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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 マカオに行ってきます!
2018-09-19 Wed 00:10
 私事で恐縮ですが、マカオで開催されるアジア国際切手展<MACAO 2018>に出品者として参加するため、きょう(19日)午前中の飛行機で羽田を発ち、香港経由でマカオに向かいます。今回は、現代郵趣部門にPostal History of Palestine 1995-2001 (パレスチナ郵便史 1995-2001)を出品していますので、その作品中のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・カザフスタン宛(2011)

 これは、2001年12月29日、ヨルダン川西岸のアイザリーヤからカザフスタン宛の書留便で、2018年8月18日に発行された『千夜一夜物語』の切手のうち、天駆ける“黒檀の馬”の物語を取り上げた650フィルス切手と、“ベツレヘム2000”の500フィルス切手が貼られています。今回のマカオ行には、黒檀の馬ではなく、キャセイ航空を使うのですが、これから現地へ飛んでいくぞという気分で、取り上げてみました。ちなみに、カバーの郵便料金は、イスラエル経由でのCIS諸国宛のエアメール基本料金400フィルス+外国宛書留料金750フィルスの合計1150フィルスとなっています。

 なお、パレスチナ自治政府と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 さて、今回の切手展の会期は21日からなのですが、その前に、作品の搬入・設営作業がありますので、本日9時15分に成田を発って香港に入り、フェリーでマカオに向かいます。展覧会の会期は24日までで、作品をピックアップした後、現地時間の25日にマカオを出て香港経由で帰国の予定です。

 今回の旅行期間中も、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただ、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。 
 

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

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 経由地の香港にいます
2018-05-25 Fri 00:49
 きのう(24日)の記事にも書きましたが、昨晩、テルアヴィヴに向かう途中の経由地、香港に到着しました。現在、乗継待ちの空港ラウンジで記事を書いています。というわけで、香港がらみのイスラエル行のカバーということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・(香港返還貼)イスラエル宛カバー

 これは、1999年7月25日、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府支配下のアイザリーヤからイスラエル宛に差し出された書留便で、ジャンクを描く“香港返還”の記念切手が貼られています。

 パレスチナ自治政府の名目上の首都である東エルサレムイスラエルの実効支配下にありますが、行政区画としては、東エルサレムを取り囲むように面積335平方キロの範囲に“エルサレム県”が設定されています。今回ご紹介のカバーの差出地のアイザリーヤは、同県ではアブー・ディース(東エルサレムの東隣)に次ぐ第2の町で、アブー・ディースの東北に位置しています。パレスチナ自治政府の郵便局の開局は、1995年11月8日でした。

 今回ご紹介のカバーは、アイザリーヤから差し出された後、ラーマッラーの中央区分局経由でイスラエル宛に送られたものの、名宛人不明で差出人に返送されています。なお、カバーには975フィルス分の切手が貼られていますが、当時のイスラエル宛書状料金(50-100g)が200フィルス、イスラエル宛の書留料金が750フィルスで、本来の料金は950フィルスですから、25フィルスの過貼となります。 

 さて、きょうはこの後、午前1時(当地時間)のフライトで香港を発ち、テルアヴィヴ着は現地時間の午前8時前の予定です。入国・通関手続きの後は、そのまま世界切手展<WSC Israel 2018>の開催されるエルサレムに向かい、なんとか、安息日の始まる日没前に展示を済ませたいところです。

 * オマケ
 今回の香港での乗継時間は5時間。中心部に行って戻ってくるには、ちょっとタイトですが、さりとて、どこにも行かずに済ますには長い時間です。そこで、いったん入国手続きをして、空港内の出発ロビーにある美心(マキシム)で叉焼と春巻(野菜スティックと一緒にグラスに盛り付けて)、おこわをつまみにのんびりビールを飲んでいました。大いに満腹し、良い気分になりましたので、飛行機の中でも熟睡できそうです。

