内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ガオの仏海兵隊基地
2017-01-19 Thu 10:24
 マリ北部・ガオの軍事キャンプで、きのう(18日)、爆発物を積んだ自動車による自爆テロがあり、これまでに少なくとも42人が亡くなり、100人以上が負傷しました。実行犯の5人は全員死亡しており、アルカイダ系の流れをくむイスラム過激派組織“アル・ムラビトゥーン”が犯行声明を出しています。というわけで、亡くなられた方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りしつつ、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ガオ・フランス海兵隊基地

 これは、1960年4月16日、マリ連邦時代のガオに置かれていたフランス海兵隊基地から差し出された軍事郵便で、“海兵隊第20大隊/ガオ/郵便担当”の青紫色の印も押されています。すでに、前年の1959年にマリ連邦は結成されていましたが、消印は仏領スーダン時代のものがそのまま使用されています。

 さて、マリ北部、ニジェール川沿いのガオは、西暦7世紀前後に建設された都市カウカウがそのルーツで、トンブクトゥジェンネとともにサハラ交易で繁栄。ソンガイ帝国の首都として、15世紀には7万人の人口と1000隻の舟を擁していましたが、1591年にモロッコの侵略を受けて破壊され、衰退しました。

 1880年、現在のマリに相当する地域は“オート・セネガル植民地”としてフランス植民地政府の支配下に置かれ、1890年には仏領スーダンが発足します。首都は、当初はカイに、1899年以降はバマコに置かれましたが、この両都市はいずれも仏領スーダン内では南西部に偏っていたため、北部の交通網の拠点として、フランス当局はガオに注目。港湾施設が整備されるとともに、都市のインフラ整備がすすめられました。 

 ちなみに、フランスの海兵隊(Troupes de Marine)は、1622年にリシュリューにより創設され、当初は艦上勤務を専門とする通常の海兵隊でした。その後、植民地警備が主任務となり、1900年には陸軍に移管され、事実上の陸軍部隊として植民地の防衛・警備を担当するようになりましたが、“海兵隊”の名称はそのまま維持されました。内陸部のガオに“海兵隊”の基地がおかれていたのもそうした事情によるものです。

 今回のテロ事件のあった軍事キャンプは、このフランス海兵隊の基地を継承したもので、2015年にバマコのマリ政府と北部の武装勢力との間で和平合意が成立した後、政府軍の兵士と、軍と協力する武装勢力のメンバーらが駐屯していました。

 なお、マリとその歴史については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 日本シリーズは楽天が初優勝
2013-11-04 Mon 01:01
 プロ野球の日本シリーズは楽天が巨人を下して球団創設9年で初の日本一となりました。というわけで、きょうは、“イーグルス”ネタということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・ダルマワシ

 これは、1960年2月13日にマリ連邦で発行された200フランの航空切手で、ダルマワシが描かれています。

 ダルマワシは、アフリカのサハラ以南の、サバンナや低木地、開けた森林に棲むタカ目タカ科の猛禽で、顔と足が赤く ダルマのようにずんぐりした体形をしていることから、この名前が付けられました。英名の“Bateleur”はフランス語で“綱渡り芸人”を意味していますが、これは、明け方の冷え込みが去るとすぐに飛び立って、一日のほとんどを空中ですごし、左右のバランスをとりながら高速で滑空する姿に由来しています。

 第二次大戦後の1958年、仏領西アフリカ連邦を構成していた各植民地は、完全独立を果たしたギニアを除き、フランス共同体内の自治共和国として独立。これを受けて、同年12月末、旧仏領スーダン(現マリ)の首府バマコにスーダン、セネガル、オート・ヴォルタ、ダホメ各地の汎アフリカ主義者らが集まり、新たな連邦を創設してフランスからの完全独立を目指して会議を開催。翌1959年1月17日、セネガルのダカールで開催された“憲法制定会議”において「“マリ連邦”憲法」が承認され、各共和国で国民投票にかけられることになりました。ところが、各地域での国民投票の結果、実際に同憲法を承認したのは旧スーダンとセネガルのみで、“マリ連邦”は、1959年4月4日、両者の連合体としてスタートしました。

