内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 エジプト大統領、シーシー再選
2018-04-04 Wed 11:00
 エジプトの選管当局は、2日(現地時間)、3月下旬に投票が行われた大統領選で、現職のシーシー大統領が約97%を得票して再選を果たしたと発表しました。まぁ、選挙戦では有力候補と目されていた元首相が出馬を“辞退”したほか、元軍参謀総長は軍の許可を得ずに出馬準備を進めたとして身柄を拘束された中での当選ですが…。というわけで、きょうはエジプト大統領にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ナセル・クリスマスカード(封筒)

 これは、1967年12月31日、エジプト・カイロの大統領府内局から差し立てられたカバーです。中身は、下に示すように、当時の大統領、ナセル名義でのクリスマスと新年の挨拶状です。

       ナセル・クリスマスカード

 さて、エジプトの大統領府は、カイロの新市街東部のアブディーン宮殿に置かれています。
 
 アブディーン宮殿のあった場所は、もともとは、ムハンマド・アリー朝の高官だったアブディーン・ベイの所有地でした。1863年、エジプトの副王(オスマン帝国宗主権下のエジプトの支配者の称号)、イスマーイール・パシャはこの地に宮殿の建設を開始。10年余の歳月と70万エジプトポンドの総工費をかけて、1874年に完成しました。部屋数は500を超え、贅を尽くした調度品の総額は、建築費を上回る200万ポンドにも上ったそうです。

 その後、アブディーン宮殿はムハンマド・アリー朝の君主の住居として用いられてきましたが、1952年の革命後は共和国政府によって接収され、大統領の官邸および公邸として用いられるようになりました。なお、宮殿の一部は博物館として公開されています。

 ちなみに、ナセルは1967年6月の第三次中東戦争後、惨敗の責任を取って辞意を表明しましたが、国民の支持により辞意を撤回。その結果、同年末には、今回ご紹介のクリスマス・カードを差し出すことになりました。結局、ナセルは、1970年、ヨルダン内戦の調停に奔走して過労で亡くなるまで、大統領職にとどまりました。

 なお、第三次中東戦争とナセルの挫折については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

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      アウシュヴィッツの手紙・表紙

 4月7日(土)13:00-16:00  
 於・ (公財) 愛恵福祉支援財団(東京都北区中里 2-6-1愛恵ビル3F)
 資料代 1,000 円 (当日会場で集めます)
 会場と資料準備の関係で必ず、下記宛に事前の申し込みをお願いします。
 申込先 竹内 良男(qq2g2vdd★vanilla.ocn.ne.jp スパム防止のため、送信の際は★を@にしてください)


 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 4月8日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。

 
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 国際女性デー
2018-03-08 Thu 02:53
 【謹告】 本日(8日)16:05~  NHKラジオ第1放送で放送予定だった「切手でひも解く世界の歴史」は、国会中継のため、放送が休止となりました。あしからずご了承ください。 

 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、例年どおり、拙著の中から女性ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・UNRWA(1969)

 これは、1969年にエジプトが発行した“国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)”の活動を宣伝する寄付金付き切手です。難民女性の背後、鉄条網越しには岩のドームを含むエルサレム旧市街の町並みが見えており、彼女たちがヨルダン川を渡った東岸のヨルダン領内にいることが含意されています。
 
 UNRWAは第一次中東戦争後の1949年12月8日に設置された国連の事業機関で、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、ヨルダン、レバノン、シリアで約500万人のパレスチナ難民に教育、保健、福祉、救急などの援助および人間開発を行っています。その設立に際しては、アラブ諸国はもとより、イスラエルも人道的立場から国連総会で賛成票を投じました。

 UNRWAの定義による“パレスチナ難民”は「1946年6月1日から1948年5月15日(第一次中東戦争勃発の日)までの間にパレスチナに住んでおり、その家と生計を失った者とその子孫」とされています。もちろん、1967年の第三次中東戦争以降、ヨルダン川西岸およびガザ地区から逃れてきた難民であっても、上記の期間に本人もしくは両親・祖父母がパレスチナに住んでいれば、“パレスチナ難民”と認定されることがあります。

