内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 HAPPY NAVRUZ!
2016-03-20 Sun 10:05
 今日(20日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      タジキスタン・ノールーズ

 これは、2002年にタジキスタンで発行された“ナヴルーズ(ノウルーズ)”のシートで、民族衣装で踊る女性と、リボンを結んだ小麦の束(ノウルーズの象徴)が描かれています。

 ノウルーズのアラビア文字表記はنوروز ですが、これをペルシャ語とみた場合、そのラテン文字への転写は、nowruz (カタカナ表記でノウルーズ)とするのが一般的です。ただし、タジキスタンの公用語であるタジク語では、今回ご紹介の切手に見られるように、Навруз(ラテン文字では“navruz”) と表記するのがスタンダードですので、記事のタイトルも av を使ってみました。

 ちなみに、タジク語は、もともとは中央アジアにおけるペルシャ語の一変種で、イランのペルシャ語やアフガニスタンのダリー語とは基本的に同一の言語です。

 ところが、1924年にソ連の支配下でウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内にタジク・ソヴィエト社会主義自治共和国が成立し、1929年にウズベクからファジャンド一帯を編入してタジク・ソヴィエト社会主義共和国が形成されると、その過程で、新たな“国民統合”の象徴として、タジク人独自の“国語”が作られることになり、ペルシャ語の文章語にタジク人の使っていた口語表現が取り込まれ、イランのペルシャ語やアフガニスタンのダリー語とは異なる“タジク語”の存在が強調されるようになりました。その結果、1929年以降、それまでアラビア文字を使って表記されていたタジク語がラテン文字で表記されることになり、さらに、1940年にキリル文字による表記が導入されたことで、ロシア語の影響も受けた現代タジク語が成立していくことになります。

 さて、イスラム世界では預言者ムハンマドと信徒たちがメッカからメディナに移住し、イスラムの共同体を作った“ヒジュラ”のあった年を紀元とするヒジュラ暦が使われていますが、このヒジュラ暦は完全太陰暦で、かつての日本の旧暦のように閏月を入れて調整するということは行われていませんから、毎年、11日ずつ、太陽暦の日付とズレが生じます。 この点について、ムスリムたちは、信徒の義務であるラマダン月(ヒジュラ暦の9月)の断食が、毎年、少しずつ季節を移動していくことによって、地域ごとの断食の負担の格差が是正されるメリットがあると説明しています。たとえば、ラマダン月が真冬の時期に当たると、熱帯の国では比較的楽に断食が行えますが、寒冷地域の断食は非常に厳しいものがあります。逆に、ラマダン月が真夏にぶつかると、熱帯と寒冷地域では、その負担の重さは逆転します。

 したがって、全世界の信徒にとって、断食の負担の平準化を図るためには、ラマダン月が毎年季節を移動していくことはポジティブにとらえられており、それゆえ、ヒジュラ暦は調整なしの完全太陰暦なのだ、というロジックが導き出されることになります。

 とはいえ、いくら宗教的に重要な意味があるとはいえ、毎年、暦の日付と季節がずれていけば、農作業などでは不便も多く生じます。このため、イスラム世界の各地では、イスラム暦とは別に、太陽暦に連動した農事暦が用いられることも多く、イランの場合は、イスラム以前から使われていたイラン暦として春分を元日とした太陽暦も用いられています。

 この元日が、いわゆる“ノウルーズ”(直訳すると“新しい日”の意味)と呼ばれるもので、イランを中心に中央アジアの5共和国でも祝日になっているほか、トルコでもクルド人に対する宥和政策の一環として国民の休日になっていますが、イスラム圏全体に共通の行事ということではなく、アラブ世界ではほとんど無視されているよいようです。ちなみに、イスラム世界全体としては、イスラム教徒としての新年はヒジュラ暦のムハラッム月(第1月)1日に祝うのが主流ですが、こちらは上述のように年によって季節は一定していません。

