内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 インドネシア新大統領決定
2014-07-23 Wed 23:19
 インドネシアの選挙管理委員会は、きのう(22日)夜、今月9日に投開票が行われた大統領選の公式結果として、ジャカルタ特別州知事で闘争民主党のジョコ・ウィドド候補が、得票率53.15%で当選したことを発表しました。というわけで、ジャカルタがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アチェ戦争・葉書

 これは、いわゆるアチェ戦争中の1881年、現地に設置されたオランダ軍の野戦郵便局からバタヴィア(現ジャカルタ)宛に差し出された葉書で、“VELDPOSTK.ATJEH(野戦郵便局・アチェ)”と表示された消印が押されています。

  1819年、英国東インド会社のトマス・ラッフルズがシンガポールを拠点として確保すると、オランダはこれに猛反発。このため、1824年、いわゆる英蘭協定が成立し、マラッカの利権と北アチェでの平等な交易権を英国に保証するのと引き換えに、スマトラ島におけるオランダの支配権が認められることになります。ただし、この段階でも、アチェ王国の独立は一応保障されていました。

 ところが、オランダの支配がスマトラ島を北上していくとともに、スエズ運河が開通してアチェ沖が国際航路として重要性を増すようになると、1871年、英国はフランスやドイツの介入を防ぐための次善の策としてオランダに対してアチェにおける“行動の自由”を承認。これを受けて、1873年3月、オランダはアチェ王国に対する侵攻を開始します。

 いわゆるアチェ戦争の勃発です。

 当初、在地のウレーバラン(地方領主)はスルターンのマフムード・シャーの下に団結し、1873年4月にはいったんオランダ軍を撃退します。ところが、同年12月にオランダが再侵攻し、激戦の末に首都クタ・ラジャ(現バンダ・アチェ)が陥落。このため、マフムード・シャーはクタ・ラジャを脱して山間部に撤退したましが、翌1874年1月、コレラに罹って亡くなりました。

 その後も、アチェ側は新スルターンとしてムハンマド・ダウト・シャーを擁立して抵抗を続けますが、戦況は次第に不利になっていき、1878年までに、オランダはアチェの主要都市をほぼ制圧します。

 これに対して、1880年代以降もチック・ディ・ティロら徹底抗戦を主張するウラマー(もともとは“知識ある者たち”を意味するアラビア語で、イスラム諸学に通じた学者・知識人ないしはその集団を指す。実態としては、いわゆるイスラム法学者とほぼ同義)は農民を動員してゲリラ戦を展開。これにテウク・ウマルら新興領主も加わってことで、クタ・ラジャ周辺の防御線の外側には、なかなかオランダの統制が及ばない状況が続きました。

 1890年代に入ると、オランダはウレーバランを懐柔してウラマーの封じ込めに乗り出し、1903年にスルターンと抵抗派の領主を降伏させ、アチェ王国は事実上滅亡します。ただし、その後もスルターンは退位せず(1907年に没)、ウラマーの一部は、今回ご紹介の葉書のように、ゲリラ戦による抵抗活動を継続。最終的にオランダが彼らの組織的抵抗を鎮圧したのは、1912年のことでした。

 なお、このあたりの事情については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
      
        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

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      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
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 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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 飛行機の日
2013-12-17 Tue 14:27
 きょう(17日)は、1903年12月13日に米ノースカロライナ州のキティホークでライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功したことにちなんで、“飛行機の日”だそうです。というわけで、飛行機ネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       航空便宣伝印つきステーショナリー(蘭印)

 これは、1934年4月27日、オランダ領東インド(蘭印)のバタヴィア(現ジャカルタ)からスマトラ島パレンバン近郊のプラージュ宛に差し出された切手つき封筒で、左上には「あなたの荷物も航空便で」との宣伝の印が押されています。印の中に入っている飛行機のイラストが、当時の雰囲気をよくあらわしていていい感じです。