      香港国際機場・美心


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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 ガザで最長・最深の地下トンネルを破壊
2018-04-16 Mon 17:57
 イスラエル国防軍(IDF)は、きのう(15日)、パレスチナ自治区ガザを起点にイスラエル領内数十メートルまで延びている地下トンネルを破壊したと発表しました。今回、破壊された地下トンネルは、これまで破壊した中で最も深く、最も長いトンネルだったそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・ジャバリヤ→アナブタ

 これは、2000年9月23日、ガザ地区のジャバリヤからイスラエル経由でヨルダン川西岸のアナブタ宛に差し出されたものの、名宛人不在で差出人戻しとなった書留便です。当時の郵便料金では、パレスチナ自治区相互間の基本料金は150フィルス、書留料金は500フィルスですので、このカバーに貼られている計650フィルスは料金としては合っています。なお、英委任統治時代の切手を描く150フィルス切手は、このカバーが差し出された時点では自治区域外の郵便物には無効とされていましたので、本来であれば、イスラエルを経由する時点でその分が料金不足とされる可能性もあったのですが、宛先が自治区の域内ということで大目に見られたようです。

 パレスチナ自治区内で飛び地の関係にあった西岸地区とガザ地区の間の郵便交換は、イスラエルとガザ地区の境界にあるメヴォ・アッザに設けられたイスラエル側の交換局を通じて行われることになっていました。ちなみに、今回のカバーの裏面には、メヴォ・アッザ局を経由したことを示すの楕円形の印が押されています。その画像を下に貼っておきます。

      パレスチナ自治政府・ジャバリヤ→アナブタ裏

 カバーの両面に押された郵便印をたどってみると、このカバーは、2000年9月13日にジャバリヤから差し出された後、翌14日にガザ中央局、18日に交換局のメヴォ・アッザ局を経て、19日、西岸地区のラーマッラーの集中区分局に持ち込まれました。そこから、21日、配達を担当するアナブタ局に運ばれたものの、名宛人不在だったため、24日にラーマッラーの集中区分局を経由して、27日にガザ中央局に戻されました。もちろん、この逓送路は合法的な正規のルートで、地下トンネルで運ばれたわけではありません。

 さて、1967年の第三次中東戦争以降、ガザ地区を支配下に置いたイスラエルは、治安上の理由から、ガザ地区との境界を管理し、出入りを厳重に制限するようになりました。また、1979年にエジプト・イスラエル和平が成立すると、エジプトはガザ地区との国境沿いにフィラデルフィア・ルートと呼ばれる緩衝地帯を設置。国境を封鎖し、わずかな正規の貿易目的以外の通行を禁止しました。

 こうした背景の下、1997年、フィラデルフィア・ルートの地下に、エジプトとガザ南部を結ぶ秘密の地下トンネルが掘られていることが発覚。その後、複数の地下トンネルが、ガザ地区への武器弾薬や麻薬などの非合法の品々の密輸入のみならず、ガザ内外の人の往来にも使われるようになります。

 さらに、2007年にイスラム原理主義組織のハマスがガザ地区を掌握すると、イスラエルによるガザ地区の封鎖はさらに厳しくなりましたが、これに対応して、地下トンネルは、食料、衣類、タバコ、酒、建築資材、必須医薬品、さらに車までも輸送する物流ルートとして機能するようになります。なお、車に関しては、当初は、トンネル経由で部品を密輸し、運び込んだ先で組み立てられていましたが、最近では、車がそのまま走行できる広さのトンネルもあると言われています。なお、地下トンネルは、あくまでも非合法の存在であるため、その実数を把握することは困難ですが、標準的なトンネルの建設費はおよそ10万ドルで、数百本が運営されていると言われています。

 ちなみに、パレスチナ自治区の切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

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 51歳になりました。
2018-01-22 Mon 10:17
 私事ながら、本日(22日)をもって51歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかく年に1度のことですから、“1月22日”関連のマテリアルのなかから、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) 。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・1月22日カバー

 これは、いまから20年前の1998年1月22日、ガザ地区のハーン・ユーニスからオーストラリア宛に差し出された書留便で、パレスチナ自治政府の切手、計1260フィルスが貼られています。当時のパレスチナ自治政府の料金体系だと、イスラエル経由のオーストラリア宛書状(20-50g)が450フィルス、外信書留料金が760フィルスですので、50フィルスの過貼ということになります。

