フランギーが、ドイツ社会民主党の国会議員でアラブ諸国との関係が深く、かつ切手収集家でもあったハンス・ユルゲン・ヴィシュネウスキーと接触。その結果、ドイツの老舗切手エージェント、ゲオルグ・ロール・ナシュフ社のコーディネートの下、国有ドイツ連邦印刷会社が切手を製造することで話がまとまり、1994年夏、ベルリンで切手の製造が行われます。

 切手のデザインは、イェリコのヒシャーム宮殿(5、10、20ミリーム)、東エルサレムの聖墳墓教会(30、40、50、75ミリーム)、パレスチナ自治政府の国旗(125、150、250、300、500ミリーム)に加え、最高額面の1000ミリーム切手(今回ご紹介の切手です)には岩のドームが取り上げられた。

 パレスチナ自治政府がドイツから切手を受け取ったのは1994年10月以降のことで、各地の郵便局では、いつからこれらの切手が実際に販売されたのか、現在となっては正確なデータは残されていません。なおちなみに、この切手の収集家向けの販売代理店となったゲオルグ・ロール・ナシュフ社は、1994年8月15日付の“初日カバー”を制作・販売していますが、この日付の時点では切手は実際にはパレスチナに到着していませんから、初日カバーに押されている消印の日付が“後押し”となっている点は注意が必要です。

 ところで、パレスチナ自治政府は、新切手の発行を、1948年の英委任統治終結以来、およそ半世紀ぶりの“パレスチナ切手”の復活と位置付け、英領時代の先例に倣い、切手の額面を“ミリーム”表記とします。

 一方、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”の第4条によると、自治政府の統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつも、ヨルダン川西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められることになっていました。ただし、パレスチナ自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はなかったため、イスラエル側は、1994年10月に登場した自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 このため、自治政府側は、パリ議定書で認められた通貨に対応すべく、ミリーム額面の切手に、ヨルダン・ディナールの補助通貨であるフィルス表示の額面を加刷した切手をあらためて発行。これにより、ようやく、パレスチナ自治政府の切手は、郵便料金の前納をします世紀の証紙として、世界的にも承認されることになりました。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

 
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 6月15日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目が放送予定です。今回は、6月10日に開幕したばかりのアスタナ万博にちなんで、開催国のカザフスタンにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 母の日
2017-05-14 Sun 12:00
 きょうは“母の日”です。というわけで、毎年恒例、母と子を題材とした切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・ナクバ(2014)

 これは、2014年5月15日にパレスチナ・ガザ政府が発行した“ナクバ66周年”の記念切手で、子供を抱き、哺乳瓶代わりに鍵を咥えさせている母親が描かれています。

 “ナクバ”は、もともとはアラビア語で大災厄ないしはカタストロフを意味する語ですが、中東近現代史の文脈では、1948年5月のイスラエル建国とそれに伴う第一次中東戦争の結果、70-80万人のアラブが“パレスチナ難民”となったことを意味しています。

 第二次大戦後の1947年2月、パレスチナを委任統治領としていた英国はアラブとシオニストの対立を解決する責任を放棄し、国際連合に問題の解決を一任すると一方的に宣言。これを受けて、同年5月、国連にパレスチナ問題特別委員会が設立され、同委員会によるパレスチナ分割案(パレスチナにアラブ、ユダヤの二独立国を創設し、エルサレムとその周辺は国連信託統治下に置くという内容)が11月29日に国連決議第181号として採択されます。

 国連決議をめぐってパレスチナがアラブ対シオニストの内戦に突入する中、1948年3月、シオニストたちは、パレスチナ分割の国連決議を受けて、テルアビブにパレスチナのユダヤ人居住区を統治する臨時政府「ユダヤ国民評議会」を樹立し、新国家樹立に向けて動き出しました。同時に、シオニストたちは、英国の撤退後の軍事的空白を利用して、軍事的にパレスチナを制圧するダレット計画(パレスチナのアラブ社会を破壊してアラブ住民を追放し、パレスチナ全土を制圧してユダヤ人国家創設を既成事実とすることをめざす計画)を発動します。

