内藤陽介 Yosuke NAITO
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 国連デー
2013-10-24 Thu 20:27
 きょう(24日)は国連デーです。というわけで、国連がらみの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       UNTEA

 これは、1962-63年にニューギニア島西部に展開した国際連合暫定統治機構(UNTEA: United Nations Temporary Executive Authority)が発行した切手です。

 ニューギニア島の東経141度以西の地域は、第二次大戦以前、オランダ領東インド(蘭印)の一部として、オランダの支配下にありました。

 第二次大戦後のインドネシア独立戦争ではインドネシア共和国は、蘭印を一括して継承するとの建前から、ニューギニア西部のインドネシアへの統合を主張。これを拒否するオランダとの対立は、インドネシア独立を認めた1949年のハーグ円卓会議でも解消されず、ニューギニア島西部の帰属は将来の解決に委ねるとしつつ、とりあえずはオランダによる支配が継続されることになりました。

 この結果、ニューギニア西部では、インドネシアとは別のオランダ領ニューギニアとして、独自の切手が発行されることになりました。

 その後、1952年、オランダはニューギニアの先住民であるパプア人の自治権を認め、独立準備を進めたため、インドネシアとの対立が深刻化。一方、1956年8月17日、インドネシア側はイリアン地方自治省(“イリアン”はニューギニア島の現地語での呼称)を設置したうえで、翌1957年12月、オランダ資産を接収。両者の交渉が難航する中、1960年、インドネシアはオランダとの国交を断絶し、武力解決も辞さない構えを示します。その一方で、インドネシアは西イリアン問題を国連に提訴し、植民地解放が世界的な潮流となっていた中で、国際世論を味方につけて、押し切ろうとしました。

 これに対して、1961年12月1日、オランダは、蘭領ニューギニアを西パプアとして独立させますが、これを認めないインドネシアとの間で翌1962年1月、海戦が勃発。このオランダとの戦争で、1962年7月、インドネシア国軍を率いて“マンダラ作戦”を指揮し、西イリアンを事実上制圧したのが、当時陸軍少将だったスハルトでした。

 結局、西イリアン紛争は翌8月15日にアメリカの調停で“ニューヨーク合意”と呼ばれる両者間の停戦合意が成立。この結果、蘭領ニューギニアの地域は、一時、国連事務総長の監督の下、国連の統治下に移し、1963年5月1日にインドネシア統治に移管することなどが決定されました。

 これを受けて、1962年10月1日、蘭領ニューギニアの統治権はUNTEAに移譲され、インドネシアに移管されるまでの過渡期の郵便に使用するため、今回ご紹介の加刷切手が発行されたというわけです。

 ニューギニア島は、かつては英独蘭の三ヵ国によって分割されていたほか、先の大戦での激戦地でもあるなど、歴史的にもいろいろと興味深い場所で、それゆえ、切手や郵便物も突っ込んで集めてみると面白そうです。いずれ、拙著『蘭印戦跡紀行』の姉妹編として取り組んでみたいテーマではありますな。 

 * 10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 パプアの活動家、バリで嘆願
2013-10-07 Mon 11:14
 きょう(7日)からバリ島でアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催されますが、そのタイミングに合わせて、きのう(6日)、デンパサールのオーストラリア総領事館にパプア人活動家3人が侵入し、パプア人政治犯の釈放と外国人記者のパプアへの入域を求める嘆願書を手渡したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       蘭領ニューギニア(1950)

 これは、1950年に発行されたオランダ領ニューギニア最初の切手のうち、オランダ女王の肖像を描く5ギルダー切手です。

 ニューギニア島は、第一次大戦以前はドイツ、英国、オランダの3国によって、第一次大戦によるドイツ敗戦後は蘭両国によって分割支配されていました。このうち、オランダ領は、同島の東経141度以西の地域で、隣接したオランダ領東インド(蘭印)と一括して統治されていました。