 フランスは、当初、マリ連邦の独立を承認せず、フランス本国との国家連合を求めていましたが、最終的に1959年12月11-12日にセネガルのサン・ルイで開催されたフランス共同体委員会でマリ連邦の独立を実質的に承認。1960年6月20日、マリ連邦は正式に独立を達成しました。今回ご紹介の切手が発行されたのは、この間の1960年2月のことですから、フランスによる独立承認からマリ連邦正式発足までの過渡的な時期といえます。

 ところが、連邦のあり方をめぐって、旧スーダンとセネガルとの対立が生じ、2か月後の8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、セネガルがマリ連邦からの独立を宣言。旧スーダン側は国連軍の派遣を要請してこれを阻止しようとしましたが、結局失敗し、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立し、同月28日、国連に加盟しました。

 なお、拙著『マリ近現代史』では、こうして発足したマリ共和国の現在にいたるまでの歴史をヴィジュアル資料も駆使してわかりやすく解説しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 きょうからバード・ウィーク
2013-05-10 Fri 12:47
 きょう(10日)から愛鳥週間(バード・ウィーク)が始まります。というわけで、きょうは鳥切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ連邦・航空切手     

 これは、1960年2月13日にマリ連邦で発行された500フランの航空切手で、アカハラヤブモズが描かれています。

 第二次大戦後の1958年、仏領西アフリカを構成していた各植民地は、完全独立を果たしたギニアを除き、フランス共同体内の自治共和国として独立。これを受けて、同年12月末、旧仏領スーダン(現マリ)の首府バマコにスーダン、セネガル、オート・ヴォルタ、ダホメ各地の汎アフリカ主義者らが集まり、新たな連邦を創設してフランスからの完全独立を目指して会議を開催。翌1959年1月17日、セネガルのダカールで開催された“憲法制定会議”において「“マリ連邦”憲法」が承認され、各共和国で国民投票にかけられることになりました。ただし、国民投票の結果、実際に同憲法を承認したのは旧スーダンとセネガルのみで、“マリ連邦”は、1959年4月4日、両者の連合体としてスタートしました。

 フランスは、当初、マリ連邦の独立を承認せず、フランス本国との国家連合を求めていましたが、最終的に1959年12月11-12日にセネガルのサン・ルイで開催されたフランス共同体委員会でマリ連邦の独立を実質的に承認。1960年6月20日、マリ連邦は正式に独立を達成しました。今回ご紹介の切手が発行されたのは、この間の1960年2月のことですから、フランスによる独立承認からマリ連邦正式発足までの過渡的な時期といえます。

 ところが、連邦のあり方をめぐって、旧スーダンとセネガルとの対立が生じ、2か月後の8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、セネガルがマリ連邦からの独立を宣言。旧スーダン側は国連軍の派遣を要請してこれを阻止しようとしましたが、結局失敗し、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立し、同月28日、国連に加盟しました。

 これに伴い、旧マリ連邦時代に発行された切手の一部は、“マリ連邦(FEDERATION du MALI)”との表示の入った切手部分を塗りつぶし、“マリ共和国(REPUBLIQUE DU MALI)”と加刷して使用されています。冒頭にご紹介した切手の場合、以下のような加刷切手が1960年12月18日に発行されています。

       マリ共和国加刷・航空切手

 なお、拙著『マリ近現代史』では、こうして発足したマリ共和国の現在にいたるまでの歴史をヴィジュアル資料も駆使してわかりやすく解説しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 国際女性デー
2013-03-08 Fri 11:34
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、現在制作中の拙著『マリ近現代史』の中から、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        サンルイ350年

 これは、1959年、マリ連邦で発行されたサン・ルイ300年の記念切手で、サン・ルイの風景を背景に、地元の女性が大きく取り上げられています。

 サン・ルイは、1659年、フランスがセネガル川河口の中洲に城砦を築いたのがルーツで、当初は、当時のフランス国王ルイ14世にちなみ、“サン・ルイ・デュ・フォール”(後のサン・ルイ)と名付けられました。

