内藤陽介 Yosuke NAITO
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 エリ・ウィーゼル、亡くなる
2016-07-04 Mon 09:41
 アウシュヴィッツを生き延び、ホロコーストを題材にした著作を多数発表したことで、1986年にノーベル平和賞を受賞した米国籍の作家、エリ・ウィーゼル氏が、2日(米国時間)、ニューヨークの自宅で亡くなりました。享年87。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、きょうは、アウシュヴィッツ関連のネタの中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      モノヴィッツ・6条タイプ

 これは、1944年9月30日、アウシュヴィッツ収容所のうち、モノヴィッツ(ポーランド語名モノビツェ)に置かれていた第3収容所の収容者が差し出したカバーです。第二次大戦中のアウシュヴィッツ収容所関連の郵便物には、“AUSCHWITZ(OBERSCHLES)”と表示された郵便印が押されていますが、局名の後ろには1から3までの番号が振られています。このうち、モノヴィッツの第3収容所関連の郵便物には、今回ご紹介のカバーに見られるように、“AUSCHWITZ(OBERSCHLES)3”の消印が使用されています。

 アウシュヴィッツ収容所のうち、ビルケナウの第2収容所がユダヤ人等の虐殺に力点を置いていた“絶滅収容所”の性格が強かったのに対して、第1収容所から東に7キロほどの地点に、イーゲー・ファルベン社(以下、IGファルベン)の工場に隣接して設けられたモノヴィッツの第3収容所は、収容者の安価な労働力を工場に動員するための施設でした。

 IGファルベンは、第一次大戦後の1925年、ドイツの6大化学工業会社であるバーディッシュ・アニリン・ウント・ソーダ工業(現バスフ=BASF)、フリードリヒ・バイエル染料(現バイエル)、アグファ(現アグファ・ゲバルトの前身)、ワイラー・テル・メール化学、グリースハイム・エレクトロン化学工業、ヘキスト染料(現ヘキスト)の合同により生まれたトラストで、社名のIGは“利益共同体”の意味です。本社はフランクフルト・アム・マインにあり、資本金は11億マルクでした。

 ヒトラー政権が誕生する以前の1932年頃からナチスに接近し、ヒトラーが政権を掌握した後は、4ヵ年計画庁に技術者として多くの人材を送り込み、政権との関係を強化。1939年の第二次大戦勃発以降は戦争にも積極的に協力し、ユダヤ人の大量虐殺に使われた毒ガス、ツィクロンBは子会社のデゲッシュがパテントを有していました。

 IGファルベンとアウシュヴィッツとの密接な関係は、1941年1月、同社の役員だったオットー・アンブロスが現地を視察し、アウシュヴィッツ東郊のソワ川とヴィスワ川の合流地点に、700万マルクを投じて年間3万トンの生産能力を有する合成ゴム工場BUNAを建設することを決定したところから始まります。ちなみに、アウシュヴィッツ第1収容所でツィクロンBの人体実験が行われたのは、1941年9月のことでした。

 工場の建設は、私企業としてのIGファルベンの経済活動として進められましたが、ドイツ政府はこの計画を積極的に支援し、該当する土地から住民を退去させること、第1収容所から8000-1万2000人の労働者・作業員を派遣することを決定。3月下旬には、IGファルベンと収容所を管理していた親衛隊との間で協議が行われ、IGファルベンが未熟練労働者1人につき3マルク、熟練労働者1人につき4マルクを支払うこと、収容者の労働時間についても、夏季は1日10-11時間、冬季は1日9時間とすることが決められました。

 これを受けて、1941年4月7日、アウシュヴィッツ第1収容所の収容者たちを動員してのBUNAの建設作業が始まり、1942-44年にかけて、IGファルベンのほか、クルップやシーメンスなど、ドイツを代表する大企業の製造プラントなどに付随して、大小あわせて40の収容施設が作られ、多くの収容者が過酷な労働に従事させられました。これが、モノヴィッツの第3収容所です。

 第3収容所と隣接するプラント施設は、連合国の爆撃目標になったことに加え、1945年1月の解放後、ソ連軍によって破壊されたため、現在、その跡は残っていません。ちなみに、戦後、ナチスの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判では「人道に対する罪」を理由に、IGファルベンの役員や技術者など被告の24人全員が有罪となり、1948年には戦犯企業としてのIGファルベンは解体されています。