 これにより、1948年4月の時点で、生命の危険を感じたアラブ系住民約10万人がパレスチナから脱出。こうした中で、シオニスト側は着々と建国準備を進め、パレスチナにおけるイギリスの委任統治が終了する1948年5月14日午後4時すぎ(現地時間)、テルアビブの博物館でユダヤ国民評議会が開催され、イスラエル初代首相となったベングリオンが、“ユダヤ民族の天与の歴史的権利に基づき、国際連合の決議による”ユダヤ人国家イスラエルの独立を宣言。これを認めない周辺アラブ諸国はイスラエルに宣戦を布告。イスラエルの独立戦争ともいうべき第一次中東戦争が勃発しました。

 一連の経緯を経て大量のパレスチナ難民が発生することになりましたが、その大半は、ユダヤ側軍事組織による大量虐殺や攻撃、銃器による脅迫等が原因で、パレスチナ域外に逃れた難民たちが故郷に残した資産の多くは没収されました。

 着の身着のままで難民となった人々は、いつか故郷の自分が元住んでいた家に帰還するという意思を込めて、鍵を“ナクバ”のシンボルとしており、今回の切手でも、祖国を知らぬままに生まれた子供の口に哺乳瓶ではなく鍵を咥えさせることで、そうした“民族の悲劇”を子々孫々に語り継いで一行という意図が示されています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正して書籍化する企画も現在進行中です。具体的な内容や発売日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 アース・デイとランド・デイ
2017-04-22 Sat 10:26
 きょう(22日)は“アース・デイ”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・アースデイ(2014)

 これは、2014年にパレスチナ・ガザ政府が発行した“アース・デイ”の記念切手で、図案としては、岩のドームを含むパレスチナの風景イメージと鳥、オレンジの木が組み合わされています。

 さて、今回ご紹介の切手の発行名目は“アース・デイ”となっていますが、そのアラビア語は“ يوم الأرض‎‎”です。このうち、“يوم ”は“日”ですが、“الأرض”は“地”の意味ですから、英語で“earth”とも“land”とも訳すことが可能で、世界的に認知されている4月22日の“アース・デイ”とは別に、“ランド・デイ”とされる記念日に対しても“ يوم الأرض‎‎”という語が使われています。

 ランド・デイというのは、1976年3月30日、イスラエル政府がガリラヤ地方の1万9000平方キロの土地を強制収用し、アラブ系の住民(いわゆるパレスチナ人)をネゲブ砂漠に強制移住させようとした際、これに対抗する大規模なデモが発生し、6人のパレスチナ人が殺されたことにちなむ記念日で、毎年、事件のあった3月30日には、イスラエルに抗議し、パレスチナの土地がパレスチナ人のものであると主張する大規模な集会やデモが行われています。

 さて、今回ご紹介の切手は、もともと、2014年3月30日の“ランド・デイ”にあわせて発行される予定でしたが、実際の発行は同年11月にまでずれ込んでいます。その際、“ يوم الأرض”の訳語として、従来用いられていた“ランド・デイ”ではなく、あえて“アース・デイ”があてられたのが興味深いところです。その理由は定かではないのですが、“(パレスチナの)ランド・デイ”に比べれば、はるかに認知度の高い“アース・デイ”の語を使うことで、あえて、4月22日のアース・デイの記念切手と誤解させ、この切手(とその背後にあるランド・デイ)に対する関心を集めようという意図があったのかもしれません。

 ちなみに、ガザの郵政当局が制作した公式FDCの消印には、3月30日付のモノと4月17日付のモノがありますので、その点でも、この“يوم الأرض”の切手が、ランド・デイを記念したものなのか、アース・デイを記念したものなのか、見る側は混乱してしまいそうですね。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第3次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっていますので、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、パレスチナにフォーカスをあてた書籍の企画も進めています。具体的な内容などが明らかになりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。
 