 今回ご紹介の切手を発行したタジキスタンでは、かつてのソ連時代にはナヴルーズの行事も“迷信”として廃されていました。しかし、1991年の再独立後は復活して国の祝日となりました。ナヴルーズ当日、タジク人たちは互いに親戚を訪問し、古いものを捨てて大掃除を行うほか、地域によっては、イスラム以前のゾロアスター教時代の名残で、悪魔祓いのため火の周りで踊るローカルな風習も行われています。
 

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 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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 サーマーニーとソモニ
2015-10-25 Sun 10:45
 中央アジア諸国歴訪中の安倍首相は、昨日(24日)、タジキスタンを訪問してラフモン大統領と会談し、農業分野や麻薬対策などでの支援で合意しました。日本の総理大臣がタジキスタンを訪問するのはこれが初めてだそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タジキスタン・サーマーン朝成立1100年祭

 これは、1999年にタジキスタンが発行した“サーマーン朝1100年”の小型シートで、タジキスタン地図を背景に、サーマーン朝最盛期の君主であるイスマーイール・サーマーンと、きのう、安倍首相と会談したラフモノフ(当時)大統領が描かれています。
 
 サーマーン朝は、873年にブハラを都として成立した王朝で、999年に滅亡するまで、最盛期にはマー・ワラー・ナフル(アム川とシル川の間の地域)とホラサーン(イラン東部)を支配しました。その支配地域は、現在の国名でいうと、タジキスタンならびにウズベキスタンのほぼ全域、カザフスタン南部、キルギスの一部、イラン東部にまたがる広大なもので、必ずしもタジキスタンに限定されるものではないのですが(なにより、その都であったブハラを統治しているのはタジキスタンではなく、ウズベキスタンです)、タジキスタンではサーマーン朝こそが彼らのルーツとされており、その最盛期であるイスマーイール・サーマーニーは、タジク人にとっての民族的英雄として尊敬を集めています。

 なお、イスマーイール・サーマーニーという表記はアラビア語風の発音をカタカナにしたもので、タジク語ではイスモイル・ソモニに近い発音となります。今回、安倍首相は首都ドゥシャンベの“イスモイル・ソモニ像”に献花したそうですが、日本の報道などでは、“イスマイリ・ソモニ像”と表記されています。アラビア語風のイスマーイールを優先するならサーマーニー、タジク語風のソモニを優先するならイスモイルと、どちらかに統一したほうが良かったと思うのですが…。

 一方、タジキスタンの現大統領、エマモリ・ラフモンは、ソ連時代の1952年、クリャーブ生まれ。クリャーブ州ダンガル地区ソフホーズの議長に就任。1991年のタジキスタン共和国独立後は、最高会議議員を経て、1993年、同議長に選出。翌1994年、タジキスタン共和国大統領に選出され、内戦の終結に尽力しました。なお、大統領の姓は、当初、ロシア語風にラフモノフとされていましたが、2007年、タジク語でのラフモンに変更され、現在に至っています。

 大統領就任当初のラフモノフ(ラフモン)は、中央アジアの中ではリベラルな指導者として野党に対しても穏健な態度を取っていましたが、次第に独裁傾向を強め、1999年と2003年の2度の憲法改正を通じて2020年まで大統領職に留まることを可能にしました。

 その過程で、1999年、内戦終結後の国民統合を図るため“サーマーン朝1100年祭”を大々的に開催し(ただし、サーマーン朝の成立1100年は、本来、1973年のはずですが…)、大統領を民族の英雄であるイスマイールと等置するプロパガンダが盛んに展開されるようになりました。今回ご紹介の切手もその一環として発行されたものです。なお、“サーマーン朝1100年祭”と前後して、1998年には国内最高峰の名前がそれまでのコミュニズム峰(これまた、わかりやすい政治的ネーミングですが)から、イスモイル・ソモニ峰に改称されたほか、2000年には、それまでのタジク・ルーブルに変えて、サーマーニーのタジク語名に由来する新通貨ソマニが導入されています。


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『アウシュヴィッツの手紙』  予約受付中! ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 世界の国々:タジキスタン
2015-09-16 Wed 12:23
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年9月16日号が先週刊行されました。2週間ぶりに、僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はタジキスタンの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ゴルノ・バダフシャン自治州カバー

