内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 二の酉
2017-11-18 Sat 10:51
 きょう(18日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、パレスチナがらみの“鳥”の切手の中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      パレスチナ自治政府(国鳥・2013)

 これは、パレスチナ自治政府(ファタハ政府)の国連オブザーバー資格取得を受けて、2014年に発行された“国が生まれた”の切手のうち、パレスチナ自治政府の国鳥とされるキタキフサタイヨウチョウと国花とされるアネモネを取り上げた1枚です。

 2007年以降、“パレスチナ”は、ファタハ政府支配下のヨルダン川西岸地区とハマースが実効支配するガザ地区に事実上分裂。このうち、国際社会は、西岸地区を支配するファタハ政府をパレスチナの正統政府として認知し、ハマース政府の正統性は認めませんでした。

 こうした状況を受けて、2011年9月23日、ファタハ政府は国連への加盟申請を行い、同年10月31日、まずは国連教育科学文化機関(ユネスコ)への加盟が承認されました。これに対して、ユネスコがパレスチナを加盟“国”として承認したことに強く反発。米国もユネスコ分担金の支払いを停止しています。

 その後、ファタハ政府の“パレスチナ”としての国連への加盟申請については、イスラエルと米国のみならず、日本を含む西側主要国の多くがファタハ政府に対する国家承認を見送っている実情を踏まえ、従来の“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする総会決議を採択する方向で調整が進められることになります。これは、パレスチナを国連の“加盟国”としては認めないが、正規の独立国であることを国連として事実上承認するという、いわば妥協の産物でした。

 国際社会がファタハ政府を認める方向で進む中、ハマース政府はガザを拠点にあくまでもイスラエル国家の存在そのものを否定し続けていたが、国連総会での決議採択を前に、イスラエルのネタニヤフ政権はハマースのテロ活動に打撃を与えるべく、11月14日、ガザ地区に空爆を行い、車で移動中のハマースの軍事部門のトップ、アフマド・ジャアバリーを殺害しました。
 
 イスラエルによるジャアバリー殺害に対しては、PLOを含むアラブ諸国がこれを批難し、エジプトはイスラエル大使を召還。当事者のハマースはイスラエルの“宣戦布告”に対して、同じくトゥイッターで「我々の神聖な手は、お前たちのリーダーや兵士がどこにいようと届く」と応酬した。はたして、以後7日間、ハマースによるイスラエル領内への砲撃は激しさを増し、160人を超える死者が発生します。

 こうした経緯を経て、2012年11月29日に開催された国連総会では、パレスチナ(ファタハ政府)を“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする決議67/19が、賛成138、反対9、棄権41、欠席5の圧倒的多数で承認されました。ちなみに、反対票を投じた9ヵ国はカナダ、チェコ、ミクロネシア、イスラエル、マーシャル諸島、ナウル、パラオ、パナマ、米国で、わが国は賛成票を投じています。

 今回ご紹介の切手は、オブザーヴァー国家への格上げから1周年にあたる2013年11月29日にあわせて発行が計画されていましたが、実際の切手発行は2014年1月にまでずれ込みました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


スポンサーサイト
別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 パレスチナ独立宣言記念日
2017-11-15 Wed 11:14
 きょう(15日)は、1988年11月15日にアルジェで開催されたパレスチナ国民評議会(PNC)で、PLOがテロを放棄し、イスラエルの存在を認めたうえで、東エルサレムを首都とする“パレスチナ国”の独立宣言が採択されたことにちなみ、“パレスチナの独立宣言記念日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・ダルウィーシュ(2008)

 これは、2008年7月29日、パレスチナ自治政府が発行したマフムード・ダルウィーシュ(1988年のパレスチナ独立宣言の起草者)の切手です。

 マフムード・ダルウィーシュは、1,941年3月13日、英委任統治下のガリラヤ地方のビルワで生まれました。彼の故郷は、1948年の第一次中東戦争で壊滅的な打撃を受けたため、一時的にレバノンに避難します。1950年、一家はイスラエル支配下のガリラヤ地方の別の村に帰還しましたが、法的には“不法滞在の外国人”として扱われました。

