内藤陽介 Yosuke NAITO
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 トップレスのマリアンヌ
2013-07-16 Tue 16:47
 おととい(14日)のフランス革命記念日に、フランスのオランド大統領自らが発表した新普通切手のマリアンヌのモデルの一人が、トップレス姿の抗議行動で知られるウクライナの女性活動家だったことが判明し、物議を醸しているそうです。というわけで、トップレス姿の“マリアンヌ”の切手がないかと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

       仏領西アフリカ・1947年シリーズ(バマコ)

 これは、1947年に仏領西アフリカ連邦(モーリタニア、セネガル、仏領スーダン=現マリ、仏領ギニア=現ギニア、コートディヴォワール、ニジェール、オートボルタ=現ブルキナファソ、ダオメ=現のベナン8地域で構成)共通切手の30フラン切手で、仏領スーダンの首府バマコを流れるニジェール川を背景に、胸をあらわにした地元の女性が描かれています。1947年の仏領西アフリカ連邦共通切手は、連邦を構成する各植民地・風物などから題材を取ったもので、今回ご紹介の切手は仏領スーダンを代表する風景を描くものという位置づけです。なお、この仏領スーダンが現在のマリ共和国になるわけですが(このあたりの事情は、拙著『マリ近現代史』で詳しく書いたので、機会がありましたら、ぜひお読みいただけると幸いです)、“マリの女性”もまた“マリアンヌ”ですから(ただし、フランス本国のマリアンヌMarianne、マリ女性はMalienneで、スペルやフランス語の発音は異なりますが…)、この切手に描かれているのも“トップレスのマリアンヌ”であるには違いなかろうという次第です。(ちと苦しいかな)

 さて、昨年のオランド政権誕生を受けて、フランスでは普通切手のデザインも一新されることになり、このたびの新デザイン発表ということになったわけですが、新デザインの発表にあわせて、デザイナーの1人であったオリビエ・シアパが「マリアンヌのモデルのひとりはインナ・シェフチェンコだ」との趣旨のツイートを投稿したのが騒動の発端となりました。

 シェフチェンコはウクライナからフランスに政治亡命したフェミニスト過激派“FEMEN”フランス支部の活動家で、(彼女たちの理解による)女性の性的搾取や性差別、宗教団体に対するトップレス姿での抗議活動を行い、しばしばメディアを賑わせている人物です。まぁ、言論の自由が認められている以上、抗議活動そのものは、他人に危害を及ぼしたり、明らかに法令に反したりしない限り、それなりに認められるべきだとは思いますが、トップレス姿になることが、なぜ、抗議の意を示すことになるのか、僕にはさっぱりわかりませんがね。いずれにしても、彼女の主義主張の是非は別として、フランスでは“お騒がせ”の常習犯であることは間違いなさそうです。

 さて、シアパのツイートを受けて、保守系の団体の間に新たな切手のボイコットを呼びかける動きが広まったため、シアパも報道機関のインタビューに対して「新しい切手のモデルは複数の人物を組み合わせたもので、そのなかには、シェフチェンコのほか、女優のマリオン・コティヤールや法相のクリスティアーヌ・トビラも含まれる」と説明していますが、騒ぎは静まりそうにありません。さらに、切手のモデル(の一人)になったシェフチェンコは、「これからホモフォビア(同性愛嫌悪)や過激派、ファシストは、手紙を送るときに私の尻をなめなくちゃならないわね」と挑発する始末で、まさに炎上モード、「パリは燃えているか」といったところでしょうか。

 まぁ、フィラテリストとしては、新たなマリアンヌ切手については、今後、保守派の団体がこの切手の貼られた郵便物の受け取りを拒否したり、切手の肖像部分を黒く塗りつぶしたりするようなことになれば、ぜひとも、その実物を手に入れないといけませんな。


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 フランス大統領17年ぶり訪日
2013-06-06 Thu 13:29
 フランスのオランド大統領が、きょう(6日)から3日間の日程で、国賓として訪日の予定です。フランス大統領の公式訪日は1996年のシラク元大統領以来17年ぶりだそうです。というわけで、今日はフランス大統領の外遊ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       フランス大統領・バマコ訪問カバー

