内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(15)
2014-03-25 Tue 16:51
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』529号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第3次および第4次中東戦争の戦間期のアラブ世界の状況のうち、湾岸首長国にスポットをあてました。その中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       アブダビ・岩のドーム(1972)

 これは、1972年、アラブ首長国連邦(UAE)結成直後の移行期間内に、アブダビ郵政が発行した最後の切手で、岩のドームが取り上げられています。

 現在、UAEを構成しているペルシャ湾岸の首長国は、かつて、1820年に英国と“休戦協定”を結んで保護国化されていた国という意味で、休戦協定諸国と呼ばれていました。

 休戦協定は、英国船に対する首長国側の海賊行為を止めさせるのが第一の目的で、協定の結果、休戦協定諸国は、英国の保護国として、外交と防衛を英国に委ねる一方、内政については各首長が自由に行うことが保証されていました。

 保護国というと半植民地化された属国というネガティヴなイメージで語られることも多いのですが、休戦協定諸国にとっては、英国のプレゼンスによって、対岸の地域大国、イランの脅威から自国の安全が保障されるというのは大いにメリットがあるものとして歓迎されていました。

 それゆえ、1968年、英国の労働党政権が1971年末をもってスエズ以東から軍事的に撤退する方針を明らかにすると、休戦協定諸国はパニックを来してこれに激しく反対。英国軍の駐留継続を懇願したものの、英国を翻意させることはできませんでした。

 当時のイランは、親米パフラヴィー王朝が“湾岸の憲兵”として米国の支援を受けており、英国の後ろ盾を失った弱小首長国を武力で併呑しても、国際社会はそれを黙認する可能性が大いにありました。実際、イランの圧力により、休戦協定諸国のラサールハイマはトゥンブ諸島を、シャルジャはアブー・ムーサ―島の割譲を余儀なくされています。

 このため、休戦協定諸国の2大勢力であったアブダビとドバイは、長年の敵対的なライバル関係を克服して、事実上の連邦形成に合意。これにより、両国間では外交、軍事、通貨、市民サービス、市民権、ならびに出入国管理業務などが統合され、首長国の連合によりイランの脅威に対抗するという方向性が当事者から示されることになります。

 一方、クウェートとサウジアラビアも、休戦協定諸国の7首長国にバハレーンとカタールを加えた9首長国で連合国家を形成するよう、各首長国間の斡旋に乗り出します。

 当初、仲介役のクウェートやサウジアラビアは、英国撤退後の首長国連合の中軸は、豊かな産油国で、近代国家としての体裁も比較的整っているバハレーンが担うことを期待していましたが、バハレーンとカタールが長年にわたって対立関係にあったことにくわえ、バハレーンじたいの領有権を主張するイランがこの問題に介入することも懸念されたため、バハレーンを軸とする国家連合という構想は早々に放棄されます。

 結局、1971年8月にバハレーンが、翌9月にカタールが、それぞれ単独で独立し、ラサールハイマを除く6首長国は同年12月2日、UAEを形成します。なお、ラサールハイマは、当初、独自路線をめざしたものの、結局、油田開発の失敗とイランの圧力に屈してトゥンブ諸島を割譲したことから、独自の国家建設を諦め、1972年2月、連邦に加盟し、現在のUAEができあがりました。

 連邦の結成に伴い、各首長国の郵政は連邦の郵政に統合され、1972年8月1日をもって、各首長国が新規に独自の切手を発行することは禁じられています。今回ご紹介の切手は、そうした移行期間の中でアブダビ郵政が最後に発行されたものです。

 ところで、アブダビを含む旧休戦協定諸国とパレスチナとの関係は、1960年代以降、アブダビおよびドバイでの油田開発が盛んとなり、出稼ぎ労働者として大量のパレスチナ人を受け入れたことから本格的に始まります。その際、ライバル関係にあったアブダビとドバイも、アラブの同胞としてパレスチナ人を可能な範囲で受け入れるという点では一致しており、イスラエルとは一切の交渉を持たないというアラブ連盟の基本方針を遵守していました。