 ダルウィーシュは10代から詩作を始め、当初はイスラエル共産党の文芸誌『アル・ジャディード』に自作の詩を投稿していましたが、ほどなくして同誌の編集に携わるようになり、次いで、イスラエル労働党の文芸誌『アル・ファジュル』の編集者となります。1960年、19歳の時に発表した第一詩集『翼のない鳥』を皮切りに、1960年代には何冊かの詩集を出版。「書き留めてくれ/私はアラブ人」のリフレインで知られる詩「身分証明書」、故郷パレスチナを恋人に見立てて愛を謳った詩「パレスチナの恋人」などで、パレスチナを代表する詩人として高く評価されました。

 しかし、そのことは、パレスチナ人の民族意識を高揚させ、反イスラエル世論を煽動するものとしてイスラエルからは危険視され、投獄や自宅軟禁等の処罰を受けることになります。

 彼の作品は世界的にも高く評価され、1969年、アジア・アフリカ作家会議が創設したロータス賞の第一回受賞者となりましたが、1970年、事実上の国外追放処分を受け、ソ連のミハイル・ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学に一年間、留学。その後、カイロを経てベイルートに入り、1973年、PLOに参加。詩作を続ける傍ら、執行委員会のメンバーとして反イスラエル闘争に積極的に関与しました。

 PLOのテュニス移転とともにテュニスに移り、第一次インティファーダを経て、1988年にアルジェで開催されたパレスチナ民族評議会ではアラファトが読み上げた「独立宣言」を起草しました。

 その後、1993年のオスロ合意の内容に失望し、PLOの役職を辞職しましたが、1995年、パレスチナ自治政府の暫定自治がヨルダン川西岸地区の主要都市にまで拡大され、自治政府がラマッラーに移ると、PLOと和解し、ラマッラーに“帰還”しました。晩年はパレスチナと米国を往来しながら、ファタハとハマースの抗争を批判し、特に、ハマースの奉じるイスラム原理主義を激しく批判しています。

 晩年は毎年のようにノーベル文学賞の有力候補の一人としてメディアに名前が挙げられましたが、2008年8月9日、心臓病の治療のため入院していた米ヒューストンで亡くなりました。享年67歳。その葬儀は、アラファトに次いでパレスチナ自治政府として2人目の“国葬”とされ、大統領のアッバースは自治政府として3日間の服喪を決定しています。

 今回ご紹介の切手は、当初、2007年に発行が予定されていたもので、切手にもその旨の表示がありますが、実際には、彼の死の直前、2008年7月29日に発行されています。切手の背景に岩のドームが描かれているのは、彼の起草した「独立宣言」が、パレスチナ国家の首都はエルサレムに置くとしていたことを示したものと考えられます。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、パレスチナの切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ホークスが2年ぶり日本一
2017-11-05 Sun 06:47
 プロ野球の日本シリーズは、福岡ソフトバンクホークス横浜DeNAベイスターズを4勝2敗で下して2年ぶりの日本一となりました。というわけで、“鷹”の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・パスポート

 これは、2012年にパレスチナ自治政府が発行した自治政府の活動を紹介する切手のうち内務省を表す1枚で、アラブ諸国で広く用いられている“サラディンの鷹”の国章を表紙にあしらった自治政府のパスポートが取り上げられています。

 “パレスチナ”表示のパスポートは、英委任統治時代の1924年、“British passport, Palestine”名で発行されたのが最初です。

 1948年5月15日、英国のパレスチナからの撤退とイスラエルの独立宣言を受けて、英国・パレスチナ表示のパスポートは無効となりました。このため、第一次中東戦争で周辺諸国に逃れたパレスチナ難民の多くは国際的に有効なパスポートを持っていませんでしたが、エジプト、シリア、レバノンの各国は、そうした難民に対して、自国のパスポートの発給を認めませんでした。

 第一次中東戦争を経て、旧英領パレスチナの地域は、イスラエル、ヨルダン、エジプトの三国により分割されると、イスラエル領内の住民に対してはイスラエルのパスポートが、エジプト支配下のガザ地区の住民に対しては1949年から1959年まで“全パレスチナ”表示のパスポートが、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区の住民に対してはヨルダンのパスポートが、それぞれ発給されることになりました。このうち、イスラエルとヨルダンのパスポートは通常のパスポートと同様でしたが、エジプトの発給した“全パレスチナ”のパスポートでは、エジプト本国への自由な入国は認められていませんでした。