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 ヴァチカン、パレスチチナ国家承認へ
2015-05-14 Thu 20:28
 ヴァチカンは、きのう(13日)、パレスチナ自治政府との間で、“パレスチナ国家”の正式承認を盛り込んだ協定について最終合意したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       パレスチナ・教皇訪問(2014)

 これは、昨年(2014年)5月25日、パレスチナ自治政府が発行した教皇訪問の記念切手で、デザイン化された50の文字の0の中に、教皇フランシスコ、自治政府のアッバス大統領、コンスタンティノープル総主教バルトロメオ1世の3人の肖像が取り上げられています。

 教皇フランシスコは、2014年5月24-26日の3日間、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを歴訪しました。これは、1964年、当時の教皇パウロ6世による1964年の歴史的聖地訪問の50周年を記念するため計画されたもので、そのスケジュールは以下のようになっていました。

 24日:ヨルダンの首都アンマンに到着。王宮での歓迎式に続き、アブドゥッラー2世国王、政府要人らと会見後、アンマンの国際競技場でミサ。夕方、イエスが洗礼を受けたヨルダン川に行き、パウロ6世に倣い、水を祝別。ヨルダン川沿いのラテン典礼の教会で難民や障害者たちとも会見。

 25日午前:パレスチナのベツレヘムでアッバス大統領を訪問。聖誕教会前の広場でミサ。午後、フランシスコ会修道院付の巡礼者施設でパレスチナの家族らと昼食。聖誕教会で祈った後、難民キャンプで子どもたちと会見。

 25日午後:テルアビブ空港からイスラエルに入国し、エルサレムへ。ヴァチカン大使館でコンスタンティノポリス総主教バルトロメオス1世と会見後、聖墳墓教会で総主教と共に祈る。

 26日:エルサレムのグランド・ムフティに迎えられ、岩のドームを訪問。「嘆きの壁」での祈りの後、ホロコースト記念館を訪問。その後、大統領官邸でペレス大統領と、ノートルダム・エルサレム・センターでネタニヤフ首相と会見。夕方、ゲツセマネ教会で司祭や修道者を謁見し、最後の晩餐が行われたとされる場所でミサ。その後、テルアビブ経由で帰国。

 さて、ヴァチカンは、2000年、パレスチナ解放機構(PLO)との基本合意を調印しており、これまでも、パレスチナ自治政府とは事実上の外交関係を有していました。特に、2012年11月、国連総会がパレスチナ自治政府の地位を“オブザーバー機構”から“オブザーバー国家”に格上げし、国家として承認する決議を採択したことを受け、国家承認に向けた交渉を本格的に開始。その過程で行われた2014年のパレスチナ訪問に際して、教皇は「パレスチナ国家」の樹立を支持する立場を表明しました。

 今回の最終合意を受け、教皇は16日にヴァチカンでアッバス大統領と会談するとともに、翌17日には、オスマン帝国支配下のパレスチナで活動していた修道女2人を列聖する予定です。

 今回の協定は、ヴァチカン川にとっては、パレスチナにおけるカトリック教会の活動と信仰の自由を保障するのが目的で、ヴァチカンがイスラエルとパレスチナの「2国家」樹立による紛争解決を指示することも明記されています。欧米諸国などに対するヴァチカンの影響力は大きいですから、今後の国際社会の反応が注目されるところです。


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       日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

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 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 パレスチナの“国旗”
2011-12-13 Tue 23:47
 パレスチナが国連教育科学文化機関(ユネスコ)に加盟したことを受け、きょう(13日)、パリのユネスコ本部にパレスチナの“国旗”が掲揚されました。国連機関に“加盟国”としてパレスチナの旗が掲げられるのは初めてのことです。というわけで、きょうはパレスチナ国旗を描いたこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガザ封鎖への抵抗

