内藤陽介 Yosuke NAITO
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 孫文像、台南で引き倒される
2014-02-25 Tue 10:37
 台湾独立派の急進的組織“公投護台湾聯盟(Alliance for a Referendum to Safeguard Taiwan)”は、おととい(23日)、台湾南部の台南市の公園にあった孫文像を独立派組織の活動家数十人が襲撃し、引き倒したことを発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       旧台幣・1次

 これは、1947年7月10日、台湾で発行された“限臺灣省貼用”の孫文切手です。

 中国国民政府(以下、国府)による接収直後の台湾では、当初、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が流通していました。国民党政権は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立し、同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ぶ)を発行・流通させましたが、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用されていた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情がありました。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 通貨制度が異なれば、当然、切手も別のものとなるわけで、その意味では、1945-49年の国共内戦の時期でさえ、中国中央政府は本土と同一の切手を台湾で使用することができなかったわけです。このことは、いわゆる“一つの中国”が歴史的には全く根拠のないデタラメでしかなく、台湾が(少なくとも郵便という面では)いままで一度も“中国”に組み込まれたことはなかったことの何よりの証拠といってよいでしょう。

 さて、共産党との内戦に追われていた国府には台湾に良質の人材を配置する余裕はなかったこともあって、台湾に進駐してきた外省人には“十官九貪”とよばれたほど貪官汚吏が多かったようです。じっさい、復興に使われるべき工場施設や備蓄されていた米や砂糖を投機のために上海や南京に売り飛ばすことが横行し、「1年の豊作で3年食べられる」といわれた台湾で、日本統治下では戦争末期にもなかったほどの深刻なコメ不足が発生しています。島から逃げ出す犬(強圧的ではあったが規律のあった日本人)と入ってくる豚(無規律で腐敗・無能が蔓延する外省人)を並べ、「犬は人間を守ることはできるが、豚はただ喰って眠るだけだ」と記した風刺画が各所に貼られたのは、この時期のことです。これに対して、外相人の官吏は本省人(第2次大戦以前からの台湾居住者)の“奴隷根性”を批判。両者の溝は深まるばかりでした。

 こうした状況の中で、本省人の不満が爆発したのが1947年の2・28事件(台湾大虐殺)でした。大陸から大規模な軍隊を投入して3月末までに“暴徒”を鎮圧し、体制に批判的な市民を徹底的に弾圧した国府は、同年7月10日、今回ご紹介のような正刷切手を発行しています。切手に描かれている孫文の肖像は、大陸で発行されていた切手と同じですが、周囲のフレームは大陸のものが梅花模様であるのに対して、台湾のものは南洋の植物となっています。こうしたところから、口先でどのように美辞麗句を並べようと、台湾は大陸とは異質の存在であるという認識が透けて見えるように思えるのは僕だけではないでしょう。

 さて、1947年末まで、法幣と旧台幣の交換は年に数回の調整を行う固定相場制でしたが、1948年1月以降、両者は変動相場制に移行します。この間、法幣と旧台幣の交換相場は、台湾からの“輸入”を有利に進めたい国府の政策的措置により、一貫して、実際の経済力に比べて旧台幣の価値を過小評価したものとなっていました。この結果、国共内戦による大陸のハイパーインフレは台湾経済を直撃することになります。

 さらに、1948年8月、大陸ではついに法幣制度が破綻し、国府は新通貨として金円を発行しました。混乱の中で、大陸からの逃避資金が台湾に流入し、台湾のインフレはますます加速していきます。その後、共産党との戦いに敗走を続ける国府の台湾移転が現実のものとなりつつあった1949年6月15日、台湾省政府は「台湾省幣制改革法案」、「新台幣発行弁法」を布告し、旧台幣4万円を新台幣1円とするデノミネーションを実施します。これが、現在でも台湾で流通しているNTドル(新台幣)のルーツです。ちなみに、国府が正式に台北に移転したのは、それからおよそ2ヵ月後の12月7日のことでした。

 さて、台湾の将来については台湾の人々の意思によって決められるべきで、彼らの多数が“一つの中国”論を信奉しているというのであれば、僕がとやかく言うべきことではないのは当然です。しかし、彼らの意に沿わない形で“中国”への併呑という事態が生じることになれば話は全く別で、今回の事件にみられるように、台湾の人々の間には、大陸に対する根強い反感があることは、日本でも、もっと知られてよいでしょうし、そうしたことも踏まえ、われわれ日本人はもっとも身近な友好国を今後ともサポートしていくべきではないかと思います。