 1967年の第三次中東戦争の結果、ヨルダン川西岸はイスラエルにより占領されますが、ヨルダン政府は西岸地区の住民に対して引き続き、ヨルダンのパスポートを発給しつづけました。ただし、このパスポートは、西岸地区の住民が国境を越えて他国に入国する際、1回限りで有効(旅行のたびに新たなパスポートを取得することが必要)という制限がありました。

 1993年のオスロ合意を経て、パレスチナ自治政府が発足すると、1995年4月2日から自治政府は、自らの支配地域の住民を対象に、今回ご紹介の切手に取り上げられた独自のパスポートの発給を開始しました。ちなみに、米国はパレスチナ自治政府を国家承認していませんが、自治政府発行のパスポートでの米国への入国を認めています。また、日本政府は2007年10月以降、自治政府のパスポートでの入国を認めるようになりました。

 なお、パレスチナ自治政府とその切手・郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとっってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(4日)、東京・浅草での全国切手展<JAPEX>会場内で行われた拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の刊行記念トークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただきました皆様、スタッフ・関係者の皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は9日!★★

 11月9日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 きょうから<JAPEX>
2017-11-03 Fri 08:54
 きょう(3日)から5日まで、東京・浅草の東京都立産業貿易センター台東館6・7階で全国切手展<JAPEX>が開催されます。僕も、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』のプロモーションを兼ねて「パレスチナ郵便史 1995‐2001」と題して、パレスチナ自治政府発足以降のカバーをまとめた1フレーム作品を出品しております。というわけで、きょうはその作品の中からこの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      メヴォ・アッザ交換局カバー(1996)  メヴォ・アッザ交換局カバー(1996・裏)

 これは、1996年10月28日、西岸地区北部・ナーブルスの南6㎞に位置するフワーラからガザ地区宛に差し出されたものの、受取人不明で差出人に返戻された郵便物です。

 1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されたヨルダン川西岸地区(以下、西岸地区)とガザ地区では、1993年のオスロ合意に基づき、1994年5月、カイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。

 これに伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、それぞれ自治政府管轄地域内ではイスラエルの郵政機関が閉鎖され、西岸地区とガザ地区(の自治政府統治地域)および東エルサレム(現在、エルサレム全域はイスラエルの実行支配下にあるが、パレスチナ自治政府は旧市街のある東エルサレムを“首都”と主張)を対象に、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足しました。

 その際、飛び地の関係にあった西岸地区からガザ地区宛の郵便交換は、西岸地区からイスラエル領内を経由してガザ地区の入り口にあたるメヴォ・アッザに設けられたイスラエル側の交換局を通じてガザ地区に持ち込まれることとされました。

 今回ご紹介のカバーは、1996年10月28日、西岸地区のフワーラから差し出され、11月4日、ガザ局(ガザ地区の中央局)を経由して、翌5日、宛先のザワーイダまで運ばれています。しかし、受取人不明でガザ局に戻され、保管期間が経過した後、1997年2月5日、メヴォ・アッザの交換局に引き渡され、差出人に返戻されました。ちなみに、料金はこの時期のパレスチナ域内宛書状基本料金の100フィルスです。

 今回の展示は、紙幅の関係から、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便史』ではあまり触れることのできなかった自治政府の郵便制度について、実際に逓送された郵便物を展示して、その概要をまとめてみました。あす(4日)12:30からの『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の刊行記念トークとあわせて、ご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 投票しませう⑦
2017-10-22 Sun 07:35
 今日(22日)は、衆議院議員総選挙の投票日です。僕は19日の出国前に期日前投票を済ませましたが、投票はきょうの20時までですから、ぜひ、みなさんお出かけください。というわけで、国政選挙の投票日恒例の“投票しませう”シリーズ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・第1回総選挙(1996)