 UAEが結成された以上、旧休戦協定諸国は過去のわだかまりを捨てて、新国家の運営のために連携することが求められる。しかし、それまで、必ずしも互いに友好的というわけではなかった各首長国にとって、共通の理念として掲げられるものは決して多くはありませんでした。もちろん、首長国が団結してイランの脅威に対抗するということは、絶対的な共通理念ではあるのですが、指呼の距離にある軍事大国を挑発するような内容の切手を発行するのはリスクが大きすぎます。

 その点、パレスチナの解放という名目は、旧休戦協定諸国のみならず、広く全アラブの“大義”として、UAEに加盟した首長国のどこも反対することはできないし、なにより、遠く離れたペルシャ湾岸にいる限り、どれほど、イスラエルを批判しようとも、イスラエルから直接報復を受ける危険性も限りなくゼロに近いものでした。

 連邦郵政に統合される間際のアブダビ郵政が、その最後の切手に“パレスチナ解放”のシンボルである岩のドームを取り上げたのも、新たに発足した連邦の各首長国が共有しうる価値観をあらためて持ち出すことで、今後の団結を呼びかける意図が込められていたのではないかと考えるのが妥当といえましょう。


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 アラブの都市の物語:アブダビ
2007-05-21 Mon 01:11
 NHKのアラビア語会話のテキスト6・7月号が出来上がってきました。僕の担当している連載「切手に見るアラブの都市の物語」では、今回は、アラブ首長国連邦(UAE)の首都、アブダビを取り上げました。その記事に使ったものの中から、今日は、このカバー(封筒)をお見せしましょう。(画像はクリックで拡大されます)

アブダビ切手のFDC

 これは、1964年3月30日に発行されたアブダビ最初の切手が11種貼られた初日カバーです。テキストの図版はモノクロなのですが、ブログではカラーでのご紹介となります。

 1971年にUAEが発足する以前のアブダビでの近代郵便制度は、1960年に沿岸のダス島に暫定的な郵便局が置かれ、現地通過の額面を加刷したイギリス切手が使われるようになったことから始まります。

 当時、イギリスと休戦協定を結んで保護国になっていた“休戦協定諸国(trucial states)”のなかで、アブダビとドバイという“2大首長国”は積年のライバルとしてあらゆる面で張り合っていました。以前の記事でも書きましたが、イギリスが“休戦協定諸国”共通の切手を発行しようとした際「ドバイの風下に置かれるような扱いは真っ平ごめんだ」として、アブダビがその切手を拒否したことは、そうした両者の関係を象徴するエピソードといえます。

 結局、“休戦協定諸国”共通の切手を拒否したアブダビは、1963年3月、アブダビ市内に郵便局を設置。その1周年にあたる1964年3月から、ここに示したような独自の切手を使用しはじめたというわけです。ちなみに、切手のデザインはアブダビ最初の切手。5~30NP(ナイエ・パイサ)切手が首長シャクブートの肖像、40~75NP切手がシャクブートとガゼル、1・2R(ルピー)切手がシャクブートと王宮、5・10切手がシャクブートと油井を背景にしたラクダ、です。

 さて、今回の「切手に見るアラブの都市の物語」では、アブダビそのものの歴史をたどりつつ、今回ご紹介した切手が発行されてから、UAEの結成によりアブダビ切手が消滅するまでのあらましをまとめてみました。ご興味をお持ちの方は、是非、現在発売中のNHKアラビア語会話のテキストをお手にとってご覧いただけると幸いです。

 なお、アブダビを含む“アラブ土侯国”とその郵便の全体像については、拙著『中東の誕生』でもまとめていますので、よろしかったら、こちらもご一読いただけると幸いです。
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 アブダビの加刷切手
2007-03-07 Wed 00:50
 アラブ首長国連邦(UAE)の首都・アブダビに建設予定の美術館が「ルーブル・アブダビ」を名乗り、パリのルーブル美術館から美術品の大量の貸与を受ける契約が調印にこぎつけたのだそうです。契約額は約10億ユーロ(約1500億円)だとか。

 というわけで、アブダビがらみのストックの中からこんなものを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

アブダビ加刷カバー

 これは、1966年12月、アブダビからイギリス宛に差し出されたカバー(封筒)で、同年9月に発行された加刷切手が貼られています。

 1971年にUAEが発足する以前のアブダビでの近代郵便制度は、1960年に沿岸のダス島に暫定的な郵便局が置かれ、現地通過の額面を加刷したイギリス切手が使われるようになったことから始まります。