 第二次大戦後のインドネシア独立戦争ではインドネシア側は蘭領ニューギニアのインドネシアへの統合を主張。これを拒否するオランダとの対立は、インドネシア独立を認めた1949年のハーグ円卓会議でも解消されず、ニューギニア島西部の帰属は将来の解決に委ねるとしつつ、とりあえずはオランダによる支配が継続されることになりました。

 今回ご紹介の切手は、上記のような経緯で蘭印が解体された後、“蘭領ニューギニア”としての独自の切手が必要となったため、発行されたものです。その後、1952年、オランダはニューギニアの先住民であるパプア人の自治権を認め、独立準備を進めたため、インドネシアとの対立が深刻化。一方、1956年8月17日、インドネシア側はイリアン地方自治省(“イリアン”はニューギニア島の現地語での呼称)を設置したうえで、翌1957年12月、オランダ資産を接収。両者の交渉が難航する中、1960年、インドネシアはオランダとの国交を断絶し、武力解決も辞さない構えを示します。その一方で、インドネシアは西イリアン問題を国連に提訴し、植民地解放が世界的な潮流となっていた中で、国際世論を味方につけて、押し切ろうとしました。

 これに対して、1961年12月1日、オランダは、蘭領ニューギニアを西パプアとして独立させますが、これを認めないインドネシアとの間で翌1962年1月、海戦が勃発。このオランダとの戦争で、1962年7月、インドネシア国軍を率いて“マンダラ作戦”を指揮し、西イリアンを事実上制圧したのが、当時陸軍少将だったスハルトでした。

 結局、西イリアン紛争は翌8月15日にアメリカの調停で停戦が成立。西イリアンは国連仲裁委員会にゆだねられた後、1963年5月1日、インドネシアの統治下に移管されました。

 しかし、西イリアンではインドネシアへの併合に反対するOPM(Organisasi Papua Merdeka:パプア独立組織)が結成され、反インドネシア闘争が続けられます。特に、1969年8月、国連監視下で行われた住民投票では、80万人のパプア人がインドネシアへの併合にNOの意思表示をしたものの、西イリアンがインドネシア領とされたことから、パプア人による反インドネシア闘争は激化していくことになりました。

 西イリアン併合の英雄であったスハルトは、1965年にスカルノを失脚させて国家の実権を握り、1967年には正式に大統領に就任しますが、西イリアンへのジャワ人の移住を奨励し、同化政策を強行。パプア独立組織の抵抗に対しては、力でこれを押さえ込んできました。

 その後、スハルトが1998年に失脚すると、西イリアンの独立運動はさらに活発化し、2000年には、西パプア住民大会が新国家パプアの樹立を宣言。さらに、2006年には独立運動家がオーストラリアに亡命しオーストラリア政府がビザを発行したため、インドネシア・オーストラリアの関係が悪化しました。

 現在なお、西イリアンではインドネシアからの分離独立を求める住民運動が続いており、少なくとも55人の活動家が投獄され、国連などが国軍や警察による住民への無差別の銃器使用や過剰な暴力を批判しています。ただし、独立派への支持拡大を警戒するインドネシア政府が海外メディアの現地取材を厳しく制限していることもあって、その実態を我々が把握するのは困難です。

 今回、「アボット豪首相や安倍晋三首相、ケリー米国務長官を含むAPECリーダーにメッセージを送るため」として「インドネシア政府に対し、パプア人への人権侵害を止めるよう説得してほしい」との内容の嘆願書を、パプア人活動家がオーストラリア総領事館に持ち込んだのも、こうした事情によるものです。

 なお、独立以降のインドネシアでは、今回ご紹介の西イリアン問題に加え、かつての東ティモール問題やアチェの分離独立運動など、国家の存立基盤にかかわる重要な紛争が少なからずありました。拙著『蘭印戦跡紀行』でも、アチェ問題を中心に、その一端についてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

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