 これは、1996年5月20日、パレスチナ自治政府が発行した“第1回立法議会およびパレスチナ自治政府議長(大統領)選挙”の記念切手です。

 1993年9月のオスロ合意により、ヨルダン川西岸およびガザ地区での暫定自治が実現。その後、1994年5月のパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)によりイェリコとガザで暫定自治が開始され、翌1995年の「暫定自治拡大協定」(第二オスロ合意)を経て、1996年1月、パレスチナ立法評議会およびパレスチナ自治政府議長(大統領)の選挙が行われました。

 この時の、パレスチナ自治政府統治下の有権者は102万8000人。この選挙には国際選挙監視団が派遣され、日本からも民間人を含む77名が参加しています。

 選挙はハマースなど暫定自治反対派がボイコットしたものの、71.7%の高い投票率でおおむね順調に行われ、自治政府の議長としてPLO議長のアラファトが選出され、評議会はPLOの主流派であるファタハが88議席中55議席を獲得。パレスチナ自治政府が正式に誕生しました。

 なお、パレスチナ自治政府とその郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも、いろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月19日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第10回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、11月9日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、19日放送分につきましては、10月26日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 月夜のパレスチナ
2017-10-04 Wed 08:56
 きょう(4日)は中秋節です。というわけで、満月の風景を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・アラブ連盟50周年

 これは、1995年にパレスチナ自治政府が発行した“アラブ連盟創立50周年”の切手シートで、切手部分には、パレスチナ出身の画家、イブラヒム・ハジメの1987年の作品、「パレスチナ わが夢の地」が取り上げられています。

 イブラヒム・ハジメは、1933年、英委任統治領パレスチナのアッコに生まれました。1948年、第一次中東戦争が勃発すると、一家はレバンン、ついでラタキアに難民として逃れました。

 ラタキアでのハジメは、独学で絵を学びながら、美術教師と簿記係をして生計をたてていましたが、1960-64年、ドイツ・ライプツィヒの視覚芸術アカデミーに留学。1974年以降は西ベルリンを拠点に活動し、在欧パレスチナ芸術協会のスポークスマンとしても活動しています。また、2007年以降、“パレスチナのための連帯の熊”と題して、国連の加盟国(当時)142ヵ国(当時)にちなんで、高さ2メートルの熊の像142ヵ体を展示する活動を行って注目を集めました。

 切手の題材となったアラブ連盟はアラブ世界の政治的な地域協力機構で、その構想は、第二次大戦中の1941年5月、アラブ諸国(委任統治下の自治政府等を含む)が枢軸側に就くことを避けるため、英外相アンソニー・イーデンが提案したのが最初です。当時の欧州戦線はドイツ軍に有利な戦況であったことから、アラブ側は様子見の構えで静観していましたが、連合国有利の戦況がほぼ確定した1943年2月になって英国が再提案すると、アラブ側がこれに反応し、具体化に向けて動き出すことになりました。

 ただし、連盟に対するアラブ諸国の思惑はさまざまで、まさに同床異夢の状況にありました。

 すなわち、アラブ随一の大国として、連盟設立の主導権を握っていたエジプトは、連盟はあくまでも国家間の緩やかな協力機構にするとの意向を持っていましたが、第一次大戦後のアラブ分割の結果として発足したトランスヨルダンシリアイラクの三国は、(現在の国名でいう)シリアからパレスチナにいたる“大シリア”を統合したうえで、他のアラブ諸国との連合を目指そうと考えていました。このうち、ハーシム家の王朝であるトランスヨルダンとイラクは、ハーシム家による君主制の下、統制の強い国家連合を想定していましたが、シリアは共和政体を主張していました。

 一方、キリスト教徒が人口の半数を占めるように設定されたレバノンは、アラブ諸国が統合されると、全体としてはマイノリティとなるキリスト教徒の権利が制約されることを恐れ、主権の移譲には絶対反対しており、サウジアラビアとイエメンは、そもそもアラブ連盟が実際に設立される可能性は低いと考えていました。

 結局、エジプトが中心となってともかくも各国の妥協をまとめ、加盟国に対するいかなる強制力も持たない緩やかな地域協力機構として、1945年3月22日のアレキサンドリア議定書調印によって、アラブ連盟が結成されます。

