内藤陽介 Yosuke NAITO
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 台湾光復節
2016-10-25 Tue 08:41
 きょう(25日)は、1945年10月25日に台湾における日本の統治が終わったことにちなむ“台湾光復節”です。というわけで、せっかく、台北にいることでもありますし、この切手です。(画像はクリックで拡大されます。ちなみに、(切手の隣には、“慶祝台湾光復節”の横断幕が掲げられた、きょうの台北市議会議事堂の写真を貼っておきました)

      台湾数字10円  台湾光復節(2016)

  これは、第二次大戦の終戦間際、台湾で準備されたものの、発行されずに終わった10円切手で、デザインは日本本土と同じ梅花模様が取り上げられています。

 大戦末期の1944年10月、米軍がフィリピンのレイテ島に再上陸します。台湾最南端の鵞鑾鼻岬からは、天気が良ければフィリピンの北端が見えるほど、両者の近い距離にありますから、台湾は、米軍の侵攻がいよいよ間近に迫ってきたのではないかとの緊張に包まれることになります。

 こうした状況の中で、1944年10月、台湾総督府交通局の逓信部長は、日本本土との交通が途絶えて葉書の供給がストップし、在庫切れとなることを予想して、内地製のものと同形式で暫定的な葉書を現地で製造したいことを、東京の通信院(1943年11月の行政機構の簡素化により、逓信省が改組されたもの)に申し出て、了承を得ています。

 さらに、1945年6月になると、戦況はいよいよ悪化し、東京の逓信院は朝鮮総督府逓信局長・台湾総督府交通局総長・関東逓信官署逓信局長・南洋庁交通部長宛に、それぞれの管内で図案を簡略化した切手を製造することとし、そのための準備に入るよう指示。これを受けて、台湾ではさっそく、“簡素切手”の製造準備に取り掛かります。逓信院から送られてきた切手の元図は台湾出版印刷株式会社に渡され、3銭、5銭、10銭、40銭、50銭、1円の6種類の数字切手と、内地の5円(今回ご紹介のものです)、10円切手と同図案の切手の印刷が発注されました。これが、いわゆる台湾数字切手です。

 しかし、実際に切手発行の計画が立案されたのは7月31日のことで、台湾総督府交通局逓信部長の決裁が取られ、切手発行についての最終的なゴーサインが出たのは、玉音放送前日の8月14日のことでした。すでに8月4日、印刷所では見切り発車で切手の製造が開始されていたものの、結局、“簡素切手”は終戦には間に合いませんでした。

 日本の敗戦とともに、蒋介石の国民政府(以下、国府)はカイロ宣言にしたがって台湾接収に向けて動き始めます。もっとも、実際に国府の第70軍と行政長官公署官員が台湾に進駐したのは10月17日、日本軍の降伏受理が正式に行われたのは10月25日のことで、それまでの期間は、日本の台湾総督府がそのまま台湾統治の実務を担当していました。

 郵便も例外ではなく、日本側が業務を続けていましたが、当然のことながら、日本本土から、新規に切手が配給されることはなくなっていたため、9月に入ると、各地で一部の切手の在庫が底をつき始めます。

 これに対して、当初、台湾総督府は在庫切れの切手の代わりに暫定的に「郵資已付(郵便料金納付済の意)」のゴム印を押して対応していました。ところが、これらのゴム印は容易に偽造が可能であるうえ、耐久性に乏しく、すぐに傷んで変形してしまうなどの不具合が多かったため、台湾総督府側は、終戦前に用意しながら発行されないままになっていた台湾製の“数字切手”のうち、3銭ならびに5銭の切手を10月21日から、10銭の切手を10月31日から、それぞれ台北郵便局で発売しています。さらに、新竹、台中、台南、南投、大渓、斗六、新化、佳里、竹東などでも、あいついで数字切手が発売されました。

 さて、10銭切手が発行される以前の10月24日には、台湾省行政長官兼台湾省警備総司令となった陳儀が台湾に上陸。翌25日には台北公会堂で台湾受降式典が行われ、陳儀は蒋介石の代理として、台湾総督兼日本軍第10方面軍司令官・安東利吉の投降を受理しています。そして、台湾と澎湖諸島の中華民国領編入を宣言し(ただし、この時点では、台湾の帰属変更に関する正規の条約が調印・批准されているわけではないので、国際法的には、この宣言をもって台湾が正式な中華民国領となったとはいえない)、これを受けて、国府による台湾統治のための機関として台湾行政長官公署が発足しました。