 なお、アウシュヴィッツの収容者が差し出した郵便物と、そこからみえてくる収容所内の生活については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 イースター・ポスト
2016-03-27 Sun 16:51
 きょう(27日)はイースターです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴォルテンベルク収容所切手(1942・イースター)

 これは、1942年4月5日、ヴォルテンベルク捕虜収容所で発行された“イースター・ポスト”用の切手です。

 1939年9月、ドイツ軍がポーランドを占領すると、42万人のポーランド軍兵士と2万人の将校が捕虜となり、その収容施設の確保が深刻な問題となりました。当初、捕虜たちはテント村を含め28カ所に分けて収容されていましたが、1942年以降、収容所はヴォルテンベルク(現ポーランド:ドビエグニエフ)、ノイブランデンブルク(ドイツ・メクレンブルク=フォアポンメルン州)、グロス・ボルン(現ポーランド:ボルネ・スリノヴォ)、ドッセル(ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州)、ムルナウ・アム・スタッフェルゼー(ドイツ・バイエルン州)の5ヵ所に集約されました。

 そうしたなかで、ヴォルテンベルク収容所では、1942年4月5-7日のイースター期間にあわせて、“イースター・ポスト”と称する実験的なローカル郵便が実施されます。

 イースター・ポストは、収容所内の捕虜同士がイースターのグリーティング・カードを有料で交換することを通じて、ポーランドの戦争未亡人・孤児のための募金を集めるという趣旨のもとに行われたもので、収容されている捕虜間の通信実験も兼ねていました。そして、その料金を徴収する手段として、4月5日、未亡人と孤児を描く“切手”が収容所内で製造されました。

 今回ご紹介の切手はそのうちの1枚で、ほかにも、同図案で赤、茶、灰緑、青など刷色の異なる切手が総計2万枚発行され、グリーティング・カード(こちらも収容所内で製造)の交換に用いられました。ちなみに、右上の“FWS”の表示は“未亡人・孤児基金”を意味するポーランド語“ Fundusz dla Wdów i Sierót”の頭文字で、切手上部の“Poczta obozowa”は“収容所郵便”を意味しています。

 この時のイースター・ポストがトラブルなく運営されたことを受けて、1942年5月7日以降、ヴォルテンベルク収容所内での日常的な通信手段として、ローカル郵便が正式に発足。その後、ノイブランデンブルク、グロス・ボルン、ムルナウ・アム・スタッフェルゼーの各収容所でも類似の制度が導入されました。ちなみに、ヴォルテンベルク収容所では、ソ連軍の接近に伴い、1945年1月28日に捕虜たちは西方に向けて移動させられますが、ローカル郵便は、その直前の1月25日まで扱われています。


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 アウシュヴィッツから世界最高齢に
2016-03-13 Sun 12:24
 英国のギネスワールドレコーズは、11日、ポーランド・ウッチ出身で、アウシュヴィッツを生き延びた112歳のイスラエル人男性、イスラエル・クリスタルさん(1903年9月15日、ポーランド生まれ。ハイファ在住)が世界最高齢の男性であると正式に認定しました。クリスタルさんに関しては、今年1月、それまで世界最高齢の男性とされていた名古屋市の小出保太郎さんが亡くなったことに伴い、世界最高齢の男性になった可能性があることがわかっていましたが、確認作業に時間がかかっていました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツからリッツマンシュタット宛(1943年)

 これは、1943年3月14日差出(消印は同25日) アウシュヴィッツ収容所から、クリスタルさんの出身地、リッツマンシュタットのゲットー宛に差し出されたレターシートで、差出時のアウシュヴィッツ収容所のみならず、到着時のリッツマンシュタットでもゲシュタポの検閲を受けたことを示す印が宛名の真上に押されています。