 こうした経緯から、アラブ連盟の本部はエジプトの首都カイロに置かれていました。しかし、1978年3月、キャンプ・デービッド合意でエジプトがイスラエルと単独で停戦し、両国が相互承認を行ったことから、エジプトは連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとして、1979年、エジプトは連盟を追放され、連盟の本部はテュニスに移転しました。その後、1990年にエジプトは連盟に復帰し、本部もカイロへ戻り、現在に至っています。

 なお、パレスチナをめぐるアラブ諸国の現代史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会があり間設楽、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 表紙の切手
2017-09-30 Sat 10:50
 きょう(30日)は、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーで取り上げた切手についてご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府・加刷切手

 これは、1995年にパレスチナ自治政府が発行したフィルス額面加刷切手のうち、岩のドームの1000ミリーム切手に1000フィルスの改値加刷を施した切手です。

 1994年5月にはカイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。これに伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、イスラエルの郵政機関が閉鎖され、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、パレスチナ自治政府としての独自の切手を発行すべく、PLO駐独代表のアブドゥッラー・フランギーが、ドイツ社会民主党の国会議員でアラブ諸国との関係が深く、かつ切手収集家でもあったハンス・ユルゲン・ヴィシュネウスキーと接触。その結果、ドイツの老舗切手エージェント、ゲオルグ・ロール・ナシュフ社のコーディネートの下、国有ドイツ連邦印刷会社が切手を製造することで話がまとまり、1994年夏、ベルリンで切手の製造が行われます。

 切手のデザインは、イェリコのヒシャーム宮殿(5、10、20ミリーム)、東エルサレムの聖墳墓教会(30、40、50、75ミリーム)、パレスチナ自治政府の国旗(125、150、250、300、500ミリーム)に加え、最高額面の1000ミリーム切手(今回ご紹介の切手です)には岩のドームが取り上げられた。

 パレスチナ自治政府がドイツから切手を受け取ったのは1994年10月以降のことで、各地の郵便局では、いつからこれらの切手が実際に販売されたのか、現在となっては正確なデータは残されていません。ちなみに、この切手の収集家向けの販売代理店となったゲオルグ・ロール・ナシュフ社は、1994年8月15日付の“初日カバー”を制作・販売していますが、この日付の時点では切手は実際にはパレスチナに到着していませんから、初日カバーに押されている消印の日付が“後押し”となっている点は注意が必要です。

 ところで、パレスチナ自治政府は、新切手の発行を、1948年の英委任統治終結以来、およそ半世紀ぶりの“パレスチナ切手”の復活と位置付け、英領時代の先例に倣い、切手の額面を“ミリーム”表記とします。

 一方、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”の第4条によると、自治政府の統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつも、ヨルダン川西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められることになっていました。ただし、パレスチナ自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はなかったため、イスラエル側は、1994年10月に登場した自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 このため、自治政府側は、パリ議定書で認められた通貨に対応すべく、ミリーム額面の切手に、ヨルダン・ディナールの補助通貨であるフィルス表示の額面を加刷した切手をあらためて発行。これにより、ようやく、パレスチナ自治政府の切手は、郵便料金の前納を示す正規の証紙として、世界的にも承認されることになりました。

 拙著の表紙では、無加刷切手の画像を使うことも考えたのですが、より歴史的な背景事情が反映されているものを選んだ方が良いと考え、あえて加刷切手を持ってきました。なお、表紙の下、帯に隠れてしまう部分にはオスマン帝国時代に発行された岩のドームの切手を置いてみたのですが、こちらについては、いずれ機会があればこのブログでもご紹介したいと思います。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は5日!★★

 10月5日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第9回が放送予定です。今回は、10月9日に没後50周年を迎えるチェ・ゲヴァラの切手にスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 敬老の日
2017-09-18 Mon 08:42
 きょう(18日)は“敬老の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ警察の日

 これは、2014年1月、パレスチナ自治政府(西岸のファタハ政府)が発行した“2013年 パレスチナ警察の日”の切手シートで、切手部分には、老女をサポートする警察官が取り上げられています。切手は、当初、2013年7月に発行の予定ですが、実際の発行は2014年1月までずれ込んでいます。なお、切手の製造はバハレーンのオリエンタル・セキュリティ・プリンティング・ソリューションが行いました。

