内藤陽介 Yosuke NAITO
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 カーネーション革命40年
2014-04-25 Fri 11:29
 1974年4月25日にポルトガルで“カーネーション革命(4月25日革命)”が起こってから、きょうでちょうど40年です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       マカオ・カーネーション革命

 これは、1975年、当時はポルトガルの海外県だったマカオで発行された“4月25日革命1周年”の記念切手です。

 ポルトガルでは、1933年以来、アントニオ・サラザールによる“エスタード・ノヴォ”と呼ばれる独裁体制が敷かれていました。サラザールは1968年に病に倒れ、1970年に亡くなりますが、その後もエスタード・ノヴォは維持され、アンゴラモザンビークギニアビサウではソ連やキューバに支援された独立革命軍との泥沼の戦争が続いていました。

 このため、危機感を抱いたポルトガル軍の青年将校たちは、1974年4月25日、アントニオ・デ・スピノラ将軍を担いでリスボンで蹶起。市内の要所を占拠し、無血革命を起こしてカエターノ首相をトマス大統領を追放し、救国軍事評議会を結成しました。その際、革命の成功を知ったリスボン市民たちはカーネーションを手に兵士たちと交歓し、革命軍兵士たちは銃口にカーネーションの花を挿したことから、一連の革命は“カーネーション革命”と呼ばれるようになりました。
 
 さて、革命後の新政権は全てのポルトガル領植民地を放棄する方針を表明。すでに、海外県のマカオでは、1966年12月に発生した“一二三事件”(小学校建設をめぐる住民とマカオ政庁の対立から発生した暴動。中共系の住民を扇動した中国はマカオの武力解放を示唆し、マカオ政庁は賠償金の支払いなど中国の要求に全面的に屈した)の結果、ポルトガルは実質的に支配権を失っていましたが、新政権はマカオの主権が中国にあることを公式に認め、翌1975年にはポルトガル軍をマカオから撤退させます。さらに、1976年には、中国の強い影響下に立法會が開設され、マカオの地位もポルトガルの海外県から“特別領”に変更され、ポルトガルによるマカオ支配は事実上の終焉を迎えることになりました。

 なお、マカオの現代史については、拙著『マカオ紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 日本で最も有名なバスク人
2011-10-21 Fri 23:57
 スペイン北部バスク地方の分離独立を求める非合法武装組織“バスク祖国と自由(ETA)”が、きのう(20日)、40年以上に及ぶ武装闘争の終結を宣言しました。というわけで、日本でバスク人といえばやっぱりこの人ということで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ザビエル・2アヴォス

 これは、1951年にマカオで発行された偉人シリーズのうち、フランシスコ・ザビエルを描く2アヴォス切手です。

 ザビエルは、1506年頃、バスクの中心都市パンプローナ近郊のザビエル城で地方貴族の家に生まれました。

 1525年、19歳でパリ大学に留学。聖バルバラ学院に入り、哲学を学んでいるときに、イグナチオ・デ・ロヨラらと知り合い、1534年8月、仲間とともにモンマルトルの聖堂で神に生涯を捧げるという誓いを立てました。これがイエズス会の始まりとされています。

 その後、1537年6月、ザビエルはヴェネツィアの教会でイグナチオらと共に司祭に叙階され、エルサレム巡礼を試みましたが、国際情勢の悪化で果たせませんでした。このため、ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインド西海岸のゴアに布教の旅に出ることになり、1541年4月にリスボンを出発。アフリカのモザンビークを経て、1542年5月、ゴアに到着しました。そして、ゴアを拠点にインド各地で宣教した後、マラッカ等での布教経験を経て、1549年4月、日本を目指してゴアを出発。同年8月、現在の鹿児島市祇園之洲町にたどり着きました。

 日本では、平戸、山口で布教活動を行った後、京都に到着しましたが、天皇と足利将軍への拝謁はかなわず、失意のうちに京を去っています。その後は、山口、豊後で布教活動を行い、1551年11月、日本を去り、ゴアへ戻りました。ゴアへ戻ったザビエルは、日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、1552年9月、中国の上川島に渡りましたが、この地で病没。遺体はゴアで埋葬されました。

 その後、遺体は分割されて各地で祀られ、そのうちの右腕は、当初、日本に運ばれる予定でした。しかし、1619年に右腕が日本に持ち込まれた時には、すでに、徳川幕府の下でキリシタンの弾圧が本格化していたため、マカオに戻され、以後約200年間は聖ポール天主堂に保管されます。そして、1835年に聖ポール天主堂が焼失した際にはからくも持ち出されて難を逃れ、聖アントニオ教会に移されます。1928年、南のコロアネに聖フランシスコ・ザビエル教会が建立されるとそこに移されましたが、その後、現在の聖ヨゼフ聖堂に収められています。