 ところが、国府側による郵政接収はスムースには進まず、その後も住民に対する郵便サービスの提供はしばらく日本側が担当せざるを得ないのが実情でした。10月31日になってから、日本統治時代につくられた数字切手が発行されたのは、そうした事情を何よりも如実に物語っているといってよいでしょう。

 結局、国府側による郵便の接収は11月3日にまでずれ込みます。そして、この日をもって数字切手を含む日本時代の切手は無効となり、今回ご紹介のものを含むその他の“簡素切手”は未発行のままに終わりました。そして、翌4日付で国府は、日本時代の数字切手に「中華民國 臺灣省」の文字を加刷した切手を発行しています。こうして、台湾における日本郵便の歴史はようやく幕を閉じることになりました。

 ただし、新たに発足した台湾行政長官公署が台湾で流通させた新通貨の(旧)台幣は日本円との交換レートが1:1となっており、大陸とは全く別の通貨体系となっていました。したがって、後に大陸と台湾では同じデザインの切手が発行されるようになっても、対応する通貨が異なっているため、中国本土と台湾で使われている切手は本質的に別物でしかありません。言い換えるなら、切手の面では、台湾は決して(国府のいう)“祖国”に復帰したわけではなかったわけです。



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 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

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 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 台北に行ってきます!
2016-10-20 Thu 02:17
 私事で恐縮ですが、あす(21日)から台湾・台北の台北世界貿易中心(TWTC)で開催される世界切手展<PHILATAIPEI 2016>に審査員として参加するため、けさ、9時前の飛行機で羽田を発ち、台北に向かいます。台湾行きは2008年のアジア国際切手展<TAIPEI 2008>以来8年ぶり、世界切手展での審査員は2014年の<MALAYSIA 2014>以来2年ぶりのことです。というわけで、“台湾訪問”といえば、やはり、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾行啓(1銭5輪)

 これは、1923年4月に発行された“皇太子殿下台湾行啓”の記念切手のうち、1銭5厘切手です。ここでいう皇太子殿下とは、裕仁親王、すなわち後の昭和天皇のことです。

 皇太子・裕仁親王の台湾訪問は、文官の台湾総督であった田健次郎の下で進められていた宥和政策の一環として企画されたもので、1921年11月に病身の大正天皇の摂政となり、実質的な国家元首となった皇太子の存在を植民地の住民に認識させるという意図も込められていました。

 今回ご紹介の記念切手は、逓信大臣の経験者でもある総督の田が発行にいたるまでのイニシアティヴをとっていたほか、郵便局での発売も台湾内に限られる(ただし、内地でもこの切手を郵便に使用することはできました)など、実質的には台湾総督府の発行したものです。ただし、切手を発行するということは、その国の郵政主権の根幹にかかわる部分であり、当時の日本においては逓信省以外には切手発行の権限が認められていなかったため、この切手についても、発行の告示その他の形式上は、逓信省が発行したという体裁が整えられました。もっとも、この年の『逓信省年報』には、この切手についての記載がいっさいなく、逓信省みずから、この切手を台湾ローカルの切手とみなしていたようです。

 さて、切手に取り上げられているのは、台湾で最も高い山“新高山”です。新高山は、本来、現地名で“玉山”というのですが、台湾を日本が領有した後、明治天皇の命名により改名され、戦前はこのように呼ばれていました。現代の日本人にとっては、太平洋戦争開戦時の日本軍の暗号「ニイタカヤマノボレ」のフレーズの方がなじみ深いかもしれません。なお、第二次大戦後は、当然のことながら、本来の玉山の名で呼ばれるようになっています。

 当初、皇太子は、1923年4月5日に東京を出発してお召し艦「金剛」で台湾に向かう予定でしたが、大正天皇の病状悪化から、出発は4月12日に延期されました。記念切手は皇太子の台湾到着に合わせての発行されることになっていたため、実際の切手発行日も当初予定の4月9日から16日へと延期されています。