  蘭印の航空事業は、1928年7月16日、現地のオランダ人投資家らにより、オランダ領インド航空(KNILM :Koninklijke Nederlandsch-Indische Luchtvaart Maatschappij)が設立されたことで本格的なスタートを切りました。KNILMは、同年11月1日、バタヴィア(現ジャカルタ)をハブに、バタヴィア=バンドン間、バタヴィア=スマラン間の運航を開始。その後、順次、パレンバン、メダン、スラバヤ、デンパサール、バルクパパン、マカッサル、アンボン、バンジャルマシンなどの国内線に加え、シンガポールやオーストラリアのシドニー、フランス領インドシナのサイゴンなど海外へも路線網を拡大していきました。ただし、KNILMには蘭印とオランダ本国を往復する便を運航する能力がなかったため、シンガポールまで行き、そこから本国のフラッグ・キャリアであるKLMオランダ航空の路線に接続するという方法が取られています。

 その後、いわゆる太平洋戦争が始まり、日本軍が蘭印全域を占領するとKNILMは活動を停止せざるを得なくなりましたが、戦後のオランダ再上陸に伴い、KNILMの活動も再開されます。しかし、インドネシア独立戦争の余波で1947年8月1日には再び運航停止となり、KLMが業務を引き継ぐことになりました。そのKLMもインドネシア独立戦争でのオランダの敗退に伴い、1949年12月27日には完全撤退を余儀なくされ、その後は、インドネシアのフラッグ・キャリアであるガルーダ・インドネシア航空がその路線網を引き継いでいます。

 一方、カバーの宛先になっているプラージュのBPM(=Bataafsche Petroleum Maatstchappij、バターフセ石油会社)は、蘭印での油田開発や製油所の操業・管理、製品販売の実務を担当するため、ロイヤル・ダッチ・シェルが設立した会社です。

 BPMは、1911年、オランダ系のドルチェ・ペトロリアム社を吸収合併し、ドルチェ社がジャワ島で操業していたウォノクロモ製油所(スラバヤ近郊)ならびにチェプー製油所(中部ジャワ)を引き継いだほか、1920年にはスマトラ東海岸中部のジャンビ地方の開発権益を得て、蘭印政庁と50:50の比率で蘭印ペトロリアム会社(NIAM:Nederlans Indische Aardolie Maatschappij)を設立。NIAMの経営はBPMが実質的に取り仕切り、1935年には、ジャンビで採掘された原油をプラージュの製油所に送るパイプラインを敷設しました。

 最終的に、BPMは、パンカラン・ブランダン製油所とランタウやパンカランススなどの周辺油田、系列会社のNIAMが保持するジャンビ油田、プラージュ製油所とパレンバン周辺の油田、中部ジャワのチェプー製油所とカウェンガン、ヌグロボ、レドック、スマンギ等の油田、スラバヤ近郊のウォノクロモ製油所と周辺油田、東ボルネオのバリクパパン製油所と周辺のサンボジャ、サンガサンガ、ムアラ・バダック等の油田を経営し、蘭印における最大の石油企業となっています。

 このあたりの事情については、拙著『蘭印戦跡紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 開戦当時の蘭印切手
2013-12-08 Sun 06:59
 きょう(8日)は“真珠湾”の日です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       蘭印・コルフ印刷(無目打)

 これは、1941年に発行されたオランダ領東インド(蘭印)の5セント切手の無目打ブロックです。

 第二次大戦が勃発すると、オランダは中立を宣言しましたが、1940年5月、ナチス・ドイツはこれを無視してオランダ領内に侵攻し、オランダ全土を占領してしまいます。これに伴い、ウィルヘルミナ女王はロンドンに亡命し、かの地に亡命政権を樹立しました。

 本国の占領に伴い、本国製の切手が調達できなくなった蘭印では、1941年、民俗舞踊を題材としたコルフ(現地の印刷会社)製の切手を発行して急場をしのいでいましたが、同年末、日本との戦争が勃発。翌1942年には日本軍が蘭印全域を占領したことで、占領切手の時代が始まることになります。

