内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の国々:ローデシア
2016-02-24 Wed 11:06
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年2月24日号が先週、発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はローデシアの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ローデシア加刷

 これは、1909年、イギリス南アフリカ会社の切手に“ローデシア”と加刷して発行された切手です。

 1853年、イングランド生まれに生まれたセシル・ローズは、幼少期に南アフリカに渡り、英領ケープ植民地(現在の南アフリカ共和国南部)キンバリーのダイアモンドを掘り当てて得た資金をもとに、ダイアモンドの採掘権への投機を行ったり、採掘場への揚水ポンプの貸し出しで富を蓄積し、1880年、ロスチャイルド財閥の支援を受けてデ・ビアス鉱業会社を設立。同社はダイアモンド鉱山で大儲けをしますが、その後、トランスヴァール共和国(現在の南アフリカ共和国北部)の産金業にも進出します。

 豊富な資金力を背景に政界にも進出し、1884年、ケープ植民地政府の財務相になったローズは、アフリカ南部に大英帝国の広大な植民地を建設し、カイロ=ケープタウンの間を電信と鉄道で結ぶことを計画。1889年、ケープ植民地北方への進出を企図して英王室の勅許状を得て英国南アフリカ会社を設立しました。翌1890年、南アフリカ会社は遠征を開始し1894年までに南東アフリカ地域の広大な土地を支配下におさめます。同社が植民地経営を行った地域は、その創業者であるローズにちなみ、“ローデシア”と命名され、今回ご紹介のような加刷切手も発行されました。ちなみに、ローズは、トランスヴァール共和国への侵攻を企てたものの失敗し、1896年に失脚します。

 南アフリカ会社はローデシアでの鉱山開発を目指していましたが、思うように収益が上がらなかったため、農場中心の開拓と植民地経営に方針を転換。大規模な遠征隊が組織され、南ローデシアでは1923年までに12万平方km以上の土地が白人に分与されました。

 一方、南アフリカ会社はローデシアにおける植民地経営の一環として、鉄道建設等のインフラ整備に加え、ローデシアの防衛も担当していたため、膨大な赤字を抱えることになり、英本国の株主たちの不満を招きます。

 そこで、南アフリカ会社はローデシアの行政権を南アフリカ連邦(1910年発足の英自治領。現南アフリカ共和国)に移譲することで赤字を解消しようとしましたが、これに反発したローデシア南部の白人は、1923年、住民投票を行い、単独での自治政府樹立を決定。この結果、現在のジンバブエに相当する地域に英自治領としての南ローデシアが誕生しました。

 一方、残った北部地域(現在のザンビアに相当)も、翌1924年、イギリス政府へ移譲されて英領植民地としての北ローデシアが発足。南アフリカ会社は1万6000km2の土地と鉄道、鉱山を残して商業活動に専念することになりました。

 さて、『世界の切手コレクション』2月24日号の「世界の国々」では、今回ご紹介の切手のほか、第二次大戦後のローデシア内戦期の切手や郵便物、セシル・ローズの肖像やヴィクトリア瀧、バオバブの木、世界遺産のグレート・ジンバブエ遺跡の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は本日発売の3月2日号でのインドネシアの特集になります。こちらについては、3月2日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 奇跡のバンジーの舞台
2012-01-10 Tue 14:29
 AP通信などがきのう(9日)報じたところによると、アフリカ南部ザンビア・ジンバブエ国境にある世界三大瀑布のひとつ、ヴィクトリアの瀧の近くのヴィクトリア・フォールズ橋から、先月31日、オーストラリア人女性がバンジージャンプをしたところ、足に結びつけられたロープが切れて、ワニが生息するザンベジ川にそのまま落下したものの、女性は両足をロープで縛られたまま自力でジンバブエ側の川岸に泳ぎ着き、奇跡的に助かったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        南ローデシア・KGVI戴冠式

 これは、1937年に南ローデシアで発行された英国王ジョージ6世戴冠式の記念切手の1枚で、国王夫妻の肖像に挟まれる格好で、ヴィクトリアの瀧を背景に、前方にヴィクトリア・フォールズ橋を通る機関車が描かれています。

 現在のジンバブエとザンビアにあたる地域は、かつてローデシアと呼ばれていました。これは、1850年代にデイヴィッド・リヴィングストンが探検した地域を、ケープ植民地の首相であったセシル・ローズのイギリス南アフリカ会社が開拓したことから、ローズの名前にちなんでつけられた呼称です。
 