 リッツマンシュタットはポーランド語名ウッチ。ポーランド中央部の都市で、第一次大戦以前はロシア帝国の支配下に置かれていましたが、第一次大戦中の1915-18年のドイツ占領時代を経て、大戦後はポーランド第2共和国に編入されました。第二次大戦が勃発すると、1939年9月8日に占領され、ドイツ語名のリッツマンシュタットに改称されましたが、これは、第一次大戦中、この地を占領したドイツ軍の歩兵大将カール・リッツマンにちなむ命名です。

 1940年4月に設定されたリッツマンシュタットのゲットーには、もともと市内在住だった6万余のユダヤ人に加え、周辺からも約10万人のユダヤ人が移送され、5000人のロマを含む16万人以上が有刺鉄線の鉄条網に囲まれた空間に押し込められました。ゲットーには監視塔と検問所も置かれ、出入りは厳しく制限されており、ドイツによりユダヤ人評議会議長に任命されたモルデハイ・ハイム・ルムコフスキの下、統制経済が行われていました。事実上、外界から隔離された環境の中で、当初から食糧・医薬品は慢性的に不足しており、飢餓と疫病(結核、赤痢、チフスなど)が蔓延していましたが、1941年末にドイツ本国のみならずオーストリア・ルクセンブルク・ベーメン・メーレン保護領などから2万5000人のユダヤ人が移送されてきたため、事態はさらに悪化しています。

 ちなみに、今回世界最高齢となったクリスタルさんは、第二次大戦後、この地で稼業のお菓子屋さんで働いていましたが、ドイツの占領下でゲットーに送られ、1943年に、家族とともにアウシュヴィッツに移送されました。

 さて、今回ご紹介のレターシートには、以下のような内容の文面が記されています。

 ①長い間、あなた(名宛人)の所在が分からなかったが、ようやく分かったので連絡した、②自分は健康である、③(アウシュヴィッツでは)月に1回、小包を受け取ることができるので皆にそのことを知らせてほしい、④通常、月給は40マルクだが、自分は55マルクである、⑤(そのお金で)焼き菓子、ナッツ、乾物などを(収容所内の売店で)購入して食べている、⑥あなたの様子を知らせてほしい。

 この文面を読む限り、差出人はリッツマンシュタットのゲットーが飢餓と疫病の蔓延する悲惨な状況にあるとは思っておらず、むしろ、名宛人の環境はアウシュヴィッツよりもはるかにましだと考え、自分に食糧など差し入れの小包を送ることが可能だと思っていたようにも受け取れます。また、収容者が収容所内で購入できる品目が具体的に挙げられているのも興味深いところです。

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 女性収容所からの葉書
2016-03-08 Tue 09:17
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、例年どおり、拙著の中から女性ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・女性収容所

 これは、ビルケナウの女性収容所から差し出された葉書で、タイプ3と呼ばれるフォーマットが使用されています。タイプ3は、収容所の銘が“F.K.L.Auschwitz”となっていますが、この“F.K.L.”は、女性収容所を意味する“Frauen Konzentrationslager”の略号です。

 第二次大戦が始まった時点で、ドイツの強制収容所のうち、主として女性収容者を拘束していたのは、ベルリンの北方約80キロ、メクレンブルク州のラーフェンスブリュック収容所でした。

 同収容所は、1938年末からザクセンハウゼン収容所の収容者を動員して建設が開始され、1939年5月13日、最初の収容者としてドイツ人女性860人、オーストリア人女性7人が移送されてきました。その後、9月の開戦を経て、同年末の時点で収容者数は1168人となりましたが、さらに戦線が拡大していったことで収容者の数も増加の一途をたどり、最終的には、総計23ヵ国12万3000人の女性がラーフェンスブリュック収容所に登録されました。

 このように、ラーフェンスブリュック収容所のキャパシティが限界に迫っていったことに加え、戦時下での労働力不足が深刻になっていたという状況もあり、当初は、“労働力にならない”として無条件に抹殺の対象となっていたユダヤ人女性に対しても、男性同様の“選別”の結果、強制労働が課されることになります。

 かくして、1942年3月26日、ラーフェンスブリュックから99人の“犯罪者と反社会分子”の女性(非ユダヤ人)がアウシュヴィッツに移送され、ひとまず、第1収容所1号棟から10号棟に入れられました。そして、同年8月初旬、ビルケナウの第2収容所内のBIa区域に30棟の収容棟が完成すると、最初に到着した99人を囚人頭として、1万3000人の女性がそこに移送されます。その後、1943年7月以降、ビルケナウではBIb区域が女性の収容区域となりました。

