内藤陽介 Yosuke NAITO
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 イラク軍、キルクークに進軍
2017-10-16 Mon 13:11
 イラクからの独立を求める北部のクルド自治政府と、バグダードのイラク中央政府との対立が深まる中、きょう(16日)未明、イラク国営テレビはクルド自治政府が実効支配を続けているキルクークにイラク軍が進軍し、一部の地域を支配下に置いたと伝えました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オスマン帝国・キルクーク消

 これは、オスマン帝国支配下のキルクークで使用されたオスマン帝国の切手で、アラビア語表示のキルクークの角印が押されています。切手の向きとしては、正位から左に90度回転した格好ですが、今回は、消印の文字が正位に近くなるように、あえてこの向きで画像をアップしています。

 現在のイラク国家の枠組は、基本的に、旧オスマン帝国時代のモースル州・バグダード州・バスラ州(からクウェートを除いた地域)から構成されていますが、今回、イラク軍が進軍したキルクークは旧モースル州の州都、モースルの南東149キロの地点に位置しています。オスマン帝国の郵便局が開設されたのは、モースルと同時期の1863年です。

 もともと、クルド人とトルクメン人が中心の多民族都市で、1917年に近郊のババ・グルグルで油田が発見されたことがその後の発展の基礎となりました。

 1980年代、サッダーム・フセインはこの地域のアラブ化政策を進め、それまでキルクークに住んでいたクルド人やトルクメン人は強制的に移住させられたため、都市住民はスンナ派アラブが多数派を占めるようになりました。しかし、2003年のイラク戦争で、米軍の支援を受けたクルド民兵の“ペシュメルガ”がキルクークを解放。さらに、サッダーム政権の崩壊に伴い、クルド人主体の治安部隊がアラブ住民に対する組織的な民族浄化を行っています。

 その後、キルクークはイラク中央政府の管轄とされましたが、2006年に発足したクルド自治政府はキルクークはクルディスタン(自治区)の南部に含まれると主張しているだけでなく、クルド国家が独立した暁には、キルクークを首都にすべきと主張しています。特に、2014年、“イスラム国”を自称する過激派組織のダーイシュがイラク北部に勢力を拡大した際に、敗走したイラク国軍に代わり、ペシュメルガがキルクークを解放したこともあり、以後、キルクークはクルド側の実効支配下にありました。

 今年9月、クルド自治政府は、おなじくクルド人問題を抱える周辺諸国のみならず、米国や国連安保理の反対を押し切って、イラクからの分離・独立を問う住民投票を強行。独立派が圧倒的多数を占めるという結果になりました。これに対して、イラク中央政府は強く反発し、クルド自治区での国際便発着を阻止するなどの対抗措置を発動していました。また、15日には、イラク中央政府のアバディ首相は、自治政府がトルコの非合法武装組織、クルド労働者党(PKK)の部隊をキルクークに動員しているとして、「イラク中央政府に対する宣戦布告だ」と自治政府を強く非難していました。

 今回の進軍に関して、アバディ首相は「キルクーク市民の保護」が目的と強調していますが、一部報道では、イラク軍が既にキルクーク県の「広大な地域」を掌握したとも伝えられています。これに対して、クルド自治政府側はイラク軍が基地や油田を制圧しようとしていると反論し、キルクーク県知事は住民に防戦を呼びかけるなど、衝突が本格化することへの懸念が高まっています。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は19日!★★

 10月19日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 岩のドームの郵便学(53)
2017-08-19 Sat 11:38
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』652号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1990年年代後半のイラクについて取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・礼拝するフセイン(2000)

 これは、2000年2月、イラクが“ヒッティーンの戦い”をテーマに発行した切手のうち、岩のドームを背に礼拝するサッダーム・フサインの姿を取り上げた1枚です。

 1990年代後半、パレスチナ自治政府がイスラエルへの配慮から、岩のドームの切手をほとんど発行しなかったのに対して、岩のドームをしばしば切手に取り上げていたのが、イラクでした。

 湾岸戦争後間もない時期のイラクは、戦争による打撃に加え、国連の経済封鎖クウェイト侵攻から4日後の1990年8月6日に安保理で採択されたもので、この時点では、イラク国内の非人道的行為の停止を含む全ての停戦決議の履行がない限り、イラクに対するいっさいの輸出入を禁止)によって、経済的にどん底の状態にありました。

 しかし、1995年頃から、イラクをめぐる国際世論の風向きは徐々に変わり始めます。国連によるイラクへの経済制裁に対して、イラクのみならず、諸外国から不満の声が高まっていったためです。

 そもそも、湾岸戦争の直前でさえ食糧自給率が3割程度しかなかったイラクに対して、食糧を含む輸出入を禁ずることに対しては、経済制裁が開始された当初から、人道上の理由で反対する声が欧米でも少なくありませんでした。また、潜在的な域内大国であるイラクとの経済関係を遮断することは周辺諸国にとって多大な経済的犠牲を強いることになりました。さらに、産油国イラクとの交易再開を求める声は、終戦から3年以上経過すると、西側諸国の間でも無視できないものとなっていましたし、戦争被害に対する補償や国連自身のイラクでの活動に必要な資金をまかなうためにも、イラクに一定の石油を輸出させ、その代金を活用すべきだという案は国連にとっても魅力的なものでした。

 その結果、1995年4月、半年間に20億ドルを越えない範囲での石油輸出を許可し、食糧・医薬品などの人道物資の輸入を認めるという国連安保理決議986号が採択されます。当初、イラク側は、経済制裁の完全解除を求めて同決議を拒絶しましたが、1996年に入ってこれを受諾し、同年12月から原油の輸出を再開しました。

 その後、イラクは、ロシア、フランス、中国を味方につけて国連との交渉を有利に進め、その結果、イラクに対する経済制裁は次第に有名無実化。石油輸出の上限が廃止された1999年以降、イラクは実質的に国際経済への復帰に成功しました。

 こうした情況の好転に伴い、イラク切手の題材も国際社会に対するルサンチマンを表明するものから、独裁者としてのサッダーム・フサインに対する個人崇拝を国民に浸透させるための内向きのメディアへと性格を変質させていくことになります。