 今回ご紹介の切手は、耳紙に、“印刷”を意味するオランダ語の“drukken”の文字と1942年2月5日の日付の書き込みがありますので、1941年12月の開戦後、日本占領までの期間に製造されたモノと思われます。なお、郵便局の窓口で販売された正規の切手にはちゃんと目打がありますが、今回ご紹介のモノは、占領前後のどさくさに紛れて、目打の穿孔作業の前に印刷所から持ち出されたモノでしょう。

 ちなみに、日本占領下の蘭印については、拙著『蘭印戦跡紀行』でもいろいろと書いておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

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 ブラジルへ行ってきます!
2013-11-16 Sat 00:02
       アチェ戦争・オランダ軍

 私事で恐縮ですが、ブラジル・リオデジャネイロで開催される世界切手展<Brasiliana 2013>にコミッショナー兼審査員見習いとして参加するために出国すべく、現在、羽田空港にいます。きょうはこの後1時半に羽田を発ち、経由地のドバイへ向かい、1泊後、現地時間の17日、リオデジャネイロ入りするという段取りです。 展覧会の会期は19日から25日(現地時間)なのですが、作品を搬入しなければなりませんので、主催者側指定の17日に入国すべく、今日の出発となりました。なお、展覧会終了後は現地取材の仕事がありますので、帰国は12月1日未明の予定です。

 今回の旅行期間中も、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただ、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。
       
 さて、冒頭に掲げた画像(クリックで拡大されます)は、アチェ戦争時、負傷兵を搬送するオランダ軍のキャラバン隊を取り上げた1910年頃の絵葉書で、拙著『蘭印戦跡紀行』でもご紹介した1枚です。今回のブラジル行きは、ジャングルの中の行軍に比べればたしかに快適な道中ではありましょうが、日本人出品者の皆さんの貴重なコレクションを無事に搬入し、無事に持ち帰るという点では、名誉の負傷兵を運ぶのと同様の慎重さが求められることには変わりないわけで、気合を入れて頑張っていきたいと思います。

 では、行って参ります!


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 世界郵便デー
2013-10-09 Wed 22:25
 きょう(9日)は、万国郵便連合(UPU)の創立記念日にちなんで“世界郵便デー”です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       インドネシア・UPU75年

 これは、1949年10月1日に“インドネシア”名義で発行されたUPU創立75周年の記念切手で、地球とUPU本部の所在地であるスイス・ベルン市の紋章を組み合わせたデザインとなっています。

 1947年、第2次大戦後最初のUPU大会議がパリで開催され、加盟各国は1949年のUPU創立75年にあわせて記念切手を発行するよう、申し合わせがなされました。この結果、1949年5月16日のスイスを皮切りに、100を超える加盟国から続々と記念切手が発行されています。

 現在のインドネシア共和国の前身にあたるオランダ領東インド(蘭印)がUPUに加盟したのは1877年5月1日のことで、以後、第二次大戦で蘭印が日本軍によって占領されるまでは蘭印郵政がこの地域の郵政を代表してUPUに加盟していました。

 1945年8月15日、日本が降伏すると、2日後の8月17日、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは、オランダ軍が再上陸してくる前に、機先を制してインドネシア共和国の独立を宣言。これを認めないオランダとの間に熾烈な独立戦争が勃発します。

 独立戦争の時代、共和国側は自らの独自の切手を発行していましたが、国際的には、依然としてインドネシア共和国ではなく蘭印郵政がインドネシア地域を代表する郵政機関として認知されていました。

 その後、独立戦争の過程で、1948年1月17日、ジャカルタ沖に停泊する米国軍艦レンヴィル艦上で停戦協定が調印されます。この協定は、共和国の領土をジャワ島の中部と西端部、マドゥラ島に限定するもので、蘭印全体の独立を目指す共和国側にとっては承服しがたいものではありましたが、ともかくも、国際的に“インドネシア共和国”の存在が認められる端緒にはなりました。ただし、同年12月11日、オランダは和平会談決裂を宣言し、同19日から共和国領内への全面攻勢を開始し、インドネシア独立戦争は継続されることになります。