 これは、タジキスタン内戦中の1993年、ゴルノ・バダフシャン自治州から差し出されたカバーです。

 旧ソ連時代のタジク・ソヴィエト社会主義共和国では、ホジェンド(北西部ソグド州の州都)地方やクリャーブ(南部ハトロン州の東部)地方の出身者が政府と軍の要職を占めており、ゴルノ・バダフシャン自治州のパミール人やガルム地方の民族集団、イスラム勢力などは不遇をかこっていましたが、共産党一党独裁の下、彼らの不満は抑え込まれていました。

 ところが、1991年9月の独立後、タジキスタンでは民族対立が一挙に噴き出し、1992年春、イスラム勢力やパミール人、ガルム人などによるナビエフ政権への抗議行動が発生。5月には、政府側の警備兵と反政府勢力の間で戦闘が勃発し、いわゆるタジキスタン内戦に突入します。

 反政府勢力の攻撃を受け、1992年9月、ナビエフが退陣に追い込まれると、事態を憂慮したロシアとウズベキスタンはホジェンド派とクリャーブ派からなる人民戦線を軍事支援。人民戦線は1992年末に反政府勢力を圧倒し、クリャーブ出身のエマモリ・ラフモノフを最高会議議長とする新政権を樹立しました。

 こうした状況の下で、ゴルノ・バダフシャン自治州南部など反政府勢力が実行支配していた地域では、ドゥシャンベの中央政府の発行した切手とは別の切手が使用されることもありました。今回ご紹介の書留便は、アフガニスタンとの国境に位置する州都ホログから差し出されたもので、反政府側の正刷切手とドゥシャンベ政府側の切手にアラビア文字の額面を加刷した暫定切手を貼ってロシア宛に差し出されています。内戦期の反政府勢力が発行したとする“切手”は多いのですが、その実逓使用例は意外と少ないので、個人的にはお気に入りのマテリアルです。

 さて、ラフモノフ政権は反政府勢力の民族浄化を行うなど強硬姿勢で臨み、1993年3月頃までに、国土の大半を掌握。ただし、大量の難民がアフガニスタンに流入し、タジク野党連合(UTO)を結成し、タジキスタン南部での抵抗を続けました。

 その後、1994年4月以降、国連・ロシア・イランの3者の仲介により、モスクワでラフモノフ政権とUTOの仲介に和平交渉がはじまり、交渉の進展を受けて、同年11月6日、憲法改正が行われ、ラフモノフは正式にタジキスタン共和国大統領に就任。さらに、同年12月16日、国連タジク監視団が創設され、停戦状況の監視と状況の報告、人道支援協力、CIS平和維持軍の協力による警備などを行った。こうした経緯を経て、1997年6月27日、和平協定が成立し、タジキスタン内戦はとりあえず終結しました。

 さて、 『世界の切手コレクション』9月16日号の「世界の国々」では、タジキスタン現代史を扱った長文コラムのほか、アジナ・テパ遺跡の仏教寺院で発掘された涅槃仏や高山植物、ノウルーズの祝祭の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の9月23日号では、「世界の国々」は日本にフォーカスをあて、僕が原稿を書いていますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 タジキスタン高官、ダーイシュに参加
2015-05-29 Fri 22:49
 中央アジア・タジキスタンで行方不明になっていた同国治安警察のハリモフ司令官がシリアに渡航し、イスラム国を自称する過激派組織のダーイシュに参加したことを、きのう(28日)までにネットを通じて宣言しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       国連タジキスタン監視団カバー

 これは、タジキスタン内戦中の1998年、現地駐留の国連タジキスタン監視団に参加したオーストリアの左官が現地から米国宛に差し出したカバーで、外交後嚢に入れてニューヨークの国連本部まで運ばれ、そこから国連切手を貼って米国内の宛先まで届けられています。