 その一環として、1998年2月には、岩のドームを背景に、サラーフッディーン(サラディン)とサッダームを並べて描く切手も発行され、サッダームを“現代のサラディン”になぞらえようとするプロパガンダ政策が展開されました。

 サッダームはイラク北部、ティクリート出身ですが、この地は、十字軍と戦い、エルサレムを奪還した英雄、サラディンの出身地でもあります。このため、リンケージ論を展開するようになったサッダームは「パレスチナ問題の解決を訴えて二重基準と戦う自分は、現代のサラディンである」との自己演出を展開したわけです。

 加えて、サッダームを“現代のサラディン”とする言説には、パレスチナ問題とは別に、クルド人問題を意識したものでもありました。

 クルド人は、トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等にまたがるイラン系の民族集団で、人口は2500-3000万人。これは、独自の国家を持たない民族集団としては世界最大の規模です。このうち、イラク国内のクルド人に関しては、バアス党政権下の1970年、自治区が設置されましたが、イラン・イラク戦争中の1985年から88年にかけて、イラク東部のサルダシュトやハラブジャなどでは、主としてクルド系住民がイラン側に協力したとして、サッダーム政権はマスタードガス、サリン、VXガスなどの化学兵器をクルド人自治区で使用し、多くの住民を殺害。こうしたこともあって、1991年に湾岸戦争が勃発すると、クルド人はイラク政府に対して武装蜂起しました。

 その後、イラクに進攻した多国籍軍はイラク北部の北緯36度以北に飛行禁止空域を設けてクルド人を保護。これにより、イラク北東部のアルビール県、ドホーク県、スレイマニヤ県、ハラブジャ県の4県にまたがる“クルディスタン地域”が設定され、クルド人は自治権を獲得し、1992年には反体制派の大同団結集会も行われています。そして、それに伴い、自治区独自の旗が制定され、独自の通貨と切手も発行されました。

 ところが、クルディスタン地域の自治区内では、二大政党であるクルド民主党とクルド愛国同盟の対立が激しく、1994年以降、大規模な戦闘が発生し、クルディスタン地域は事実上の分裂状態に陥ります。このうち、クルド愛国同盟が反バアス党を優先してイランの支援を受けたことに対抗し、クルド民主党はイラク中央政府と結託。1996年8月には、イラク中央政府の支援を受けたクルド民主党が対立勢力を放逐し、クルディスタン地域は再びバアス体制に取り込まれることになりました。

 サッダームとサラディンを並置させるプロパガンダは、こうした背景の下、サッダームがサラディンと同じくクルド人の血統であることを強調することで、サッダーム=クルド人を含めたイラク国家の国父というイメージを演出しようとした意図がありました。

 もっとも、自らをサラディンになぞらえようとするサッダームの自己演出は、イラク国外ではほとんど支持者を得られませんでしたたが、彼が敵対している米国を“現代の十字軍”になぞらえて批難するロジックは、この頃から、アラブ世界の言論空間でも目立つようになってきます。

 その典型的な事例としては、1998年2月23日、ウサーマ・ビン・ラーディン、アイマン・ザワーヒリー(エジプトの原理主義組織“ジハード団”の指導者)、アブ・ヤシル・リファーイー・アフマド・ターハー(エジプトの“イスラム集団”の指導者)、ミール・ハムザー(パキスタン・ウラマー協会の書記官)、ファズルール・ラフマーン(バングラデシュの“ジハード運動”の指導者)が連名で“ユダヤ人と十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線”の結成を宣言したことが挙げられます。

 同宣言では、米国が湾岸戦争以来「7年にわたって、最も神聖な土地、アラビア半島にあるイスラムの地を占領し、富を略奪し、為政者に命令を下し、民を辱め」ており、「十字軍(=米国)とシオニストの同盟によって、大いなる荒廃がイラク国民に与えられた」としたうえで、「アクサー・モスクと聖なる(メッカの)モスクを彼ら(=十字軍とシオニスト)を彼らの支配から解放し、彼らの軍隊をイスラムの全ての土地から排除するため…(中略)…米国人とその同盟者を、軍人・民間人を問わず、殺害することを決断するのは、それが可能な国に住むすべてのムスリムにとって、各人が個人として果たさねばならない義務である」と謳っており、米国を現代の十字軍になぞらえて、ムスリムの敵と認定しています。

 その際、エルサレムにおけるイスラムの聖地であるアクサー・モスクを持ち出すことによって、“十字軍”の語は、単なる比喩を越えて、歴史上の十字軍のイメージと、サッダームの提起した“リンケージ論”を具体的なイメージとして結びつける触媒となっています。その意味では、サッダームとビン・ラーディンという、本来は全く無関係であったはずの二人が、“十字軍”というキーワードによって、アラブ・イスラム世界の大衆心理においては、反米のヒーローに祀り上げられたといってもよいでしょう。

 今回ご紹介の切手は、そうした背景の下、2002年2月、サラディンがエルサレムを奪還したことで知られる“ヒッティーンの戦い”を題材に発行されたモノの1枚で、岩のドームを背に礼拝するサッダームの姿が取り上げられています。このデザインは、“現代のサラディン”が現代の十字軍に戦いを挑むというイメージが、より多くのアラブ大衆の心をつかみうるものであることを想定して制作されたものであることは間違いありません。なお、当初、この切手は1999年に発行の予定だったようで、一部の切手には“1999年”の年号が入っていますが、実際の切手発行は2000年にまでずれ込んでいます。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、現在、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は24日★★★ 

 8月24日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第7回が放送予定です。今回は、放送日が独立記念日のウクライナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、高校野球の順延などにより、24日の放送がなくなる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 モスル解放
2017-07-10 Mon 11:05
 イラクのアバディ首相は、きのう(9日)、“イスラム国”を自称する過激派組織のダーイシュが同国最大の拠点としてきたモスルを訪れ、ダーイシュに勝利し、モスルを解放したと宣言しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・モスルのミナレット