 ちなみに、今回ご紹介の“インドネシア”名義の切手が発行される直前の1949年8月23日から、ハーグではインドネシア独立に関する円卓会議が開催され、切手発行後の10月13日に両者の協定が成立。12月6-8日のオランダ議会でインドネシア独立が可決されました。ちなみに、インドネシア側では、戦乱の中で1947年初頭以来、議会が開催されていませんでしたので議員の招集に手間取り、14日になってようやく、オランダとの独立協定が承認されています。

 なお、拙著『蘭印戦跡紀行』では、インドネシア独立戦争と当時の切手や郵便物についてもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 空の日
2013-09-20 Fri 10:35
 きょう(20日)は“空の日”です。というわけで、飛行機ネタの中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       パレンバン初期航空便

 これは、1929年10月15日、オランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)時代のスマトラ島・パレンバンからジャワ島中部のボヨラリ宛に差し出された葉書で、パレンバンからバンドンまでは航空便で、そこから先は陸路で運ばれています。

 蘭印の航空事業は、1928年7月16日、現地のオランダ人投資家らにより、オランダ領インド航空(KNILM :Koninklijke Nederlandsch-Indische Luchtvaart Maatschappij)が設立されたことで本格的なスタートを切りました。これに伴い、早くも同年9月20日には、当時の普通切手に“航空郵便”を意味するオランダ語の“LUCHTPOST”の文字と飛行機の絵、それに、新額面を加刷した航空切手も発行されています。今回ご紹介の葉書にも、右上にその航空切手のうちの10セント切手が貼られています。

 KNILMは、同年11月1日、バタヴィア(現ジャカルタ)をハブに、バタヴィア=バンドン間、バタヴィア=スマラン間の運航を開始。その後、順次、パレンバン、メダン、スラバヤ、デンパサール、バルクパパン、マカッサル、アンボン、バンジャルマシンなどの国内線に加え、シンガポールやオーストラリアのシドニー、フランス領インドシナのサイゴンなど海外へも路線網を拡大していきました。ただし、KNILMには蘭印とオランダ本国を往復する便を運航する能力がなかったため、シンガポールまで行き、そこから本国のフラッグ・キャリアであるKLMオランダ航空の路線に接続するという方法が取られています。

 その後、いわゆる太平洋戦争が始まり、日本軍が蘭印全域を占領するとKNILMは活動を停止せざるを得なくなりましたが、戦後のオランダ再上陸に伴い、KNILMの活動も再開されます。しかし、インドネシア独立戦争の余波で1947年8月1日には再び運航停止となり、KLMが業務を引き継ぐことになりました。そのKLMもインドネシア独立戦争でのオランダの敗退に伴い、1949年12月27日には完全撤退を余儀なくされ、その後は、インドネシアのフラッグ・キャリアであるガルーダ・インドネシア航空がその路線網を引き継いでいます。

 なお、蘭印初期の航空便については、拙著『蘭印戦跡紀行』でも少しご紹介しておりますので、機会がありましたら、是非ご覧いただけると幸いです。 


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 世界漫郵記:アンペナン
2013-08-06 Tue 11:33
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年8月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」の“蘭印戦跡めぐり”は今回が最終回です。今回は〆として太陽加刷切手で有名なロンボク島のアンペナンにスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

       ロンボク・はがき

 これは、オランダ領時代の1894年にロンボクからスマラン宛に差し出された葉書です。

 もともと、ロンボク島にはササク人が住んでいましたが、17世紀に入ると、島の西部はバリ人の、東部はスラウェシ(セレベス)のマカッサル人の支配下に入り、18世紀中ごろまでにはバリ人がマカッサル人を駆逐して全島を支配するようになっていました。

 ロンボク西部はバリに隣接していることもあって、バリとの交流も盛んだったことから、バリ人の支配者とササク人は比較的良好な関係にありましたが、東部ではバリ人に対する反感が根強く、しばしば反バリ人の反乱も起きています。

 1891年、バリ島内での抗争の余波で、ロンボクのバリ人支配者であったアナック・アグン・グデ・ヌグラ・カランガスンがササク人に対して数千人の兵士を提供するよう求めたところ、ロンボク東部で反バリの反乱が発生。このため、バリのカランガスン王朝はロンボクに1万を超える大軍を送り込み、バリ人とササク人の間で激しい戦闘が行われました。