 現在のタジキスタン共和国の領域は、かつて、タジク・ソヴィエト社会主義共和国としてソ連を構成する一共和国でしたが、1990年、ゴルバチョフ政権下の新連邦条約(これにより、ソ連を構成する各主権共和国は独立した共和国として共通の大統領、外交、軍事政策下に連合することになりました)により、主権宣言を行い、同年11月30日、タジキスタン共産党中央委員会第一書記のカハル・マフカモフがタジク・ソヴィエト社会主義共和国の初代大統領に選出されました。

 これに対して、翌1991年8月、モスクワでソ連保守派のクーデターが失敗すると、同月31日、最高会議の代議員たちは、大統領の退任と共産党の解散を主張ちしていた野党と連帯し、マフカモフを退陣に追い込みます。これを受けて、9月9日、タジキスタン共和国の独立が宣言され、11月には、ラフモン・ナビエフ(マフカモフの前任として1985年までタジキスタン共産党中央委員会第一書記)が新生タジキスタン共和国の初代大統領に選出されました。

 ところで、旧ソ連時代のタジク・ソヴィエト社会主義共和国では、ホジェンド(北西部ソグド州の州都)地方やクリャーブ(南部ハトロン州の東部)地方の出身者が政府と軍の要職を占めており、ゴルノ・バダフシャン自治州のパミール人やガルム地方の民族集団、イスラム勢力などは不遇をかこっていましたが、共産党一党独裁の下、彼らの不満は抑え込まれていました。

 それが、新国家の誕生とともに一挙に噴き出すかたちで、1992年春、ナビエフ政権への抗議行動が発生。5月には、政府側の警備兵と反政府勢力の間で戦闘が発生し、いわゆるタジキスタン内戦に突入します。これに対して、ナビエフ政権は野党勢力を取り込んだ連立政権を作ることで乗り切ろうとしましたが、ナビエフくみしやすしと見た反政府勢力の攻撃は収まらず、1992年9月、ナビエフは退陣に追い込まれました。

 その後、混乱の拡大を憂慮したロシアとウズベキスタンが事態収拾に乗り出し、ホジェンド派とクリャーブ派からなる人民戦線を軍事支援。人民戦線は1992年末に反政府勢力を圧倒し、連立政権をも解体して、クリャーブ出身のエマモリ・ラフモノフを最高会議議長(現大統領)とする新政権を樹立しました。なお、大統領の現在の姓は“ラフモン”となっていますが、これは、2007年にそれまでの“ラフモノフ”からロシア語風の接尾辞を取り、タジク語の原型に戻したためです。 

 これに対して、タジキスタン・イスラム復興党(IRP)を組織したイスラム勢力やパミール人、ガルム人などの反政府勢力は抵抗を続けましたが、ラフモノフ政権は、首都ドゥシャンベ南部やクルガン・テッパなどでパミール人やガルム人に対する民族浄化を行うなど強硬姿勢で臨み、1993年3月頃までに、政府側は国土の大半を掌握しました。ただし、大量の難民がアフガニスタンをはじめ周辺諸国に流入。さらに、タジキスタン南部での戦闘はその後も継続されています。

 一方、アフガニスタン国内では、タジキスタンから逃れてきた反政府勢力各派が、アフマド・シャー・マスウードの支援を受けて、統一戦線として、タジク野党連合(UTO)を結成。これを受けて、国連・ロシア・イランの3者が、ラフモノフ政とUTOの仲介に乗り出し、1994年4月、モスクワで最初の和平交渉を実現しました。

 和平の進展を受けて、1994年11月6日、ラフモノフは正式な国家元首としてタジキスタン共和国大統領に就任。さらに、同年12月16日、国連タジク監視団が創設され、停戦状況の監視と状況の報告、人道支援協力、CIS平和維持軍の協力による警備などを行うことになりました。

 その後も、アフガニスタン北部から出撃してきたイスラム過激派が、タジキスタン国内でもロシア軍を相手に戦いを続けましたが、1997年に停戦合意が成立。同年6月27日、モスクワのクレムリンで、タジキスタン大統領のラフモノフ、UTOのサイイド・アブドゥッラー・ヌーリー、ロシア大統領のボリス・エリツィンが和平協定に調印。タジキスタン内戦は、一応、終結しました。