 これは、1947年4月、当時のフランス大統領ヴァンサン・オリオールのバマコ訪問記念カバーで、押印用に貼られている切手は、アフリカ兵を描く仏領西アフリカ連邦共通の普通切手(10、40、70、80フラン)で、元の持ち主が後から1984年に発行されたオリオールの追悼切手を余白に貼り足しています。

 第2次大戦後のフランス第4共和政は、1946年5月5日に最初の憲法草案が制定されて国民投票が行われたものの否決されたため、6月2日に再度、制憲議会選挙が行われ、再度作成された憲法草案が10月13日に国民投票にかけられて可決されたことで正式に発足しました。

 この結果、フランス植民地帝国はフランス連合として再編され、仏領西アフリカは第4共和国の一部として本国海外省所管の海外領土となります。

 制憲議会には、仏領西アフリカからも、ラミヌ・ゲイエ、セダール・サンゴール、フェリックス・ウーフェ・ボワニ、フィリ・ダボ・シソコ、ヤシヌ・ディアロらが出席し、1946年4月には、アフリカの政治家たちの手により強制労働を廃止する法律(「ウフェ=ボワニ法」)、フランス連合内の住民に市民権を認める法律(「ラミヌ・ゲイエ法」)がそれぞれ提出・可決されました。

 もっとも、こうした法改正によっても、国民議会の総議席600のうち西アフリカ代表に割り当てられているのは17議席のみでしたし、植民地に住むフランス白人が選挙人として別個の身分を認められていたのに対して、アフリカ系の選挙権資格には、地方議会・会議所の議員・前職者、組合の現職・前職者、政府職員、常時雇用者、軍人、聖職者、首長・部族長、当時不動産の所有者、運転免許を持つ者、フランス語またはアラビア語の知識を持つ者、などの資格が必要とされており、アフリカ系が実質的に“二級市民”の地位に留め置かれていたことは否定できません。

 このため、第4共和政の発足を控えた1946年9月、制憲議会に参加したアフリカ出身議員たちは、新体制下での植民地改革を目指して「黒人アフリカの政治的・社会的民主主義の達成を遂行し、自らの発展がそれを立証しているあらゆる組織の連合」を呼びかける宣言を発表。これに呼応するかたちで、同年10月、当時の仏領スーダンの首府であったバマコ(現在のマリの首都)に800人が集まり、仏領西アフリカおよび赤道アフリカにまたがる植民地横断の連合政党、“アフリカ民主連合(RDA:Rassemblement Démocratique Africain)”が結成されました。初代の総裁は、後にコート・ディヴォワールの初代大統領となるフェリックス・ウーフェ・ボワニです。

 RDAは、①アフリカ人の選挙権のさらなる拡大、②人種差別の撤廃や生活条件の改善などを要求として掲げ、当初は政権与党の一角を担っていたフランス共産党と緊密な関係にありました。このため、セネガルのラミヌ・ゲイエやレオポール・セダール・サンゴールなど、フランス社会党と関係の深い大物活動家は参加を控えています。

 このように、アフリカ植民地のナショナリズムが高揚していく中で、第4共和政の大統領となったヴァンサン・オリオールは、フランス連合内の宥和を促進すべく、1947年4月、仏領アフリカ植民地を訪問。4月27-29日にはバマコに滞在しました。現職のフランス大統領がみずからサハラ以南のブラック・アフリカを訪問したのはこれが最初のことです。今回ご紹介のカバーに関していうと、右上に押されている円形の大きな印が大統領訪問の記念印で、大統領が訪問した各都市で大統領の滞在期間中、使用されています。

 なお、仏領スーダンがマリとして独立した後、フランス大統領が初の公式訪問を行ったのは、今回ご紹介のカバーの訪問から30年後の1977年のことで、このときは、ジスカールデスタン大統領の肖像を描く訪問記念切手も発行されています。

 ちなみに、フランスの西アフリカ政策、特に対マリ政策とその現在までの歴史については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 おかげさまで8周年
2013-06-01 Sat 08:42
 おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、きょうでちょうど8周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、きょうは額面8のこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       仏領西アフリカ・戦勝記念