 これは、昨年(2010年)、パレスチナ自治政府が発行した“ガザ封鎖に反対するパレスチナ人の断固たる意志”の小型シートです。シートには、ガザ地区の地図を背景にパレスチナ国旗を持つ人物のシルエットを描く2000フィルス切手が1枚収められていますが、シート全体としては、国旗を持つ子供たちの写真に目を奪われますな。

 パレスチナ自治政府内部では、発足当初から、PLO傘下のファタハといわゆるイスラム原理主義勢力のハマスが対立し、各地で散発的な戦闘が発生していました。2007年6月、ハマスがガザを武力制圧すると、その対イスラエル強硬姿勢を懸念したイスラエルは、ガザへの人や物の出入りを従来にもまして厳しく制限。これに反発したハマスは、2008年1月9日、アメリカのブッシュ大統領のイスラエル・パレスチナ歴訪も合わせてイスラエルへのロケット弾攻撃を敢行し、イスラエルがその報復としてガザを完全封鎖するという事態になりました。

 その後、イスラエルとガザのハマス政権との間では散発的に戦闘が繰り返されており、イスラエル側は一時的に封鎖を緩和することもありましたが、基本的には、ガザとの境界、総延長75キロを高さ数メートルの金網フェンスやコンクリート壁で封鎖。ガザへの人や物の出入りをエジプト側のラファを含め計5カ所の検問所に限定し、軍の監視の下、人道支援物資の搬入や農産物など一部の搬出入のみ(国連パレスチナ難民救済事業機関:UNRWAによると、1日あたりトラック100台分程度だそうです)を認めるだけという状況が続いています。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、パレスチナ自治政府としてイスラエルによるガザ封鎖に抗議し、これに屈しないという意思を示すために発行されたもので、その象徴としての国旗の使われ方が実に印象的なデザインです。こういうデザインを見ると、あらためて、どんな国の国旗も丁重に扱わねばならないということを実感させられますな。

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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』、同『山梨日日新聞』みるじゃん『サンデー毎日』12月25日号で紹介されました。

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 パレスチナ、国連加盟を申請
2011-09-24 Sat 23:18
 パレスチナ自治政府のアッバス議長が日本時間のきょう(ニューヨーク時間で23日)、国連への加盟申請書を潘基文事務総長に提出しました。というわけで、きょうはこの切手です(画像はクリックで拡大されます)

        パレスチナ自治政府・国連参加

 これは、1998年にパレスチナ自治政府が発行した“国連参加”の記念切手です。

 国連におけるアラブ系パレスチナ人の代表としては、1974年にパレスチナ解放機構(PLO)が議決権を持たないオブザーバーとして参加を認められたのが最初のことです。

 1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン側西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意が調印され、パレスチナ自治政府が発足すると、1998年にはパレスチナに、一般討論への参加、反論権、ほかの加盟国が作成するパレスチナなど中東問題に関する決議案を共同提案する権利などが認められました。これによりパレスチナ自治政府は、議決権を持たない以外は、他の独立国とほぼ同格に扱われることになりました。今回ご紹介の切手は、これを記念して発行されたものです。

 今回の加盟申請は、昨年9月の国連総会での演説でオバマ米大統領が「2011年9月までに国連に加盟したパレスチナ国家を見たい」と中東和平に意欲を見せたことが発端となっていますが、皮肉なことに、オバマ演説の直後にパレスチナとイスラエルとの和平交渉が頓挫。パレスチナ自治政府は、イスラエル側が第3次中東戦争での“占領地”への入植を凍結することを交渉再開の条件としたものの、イスラエル側はこれを無視して入植を継続したため、交渉が再開しない場合は単独の行動をとり、国連に正式加盟を申請すると宣言していたパレスチナ側も加盟を申請せざるを得なくなったという面があります。

 今回の国連加盟申請に関して、すでにアメリカは拒否権を行使することを明らかにしており、パレスチナ自治政府もそのことを織り込み済みですが、国連加盟国のうち、126ヵ国がパレスチナを国家承認しているという現状を踏まえ、国際世論の圧力を背景に、今後の対イスラエル交渉を有利に進めたいとの狙いがあるものと思われます。