 貼られている切手は、1995年に発行されたフィルス額面加刷切手(国旗・250フィルス)および“委任統治領時代の切手”3種セット、1996年に発行されたアラファトの肖像を描く普通切手(10フィルス)切手です。

 このうち、“委任統治領時代の切手”はパレスチナ自治政府の発足により、1948年の英委任統治終了以後途絶えていた“パレスチナ切手”が復活したことを受けて発行されたもので、1927年シリーズのうち、ラケルの墓を取り上げた2ミリーム切手(150フィルス)、ダヴィデの塔を描く5ミリーム切手(350フィルス)、岩のドームを取り上げた8ミリーム切手(500フィルス)が取り上げられています。1927年シリーズのデザインとしては、このほかにティベリアスのモスクを取り上げられたものもあるのですが、こちらは、ティベリアスがヨルダン川西岸地区の外のイスラエル領内にあるため、1995年の切手には取り上げられませでした。

 なお、今回ご紹介の切手を含むパレスチナの切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 公現祭
2018-01-06 Sat 11:51
 きょう(6日)は、キリスト教最古の三大祝日の一つで、異邦人である東方の三博士によって幼子イエスが見いだされたこと(=公現)を記念し、神の救いがユダヤ人の外に広がったことを祝う“公現祭”の日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・当方の三博士(1999)

 これは、1999年12月8日、パレスチナ自治政府が同年のクリスマス切手と“ベツレヘム2000”のキャンペーン切手を兼ねて発行したもので、13-14世紀のイタリア人画家、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にジョット・ディ・ボンドーネが描いたフレスコ壁画のうち、「東方三博士の礼拝」が取り上げられています。なお、切手は同図案・同額面(380フィルスは、当時のレートで、イスラエル経由の北米、アジア、アフリカ宛の20-50g書状の料金)ですが、額面数字と周囲の枠が異なるもののペアとなっています。

 「東方三博士の礼拝」は、1304年から1306年の作品で、聖母マリアが幼児のイエスを東方三博士に手渡している場面を描いています。切手では、トリミングでカットされていますが、オリジナルの絵画の上部には天空上に渡る彗星が描かれており、これは、ジョットが実際に見た1301年のハレー彗星をもとにしたものと考えられています。また、切手では、“三博士”のうち、イエスの足許に接吻する最長老のカスパールのみが取り上げられており、その背後にいるバルタザールとメルキオールの2博士はトリミングでカットされています。

 切手の発行名目の一つとなった“ベツレヘム2000”とは、1999年12月から2001年のイースターまでの期間、西暦の新千年紀到来にあわせて、キリスト生誕の地とされるベツレヘムで各種の記念イベントを大々的に行おうという国連主導のプロジェクトで、これを契機に、ベツレヘムを中心に、パレスチナ自治政府支配下のヨルダン川西岸地区に全世界から多くの観光客を誘致するとともに、国際社会の支援で同地域の大規模再開発を進め、パレスチナ経済の浮揚を図る意図も込められていました。 

 ところが、期間中の、2000年9月28日、イスラエルの右派政党、リクードの党首アリエル・シャロンが、当時のバラック政権の軟弱姿勢を批判するため、エルサレムの神殿の丘に登り、岩のドームの前で「エルサレムは全てイスラエルのものだ」と宣言。パレスチナ人を挑発したことから、第二次インティファーダが発生。情勢が一挙に不安定化したことから、“ベツレヘム2000”は、結果的に尻すぼみに終わってしまいました。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 
★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は11日!★★

 1月11日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第14回が放送予定です。今回は、年明け最初ということで、世界で最初に犬の切手を発行したニューファンドランドについてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 パレスチナ支援で45億円拠出
2017-12-27 Wed 12:25
 中東歴訪中の河野太郎外相は、きのう(26日)、ヨルダン川西岸地区(以下、西岸)のジェリコ(イェリコ、エリコとも)農産加工団地(JAIP)を視察し、同団地の開発を中核とする日本独自のパレスチナ支援策“平和と繁栄の回廊”構想を推進するため、新たに約4000万ドル(約45億円)の資金拠出を表明しました。というわけで、JAIPにちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       パレスチナ・イチジクとオリーヴ(2015)