 なお、拙著『マカオ紀行』では、マカオに残るザビエルゆかりの地をいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ポルトガルが支援要請
2011-04-07 Thu 17:19
 深刻な財政難に陥っているポルトガルが6日夜(現地時間。日本時間では7日未明)、欧州連合(EU)に緊急支援を要請しました。財政支援を要請しました。EUの緊急支援を受けるユーロ圏の国は、昨年のギリシャアイルランドに続いて3ヵ国目です。というわけで、きょうはポルトガル系金融機関に関する切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ・大西洋銀行(切手)     マカオ・大西洋銀行(実物)

 左側は1964年にマカオで発行された大西洋銀行100年の記念切手で、右側はマカオの大西洋銀行本店ビルの実際の写真です。

 大西洋銀行はポルトガル語で“Banco Nacional Ultramarino”といい、直訳すると“国立海外銀行”となるのですが、ポルトガルの植民地経営が大西洋を中心としていたことから、漢訳に際しては、大西洋銀行の語があてられました。

 もともと、ポルトガル植民地の金融と発券業務を行うための銀行として、1864年、リスボンで設立されたのを皮切りに、1865年にはアンゴラ支店とカーボベルデ支店が、1868年にはサントメ・プリンシペ支店とゴア支店、モザンビーク支店が開設されました。マカオ支店の開設は1902年のことで、同支店は1905年1月27日からマカオ政府の授権を受けて発券業務を開始しています。

 その後、ポルトガル本国では1910年に共和革命が起こり、1932年に、ポルトガル本国では首相のアントニオ・サラザールによる“エスタド・ノヴォ(Estado Novoポルトガル語で新国家の意味)”と呼ばれる独裁体制が発足しましたが、大西洋銀行は王制時代と変わらずにポルトガル植民地での業務を継続していました。

 しかし、1968年にサラザールが病気で引退し、1970年に亡くなると、後継首相のマルセロ・カエターノは漸進的に民主化を進めようとしたものの、1974年、ソ連の支援を受けた左派将校によるポルトガル革命(カーネーション革命)が発生。エスタド・ノヴォ体制は崩壊し、新政権は、1974年4月、植民地主義の放棄を宣言します。

 これに伴い、マカオを除く各植民地はポルトガルの支配下を離れ(東ティモールはインドネシアに占領されました)、マカオ以外の大西洋銀行の各支店は単独の銀行として独立。また、本国の大西洋銀行も左派政権の下で国有化されました。

 こうした状況の下で、マカオ政府は1980年にマカオ発行機構を設置し、通貨の発行権を大西洋銀行マカオ支店から取り戻しましたが、発券業務はそのまま大西洋銀行マカオ支店に委託され続けます。

 1988年、大西洋銀行の一部民営化が始まり、ポルトガル貯蓄信用銀行が過半数の株式を取得すると、翌1989年、マカオ発行機構は“マカオ貨幣および外為監理署”に改組され、大西洋銀行マカオ支店が発券業務の委託を受けるという形式が採られましたが、返還を控えた1995年以降は、中国銀行マカオ分行にもパタカの発券業務が委託されるようになりました。

 1999年の返還に伴い、マカオ貨幣および外為監理署はマカオ金融管理局に改組され、大西洋銀行は2001年にマカオ支店も含めてポルトガル貯蓄信用銀行に吸収合併されます。しかし、マカオ支店は従来通り“大西洋銀行”の名前を残してマカオの企業としてマカオ特別行政区に企業登記したため、“大西洋銀行”はマカオの店舗が本店となりました。なお、現在の大西洋銀行本店ビルは、1926年に建てられたコロニアルなビルの上に、1997年に現代的な上層階を付け加えた構造になっています。

 ちなみに、マカオの大西洋銀行から内港に向かって伸びるマカオのメインストリート、新馬路には、今回ご紹介の大西洋銀行同様、コロニアルな雰囲気のビルが数多く残されていて見るものを楽しませてくれます。その景観については、拙著『マカオ紀行』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 
  【無錫アジア展・出品申し込みは明日〆切です】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <China 2011> の作品募集要項が発表になりました。くわしくはこちらをご覧ください。なお、出品申し込みは、あす(8日)が〆切ですので、ご注意ください。


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 マカオの冬至
2010-12-22 Wed 23:53
 きょうは冬至です。というわけで、拙著『マカオ紀行』にからめて、きょうはこんな切手をもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

        マカオ・漁船(1951)