 ちなみに、台湾滞在中の皇太子の主な日程は、以下の通りでした。

 ・(1923年4月)16日 台湾北東端の三貂角沖に到着
 ・17日 [台北] 台湾神社、総督府、台湾生産品展覧会
 ・18日 [台北] 総督府中央研究所、台北師範学校、太平公学校、台湾軍司令部、総督府医学専門学校
 ・19日 [台中] 新竹州庁、台中州庁、台中第一小学校、台中第一中学校
 ・20日 [台南] 台南州庁、南門小学校、台南師範学校、台南市第一公学校
 ・21日 [高雄] 台湾製塩会社塩田、養殖試験場、台湾歩兵第二連隊、高雄州庁、高雄第一小学校
 ・22日 [高雄] 屏東駅にて鳳山海軍無線電信所遠望、台湾製糖会社工場
 ・23日 [艦中泊]
 ・24日 [台北] 澎湖・馬公海軍要港部
 ・25日 [台北] 基隆重砲大隊、博物館、円山運動場
 ・26日 [台北] 台湾歩兵第一連隊、台湾総督府専売局、台北第一高等女学校、台北第三高等女学校、円山運動場
 ・27日 台北を出発して日本へ(5月1日に横須賀軍港着)

 さて、僕の場合、今回の台湾滞在では、26日までの展覧会期間中、日中はほぼ会場に缶詰に近い状態で、審査や会議などの予定をこなして、展覧会終了翌日の27日に帰国の予定です。現地にはパソコンも持っていきますので、この間もブログは通常通り更新していく予定ですが、なにぶんにも海外のことですので、ネットの接続環境が悪くなったり、何かトラブルが発生するなど、諸般の事情で記事の更新ができなかったり、メール等での連絡が取れなくなったりすることがあるかもしれません。

 いろいろとご不便・ご迷惑をおかけするかもしれませんが、その場合には、なにとぞご容赦ください。


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 100年ぶりの神武天皇式年祭
2016-04-04 Mon 09:23
 きのう(3日)、1916年いらい100年ぶりとなる神武天皇式年祭が奈良県橿原市の神武天皇陵で行われました。というわけで、きょうは神武天皇がらみで、こんなモノを持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

      愛国葉書・台北消

 これは、1937年に発行された“愛国葉書”で、印面には神武東征の神話に登場する金鵄が描かれています。今回ご紹介のマテリアルについては、日本統治下の台北で使用された「航空日本の建設は愛國切手で」との宣伝標語印が押されているのがミソです。

 1913年に創立された帝国飛行協会は、軍事とは別の民間航空の分野の発展に尽力した団体で、1930年代には募金を集めて民間飛行場の献納運動を展開していました。彼らの献納した飛行場は“愛国飛行場”と呼ばれ、旭川や釧路、桐生、高松などがその代表的なものです。

 当時、航空政策を管轄していた逓信省は、この運動に協力するため、1937年、寄付金つきの“愛国切手”3種と今回ご紹介の愛国葉書を発行しました。なお、当初は4月29日の天長節(天皇誕生日)にあわせての発行が予定されていましたが、3月31日に衆議院が解散され、4月30日に総選挙が行われたため、実際の発行は6月1日までずれ込んでいます。


 愛国葉書には、額面2銭に対して3銭の寄付金をつけられており、我国最初の寄付金付葉書です。印面に金鵄が描かれたのは、航空というキーワードに引っ掛けて、最も“愛国”にふさわしい題材と判断されたからと思われます。

 『日本書紀』には、即位2年前の戊午年12月丙申の日(12月4日)、東征途上の神武天皇が大和の豪族・長髄彦と戦った際、金色のトビが天皇の弓の先に止まり、その光に目がくらんだ長髄彦の軍を天皇側が討伐したとの記述があります。ここから、金色のトビである金鵄は神武天皇の勝利を象徴する重要なシンボルとなり、それにちなんで、軍人に対する栄誉として金鵄勲章が制定されたことは周知のとおりです。

  さて、常々申し上げていることですが、天孫降臨や神武東征などの記紀神話は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられません。ただし、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述にも歴史的事実としては認めがたい部分が多々あるわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語としての記紀神話を国民の大半が常識として共有しているのが本来の姿だと僕は思います。