 これは、1967年にイラクが発行した観光宣伝の切手のうち、モスルのヌーリー・モスク(光のモスク)のミナレットを取り上げた1枚です。

 ヌーリー・モスクは、1172年、ザンギー朝・シリア地方のスルターンであったヌールッディーン・マフムードの命により、もともとこの地にあったモスクを改修・拡張するかたちで建立されました。モスクの名前は、ヌールッディーンに由来します。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたミナレットはモスクの敷地の北西隅に位置しており、地中8.8m、高さ15.5mの直方体の基部の上に、高さ45mの円筒形のシャフト部が乗った構造です。円筒形のシャフト部の外壁には、鉛直方向に7パターンの異なる幾何学模様が並ぶように装飾煉瓦が貼られているため、外見上、7層の塔のように見えます。また、基部の東面にはアーチ状の入口があり、内部の螺旋階段を使って、頂上に上ることも可能です。

 このミナレットはすでに14世紀には傾いており、このため、“湾曲”を意味するアラビア語の“ハドバーゥ”の愛称でも親しまれています。その理由については、コーラン第17章に記されているムハンマドの天界飛翔の際、天馬にまたがったムハンマドに敬意を表してミナレットが自ら傾きそのままになったという伝承が伝えられていますが、実際には、外壁の煉瓦が昼夜の温度差で膨張と収縮を繰り返し、南東側が縮んだということのようです。

 親英王制下の1942年、イラク政府はヌーリー・モスクの大規模な改修を行い、モスク本体は“近代化”されてしまいましたが、バドバーゥはそのまま残されました。その後、調査により倒壊の危険があることが分かったため、1970年代には補修工事が行われましたが、その工事途中の1980年、イラン・イラク戦争が勃発。翌1981年に工事は完了したものの、イランの空爆によりモスルの街の下水設備が破壊され、モスクの排水機能が損害を受けたことで、バドバーゥはさらに傾くことになりました。

 2014年6月、モスルを占領したダーイシュは、当初、バドバーゥを破壊するとの声明を出しましたが、地元住民の激しい抵抗の前にこれを断念。7月4日には、ダーイシュの首領、アブー・バクル・バグダーディーがヌーリー・モスクの金曜礼拝に姿を現し、カリフ制の復活と、自らがカリフとなることを宣言しました。

 こうして、ダーイシュ支配下でも維持されるかに見えたヌーリー・モスクとバドバーゥでしたが、イラク政府軍によるモスル奪還作戦が展開されていく過程で、2017年6月21日、追い詰められたダーイシュはモスクとバドバーゥを破壊。その後、彼らの残党はモスルを脱出して、彼らが“首都”と位置付けるラッカなどで活動を継続しています。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

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 父の日
2017-06-18 Sun 10:19
 きょう(18日)は“父の日”です。というわけで、“母の日”の時と平仄をあわせて、パレスチナ関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ムハンマド・ドゥラ事件(イラク)

 これは、2001年9月20日にイラクが発行した“パレスチナのために”の切手のうち、銃撃されるジャマールとムハンマドのドゥラ父子を取り上げた1枚です。

 オスロ合意後の和平プロセスが停滞する中で、2,000年7月、イスラエルのエフード・バラック労働党政権はパレスチナ自治政府に対してヨルダン川西岸地区からのイスラエル軍の撤退を含む“寛大な申し出”を行うことで和平の進展を目指しましたが、東エルサレムの帰属に固執するアラファトはこれを拒否。和平交渉は決裂します。

 こうした状況の下、9月28日、翌2001年2月の首相公選をにらんで支持拡大を狙っていた野党リクードの党首、アリエル・シャロンが、護衛の警官1000人とともに、エルサレムの“神殿の丘”に上るパフォーマンスを行いました。

 第三次中東戦争の結果、東エルサレムはイスラエルの占領下に置かれましたが、岩のドームを含むハラム・シャリーフ(ユダヤ教の用語では神殿の丘)は歴史的にワクフが設定されていることから、ヨルダン宗教省が引き続きその管理を行い、原則として、ユダヤ教徒とキリスト教徒による宗教儀式は禁じられているという変則的な状況となっていました。

 ちなみに、ワクフというのはイスラムに独特の財産寄進制度で、なんらかの収益を生む私有財産の所有者が、そこから得られる収益を特定の慈善目的に永久に充てるため、その財産の所有権を放棄すること、またはその対象の財産やそれを運営する組織を意味しています。一度、ワクフとして設定された財産については一切の所有権の異動(売買・譲渡・分割など)が認められません。パレスチナ、特に、ハラム・シャリーフがワクフであるとの根拠は、638年、第2代正統カリフのウマルが、エルサレムの無血開城に際してギリシャ正教会総主教と結んだ盟約にあるとされています。

 これに対して、イスラエル国内の反アラブ強硬派は神殿の丘にあるイスラムの建物を破壊してユダヤ教神殿を再建することを主張していましたから、対パレスチナ強硬路線を掲げていたシャロンが神殿の丘に登ることはきわめて挑発的な行為として、パレスチナ域内のみならず、イスラム世界全域から強く非難されました。しかも、事前にパレスチナ側の強い反対があったにもかかわらず、イスラエルのバラック政権はシャロンの行動を阻止しなかったため、翌29日、パレスチナのムスリム2万人が抗議行動を開始。その過程で、嘆きの壁で祈祷していたユダヤ教徒への投石を機に、パレスチナ全域で大規模な民衆蜂起が発生しました。

 これが、第二次インティファーダです。

 第二次インティファーダ発生翌日の9月30日、ガザ地区でジャマールとムハンマドのドゥラ父子が、“イスラエル軍監視所方向から”の銃撃を受け、父親のジャマールは重傷を負い、当時12歳だったムハンマド君が亡くなります。ちなみに、事件当日、ガザ地区内の学校は休校措置が採られており、ムハンマドも家にいて、当初はインティファーダを見に行きたいといっていました。しかし、棄権が大きすぎるとの両親の反対で断念。代わりに、父親のジャマールとともに車の競売(ジャマールはその直前に、それまで乗っていた1974年式のフィアットを売却しており、新たな車が必要だったそうです)に出かけ、その途中で遭難したわけです。