 ビルケナウの女性収容者は、収容所内の事務作業のほか、麦・野菜の栽培などの農作業や魚の養殖、家畜の飼育などを主として担当しましたが、屋外での作業は過酷で、働けなくなったと見なされた収容者は収容所内25号棟のガス室で殺されました。また、妊娠が判明するとフェノール注射で殺されたほか、人体実験の材料とされることもありました。

 今回ご紹介の葉書は、裏面の書き込みによると、1943年8月14日に差し出されたものですが、残念ながら消印は押されていません。なお、葉書の左側に印刷されている注意書等は、文字のフォントも含めてタイプ2の葉書と同じなので、両者はほぼ同時期に作成したのではないかと推測できます。

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 アウシュヴィッツを生き延びて112年
2016-01-25 Mon 11:43
 今月19日、それまで世界最高齢の男性とされていた名古屋市の小出保太郎さんが亡くなったことに伴い、アウシュヴィッツを生き延びた112歳のイスラエル人男性、イスラエル・クリスタルさん(1903年9月15日、ポーランド生まれ)が世界最高齢の男性になった可能性があることが、昨日(24日)までに明らかになりました。というわけで、きょうはクリスタルさんと同い年の人がアウシュヴィッツから差し出したカバーをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ封筒・15ペニヒ貼

 これは、1941年2月11日、アウシュヴィッツ収容所からヴァドヴィツェ(クラクフから50 kmの地点にある都市で、ローマ教皇ヨハネパウロ2世の出身地として有名)宛に差し出されたカバーです。封筒の書き込みによれば、差出人(収容者)の誕生日は1903年10月1日ですから、今回話題となったクリスタルさんの誕生日とは半月ちがいということになります。

 1940年に開設されたアウシュヴィッツ収容所では、収容者には、当初、専用の封筒と便箋が支給され、外部への通信用に用いられていました。しかし、1941年6月の独ソ戦勃発を経て、1942年1月のヴァンゼー会議で「ユダヤ人問題の最終解決」が決定されると、アウシュヴィッツに移送されてくる収容者の数は激増。これに伴い、おそらく収容者に対して封筒と便箋を別々に支給する製造および管理コストを効率化するため、1942年に入ると、収容者には封筒と便箋に代えて、厚手の用紙を使った専用葉書が支給され、使用されてるようになりました。

 収容者が郵便物を差し出す形式が封筒(と便箋)から葉書に切り替えられた正確な日時は不明ですが、すでに1942年2月上旬には葉書の使用も始まっていますので、今回ご紹介のカバーは、封筒(と便箋)の使用例としては、かなり遅い時期のものの一つと言ってよいかと思います。

 なお、封筒にはヒンデンブルグの15ペニヒ切手が貼られていますが、当時の郵便料金としては12ペニヒが正しく3ペニヒ過貼となります。封筒の左側に印刷されている規定によれば、外部から収容者宛の郵便物には12ペニヒ切手5枚しか同封できないことになっていますが、実際に収容者宛の郵便物に返信用としてその他の額面の切手が同封されていた場合には、収容所当局もそれらを使用することを黙認していました。今回ご紹介のカバーについても、差出人は差し入れの15ペニヒ切手をそのまま使ったモノと考えられます。
 
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 2月9日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。


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 アウシュヴィッツの年賀状
2016-01-02 Sat 08:39
 昨日は元日でしたから、年頭のご挨拶のみで失礼いたしました。切手や郵便物などを毎日紹介していくという、このブログの実質的な記事のアップとしては、きょうが2016年最初となりますので、新年にちなみ、ちょっと変わった年賀状(?)をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・年始  アウシュヴィッツ・年始(手紙)

 これは、1944年の元日、アウシュヴィッツの収容者がチェシン宛に差し出した“年賀状(新年を寿ぐ記述があるので、そう呼んでも良いでしょう)”とその文面です。手紙としての日付は元日ですが、所内での検閲などを経てから郵便局に持ち込まれているため、収容所関連の郵便物であることを示す“AUSCHWITZ 2”の消印は1月8日付になっています。