 パレスチナ自治政府の警察機構は、1995年9月の暫定自治拡大合意に基づき、3万人を越えない範囲(西岸1万2000人、ガザ1万8000人)で“パレスチナ警察”が設置されたのが最初です。パレスチナ警察は、イスラエル当局と協力しつつ、テロに対処し、これを予防することになっていましたが、2000年9月に始まった第二次インティファーダを機に、イスラエル側との衝突により、特に西岸地区の警察関係機関は大きな打撃を受けました。

 2005年にパレスチナ自治政府の大統領に就任したマフムード・アッバースは就任後、治安組織の改革・強化として、同年4月、すべての治安機関を内務庁、国家治安部隊、総合諜報局の3機関に統合する決定を下すとともに、治安機関幹部の定年退職を実施し、人事の刷新を行いました。その後も、アッバース政権は米国の支援を受けつつ、治安組織の強化に取り組んでいます。

 切手シートの余白には、岩のドームを背景にパレスチナ国旗を掲げて行進する警察官が取り上げられていますが、現実には、岩のドームのある東エルサレムはイスラエルの統治下にあり、ファタハ政府の警察官がこうした場所を行進することはありません。しかし、ファタハ政府としては、今回ご紹介の切手シートを発行することにより、“エルサレムを首都とするパレスチナ国家”の治安は国際的に認められた正統政府としての自分たちが責任を持って守るという意思を示そうとしたものと考えられます。

 さて、先日でき上がってきたばかりの拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』では、2005年のアッバース政権発足後、パレスチナ自治政府が発行した切手についてもいろいろご紹介しております。奥付上の刊行は9月22日で、すでにネット書店での予約販売も始まっておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 *昨日、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、スタッフならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

      
 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★★ 

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 岩のドームの郵便学(51)
2017-06-11 Sun 10:48
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』646号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1994年のパレスチナ自治政府発足について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ自治政府最初の切手(岩のドーム)

 これは、1994年に発行されたパレスチナ自治政府最初の切手のうち、岩のドームを取り上げた1000ミリーム切手です。

 湾岸戦争後の1991年10月末、米国は崩壊間際のソ連と共同してスペインのマドリードで中東和平に関する国際会議を開催します。この会議は、全当事国が一堂に会したという点で中東紛争の歴史の中で画期的なもので、その後の和平プロセスの起点となりました。

 当初、イスラエルはこの会議への参加を渋っていましたが、米国が会議への協力がなければイスラエルの求めている債務保証の申し出を拒否すると圧力をかけたこともあり、最終的に会議に参加。PLOはイスラエルの拒絶にあい参加しませんでしたが、パレスチナ代表団はPLOの意を体したメンバーで構成されました。

 会議では、シリア、レバノン、ヨルダンの各国とイスラエルとの二国間交渉の枠組みと、水資源や難民問題、安全保障などの多国間問題についての共同会議設立が決定され、1991年12月以降、米ワシントンで二国間交渉が個別に行われます。

 当初、イスラエル側は和平に対する意欲に乏しく、占領地でのユダヤ人の入植を拡大し続けていましたが、1992年の総選挙で新たに労働党のイツハク・ラビン政権が誕生すると、和平交渉は進展する兆しが見られるようになりました。

 しかし、和平プロセスの進展に対しては、ヨルダン川西岸とガザ地区を完全な自国領とみなして占領地の返還を拒否するイスラエル国内の右派勢力と、パレスチナ全域からのイスラエルの撤退を主張するパレスチナの強硬派がともに激しく反対。特に、イスラム原理主義組織ハマースは各種のテロ活動を展開し、多くの犠牲者を出していました。

 ハマースの闘争に手を焼いたラビン政権は、1992年12月、ハマス関係者415名を一挙に国外追放処分にしましたが、この結果、米国が仲介する公式の和平交渉は完全に行き詰まってしまいます。