 これは、“第2次大戦勝利1周年”を記念して、1946年5月8日、仏領西アフリカ連邦で発行された額面8フランの航空切手です。

 1939年9月1日、第2次欧州大戦が勃発すると、1940年6月にフランス本国は降伏し、パリを含む北部フランスはドイツに占領され、南部はフィリップ・ペタンを国家主席とし、ヴィシーを首都とする親独派政権の支配下に置かれることになりました。これに対して、ドイツへの降伏を潔しとせず、抗戦継続を主張するシャルル・ド・ゴールらはロンドンに亡命して“自由フランス”を結成。フランス本国が親独派と抗戦派に分裂する中で、植民地政府の対応も割れることになります。

 当初、仏領西アフリカ連邦(モーリタニア、セネガル、仏領スーダン=現マリ、仏領ギニア=現ギニア、コートディヴォワール、ニジェール、オートボルタ=現ブルキナファソ、ダオメ=現のベナン8地域で構成)はヴィシー政権側についていましたが、連合軍がカサブランカ、オラン、アルジェへの上陸作戦を敢行し、1942年11月11日までにこの地域のヴィシー・フランス軍は降伏したため、12月7日、ヴィシー政権から離脱し、自由フランスに合流しました。

 自由フランスに合流後の仏領西アフリカ連邦では、それまで各植民地が個別に発行していた切手に代わり、連邦共通の切手が発行されました。ただし、連邦共通の切手が発行されるようになった後も、1943年以前の各植民地の切手は有効でした。

 さて、自由フランスへの合流後、仏領西アフリカからは10万を超える多数の兵士が動員されました。

 もともと、自由フランスが発足した当初、フランス白人の大半はヴィシー政府によってともかくもフランス国家が存続したことを肯定的にとらえており、ド・ゴールを軍事的に支えたのは仏領赤道アフリカのアフリカ人兵士たちでした。その割合は、最大時、自由フランスの全兵力の3分の2を占めており、1940年の戦闘だけで、1万7000人の“セネガル狙撃兵”が戦死し、多くが枢軸側の捕虜となっています。

 したがって、自由フランス軍の勝利は、アフリカによる多大な犠牲なくしてはありえなかったといえます。こうした記憶は、現在なおフランス社会には生きていて、たとえば、2013年2月、フランス軍の軍事介入によって反政府武装勢力が主要都市から撤退したことを受けてマリを訪問したフランス大統領フランソワ・オランドは「(今回の)フランスの介入でマリとアフリカが第二次大戦の時にフランス側で戦ってくれたことへの借りを返すことができた。フランスが支援を求めている時に来てくれたのはアフリカでありマリ(第二次大戦当時は仏領スーダン)だった。ありがとう、マリ」と演説しています。

 こうした事情を踏まえてさらに、1944年1月、仏領赤道アフリカに属する仏領コンゴの首府、ブラザヴィルで“フランス=アフリカ会議”が開かれ、戦後の植民地政策について、仏領アフリカ植民地と自由フランスの間で議が行われました。

 会議の結果採択されたブラザヴィル宣言では、①原住民制の廃止、②強制労働の廃止、③教育の整備、④工業開発の重視、⑤(戦後に予定される)フランス制憲議会への現地代表参加、⑥フランス国会への現地代表参加、⑦フランス連合の連邦議会の設置、⑧セネガルの植民地議会同様の議会を各植民地に設置、などの項目が、ヴィシー政府打倒後の新政権への勧告として盛り込まれていました。いわば、植民地は戦争協力と引き換えに、戦後の自治権拡大を約束された格好になります。

 1944年8月25日、長らくドイツの占領下にあったパリは連合国によって解放され、ド・ゴール率いるフランス共和国臨時政府が帰国し、ヴィシー政府は事実上崩壊。翌1945年5月にはドイツが降伏し、第二次欧州大戦は終結しました。

 これを受けて、1945年10月21日、憲法制定のための制憲議会選挙が行われ、翌1946年5月5日に憲法草案が制定されて国民投票が行われましたが、否決されたため、6月2日に再度、制憲議会選挙が行われ、再度作成された憲法草案が10月13日に国民投票にかけられて可決され、10月27日、フランス第4共和政がスタートしました。