 もっとも、肝心のパレスチナの足元では、アッバス議長率いる穏健派政府が掌握しているヨルダン川西岸(の一部)と、強硬派のハマスが実効支配しているガザ地区とが事実上の分裂状態に陥っていることもあり、イスラエルを相手にはたしてまともな交渉を展開することができるかどうかは心もとないのが実情です。

 いずれにせよ、1948年のイスラエル建国からだと60年以上、1967年の第3次中東戦争からでも40年以上(余談ですが、僕自身が1967年生まれですから、オギャーと生まれた赤ん坊が、現在の中年男になる年月、といえば、その長さがわかろうというものです)も解決できなかった問題が、そうそう簡単に解決できるはずもないのですが、現在のパレスチナ問題の出発点ともいうべきバルフォア宣言から100年となる2017年までには、多少なりとも、事態が進展していてほしいものですな。


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 9年ぶりの中東歴訪
2008-01-10 Thu 11:42
 アメリカのブッシュ大統領が9日、最初の訪問国イスラエルに到着しました。アメリカ大統領のイスラエル訪問は1998年12月のクリントン前大統領以来9年ぶりだそうです。というわけで、今日はこんなモノをもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ワイ合意

 これは、1998年10月23日のワイ合意調印を記念してパレスチナ自治政府が発行した切手で、合意文書に署名するアラファトとクリントンの二人が取り上げられています。

 1993年のオスロ合意の後、中東和平プロセスは順調に進んでいくかに見えましたが、1995年11月、和平プロセスを推進してきたイスラエルのラビン首相がユダヤの宗教系右派の青年により暗殺されると、イスラエルとパレスチナの関係は一転して悪化の一途をたどっていきます。

 ラビンの暗殺後、イスラエルの後継首相となったシモン・ペレス(ラビン政権時代の外相)は、ラビンの路線を継承して中東和平プロセスを進展させようとしていたが、1996年4月の首相公選で、対パレスチナ強硬派のリクード連合を基盤とするベンヤミン・ネタニヤフに敗退しました。

 ネタニヤフ政権は、対外的にはパレスチナ和平を進展すると主張しながら、実際には、パレスチナ人自治区域でのイスラエルの権利擁護に熱心でした。このため、和平プロセスの停滞を危惧したアメリカのクリントン政権は、イスラエルとパレスチナ自治政府との関係改善に乗り出し、1997年1月、ネタニヤフに対してヨルダン側請願のヘブロンからのイスラエル軍の撤退を認めさせています。

 イスラエル軍のヘブロンからの撤退を受けて、パレスチナ自治政府のアラファトがエルサレムをパレスチナとイスラエルの共同首都とすることを提案すると、ネタニヤフはこれを即座に拒否。エルサレムがイスラエルの首都であることを示すため、同年3月からユダヤ人の大規模住宅地の建設を開始しました。

 当然のことながら、こうしたネタニヤフの強硬姿勢はパレスチナ人の反発を招き、ハマスなどによる自爆テロ(彼らの呼称は“殉教作戦”)が頻発し、和平プロセスは停滞します。

 これに対してクリントンは、和平プロセスを進展させるため、ネタニヤフとアラファトの両首脳を強引に説得し、1998年10月、ヨルダン川西岸からのイスラエル軍の追加撤兵と、パレスチナ民族評議会憲章からのイスラエル破壊条項の削除を定めたワイ合意を実現させました。さらに、11月にワシントンで開催されたパレスチナ支援国会議では、和平プロセスの進展に経済的な裏づけを与えるため、アメリカは5年間で9億ドルの支援をパレスチナに対して約束しています。

 前回のアメリカ大統領の中東歴訪は、こうした状況の下で行われたもので、今回ご紹介の切手も、パレスチナ側が、一連のアメリカの動きを歓迎する意味を込めて、クリントンの帰国後に発行したものといってよいでしょう。