 フランスのテレビ局、フランス2のパレスチナ人カメラマン、タラール・アブー・ラフマは、市街地での銃撃戦に巻き込まれて恐怖の表情で身を隠す父子の映像と、しばしの中断の後、銃撃されたぐったりした父子の映像を撮影。これが、フランス2のみならず、CNNなどを通じて全世界に放送され、全世界に衝撃を与えるとともに、インティファーダの激化を招きました。

 件の映像が放映された直後、イスラエル当局はイスラエル軍による発砲を認めて“謝罪”を表明。これを受けて、アラブ諸国は、父子への銃撃をイスラエルの非道を象徴するものとして、こぞって悲劇の場面を取り上げた切手を発行します。今回ご紹介のイラクの切手もその1枚ですが、事件はガザ地区での出来事にもかかわらず、サッダーム・フサインの主張するリンケージ論を強く印象付けるため、エルサレムの岩のドームを左上に配した図案構成になっています。なお、この切手では、ムハンマド少年の亡くなった日は“2000年10月1日”となっていますが、上述のように、少年が亡くなったのは9月30日で、切手に記された日付は少年の死が報じられた日というのが正確です。

 ところが、2002年3月、ムハンマド少年の遺体が、事件後、解剖などの捜査もないまま、異例の速さで埋葬されたことなどに疑問を抱いたドイツのテレビ局ARDが現地で聞き取り調査などを実施し、ドキュメンタリー番組を作成。背後の壁に残された弾痕の形状やイスラエル軍の監視所の位置関係から、少年の命を奪ったのは、イスラエル軍の発砲による可能性は低く、むしろ、パレスチナ側からの発砲による可能性が高いと指摘しました。

 これを受けて、イスラエルは再調査の上、2005年に少年の死はイスラエル軍による発砲だったとの見解を撤回。2013年の最終報告書では、イスラエル軍の発砲によって父子を殺傷することは物理的に不可能だったと結論づけています。

 一方、父親のジャマールとエンダリン、フランス2は、少年の死はあくまでもイスラエルの発砲によるものと主張。2012年には、フランス2が、同局の“捏造報道”を非難するジャーナリストのフィリップ・カーセンティを名誉棄損で提訴し、翌2013年、カーセンティには7000ユーロの罰金を科す判決が出るなど、事件をめぐる対立は現在も続いています。

 さて、ことし(2017年)は、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、懸案となっている「ユダヤと世界史」の書籍化と併行して、本のメルマガで連載中の「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』(仮題)の刊行に向けて、現在、制作作業を進めています。発売日などの詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。 


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 HAPPY NOWRUZ!
2017-03-20 Mon 21:38
 今日(20日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・ノールーズ加刷

 これは、1970年にイラクが発行した“ノウルーズ”の記念加刷切手です。

 さて、イスラム世界では預言者ムハンマドと信徒たちがメッカからメディナに移住し、イスラムの共同体を作った“ヒジュラ”のあった年を紀元とするヒジュラ暦が使われていますが、このヒジュラ暦は完全太陰暦で、かつての日本の旧暦のように閏月を入れて調整するということは行われていませんから、毎年、11日ずつ、太陽暦の日付とズレが生じます。

 この点について、ムスリムたちは、信徒の義務であるラマダン月(ヒジュラ暦の9月)の断食が、毎年、少しずつ季節を移動していくことによって、地域ごとの断食の負担の格差が是正されるメリットがあると説明しています。たとえば、ラマダン月が真冬の時期に当たると、熱帯の国では比較的楽に断食が行えますが、寒冷地域の断食は非常に厳しいものがあります。逆に、ラマダン月が真夏にぶつかると、熱帯と寒冷地域では、その負担の重さは逆転します。

 したがって、全世界の信徒にとって、断食の負担の平準化を図るためには、ラマダン月が毎年季節を移動していくことはポジティブにとらえられており、それゆえ、ヒジュラ暦は調整なしの完全太陰暦なのだ、というロジックが導き出されることになります。

 とはいえ、いくら宗教的に重要な意味があるとはいえ、毎年、暦の日付と季節がずれていけば、農作業などでは不便も多く生じます。このため、イスラム世界の各地では、イスラム暦とは別に、太陽暦に連動した農事暦が用いられることも多く、イランの場合は、イスラム以前から使われていたイラン暦として春分を元日とした太陽暦も用いられています。

 この元日が、いわゆる“ノウルーズ”(直訳すると“新しい日”の意味)と呼ばれるもので、イランを中心に中央アジアの5共和国でも祝日になっています。また、クルド人がノウル-ズを祝う習慣があることから、トルコではクルド人に対する宥和政策の一環として国民の休日に指定されているほか、イラク国内のクルド人自治区(クルディスタン)でも、ノウルーズは祝日に指定されています。今回ご紹介の切手が発行された1970年は、バアス党政権下の1970年、クルド人自治区が設定された年ですので、加刷切手の発行も、彼らに対する融和政策の一環だったということなのでしょう。

 なお、しばしば誤解されることですが、ノウルーズはイスラム圏全体に共通の行事ではなく、アラブ世界ではほとんど無視されているのが実情です。じっさい、イラクの場合も、ノウルーズはあくまでもクルド人自治区の祝日であり、国として休日・祝日には指定されていません。ちなみに、イスラム世界全体としては、イスラム教徒としての新年はヒジュラ暦のムハラッム月(第1月)1日に祝うのが主流ですが、こちらは上述のように年によって季節は一定していません。

 現在、イラク国内では過激派組織ダーイシュ(自称イスラム国)との戦いが激しさを増しており、クルド人の間でも、“戦時下”という状況に鑑みて、ノウルーズに際しても派手なことは控える風潮が強くなっているのだとか。一刻も早くダーイシュを掃討し、来年こそは、クルディスタンでも盛大にノウルーズのお祝いができるようになると良いですね。


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 岩のドームの郵便学(23)
2014-11-24 Mon 17:50
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』553号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する4回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・強制貼付切手(パレスチナ1977)

 これは、1977年10月、“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”と題してイラクが発行した強制貼付切手です。

