内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 きょうからJTPC展です
2015-01-30 Fri 10:04
 きょう(30日)から、東京・目白の切手の博物館で第6回テーマティク出品者の会(JTPC:Japan Thematic Philatelists Club)の切手展がスタートします。今回は、自動車を題材とした作品を御出品の牧野克彦一さんの御尽力で、きょう・あす(30-31日)は下のデザインのような小型印が使用されます。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      テーマティク出品者の会小型印(2015)

 というわけで、きょうは、牧野さんの御尽力に敬意を表するとともに、開催のご挨拶を兼ねて、自動車関連のこんなマテリアルを持ってきました。

      シトロエン・ハーフトラック  シトロエン・ハーフトラック(裏)

 これは、1922年のシトロエンによるトンブクトゥ遠征隊によって運ばれた絵葉書とその裏面です。

 フランスのアンドレ・シトロエンは、第一次大戦中、ダブルヘリカルギアと大砲用の砲弾製造で築いた財産を元手に、1919年、ヨーロッパにおける自動車の大衆化を目指し、パリのセーヌ川・ジャヴェル河岸の軍需工場を転用して“シトロエン自動車会社”を創業します。

 当時のフランスでは、すでに、1882年に世界最古の自動車メーカーとして創業したプジョー社や1898年創業のルノー社などが自動車市場を押さえており、後発メーカーのシトロエンは、米国のフォード社に倣った大衆車の生産という以外にも、何か新機軸を打ち出して先行2社に対抗する必要がありました。

 そこで、創業者のアンドレは、“空間を時間によって征服する”という理想を掲げ、世界各国を自動車が走り回ることで、異なる文明世界をひとつに結び付けることができるという壮大な目標をぶち上げます。そして、その具体的な実践として自社の自動車による探検旅行を企画し、それによって得られた情報をメディアに発信することで自社製品の宣伝につなげようとしました。

 この目的のため、シトロエンは道なき道でも走行できるよう、前輪が通常のタイヤで後輪がキャタピラという“ハーフトラック”を開発。1922年12月16日、工場の総支配人だったジョルジュ・マリ・アールトの下、10人の探検家が5台のハーフトラックに分乗して、アルジェリアのトゥグルトを出発し、サハラ砂漠を横断して翌1923年1月7日、トンブクトゥに到着し、大いに話題となりました。
 
 今回ご紹介の葉書は、この時の遠征に際してシトロエンが制作したモノで、絵面には、サハラ越え遠征ルートの地図が印刷されており、一行が具体的にどのようなルートをたどってトンブクトゥに到達したかがよくわかります。また、左下には実際のハーフトラックの写真が載せられているのも良い感じです。

 裏面には、「この葉書は、トンブクトゥからトゥグルトまでサハラ砂漠を横断した最初の自動車によって、オート・ニジェールからアルジェリアまで運ばれた」との文言が印刷されています。この文言通り、押されている郵便印をチェックしてみると、葉書は1923年1月29日にトンブクトゥで受け付けられ、3月7日にトゥグルトに到着しており、その後、アルジェを経て宛先のパリに届けられたものと考えられます。

 なお、貼られている切手は、第一次大戦後の仏領植民地の再編に伴い、1921年、仏領オート・セネガル・ニジェール用に発行されたトゥアレグ人を描く10サンチーム切手(1914年発行)に“SOUDAN(スーダン)”と加刷して発行されたモノです。このあたりの事情につきましては、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら是非ご覧いただけると幸いです。

 さて、JTPCは、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争切手展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回の展覧会は、昨年に続き6回目の開催で、会場では、フレーム切手等も販売します。会期は2月1日までで、31日(土曜日)の午後3時頃からは、展示作品の解説も行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。
 

 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 フランス解放とアフリカ兵
2014-08-26 Tue 22:37
 昨日(25日)は、1944年8月25日のパリ解放から70周年ということで、パリ市庁舎前で記念式典が開かれ、オランド大統領が集まった市民に「パリ解放はフランスの勝利であり、それを支えた全ての人の勝利だ。」と演説したそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      仏領スーダン・アフリカ兵