 この結果、フランス植民地帝国はフランス連合として再編され、仏領西アフリカは第4共和国の一部として本国海外省所管の海外領土となります。制憲議会には、仏領西アフリカからも、ラミヌ・ゲイエ、セダール・サンゴール、フェリックス・ウーフェ・ボワニ、フィリ・ダボ・シソコ、ヤシヌ・ディアロらが出席し、1946年4月には、アフリカの政治家たちの手により強制労働を廃止する法律(「ウフェ=ボワニ法」)、フランス連合内の住民に市民権を認める法律(「ラミヌ・ゲイエ法」)がそれぞれ提出・可決されました。

 もっとも、こうした法改正によっても、国民議会の総議席600のうち西アフリカ代表に割り当てられているのは17議席のみでしたし、植民地に住むフランス白人が選挙人として別個の身分を認められていたのに対して、アフリカ系の選挙権資格には、地方議会・会議所の議員・前職者、組合の現職・前職者、政府職員、常時雇用者、軍人、聖職者、首長・部族長、当時不動産の所有者、運転免許を持つ者、フランス語またはアラビア語の知識を持つ者、などの資格が必要とされており、アフリカ系が実質的に“二級市民”の地位に留め置かれていたことは否定できません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ イベントのご案内・本日開催です! ★★★

 ・6月1日(土) 11:00- 切手市場
 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 世界赤十字デー
2013-05-08 Wed 11:56
 きょう(8日)は、世界赤十字デーです。というわけで、赤十字募金の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       仏領西アフリカ・赤十字募金

 これは、1944年に仏領西アフリカで発行された赤十字募金の切手で、中央に、フランスの象徴であるマリアンヌの顔が描かれています。赤十字関係の切手というと切手上にも赤十字のマークが入っていることが多いのですが、今回ご紹介の切手の場合はそうではないので、ついつい見逃してしまいそうです。

 1939年9月1日、第二次欧州大戦が勃発すると、1940年6月にフランス本国は降伏し、パリを含む北部フランスはドイツに占領され、南部はフィリップ・ペタンを国家主席とし、ヴィシーを首都とする親独派政権の支配下に置かれることになりました。これに対して、ドイツへの降伏を潔しとせず、抗戦継続を主張するシャルル・ド・ゴールらはロンドンに亡命して“自由フランス”を結成。フランス本国が親独派と抗戦派に分裂する中で、植民地政府の対応も割れることになります。

 開戦当時、モーリタニア、セネガル、仏領スーダン(現マリ)、仏領ギニア(現ギニア)、コートディヴォワールニジェールオートボルタ(現ブルキナファソ)、ダオメ(現ベナン)の8地域で構成される仏領西アフリカ連邦総督は、1939年8月10日に着任したばかりのレオン・アンリ・シャルル・カイラでしたが、彼は本国の対独降伏に抗議して1940年6月25日に辞職。このため、ヴィシー政府は、カイラの前任者で隣接する仏領赤道アフリカの総督に転出していたピエール・フランソワ・ボアッソンを西アフリカ総督に復帰させ、この地がド・ゴール派に流れるのを阻止します。

 仏領西アフリカの“中立化”に成功したドイツは、西アフリカ有数の港であるダカールをドイツ潜水艦の基地として使用することを計画。このため、これを阻止すべく、自由フランス軍はイギリスの支援を受けてダカールへの上陸を試みましたが、結局、上陸は果たせないまま、撤退を余儀なくされました。これに対して、ダカールの攻略に失敗したイギリスは仏領西アフリカに対して海上封鎖を行ったため、貿易は途絶し、西アフリカの経済は大きな打撃を受けることになります。

 1942年11月8日、連合軍はカサブランカ、オラン、アルジェへの上陸作戦を敢行。11月11日までにこの地域のヴィシー・フランス軍は降伏。こうした事態の転換を受けて、12月7日、ボアッソンは連合国支持を表明し、ヴィシー政権から離脱しました。

 自由フランスへの合流後の仏領西アフリカ連邦では、それまで各植民地が個別に発行していた切手に代わり、連邦共通の切手が発行されました。ただし、連邦共通の切手が発行されるようになった後も、1943年以前の各植民地の切手は有効でした。今回ご紹介の切手も、そうした状況の下で発行された1枚です。