 これは、マカオで1951年11月に発行された1パタカ切手で、伝統的な漁船が描かれています。

 日本では冬至というとゆず湯の日ですが、香港やマカオでは、もともとは農家と漁師が寒い季節に備えて食糧を集める日だったそうです。マカオでも農業が行われていないわけではないのですが、歴史的に、農業の自給率は非常に低く、大陸からの輸入に頼らざるをえません。これに対して、漁業はマカオの伝統的な産業で、年間5000万トンもの海産物を輸出しています。こうしたこともあって、マカオでは漁業関連の切手は少なくありません。今回ご紹介の1枚は、その中でも初期のモノにあたります。

 現在のマカオでは、冬至の日は家族全員が集まり共に食事をする習慣があります。そのため、お昼過ぎで仕事を切り上げ、早めに終業をする会社も多いそうです。これは、冬至でもっとも昼が短く、翌日から昼が長くなることから、冬至を陰から陽への転換点ととらえる中華世界の伝統的な考え方によるものです。

 ちなみに、マカオでは12月20日が澳門特別行政区成立紀念日、22日が冬至、24日が聖誕節前日(クリスマス・イヴ)、25日が聖誕節(クリスマス)とここのところ祝日が目白押しです。元日もお休みということを考えると、そんなに休んで大丈夫なのかとちょっと心配になりますな。


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 あるバスク人の右腕
2010-09-06 Mon 15:38
 スペイン北部バスク地方の分離・独立を目指す非合法過激派組織「バスク祖国と自由(ETA)」が、きのう(5日)、“停戦”のビデオ声明を地元紙と英BBCテレビに送ってきたそうです。というわけで、バスク出身の有名人にまつわる切手ということで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         ザビエルの腕     ザビエルの腕(実物)

 左は、1952年にマカオで発行された「フランシスコ・ザビエル没後400周年」の記念切手の1枚で、ザビエルの右腕の骨が取り上げられています。右側は、現在、聖ヨゼフ聖堂に収められているその実物の写真です。

 バスクの中心都市パンプローナ近郊で生まれたザビエルは、日本にキリスト教をもたらした後、1552年に中国の上川島で亡くなり、遺体はインドのゴアに埋葬されました。

 その後、遺体は分割されて各地で祀られ、そのうちの右腕は、当初、日本に運ばれる予定でした。しかし、1619年に右腕が日本に持ち込まれた時には、すでに、徳川幕府の下でキリシタンの弾圧が本格化していたため、マカオに戻され、以後約200年間は聖ポール天主堂に保管されます。そして、1835年に聖ポール天主堂が焼失した際にはからくも持ち出されて難を逃れ、聖アントニオ教会に移されます。1928年、南のコロアネに聖フランシスコ・ザビエル教会が建立されるとそこに移されましたが、その後、現在の聖ヨゼフ聖堂に収められています。

 ザビエルの骨は、マカオにとっての重要な聖遺物として、今回ご紹介の切手にも取り上げられたわけですが、やはり、骨片というのは切手向きの題材ではありませんから、切手のデザインもいまいちわかりづらいように思います。ちなみに、この切手が発行された時点では、ザビエルの骨は聖ヨゼフ聖堂にではなく、まだ、コロアネの聖フランシスコ・ザビエル教会に安置されていました。

 ザビエルの骨は聖ヨゼフ聖堂の最大の目玉ですから、骨が収められているガラスケースはしっかりとライトアップされており、観光客にもすぐにわかるように工夫がなされています。もっとも、時々、ガラスケースのふたが閉められていることもあり、タイミングが悪いとせっかくの骨も拝めないこともあるので、注意が必要です。

 さて、今秋、彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ歴史漫郵記』(仮題)では、マカオに残るザビエル関連のさまざまな地名や遺物についてもいろいろとご紹介する予定です。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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 世界漫郵記:セナド広場(後篇)
2010-07-25 Sun 23:09
 『キュリオマガジン』2010年8月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」は、前回に引き続き、セナド広場周辺を取り上げました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      カルネイロ     カルネイロ肖像画

 左側は、1969年に発行の仁慈堂400年の記念切手で、ドン・ベルキオール・カルネイロの肖像が取り上げられています。この切手の元ネタとなった肖像画は、仁慈堂2階の会議室に飾られていますが、その様子を撮影したのが右側の画像です。

 仁慈堂は、1498年にポルトガル国王ジョアン2世の妃レオノール・デ・ヴィゼウが創設した慈善団体で、ポルトガル国内で急速に組織を拡大した後、1569年にはマカオにも支部がつくられました。

 一方、マカオにおける仁慈堂設立の立役者であるカルネイロは、1516年、コインブラの有力者の家に生まれ、1543年には、1534年に創設されたばかりのイエズス会に入信。スペイン国境にも近いエヴォラや首都リスボンで修道院の院長を務めました。