 これは、第二次大戦中の仏領スーダン(現マリ)で発行された国防献金を集めるための寄附金つき切手で、現地で徴募されたアフリカ兵が大きく描かれています。

 1939年9月1日、第二次欧州大戦が勃発した時点の仏領西アフリカ連邦総督は、同年8月10日に着任したばかりのレオン・アンリ・シャルル・カイラでした。しかし、カイラは本国の対独降伏に抗議して1940年6月25日に辞職してしまいます。このため、ヴィシー政府は、カイラの前任者で隣接する仏領赤道アフリカの総督に転出していたピエール・フランソワ・ボアッソンを西アフリカ総督に復帰させ、この地がド・ゴール派に流れるのを阻止しようとしました。

 ボアッソンは、1935年5月7日から12月5日まで、当時の西アフリカ総督ジョセフ・ジュレ・ブレヴィエの下で総督代理を務めたほか、1938年10月28日から1939年8月10日まで正規の西アフリカ総督を務めた経験もある仏領アフリカ植民地の専門家であったため、西アフリカ総督復帰とともに、ヴィシー政府派の全仏領アフリカを管轄する高等弁務官も兼務することになります。ちなみに、ボアッソンが離任した後の赤道アフリカでは、チャドが自由フランス側に加わり、カメルーンとガボンがこれに続きました。

 仏領西アフリカの“中立化”に成功したドイツは、西アフリカ有数の港であるドイツを潜水艦の基地として使用することを計画。このため、これを阻止すべく、自由フランス軍は英国の支援を受けてダカールへの上陸を試みたものの、結局、上陸は果たせないまま、撤退を余儀なくされています。

 これに先立ち、フランスの降伏直後の1940年7月3日、英国はアルジェリアのメルセルビケール軍港を攻撃しました。フランス艦隊がドイツ側の手に落ちないよう無力化するというのがその目的でしたが、この攻撃はフランス国内の反英世論を醸成する結果となります。

 メルセルビケール軍港への攻撃に続き、ダカールまでもが英国(の支援を受けた自由フランス軍)の攻撃を受けたことで、ヴィシー政府の対英不信は決定的なものとなり、彼らは頑なに“中立”を守ることになります。

 一方、ダカールの攻略に失敗した英国は仏領西アフリカに対して海上封鎖を行ったため、貿易が途絶した仏領西アフリカの経済は大きな打撃を受けました。このため、ボアッソンはセネガル地域での“落花生増産運動”を展開し、仏領スーダンや同ギニアから累計4万5000人もの労働者を動員しています。

 こうした状況の下で、1942年11月8日、連合軍はカサブランカ、オラン、アルジェへの上陸作戦を敢行。11月11日までにこの地域のヴィシー・フランス軍を降伏させます。事態の転換を受けて、12月7日、ボアッソンは連合国支持を表明し、ヴィシー政権から離脱しました。

 自由フランスへの合流後、仏領西アフリカからは10万を超える多数の兵士が動員されています。

 もともと、自由フランスが発足した当初、フランス白人の大半はヴィシー政府によってともかくもフランス国家が存続したことを肯定的にとらえており、ド・ゴールを軍事的に支えたのは仏領赤道アフリカ出身ののアフリカ系兵士たちでした。その割合は、最大時、自由フランスの全兵力の3分の2を占めており、1940年の戦闘だけで、1万7000人のアフリカ出身の兵士が戦死し、多くが枢軸側の捕虜となっています。自由フランス軍の勝利は、まさに、今回ご紹介の切手に描かれているような、アフリカ兵の多大な犠牲なくしてはありえなかったのです。

  こうした記憶は、現在なおフランス社会には生きていて、たとえば、2013年2月、フランス軍の軍事介入によって反政府武装勢力が主要都市から撤退したことを受けてマリを訪問したフランス大統領フランソワ・オランドが「(今回の)フランスの介入でマリとアフリカが第二次大戦の時にフランス側で戦ってくれたことへの借りを返すことができた。フランスが支援を求めている時に来てくれたのはアフリカでありマリ(第二次大戦当時は仏領スーダン)だった。ありがとう、マリ」と演説していることからもうかがえましょう。もちろん、昨日の演説での「(自由フランスを)支えた全ての人の勝利だ。」との一節にある“全ての人々”の中に、アフリカ系の兵士たちが含まれていることは言うまでもありません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

     
 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。


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 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

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 マリ独立記念日
2013-09-22 Sun 10:34
 きょう(22日)は、マリ共和国の独立記念日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       仏領スーダン加刷(1894)