 ただし、その後も散発的な戦闘が続いたほか、治安状況は改善されず、1998年7月には、日本から監視団に派遣されていた秋野豊政務官が任務中に殺害されるという事件も起こっています。なお、監視団の活動終了は、2000年5月15日のことでした。

 さて、今回、ダーイシュへの参加を表明したハリモフは、タジキスタン政府がモスクでの祈りを制限するなどムスリムを弾圧していると非難し、「ISのためなら命をささげる用意がある」と述べているそうです。
 
 内戦終結後のタジキスタンでは、ラフモノフ(2007年以降ラフモン)が今日に至るまで長期政権を維持し続けているわけですが、経済の低迷から抜け出せず、それゆえ、国民の不満を政権が強権的に抑え込むという悪循環が慢性化しています。2011年には反政府勢力の主流派が国内から一掃され、表面的には、国内の治安は安定したものの、2013年の大統領選挙では、野党イスラム復興党が有力な対抗馬として人権活動家の女性を擁立を試みたものの、最終的に、彼女は出馬断念に追い込まれており、国民の不満はかなり鬱積しているようです。

 こうした不満を背景に、2015年3月、ダーイシュに参加したタジク人戦闘員が、今後、タジキスタン国内で戦闘を行うと主張する動画をインターネット上に投稿しており、ハリモフの一件も、そうした文脈に沿ったものといえそうです。いずれにせよ、歴史的背景があるだけに、現在の状況下では、タジキスタンで内戦が再燃する可能性は決して否定できないわけで、隣接するアフガニスタンの情勢とも合わせて、今後の推移に注目しておきたいところです。


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 12センチの涅槃仏
2014-02-02 Sun 18:17
 滋賀県大津市の新知恩院で、鎌倉時代の仏師快慶の作とみられる小型の木造釈迦涅槃像(長さ12.8センチ)が発見されたそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       タジキスタン・涅槃仏

 これは、2008年、タジキスタンで発行された小型シートで、アジナ・テパ遺跡の仏教寺院で発掘された涅槃仏と仏頭が取り上げられています。シートの横幅は、手元の定規で計ってみると、11.8センチでしたので、今回発見された新知恩院の涅槃仏と似たような大きさということになりましょうか。ちなみに、切手に取り上げられている涅槃仏は全長13メートルで、中央アジア最大の大きさです。

 アジナ・テパ渓谷の周辺一帯はシルクロードの中継地として、5-8世紀に繁栄。特に、7世紀後半から8世紀前半にかけて多くの寺院が建てられましたが、イスラム勢力の侵入により荒廃し、そのまま長きにわたって放置されていました。地名は、現地語で“悪魔の丘”の意味ですが、これには、悪魔の仕業により竜巻がよく起こる場所ということから名づけられたという説と、農作業をしていた農民が仏頭を掘り起し、これは悪魔に違いないと思ったことから名づけられた説があります。

 旧ソ連時代の1959年、共産政府がこの地域を農地として開拓すべく、重機を入れて開墾作業をしようとしたところ、今回ご紹介の切手に取り上げられた涅槃仏をはじめ、多数の仏像が出土したため、開墾は中止されました。ただし、当時の共産政権は遺跡の保護には熱心ではなかったため、僧院の遺構などは破壊された箇所も多く、2007年になって、日本などの支援により、ようやく本格的な修復作業が始まりました。

 切手では、涅槃仏は遺跡に横たわっている図になっていますが、実際の涅槃仏は、現在、首都ドゥシャンベのタジキスタン国立博物館に陳列されています。

 なお、この切手を含む世界の涅槃仏の切手については、拙著『切手が伝える仏像:歴史と意匠』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

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 ラフモン以前のタジキスタン切手
2013-11-08 Fri 11:54
 中央アジアのタジキスタンで任期満了に伴う大統領選が投開票され、現職のエモマリ・ラフモン大統領が8割を超える得票で圧勝し、4選を決めました。今後、7年の任期を満了すると、1992年の最高会議議長の就任以来、2020年まで28年間の超長期政権となる見通しです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       タジキスタン最初の切手