 なお、いわゆるパレスチナ難民とその歴史については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも関連の切手とともにご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

  
★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


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 コプトの大聖堂で爆弾テロ
2016-12-12 Mon 11:21
 カイロ中心部、アッバセイヤにあるコプトの総本山、聖マルコ大聖堂に隣接する教会で、きのう(11日)、爆弾テロが発生し、国営テレビによると、25人が死亡、49人が負傷しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・コプト(1967)

 これは、1967年にエジプトが発行した“文化遺産”の切手のうち、コプト博物館所蔵のコプト教会の後陣壁画が取り上げられています。

 コプトは、もともとはアラブ化される以前の古代エジプト王国の流れを汲むエジプト先住民のことですが、次第に、キリスト教の一派と結びついた概念となりました。

 すなわち、伝承によれば、西暦42年頃、マルコがアレクサンドリアにキリスト教会(アレクサンドリア教会)を建立したのがエジプトにおけるキリスト教の始まりとされています。

 451年のカルケドン公会議の後、キリスト教会は、「キリストは神性と人性という二つの本性を持つ」とするカルケドン派(両性説。現在のキリスト教多数派)を正統とし、「受肉によってキリストの人性は神性に融合されて一つの性=神性となった」とする単性論派を異端として排除しました。この時点では、エジプト先住民という意味でのコプトは双方の教会に属していましたが、もともと、エジプトでは単性論派が有力だったことに加え、641-42年にムスリムがエジプトを征服すると、東方正教会系のコプトはエジプトから逃れていきました。この結果、コプトは、エジプトの単性論派キリスト教会(ただし、彼ら自身は単性論派と呼ばれることを忌避しています)の信徒を指す言葉として使われるようになり、現在に至っています。

 現在、エジプトにおけるコプトの割合は人口(約8000万人)の5%程度というのが公式の数字ですが、実際には、1割程度いると推定されており、その中には、国連の事務総長を務めたブトロス・ブトロス=ガーリ―を始め、有力者も少なくありません。また、現行のエジプト憲法は“信教の自由”を保障しており、制度上、ムスリムとコプトの間で差別は無いことになっており、2007年には「ムスリムは自由に改宗することができる」とするファトワー(宗教令)も出されています。

 ただし、実際には、コプトはエジプト国内においては圧倒的な少数派であり、ムスリムからコプトへの改宗は現実の問題としてほぼ不可能です。また、迫害や差別の対象となることも多く、2011年1月1日にはアレクサンドリアのコプト教会前でイスラム過激派によるテロ事件が発生したほか、最近では、イスラム過激派組織、イスラム国ことダーイシュに忠誠を誓う過激派組織、シナイ州が、エジプト政府に協力しているとして、これまでにもキリスト教徒などを標的にしており、各地で宗派間抗争の犠牲になる例が増えています。

 今回のテロ事件に関して、この記事を書いている時点では、犯行声明の類は出されていませんが、エジプトでは9日にもカイロ近郊ギーザの検問所近くでテロとみられる爆発があり、警察官6人が殉職。このため、シシ大統領は事件後すぐに声明を出し、「この憎むべきテロに関わった者が誰であれ、法の裁きにかける」として、テロ事件だと断定したうえで徹底した捜査を行うことを強調しています。

 いずれにせよ、今回の事件で犠牲になった方々の御冥福と負傷された方々の一日も早い御快癒をお祈りするとともに、一日も早い犯人の逮捕を願うばかりです。
 

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 国連緊急軍60年
2016-11-15 Tue 11:11
 1956年11月15日、(第一次)国際連合緊急軍(UNEF I :UNITED NATIONS EMERGENCY FORCES I)の展開が開始されてから、今日でちょうど60年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      国連緊急軍(スエズ・ブラジル)