 これは、2015年10月10日、パレスチナを代表する農産物としてイチジクとオリーヴを取り上げた切手です。

 パレスチナ自治区の全農地面積は18万3000ヘクタールですが、その57%でオリーヴが栽培されています。2014年には10万8000トンのオリーヴが収穫され、2万4700トンのオリーヴオイルが生産されました。近年の平均的なオリーヴオイルの生産量は2万2000トンで、そのうち6500トンが輸出されており、重要な外貨獲得源にもなっています。

 さて、2006年、当時の小泉純一郎総理がパレスチナを訪問した際に提唱した“平和と繁栄の回廊”構想は、日本、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンの4者が協力し、パレスチナの経済的自立を促進することを目的としたもので、その中核事業が、ジェリコ市郊外でのJAIPの建設です。なお、今回の支援は、JAIPへの支援に加え、情報通信分野の人材育成センターを立ち上げ、パレスチナの人々の起業を支援するほか、周辺の道路整備などヨルダン側国境施設の機能強化を進めることも含まれています。また、今回表明した援助を含め、日本のパレスチナに対する支援は総額約18億5000万ドルとなりました。

 JAIPは、パレスチナ産農産物に付加価値を付け、ヨルダン経由で輸出する枠組みづくりを目指しており、現在は、第1ステージ19.4ヘクタールの開発が進められています。2017年10月現在、約40社が入居契約を終え、うち8社の工場(オリーヴ葉エキスのサプリメント、梱包用緩衝材、ウェットティッシュ、ミネラルウォーター、オリーヴ石鹸、冷凍ポテト、再生紙、デーツのパッケージング)が操業を開始しており、ここでも、地元のオリーヴが活用されています。将来的には、今回ご紹介の切手に取り上げられているイチジクの加工場がJAIP内に開設されることもあるかもしれません。

 ことし(2017年)第2四半期のパレスチナの失業率は失業者21万6900人を抱えるガザ地区で44%(若年失業率は60%超ともいわれています)、西岸で20.5%で、両地区をあわせた自治区全体では29%、39万6400人が失業状態です。JAIPには雇用創出の面もありますので、そのことが、結果としてパレスチナの安定につながることも期待されています。

 なお、パレスチナ自治政府とその切手については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回は28日!★★

 12月28日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第13回が放送予定です。今回は、現在公開中の映画『ヒトラーに屈しなかった国王』にちなんで、第二次大戦中のノルウェーについてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 クリスマス・イヴ
2017-12-24 Sun 08:28
 今夜はクリスマス・イヴです。とういうわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・クリスマスカバー(1998)  パレスチナ自治政府・クリスマスカバー裏

 これは、1998年12月24日、パレスチナ自治政府支配下のベツレヘムで使用されたクリスマスの記念印が押されたカバーとその裏面です。記念印はパレスチナの旗を描き、英語とアラビア語で“パレスチナ自治政府 メリー・クリスマス”の文字が入っています。

 ベツレヘム局では、キリスト生誕の地として同地を訪れる観光客を意識して、1995年から1999年まで、毎年、12月24日付のクリスマスの記念印を使用していました。その後、2000年に第二次インティファーダが発生し、治安状況の悪化により観光客が激減したことから記念印の使用は一時停止されていましたが、2010年以降、使用が再開されています。

 今回ご紹介のカバーは1998年12月31日に宛先のバイト・ジャーラー(ベツレヘム北西のキリスト教地区)まで届けられた後、1999年1月4日、受取人不明で自治政府の事実上の首都、ラーマッラーの中央区分局に持ち込まれた後、翌5日、差出人がリターン・アドレスとして指定したイェリコに返送されました。切手は、1996年3月20日に発行されたアラファトの肖像を描く100フィルス切手が2枚貼られています。