 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業でこそ、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思うのですが、そういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」などと主張して反対するんでしょうな。困ったものです。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
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 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

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 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

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 台北の陸軍記念日
2016-03-10 Thu 15:40
 1945年に昭和の戦争で日本が負けるまで、1905年3月10日、日露戦争の奉天会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領したのを記念して、翌1906年以降、毎年3月10日は陸軍記念日でした。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台北・陸軍記念日特印

 これは、1935年、日本統治時代の台湾・台北で使用された“日露戦役三十周年陸軍記念日”の特印で、奉天城をバックに、星型の陸軍徽章と円形の日露戦争従軍記章が並べて描かれています。この特印は、1935年3月10-13日、台湾でも日本内地と同図案のモノが使用されました。

 日露戦争時の台湾総督・児玉源太郎は、1898年の総督着任以来、1906年に亡くなるまで総督としての地位を維持し続けましたが、実際には、日本政府・軍の要職を兼任することが多かったため、台湾には不在のことが多く、台湾統治の実務の相当部分は、台湾総督府民政局長(後に民政長官に改称)の後藤新平が取り仕切っていました。

 すなわち、 1900年12月-1902年3月には陸軍大臣を兼任。さらに、1903年7月には、台湾総督のまま、内務大臣(9月まで)、文部大臣(9月まで)を兼任しており、同年10月、対露戦の計画を立案していた陸軍参謀本部次長の田村怡与造が急死すると、参謀総長・大山巌から特に請われ、降格人事でありながら内務大臣を辞して参謀本部次長に就任。さらに、日露戦争のため新たに満州軍が編成されると、その総参謀長を務め、遼陽会戦、沙河会戦、黒溝台会戦、奉天会戦などで総司令の大山巌を補佐しました。また、奉天会戦で日本軍が勝利すると、(台湾ではなく)東京へ戻り戦争終結の方法を探るよう具申。これにより、日露講和の準備が始められることとなりました。さらに、日露戦争後は、陸軍参謀総長に就任したほか、南満洲鉄道株式会社創立委員長も兼務しています。

 一方、総督不在の台湾では、日露開戦を控えた1904年1月5日、基隆と澎湖島の要塞海正面堡塁砲台の射撃準備が発令され、月内に準備が完了。さらに、2月10日に宣戦布告の詔勅が発せられた後は基隆・澎湖島港湾に水雷が沈設されました。その後、1904年末、ロシアのバルチック艦隊が日本に向けて航海しているとの情報が報じられるようになると、台湾でも緊張が高まり、奉天会戦後の1905年4月13日には澎湖島で、5月12日には台湾本島で戒厳令が布かれました。しかし、実際には、5月27日の日本海海戦でバルチック艦隊が事実上壊滅したことから、台湾における戦争の脅威はなくなり、9月5日の講和条約調印よりも2カ月近く前の7月7日、戒厳令は解除されています。
 
 * けさ、アクセスカウンターが163万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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 台湾南部で大地震
2016-02-06 Sat 15:32
 きょう(6日)未明、台湾南部の高雄市美濃(台南の南東43km 付近)でマグニチュード6.4の地震が発生。現地時間の午前10時40分までに5人の死亡が確認され、8棟のビルが倒壊した台南だけで一時16万8000世帯が停電、40万世帯が断水するなどの大きな被害が出ています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      台南・風景印

 これは、日本統治時代の台湾・台南で使われた風景印のオンピースです。台南の風景印は1932年1月1日から使用が開始され、この地の名所である赤崁楼が描かれています。

 17世紀に入り、東アジアに進出したオランダは澎湖を拠点に明朝と対立していましたが、1624年に両者の間で講和が成立。これを受けて、オランダは澎湖から撤退する代償として、台湾南部での商館および砲台の築城が認められ、現在の台南の基礎が築かれました。その中心になったのは一鯤鯓沙洲(現安平)のゼーランディア城(熱蘭遮城、現・安平古堡)であり、この城塞の東側には台湾街(現・延平街一帯)と普羅民遮街(現・民権路)が建設され、街区が整えられていきます。