 これは、1964年3月28日、スエズ地域に展開していたUNEF I のブラジル部隊からブラジル本国宛に差し出された軍事郵便で、国連マークとUNEF表示の機械印が押されています。

 1956年7月26日、エジプト大統領のガマール・アブドゥンナーセル(ナセル)は、年間1億ドルのスエズ運河の収益をアスワン・ハイダム建設の資金に充てるべく、運河の国有化を宣言し、管理会社である国際スエズ運河株式会社を接収して全資産を凍結しました。いわゆるスエズ運河国有化です。

 これに対して、スエズ運河株式会社の株主であった英仏は激怒し、エジプトの宿敵、イスラエルと同調して、運河国有化の阻止を計画。10月29日、イスラエル軍がシナイ半島侵攻作戦を開始し、第2次中東戦争(スエズ動乱)が勃発しました。

 英仏はエジプト・イスラエルがともにスエズ運河地帯から撤退することを要求し、エジプトがこれを拒否すると、英落下傘部隊がポートサイド(スエズ運河の地中海川の出口)を急襲したものの、米ソを含む国際社会の厳しい非難を浴び、11月2日、関係国への停戦とスエズ運河通航の再開を求める国連総会決議997が採択されました。その後、11月4日から7日にかけて採択された総会決議998、1000、1001により、停戦の監視と英仏イスラエルのエジプト領内からの撤退確認のためにUNEF I が設立されます。そして、11月8日の停戦を経て、11月14日にはエジプトの合意が得られたことから、11月15日からUNEF I の展開が開始されました。

 UNEF I の人員の一部は、国際連合休戦監視機構(UNTSO)から引き抜かれたほか、中東地域に直接の利害を有しなかったブラジル・カナダなどから提供された人員で構成されていました。UNEFの最大人員規模は約6,000名で、1956年12月に英仏が、1957年3月にはイスラエルが1949年の休戦ラインまで撤退した後も、エジプト=イスラエル国境のエジプト側に展開。1967年にエジプトの要求で撤兵するまで、停戦監視を続けました。

 ちなみに、リオデジャネイロのフラメンゴ公園内にある戦没者慰霊塔の地下には、下の画像のように、UNEF I に参加したブラジル軍部隊を称えるプレートも置かれています。

      フラメンゴ公園・UNEFブラジル部隊を称えるプレート

 なお、このプレートがあるフラメンゴ公園内の戦没者慰霊施設については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

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 スエズ運河国有化60年
2016-07-26 Tue 11:03
 1956年7月26日にエジプト大統領ガマール・アブドゥン=ナーセル(以下、ナセル)スエズ運河の国有化を宣言してから、きょうでちょうど60年です。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・スエズ運河国有化5周年

 これは、運河の国有化を記念して、国有化宣言から2ヵ月後の1956年9月26日にエジプトが発行した記念切手です。 

 1952年のエジプト革命で発足したナセルの民族主義政権は、王制時代に事実上の宗主国であった英国の影響力を排除するため、1954年10月、スエズ運河地帯から英軍を撤退させる協定を成立させ、1956年6月20日までに全英軍を撤兵させました。

 もっとも、この段階では、ナセル政権は自立した近代国家を建設するという意味で英国の影響力を排除しようとしていたものの、西側諸国と敵対することを望んでいたわけではありません。エジプトの経済的自立のための国家プロジェクト、アスワン・ハイ・ダムの建設計画(ナイル川上流に巨大なダムと発電所を建設し、それを利用した灌漑により大規模な農地を開拓する計画)を遂行していくためには、米英両国と世界銀行の資金援助が不可欠だったからです。

 このため、英軍の運河地帯からの撤退に際しては、運河の所有権は英仏両国を大株主とする国際スエズ運河株式会社が保有することとされ、運河の自由な航行を保障する国際協定(1888年10月締結)も引き続き有効であることも確認されていました。