 イギリス南アフリカ会社はこの地域での鉱山開発を目指していましたが、思うように収益が上がらなかったため、農場中心の開拓と植民地経営にシフトしますが、業績は好転しませんでした。このため、1923年、白人の入植が進んでいた南ローデシア(現在のジンバブエに相当する地域)で白人のみの住民投票が行われて南ローデシア自治政府が発足。これを受けて、翌1924年には、現在のザンビアに相当する北ローデシアもイギリスの直轄植民地となりました。今回ご紹介の切手を発行したのは、このうちの南ローデシア自治政府です。

 切手に描かれているヴィクトリア・フォールズ橋は瀧のすぐ下流にあり、現在ではジンバブエとザンビアの国境になっています。切手には蒸気機関車が描かれていますが、もともと、この橋はセシル・ローズが立案したケープ=カイロ鉄道の一部として建設されたもので、イギリス人技師ラルフ・フリーマンの設計により1905年に完成しました。長さは250メートルで、水面からの高さは最大で128メートルあり、鉄道線路のほか、道路・歩行車道があります。

 今回の“奇跡”が起こったバンジージャンプは、この橋の上から111メートル下に飛び降りるというものですが、日本で刊行されている旅行ガイドにもしっかりと紹介されています。ちなみに、そのガイドブックには「もちろん、両足はロープでしっかりくくられているので、安心して跳べばいい」と書いてあるのですが…

* きょう(10日)のお昼過ぎ、カウンターが96万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『歴史読本』2月号で紹介されました。

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 独立前後のジンバブエ
2008-04-02 Wed 23:51
 アフリカ南部のジンバブエで先月29日に投票が行われた大統領選挙は、選管の公式発表はまだですが、野党・民主変革運動のモーガン・ツァンギライ議長が勝利宣言を行い、1980年の独立以来、27年ぶりに政権交代となる公算が強くなってきたようです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ジンバブエFFC

 これは、ローデシア時代最末期でジンバブエ正式独立直前の1980年4月2日、首都のソールズベリー(現ハラレ)からロンドン宛の初飛行カバー(FFC)です。

 現在のジンバブエの前身となる英領南ローデシアでは、1960年代から黒人による独立運動が行われていました。これに対して、少数の白人による支配体制の維持を主張する植民地政府首相イアン・スミスらは、国際世論の反対を押し切って、1965年、白人中心のローデシア共和国の独立を宣言。人種差別政策を推し進めていきます。

 当然のことながら、スミス政権に対しては黒人の抵抗運動が組織されましたが、ローデシア政府は国民民主党(NDP)の活動を禁止したのをはじめ、黒人による独立運動を徹底的に弾圧していきます。のちの大統領となるロバート・ムガベも、こうした独立運動の闘士で、1964年に逮捕されて10年間を獄中で過ごした後、1974年に釈放されると、中国の軍事支援を受けてジンバブエ・アフリカ民族解放軍(ZANLA)を結成し、ローデシア政府軍に対する武装闘争を展開。ローデシアは内戦状態に突入します。

 これに対して、アメリカの圧力を受けた南アフリカ大統領、バルタザール・フォルスターが内戦の調停に乗り出し、1978年3月3日、スミス政権と、アベル・ムゾレワ司教ら黒人穏健派指導者の間で停戦協定が調印されます。協定の結果、暫定政権樹立を準備するための議会選挙が実施されることになり、暴力を放棄した唯一の黒人政党・統一アフリカ民族会議(UANC)が勝利します。しかし、スミス政権はこの結果を認めず、居座りを図ったため、、1979年9月、イギリス政府の呼びかけで、ジンバブエ・ローデシアの全政党の参加によるランカスター・ハウス協定が調印され、100議席中、20議席を白人の固定枠とすることで合意が成立、1980年2月の総選挙を経て、1980年3月4日、ムガベが初代首相に就任。4月18日、黒人国家・ジンバブエが正式に独立しました。

 今回のカバーは、まさにローデシア→ジンバブエの過渡期にあたる4月2日に差し出されたものですが、4月18日の正式独立後も、このカバーに貼られているローデシア表示の切手はしばらく使われていたようです。
 
 このとき誕生したムガベ政権は、その後、実に27年の長きにわたってジンバブエを支配し続けてきたわけですが、長期政権の常として、近年は政権の腐敗が深刻化し、経済運営の失敗により国民生活は惨憺たる状況と伝えられています。それらを示すマテリアルというのもいくつか思いつくのですが、現時点ではあいにく入手できていません。いずれ、機会があれば手に入れて、ご紹介してみたいものです。
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