 これは、1894年、“仏領スーダン”で最初に発行された加刷切手で、少し読みづらいですが、当時の首府カイの消印が押されています。

 フランスが西アフリカに進出するようになるのは17世紀以降のことで、1659年、セネガル川河口、サン・ルイの中洲に城砦を築いたのが最初で、さらに、ポルトガルやオランダが奴隷貿易の拠点としていたダカール沖合のゴレ島をイギリスとの争奪戦の末に1677年に占領。西アフリカを拠点とした奴隷貿易が本格的に行われるようになりました。

 1815年、皇帝ナポレオン1世が失脚した後のウィーン会議では、セネガル川河口の沿岸部、サン・ルイとゴレ島の周辺をフランスの植民地“仏領セネガル”とすることでヨーロッパ諸国が合意。その後、フランス国内は1830年の7月革命や1848年の2月革命などの混乱が続きましたが、最終的にナポレオン3世が権力を掌握すると、フランス領セネガルの本格的な植民地経営がスタートしました。

 これと前後して、1854年、仏領セネガル知事となったフェデルブは、それまで沿岸部にとどまっていたフランスの権益を内陸部にまで拡張することに力を注ぎ、1855年にカイに城砦を建設。1857年にはダカールを占領して、1860年にはニジェール河岸にまでフランスの権益を拡大。1865年に総督を退任するまでの間に、広大な地域をフランスの影響下に置くことに成功し、フランスによる西アフリカ支配の基礎を築きました。

 こうした経緯を踏まえて、1880年、現在のマリに相当する地域は“上セネガル”という意味で“オート・セネガル植民地”とされ、カイを首府とするフランス植民地政府が設置されました。
 
 その後、オート・セネガル植民地は、1890年8月18日、“仏領スーダン”と改称されます。ここでいう“スーダン”とは“(サハラ以南の)黒人居住地域”という意味で、ナイル川上流、エジプトの南に位置する英領のスーダンとは直接の関係はありません。

 1890年代に入ると、フランスはカイを拠点にさらに内陸部へ進出し、各地の地方政権を圧倒。1892年にはバマコから235キロ東北のニジェール河岸のセグーを占領します。ついで、1893年12月、フランス軍のオーブ中尉が遊牧民のトゥアレグ人に殺害される事件が起きると、ユージン・ボニエ中佐ひきいるフランス軍はセグーを出発し、翌1894年1月10日、トンブクトゥに入城しました。

 今回ご紹介の加刷切手は、こうした背景の下、仏領スーダンで使用するために発行されたモノで、現在のマリ共和国に相当する地域の切手としては最初の1枚となりました。

 なお、マリ共和国の複雑な近現代史については、拙著『マリ近現代史』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は10月1日(原則第1火曜日)で、以後、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 マリ政府“和平協定”に調印
2013-06-20 Thu 14:06
 マリ政府とトゥアレグ人反政府勢力“アザワド解放全国運動(MNLA)”は、おととい(18日)、隣国ブルキナファソの首都ワガドゥグで、との間で北部キダルでの投票に関する合意文書(報道では、これが“和平協定”と言われているようです)に調印しました。これにより国家再建への重要ステップとして、来月に予定されている大統領選挙は全土での実施に向けて弾みがつくと見られています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       仏領スーダン改値加刷

 これは、1927年、マリの前身にあたる仏領スーダンの20フランの加刷切手です。切手は、1914年に仏領オート・セネガル・ニジェール用に発行されたトゥアレグ人を描く5フラン切手に、1921年、仏領植民地の再編に伴い“SOUDAN(スーダン)”と加刷して発行されたものに、さらに、1927年に額面改定の加刷を施して発行されたものです。

 さて、仏領時代、遊牧民であるトゥアレグ人は砂漠地帯を比較的自由に往来し、昔ながらのラクダの隊商で生計を立てていました。また、彼らの多くは、フランス植民地当局による西洋式の教育を拒んだため、アフリカ系とは違って、官僚機構を担いうる知的エリート層が形成されませんでした。

 1960年代に入り、仏領西アフリカ連邦が解体され、連邦を構成していた各植民地が個別に独立国となると、トゥアレグ人の居住地域も、ニジェール、マリ、アルジェリア、リビア、ブルキナファソの各国に分割されることになりましたが、このうち、特に多くのトゥアレグ人口を抱えるようになったのが、マリとニジェールです。