 1815年、皇帝ナポレオン1世が失脚した後のウィーン会議では、セネガル川河口の沿岸部、サン・ルイ・デュ・フォールとゴレ島の周辺をフランスの植民地“フランス領セネガル”とすることでヨーロッパ諸国が合意。その後、フランス国内は1830年の7月革命や1848年の2月革命などの混乱が続いたが、最終的にナポレオン3世が権力を掌握すると、フランス領セネガルの本格的な植民地経営がスタートします。

 以後、サン・ルイはセネガルにおける拠点として開発が進められ、19世紀には仏領西アフリカ植民地の総督府が置かれていたほか、仏領植民地のアフリカ系住民がほぼ無権利状態にあった時代でも、ゴレ、ダカール、ルフィスクとともに、住民は準フランス人”として市民権を有し、地方議会が置かれるなどの特権を与えられていました。

 第二次大戦後の1958年、仏領西アフリカを構成していた各植民地は、完全独立を果たしたギニアを除き、フランス共同体内の自治共和国として独立。これを受けて、同年12月末、旧スーダンの首府バマコに旧スーダン、セネガル、オート・ヴォルタ、ダホメ各地の汎アフリカ主義者らが集まり、新たな連邦を創設してフランスからの完全独立を目指して会議を開催。その結果、年が明けた1959年1月17日、セネガルのダカールで開催された“憲法制定会議”において「“マリ連邦”憲法」が承認され、各共和国で国民投票にかけられることになりました。ちなみに、新たな連邦の国号として採用された“マリ”は、かつての西アフリカの栄光を象徴するマリ帝国に由来するものです。


 ところが、フランス共同体から離脱してマリ連邦を独立させるとのプランに対しては、まず、コート・ディヴォワールの実力者で、フランス本国の閣僚経験を務めたこともあるウーフェ・ボアニがフランス共同体からの離脱に強く反対。これに伴い、内陸国家でコート・ディヴォワールへの経済的な依存度が強かったオート・ヴォルタも連邦への参加を見合わせました。

 さらに、連邦発足の暁には、当時の西アフリカ最大の都市であったダカールがその政治的・経済的中心地となることは明白であったため、地理的にダカールから遠く、オート・ヴォルタが連邦に参加しない場合には飛び地となってしまうダホメも連邦参加を見合わせ、最終的に、“マリ連邦”は、1959年4月4日、セネガルと旧スーダンの連合体としてスタートしました。

 新生マリ連邦の首都はダカールに置かれ、首相には旧スーダン出身のモディボ・ケイタが、国会議長にはセネガル出身のレオポール・セダール・サンゴールが就任。第5共和政のフランスは、当初、“マリ連邦”の独立を承認せず、ド・ゴール憲法の規定通り、フランス本国との国家連合を求めていましたが、最終的に1959年12月11-12日にセネガルのサン・ルイで開催されたフランス共同体委員会でマリ連邦の独立を実質的に承認。1960年6月20日、マリ連邦は正式に独立を達成しました。今回ご紹介の切手はその直後に発行されたものです。

 ところが、マリ連邦は正式発足から2ヶ月後の1960年8月、連邦内の主導権争いから、あっけなく崩壊してしまう。
 
 すなわち、旧スーダンとセネガルを比較すると、人口と面積においては旧スーダンがセネガルを圧倒していましたが、経済的には、ダカールやサン・ルイ、ゴレなどを有するセネガルが旧スーダンに比べてはるかに豊かでした。

 このため、旧スーダン出身のケイタは、中央集権的な国家体制をつくってセネガルと一体化することで、セネガルの資金を利用して旧スーダンの開発を進め、連邦全体の底上げを図ろうと考えたましが、そのことは、セネガルにとっては、フランス植民地時代よりも、さらに過重な負担を強いられるものと受け止められました。

 さらに、大統領のケイタは、マリ連邦として、独立以前から使われていたCFAフランを廃して、将来のアフリカ統一に向けて新通貨を創設することを主張しましたが、セネガル側は、国家としての対外的信用の乏しいまま新通貨を導入してもCFAフランよりも有利なレートを設定できるはずはなく、共通通貨であるCFAフランから離脱すれば西アフリカの共通市場から締め出されることになりかねないと猛反発。

