内藤陽介 Yosuke NAITO
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 中国の警察が“年賀状”作戦
2011-12-21 Wed 23:54
 中国河南省・洛陽市の吉利区公安分局(警察署)が、逃走中の容疑者に宛てて「吉祥如意」の年賀状を公式ブログに掲載したことが話題になっているそうです。なんでも、容疑者に「早く出頭して寛大な処理を求めるよう勧める」と呼びかけると同時に、情報提供、あるいは容疑者の出頭を助けた人には謝礼を支払うことを宣伝するための手段だとか。というわけで、『年賀状の戦後史』の著者としては、こういうネタに反応しないわけにもいかないので、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        蕪湖半分加刷

 これは、1896年に蕪湖書信館で発行された半分切手で、吉祥如意の吉の字が大きく取り上げられています。

 1842年、アヘン戦争の講和条約として南京条約が調印され、上海が開港されました。これに伴い、同年、イギリスが租界(行政・治安を外国人が掌握し、清朝の主権が及ばない開港地内の地域)を設置すると、1847年、アメリカもこれに続き、両者は1863年9月に合併して共同租界をつくります。一方、イギリスのライバル・フランスも、1848年から、上海に租界を設置していました。

 これらの租界地区では、その行政機関として工部局が設けられていましたが、この上海工部局は、1863年2月、年50両(のちに30両に値下げ)を出資した外国人商社を対象に、切手を貼らず、回数も無制限で手紙をやり取りできる集捐制度を開始します。そして、このサービスを実施するための機関として設立されたのが、いわゆる上海書信館です。

 その後、1865年になって上海書信館は集捐制度を未加盟の商社や旅行者などにも拡大。その料金前納の証として、独自の切手も発行しました。さらに、同年、上海書信館は、寧波に分室を設けたのを皮切りに、書信館による郵便物の取扱は中国各地に拡大していきます。

 ところで、書信館の郵便は集捐制度を基本として運営されていましたが、事業としては赤字が続いていました。このため、1893年からは、集捐制度が廃止され、すべての郵便物は完全に有料化され、これに伴って切手が貼られるようになります。

 さらに、上海書信館は、同年、寧波に分室を設けたのを皮切りに、漢口、福州、羅星塔、汕頭、厦門、烟台、九江、宜昌、重慶、蕪湖、牛荘にまで郵便物の取扱を開始。1893年5月、漢口の分局で、上海からの切手の供給が途絶えたのを機に独自の切手が発行されるようになったのを皮切りとして、各地の書信館は独自の切手を発行し始めました。

 ところで、書信館の運営は慢性的に赤字であり、収支の改善が課題となっていました。このため、書信館を運営していた欧米人は切手の売り上げによって赤字を補填することを考えるようになり、欧米(の収集家市場)を意識した切手を発行しました。すなわち、当時の世界各国の通常切手が、主として、数字や国家元首の肖像、紋章などを描いただけの実用性を重視したものであったのに対して、各地の書信館切手は各都市の風景や風俗を取り上げ、異国情緒たっぷりに外国人の購買意欲をそそるような工夫がなされていたのです。

 今回ご紹介の切手もそうしたものの1種で、おそらく、当時の外国人収集家向けには「吉は中国語のラッキーの意味だ」というたぐいの宣伝文句で販売されたのではないかと思われます。 

 なお、書信館切手を含む“輸出用”の切手の歴史については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもその概要をまとめておりますので、機会がりましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 きょうから上海万博
2010-05-01 Sat 14:27
 きょう(1日)から上海万博がスタートします。というわけで、上海ネタの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      上海書信館・大竜

 これは、1865年に発行された上海書信館最初の切手で、龍が描かれています。

 1842年の開港以来、列強諸国の居留地が作られていた上海では、早くも1845年、イギリスやフランスが租界(外国人が行政・警察機構を握り、中国の主権が及ばない開港地内の地域)をつくり、その行政機関として工部局を設置していました。