 これは、1992年5月20日に発行されたタジキスタン最初の切手で、同国で出土した黄金の騎馬像が取り上げられています。

 現在のタジキスタン共和国の領域は、かつて、タジク・ソビエト社会主義共和国としてソ連邦の一共和国でしたが、1990年、ゴルバチョフ政権下の新連邦条約(これにより、ソ連を構成する各主権共和国は独立した共和国として共通の大統領、外交、軍事政策下に連合することになりました)により、主権宣言を行い、同年11月30日、タジキスタン共産党中央委員会第一書記のカハル・マフカモフがタジク・ソビエト社会主義共和国の初代大統領に選出されました。

 これに対して、翌1991年8月、モスクワでソ連保守派のクーデターが失敗すると、同月31日、最高会議の代議員たちは、大統領の退任と共産党の解散を主張ちしていた野党と連帯し、マフカモフを退陣に追い込みます。これを受けて、9月9日、タジキスタン共和国の独立が宣言され、11月には、ラフモン・ナビエフ(マフカモフの前任として1985年までタジキスタン共産党中央委員会第一書記)が新生タジキスタン共和国の初代大統領に選出されました。

 旧ソ連時代のタジク・ソビエト社会主義共和国では、ホジェンド(北西部ソグド州の州都)地方やクリャーブ(南部ハトロン州の東部)地方の出身者が政府と軍の要職を占めており、ゴルノ・バダフシャン自治州のパミール人やガルム地方の民族集団、イスラム勢力などは不遇をかこっていましたが、共産党一党独裁の下、彼らの不満は抑え込まれていました。

 それが、新国家の誕生とともに一挙に噴き出すかたちで、1992年春、ナビエフ政権への抗議行動が発生。5月には、政府側の警備兵と反政府勢力の間で戦闘が発生し、いわゆるタジキスタン内戦に突入します。今回ご紹介の切手は、まさに、そうした緊迫した状況の下で発行されたモノです。

 内戦の勃発に対して、ナビエフ政権は野党勢力を取り込んだ連立政権を作ることで乗り切ろうとしましたが、ナビエフくみしやすしと見た反政府勢力の攻撃は収まらず、1992年9月、ナビエフは退陣に追い込まれました。

 混乱の拡大を憂慮したロシアとウズベキスタンが事態収拾に乗り出し、ホジェンド派とクリャーブ派からなる人民戦線を軍事支援。人民戦線は1992年末に反政府勢力を圧倒し、連立政権をも解体して、クリャーブ出身のエマモリ・ラフモノフを指導者とする新政権を樹立しました。その後、ラフモノフは共和国最高会議議長を経て1994年11月6日、タジキスタン共和国大統領に就任。以後、今日にいたるまで権力を維持し続けているというわけです。なお、大統領の現在の姓は“ラフモン”となっていますが、これは、2007年にそれまでの“ラフモノフ”からロシア語風の接尾辞を取り、タジク語の原型に戻したためです。 

 さて、今回の選挙については、野党イスラム復興党が、有力な対抗馬として、人権活動家の女性を擁立を試みたものの、最終的に、彼女は出馬断念に追い込まれるなど、選挙の公正さについては選挙監視に当たった欧州安保協力機構の派遣団からも疑問の声が上がっているようです。まぁ、強権的ではあっても国民生活が豊かであれば、国民の不満もある程度は鎮めることができるのでしょうが、現状では、タジキスタンは旧ソ連諸国の中で最貧国なわけで、はたして、2020年まで国民が我慢できるかどうか、注目したいところですな。


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 11月10日(日)14:00から、TBSラジオで放送の番組「爆笑問題の日曜サンデー」の「サンデーマナブくん」のコーナーに、『年賀状の戦後史』の著者として内藤が出演し、「年賀状」とその歴史についてお話しします。聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きいただけると幸いです。(番組HPはこちらです)


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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