 ロンボクでの反乱が起きる以前から、オランダはバリ島への進出を加速させており、すでに、1846年には、前年(1845年)に島内のブレレン王とカランガスン王が同盟を結んでオランダに対決する姿勢を見せたため、難破船の引き上げを口実に、バリ北部に軍隊を上陸させ、ブレレンとジュンブラナを制圧。その後もバリを攻撃し、1849年、バリ北部を制圧しシンガラジャに植民地政庁を設置するなど、バリの植民地化を進めていました。ちなみに、オランダがバリ島を完全に制圧したのは、1908年のことです。

 こうした背景を踏まえて、1894年2月、ロンボクのササク人はバリ人と戦うため、“敵の敵”であるオランダに支援を要請。これを受けて、バリ以東への進出を進めていたオランダはササク人を支援してバリ人を制圧することを決定し、シンガポールからバリ側への武器の輸入をストップさせます。

 しかし、武器の禁輸措置は徹底されず、マタラムのバリ人はオランダの降伏勧告を受け入れなかったため、1894年7月、オランダはマタラムに出兵しました。

 今回ご紹介の葉書は、1894年8月3日、こうした戦闘の時期にロンボクからジャワ島のスマラン宛に差し出された葉書で、8月25日にスラバヤに経由して、翌26日、宛先地のスマランに届けられています。スラバヤ=スマラン間は1日で運ばれていることから考えると、通常なら、ロンボク=スラバヤ間は3-4日もあれば十分なのでしょうが、それにもかかわらず、ロンボクからスラバヤまで10日以上かかっています。戦闘の影響でアンペナンの港を出るのが遅れたからということなのかもしれません。また、葉書に押されている消印の表示は“ロンボク”となっていますが、これは、現在のアンペナン中央郵便局です。当時は島内には郵便局が1ヶ所しかありませんでした。

 さて、オランダ=ササク連合軍に対して、マタラムのバリ人は激しく抵抗し、8月25日に行われたタマン・マユラの攻防戦では、連合軍側に500名を超える戦死者が生じ、P.P.H.ファン・ハム将軍も捕えられて処刑されました。その後、オランダ軍はいったん撤退し、兵員・装備を増強したうえで11月にマタラムを再攻撃。同月末までにバリ人側勢力を殲滅し、ロンボク全島を制圧して、オランダ領東インドに編入しました。

 なお、ロンボク島の中心都市であるアンペナンについては、拙著『蘭印戦跡紀行』でも1章を設けて降りますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 アチェのジャングルに潜む
2013-07-09 Tue 10:07
 インドネシア・スマトラ島アチェのグヌン・レウセル国立公園で、スマトラトラに追われて木の上に逃げていた男性5人が5日ぶりに救助されました。というわけで、現在制作中の拙著『蘭印歴史紀行』(仮)のなかから、アチェのジャングルに関係するモノは何かないかと探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

       ジャングルのアチェ兵

 これは、いわゆるアチェ戦争末期の、オランダ軍に抵抗してジャングルで戦っていたアチェ兵(写真はおそらく投降した時に撮影されたものでしょう)を取り上げた1910年の絵葉書です。

 1819年、英国東インド会社のトマス・ラッフルズがシンガポールを拠点として確保すると、オランダはこれに猛反発。このため、1824年、いわゆる英蘭協定が成立し、マラッカの利権と北アチェでの平等な交易権を英国に保証するのと引き換えに、スマトラ島におけるオランダの支配権が認められることになります。ただし、この段階でも、アチェ王国の独立は一応保障されていました。

 ところが、オランダの支配がスマトラ島を北上していくとともに、スエズ運河が開通してアチェ沖が国際航路として重要性を増すようになると、1871年、英国はフランスやドイツの介入を防ぐための次善の策としてオランダに対してアチェにおける“行動の自由”を承認。これを受けて、1873年3月、オランダはアチェ王国に対する侵攻を開始します。