 しかし、オランダ人は漢族移民や平埔族に対して過酷な統治をおこなったため、1652年、反オランダ暴動の郭懷一事件が発生します。事件そのものはすぐに鎮圧されましたが、オランダ川は事件の再発を防止するために普羅民遮街の北方に、周囲約141m、城壁の高さ10.5mのプロヴィンティア城(普羅民遮城)を建設しました。この城塞の現地名が赤崁楼(オランダ人が建築したことにちなみ“紅毛楼”とも)です。

 その後、1661年に鄭成功によりオランダ人が台湾から駆逐されると、普羅民遮城は東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となりました。しかし、鄭成功が1662年に亡くなると、後を継いだ鄭経は1664年に承天府を廃止。赤崁楼は火薬貯蔵庫として用いられるようになります。

 さらに、鄭政権の崩壊後、1721年に朱一貴が清朝に対して反乱を起こすと、赤崁楼の鉄製門額が武器鋳造の材料とされたほか、その後も人為的な破壊や台風・地震などの自然災害により、赤崁楼は大いに荒廃しましたが、19世紀後半になり、ようやく、かつての大士殿、海神廟、蓬壷書院、文昌閣、五子祠などが赤崁楼の跡地に再建されました。

 1895年に始まる日本統治時代には、当初、海神廟と文昌閣、五子祠は病院や医学生の宿舎として利用されていましたが、1921年、台湾総督府により大士殿の解体修復が行なわれた際、敷地内からオランダ時代の堡門や砲台跡が発掘されたことで、歴史館が設置されました。これが、現在の台南市立歴史博物館のルーツです。

 さて、台湾といえば、2011年の東日本大震災の際に、いちはやく篤い支援の手を差し伸べてくれたことは記憶に新しいところです。また、個人的にも、今回の地震で大きな被害が伝えられている台南と高雄には、僕も2008年のアジア切手展にあわせて行ったことがあり、風景印に描かれた赤崁楼も拝んできただけでなく、高雄で開催の切手展に出品したこともありますので、一日も早く被災地の復旧・復興が進むことを切にお祈りしております。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 * 諸般の事情により、スタートが1カ月遅くなりました。あしからずご了承ください。

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 “化外の地”台湾と琉球
2014-05-15 Thu 10:26
 きょう(15日)は、沖縄の祖国復帰記念日です。くわえて、かねてご案内の通り、僕自身は、13:00からよみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。というわけで、沖縄と台湾の双方に関わるモノとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台湾総督府第13回始政記念絵葉書(記念碑)

 これは、1908年6月17日、日本統治地代の台湾総督府が発行した“台湾総督府第13回始政紀念”の絵葉書で、1874年の“台湾出兵”の舞台となった石門(地名)の風景と琉球藩民の碑が描かれています。また、左上には、1銭5厘の菊切手を貼って、発行日の淡水局の記念印が押されています。
 
 1871年11月、琉球の宮古島から首里への年貢を運んで帰る途中の御用船が台風による暴風で遭難し、台湾南部の八瑤湾に漂着しました。漂着した乗員は先住民のパイワン(排湾)族牡丹社に救助を求めたものの、逆に牡丹社にあった彼らの集落へ拉致されてしまいます。乗員と排湾族の間では言語の壁もあってコミュニケーションがうまく取れず、乗員が逃げ出すと、排湾族はこれを敵対行為とみなして54名が殺害されました。その後、生き残った12名は現地在住の漢人の移民により救助され、福州経由で宮古島へ送り返されました。

 さらに、翌1872年にも、備中国浅口郡柏島村(現在の岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が発生。このため、1873年、日本の外務卿・副島種臣が清朝に対して賠償を求めると、清朝側の交渉窓口となっていた吏部尚書・毛昶熙は「台湾生蕃の地は化外に置き政教逮はず」などと返答し、清国の領土ではないことを主張して責任を逃れようとしました。

