内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ファティマの聖母
2012-05-13 Sun 18:52
 きょう(13日)は“母の日”ですが、ことしは、“ファティマ聖母の行列の日”とも重なりました。というわけで、聖母も母のうちですから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ファティマ小型シート

 これは、1951年に発行された小型シートで、同年発行のポルトガル領インドの切手と、1948-49年に発行されたポルトガル植民地で発行されたファティマの記念切手8種が収められています。8種の切手の発行国は、カーボ・ヴェルデ(紺)、ポルトガル領ギニア(現ギニアビサウ、緑)、サン・トメ・エ・プリンシペ(紫)、アンゴラ、(青)、モザンビーク(淡青)、ポルトガル領インド(濃緑)、マカオ(赤)、ティモール(現東ティモール、灰青)です。なお、シート中央下部の肖像は、シート発行時のローマ教皇、ピウス12世です。

 1917年5月13日、ポルトガル中央部、サンタレン県オウレン市の農村、ファティマで、10歳のルシアと従弟で9歳のフランシスコ、8歳のジャシンタの3人の純朴で信心深い子供が、羊たちの面倒を見ていた遊牧地で、昼食を終え、ロザリオ(聖母マリアに霊的なバラの冠を捧げるために繰り返される祈りの言葉)を唱えていました。そこへ、突如聖母マリアが現れ、みずからを“ロザリオの聖母”と名乗り、 罪人の改心と世界の平和のために毎日ロザリオを祈ること、すべての困難と苦しみを犠牲として神に捧げることを子供たちに願うとともに、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じました。ルシアは急いで両親にその出来事を報告。両親も最初は信じなかったのですが、噂が広がり、ファティマには大勢の参拝客が訪れるようになります。

 聖母は3度目の出現となる7月13日、最後の出現となる10月13日に奇跡を起こすことを約束。はたして、10月13日には 7万人もの人々が見守る中、太陽が色や大きさを変えて激しく回転するような動きを見せ、人々はファティマの奇跡を信じるようになったそうです。

 聖母は5月13日から10月13日までの6回の出現に際して、さまざまな予言を残しました。その内容には、第1次世界大戦の終結やロシア帝国の崩壊と共産主義の台頭、核兵器の使用やローマ教皇の暗殺事件などが含まれていたといわれています。

 その後、カトリック教会は聖母の出現を公認し、5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされるようになりました。ちなみに、3人の子供のうちのジャシンタとフランシスコは1919年から1920年にかけて流行の病で相次いで亡くなりましたが、その後、調査のために墓が開かれた際、ジャシンタの遺体の顔の部分は腐敗していなかったといわれています。一方、残されたルシアは修道女となり、2005年2月13日に97歳で亡くなりました。

 このエピソードにちなみ、毎年、マカオでは“ファティマ聖母の行列(花地瑪聖母像巡禮)”として、聖職者が祈祷をあげるなか、白い装束に身を包んだ女性達によって聖母の像が掲げられ、ロザリオの聖母を祀った聖ドミニコ教会から、南灣大馬路へ出て、ペンニャ教会(西望洋聖堂)までパレードするというイベントが行われます。

 なお、マカオのお祭りとしての“ファティマ聖母の行列”については、拙著『マカオ紀行』でもパレードを撮影した写真を交えてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 世界漫郵記:カッパド
2011-12-29 Thu 23:18
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2012年1月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、今回から、インド西海岸篇に突入です。今回はその初回ということで、ヴァスコ・ダ・ガマが到着したカッパド(カリカット近郊)を取り上げましたが、その記事の中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        ガマ400年試刷

 これは、1898年にポルトガルとその植民地でオムニバス形式で発行された“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海400年”の記念切手のうち、船団のカリカット到着を描いた5レイス切手の試刷シートです。“ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海400年”の記念切手は、ポルトガルとその植民地がそれぞれ共通の図案で発行しましたが、今回ご紹介のマテリアルは、切手制作の過程で本国と各植民地の切手を1シートにまとめたもので(それぞれ国名表示の部分が異なっています)、実際に発行された切手とは刷色も異なっています。インド西海岸篇の初回ということもあるので、ちょっと気合の入ったマテリアルとして今秋のオークションで入手しました。

 さて、中学や高校の教科書では「1498年 ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに到達」という記述がゴシックの太文字で印刷されています。たしかに、この年、ガマ(本来はダ・ガマと書くべきでしょうが、日本語ではガマと書かれるケースの方が多いようなので、慣例に従いました)はカリカットに上陸しているのですが、厳密に言うと、彼が最初にインドに到達した場所は、現在のカリカット市内ではなく、郊外のカッパドでした。

 すなわち、1497年7月8日、ポルトガル王マヌエル1世の命を受けてリスボンを出航したガマひきいる4隻の船団は、同年11月22日、喜望峰を通過し、モザンビーク島に到達。当時のインド洋貿易はアラブ系が牛耳っていたこともあり、ガマはここで水先案内人としてイブン・マージドを雇い入れてインドを目指しました。

 一行がインド南西のマラバル海岸に接近し、地元の船乗りたちの公開の目標となっていたデリ山を目にしたのは1498年5月17日。ここから南下すれば目的地のカリカットは至近距離にありました。

 ところが、水先案内が誘導を間違い、5月20日、船はカリカットよりも北方のカプア(カッパド)で停泊したため、ここが船団のインド到達の地となりました。ちなみに、一行がカリカット沖に移動するのは、22日のことです。

 今回の連載では、今後、インド西海岸のカリカット(コーリコード)、コーチン(コーチ)、ゴアの風物と関連のマテリアルを順次ご紹介していく予定です。最終的には、今年の『ハバロフスク』同様、連載の記事に大幅加筆して“切手紀行シリーズ”の1冊としてまとめることを目標としておりますので、よろしくお付き合いいただけると幸いです。
 

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