 しかし、英軍の運河地帯から撤兵すれば、エジプト軍がシナイ半島を北上するのではないかと恐れたイスラエルは、英軍の撤兵を妨害すべくさまざまな破壊工作を展開。1955年2月には、イスラエル軍の攻撃によりエジプト軍兵士38名が犠牲になるという事件も発生します。そこで、イスラエルの脅威に対抗する必要から、軍の近代化を計ろうとしたエジプトは、米国をはじめとする西側諸国から最新兵器を購入しようとしたのですが、米英仏の3ヶ国は、中東への武器供与を制限する三国宣言を理由にこれを拒絶。このため、ナセルはソ連に接近し、1955年10月、チェコスロバキア経由での通商協定という名目で、綿花(エジプトの主力輸出品)とのバーター取引を成功させ、大量のソ連製兵器の獲得しました。

 しかし、アラブの盟主を自認するエジプトがソ連に接近することで、他のアラブ諸国もこれに追随するのではないかとの懸念を抱いたた米国は、これに強く反発。エジプトの封じ込めに乗り出します。その一環として、1956年7月19日、国務長官のジョン・フォレスター・ダレスがアスワン・ハイダム建設への資金援助の約束を突如撤回。英国と世界銀行も同様の声明をエジプトに対して発し、ナセルの悲願であったアスワン・ハイダムは、資金不足から中止の瀬戸際に追い込まれてしまいました。

 追い詰められたナセルは、7月26日(革命記念日)、年間一億ドルのスエズ運河の収益をアスワン・ハイダム建設の資金に充てるべく、運河の国有化を宣言。管理会社である国際スエズ運河株式会社を接収して全資産を凍結してしまいました。これが、スエズ運河国有化のあらましです。

 その後、スエズ運河の国有化に激怒した英仏は、エジプトによるチラン海峡の封鎖で経済的なダメージを受けていたイスラエルと同調し、武力による運河国有化を阻止しようとして、切手発行の翌月にあたる1956年10月、第二次中東戦争(スエズ戦争)を引き起こすことになります。


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 世界の国々:エジプト
2016-06-15 Wed 09:19
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年6月15日号が、先週、発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はエジプトの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・綿花と女性

 これは、1957年に発行された綿花と女性を描く1ミリームの普通切手です。

 エジプト綿はエジプトの代表的な輸出品の一つで、切手にもしばしば取り上げられていますが、その中心をなすギーザ種の綿は、1本の繊維がきわめて長い超長綿で、糸を細く丈夫に作れるため、軽くしなやかな生地に仕上がることで有名です。なかでも、最高級品のギーザ45は、年間約650トン(世界綿花生産量の0.001%)しか生産されない希少な原綿で、手触りの良さから、ヨーロッパでは新生児用の贈答品によく使われるています。原綿はすべて手作業で摘み取られ、女性が不純物を手で取り除き、男性によって何度も空中に高々と放り投げられる“ファラファラ”という伝統の手作業で紡がれるそうです。

 さて、『世界の切手コレクション』6月15日号の「世界の国々」では、第二次中東戦争(スエズ動乱)から第三次中東戦争までのナセルとアラブ民族主義の時代についての長文コラムのほか、スンナ派イスラム世界の最高権威とされるアズハル大学、ナイル川、ギーザの大スフィンクス、ツタンカーメン、スカラベの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は本日発売の6月22号でのブラジルの特集になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。

 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー荻窪 6/26(日) 14:00~15:30
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 エジプト、スエズ運河拡張へ
2014-08-06 Wed 16:06
 エジプトはきのう(5日)、欧州とアジアを結ぶ最短航路であるスエズ運河の拡張計画を発表しました。いわゆる“アラブの春”以降の混乱で観光客が激減したため、観光と並ぶ主要な外貨収入源であるスエズ運河の通航料収入を増やすことが目的です。というわけで、今日はスエズ運河ネタの中からこの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