 そこで、1874年5月6日、西郷従道ひきいる3000名が台湾南部・屏東車城に上陸して、事件の発生した地域を制圧しました。これがいわゆる台湾出兵です。

 台湾出兵は、日本側から清朝に対して事前の通告が行われなかったこともあり、清朝側はこれに抗議して撤兵を要求。このため、英国公使ウェードの斡旋で和議が進められ、10月31日に調印された「日清両国互換条款」により、清朝が日本軍の出兵を保民の義挙と認め、 遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両、戦費賠償金40万両の計50万両を日本側に支払い、生蕃(先住民)取締を保証するということで、日本側は1874年12月20日までに撤兵することで決着しました。なお、この条款により、結果的に清朝は日本軍の行動を承認したことになり、琉球民は日本人であり、琉球は日清両属ではなく日本にのみ帰属することが国際法上も明らかにされました。

 今回ご紹介の絵葉書は、戦場となった石門の風景と西郷従道が建立した“琉球藩民の碑”裏面の碑文を取り上げたもので、碑文には、台湾出兵に至る経緯が漢文で記されています。ちなみに、日本統治時代、石門を含む“牡丹社”の地域は高雄州恒春郡の管轄とされていましたが、戦後は“牡丹郷”と改称されて高雄県牡丹郷となり、国府台湾遷移後の1950年以降は屏東県の管轄となっています。日本の文献で“恒春の石門”という記述がみられるのは、こうした事情によるものです。なお、周囲に描かれている花は恒春の胡蝶蘭で、背景には、先住民の作る織物の柄がデザインされています。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

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 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 陳水扁の収監
2010-12-02 Thu 22:24
 汚職の罪で懲役11年以上の実刑が確定している台湾の陳水扁・前総統が、きょう(2日)、台北近郊の台北監獄(刑務所)に収監されました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        台南刑務所宛カバー

 これは、1931年1月17日、台湾の佳冬から台南刑務所宛の書留便です。刑務所の教務主任を経て受刑者宛に届けられたもので、差出人の名前の上には受刑者との関係として“甥”との書き込みがあります。

 刑務所に収監されている受刑者といえども現金を必要とすることはあるわけで、そうした時のために関係者が現金を差し入れることがあります。しかし、外部の人間が受刑者と直接現金をやり取りすることは規則上できないため、いったん、刑務所側の人間(この場合は教務主任)宛に現金を送り、そこから受刑者の口座に“領置金”として入金されることになります。その場合、送金者に対して、彼(ないしは彼女)が送った金額がきちんと受刑者に渡っていることを示すため、差出人に対して領収書が発行されます。下の画像はその半券です。

        台南刑務所・領収書

 現在の台湾の受刑者の処遇がどうなっているのか、手もとに資料がないので詳しいことはわからないのですが、おそらく、今後、陳水扁への差し入れに対しても、似たような手続きがなされるのではなかろうかと思います。かつてのマカオでは、看守の汚職が甚だしく、マフィアの有力者などは逮捕・収監されても、当局者への賄賂や子分たちによる関係者への脅迫などにより、優雅な生活を維持していたケースが少なからずありましたが、曲がりなりにも民主化された現在の台湾では流石にそういうわけにもいかないでしょうな。

 それにしても、かつて台湾独立派の旗手であった陳が汚職で逮捕され、収監されたということには、なんとも言えない感慨を覚えます。ただ、陳がどのような罪で逮捕されようとも、台湾が“中国”の一部ではないことは明らかなわけで、台湾の中国への併吞に抵抗しようとしている人々への支援を続けていくことが重要であろうと思います。


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 台湾の独自性⑤
2009-02-07 Sat 12:09
 雑誌『東亜』の2009年2月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、第二次大戦終戦前後の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 台湾数字10銭

 これは、日本の敗戦後、1945年11月に中国側が台湾の郵政を接収するまでの移行期間中の10月下旬、切手の在庫がなくなったために発行された“台湾数字切手”の10銭です。

 日本の敗戦とともに、蒋介石の国民政府(以下、国府)はカイロ宣言にしたがって台湾接収に向けて動き始めます。もっとも、実際に国府の第70軍と行政長官公署官員が台湾に進駐したのは10月17日、日本軍の降伏受理が正式に行われたのは10月25日のことで、それまでの期間は、日本の台湾総督府がそのまま台湾統治の実務を担当していました。

 郵便も例外ではなく、日本側が業務を続けていましたが、当然のことながら、日本本土から、新規に切手が配給されることはなくなっていたため、9月に入ると、各地で一部の切手の在庫が底をつき始めます。