 1863年6月、上海工部局は郵便局に相当するものとして書信館を設置。年50両(後に30両に値下げ)を出資した外国人商社を対象として、追加徴収なしで何回でも手紙をやり取りできる集捐制度を開始します。さらに、上海書信館は1865年には独自の切手も発行し、集捐制度に未加盟の商社や旅行者なども彼らの郵便を利用できるようにしたほか、寧波にも分室を設けるなど、急速にその業務を拡大していきました。

 こうした状況の中で、1865年に香港=上海=長崎の定期航路が開設されると、イギリスの香港郵政局と上海書信館は、ドル箱路線の香港=上海間の郵便物をめぐって熾烈な争奪戦を展開します。

 上海書信館が集捐制度を開始した当初から、イギリスの香港政庁は集捐制度による“無認可”の郵便物に目を光らせ、香港と北方(特に上海)を往来する郵便船に“無認可”の郵便物が積み込まれないように監視していました。

 これに対して、上海工部局は、開港地の蒸気船会社の支局やエージェントに対してセールス攻勢をかけ、上海在住の外国人に対しては、使用人の中国人が差し出す手紙に書信館の切手が貼っていなければ受け取りを拒否してほしいと呼びかけています。この作戦は功を奏し、上海書信館の郵便取扱量が急増。イギリス郵政局は、1865年度の事業報告書に「香港外の郵便取扱の収入が半分に落ち込んだ」と記載せざるを得なくなりました。

 事態を重く見た香港郵政局長のミッチェルは、本国郵政省から派遣された検査官・リートとともに、管内の上海・横浜を視察。現状を打開するために、①上海書信館とイギリス領事館郵便の業務は合体・並存させ、合同の郵便局を便利な場所に置き、それぞれの職員が業務を分担・協力する、②将来的には、上海書信館の郵便業務は長江沿岸の都市、北方都市、寧波、上海市内に限定し、日本、上海以南の開港地、香港、欧米(宛郵便物)については、香港郵政局が担当する、というプランを提案します。

 このプランは、上海書信館の活動を制限する意図を持ってまとめられたもので、書信館側にとっては承服しがたいものでしたが、最終的に、香港郵政局に押し切られるかたちで、1867年11月、上海書信館は香港郵政局と業務提携の協定を結ばされます。もっとも、この協定は香港郵政局にも思ったほどのメリットがなかったようで、1871年6月には、両者の提携関係は解消されてしまいました。

 なお、19世紀半ばの上海と香港のつばぜり合いについては、拙著『香港歴史漫郵記』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 * 2010年4月に頂戴した拍手の数の多かった記事のベスト3は以下のとおりです。ありがとうございました。
 1位(9票):国労のゴネ得
 2位(5票):良い死刑・悪い死刑
 3位(3票):『東京人』巻頭エッセイテロリスト図鑑:大石内蔵助
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 ウリジナルの典型
2008-07-31 Thu 11:57
 中国の人気ポータルサイト・網易の掲示板で「韓国ネットユーザーが中国の八卦図は韓国国旗のパクリと批判」との文章が発表され、悶着を起こしているのだとか…。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 宜昌書信館(八卦)

 これは、1894年に中国・宜昌の書信館が発行した切手で、発行年の1894の文字を中心に、周囲を八卦図で囲むデザインとなっています。中央の年号の部分に太極文様を入れれば、現在の韓国国旗の元になった、伝統的な太極図となります。もちろん、切手を発行した書信館サイドとしては、八卦は中華文明を象徴するものとの認識の下に、デザインを作成したことは言うまでもありません。

 1842年、アヘン戦争の講和条約として南京条約が調印され、上海が開港されました。これに伴い、同年、イギリスが租界(行政・治安を外国人が掌握し、清朝の主権が及ばない開港地内の地域)を設置すると、1847年、アメリカもこれに続き、両者は1863年9月に合併して共同租界をつくります。一方、イギリスのライバル・フランスも、1848年から、上海に租界を設置していました。