 なお、パレスチナ自治政府とその郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 12月28日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第13回が放送予定です。今回は、現在公開中の映画『ヒトラーに屈しなかった国王』にちなんで、第二次大戦中のノルウェーについてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 聖墳墓教会の墓所はローマ時代の建設
2017-12-01 Fri 16:42
 エルサレム旧市街の“キリストの墓”の上に建てられたとされる聖墳墓教会の下の墓所が、アテネ国立技術大学のチームを中心とする調査・修復作業の結果、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世のものであることが科学的に特定され、昨日(30日)、そのことが発表されました。というわけで、聖墳墓教会に関するマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府(1995年・メータースタンプ消)

 これは、1995年1月17日、パレスチナ自治政府支配下のガザ地区・バイト・ハヌーンからエルサレム宛のカバーで、聖墳墓教会を描く75ミリーム切手が貼られています。
 
 ローマ皇帝として初めてキリスト教会に改宗したコンスタンティヌス1世は、325年頃に、イエスの磔刑の場所、ゴルゴタに教会を建てることを命じました。しかし、その時点では、イエスが生きていた時代のエルサレムの街区は、2度のユダヤ戦争によって完全に破壊されていただけでなく、135年頃にはローマ風の都市へと再開発されてしまったため、その後、ゴルゴタの丘やイエスの墓所の位置は分からなくなっていました。

 こうした中で、326年、コンスタンティヌスの母ヘレナがエルサレムを訪れ、当時はヴィーナス神殿となっていたこの地で磔刑に使われた聖十字架と聖釘などの聖遺物を発見したとされたため、その場所がゴルゴタと比定され、既存の神殿を取り壊して建てられたのが現在の聖墳墓教会です。

 1009年、ファーティマ朝のカリフ、ハーキムはキリスト教会の破壊を命じたため、聖墳墓教会も取り壊されましたが、1048年、東ローマ皇帝コンスタンティノス9世モノマコスが小さな教会を再建。1099年の第1回十字軍では、参加者は自らを武装した巡礼と見なし、聖墳墓教会の土地を奪還し、そこで巡礼者として祈るまことを遠征の目的としていました。

 さて、1993年のオスロ合意後、1994年5月のパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)を経て、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。これに伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、イスラエルの郵政機関が閉鎖され、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、1994年夏、パレスチナ自治政府は国有ドイツ連邦印刷会社に自治政府としての独自の切手を発注。イェリコのヒシャーム宮殿(5、10、20ミリーム)、東エルサレムの聖墳墓教会(30、40、50、75ミリーム)、パレスチナ自治政府の国旗(125、150、250、300、500ミリーム)、岩のドーム(1000ミリーム切手)をデザインした切手が制作されました。

 ちなみに、これらの切手の発行日は、公式には8月15日とされていますが、実際に自治政府がドイツから切手を受け取ったのは1994年末(早くても10月以降)のことで、現地の郵便局では、いつからこれらの切手が実際に販売されたのか、現在となっては正確なデータは残されていません。(8月15日付のFDCも存在していますが、これは後押しです)また、自治政府の最初の切手の額面表示は、1948年に終了した英委任統治時代の先例に倣い、“ミリーム”表記となっていました。

 ところで、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”では、自治政府統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつも、西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められていたものの、自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はありませんでした。このため、イスラエル側は自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 このため、ミリーム額面の切手は、西岸地区とガザ地区(の自治政府統治地域)および東エルサレム宛(イスラエルの実効支配下にあるものの、自治政府側も“パレスチナ国”の首都と主張)の郵便物にのみ有効とされ、別途、フィルス額面を加刷した切手が発行されました。

 今回ご紹介のカバーは、そうしたミリーム表示額面切手の東エルサレム宛の使用例で、1995年1月17日、バイト・ハヌーン(ガザ地区北東部)から差し出され、消印の代わりに無額面のメータースタンプで抹消されています。