 しかし、マリ、ニジェールの両国においてはフランス語のみが公用語とされ、トゥアレグ人の言語であるトゥアレグ語(タマシェク語)は排除されたため、植民地時代にフランス語教育を拒否してきたトゥアレグ人が、独立後の新国家で社会的な地位を得るのは困難でした。一方、トゥアレグ人の側は、新政府による“近代化”政策を重大な文化侵略と受け止めていました。さらに、新たに誕生した“国境”により、かつてのような自由な往来が(少なくとも建前上は)制限されるようになったこととも、トゥアレグ人にとっては不満でした。

 こうしたことから、マリでは独立以来いくどとなくトゥアレグ人の反乱が発生していますが、今回問題となったキダル州は、1990年に発生した反乱の和平協定として1991年にアルジェリアの仲介で結ばれた停戦協定(タマンラセット合意)を受けて、1991年8月8日に設定されたものです。キダル州はマリとニジェールおよびアルジェリアとの国境地帯に位置しており、トゥアレグ人に対する宥和政策の一環として、州内での自治権が大幅に認められました。

 このように、もともとトゥアレグ人の勢力が強いキダル州ですが、昨年来の内戦では、当初、反政府で一致していたトゥアレグ人とイスラム過激派のアンサール・ディーンが対立し、フランスによる軍事介入まで、アンサール・ディーンの実効支配下に置かれていました。現在でも、イスラム勢力は相当規模の武器と兵力を維持しており、北部の砂漠ないしは山岳地帯を拠点に活動を継続しています。したがって、マリ政府とトゥアレグ人との合意は成立したとはいえ、依然として不安定要因は少なからず残っているといえましょう。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 母の日
2013-05-12 Sun 14:30
 きょう(12日)は母の日です。というわけで、母と子を描くこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       現地の子供のための福祉

 これは、1942年6月22日、仏領スーダンで発行された“現地の子供のための福祉”の名目で発行された寄附金つきの航空切手で、キリスト教のシスターに抱きかかえられて体重を測られている子供とその母親、さらに、後ろで順番を待つ母子が描かれています。おそらく、近代的な健康診断の実施により、乳児の健康を守ろうという意思を込めたデザインと思われます。

 なお、切手を発行した仏領スーダンは、第一大戦後の仏領西アフリカ植民地の再編成の過程で、1921年12月1日、仏領オート・セネガル・ニジェールを改変して誕生したもので、現在のマリ共和国の直接のルーツとなります。

 もともと、カトリック教会はアルジェリアやテュニジアでの信徒の拡大を目指していましたが、北アフリカの地域はムスリムの社会的な影響力が強く、住民を改宗させるのは容易なことではありませんでした。

 このため、1867年にアルジェリアの大司教となったシャルル・ラヴィジュリーは、1868年にサハラ・スーダン知牧区を設定したうえで、1876年1月15日、3人の宣教師にキャラバン隊を組織させ、遊牧民のトゥアレグ人を案内役として、サハラ砂漠を越えてトンブクトゥを目指す布教の旅に送り出します。ところが、宣教師たちは途中でトゥアレグ人の裏切りに遭って殺害されてしまいました。

 その後、1881年12月18日には、あらためて、サハラ越えの宣教師のキャラバンがテュニジアを出発しましたが、またしても途中でトゥアレグ人のガイドに殺害されてしまい、カトリック教会はサハラ越えのルートでトンブクトゥに入り、布教を行うというプランは断念せざるをえなくなりました。

 そこで、1885年、オーギュスタン・アカール神父はサハラ越えではなく、フランスの拠点であったセネガルから西アフリカ内陸に向けて出発し、4月1日、ニジェール内陸デルタの端に位置するセグーに到着。5月2日にはデルタ北端のトンブクトゥに到達し、1899年までに、セグーにおけるカトリック教会の基盤を築くことに成功しました。これとは別に、1843年にセネガルに支部を設けた聖霊修道会も、1888年にはキータに、1892年にはカイに布教のための拠点を設定。こうして、19世紀末、現在のマリの地域がフランスの植民地になるのと軌を一にして、現地での布教活動が進められるようになりました。今回ご紹介の切手の中央にシスターが描かれているのも、こうした経緯を踏まえ、彼女たちによる現地での慈善活動とフランスの“善政”をアピールするためと思われます。