 しかし、合意文書の調印に向けてアメリカのメリーランド州でクリントン、ネタニヤフ、アラファトが3者会談を行っている間、エルサレムのバスセンターではハマス活動家による自爆テロが発生するなど、パレスチナではイスラエルとの妥協を頑なに拒むハマスの勢力が強かったことにくわえ、ネタニヤフ政権じたいも後にワイ合意を反故にしてしまうなど、このときのクリントンの和平努力は結果として実を結ぶことはありませんでした。

 その後も、クリントン政権は、1999年9月のシャルム・シェイク合意(2000年9月までにパレスチナの最終地位合意を達成することを目標に、ワイ合意の実施スケジュールを定めた)、2007年7月のキャンプ・デーヴィッド交渉(クリントン政権下での最後の調停)などをまとめたものの、結果として、中東和平を進展させることなく不調に終わっています。

 さて、今回、中東和平への個人的な関与を避けてきたブッシュ大統領が同地域訪問に踏み切ったのは、任期1年を残して大統領としての“歴史的評価”を意識した結果との見方が有力ですが、クリントン時代以上に、成算は低いでしょうねぇ。すくなくとも、パレスチナを含むアラブ諸国が、イラク戦争を発動した張本人を“平和の使徒”であるかのようなかたちで記念切手に登場させる可能性は、限りなくゼロに近いように思われます。
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 パレスチナ国籍
2007-10-05 Fri 09:42
 法務省は4日、これまで無国籍として扱ってきた在留パレスチナ人について今月15日から“パレスチナ籍”とし、生まれた子供についても同国籍とすると全国の法務局などに通知しました。

 というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

パレスチナから日本宛

 これは、2004年9月、パレスチナ自治政府管理下のラマラから日本宛(というよりも僕宛ですが)に届けられたカバーで、自治政府発行の児童画の切手が貼られています。

 1993年のオスロ合意によって1994年に発足したパレスチナ自治政府は、当初から、独自の切手を発行して郵便サービスを提供しています。パレスチナ自治政府はあくまでもヨルダン川西岸の一部とガザ地区を管理する自治機関で、正規の国家ではありませんが、その切手は国際郵便でも有効と認められているため、このカバーでも不足料が徴収されてはいません。

 現在のところ、日本をはじめ多くの国々は、パレスチナ自治政府を“暫定政府”として扱っており、国家承認はしていません。法務省が日本国内のパレスチナ人を無国籍として扱ってきたのも、このためです。

 しかし、自治政府が将来的にパレスチナ国家の原型となることは、イスラエルを含む関係各国が暗黙の了解として認めていることに加え、2002年からは自治政府の旅券で日本への出入国が認められるようになるなど、小泉政権以降、日本・パレスチナ関係が深まったことなどから、今回の国籍承認ということになったのでしょう。

 今回の措置により、これまで“無国籍”扱いだったパレスチナ人は“パレスチナ籍”となるため、15日以降、日本で生まれたパレスチナ人の子供はパレスチナ籍になります。これに対して、それ以前に、“無国籍”だった時代のパレスチナ人の両親から日本で生まれた子供は、すでに日本国籍を取得しているため(日本の国籍法では、父母が“無国籍”の場合、日本で生まれた子どもは日本国籍となります)、新たにパレスチナ籍を与えられた上で、将来、どちらかの国籍を選択するということになります。

 パレスチナ籍が正式に国籍として認められたということは、パレスチナ人にとっては喜ばしいことにちがいはないのですが、ただ、これから日本で生まれるパレスチナ人の子供の多くは、パレスチナに帰らず(帰れず)、将来にわたって日本国内で生活していく可能性が高いということを考えると、本音の部分では、従来どおり日本国籍を取得できる方がありがたかったという人もいるのかもしれません。