 まぁ、日本ではなぜか聖人君子扱いされている孫文ですが、その実像はかなりいかがわしい人物で、彼の唱えた三民主義は、大衆=愚民という大前提の下、愚民の政治参加を制限し、全ての権力を国民党の政府に委ねるべきという、まさに、一党独裁の論理でしかありません。なるほど、かつての戒厳令時代の台湾の国府のみならず、現在の中国共産党政権が孫文のことを“近代革命の先人”として高く評価しているのも妙に得心が行くところです。その反面、まともな人間なら、そんな人物を国父として崇め奉って銅像まで建てていることには我慢ならないというのもまた、自然な感情でしょうな。もっとも、公園の銅像を暴力的に破壊することが良いことだとは、僕も決して思いませんけれど。


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 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

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 台湾の“指名献花”は当然
2013-03-12 Tue 22:04
 昨日(11日)、日本政府主催で行われた東日本大震災の追悼式典で、わが国が台湾の対日窓口機関・台北駐日経済文化代表処の沈斯淳代表(駐日大使に相当)の席を各国外交団や国際機関の代表が並ぶ来賓席に用意し、献花に際して国名を読み上げる「指名献花」の待遇をしたことに対して、中国共産政府(以下、中共)が式典を欠席したうえ、“不快感”を示しているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        台銀券加刷

 これは、第2次大戦直後の1946年6月に発行された“限臺灣省貼用”の加刷切手です。

 1945年に中国国民政府(以下、国府)が接収した直後の台湾では、当初、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が流通していました。国民党政権は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立。同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ばれます)を発行・流通させましたが、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用させていた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情があります。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 通貨制度が異なれば、当然、切手も別のものとなります。
 
 今回ご紹介の切手はそうした事情の下に発行されたもので、日中戦争下の1941年に香港の商務印書館で印刷された5分切手(描かれている人物は孫文の側近として活躍した廖仲愷)に、台湾内でのみ有効であることを示す“限臺灣省貼用”の加刷がなされています。額面が中国式の“5分”ではなく、旧台銀券に対応して“5銭”となっている点に注目してください。

 旧台銀券と旧台幣の交換レートは1:1であるから、理論上は、どちらの通貨で額面を表示しようとも実務上の問題はありません。しかし、通貨を発行し、それを支配地域で流通させることが国家にとって重要な主権行為であることを考えるなら、日本統治時代の残滓ともいうべき旧台銀券での額面表示は、国府にとって決して好ましいことではないはずです。それにもかかわらず、実際の生活の中では旧台銀券表示の切手が堂々と流通していたということは、結果的に、国府の支配が台湾社会に十分浸透していなかったことの表れといってよいでしょう。

 共産党との内戦に追われていた国府には台湾に良質の人材を配置する余裕はなく、台湾に進駐してきた外省人には“十官九貪”とよばれたほど貪官汚吏が多くいました。復興に使われるべき工場施設や備蓄されていた米や砂糖を投機のために上海や南京に売り飛ばすことが横行し、「1年の豊作で3年食べられる」といわれた台湾で、日本統治下では戦争末期にもなかったほどの深刻なコメ不足が発生。島から逃げ出す犬(強圧的ではあったが規律のあった日本人)と入ってくる豚(無規律で腐敗・無能が蔓延する外省人)を並べ、「犬は人間を守ることはできるが、豚はただ喰って眠るだけだ」と記した風刺画が各所に貼られたのは、この時期のことです。

 これに対して、外相人の官吏は本省人(第2次大戦以前からの台湾居住者)の“奴隷根性”を批判。両者の溝は深まるばかりでした。

 こうした状況の中で、本省人の不満が爆発したのが1947年の二・二八事件(台湾大虐殺)です。

 1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に取締の役人が苛烈な暴行を加えたことに対して、翌28日、多くの本省人が市庁舎への抗議デモを行いました。これに対して、憲兵隊が発砲すると、抗争はたちまち台湾全土に拡大。本省人は多くの地域で一時実権を掌握しましたが、国府は大陸から大規模な軍隊を投入して3月末までに“暴徒”を鎮圧し、国府に批判的な市民を徹底的に弾圧しました。