 こうしたことから、1960年8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、突如、「ケイタ大統領はあくなき野望を持ち、セネガル人圧迫のクーデターを企てた」として、セネガルがマリ連邦からの独立を宣言。大統領のケイタ以下、旧スーダン側の閣僚や公務員たちは軟禁され、翌21日、ダカール駅から臨時列車に乗せられて、スーダンへ追い返されてしまいました。

 当然のことながら、ケイタら旧スーダン側は激怒し、ケイタはセネガルの独立阻止のために国連軍の派遣を要請。しかし、国連側は、セネガル独立はマリ連邦の“内政問題”として部隊の派遣を拒否したため、ケイタもセネガルの独立を承認せざるをえなくなり、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立しました。

 さて、現在、4月下旬の刊行を目指して制作作業をしている拙著『マリ近現代史』(仮題)では、こうした経緯で発足したマリの現在までの歩みを、できる限り、最新の出来事までカバーしようと考えております。正式なタイトルや価格などが決まりましたら、随時、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。
 

★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 マリ連邦50年
2010-06-20 Sun 17:15
 わずか2ヶ月しか存在しなかった超短命国家・マリ連邦が1960年6月20日フランスから独立して、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      マリ連邦発足

 これは、1959年11月7日に発行されたマリ連邦発足の記念切手です。

 1958年、フランス植民地の再編がすすめられていく中で、西アフリカでは、フランス共同体内の自治権を持つ国として、スーダン(以下、今回の記事で“スーダン”という場合は、エジプトの南にある旧英領の国ではなく、旧仏領スーダンのことです)、セネガル、オートボルタ(現ブルキナファソ)、ダオメー(現ベニン)、ニジェール、トーゴ、象牙海岸(現コートジボワール)などの自治共和国がつくられました。このうちスーダンとセネガル、オートボルタ、ダオメーの4ヵ国は1959年1月、14世紀にニジェール川流域で繁栄した黄金の帝国“マリ”にちなみ、マリ連邦を結成することになりました。

 ところが、連邦のあり方をめぐっては、完全な独立国家を目指すスーダンおよびセネガルと、フランス共同体の中で対等な地位を目指そうとするオートボルタおよびダオメーが対立。1959年4月には、スーダンとセネガルだけでフランス共同体内のマリ連邦を結成し、翌1960年6月20日、同連邦として完全独立を達成します。今回ご紹介の切手が、1959年1月と表示されていながら、実際には、11月になってからの発行となったのも、こうしたごたごたがあったためでしょう。

 さて、連邦の首都はセネガルのダカールに置かれ、大統領にはとりあえずスーダン首相のモディボ・ケイタが、副大統領にはセネガル首相のママドゥ・ディアが就任しましたが、2ヶ月後の8月20日、セネガルが突如、連邦からの分離独立を宣言してしまいます。その背景には、両者のうち、人口・面積ともに少ないセネガルが経済的にはスーダンを圧倒しており、両者の政治的バランスをとることが困難だったという事情がありました。

 結局、マリ連邦の残った部分、すなわち、旧スーダン側は、連邦としてではなく、単独のマリ共和国として9月にあらためて独立。マリ連邦は、独立国としてはわずか2ヶ月という超短命国家に終わりました。

 そういえば、この記事を書いていて気がついたのですが、今年は、アフリカ大陸で多くの新興独立国が誕生し、“アフリカの年”とも呼ばれた1960年からちょうど50年ですな。これを機に、当時の独立国の事情などを、切手を通して眺めてみたりすると、いろいろと面白いことが見えてくるかもしれません。2010年も半分を過ぎようというところで“いまさら”感は強いのですが、どこかで、そういう企画を引き受けてくれないかなぁ。

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展

 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。

 26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 欧米人も実は捕鯨が大好き ★★★

 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

 そんな捕鯨のカッコよさを物語る欧米のコレクターズ・アイテム満載の『キュリオマガジン』2010年6月号、好評発売中!(なお、同誌についてのお問い合わせや入手方法などにつきましては、出版元のHPをご覧いただけると幸いです)


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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