 使用されている用紙は、収容所から収容者に対して支給されたモノのうち、宛名面に印刷されている注意書が7ヶ条のタイプのものです。1944年春ごろから、注意書が6ヶ条のタイプのものが使用され始めるので、7ヶ条のタイプのものとしては比較的後期の使用例となります。

 さて、手紙の文面は、以下のような内容になっています。

 今日は新年です。全ての考え、夢は貴方と一緒です。私が感じていることを、面と向かって話せたら良いのですが、夢を見たり考えることしかできません。それ以外なにができるというのでしょう。私たちに残るのは、信仰することだけです。この新年、私たちは信仰心をもっと強めると信じます。神様は健康と未来を与えてくれます。 クリスマスはどこでどう過ごしましたか。私たちの愛する両親は元気ですか。親戚たちにもよろしく。私はクリスマスを元気に過ごしましたが、少し泣けてきました、というのも、もう4年になるからです。みんな元気でいてください。 no.9の小包と手紙を受け取りました。蜂蜜と、XX(判読不能)も。 心からの挨拶を

 この文面によると、差出人は収容所生活が4年の長きにわたっている、すなわち、アウシュヴィッツに収容所が建設された1940年当初からの古参の収容者ということになります。1940年の時点では、アウシュヴィッツの収容者は、原則としてポーランド系でしたので、クリスマスについての記述(ユダヤ教徒は基本的にクリスマスを祝いません)とあわせて、収容者はポーランド系のカトリックだろうと思います。いずれにせよ、文面から、差出人は信仰を強く持つことで過酷な環境を耐え続けていたことがよくわかります。

 さて、拙著『アウシュヴィッツの手紙』では、今回ご紹介の郵便物をはじめ、アウシュヴィッツの収容者が差し出したさまざまな郵便物から、収容所内の人々のリアルな状況を考察しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

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 ヴィシー政権時代の公文書、公開へ
2015-12-28 Mon 23:15
 フランス政府は、きのう(27日)、第二次大戦中の親独ヴィシー政権時代の警察や裁判の記録、外務省や法務省、内務省所管の文書、独仏オーストリアにおける戦犯裁判に関する文書などの公文書公開を決め、きょう(28日)から公開請求受け付けを開始ました。というわけで、ヴィシー政権の対独協力に関するマテリアルということでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツからフランス人労働者の葉書

 これは、1944年5月27日、アウシュヴィッツに動員されていたフランス人労働者が本国宛に差し出した葉書です。

 1940年6月、ドイツに降伏したフランスはパリを含む国土の北部をドイツに占領され、中部の都市ヴィシーに第一次大戦の英雄だったフィリップ・ペタン元帥を元首とする親独政権の“フランス国”(ヴィシー政権)が成立しました。

 1941年6月に独ソ戦が始まると、同年11月、ヴィシー政権は反共フランス義勇軍を派遣。彼らは、ドイツ陸軍第638歩兵連隊としてドイツ陸軍第7歩兵師団に所属し、東部戦線におけるモスクワの戦いに参加したのを皮切りに、ソ連軍と戦いました。

 こうした経緯を経て、1942年6月、ヴィシー政権首相のピエール・ラヴァルは、対独協力をさらに進め、共産主義を阻止するためにドイツの勝利を支持すると声明し、ドイツがフランス人捕虜1人解放せればフランス人労働者3人をドイツ国内の工場に送ることを発表しました。これは、同年3月から、ドイツの労働力配置総監フリッツ・ザウケルが、軍需大臣アルベルト・シュペーアの要求に応じ、ヨーロッパの占領地区から労働者の強制連行を開始していた動きに呼応するものでした。

 これを受けて、1943年1月、ドイツの労働力配置総監フリッツ・ザウケルの要求に応じて、1920-22年生まれのフランスの若者(当時の年齢で21-23歳)25万人が動員され、ドイツに送られます。その後、1944年1月にはドイツ側から100万人のフランス人労働者を送るよう要求があり、これに対して、フランス側は7月21日までに総計60-65万人をドイツに送り込みました。