 これに対して、当初、台湾総督府は在庫切れの切手の代わりに暫定的に「郵資已付(郵便料金納付済の意)」のゴム印を押して対応していました。ところが、これらのゴム印は容易に偽造が可能であるうえ、耐久性に乏しく、すぐに傷んで変形してしまうなどの不具合が多かったため、台湾総督府側は、終戦前に用意しながら発行されないままになっていた台湾製の“数字切手”のうち、3銭ならびに5銭の切手を10月21日から、10銭の切手を10月31日から、それぞれ台北郵便局で発売しています。さらに、新竹、台中、台南、南投、大渓、斗六、新化、佳里、竹東などでも、あいついで数字切手が発売されました。

 さて、10銭切手が発行される以前の10月24日には、台湾省行政長官兼台湾省警備総司令となった陳儀が台湾に上陸。翌25日には台北公会堂で台湾受降式典が行われ、陳儀は蒋介石の代理として、台湾総督兼日本軍第10方面軍司令官・安東利吉の投降を受理しています。そして、台湾と澎湖諸島の中華民国領編入を宣言し(ただし、この時点では、台湾の帰属変更に関する正規の条約が調印・批准されているわけではないので、国際法的には、この宣言をもって台湾が正式な中華民国領となったとはいえない)、これを受けて、国府による台湾統治のための機関として台湾行政長官公署が発足しました。

 ところが、国府側による郵政接収はスムースには進まず、その後も住民に対する郵便サービスの提供はしばらく日本側が担当せざるを得ないのが実情でした。10月31日になってから、日本統治時代につくられた数字切手が発行されたのは、そうした事情を何よりも如実に物語っているといってよいでしょう。

 結局、国府側による郵便の接収は11月3日にまでずれ込みます。そして、この日をもって数字切手を含む日本時代の切手は無効となり、翌4日付で国府は、日本時代の数字切手に「中華民國 臺灣省」の文字を加刷した切手を発行しています。こうして、台湾における日本郵便の歴史はようやく幕を閉じることになりました。

 ただし、新たに発足した台湾行政長官公署が台湾で流通させた新通貨・台幣は日本円との交換レートが1:1となっており、大陸とは全く別の通貨体系となっていました。したがって、後に大陸と台湾では同じデザインの切手が発行されるようになっても、対応する通貨が異なっているため、中国本土と台湾で使われている切手は本質的に別物でしかありません。言い換えるなら、切手の面では、台湾は決して(国府のいう)“祖国”に復帰したわけではなかったといってよいでしょう。

 なお、雑誌『東亜』の僕の連載ですが、いよいよ2年間・8回分の予定期間の後半に突入しました。次回は国共内戦の時代を中心にした記事を書くことになると思いますが、連載で書ききれなかった分については、いずれ、台湾をテーマとした単行本を作り機会があれば、その時にたっぷりと書いてみたいものです。

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 台湾の独自性④
2008-11-15 Sat 14:00
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『東亜』の2008年11月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、日本時代末期の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 台湾数字・未発行5円

 これは、第二次大戦の終戦間際、台湾で準備されたものの、発行されずに終わった5円切手で、デザインは日本本土と同じ藤原鎌足が取り上げられています。

 大戦末期の1944年10月、米軍がフィリピンのレイテ島に再上陸します。台湾最南端の鵞鑾鼻岬からは、天気が良ければフィリピンの北端が見えるほど、両者の近い距離にありますから、台湾は、米軍の侵攻がいよいよ間近に迫ってきたのではないかとの緊張に包まれることになります。

 こうした状況の中で、1944年10月、台湾総督府交通局の逓信部長は、日本本土との交通が途絶えて葉書の供給がストップし、在庫切れとなることを予想して、内地製のものと同形式で暫定的な葉書を現地で製造したいことを、東京の通信院(1943年11月の行政機構の簡素化により、逓信省が改組されたもの)に申し出て、了承を得ています。この結果、台湾で製造・発行されたのが、いわゆる台湾楠公と呼ばれる葉書です。

