内藤陽介 Yosuke NAITO
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 放牧宣言
2017-01-06 Fri 11:26
 音楽ユニットの“いきものがかり”が、きのう(5日)、「リフレッシュのために一旦各自のペースでメンバーそれぞれの可能性を伸ばすことを目的」として、事実上、ユニットとしての活動休止となる「放牧宣言」を行いました。というわけで、“放牧”関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・ダチョウの放牧絵葉書(1911)  南ア・ダチョウの放牧絵葉書(1911.裏面)

 これは、1911年10月、南アフリカ連邦(当時)のステルクストルームからオーストラリアのシドニー宛の絵葉書で、絵面には、“典型的な南アフリカ:ダチョウ牧場”とのキャプションの下、オーツホーンでのダチョウの放牧風景が取り上げられています。

 郵便史的な観点からすると、今回ご紹介の葉書では、南ア連邦成立後の1911年に、旧トランスヴァール切手がケープ州で使用されているというのがミソです。

 すなわち、1910年、ケープナタール・トランスヴァール・オレンジの各植民地は大英帝国自治領の南ア連邦として統合されましたが、連邦結成以前に発行された旧植民地の切手に関しては、いったんプレトリアに集められた後、あらためて連邦各地に配給され、1913年9月までは、旧植民地の領域を超えて、連邦全域で有効とされていました。このため、今回ご紹介のマテリアルのように、トランスヴァール切手にケープ州の消印が押された事例が生まれることになります。

 なお、南ア連邦成立時のケープ州は、1994年、アパルトヘイトの撤廃に伴う州の再編により、、西ケープ州・東ケープ州・北ケープ州の3州と北西州の一部に分割され、今回ご紹介の葉書の差出地であるステルクストルームは東ケープ州に属することになりました。

 さて、1652年、ヤン・ファン・リーベック率いる艦船で喜望峰に上陸したオランダ人は、当初、他の野生動物同様、野生のダチョウを捕獲していましたが、ほどなくしてダチョウの飼育を開始。以後、ダチョウの生産はケープ植民地の主要産業のひとつとなりました。

 かつてのケープ植民地に相当する地域でダチョウの生産が特に盛んだったのは、オーツホーンです。 

 オーツホーンはスワートバーグ山脈とウテニカ山脈の間に位置する小カルー平原の田舎町で、1863年に本格的な入植がはじまるとすぐに、ダチョウの生産が始まりました。特に、1880年代以降、ダチョウの羽根を使ったファッションがヨーロッパで流行したこともあり、ダチョウの羽根は同じ重さの金と同じ値段で取引されることもあり、ダチョウで財を成す者が続出。オーツホーンには豪勢なダチョウ御殿も数多く建てられました。わが国でいうと、北海道のニシン御殿のようなものかもしれません。ちなみに、今回ご紹介の葉書の宛先であるオーストラリアでも、1886年にはダチョウ牧場が経営されていたという記録がありますが、ダチョウ産業の規模という点では、当時の南アフリカはオーストラリアを圧倒していました。

 なお、南アにおけるダチョウ牧場とその歴史については、拙著『喜望峰』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

 * 昨日、アクセスカウンターが174万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 南アの鉱山ストで34人死亡
2012-08-17 Fri 22:25
 南アフリカの北部マリカナのプラチナ鉱山で、きのう(16日)、ストライキ中の労働者約3000人に対して警官隊が発砲し、34人が死亡、78人が負傷しました。これは、1994年に同国でアパルトヘイト(人種隔離政策)が廃絶されて以来、警官の取り締まりによる事件としては、最悪の犠牲者数ということだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       トランスヴァール(1869)

 これは、1869年に発行されたトランスヴァール共和国最初の切手です。今回の事件があったマリカナは、1910年の南アフリカ連邦結成以前は、トランスヴァールの領域にありました。なお、今回の事件について、現地のメディアなどは、1960年3月21日のシャープヴィル事件(ヨハネスブルグ近郊のシャープビルで発生した反アパルトヘイトの黒人に対する虐殺事件)になぞらえる向きもあるようですが、このシャープヴィルも旧トランスヴァール共和国の領域にありました。

 トランスヴァール共和国は、現在の南ア北部、ヴァール川北方に存在していた国家で、首都はプレトリアにおかれていました。正式名称は“南アフリカ共和国”で現在の南アと同じですが、一般には“ヴァール川の向こう側”を意味する英語の通称“トランスヴァール(共和国)”の名で呼ばれています。

 1815年、ケープ植民地は正式に英領となりますが、これに反発したオランダ系のアフリカーナーたちは内陸に集団移住し、ヴァール川の北方に拠点を建設。1852年にトランスヴァール共和国を建国しました。ちなみに、共和国の紋章を描く最初の切手が発行されたのは1869年のことで、国名表示は俗称のトランスヴァールではなく、正式名称である“南アフリカ共和国”を意味するアフリカーンス語の“Z. AFR. REPUBLIEK”となっています。

 さて、新生トランスヴァール共和国は内陸国で慢性的な財政難に悩んでいたため、一部の国民の中には、次第に、当初の理想を断念してイギリス植民地への再統合を求める者もあらわれるようになりました。こうした状況をとらえて、1877年、イギリス植民地相H.カーナヴォンはトランスヴァール問題に介入し、トランスヴァールの併合を宣言しました。

 これに対して、多くのアフリカーナーは抵抗し、1880年12月16日、副大統領のポール・クリューガーを司令官としてイギリスに宣戦を布告(第1次ボーア戦争)。1881年2月27日のマジュバ・ヒルの戦いでイギリスを破り、独立を回復しました。

 その後、1886年、ヨハネスブルグ近郊で金鉱が発見されると、トランスヴァール経済は急激に好転。しかし、急速な繁栄は、ふたたび、この地域に対するイギリスの野心を呼び覚ますことになり、1899年、第2次ボーア戦争が勃発しました。最終的に、1902年5月、第2次ボーア戦争はイギリスの勝利に終わり、トランスヴァール共和国はオレンジ自由国とともに大英帝国に併合されて消滅します。

 さて、毎年秋に刊行している彩流社の<切手紀行シリーズ>ですが、シリーズ5冊目の今回は、喜望峰を中心に取り上げる予定で、現在、制作作業中です。詳細につきましては、今後、随時このブログでもご案内していく予定ですので、よろしくお願いいたします。

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