 こうしたフランス人労働者のその一部はアウシュヴィッツ収容所での作業に従事させられましたが、アウシュヴィッツで働かされた労働者は“民間人”として郵便物を差し出すことが可能でした。

 今回ご紹介のカバーもその一例で、1944年5月27日、ビルケナウの第2収容所での労働に従事していた労働者が差し出したものです。

 封筒には、郵便物の性格を示すものとして、“Auschwitz O/S Gemeinschaftslager Buchenwald West Poststelle”の印が押されているほか、民間人の差し出した郵便物としてアウシュヴィッツ1局の消印(一般的な収容所関連の郵便物はアウシュヴィッツ2局の消印です)が押されています。また、外国郵便として、逓送途中で検閲されたことを示す“Ae”の印も押されています。

 なお、この葉書が差し出されたからほどなくして、1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦が開始され、連合軍がフランスに再上陸。8月25日にはパリが解放されてフランス共和国臨時政府がパリに移転し、ヴィシー政権は崩壊します。これに伴い、7月21日にはフランスからドイツへの労働者の提供も中止されました。

 なお、このあたりの事情につきましては、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 アウシュヴィッツのクリスマス
2015-12-24 Thu 10:55
 今夜はクリスマス・イヴです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・クリスマス  アウシュヴィッツ・クリスマス(裏)

 これは、1940年のクリスマスに際して、収容者の家族に対して収容者宛の小包を送る際の注意書を印刷した葉書とその文面です。

 1939年9月、ポーランドに侵攻したナチス・ドイツは、1940年5月、ポーランド南部のオシフイエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)郊外の旧ポーランド軍兵営をアウシュヴィッツ第1強制収容所として、犯罪常習者とポーランド人政治犯の収容を始めました。

 アウシュヴィッツの収容者からの発信には専用のステーショナリーが使用されましたが、その封筒に印刷されている注意書によれば、収容者宛に小包を送ることは認められないとされています。しかし、アウシュヴィッツの潜入したヴィトルト・ピレツキの報告によると、実際には、当初から衣類の差し入れは認められていました。

 ところで、アウシュヴィッツにユダヤ人の収容者が激増するのは1942年以降のことで、1940年末の時点では、アウシュヴィッツの収容者の大半はポーランド人の捕虜ないしは政治犯でした。このため、収容所内における宗教の割合としてはカトリックが多数派であり、収容所当局としても、クリスマスについても家族からの差し入れの制限を緩和するなど、一定の配慮が必要になったものと思われます。なお、敬虔なユダヤ教徒がキリスト教の祝祭であるクリスマスを祝うことはないのですが、ナチスによって“ユダヤ人”と認定された人々の中には、血統的にはユダヤ人でありながら、宗教的にはクリスチャンというケースも少なくありませんでした。

 今回ご紹介の葉書は、こうした状況に対応して作成したもので、収容所側が葉書を作成し、収容者から親族宛に送らせるという形式を取っています。ちなみに、葉書に記されている注意書の要点は、以下の通りです。

 1.収容者は(1940年の)クリスマスに際して親族から1キログラムまでの小包を受け取ることができる。
 2.クリスマス小包として送ることができるのは、パン、クリスマスの菓子パン、燻製ソーセージ、洗面用品。送ることができないのは、現金、缶詰、切手、写真、手紙、マッチなどの可燃物など。
 3.小包を送る際には、正確な住所とともに、名前、誕生日、収容者番号を記載すること。
 4.小包の取扱期間は1940年12月10日から1941年1月5日までである。
 5. 到着した小包のうち、収容所規則に適合しないものは、家族からの荷物を受け取れなかった収容者に分配される。

 なお、アウシュヴィッツの収容所では、1945年1月の収容所解放まで5回のクリスマスがありましたが、収容者からの発信の中には、クリスマスの話題について触れたものも少なからず残されています。それらについては、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *けさ、アクセスカウンターが160万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 三の酉
2015-11-29 Sun 10:17
 きょう(28日)は三の酉です。というわけで、一の酉二の酉のときに続いて、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の増刷を祈念して、同書で取り上げた“鳥”関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・SS印(バイリンガル)