 ところで、“台湾楠公”が世に出た1945年6月になると、戦況はいよいよ悪化し、東京の逓信院は朝鮮総督府逓信局長・台湾総督府交通局総長・関東逓信官署逓信局長・南洋庁交通部長宛に、それぞれの管内で図案を簡略化した切手を製造することとし、そのための準備に入るよう指示。これを受けて、台湾ではさっそく、“簡素切手”の製造準備に取り掛かります。逓信院から送られてきた切手の元図は台湾出版印刷株式会社に渡され、3銭、5銭、10銭、40銭、50銭、1円の6種類の数字切手と、内地の5円(今回ご紹介のものです)、10円切手と同図案の切手の印刷が発注されました。これが、いわゆる台湾数字切手です。

 しかし、実際に切手発行の計画が立案されたのは7月31日のことで、台湾総督府交通局逓信部長の決裁が取られ、切手発行についての最終的なゴーサインが出たのは、玉音放送前日の8月14日のことでした。すでに8月4日、印刷所では見切り発車で切手の製造が開始されていたものの、結局、“簡素切手”は終戦には間に合いませんでした。

 その後、3銭・5銭・10銭の3種類だけは、日本の敗戦後、1945年11月に中国側が台湾の郵政を接収するまでの移行期間中の10月下旬、切手の在庫がなくなったために発行されたものの、今回ご紹介のものを含むその他の切手は未発行のままに終わっています。

 なお、雑誌『東亜』の僕の連載は、2年間・8回分しか割り当てがありませんので、現在までカバーしようとすると、日本時代には結果として2回しか割けないのが残念なところです。まぁ、連載で書ききれなかった分については、いずれ、台湾をテーマとした単行本を作り機会があれば、その時にたっぷりと書いてみたいものです。

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 台湾の独自性③
2008-08-09 Sat 11:40
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『東亜』の2008年8月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、今回からいよいよ日本時代に突入です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 総督府始政21年・絵葉書

 これは、1916年6月17日に台湾総督府が発行した「台湾総督府始政21回記念」の絵葉書で、新旧の台湾総督府が取り上げられています。

 下関条約により、台湾を領有した日本は、台湾総督府を設けて台湾統治を開始します。

 総督府の庁舎は、当初は、清朝時代の布政使衙門が接収されて用いられていましたが、1907年、新庁舎の設計案が公募されています。そして、審査の結果、1909年、第二等(第一等は該当作なし)となった長野宇平治(辰野金吾の高弟で早稲田大学教授。後に日本建築士会初代会長)の作品をもとに、台湾総督府営繕課の技師、森山松之助が大幅に修正を施して、1916年、赤レンガ造りの新庁舎が竣工し、一九一九年から使用されることになりました。

 新庁舎は東向き、すなわち、日本の方向を向いて建っており、上空から見ると“日”の字の構造となっているのが特徴です。正面入り口は東側の中央にあり、高さ60メートルの中央塔には台湾初のエレベーターが設置され、塔からは台北市街が一望できました。

 今回ご紹介の絵はがきには、その新旧ふたつの庁舎が並べて取り上げられており、旧庁舎と比較対照することで新庁舎の威容や、日本の統治下で台湾の近代化が急速に進展したことなどを見る者に強く印象づけるデザインとなっています。ちなみに、画面上部の肖像は、左が民政長官の下村宏、右が台湾総督の安藤貞美です。

 旧総督府の庁舎は、現在でも、台湾の総統府として使われています。

 台湾・総統府

 この写真は、今年の3月に台北に行った時に撮影したもので、ちょうど、総統選挙と同時に台湾名での国連加盟申請の是非を問う国民投票が行われる直前だったため、そのことを訴えるスローガンが時計台に取り付けられています。
 
 総統府の1階部分はツアー形式での見学が可能で、僕も参加してみたのですが、日本時代を知るボランティアのお年寄りが、「日本時代は本当によかった。蒋介石父子の時代は暗黒時代だった。李登輝さんの時代にようやくまともになった。台湾の人間は人が良いから、しっかりしないと(大陸の)シナ人に騙されてばかりだ。」という趣旨のことをことあるごとに語っていましたが、その後すぐに、馬政権が発足してしまいましたからねぇ。あのご老人、今頃どうしてるんでしょうかねぇ。

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