 なお、1990年代のパレスチナの動きについては、2001年に刊行の拙著『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』でもまとめてみたことがあるのですが、切手や郵便物を使って展開するという仕事はまだやったことがありません。また、“切手で読み解く中東・イスラム世界”とサブタイトルをつけて刊行した『中東の誕生』でも、あまり新しい時代の話は入れていませんでしたし、そろそろ、中東がらみのニューバージョンの本を作らなくっちゃいけないかな、と考える今日この頃です。
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 英雄/テロリスト図鑑:アラファト
2007-07-15 Sun 08:54
 イスラム原理主義組織ハマスが、パレスチナのガザ地区を制圧してから、昨日(14日)でちょうど1ヶ月。これに伴い、パレスチナ自治政府のアッバス議長が発令した非常事態宣言の期限が切れることを受け、議長は、親欧米派のファイヤド氏を首相とする非常事態内閣を発足させました。

 で、このタイミングを狙っていたわけではないのですが、現在発売中の『SAPIO』7月25日号で僕が担当している連載「世界の『英雄/テロリスト』裏表切手大図鑑」では、ヤーセル・アラファトを取り上げていますので、ご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

オスロ合意

 アラファトは1929年にエルサレムで生れました。1948年にイスラエルが建国されると故郷を追われて難民となり、大学はカイロで卒業しました。大学在学中、政治活動に目覚めた彼は、第1次中東戦争のドサクサでエジプトが占領したガザ地区でパレスチナ学生連盟議長を務めていましたが、1956年に第2次中東戦争が勃発したのを機に“パレスチナ民族解放運動”、すなわちファタハを結成。イスラエルに対する本格的な武装闘争(=テロ活動)を開始します。
 
 現在でこそ、アッバース議長率いる穏健派のファタハに対して、過激派のハマスというイメージが強いようですが、どうしてどうして、ファタハだって、そもそもはかつては過激なテロリスト集団として恐れられていました。

 1956年の第2次中東戦争では、エジプトは英仏の介入を排してスエズ運河の国有化を達成し政治的勝利を収めたものの、イスラエル軍に簡単にスエズ運河地帯への侵攻をゆるすなど、純軍事的には敗けたも同然でした。このため、イスラエルとの戦争に勝ち目がないことを悟ったナセルは、反イスラエル各派を糾合したPLO(パレスチナ解放機構)結成のお膳立てをします。勇ましいイスラエル打倒の掛け声とは裏腹に、ナセルの本音は、反イスラエル闘争を一括してコントロールすることで、アラブの反イスラエル感情に応えるとともに、反イスラエル闘争の暴発してイスラエルを本気で怒らせることを防止する(=イスラエルとの全面戦争を回避する)ことにありました。

 アラファトのファタハもPLOに参加しましたが、彼らはナセルの微温的な姿勢に反発。PLO最大派閥として、ナセルのコントロールを振り切ってイスラエルへのテロ活動を繰り返します。当時のアラファトは、「反イスラエルのテロ行為を繰り返せばイスラエルはアラブとの全面戦争に踏み切るだろうが、その場合には、全アラブの団結によってイスラエルを粉砕できる」と考えていたわけですが、じっさいに1967年6月に第3次中東戦争が勃発すると、イスラエルの圧倒的な軍事力の前にアラブ側は惨敗してしまいます。

 それでも、PLO(1969年にアラファトが議長に就任)は「パレスチナに世界の注目を集める」ためとして、テロの対象を非イスラエル国民にも拡大。1970年9月には、PLO傘下の武装組織PFLP(パレスチナ民族解放戦線)が4機を同時にハイジャックする事件を起こします。(そういえば、以前、PFLPがらみで、こんなマテリアルもご紹介しましたっけ)

 この事件に激怒したヨルダンのフセイン国王は、激しい戦闘の末、PLO本部をアンマンから追放。ベイルートに移駐したPLOは、秘密テロ組織のブラック・セプテンバーを創設し、ミュンヘン・オリンピックの選手村に侵入してイスラエルの選手・コーチ11人を殺害するなど、テロ活動を繰り返しました。