 なお、現在のマリ共和国に相当する旧仏領スーダンでの、フランスによる植民地支配の功罪については、拙著『マリ近現代史』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 花まつり
2013-04-08 Mon 08:06
 きょう(8日)は、花まつりの日です。というわけで、きょうは(たぶん)お釈迦様ネタの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        パリ万博(1937)

 これは、1937年のパリ万博に際して仏領植民地で発行された共通図案の記念切手のうち、仏領スーダンで発行された1枚で、仏領植民地を代表する文物の一つとして、左から2番目に仏像が描かれています。当時の仏領植民地で仏像といえば、基本的にはインドシナ半島のものでしょう。切手の仏像は、釈迦が修行中に煩悩を燃やしていることを表す“火炎宝珠”らしきものが描かれていますので、これは当時の仏領インドシナでもラオスやカンボジアの釈迦如来像ではないかと推測したのですが、いかがでしょうか。

 さて、1937年のパリ万博は、「近代生活における芸術と技術」をテーマに、1937年5月25日から11月25日まで開催され、フランスやドイツ、イタリア、ソビエト連邦、スペイン、日本、アメリカなど世界各国から44ヶ国が参加し、185日間の会期中3104万人が入場しました。また、ピカソの『ゲルニカ』が出展されたことでも知られています。

 切手を発行した仏領スーダンは、第一大戦後の仏領西アフリカ植民地の再編成の過程で、1921年12月1日、仏領オート・セネガル・ニジェールを改変して誕生したもので、現在のマリ共和国の直接のルーツとなります。

 現在、制作作業中の拙著『マリ近現代史』では、2012年以降のアップ・トゥ・デートのみならず、仏領植民地時代の複雑な歴史についても、わかりやすく解説するように努力しました。明日には、いよいよ輪転機もまわり始める予定で、東京・浅草で月末に開催のスタンプショウでは、実物をご覧いただける予定です。27日の15時からは会場内の特設コーナーで刊行記念トークも行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

・4月14日(日) 15:00- 東京五輪と切手
 於 東京国立近代美術館 ギャラリー4(2F)
 現在開催中の展覧会東京オリンピック1964 デザインプロジェクトの4月のギャラリートークに内藤が登場します。展覧会本体も、東京五輪関連の切手原画の展示をはじめ見ごたえのある内容ですので、ぜひ、遊びに来てください。(展覧会へ入場するための観覧券は必要になります)

・4月27日(土) 15:00- 『マリ近現代史』出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。書店に並ぶ前の先行販売はスタンプショウ会場内が最初となります。入場は完全に無料です。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 フランス軍、ガオを奪還
2013-01-27 Sun 14:30
 フランス国防省は、現地時間の26日、アフリカ西部マリに介入したフランス軍主導の部隊が、イスラム武装勢力が実効支配していた北部の拠点都市、ガオを奪還したと明らかにしました。というわけで、きょうはガオに絡んでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ガオ=バマコFFC

 これは、1938年2月、アルジェ=ガオ=バマコ間の初飛行カバー(FFC)のうち、ガオ=バマコ間を運ばれたモノです。

 アルジェからガオ経由でバマコまで通じる航空郵便の第一便は1938年2月20日、アルジェを出発し、翌21日にフランス領スーダン(現マリ)のガオに到着、翌22日、フランス領スーダンの首都であったバマコに到着しました。FFCとしてはフランス国内から差し出されたモノが多く、料金はフランス=仏領スーダン間が2フラン65サンチーム(フランス発)、アルジェ=仏領スーダン間が2フラン15サンチーム、仏領スーダン域内が1フラン65サンチームでした。ちなみに、バマコ→アルジェ便は2月26日にバマコを出発したのが第一便です。

 さて、マリ北部、ニジェール川沿いのガオは、西暦7世紀前後に建設された都市カウカウがそのルーツで、トンブクトゥジェンネとともにサハラ交易で繁栄。ソンガイ帝国の首都として、15世紀には7万人の人口と1000隻の舟を擁していましたが、1591年にモロッコの侵略を受けて破壊され、衰退しました。

 1880年、現在のマリに相当する地域は“オート・セネガル植民地”としてフランス植民地政府の支配下に置かれ、1890年には仏領スーダンが発足します。首都は、当初はカイに、1899年以降はバマコに置かれましたが、この両都市はいずれも仏領スーダン内では南西部に偏っていたため、北部の交通網の拠点として、フランス当局はガオに注目。港湾施設が整備されるとともに、都市のインフラ整備がすすめられました。1930年代になると航空路線の中継点としても重要性を持つようになり、今回ご紹介のFFCが差し出された前年の1937年には、米国人女性飛行家のアメリア・イアハートが、セネガル=ハルトゥーム間の飛行の合間に中継地としてガオに立ち寄っています。