 当時、イギリスと休戦協定を結んで保護国になっていた“休戦協定諸国(trucial states)”のなかで、アブダビとドバイという“2大首長国”は積年のライバルとしてあらゆる面で張り合っていました。以前の記事でも書きましたが、イギリスが“休戦協定諸国”共通の切手を発行しようとした際「ドバイの風下に置かれるような扱いは真っ平ごめんだ」として、アブダビがその切手を拒否したことは、そうした両者の関係を象徴するエピソードといえます。

 結局、“休戦協定諸国”共通の切手を拒否したアブダビは、1963年3月、アブダビ市内に郵便局を設置。その1周年にあたる1964年3月から独自の切手を使用しはじめます。

 ところが、1966年6月、休戦協定諸国の共通通貨であったガルフ・ルピーが為替市場で暴落したため、アブダビは、同年9月以降、バハレーン・ディナールを域内通貨とする通貨改革を実施。この間、アブダビ域内では、暫定的にサウジアラビア・リヤルが基準通貨として流通していましたが、同年8月、経済政策の失敗から首長のシャクブートは退位に追い込まれてしまいます。これを受けて、9月以降、バハレーン・ディナール表示の新額面とともに、彼の肖像を抹消する加刷の施された切手が発行・使用されました。今回ご紹介のカバーは、その加刷切手が貼られているものです。

 その後もアブダビとドバイの対立関係は1960年代を通じて続いていくのですが、1971年、両者を含めた7首長国が集まって“アラブ首長国連邦”が結成されます。これは、イギリス軍がこの地域から撤退するため、対岸のイランの脅威に直接さらされることになった首長国が団結せざるを得なくなった結果でした。

 なお、UAEができあがっていくまでの“アラブ土侯国”とその郵便については、拙著『中東の誕生』でもまとめていますので、ご興味をお持ちの方は、是非、ご一読いただけると幸いです。
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 アブダビ最初の切手
2006-01-15 Sun 10:27
 東京・目白の“切手の博物館”で開催中の<中近東切手コレクション>展(詳しくはhttp://yushu.or.jp/museum/toku/をご覧ください)は、いよいよ、本日が最終日です。本日は14:00からと15:30からの2回、展示解説を行いますので、ぜひとも、遊びに来ていただければ幸いです。
 
 さて、このブログでも何度か書きましたが、今回の展覧会では、僕は「中東戦争とその時代」と「アラブ土侯国の郵便史」の二つのミニコレクションを出品しているのですが、今日は、「アラブ土侯国の郵便史」の中から、こんな1枚をご紹介してみましょう。

アブダビ

 これは、1964年3月に発行されたアブダビ最初の切手が貼られたカバー(封筒)です。

 アブダビにおける近代郵便は、1960年に沿岸のダス島に暫定的な郵便局が置かれたことから始まります。

 当時、イギリスと休戦協定を結んで保護国になっていた“休戦協定諸国(trucial states)”のなかで、アブダビとドバイという“2大首長国”は積年のライバルとしてあらゆる面で張り合っていました。以前の記事(http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-102.html)でも書きましたが、イギリスが“休戦協定諸国”共通の切手を発行しようとした際「ドバイの風下に置かれるような扱いは真っ平ごめんだ」として、アブダビがその切手を拒否したことは、そうした両者の関係を象徴するエピソードといえます。

 結局、“休戦協定諸国”共通の切手を拒否したアブダビは、1963年3月、アブダビ市内に郵便局を設置。その1周年にあたる1964年3月から独自の切手を使用しはじめます。今回ご紹介しているのは、その切手が貼られたカバーです。

 その後もアブダビとドバイの対立関係は1960年代を通じて続いていくのですが、1971年、両者を含めた7首長国が集まって“アラブ首長国連邦”が結成されます。これは、イギリス軍がこの地域から撤退するため、対岸のイランの脅威に直接さらされることになった首長国が団結せざるを得なくなった結果でした。

 最近、イランの核開発問題がマスコミを賑わせていますが、隣接するアブダビやドバイにとって、その脅威はきわめて深刻なものであることは容易に想像がつきます。我々だって、核兵器を持っている対岸の大国ってのは、おっかなくてしょうがないのですから…。
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