 これらの租界地区では、その行政機関として工部局が設けられていましたが、この上海工部局は、1863年2月、年50両(のちに30両に値下げ)を出資した外国人商社を対象に、切手を貼らず、回数も無制限で手紙をやり取りできる集捐制度を開始します。そして、このサービスを実施するための機関として設立されたのが、いわゆる上海書信館です。

 その後、1865年になって上海書信館は集捐制度を未加盟の商社や旅行者などにも拡大。その料金前納の証として、独自の切手も発行しました。さらに、同年、上海書信館は、寧波に分室を設けたのを皮切りに、書信館による郵便物の取扱は中国各地に拡大していきます。

 ところで、書信館の郵便は集捐制度を基本として運営されていましたが、事業としては赤字が続いていました。このため、1893年からは、集捐制度が廃止され、すべての郵便物は完全に有料化され、これに伴って切手が貼られるようになります。

 こうした状況の中で、1893年5月、漢口の分局では、上海からの切手の供給が途絶えたのを機に、独自の切手を発行するようになりました。そして、これに続いて、各地の書信館で独自の切手が発行されていきます。今回、ご紹介のモノもそうした書信館切手の1枚です。

 さて、今回の切手に取り上げられている八卦は古代中国から伝わる易における8つの基本図像、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤のことです。それぞれの基本図像は掛と呼ばれ、─陽(剛)と--陰(柔)の爻を3つ組み合わせた構造になっており、8つの掛を2つずつ組み合わせて64のバリエーションが生まれます。

 八卦のルーツは、中国の古代周王朝の時代にさかのぼるともいわれていますが、実際に現在のようなかたちで整備されたのは、11世紀の北宋の時代のことと推測されています。ちなみに、朝鮮半島の人々のメンタリティに絶大な影響を与えた南宋の朱熹は、天地自然の秩序を表すとされる八卦を、人間社会の秩序にも援用した独自の世界観を展開しています。

 今回、問題になっている韓国人の書き込みによれば、「1882年、国王の命を受けて訪日した朴泳孝が国家代表として国旗は不可欠と考え、伝統的な太極図をモチーフに作ったのが現在の国旗・太極旗である。その後、発掘された古代の梵鐘からも太極図が発見されており、大極図は朝鮮民族の英知の結晶である」のだそうです。まぁ、韓国には、孔子は韓国系で、漢字も朝鮮が起源であるとする“ウリジナル(韓国語で我々を意味するウリとオリジナルを組み合わせた造語)”論を展開する人が少なからずいますから、今回の八卦のことなど、大した問題ではないと考えているのかもしれません。

 ちなみに、韓国では現在でも“著作権”の概念に理解を示さない人が多く、「著作物といっても、それは文化の中で生まれ育ってきたもの、すべての人々が豊かな文化の産物を利用できるようにするべき」と主張する市民団体もあるくらいですが、そういう人たちに限って、“ウリジナル”にこだわって屁理屈をこねて来るのは困ったものです。

 もっとも、今回、彼らの標的にされた中国といえば、いまや世界に冠たるニセモノ国家として名を馳せていますからねぇ。その点では、どっちもどっち、としか言いようがありませんな。

 ちなみに、今回ご紹介の切手を印刷したのは、東京の築地活版製作所ですが、同社に関しては、拙著『外国切手に描かれた日本』でまとめたことがありますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

 * 昨夜から今日にかけて、アダルト系のコメント書き込みが大量にありましたので、コメント欄への書き込みは僕の承認後、表示される形式に変更しました。ご不便をおかけしますが、ご了承ください。

 トーク・イベントのご案内
 8月2・3日(土・日)に東京・大手町のていぱーくで開催のサマーペックス会場内にて、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』の刊行を記念したトーク・イベントを行います。2日は14:00から、いわゆる“竹島切手“についての話題を中心に、3日は14:30から、韓国切手に見る日本時代の“遺産”についての話題を中心に、お話しする予定です。サマーペックスのHPにアクセスしていただくと、無料の招待チケットをプリントアウトしていただくことができます。当日は、会場ならではの特典もご用意しておりますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
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