 なお、 2007年以降、“パレスチナ”は、国際社会から正統政府とみなされているPLO/ファタハ政府の支配するヨルダン川西岸地区と、イスラム原理主義組織・ハマースが支配するガザ地区に、事実上、分裂しており、2009年以降、ガザ地区ではヨルダン川西岸とは別の切手が発行されてきました。

 これに対して、今年10月12日、ハマース政府は、カイロでファタハと共同会見を行い、今年12月1日までにハマースがガザ地区のすべての行政権限を自治政府に返還することで合意したと発表。その一環として、11月1日にはガザの境界管理が自治政府側に移されています。

 ところが、その後は、ハマースの軍事部門解体を求めるファタハに対して、ハマースが一貫して「イスラエルによる占領に抵抗するための武器」と主張してこれを拒否するなど、協議が停滞。両者を含むパレスチナ各派は11月22日、カイロで、2018年末までにパレスチナ評議会選挙や議長選を実施するとの共同声明を出したものの、両者の溝は埋まらず、11月29日、ガザ地区の行政権限をハマスから自治政府に移す期限は12月10日に延期されました。こうした状況ですから、現時点では、12月10日にパレスチナの西岸地区とガザ地区の統治一元化が実現するかどうかは、かなり疑わしいというのが実情です。

 ちなみに、パレスチナ自治政府の切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 二の酉
2017-11-18 Sat 10:51
 きょう(18日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、パレスチナがらみの“鳥”の切手の中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      パレスチナ自治政府(国鳥・2013)

 これは、パレスチナ自治政府(ファタハ政府)の国連オブザーバー資格取得を受けて、2014年に発行された“国が生まれた”の切手のうち、パレスチナ自治政府の国鳥とされるキタキフサタイヨウチョウと国花とされるアネモネを取り上げた1枚です。

 2007年以降、“パレスチナ”は、ファタハ政府支配下のヨルダン川西岸地区とハマースが実効支配するガザ地区に事実上分裂。このうち、国際社会は、西岸地区を支配するファタハ政府をパレスチナの正統政府として認知し、ハマース政府の正統性は認めませんでした。

 こうした状況を受けて、2011年9月23日、ファタハ政府は国連への加盟申請を行い、同年10月31日、まずは国連教育科学文化機関(ユネスコ)への加盟が承認されました。これに対して、ユネスコがパレスチナを加盟“国”として承認したことに強く反発。米国もユネスコ分担金の支払いを停止しています。

 その後、ファタハ政府の“パレスチナ”としての国連への加盟申請については、イスラエルと米国のみならず、日本を含む西側主要国の多くがファタハ政府に対する国家承認を見送っている実情を踏まえ、従来の“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする総会決議を採択する方向で調整が進められることになります。これは、パレスチナを国連の“加盟国”としては認めないが、正規の独立国であることを国連として事実上承認するという、いわば妥協の産物でした。

 国際社会がファタハ政府を認める方向で進む中、ハマース政府はガザを拠点にあくまでもイスラエル国家の存在そのものを否定し続けていたが、国連総会での決議採択を前に、イスラエルのネタニヤフ政権はハマースのテロ活動に打撃を与えるべく、11月14日、ガザ地区に空爆を行い、車で移動中のハマースの軍事部門のトップ、アフマド・ジャアバリーを殺害しました。
 
 イスラエルによるジャアバリー殺害に対しては、PLOを含むアラブ諸国がこれを批難し、エジプトはイスラエル大使を召還。当事者のハマースはイスラエルの“宣戦布告”に対して、同じくトゥイッターで「我々の神聖な手は、お前たちのリーダーや兵士がどこにいようと届く」と応酬した。はたして、以後7日間、ハマースによるイスラエル領内への砲撃は激しさを増し、160人を超える死者が発生します。

 こうした経緯を経て、2012年11月29日に開催された国連総会では、パレスチナ(ファタハ政府)を“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする決議67/19が、賛成138、反対9、棄権41、欠席5の圧倒的多数で承認されました。ちなみに、反対票を投じた9ヵ国はカナダ、チェコ、ミクロネシア、イスラエル、マーシャル諸島、ナウル、パラオ、パナマ、米国で、わが国は賛成票を投じています。