     スエズ運河標語印カバー

 これは、1956年9月13日、カイロからローザンヌ宛のカバーで、ナセルによるスエズ運河国有化宣言後も運河の自由通行を保証することをアピールする標語印が押されています。

 1952年のエジプト革命で発足したナセルの民族主義政権は、王制時代に事実上の宗主国であった英国の影響力を排除するため、1954年10月、スエズ運河地帯から英軍を撤退させる協定を成立させ、1956年6月20日までに全英国兵を撤兵させました。もっとも、この段階では、ナセル政権は自立した近代国家を建設するという意味で英国の影響力を排除しようとしていましたが、西側諸国と敵対することを望んでいたわけではありません。エジプトの経済的自立のための国家プロジェクト、アスワン・ハイダムの建設(ナイル川上流に巨大なダムと発電所を建設し、それを利用した灌漑により大規模な農地を開拓することが計画された)を遂行していくためには、米英両国と世界銀行の資金援助が不可欠だったからです。

 このため、英軍の運河地帯からの撤退に際しては、運河の所有権は英仏両国を大株主とする国際スエズ運河株式会社が保有することとされ、運河の自由な航行を保障する国際協定(1888年10月締結)も引き続き有効であることも確認されていました。

 しかし、英軍の運河地帯から撤兵すれば、エジプト軍がシナイ半島を北上するのではないかと恐れたイスラエルは、英軍の撤兵を妨害すべくさまざまな破壊工作を展開。1955年2月には、イスラエル軍の攻撃によりエジプト軍兵士38名が犠牲になるという事件も発生します。そこで、イスラエルの脅威に対抗する必要から、軍の近代化を計ろうとしたエジプトは、米国をはじめとする西側諸国から最新兵器を購入しようとしたのですが、米英仏の3ヶ国は、中東への武器供与を制限する三国宣言を理由にこれを拒絶。このため、ナセルはソ連に接近し、1955年10月、チェコスロバキア経由での通商協定という名目で、綿花(エジプトの主力輸出品)とのバーター取引を成功させ、大量のソ連製兵器の獲得しました。

 しかし、アラブの盟主を自認するエジプトがソ連に接近することで、他のアラブ諸国もこれに追随するのではないかとの懸念を抱いたた米国は、これに強く反発。エジプトの封じ込めに乗り出します。その一環として、1956年7月19日、国務長官のジョン・フォレスター・ダレスがアスワン・ハイダム建設への資金援助の約束を突如撤回。英国と世界銀行も同様の声明をエジプトに対して発し、ナセルの悲願であったアスワン・ハイダムは、資金不足から中止の瀬戸際に追い込まれてしまいました。

 追い詰められたナセルは、7月26日(革命記念日)、年間一億ドルのスエズ運河の収益をアスワン・ハイダム建設の資金に充てるべく、運河の国有化を宣言。管理会社である国際スエズ運河株式会社を接収して全資産を凍結してしまいました。これが、スエズ運河国有化のあらましです。

 今回ご紹介のカバーは、こうした状況の下で、国有化宣言後もスエズ運河の通行に支障がないことを示すため、エジプトでは、“FREEDOM OF PASSAGE GUARANTEED THROUGH SUEZ CANAL”の標語が入った機械印が使用されました。

 その後、スエズ運河の国有化に激怒した英仏は、エジプトによるチラン海峡の封鎖で経済的なダメージを受けていたイスラエルと同調し、武力による運河国有化を阻止しようとして、今回ご紹介のカバーが差し出された翌月の1956年10月、第2次中東戦争(スエズ動乱)を引き起こすことになります。

