内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の国々:ベリーズ
2016-07-27 Wed 09:44
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年7月27日号が先週発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はベリーズの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      セントジョージ島の戦い136年記念カバー

 これは、英領ホンジュラス時代の1929年7月19日、ベリーズ・シティから差し出された“セント・ジョージ島の戦い勝利136周年”の記念カバーです。

 現在のベリーズの国名は、1973年、英領ホンジュラスから変更されたものですが、もともと、ベリーズは英領ホンジュラスの首府の地名で、その由来はマヤ語で“泥水”を意味する言葉にあるとされています。

 さて、現在のベリーズ国家に相当する領域はマヤ文明が栄えた地域のなかでも最も古い地域で、紀元前1000年頃にはオルメカ人によってラマナイの都市建設が行われました。ラマナイには紀元前100年頃から巨大なスタッコ人頭のある神殿が建造され、マヤ文明の中心地のひとつとなっています。なお、マヤ文明は9世紀以降、徐々に衰退していきますが、ラマナイはカカオ豆の生産地であったこともあり、人口の減少が起こらず繁栄を続けました。

 1505年、コロンブス艦隊はホンジュラスの海岸まで到達しましたが、このときは現在のベリーズには至っていません。

 その後、スペイン人との争いの中でベリーズのマヤ人も衰退し、スペイン領ヌエヴァ・エスパーニャ(メキシコ)副王領への編入を経て、1531年、ベリーズはスペインのグアテマラ総督府の管轄下に置かれます。ただし、ペテン低地の密林地帯の彼方にある辺境の地であったため、グアテマラ総督の支配はベリーズには十分に及びませんでした。

 1638年、英国の武装船団がベリーズに到達。スペインを無視して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始します。彼らの目的は、マホガニーやアカミノキなどマメ科の樹木資源でした。

 以後、同島の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続き、スペインは一時的に英国人を追放することもありましたが、1660年以降、英国人は本格的に樹木を伐採して英本国に輸出するようになり、ベリーズ定住の実績を積み重ねます。その結果、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、イギリスはスペインにセント・ジョージ島を自由に使用させることを認めさせました。

 さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、セント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保します。これが、現在のベリーズ国家の枠組のルーツとなりました。今回ご紹介のカバーは、このエピソードにちなんで制作されたものです。

  さて、『世界の切手コレクション』7月27日号の「世界の国々」では、ベリーズの歴史をまとめた長文コラムのほか、マヤ文明の遺跡、特産品のマホガニー、サンゴ礁のグレート・ブルー・ホール、ジャガーの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、本日発売の8月3号でのフランス植民地帝国の特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。
 
 
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 聖ジョージの祝日
2014-04-23 Wed 11:28
 今日(23日)は、ドラゴン退治の伝説で知られる聖ゲオルギウス(英語読みだとセント・ジョージ)の日です。というわけで、“セント・ジョージ”がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       英領ホンジュラス・セント・ジョージ島の戦い

 これは、1948年、英領ホンジュラス(現ベリーズ)で発行された“セント・ジョージ島の戦い150年”の記念切手で、18世紀末の同島のイメージが描かれています。ちなみに、切手上の“St George's Cay”の“Cay”は、西インド諸島の岩礁や小島を意味する単語で、辞書的には、中州や小岩に相当するものということなのですが、ここではとりあえず“島”と訳しました。

 さて、現在のベリーズ国家に相当する領域は、もともとマヤ文明の栄えた地域でしたが、スペインによる征服の後、グアテマラ総督府の管轄となりました。しかし、辺境の地であったため、総督の支配は十分には及ばず、1638年、英国の武装船団が到達して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始。以後、この地の支配をめぐり、英国とスペインの係争が続きましたが、英国側はベリーズ定住の実績を積み重ね、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、スペインに同島を自由に使用収益させることを認めさせました。さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、英国人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年には、今回ご紹介のセント・ジョージ島の戦いでスペイン軍を破ってこの地を確保しました。

 ところが、1821年に隣接するグアテマラが独立すると、グアテマラ新政府はベリーズ地域の支配権を含むスペイン統治時代の全ての権利はグアテマラに継承されていると主張。以後、この地の支配権をめぐっては、英国とグアテマラが対立する構図となり、1862年、英国は、ひとまずこの地域をジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として“英領ホンジュラス”を宣言しました。その後、1884年に“英領ホンジュラス”はジャマイカから離れて単独の植民地となります。

 第二次大戦後の1963年、英領ホンジュラスは英連邦内の自治政府となりますが、あくまでも英領ホンジュラスの地域は自国領と主張するグアテマラと英国との間で独立についての交渉が決裂。1973年の“(英領)ベリーズ”への正式な改称を経て、最終的に英連邦加盟国“ベリーズ”として独立したのは1981年9月21日のことでした。ちなみに、グアテマラがベリーズの領有権を放棄し、独立を承認したのは、1986年11月のことです。