 一方、PLOは、湾岸戦争でイラクを支援したツケが響いて破産寸前の状態に追い込まれていました。

 すなわち、1990年の湾岸危機の時点で、すでに、冷戦時代にPLOを支援していた東側共産主義諸国の大半は崩壊していましたが、湾岸戦争を経て、サウジアラビアをはじめ湾岸諸国からの資金援助(年間約3億5000万ドルにも及んでいました)も打ち切られます。さらに、クウェートのパレスチナ人労働者は職を失い、彼らからPLOに納められる税収(PLOはクウェートで働くパレスチナ人から一定の「税収」を得ていた)もほぼ完全に途絶しました。

 経済的に追い詰められたPLOは、組織として急速に弱体化し、ラビン政権が発足した頃には、イスラエルとの対話路線を定着させる以外に存続のための選択肢は残されていませんでした。このため、もはやPLOはイスラエルにとっての脅威ではなくなっていたのですが、イスラエル側は、逆に、現状を放置すれば、PLOに代わってより過激なハマースがパレスチナ人の代表権を獲得するのではないかとの懸念を抱くようになりました。

 この結果、ハマースの勢力伸張は、イスラエルとPLO双方にとって共通の脅威となり、彼らは反ハマス連合として和解に到達するのです。

 かくして、イスラエルのラビン政権は、和平プロセスに関与しすぎた米国ではなく、ノルウェーのホルスト外相を通じてPLOと非公式に接触。1993年9月、イスラエルとPLOの相互承認とガザならびにイェリコ(ヨルダン川西岸地区の重要都市)でのパレスチナ人の自治を骨子とするオスロ合意がまとめられました。米国は、このオスロ合意を引き取るかたちで、ワシントンで合意の調印式を開催します。

 その後、1994年5月にはカイロでパレスチナ先行自治協定(PLOによる自治を開始するための具体的協定)が調印され、イェリコとガザで暫定自治が開始されました。

 暫定自治の開始に伴い、5月4日にはガザ地区で、5月9日にはイェリコで、イスラエルの郵政機関が閉鎖され、パレスチナ自治政府の郵政機関が発足します。ただし、当初はパレスチナ自治政府独自の切手は間に合わず、ガザ地区とイェリコでもイスラエルの切手がそのまま使用されていました。

 このため、パレスチナ自治政府としての独自の切手を発行すべく、PLO駐独代表のアブドゥッラー・フランギーが、ドイツ社会民主党の国会議員でアラブ諸国との関係が深く、かつ切手収集家でもあったハンス・ユルゲン・ヴィシュネウスキーと接触。その結果、ドイツの老舗切手エージェント、ゲオルグ・ロール・ナシュフ社のコーディネートの下、国有ドイツ連邦印刷会社が切手を製造することで話がまとまり、1994年夏、ベルリンで切手の製造が行われます。

 切手のデザインは、イェリコのヒシャーム宮殿(5、10、20ミリーム)、東エルサレムの聖墳墓教会(30、40、50、75ミリーム)、パレスチナ自治政府の国旗(125、150、250、300、500ミリーム)に加え、最高額面の1000ミリーム切手(今回ご紹介の切手です)には岩のドームが取り上げられた。

 パレスチナ自治政府がドイツから切手を受け取ったのは1994年10月以降のことで、各地の郵便局では、いつからこれらの切手が実際に販売されたのか、現在となっては正確なデータは残されていません。なおちなみに、この切手の収集家向けの販売代理店となったゲオルグ・ロール・ナシュフ社は、1994年8月15日付の“初日カバー”を制作・販売していますが、この日付の時点では切手は実際にはパレスチナに到着していませんから、初日カバーに押されている消印の日付が“後押し”となっている点は注意が必要です。

 ところで、パレスチナ自治政府は、新切手の発行を、1948年の英委任統治終結以来、およそ半世紀ぶりの“パレスチナ切手”の復活と位置付け、英領時代の先例に倣い、切手の額面を“ミリーム”表記とします。

 一方、1994年4月29日付でイスラエルとPLOが締結した“1994年パリ議定書”の第4条によると、自治政府の統治下の通貨は、イスラエルの通貨である新シェケルを基本としつつも、ヨルダン川西岸地区ではヨルダン・ディナール、ガザ地区ではエジプト・ポンドの使用が認められることになっていました。ただし、パレスチナ自治政府には独自通貨の発行権を認める規定はなかったため、イスラエル側は、1994年10月に登場した自治政府の切手の額面がミリーム表示になっていることに強く反発。イスラエル宛またはイスラエルを経由して海外へ逓送される郵便物に関しては、ミリーム額面の切手が貼られている場合は、料金未納扱いにすると自治政府に通告します。