 さて、今回の拡張工事ですが、既存の運河の一部と並行して全長35キロの新運河を掘削し、通航する船舶の増大を目指す計画で、総工費は40億ドル(約4100億円)を見込んでおり、完成は2015年半ばの予定だそうです。スエズ運河がらみのマテリアルにはいろいろと面白いモノがありますので、その時には、今回とは毛色の違うモノをご紹介しましょうか。


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 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 カイロの100万人行進
2011-02-01 Tue 22:42
 ホスニ・ムバーラク大統領の退陣を要求する反政府デモが続いているエジプトの首都カイロ中心部で、野党勢力による“100万人行進”の呼び掛けに呼応しての大規模デモが、現地時間正午(日本時間午後7時)から始まりました。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        カイロ博物館

 これは、1959年にエジプトで発行されたカイロ博物館(エジプト考古学博物館)100年の記念切手です。

 カイロ博物館は、ツタンカーメン王の黄金のマスクや黄金の玉座をはじめ、カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど、古代エジプトの至宝が展示されている博物館で、その南側(切手でいうと左前方の空間)にはカイロのへそともいうべきタハリール広場が広がっています。今回の“100万人行進”は、タハリール広場がデモの起点となっていますので、博物館の周囲も大変な混雑でしょう。キチンと探せば、もっと広場をはっきり描く切手も出てきたと思いますが、まぁ、きょうのところはこの切手でご勘弁ください。

 なお、野党勢力は、きょう(2月1日)からの無期限ゼネストを呼びかけているそうですが、まさに、エジプト版“2・1ゼネスト”というわけですな。ちなみに、わが国で占領下の1946年に計画されていた“2・1ゼネスト”は、GHQの指示により中止となっています。ムバーラク政権の威令が届いていた頃なら、今回野党勢力が呼び掛けたようなゼネストは起こりようもなかったわけですが、現状ではゼネストを中止させられるだけの権力というのはエジプトには存在していないと思われます。

 なお、僕の個人的な興味としては、日本の“2・1ゼネスト”のときのように、ストライキの告知の付箋が貼られた郵便物やそれに類するマテリアルが今回のエジプトの場合でもみられるのかどうか、ちょっと気になりますな。

* 2011年1月に頂戴した拍手の数の多かった記事のベスト4は以下のとおりです。ありがとうございました。
 1位(12票):阪神・淡路大震災鎮魂の日駄獣の群れ
 3位(6票):80万PV年賀状の切手

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 ガザの解放
2009-01-05 Mon 14:30
 先月27日に始まったイスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの攻撃で、ついに、イスラエル軍が今朝未明(現地時間3日夜)、地上侵攻作戦を開始しました。というわけで、ガザがらみの1枚として、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ガザ解放5周年

 これは、1962年にガザ解放5周年を記念してエジプトが発行した切手で、ガザの地図を背景にパレスチナ人の家族を描くとともに、「ガザはアラブ国家の一部」という英文のスローガンが入っています。ちなみに、アラビア語のスローガンは直訳すると「アラブのガザ」となっており、若干、ニュアンスが異なっています。

 1948年のイスラエル建国以前、ガザは“パレスチナ“の一部としてイギリス委任統治下にありましたが、第1次中東戦争のドサクサでエジプトが占領してしまいます。

 1956年の第2次中東戦争(いわゆるスエズ動乱)に際しては、ガザ地区はイスラエルに占領されましたが、停戦協定により、1957年にイスラエル軍が撤退。再びエジプトの支配下に置かれます。今回ご紹介の切手は、このときの“ガザ解放”から5周年を記念して発行されたものです。