 いわゆるアチェ戦争の勃発です。

 当初、在地のウレーバラン(地方領主)はスルターンのマフムード・シャーの下に団結し、1873年4月にはいったんオランダ軍を撃退します。ところが、同年12月にオランダが再侵攻し、激戦の末に首都クタ・ラジャ(現バンダ・アチェ)が陥落。このため、マフムード・シャーはクタ・ラジャを脱して山間部に撤退したましが、翌1874年1月、コレラに罹って亡くなりました。

 その後も、アチェ側は新スルターンとしてムハンマド・ダウト・シャーを擁立して抵抗を続けますが、戦況は次第に不利になっていき、1878年までに、オランダはアチェの主要都市をほぼ制圧します。

 これに対して、1880年代以降もチック・ディ・ティロら徹底抗戦を主張するウラマー(もともとは“知識ある者たち”を意味するアラビア語で、イスラム諸学に通じた学者・知識人ないしはその集団を指す。実態としては、いわゆるイスラム法学者とほぼ同義)は農民を動員してゲリラ戦を展開。これにテウク・ウマルら新興領主も加わってことで、クタ・ラジャ周辺の防御線の外側には、なかなかオランダの統制が及ばない状況が続きました。

 1890年代に入ると、オランダはウレーバランを懐柔してウラマーの封じ込めに乗り出し、1903年にスルターンと抵抗派の領主を降伏させ、アチェ王国は事実上滅亡します。ただし、その後もスルターンは退位せず(1907年に没)、ウラマーの一部は、今回ご紹介の葉書のように、ゲリラ戦による抵抗活動を継続。最終的にオランダが彼らの組織的抵抗を鎮圧したのは、1912年のことでした。

 さて、今回の事件ですが、地元の男性6人が希少な香木を求めて今月2日に国立公園の敷地内に入り(これはこれでまずいんじゃないかと思いますが…)、食事用のシカを獲る罠を仕掛けたところ、4日になって、誤ってトラの子供が罠にかかって死んでいたそうです。そこで、これに怒ったトラ数頭が男性たちを襲い、28歳の男性1人が死亡。残る5人は木の上に逃れていましたが、地元住民から連絡を受けた景観・兵士からなる30人の救助隊が6日、現場に向けて出発し、このほどようやく救助されたそうです。

 まぁ、現場は、国立公園の敷地内で昔からの自然環境が残っている場所でしょうから、おそらく、今回ご紹介の絵葉書の背景にあるような風景の中を皆さん、進んでいったのでしょうね。

 なお、現在、夏の終戦商戦にあわせて、8月上旬の刊行を目指している『蘭印戦跡紀行(仮)』ですが、今週中にも表紙カバーの最終デザインを決める予定です。正式なタイトルや発売日、定価などが確定しましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、よろしくお願いします。


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 世界漫郵記:ジョグジャカルタ
2013-04-30 Tue 09:46
 ご報告が遅くなりましたが、『キュリオマガジン』2013年5月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、前回に引き続き、“蘭印戦跡めぐり”の3回目。今回はジャワ中部の古都、ジョグジャカルタにスポットを当てました。その記事で使ったモノの中から、この切手をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ジョグジャカルタ中郵(1920年代)     ジョグジャカルタ中郵(2012年)

 画像はいずれもジョグジャカルタの中央郵便局で、左は1920年代の絵葉書、右は2012年に撮影した写真です。多少の改修などはあるのでしょうが、基本的に、現在でもオランダ植民地時代の瀟洒な作りの建物が使用されていることがわかります。

 ジャワ島中部のジョグジャカルタは、インドネシアの古都として、バティックやワヤン・クリ(人形の影絵芝居)など、ジャワを代表する伝統文化の地として知られています。

 もともと、ジョグジャカルタとその周辺はマタラムと呼ばれており、8世紀にはヒンドゥー系の古マタラム王国が勃興しました。その後、王国は東へ移り、16世紀後半、こんどはイスラム系のマタラム王国が勃興しましたが、18世紀、マタラム王国はオランダの保護下に入ってジョグジャカルタ王国とスラカルタ王国に分割されました。オランダの植民地時代は独立運動の中心地のひとつとなり、第二次大戦後の独立戦争の時代には、1945年から49年にかけて、インドネシア臨時共和国の首都ともなりました。