 イラクでは、1949年にもパレスチナに対する義捐金を集めるために強制貼付切手を発行したことがありますが、その後、1974年までに発行された強制貼付切手の発行名目は、いずれも、国防献金の徴収でした。もちろん、イスラエルの攻撃から自国を守るための“国防献金”ということであれば、パレスチナと全く無関係とは言えないわけですが、今回ご紹介の切手のように“パレスチナ”を直接的な題材としたのは、じつに25年ぶりのことでした。

 第3次中東戦争後の1968年、イラクでは、いわゆる“7月11日革命”によって、陸軍のアフマド・ハサン・バクルを大統領とするイラク・バアス党(以下、特記なき限り、バアス党)政権が発足します。

 バアス党はアラブ民族主義を掲げる政党ですが、イラク国家そのものはイスラエルと直接に国境を接しておらず、1967年の第3次中東戦争においても、エジプトやヨルダン、シリアなどのようにイスラエルによって領土を占領されたわけではありません。もちろん、戦争の被害に関しても、他のアラブ諸国に比べると比較的軽微でした。

 このため、失地奪還のために対イスラエル戦争を準備していたエジプトやシリアとは異なり、バクル政権は、パレスチナ問題には深入りせず、1972年の石油国有化を経て国内の経済建設に邁進することを基本的なスタンスとしていました。1973年の第4次中東戦争に際しては、バアス党政権としてアラブ民族主義の嫡流を自称する建前から参戦したものの、実際の戦闘にはほとんど参加せず、石油戦略の発動によって巨額の富を得ています。

 むしろ、当時のバクル政権にとっては、イスラエルよりも、米国の支援で“湾岸の憲兵”をなった隣国イランの軍事的な脅威をいかにして減殺するかということが深刻な課題でした。

 その一環として、バクル政権は、バローチスターン問題に介入します。

 バローチスターンは、行政上はパキスタン南西部の州の名ですが、地域概念としては、パキスタンのバローチスターン州に加えて、イラン東南のスィースターン・バルーチェスターン州からアフガニスタン南部にまで及ぶバルーチ人の居住地域で、各国で中央政府からの分離独立を唱える活動が展開されていました。

 親英王制時代の1950年代から、イラクは、イランの安全保障上の関心を東部国境に向くようにむかせるべく、ダッド・シャー率いるイラン国内のバルーチ人の分離独立勢力による武装闘争を支援していました。ダッド・シャーは1957年に殺害され、親英王制は1958年の革命で崩壊しますが、革命後のカーシム政権もバルーチ人に対する支援を継続します。

 1960年代に入ると、イラン側の弾圧により、バルーチ人の分離独立運動は下火になり、活動家たちは地下に潜伏しましたが、バクル政権が発足した1968年、イラクを中心にアラブ諸国はバルーチ人を支援し、再び叛乱を起こさせました。バルーチ人の叛乱は1975年まで続きますが、この間、イラクは叛乱の最大の支援国はイラクでした。

 また、イラン国内のバルーチ人のみならず、パキスタン国内のバルーチ人分離独立派も、1973年から1977年にかけて、イラクの支援を受けてパキスタン政府に対する武装闘争を展開していました。じっさい、パキスタンでの叛乱のきっかけは、1973年2月、イスラマバードのイラク大使館で不正に持ち込まれた兵器が発見されたことから、当時のズフリカル・アリー・ブット政権がバローチスターン州政府を解体し、バルーチ人活動家3人を逮捕した事件でした。この件に関して、パキスタン政府は、ソ連と結んだイラクがパキスタンとイランに挑戦しようとしていると非難の声明を発しています。

 結局、1977年、パキスタンはイランの支援を受けてバローチスターンの叛乱を鎮圧。1973年以来獄中にあった活動家を国外追放処分としました。

 一方、イラク国内に目を転じると、1977年は、革命指導評議会副議長のサッダーム・フセインが革命指導評議会メンバーと閣僚を自分の側近に入れ替え、バクルに代わって政府の実権を掌握した年でもあります。

 1968年にバクルが無血クーデターを起こした際、バアス党の若き活動家だったサッダームは、戦車でバグダードの大統領宮殿に乗り付けて政府中枢を制圧するなど、クーデターの成功に大いに貢献。その功績が買われて、1931年生まれのサッダームは、わずか31歳にして治安機関の責任者に任じられ、クーデターに協力したアブドゥッ=ラッザーク・ナーイフ首相の国外追放、イブラーヒーム・ダーウード国防相の逮捕など、バクル大統領の権力基盤を強化しました。その結果、1969年には、革命指導評議会(RCC)副議長に任命され、バクルの後継者としての地位を確保し、徐々に、力を蓄えていきます。

 サッダームは、イラク・バアス党をシリア・バアス党の影響下から引き離すべく、バアス党結党の理念であるアラブ民族主義を徐々に骨ぬきにし、「イラク人民とは文明の発祥の地、古代メソポタミアの民の子孫である」とする“イラク・ナショナリズム”を掲げていました。当然のことながら、パレスチナ問題への関心もつよくはありません。

 しかしながら、イランおよびパキスタンでのバルーチ人に対する支援工作が頓挫したのと時を同じくして、バクルに代わってサッダームが実質的に政権を掌握したというタイミングをとらえて、イラク政府としては、政権の“変化”を国民に印象付けるべく、あえて“パレスチナ”を直接的な題材とする強制貼付切手を25年ぶりに発行したものと考えられます。

 なお、翌1978年のエジプト・イスラエル和平により、エジプトは“アラブ世界の盟主”としての座を失ったことを受けて、野心的なサッダームはイラクこそがエジプトに代わって新たな“盟主”になるべきだと考えるようになりました。強制貼付切手の発行は、エジプト・イスラエルの緊張緩和という流れを見据えて、そうした主張を展開するための下準備であったと見ることも可能かもしれません。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(12月は都合によりお休みです)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 モースル陥落
2014-06-11 Wed 10:06
 2011年末の米軍撤退完了後、宗派対立により深刻な治安悪化が続いているイラクで、昨日(10日)、同国北部にある第2の都市モースルが、国際テロ組織アルカイダの影響下にある過激派“イラク・レバントのイスラム国(ISIL)”に制圧されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      モスル加刷