 事件鎮圧後の1947年5月以降、郵便の現場でも旧台銀券の受け付けは停止され、“限臺灣省貼用”の切手の額面も純然たる旧台幣表示に変更されましたが、ついに、大陸と台湾で同じ通貨が使われることはなく、それゆえ、同じ切手が使われることもありませんでした。

 そうしたことからも、このブログでも行くとどなく繰り返し申し上げていることですが、いわゆる“一つの中国”が歴史的には全く根拠のないデタラメでしかなく、台湾が(少なくとも郵便という面では)いままで一度も“中国”に組み込まれたことはなかったことは明々白々です。

 したがって、わが国が台湾をどのように処遇しようと、中共ごときにとやかく言われる筋合いは全くありません。中共外務省の報道官は「日本側の行為は、日中共同声明の関係原則や精神に反し約束違反である。中国はすでに、日本に対して断固反対するとの態度を表明した」などと言っているようですが、常識的に考えれば、日中共同声明の方がはるかに外交の常識を逸脱した内容なわけであって、可能であるなら、そんなものは直ちに破棄してしまいたいというのが多くの国民の偽らざる感情でしょう。ましてや、台湾は2年前の震災に際して、他のどの国よりも多大なる善意を寄せてくれた国です。PM2.5の汚染物質を垂れ流し、わが国にも大きな被害を現在進行形で与えていながら、なんら恥じることのないファシスト国家と同様の扱いなどしたら、それこそ、失礼といえましょう。

 なお、いわゆる“一つの中国”がどれほど馬鹿げた妄想かという点については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 台湾の独自性⑥
2009-05-03 Sun 22:24
 雑誌『東亜』の2009年5月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、今回は国共内戦時代の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 旧台幣加刷

 これは、国共内戦下の1949年2月、台湾で発行された加刷切手で、台切手の額面3円が3000円に改定されています。

 中国国民政府(以下、国府)による接収直後の台湾では、当初、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が流通していました。国民党政権は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立し、同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ぶ)を発行・流通させましたが、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用されていた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情がありました。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 通貨制度が異なれば、当然、切手も別のものとなるわけで、その意味では、1945-49年の国共内戦の時期でさえ、中国中央政府は本土と同一の切手を台湾で使用することができなかったといってよいでしょう。このことは、今回の連載で一貫してお話ししているように、いわゆる“一つの中国”が歴史的には全く根拠のないデタラメでしかなく、台湾が(少なくとも郵便という面では)いままで一度も“中国”に組み込まれたことはなかったことの何よりの証拠といってよいでしょう。

 さて、共産党との内戦に追われていた国府には台湾に良質の人材を配置する余裕はなかったこともあって、台湾に進駐してきた外省人には“十官九貪”とよばれたほど貪官汚吏が多かったようです。じっさい、復興に使われるべき工場施設や備蓄されていた米や砂糖を投機のために上海や南京に売り飛ばすことが横行し、「1年の豊作で3年食べられる」といわれた台湾で、日本統治下では戦争末期にもなかったほどの深刻なコメ不足が発生しています。島から逃げ出す犬(強圧的ではあったが規律のあった日本人)と入ってくる豚(無規律で腐敗・無能が蔓延する外省人)を並べ、「犬は人間を守ることはできるが、豚はただ喰って眠るだけだ」と記した風刺画が各所に貼られたのは、この時期のことです。これに対して、外相人の官吏は本省人(第2次大戦以前からの台湾居住者)の“奴隷根性”を批判。両者の溝は深まるばかりでした。

 こうした状況の中で、本省人の不満が爆発したのが1947年の2・28事件(台湾大虐殺)でした。大陸から大規模な軍隊を投入して3月末までに“暴徒”を鎮圧し、体制に批判的な市民を徹底的に弾圧した国府は、同年7月10日には孫文の肖像を描くオリジナル・デザインの切手を発行しています。切手に描かれている孫文の肖像は、大陸で発行されていた切手と同じですが、周囲のフレームは大陸のものが梅花模様であるのに対して、台湾のものは南洋の植物となっています。こうしたところから、口先でどのように美辞麗句を並べようと、台湾は大陸とは異質の存在であるという認識が透けて見えるように思えるのは僕だけではないでしょう。

 さて、1947年末まで、法幣と旧台幣の交換は年に数回の調整を行う固定相場制でしたが、1948年1月以降、両者は変動相場制に移行します。この間、法幣と旧台幣の交換相場は、台湾からの“輸入”を有利に進めたい国府の政策的措置により、一貫して、実際の経済力に比べて旧台幣の価値を過小評価したものとなっていました。この結果、国共内戦による大陸のハイパーインフレは台湾経済を直撃することになります。