 これは、1941年9月22日、アウシュヴィッツ収容所を管理していた親衛隊のメンバーがミュンヘン宛に差し出した郵便物です。親衛隊員が差し出した“軍事郵便”ということで、料金は無料の扱いとされ、切手は貼られていません。また、収容所からの郵便物ですので、収容者の差出ではありませんが、“AUSCHWITZ 2”の消印が押されています。

 ご注目いただきたいのは、封筒の左下に押されている円形の印で、親衛隊の軍事郵便であることを示す“SS Feldpost”の文言と鍵十字と鷲の国章に加え、ドイツ語のアウシュヴィッツとポーランド語のオシフィエンチムが併記されています。

 第二次大戦以前、アウシュヴィッツの地はポーランド語名のオシフィエンチムと呼ばれていましたが、1940年4月末に強制収容所の建設が始まると、公式の地名ドイツ語の“アウシュヴィッツ”に変更されました。

 しかし、制度上は、アウシュヴィッツというドイツ語名のみを公式の地名表示とするにしても、ポーランド人のみならず、ドイツ人にとってさえ、この地域の名称としてはポーランド語のオシフィエンチムの方が定着していたことも事実で、それゆえ、当初は一部でドイツ語のアウシュヴィッツとポーランド語のオシフィエンチムの表示を併記することが行われていました。今回ご紹介のカバーの印もその一例というわけです。

 さて、拙著『アウシュヴィッツの手紙』では、今回ご紹介のカバー以外にも、アウシュヴィッツとオシフィエンチムが併記された住所表示のマテリアルなどもご紹介しつつ、アウシュヴィッツの収容所が制度的に整備されていく過程についても郵便という視点からたどっています。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *昨日、アクセスカウンターが159万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 表紙の郵便物
2015-11-11 Wed 09:29
 きょう(11日)は、拙著『アウシュヴィッツの手紙』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーで取り上げた郵便物についてご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・フランス宛カバー   アウシュヴィッツ・フランス宛カバー(裏面)

 これは、1944年5月20日、アウシュヴィッツに動員されていたフランス人労働者が差し出した郵便物とその裏面です。

 1940年6月、ドイツに降伏したフランスはパリを含む国土の北部をドイツに占領され、中部の都市ヴィシーに第一次大戦の英雄だったフィリップ・ペタン元帥を元首とする親独政権の“フランス国”(ヴィシー政権)が成立しました。

 1941年6月に独ソ戦が始まると、同年11月、ヴィシー政権は反共フランス義勇軍を派遣。彼らは、ドイツ陸軍第638歩兵連隊としてドイツ陸軍第7歩兵師団に所属し、東部戦線におけるモスクワの戦いに参加したのを皮切りに、ソ連軍と戦いました。

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 これを受けて、1943年1月、ドイツの労働力配置総監フリッツ・ザウケルの要求に応じて、1920-22年生まれのフランスの若者(当時の年齢で21-23歳)25万人が動員され、ドイツに送られます。その後、1944年1月にはドイツ側から100万人のフランス人労働者を送るよう要求があり、これに対して、フランス側は7月21日までに総計60-65万人をドイツに送り込みました。

 こうしたフランス人労働者のその一部はアウシュヴィッツ収容所での作業に従事させられましたが、アウシュヴィッツで働かされた労働者は“民間人”として郵便物を差し出すことが可能でした。

 今回ご紹介のカバーもその一例で、1944年5月20日、ビルケナウの第2収容所での労働に従事していた労働者が差し出したものです。

 封筒には、郵便物の性格を示すものとして、“Auschwitz O/S Gemeinschaftslager Buchenwald West Poststelle”の印が押されているほか、民間人の差し出した郵便物としてアウシュヴィッツ1局の消印(一般的な収容所関連の郵便物はアウシュヴィッツ2局の消印です)が押されています。また、外国郵便として、逓送途中で開封・検閲されたため、ドイツの当局者によってナチス・ドイツの国章がある封緘紙で封をされています。

 なお、これらの郵便物が差し出されたからほどなくして、1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦が開始され、連合軍がフランスに再上陸。8月25日にはパリが解放されてフランス共和国臨時政府がパリに移転し、ヴィシー政権は崩壊します。これに伴い、7月21日にはフランスからドイツへの労働者の提供も中止されました。

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