 郵便に関しては、1786年以降、ジャマイカ経由で域外との通信が行われていたことが確認されており、“ベリーズ”の地名の入った郵便印の押されたカバーは19世紀初頭から存在しています。なお、1809年には最初の郵便局が開設されました。英国貨物船会社による定期便の開始は1830年1月7日のことで、これに合わせて、常勤の郵便局長としてモリアティが任命されています。ちなみに、ベリーズ当局では、これをベリーズ郵政の起源としています。

 1858年には英本国の切手が持ち込まれ、“A06”の抹消印も使用されるようになりましたが、1860年には切手の配給がストップし、しばらくはスタンプレス時代に戻りました。その後、“英領ホンジュラス”の発足宣言を受けて、1866年には“英領ホンジュラス”名の切手発行が開始されました。当初の額面はポンド表示でしたが、1888年からはセント/ドル表示に変更されています。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ベリーズも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけて関連の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

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 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 世界最後の日
2012-12-21 Fri 09:43
 古代マヤ文明の暦が西暦に換算すると2012年12月21日で終わることから、この日が人類週末の日になるという説が唱えられているそうです。まぁ、単純に今日の分まで作っておけば十分とマヤの人たちが考えただけだと思いますが…。というわけで、きょうはマヤ文明がらみの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         マヤ文明(英領ホンジュラス)

 これは、1938年に英領ホンジュラス(現ベリーズ)で発行されたマヤ文明の出土品を取り上げた1セント切手です。マヤ文明というとメキシコというイメージが強いのですが、現在の国名でいうと、ユカタン半島南東部のメキシコ・グアテマラ・ベリーズにまたがる地域がそのエリアとなっており、最古の土器が出土した遺跡のクエリョ遺跡は現在のベリーズ領内にありますので、こちらを選んでみました。まぁ、こういう機会がないと、ベリーズの切手は取り上げにくいということもありますが…。

 現在のベリーズに相当する地域は、スペインによる征服の後、グアテマラ総督府の管轄となりましたが、辺境の地であったため、総督の支配は十分には及んでいませんでした。このため、1638年、イギリスの武装船団が到達して、沖合のセント・ジョージ島に勝手に入植を開始。以後、この地の支配をめぐり、イギリスとスペインの係争が続きましたが、イギリス側はベリーズ定住の実績を積み重ね、1763年のパリ条約、1783年のヴェルサイユ条約を通じて、スペインに同島を自由に使用収益させることを認めさせました。さらに、1784年、セント・ジョージ島の人口増大などを理由として、イギリス人は対岸のベリーズ・シティに移転。1798年にはスペイン軍を破ってこの地を確保します。

 ところが、1821年に隣接するグアテマラが独立すると、グアテマラ新政府はベリーズ地域の支配権を含むスペイン統治時代の全ての権利はグアテマラに継承されていると主張。以後、この地の支配権をめぐっては、イギリスとグアテマラが対立する構図となり、1862年、イギリスは、ひとまずこの地域をジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として“英領ホンジュラス”を宣言しました。その後、1884年に“英領ホンジュラス”はジャマイカから離れて単独の植民地となります。

 第二次大戦後の1963年、英領ホンジュラスは英連邦内の自治政府となりますが、あくまでも自国領を主張するグアテマラとイギリスとの間で独立についての交渉が決裂。1973年の“ベリーズ”への正式な改称を経て、最終的に英連邦加盟国“ベリーズ”として独立したのは1981年9月21日のことでした。ちなみに、グアテマラがベリーズの領有権を放棄し、独立を承認したのは、1986年11月のことです。

 郵便に関しては、1786年以降、ジャマイカ経由で域外との通信が行われていたことが確認されており、“ベリーズ”の地名の入った郵便印の押されたカバーは19世紀初頭から存在しています。なお、1809年には最初の郵便局が開設されました。英国貨物船会社による定期便の開始は1830年1月7日のことで、これに合わせて、常勤の郵便局長としてモリアティが任命されています。ちなみに、ベリーズ当局では、このことを持ってベリーズ郵政の紀元としています。

 1858年には英本国の切手が持ち込まれ、“A06”の抹消印も使用されるようになりましたが、1860年には切手の配給がストップし、しばらくはスタンプレス時代に戻りました。その後、“英領ホンジュラス”の発足宣言を受けて、1866年には“英領ホンジュラス”名の切手発行が開始されました。当初の額面はポンド表示でしたが、1888年からはセント/ドル表示に変更されています。

 * 昨日の「ビーバップ・ハイヒール」の放送は、無事に終了いたしました。ご視聴いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。なお、次回のテレビ出演は、年明け1月19日の予定です。年が明けましたら、このブログでも、詳細を告知いたしますので、よろしくお願いします。


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