 さらに、1948年8月、大陸ではついに法幣制度が破綻し、国府は新通貨として金円を発行しました。混乱の中で、大陸からの逃避資金が台湾に流入し、台湾のインフレはますます加速していきます。

 こうした状況の中で郵便料金も目まぐるしく値上げされ、新料金に対応するために従来の切手に新額面を加刷した切手も盛んに発行されました。今回ご紹介している切手も、そうした状況に対応して発行された1枚です。

 その後、共産党との戦いに敗走を続ける国府の台湾移転が現実のものとなりつつあった1949年6月15日、台湾省政府は「台湾省幣制改革法案」、「新台幣発行弁法」を布告し、旧台幣4万円を新台幣1円とするデノミネーションを実施します。これが、現在でも台湾で流通しているNTドル(新台幣)のルーツです。ちなみに、国府が正式に台北に移転したのは、それからおよそ2ヵ月後の12月7日のことでした。
 

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 台湾名と日本名
2005-10-25 Tue 14:23
 今日(10月25日)は、日本の植民地だった台湾が中国側に接収されてから60周年の日に当たります。これを記念して、北京では抗日記念イベントが大々的に行われるとのことで…。

 中国国民政府が台湾を接収した根拠は、1943年のカイロ宣言ですが、これはあくまでも“宣言”であって、法的な拘束力はありません。したがって、本来であれば、1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が台湾の領有を放棄した後、台湾の次の帰属を正式に決める必要があったのですが、1949年の共産中国の誕生により、敵対する国民政府が台湾に逃げ込んだことで、そうした手続きが行われず、台湾の正式な帰属は宙に浮いたまま現在にいたっています。したがって、現在の中国政府の台湾に対する領有権の主張は、厳密にいえば、国際法上の根拠はなにもありません。そもそも、中国の正統政権がどの政府であるのかということと、その政府が台湾を支配するのか否かということは、まったく別の次元の話なのですが、そういうことをいっても、まぁ、現在の中国共産党政権は聞く耳を持たんのでしょうがね。

 さて、終戦直後の台湾に関しては、こんなカバー(封筒)があるので、ご紹介しておきましょう。

台湾数字カバー

 終戦直後の台湾では、終戦直前の日本時代に製造された切手を接収して「中華民國 臺灣省」の文字を加刷した切手が使われていました。このカバーに貼られているのも、そうした1枚です。

 さて、このカバーでご注目いただきたいのは、宛名に改名(日本名)と旧名(台湾名)が併記されている点です。

 台湾では、戦時中、苗字を日本風に改める改姓名運動が行われました。このカバーの名宛人もそれに従って日本名“吉川秀雄”を名乗り、日本兵として出征したものと思われます。ところが、終戦後、台湾が日本の植民地支配から解放されると、“吉川秀雄”は旧名の“戴晩”にもどります。もっとも、このカバーが差し出された時点では、戴晩氏は復員してきておらず、周囲の人々は彼を“吉川秀雄”としてしか認識していません。このため、差出人は、手紙が確実に届くように、日本名と台湾名を併記したものと思われます。

 なお、当時の規則では、旧外地・戦地で復員を待っている将兵宛の郵便物は葉書に限って認められており、封書の差出は認められていませんでした、このため、このカバーも規則違反として差出人に返送されています。

 いずれにせよ、国家の制度的な帰属がどのように変わろうと、そこに生きている人々の生活は、そうそうデジタル的に切り替わるものではなく、旧制度が残存する中で緩やかにしか変わっていかないのは当然のことです。年表式に歴史を考えると、どうしても、その辺の感覚が希薄になってしまいますが、このカバーはそうした当たり前のことを目に見えるかたちで示してくれているといってよいでしょう。

 さて、今週金曜日10月28日から東京・池袋のサンシャイン文化会館で開催の<JAPEX >では、今年が戦後60年ということにちなみ、“1945年”にスポットをあてた特別展示を行います。僕も“戦後の誕生(仮題)”と題する作品を出品しますが、作品では、このカバーも含め、日本や中国の終戦前後の状況をさまざまな角度から再構成しようと考えています。是非、週末は池袋にお運びいただき、“1945年”の企画展示をご覧いただけると幸いです。
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