 このため、自治政府側は、パリ議定書で認められた通貨に対応すべく、ミリーム額面の切手に、ヨルダン・ディナールの補助通貨であるフィルス表示の額面を加刷した切手をあらためて発行。これにより、ようやく、パレスチナ自治政府の切手は、郵便料金の前納をします世紀の証紙として、世界的にも承認されることになりました。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

 
 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は15日! ★★★ 

 6月15日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目が放送予定です。今回は、6月10日に開幕したばかりのアスタナ万博にちなんで、開催国のカザフスタンにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ヴァチカン、パレスチチナ国家承認へ
2015-05-14 Thu 20:28
 ヴァチカンは、きのう(13日)、パレスチナ自治政府との間で、“パレスチナ国家”の正式承認を盛り込んだ協定について最終合意したと発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       パレスチナ・教皇訪問(2014)

 これは、昨年(2014年)5月25日、パレスチナ自治政府が発行した教皇訪問の記念切手で、デザイン化された50の文字の0の中に、教皇フランシスコ、自治政府のアッバス大統領、コンスタンティノープル総主教バルトロメオ1世の3人の肖像が取り上げられています。

 教皇フランシスコは、2014年5月24-26日の3日間、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを歴訪しました。これは、1964年、当時の教皇パウロ6世による1964年の歴史的聖地訪問の50周年を記念するため計画されたもので、そのスケジュールは以下のようになっていました。

 24日:ヨルダンの首都アンマンに到着。王宮での歓迎式に続き、アブドゥッラー2世国王、政府要人らと会見後、アンマンの国際競技場でミサ。夕方、イエスが洗礼を受けたヨルダン川に行き、パウロ6世に倣い、水を祝別。ヨルダン川沿いのラテン典礼の教会で難民や障害者たちとも会見。

 25日午前:パレスチナのベツレヘムでアッバス大統領を訪問。聖誕教会前の広場でミサ。午後、フランシスコ会修道院付の巡礼者施設でパレスチナの家族らと昼食。聖誕教会で祈った後、難民キャンプで子どもたちと会見。

 25日午後:テルアビブ空港からイスラエルに入国し、エルサレムへ。ヴァチカン大使館でコンスタンティノポリス総主教バルトロメオス1世と会見後、聖墳墓教会で総主教と共に祈る。

 26日:エルサレムのグランド・ムフティに迎えられ、岩のドームを訪問。「嘆きの壁」での祈りの後、ホロコースト記念館を訪問。その後、大統領官邸でペレス大統領と、ノートルダム・エルサレム・センターでネタニヤフ首相と会見。夕方、ゲツセマネ教会で司祭や修道者を謁見し、最後の晩餐が行われたとされる場所でミサ。その後、テルアビブ経由で帰国。

 さて、ヴァチカンは、2000年、パレスチナ解放機構(PLO)との基本合意を調印しており、これまでも、パレスチナ自治政府とは事実上の外交関係を有していました。特に、2012年11月、国連総会がパレスチナ自治政府の地位を“オブザーバー機構”から“オブザーバー国家”に格上げし、国家として承認する決議を採択したことを受け、国家承認に向けた交渉を本格的に開始。その過程で行われた2014年のパレスチナ訪問に際して、教皇は「パレスチナ国家」の樹立を支持する立場を表明しました。

 今回の最終合意を受け、教皇は16日にヴァチカンでアッバス大統領と会談するとともに、翌17日には、オスマン帝国支配下のパレスチナで活動していた修道女2人を列聖する予定です。

 今回の協定は、ヴァチカン川にとっては、パレスチナにおけるカトリック教会の活動と信仰の自由を保障するのが目的で、ヴァチカンがイスラエルとパレスチナの「2国家」樹立による紛争解決を指示することも明記されています。欧米諸国などに対するヴァチカンの影響力は大きいですから、今後の国際社会の反応が注目されるところです。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

       日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | パレスチナ自治政府 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/