 これは、第一次大戦後の1919年、英軍占領下のモースルで発行された暫定加刷切手です。

 現在のイラク国家の枠組は、基本的に、旧オスマン帝国時代のモースル州・バグダード州・バスラ州(からクウェートを除いた地域)から構成されていますが、このうち、一番北にあるモースル州は第一次大戦以前から石油の産地として知られ、1916年のサイクス・ピコ協定による密約では、戦後、フランスの勢力圏内に組み込まれるものとされていました。

 1918年10月30日、第一次大戦でオスマン帝国が降伏した時点では、モースルは依然としてオスマン帝国が維持していましたが、戦後の混乱に乗じて、英軍は11月に入ってからモースルを占領します。今回ご紹介の切手は、そうした英軍占領下のモースルで使用するため、1919年7月、オスマン帝国の印紙を接収し、 「IEF “D”」の文字を加刷したものです。加刷文字の“IEF”はインド遠征軍(Indian Expeditionary Force)の略で、 “D”がモースル地区の担当を意味しています。

 第一次大戦の勃発後、英軍はペルシァ湾に面する港湾都市バスラに上陸し、バグダードへ向けて進撃を開始しましたが、フォン・デア・ゴルツ将軍ひきいるオスマン朝軍の守りは堅く、クートから先にはなかなか進むことができませんでした。このため、1916年8月以降、英印軍が投入され、翌1917年3月、ようやくバグダードが陥落。その後、英印軍はモースルの占領にもかかわったため、今回のような加刷切手が発行されることになりました。なお、通貨単位がインド・ルピーで4アンナとなっているのもそのためです。

 第一次大戦後のオスマン帝国の旧領分割をめぐっては、フサイン・マクマホン書簡の密約によるアラブ国家の樹立を求めるアラブ側と、サイクス・ピコ協定の履行を求めるフランスとの間で英国は板挟みになりますが、1920年4月のサンレモ会議では、フランスがイラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に英国に承認させました。

 この結果、モースル州はバグダード州、バスラ州は“イラク”として、英国の委任統治下に置かれることにな李、それが、現在のイラク国家のルーツとなりました。

 さて、7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。講座では、今回取り上げたイラクのみならず、オスマン帝国の崩壊により現在の中東諸国の枠組ができあがっていくプロセスについても、当時の切手や郵便物等を使ってわかりやすく解説する予定です。名古屋エリアの方は、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。 


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 岩のドームの郵便学(16)
2014-04-22 Tue 21:17
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』532号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第3次および第4次中東戦争の戦間期のアラブ世界の状況のうち、シリアとイラクのバアス党にスポットをあてました。その中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       イラク・国軍の日(1971)

 これは、1971年にイラクで発行された“国軍の日”の記念切手の小型シートで、右側の40フィルス切手にはパレスチナの地図に岩のドームを描き、行進するイラク軍の兵士が描かれています。

 1958年7月14日、自由主義将校団によるクーデターでハーシム王制が打倒されたイラクでは、1963年2月に再度クーデター(ラマダーン革命)が発生し、ナセル主義者のアブド・サラーム・アーリフがバアス党と連携して政権を掌握しました。

 バアス党の党名は、日本語に訳すと、アラブ社会主義復興党となります。アラブ社会主義(きわめて単純化してしまえば、金融を含む重要産業の国有化と計画経済による開発独裁体制のことですが、いわゆるマルクス・レーニン主義のように、宗教を“民衆のアヘン”として排斥するわけではありません)と、アラブ世界における既存の国境を解体してアラブの再統合を図るというアラブ民族主義を基本綱領として掲げており、その意味では、エジプトのナセルと基本路線に大きな相違はありません。

 そのルーツは20世紀初頭に遡るもいえるのですが、制度的には、1940年12月、シリアの民族主義者(宗教的にはアラウィ―派)のザキー・アルスーズィーらがダマスカスで秘密結社として組織した“アラブ・バアス党”がその源流で、シリア独立後の1947年4月7日、ダマスカスで第1回に公式の結党大会を行い、公然組織となりました。その後、シリアを本部として、イラク、レバノン、ヨルダン、イエメンに支部を拡大します。

 1958年にエジプトとシリアの合邦により発足したアラブ連合共和国は、1961年、シリアの離反によって破綻しましたが、その後もナセルは“アラブ連合”の大義名分を放棄せず、アラブ諸国の再統合を水面下で模索し続けます。その際、彼は、自分に代わって各国のバアス党が連携して国家統合を進めることには警戒感を抱いていました。

 こうした背景の下、イラクでは、1963年2月のラマダーン革命後、非バアス党員でナセル主義者のアブド・サラーム・アーリフが、同年11月、バアス党を政権から追放し、革命の果実を独占することに成功します。

 アブド・サラーム・アーリフは、1964年5月26日、エジプトと合同大統領評議会を立ち上げ、アラブ社会主義のエジプトとの統合を見据えて主要産業を国有化。同年末には統合のためのプランまで発表しました。しかし、すでにエジプトとシリアの国家統合が破綻していたこともあって、エジプトとの統合には慎重論も根強く、結局、統合論は有耶無耶になってしまいます。

 そうしているうちに、1966年4月13日、アブド・サラームは飛行機事故により死亡し、アブド・ラフマーン・バッザースによる3日間の暫定大統領を経て、アブド・サラームの兄、アブド・ラフマーン・アーリフが大統領職を継承しました。

 アブド・ラフマーンは、弟の路線を引き継ぎ、ナセルと連携して1967年の第3次中東戦争にも参戦しましたが、イスラエルの前にイラク軍も惨敗。この結果、翌1968年7月17日、アフマド・ハサン・バクルらバアス党員のクーデターによって失脚し、トルコへ亡命しました。