 1553年、ポルトガル国王ジョアン三世は、ローマ教皇ユリウス三世とイエズス会にエチオピアへのイエズス会士派遣を提言。このとき、カルネイロもエチオピアへの布教に赴くことになりましたたが、エチオピアに入国できなかったため、インドへ渡り、ゴアに上陸し、インド大陸西岸のマラバル海岸で布教活動を行っています。

 こうした実績により、1567年、カルネイロは日本と中国を管轄するマカオ管区の初代司教に叙せられ、翌1568年5月、マカオに赴任。貧民救済のための病院や孤児院、養老院等を運営する慈善団体として、仁慈堂マカオ支部を設立しました。

 現在の仁慈堂の建物は18世紀に建てられ、1905年に改修されたもので、現在、2階は博物館として利用されています。展示スペースに入ると、ポルトガル、インド、中国、日本の陶磁器のほか各種の宗教芸術や古文書などがガラスケースにずらりと並んでおり、その奥はシャンデリアの下がった会議室になっています。部屋の中央には、上の画像のように、ポルトガルの国旗と大きなカルネイロの肖像画が架けられており、肖像画の下には、カルネイロ本人のモノと思しき頭蓋骨も置かれています。

 会議室を抜けたベランダからは、セナド広場が一望できるのですが、その眺めは、前回の記事でご紹介した切手とは若干異なります。切手のような眺めは、仁慈堂のベランダからではなく、屋上からでないと見えないと思いますが、残念ながら、一般の観光客は屋上には上れないので、実際にこの目で確認することはできませんでした。

 なお、セナド広場周辺ということであれば、中央郵便局のこともご紹介したかったのですが、雑誌の記事ではスペースの関係で、割愛せざるをえませんでした。今秋、<切手紀行シリーズ>の第3巻として書籍化する時にはしっかりとご紹介する予定ですので、いましばらくお待ちください。


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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 世界漫郵記:崗頂前地
2010-05-24 Mon 23:10
 きのうの記事でも書きましたが、『キュリオマガジン』2010年6月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」では、今回は「崗頂前地」と題して、世界遺産に指定されている“ドン・ペドロ5世劇場”と“聖ヨゼフ修道院・聖堂”(三巴仔)を中心に取り上げました。その記事の中から、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ドンペドロ5世劇場    ドンペドロ5世劇場(実物)

 左は、1972年に発行されたドン・ペドロ5世劇場100年の記念切手です。右側には、切手に取り上げられた劇場正面の実際の写真です。

 前回の連載で取り上げた聖ヨゼフ修道院・聖堂の裏手は聖オーガスティン広場(崗頂前地)と呼ばれる石畳の一角になっていて、聖オーガスティン教会、ドン・ペドロ5世劇場、ロバート・ホー・トン図書館とあわせて4つの世界遺産が取り囲んでいます。

 このうち、ドン・ペドロ5世劇場は、1860年にマカオ在住ポルトガル人の男性専用社交クラブだったマカオ・クラブが、中国初のオペラハウスとして建設しました。

 劇場の名前の由来となったペドロ5世は1837年生まれで、1853年、母王マリア2世の崩御を受けて、16歳でポルトガル国王となりました。若年ゆえ、摂政となった父親のフェルナンド2世の後見の下、道路・電信・鉄道などのインフラ整備を推進した王として知られています。また、公衆衛生の改善にも力を注ぎましたが、皮肉なことに、国王ご本人はコレラに罹り、マカオの劇場が完成した翌年の1861年、わずか24歳で崩御しました。

 劇場は、当初、建物本体のみでしたが、ペドロ5世の死後10年以上が過ぎた1872年から1873年にかけて、ハープの装飾のあるペディメント(日本建築の破風に相当する三角形の部分)やイオニア式の円柱が印象的なファサードが付け加えられ、現在のような外観になりました。今回ご紹介の切手が、1972年に“劇場100年記念”として発行されているのは、ここから起算してのことです。

 内部の座席数は300。かつては、劇場としてコンサートやオペラが上演されていたほか、マカオのポルトガル人社会を象徴する場として各種の記念行事なども行われていました。また、第二次大戦中は、中立国ポルトガルの領土であるマカオに逃れた難民の収容施設として用いられたこともあったそうです。

 1970年代以降、建物は老朽化とシロアリの害が目立つようになり、ながらく閉鎖されていましたが、1993年から2001年にかけて修復工事が行われました。1972年の切手では、建物の色が、現在の緑色と異なり、何となくくすんだ感じになっていますが、これは、切手発行時の状況をそのまま表現したからなのだと思われます。

 今回の連載記事では、ドン・ペドロ5世劇場と聖オーガスティン教会を中心に話をまとめてみました。なお、紙幅の関係で触れられなかったロバート・ホー・トン図書館については、連載をまとめて<切手紀行シリーズ>の第3巻として刊行する際には必ず取り上げますので、ご期待下さい。


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 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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