 しかし、この切手発行から5年後の1967年に勃発した第3次中東戦争では、ガザは再びイスラエルに占領されました。

 2005年9月、イスラエル軍はガザから完全撤退し、38年の長きにわたる軍事占領はようやく終わりましたが、その直後に対イスラエル強硬派のイスラム原理主義勢力・ハマスが選挙で勝利してパレスチナ自治政府の与党となると、状況は一変。イスラエルによるハマス討伐の経済制裁と空襲に対して、ハマスは2007年6月にガザ地区を武力で占拠し、ロケット砲によるイスラエル領内への攻撃を行い、それを鎮圧するためにイスラエルがさらなるハマス攻撃を行うという報復の連鎖が続いています。今回のイスラエル軍の侵攻もその延長線上にあるわけで、イスラエル側はガザをハマスの支配から“解放”することを大義名分として掲げているわけですが、ガザの一般住民にしてみれば、イスラエル・ハマスの双方から解放されて平和な生活を取り戻したいというのが本音なのではないでしょうか。
 
 このように、ガザは、この100年間で目まぐるしく支配者が交代しており、それに合わせて郵便も様々に変化しているため、郵便史の視点から眺めて見てもなかなか興味深いものがあります。おととしから抱えている“中東郵便学”の本をつくるという企画も、そろそろ本腰を入れて取り組まなくてはならないのですが、ガザの話は同書の1章にぜひとも加えたいですね。


 イベントのご案内

 以下の日程で『年賀切手』の即売・サイン会(行商ともいう)に出かけます。どちらも入場は無料ですので、よろしかったら、遊びに来てください。

 1月10日(土) 切手バザール 於・切手の博物館(東京・目白) 10:30-17:00
  * JPSオークションのブースで販売します。 
 1月11日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00

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* 内容の一部は、このブログの年賀カテゴリーでもご覧になれます。なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 おかげさまで売れてます! 
 おかげさまで、売れ行き好調です。年末年始の休暇中でネット書店でも品切れが相次ぎご迷惑をおかけしておりましたが、今朝の時点でbk17&Yにも無事入荷したようです。もちろん、アマゾン紀伊国屋書店にも在庫があります。なお、日本郵政本社ビル・ポスタルショップでは、『年賀切手』の販売特設コーナー(下の画像:山内和彦さん撮影)も作っていただきました。

 日本郵政特設コーナー 
 
 
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 “世紀のお引越”から40年
2008-09-22 Mon 10:19
 1968年9月22日にエジプトのアブ・シンベル神殿の移築工事が完了してから、ちょうど40年になりました。というわけで、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 アブ・シンベル神殿

 これは、“ヌビア神殿保存のための国際協力”に感謝して、1965年にエジプトで発行された切手の1枚で、アブ・シンベル神殿正面の4体のラムセス2世像のうち、右側2体が取り上げられています。

 アブ・シンベル神殿は、ナイル川上流のエジプト・スーダン国境地帯の砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿で、新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世が建造しました。切手に取り上げられた 大神殿は太陽神ラーを祭神としています。

 1960年に建設工事が始まったアスワン・ハイ・ダムは、完成すると、アブ・シンベル神殿を含むヌビア遺跡が水没することになっていました。しかし、貴重な文化遺産を保護すべきとの国際世論の声が強く、ユネスコにより、1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210m離れた丘に移築されました。

 今回ご紹介の切手は、その移築工事の期間中に発行されたもので、ユネスコのマークもしっかり入っています。なお、この神殿移築をきっかけに、歴史的価値のある遺跡、建築物、自然等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれ、1972年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で成立しています。

 さて、自民党の総裁選は今日の午後にも結果が確定し、麻生新総裁の誕生ということでケリがつくことになりそうです。新総裁はそのまま新総理になるわけですが、総理官邸に引っ越したとたんに、解散総選挙で大負けして退陣を余儀なくされ、再度お引っ越し…ということになるのかどうか、今後に注目したいところです。

 イベントのご案内
 きょう22日は休館日ですが、あす23日まで、東京・大手町のていぱーくで開催中の東京スタンペックス2008にて、今年6月のルーマニアでの国際展に出品した作品「香港の歴史(A History of Hong Kong)」を出品しています。昨年刊行の『香港歴史漫郵記』をさらにパワーアップした内容となっていますので、よろしかったら遊びに来てください。

 
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