 さて、先日刊行したばかりの拙著『マリ近現代史』では、現在のマリの前身にあたる仏領スーダンを中心に、仏領西アフリカ連邦が解体され、現在の西アフリカ諸国が独立していくまでの過程についても、切手などを図版として用いながらご説明しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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 トンブクトゥで戦闘
2013-04-01 Mon 22:53
 今年1月、フランス・マリ連合軍が奪還したばかりのトンブクトゥで、30日、自爆攻撃を発端とするイスラム武装勢力の襲撃があり、マリ軍との間で激しい戦闘となりましたが、マリ軍はフランス軍の支援を受け、昨夜(31日)までに市内を制圧しました。というわけで、きょうはフランス軍と共に戦ったアフリカ兵の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        仏領西アフリカ・アフリカ兵(20フラン)

 これは、1945年に仏領西アフリカ連邦(モーリタニア、セネガル、仏領スーダン=現マリ、仏領ギニア=現ギニア、コートディヴォワール、ニジェール、オートボルタ=現ブルキナファソ、ダオメ=現のベナン8地域で構成)で発行された20フランの普通切手で、アフリカ兵が大きく描かれています。

 1939年9月1日、第二次欧州大戦が勃発すると、1940年6月にフランス本国は降伏し、パリを含む北部フランスはドイツに占領され、南部はフィリップ・ペタンを国家主席とし、ヴィシーを首都とする親独派政権の支配下に置かれることになりました。これに対して、ドイツへの降伏を潔しとせず、抗戦継続を主張するシャルル・ド・ゴールらはロンドンに亡命して“自由フランス”を結成。フランス本国が親独派と抗戦派に分裂する中で、植民地政府の対応も割れることになります。

 開戦当時、仏領西アフリカ連邦総督は、1939年8月10日に着任したばかりのレオン・アンリ・シャルル・カイラでしたが、彼は本国の対独降伏に抗議して1940年6月25日に辞職。このため、ヴィシー政府は、カイラの前任者で隣接する仏領赤道アフリカの総督に転出していたピエール・フランソワ・ボアッソンを西アフリカ総督に復帰させ、この地がド・ゴール派に流れるのを阻止します。

 仏領西アフリカの“中立化”に成功したドイツは、西アフリカ有数の港であるダカールをドイツ潜水艦の基地として使用することを計画。このため、これを阻止すべく、自由フランス軍はイギリスの支援を受けてダカールへの上陸を試みましたが、結局、上陸は果たせないまま、撤退を余儀なくされました。これに対して、ダカールの攻略に失敗したイギリスは仏領西アフリカに対して海上封鎖を行ったため、貿易は途絶し、西アフリカの経済は大きな打撃を受けることになります。

 1942年11月8日、連合軍はカサブランカ、オラン、アルジェへの上陸作戦を敢行。11月11日までにこの地域のヴィシー・フランス軍は降伏。こうした事態の転換を受けて、12月7日、ボアッソンは連合国支持を表明し、ヴィシー政権から離脱しました。

 自由フランスへの合流後の仏領西アフリカ連邦では、それまで各植民地が個別に発行していた切手に代わり、連邦共通の切手が発行されました。ただし、連邦共通の切手が発行されるようになった後も、1943年以前の各植民地の切手は有効でした。

 さて、自由フランスへの合流後、仏領西アフリカからは10万を超える多数の兵士が動員されました。

 もともと、自由フランスが発足した当初、フランス白人の大半はヴィシー政府によってともかくもフランス国家が存続したことを肯定的にとらえており、ド・ゴールを軍事的に支えたのは仏領赤道アフリカのアフリカ人兵士たちでした。その割合は、最大時、自由フランスの全兵力の3分の2を占めており、1940年の戦闘だけで、1万7000人の“セネガル狙撃兵”が戦死し、多くが枢軸側の捕虜となっています。

 自由フランス軍の勝利は、アフリカによる多大な犠牲なくしてはありえなかったわけで、今回ご紹介の普通切手がアフリカ兵を大きく描くデザインとなっているのも、こうした事情を反映したものといえましょう。
 
 さて、現在、4月下旬の刊行を目指して制作作業をしている拙著『マリ近現代史』ですが、最終的な校正の締め切りまでには、まだ数日の余裕があります。制作作業もいよいよ大詰めの段階ですが、できる限り最新の出来事までカバーするよう、ギリギリまで粘ってみようと思っていますので、よろしくお願いいたします。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


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