 1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻でベイルートからチュニスに撤退した後も、PLOは反イスラエルのテロ路線を維持していましたが、1987年にPLO不在のパレスチナで反イスラエル暴動の(第1次)インティファーダが発生します。インティファーダに際して、現地のパレスチナ人は、パレスチナから離れた土地で、イスラエル国家の解体という非現実的な主張を展開するPLOの主張に反して、イスラエル国家の存在を認めた上で自分たちの権利を保障するよう要求。このため、パレスチナ人を代表する組織ということになっていたPLOも路線転換を迫られ、アラファトもテロの放棄を公式に宣言しました。

 その後も、PLOをテロ組織とみなしていたイスラエルはアラファトとの対話を長らく拒否していました。しかし、湾岸戦争でアラファトがイラクを支持した結果、PLOは国際的に孤立。アラブ諸国からの経済支援もストップし、その影響力が大きく損なわれてしまいます。

 そうした中で、パレスチナでは、より過激な反イスラエルの“殉教作戦(=自爆テロ)”を展開するハマスが台頭。この頃には、PLOには昔日の勢いは全くなく、彼らは、イスラエルとの対話路線を定着させており、もはやイスラエルにとっての脅威ではなくなっていました。むしろ、PLOとその主流派であるファタハの退潮が進めば、彼らに代わってより過激なハマスがパレスチナ人の代表権を獲得することも危惧されるようになります。

 こうして、ハマスがイスラエルとPLO双方にとって共通の脅威となったことで、彼らは反ハマス連合として和解に到達。1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン側西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意が調印され、パレスチナ自治政府が発足。かつてはテロリストの頭目として恐れられたファタハのアラファトは、一転して、ノーベル平和賞を授与されたというわけです。

 今回ご紹介している切手は、1994年のノーベル平和賞でアラファト(とイスラエル首相のラビン、同外相のペレス)がノーベル平和賞を受賞したことを記念して、パレスチナ自治政府が発行した切手で、ワシントンでのオスロ合意調印式の場面が取り上げられています。ちなみに、切手に取り上げられているのは、左からラビン(イスラエル首相)、クリントン(米大統領)、アラファトです。

 1990年代のパレスチナの動きについては、2001年に刊行の拙著『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』でもまとめてみたことがあるのですが、切手や郵便物を使って展開するという仕事はまだやったことがありません。“切手で読み解く中東・イスラム世界”とサブタイトルをつけた『中東の誕生』でも、あまり新しい時代の話は入れていませんでしたし、そろそろ、中東がらみのニューバージョンの本を作らなくっちゃいけないかな、と考える今日この頃です。
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 ベツレヘムに平和を
2006-12-24 Sun 00:45
 今日はクリスマス・イブ。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ベツレヘム

 これは、2001年にパレスチナ自治政府が発行した「ベツレヘムに平和を!」と呼びかける切手で、ベツレヘムの街並みを聖母子が描かれています。

 キリスト生誕の地であるベツレヘムは、現在、パレスチナ自治区にあり、パレスチナ自治政府にとっては大勢の観光客が期待できる貴重な収入源です。しかし、2000年以降の治安の悪化により、観光客へ激減。特に、今年に入ってから、3月にイスラム原理主義組織のハマスが内閣を組織したことに加え、7月にはレバノン紛争もあって、現地では閑古鳥が泣いている有様だそうです。

 もちろん、頼みの政府はハマス内閣が発足したことで欧米からの援助がストップし、キリストの生誕地に建てられた聖誕協会の装飾費の捻出もままならず、ベツレヘム市としては、キリスト教団体などに寄付を呼びかけているそうですが、果たして目標の7万ドルを集めることができるかどうか…。

 僕自身はクリスチャンではないのですが、ベツレヘムのこういう話を聞くと、やっぱり、いろいろと考えさせられます。まさに、今回の切手に書かれているように、「ベツレヘムに平和を!」と祈らずにはいられません。

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