 さて、2012年のクーデター後、ガオを含むマリ北部は反政府勢力の支配下に置かれており、最近は、国際テロ組織アルカイダに近い“西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO)”支配下の最大の拠点都市となっていました。それだけに、今回のマリ政府支援の多国籍軍によるガオの奪還は戦局の一大転換点になる可能性も高く、今後の情勢に注目したいところです。


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 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。


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 マリでクーデター
2012-03-23 Fri 09:22
 西アフリカのマリで、きのう(22日)、クーデターが発生し、反乱軍部隊が首都バマコの大統領府を支配下に置き、憲法を停止。アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領は大統領府を脱出し、陸軍将校のアマドゥ・サノゴを長とする民主主義制定のための全国委員会が権力を掌握しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        仏領スーダン加刷

 これは、現在のマリ共和国の前身、仏領スーダンで1921年に発行された切手で、遊牧民のトゥアレグ族が描かれています。

 現在のマリ共和国に相当する地域には、1880年、“オート・セネガル植民地”としてフランス植民地政府が置かれました。植民地の名称は1890年に仏領スーダンと改称されました。

 第二次大戦後の1958年、フランス植民地の再編がすすめられていく中で、西アフリカでは、フランス共同体内の自治権を持つ国として、仏領スーダン、セネガルオートヴォルタ(現ブルキナファソ)ダオメー(現ベナン)ニジェールトーゴ象牙海岸(現コートディヴォワール)などの自治共和国がつくられましたが、このうち仏領スーダンとセネガル、オートボルタ、ダオメーの4ヵ国は1959年1月、14世紀にニジェール川流域で繁栄した黄金の帝国“マリ”にちなみ、マリ連邦を結成することになりました。

 ところが、各国の主導権争いなどから、1959年4月に実際にマリ連邦が結成された際に、これに参加したのは、仏領スーダンとセネガルだけで、さらに、1960年8月にはセネガルが連邦からの分離独立してしまったため、旧仏領スーダン地域の地域のみがあらためてマリ共和国となり、現在にいたっています。

 一方、今回ご紹介の切手に描かれているトゥアレグ族は、ベルベル系の遊牧民で、アルジェリア、マリ、ニジェールを中心に100万から350万人が生活しているといわれています。

 このうち、ニジェール領内のトゥアレグ族は、同国北部を中心に反政府闘争を展開していましたが、2002年頃までに武装闘争はほぼ鎮圧されました。こうした反政府闘争と前後して、彼らの一部は雇用を求めて産油国のリビアにわたり、カダフィ政権下で傭兵として活動していました。

 ところが、2007年ごろからトゥアレグ族のニジェールないしはマリへの帰国が相次いだことで、この地域の情勢は再び不安定化。カダフィ政権崩壊後の昨年11月には、マリ北部に向けて帰還途上だったトゥアレグ族の元傭兵の進軍を、ニジェール軍が同国北部のアサマカで阻止するという事件も起きています。

 今回クーデターのあったマリに関しては、今年に入ってから、トゥアレグ族反政府勢力の大規模な武装蜂起が発生していましたが、トゥーレ政権の対応は後手後手に回り、軍内では反政府勢力を鎮圧するための武器弾薬が不足していたことに対する不満が高まっていたそうです。

 こうした状況の下で、おととい(21日)、首都バマコ郊外の軍駐屯地を国防大臣が訪問したのをきっかけに、トゥーレ政権では反政府勢力を鎮圧できないとして反乱部隊が蜂起。今回の政変になったというわけです。

 ちなみに、マリでは今年4月29日に大統領選挙が予定されており、トゥーレ大統領は出馬しない予定だったとか。反乱部隊も、あと一月、我慢すればよかったのに…と思うんですがねぇ。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 国立市〈歴史講座〉“もの”が語る戦争の歴史

 3月27日(火) 19:00-21:00 於・国立市公民館3階講座室
 *お問い合わせ・お申し込みは、国立市公民館(電話 042-572-5141)までお願いいたします。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

よみうりカルチャー柏
 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話
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