 インドネシア独立戦争に際して、ジョグジャカルタのスルタン(地方君主)、ハメンクブウォノ9世は独立戦争に協力したため、インドネシア共和国の正式独立後も、特別行政地域としてスルタン領の存続を認められ、その領土は“ジョグジャカルタ特別州”として、スルタンが知事を務めることになっています。ちなみに、長年にわたって独裁者として君臨したスハルト元大統領もジョグジャカルタの出身です。

 さて、ジョグジャカルタの中央郵便局は、市街地の南北を貫くメインストリートの南端に位置しており、周辺には、オランダ時代の行政府で現在は迎賓館として使われている建物や、オランダ時代のフレデブルク要塞の跡を利用した歴史博物館などがあります。ちなみに、迎賓館の近くには、ジョグジャカルタ特別州と京都府の姉妹都市関係のシンボルとして、こんな“ゲート”もありました。

        ジョグジャカルタ・鳥居

 現在でも時々「神道や日の丸は侵略のシンボルでアジアの人たちは不愉快に思っている」などと言う人がいますが、それなら、ジョグジャカルタの中心部に、独立国家インドネシアの人々が自らの意志で建てた鳥居(しかも両国の国旗つき)については、どのように説明するんでしょうかねぇ。まぁ、彼らの言う“アジア”にインドネシアが入らないというのなら、それまでですが。

 さて、今回の記事は、大東亜戦争の時代、日本軍がソロ通りを西進し、市街地北端に建てられたトゥグの塔を曲がってマリオボロ通りを南へ進み、オランダの行政府へと入城したという故事にちなみ、マリオボロ通りを歩いてみた体験を中心に、ワヤン・クリの鑑賞記なども交えた構成になっています。ぜひご覧いただけると幸いです。


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 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 今夜、ジャカルタを発ちます
2012-06-29 Fri 10:14
 早いもので、今回のインドネシア滞在もきょうが最終日となりました。というわけで、“ジャカルタ発”にちなみ、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        バタヴィア=メルボルン航空開始

 これは、1931年4月1日、オランダ領東インド(現インドネシア)で発行されたジャワ=オーストラリア間の航空郵便用の切手です。今年(2012年)の世界展は今回の<INDONESIA 2012>だけで、次回の世界展は来年5月のメルボルンになりますから、切手展に合わせてのインドネシア滞在を締めくくるにあたって、“ジャカルタからメルボルンへ”という1枚としてご紹介します。

 1930年9月25日、当時としては最長区間となるアムステルダム=バタヴィア(現ジャカルタ)間の定期航空郵便路を開設したKLMは、ロンドン=マラヤ線を運航するなど、欧亜間の航空郵便の主軸を担っていました。

 その一環として、1931年、アムステルダム=オーストラリア線に加えて、バタヴィア=メルボルン間の試験飛行を行いました。この時の飛行に使われた飛行機はアベル・タスマン号で、4月30日にアムステルダムを出発し、5月9日にバタヴィアに到着。バタヴィア=メルボルン間の飛行は5月11日から19日にかけて行われました。また、この時の飛行に際しては、ロンドン発の郵便物も受け付けられて4月29日にアムステルダムに持ち込まれています。ちなみに、ロンドンからオーストラリアならびにニュージーランド宛の料金は2シリング6ペンスで、ニュージーランド宛の郵便物については、5月18日にシドニーで飛行機から降ろされ、そこから先は船で運ばれました。なお、復路の日程は、5月22日にメルボルンを発ち、27日にバタヴィアに到着。アムステルダムへの到着は6月6日でした。

 さて、僕の方は、現地時間22時05分の飛行機でジャカルタを発ち、途中、韓国・仁川を経由して明日(30日)午前11時30分に成田に到着の予定です。留守中、ご不便をおかけした皆様には、もうしばらく、ご猶予をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

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 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。なお、『우표,역사를 부치다(切手、歴史を送る)』につきましては、7月以降、このブログでも刊行のご挨拶を申し上げる予定です。


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