 今回ご紹介の切手は、オブザーヴァー国家への格上げから1周年にあたる2013年11月29日にあわせて発行が計画されていましたが、実際の切手発行は2014年1月にまでずれ込みました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 パレスチナ独立宣言記念日
2017-11-15 Wed 11:14
 きょう(15日)は、1988年11月15日にアルジェで開催されたパレスチナ国民評議会(PNC)で、PLOがテロを放棄し、イスラエルの存在を認めたうえで、東エルサレムを首都とする“パレスチナ国”の独立宣言が採択されたことにちなみ、“パレスチナの独立宣言記念日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・ダルウィーシュ(2008)

 これは、2008年7月29日、パレスチナ自治政府が発行したマフムード・ダルウィーシュ(1988年のパレスチナ独立宣言の起草者)の切手です。

 マフムード・ダルウィーシュは、1,941年3月13日、英委任統治下のガリラヤ地方のビルワで生まれました。彼の故郷は、1948年の第一次中東戦争で壊滅的な打撃を受けたため、一時的にレバノンに避難します。1950年、一家はイスラエル支配下のガリラヤ地方の別の村に帰還しましたが、法的には“不法滞在の外国人”として扱われました。

 ダルウィーシュは10代から詩作を始め、当初はイスラエル共産党の文芸誌『アル・ジャディード』に自作の詩を投稿していましたが、ほどなくして同誌の編集に携わるようになり、次いで、イスラエル労働党の文芸誌『アル・ファジュル』の編集者となります。1960年、19歳の時に発表した第一詩集『翼のない鳥』を皮切りに、1960年代には何冊かの詩集を出版。「書き留めてくれ/私はアラブ人」のリフレインで知られる詩「身分証明書」、故郷パレスチナを恋人に見立てて愛を謳った詩「パレスチナの恋人」などで、パレスチナを代表する詩人として高く評価されました。

 しかし、そのことは、パレスチナ人の民族意識を高揚させ、反イスラエル世論を煽動するものとしてイスラエルからは危険視され、投獄や自宅軟禁等の処罰を受けることになります。

 彼の作品は世界的にも高く評価され、1969年、アジア・アフリカ作家会議が創設したロータス賞の第一回受賞者となりましたが、1970年、事実上の国外追放処分を受け、ソ連のミハイル・ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学に一年間、留学。その後、カイロを経てベイルートに入り、1973年、PLOに参加。詩作を続ける傍ら、執行委員会のメンバーとして反イスラエル闘争に積極的に関与しました。

 PLOのテュニス移転とともにテュニスに移り、第一次インティファーダを経て、1988年にアルジェで開催されたパレスチナ民族評議会ではアラファトが読み上げた「独立宣言」を起草しました。

 その後、1993年のオスロ合意の内容に失望し、PLOの役職を辞職しましたが、1995年、パレスチナ自治政府の暫定自治がヨルダン川西岸地区の主要都市にまで拡大され、自治政府がラマッラーに移ると、PLOと和解し、ラマッラーに“帰還”しました。晩年はパレスチナと米国を往来しながら、ファタハとハマースの抗争を批判し、特に、ハマースの奉じるイスラム原理主義を激しく批判しています。

 晩年は毎年のようにノーベル文学賞の有力候補の一人としてメディアに名前が挙げられましたが、2008年8月9日、心臓病の治療のため入院していた米ヒューストンで亡くなりました。享年67歳。その葬儀は、アラファトに次いでパレスチナ自治政府として2人目の“国葬”とされ、大統領のアッバースは自治政府として3日間の服喪を決定しています。

 今回ご紹介の切手は、当初、2007年に発行が予定されていたもので、切手にもその旨の表示がありますが、実際には、彼の死の直前、2008年7月29日に発行されています。切手の背景に岩のドームが描かれているのは、彼の起草した「独立宣言」が、パレスチナ国家の首都はエルサレムに置くとしていたことを示したものと考えられます。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、パレスチナの切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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