 ところで、アーリフ政権時代の1966年、シリアでは大統領のハーフィズに対して、ハーフィズ・アサドとサラーフ・ジャディードがクーデターを起こし、バアス党内の実験を掌握します。これに伴い、バアス党の創設者の一人にして代表的なイデオローグで、クーデター発生時のシリア・バアス党の委員長だったミシェル・アフラクが失脚。アフラクを否定するシリア・バアス党と、従来通り、アフラクをバアス党の理論的支柱とみなすイラク・バアス党の対立が生じました。

 クーデター直後、ダマスカスで開催された第9回バース党大会でアフラクとその支持者が追放されると、イラク・バアス党は直ちにベイルートで“真の”第9回党大会を開き、アフラクを民族指導部事務総長として迎え入れました。以後、バアス党運動はシリア派とイラク派に分裂し、両者は対立するようになります。

 その後、1970年11月13日、シリアでは国防大臣のハーフィズ・アサドによるクーデターが発生し、事実上の最高権力者であったサラーフ・ジャディード(公的な地位としてはシリア・バアス党第2書記)を失脚させました。

 ジャディードの政治路線は、アラブ諸国との軍事同盟よりもシオニストとの“人民戦争”を重視するという基本方針の下、イスラエルとサウジアラビア(アラブ社会主義の視点からは“反動アラブ諸国”の筆頭と目されていた)に対して強硬路線を採るというものでしたが、第3次中東戦争の敗戦によりその権威は大きく損なわれ、さらに1970年9月、ヨルダンで発生したブラック・セプテンバー事件でのPLO支援などによって、バアス党内の穏健派(現実主義派)と激しく対立していました。

 1970年11月のシリアでのクーデターはこうした背景の下で発生したもので、政権を掌握したアサドは、ジャディードに連なる党内左派を追放するとともに、“(ナセル時代の行きすぎた)革命の矯正”を進めていたサダトとも連携し、第3次中東戦争で失ったゴラン高原の奪還を目指して軌道修正に乗り出します。

 この間、アフラクは1970年のブラック・セプテンバー事件に対してイラク政府が介入するよう求めたものの、バクル政権から拒否されたことに抗議してレバノンに逃れています。一方、アサド政権は、翌1971年、欠席裁判でアフラクに死刑判決を下しました。

 こうした事態の変化を受けて発行されたのが、今回ご紹介の切手です。

 イラクの「国軍の日」は毎年1月6日となっていますが、これは、親英王制時代の1921年1月6日にイラク王国軍が発足したことによるもので、1971年はそこから起算して50周年にあたっていました。

 2種類発行された記念切手のうちの40フィルス切手にはパレスチナの地図を背景にした岩のドームと、そこに向かって進軍するイラク軍が描かれています。切手には、額面数時の40以上に大きな文字で“50(周年)”と表示しており、あたかも、イラク国軍がパレスチナ解放の大義のために50年間戦ってきたかのようなイメージになっています。

 もちろん、これは歴史的な事実には反するのですが、1947年にシリアでバアス党が正式に発足する以前から存在していたイラク国軍とパレスチナ解放の大義を結びつけることによって、自分たちこそがアラブ民族主義の嫡流であることを主張しようとしたと理解することができましょう。

 もっとも、1968年にイラクの政権を掌握したバクルのバアス党は、そうした建前とは裏腹に、必ずしもパレスチナ問題に熱心に取り組んでいたわけではありません。

 そもそも、イラクはイスラエルと直接に国境を接しておらず、1967年の第3次中東戦争においても、エジプトやヨルダン、シリアなどのようにイスラエルによって領土を占領されたわけではなく、戦争の被害に関しても、他のアラブ諸国に比べると比較的軽微でした。

 このため、失地奪還のために対イスラエル戦争を準備していたエジプトやシリアとは異なり、パレスチナ問題には深入りせず、1972年の石油国有化を経て国内の経済建設に邁進するというのが、バクル政権の基本的な姿勢となっていました。

 その姿勢は、結果的に、翌1973年、アラブ民族主義の嫡流を自称する建前から第4次中東戦争に参戦するものの、実際の戦闘にはほとんど参加せず、石油戦略の発動によって巨額の富をイラクにもたらすことになるのです。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 FLASH 4月2日号
2013-03-19 Tue 17:44
 きょう(19日)、光文社の雑誌『FLASH』4月2日号が発売になりました。同誌に掲載の「新シリーズ『いま』を究める!FLASHグラビア新書Vol.12」では、“「趣味の切手」進化論!”と題して、7ページの切手特集が組まれています。(下の画像は雑誌の表紙と特集の扉です。以下、画像はクリックで拡大されます)

        FLASH 切手特集号表紙     FLASH 切手特集扉

 で、その特集記事には、僕も登場して“世界のオモシロ切手”として、各国の事情を示す切手などをご紹介しています。その中から、こんなモノをご紹介します。

        フセイン抹消カバー

 これは、2003年のイラク戦争(そういえば、明日=20日は、イラク戦争の開戦10周年でしたな)により、サダム・フセイン政権が崩壊した直後の6月29日(消印は“92日”になっていますが)、バグダードで差し出された市内便で、フセイン政権時代に発行されたフセイン65歳誕生日の記念切手が、肖像部分をペンで抹消して使用されています。

 1991年の湾岸戦争後、イラクが受諾した停戦決議(決議687)では、イラクは大量破壊兵器の保持してはならないとされ、UNSCOM(国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会)がイラクの兵器の保有状況、製造設備などを調査することになりました。当初、イラク側は、UNSCOMの調査に比較的協力的でしたが、UNSCOMの主任査察官が米国の諜報関係出身者であり、調査に米国の意向が反映されたことに反発。次第に、調査に対して協力しなくなり、偽装工作や査察妨害などが行われるようになりました。これに対して、米国は安保理決議688を根拠としてイラク北部に飛行禁止空域を設定しただけでなく、1992年にはフランス、イギリスと協調してイラク南部にも飛行禁止空域を設定。これに反発したイラクは、地対空ミサイルの配備や軍用機による意図的な空域侵犯を行い、米英が制裁としてイラク軍施設を攻撃するという構図が繰り返され、UNSCOMは1998年末で活動停止に追い込まれました。

 一方、1995年ごろから、イラクに対する経済制裁に対しては国際社会からも不満の声が高まるようになります。

 そもそも、湾岸戦争の直前、食糧自給率が3割程度しかなかったイラクに対して、食糧を含む輸出入を禁ずることに対しては、経済制裁が開始された当初から、人道上の理由で反対する声が欧米でも少なくありませんでした。また、潜在的な域内大国であるイラクとの経済関係を遮断することは周辺諸国にとって多大な経済的犠牲を強いることにもなっていました。さらに、産油国イラクとの交易再開を求める声は、終戦から3年以上経過すると、西側諸国の間でも無視できないものとなっていましたし、戦争被害に対する補償や国連自身のイラクでの活動に必要な資金をまかなうためにも、イラクに一定の石油を輸出させ、その代金を活用すべきだという案は国連にとっても魅力的なものでした。

 このため、1995年4月、半年間に20億ドルを越えない範囲での石油輸出を許可し、食糧・医薬品などの人道物資の輸入を認めるという国連安保理決議986号が採択されます。当初、イラク側は、経済制裁の完全解除を求めて同決議を拒絶しましたが、1996年に入ってこれを受諾し、同年12月からイラク産原油の輸出が再開されました。以後、イラクは、ロシア、フランス、中国を味方につけて国連との交渉を有利に進め、その結果として、イラクに対する経済制裁は次第になし崩しとなっていきます。そして、石油輸出の上限が廃止された1999年以降、イラクは実質的に国際経済への復帰を果すことになりました。

 こうして、イラク情勢は安定に向かうかと思われましたが、2001年、イラクを露骨に敵視するブッシュJr政権が発足すると、再び、イラクと米国の関係は緊張。米国は、イラク側が停戦条件に違反して大量破壊併記を秘密裏に製造しており、国際テロ組織アルカイダを支援している疑いがあるなどと主張し(ただし、戦後になって、大量破壊兵器は存在しなかったことが明らかになり、フセイン政権とアルカイダとの関係は立証できませんでしたが…)、国連の査察を受け入れないことを理由として、英国などとともに多国籍軍を構成し、2003年3月20日、対イラク戦争の開戦に踏み切りました。

 イラクに侵攻した多国籍軍は、4月10日までに首都バグダードを制圧するなど、開戦後約3週間でイラクの主要都市を攻略し、フセイン政権を崩壊させました。そして、5月1日、ブッシュJr大統領が“大規模戦闘終結宣言”を発し、イラクはアメリカ・イギリスを中心とする有志連合の軍事占領下に置かれ、連合国暫定当局(CPA)によって統治されることになりました。今回ご紹介のカバーは、そうした時期のもので、新体制下での切手発行が間に合わなかったための暫定的な使用例です。

 その後、フセインは2003年12月に逮捕され、1982年に自国のシーア派住民を大量殺害したことが人道に対する罪にあたるとして死刑判決を受け、2006年12月に処刑されましたが、イラク国内はスンニ派とシーア派、クルド人勢力の対立から治安が極端に悪化し、テロが横行する状況となりました。

 こうしてみると、“民主化”によって国民の言論の自由は保障されたものの、人々が生命の危険を身近に感じるようになっている状態と、秘密警察による監視の目が張りめぐらされた恐怖支配ではあっても、宗派対立が抑え込まれて治安はよい状態とでは、はたして、どちらの方が国民にとって幸福であるのか、評価の分かれるところでしょうな。

 さて、今回の『FLASH』の切手特集では、昭和30-40年代に発行された記念切手の現状や中国の切手バブルの話、そして、各国事情が反映された“世界のオモシロ切手”の話など、盛りだくさんの内容となっております。雑誌は全国書店はもとより、駅売店・コンビニなどでも実物をお手に取っていただけますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
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 イラク議会選挙
2010-03-07 Sun 17:37
 イラク連邦議会選挙の投票が現地時間7日午前7時から始まりました。イラクで全国規模の選挙が行われるのは2003年以来5度目のことです。というわけで、きょうは最近のイラク切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・反テロ

 これは、2008年にイラクで発行された“反テロ”宣伝の切手です。アラビア語で“No”を意味する“la”(印面中央右のXに見えるような文字です)の文字の間から、しゃれこうべを持つ手がにゅっと出ていて、左側におびえて泣く子の写真が取り上げられているのが印象的なデザインです。

 2003年の“イラク戦争”によってサダム・フセイン政権が崩壊した後、イラクはアメリカ・イギリスを中心とする有志連合の軍事占領下に置かれ、連合国暫定当局(CPA)によって統治されていましたが、2004年6月28日、国家の主権は暫定政権に移譲されました。これに伴い、有志連合軍は国際連合の多国籍軍となり、治安維持などに従事することになります。

 2005年1月30日に行われた議会選挙の結果、3月16日に国民議会が召集され、10月25日、新憲法が可決承認されます。これに伴い、12月15日、新生イラクの正式政府発足に向けた議会選挙が行われましたが、政権を巡りスンニ派とシーア派、クルド人勢力の対立から治安が極端に悪化し、イラク国内は実質的に内戦状態に突入しました。

 バグダードを始め都市部では自爆テロが相次ぎ、治安を維持するために米軍とイラク国防軍が介入したことで、これに反発するテロが発生するという悪循環で犠牲者は増大していったことは周知のとおりです。今回の議会選挙に際しても、反政府勢力は投票妨害を狙った攻撃を予告していましたが、はたしてバグダード市内では投票開始から数時間の内に30発以上の迫撃砲が発射され、うち3発は官庁や米大使館、軍施設などが集中する旧米軍管理区域(グリーンゾーン)に着弾。またバグダッド北東ではロケット弾で12人が死亡、8人が負傷する事態となっています。

 選挙後の新体制がどのようなものになったにせよ、イラクの治安を回復できるかどうかは甚だ心もとないというのが実情でしょう。“民主化”によって国民の言論の自由は保障されたものの、人々が生命の危険を身近に感じるようになっている状態と、秘密警察による監視の目が張りめぐらされた恐怖支配ではあっても、宗派対立が抑え込まれて治安はよい状態では、はたして、どちらの方が国民にとって幸福であるのか、なかなか判断に苦しむところですな。


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