内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 “黄金のアフガニスタン展”はじまる
2016-04-12 Tue 16:19
 きょう(12日)から、東京・上野の東京国立博物館・表慶館で、「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝」が始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・マカラに乗る女性(1983)  アフガニスタン・マカラに乗る女性(実物)

 これは、1983年にアフガニスタンで発行された“世界観光の日”の記念切手で、カブールの国立博物館に展示されている“マカラに乗る女性像”3体が取り上げられています。今回の展覧会には、この3体のうち、右側の一体(切手の右側に実物の写真を貼っておきました)が展示されるようで、展覧会のサイトでもその写真が紹介されていました。

 マカラはインド神話に登場する怪魚で、象のような鼻、とぐろ巻く尾を持ち、ヴァルナ神の乗物とされています。水を操る力を持つため、マカラの棲むとされる場所が崇拝の対象とされたほか、今回ご紹介の切手にみられるように、マカラの上に立つ女性の姿によって、川神の表現とされることもありました。

 切手に取り上げられた3体の像は、いずれも、1-3世紀のクシャーン朝時代のベグラム遺跡から出土したものです。べグラムは首都カブールの北約70km、海抜1600mの高地にあり、クシャーン朝の夏の都でした。なお、切手の刷色からか、スコット・カタログなどでは黄金の像という説明が付けられていますが、べグラムは象牙で有名な場所で、切手の像も3体とも象牙製です。

 さて、1979年のソ連軍による軍事介入以来の混乱の中で、アフガニスタンの文化財も危機的な状況に置かれていました。

 親ソ政権時代末期の1988年には首都カブールの情勢もかなり悪化したため、アフガニスタン政府と国立博物館は文化財の破壊と略奪を防ぐべく、所蔵品を博物館外に移し、情勢が安定するまで秘匿しておくことを計画。これを受けて、1989年までに、特に重要とみなされた文化財が大統領府敷地内の情報省ならびに中央銀行の金庫に移されました。

 その後、ソ連軍撤退後の内戦を経て、1996年9月、州都カブールを含むアフガニスタンの8割以上を制圧したターリバーンは国内のすべての偶像の破壊を命じ、2001年にはバーミヤンの大仏も破壊しました。当然、多くの文化遺産が破壊され、博物館のスタッフにもさまざまな圧力がかかりましたが、彼らは秘密を一切口外せず、また、大統領府の建物も破壊されなかったため、(文字どおりの意味での)秘蔵の文化財は奇跡的に難を逃れています。

 その後、2001年、911テロ事件の首謀者、ウサマ・ビン・ラディンを匿っているとの理由で米国がアフガニスタンを空爆し、ターリバーン政権は崩壊。2003年、総選挙を経てハミド・カルザイ政権が発足すると、ようやく、アフガニスタン中央銀行は大統領府内に貴重な文化財を秘蔵していたことを公表しました。

 これを受けて、ナショナル ジオグラフィック協会の考古学者、フレデリック・ヒーバートら専門家がカブールに集まり、2004年以降、アフガニスタンの文化遺産復興を支援するため、再び日の目を見ることになった“秘宝”の国際巡回展を開催することが計画されました。こうして、2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館での展覧会を皮切りに、ニューヨークのメトロポリタン美術館、大英博物館など、世界10か国を巡回して、今回、東京での展覧会開催になりました。

 今回の展覧会では、戦火を逃れた秘宝231件に加え、6月19日までの展覧会の終了後、アフガニスタンに返還されることとなった流出文化財15件が出品されるそうです。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 世界の国々:アフガニスタン
2014-11-26 Wed 23:32
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年11月26日号が、先週、刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はアフガニスタンの特集です。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・ブッダ立像

 これは、2003年にアフガニスタンで発行された切手で、カブールの国立博物館所蔵の仏陀直立像が取り上げられています。

 釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が生きていた時代の最初期の仏教では、仏像を作って祀ることは行われていませんでした。釈迦の入滅後、仏教を伝えるために図像が必要とされるようになりましたが、当初は、悟りを開き仏陀となった偉大な釈迦の姿は人間によって再現することは不可能と思われており、釈迦の象徴として、菩提樹、法輪ストゥーパ仏足石などが礼拝の対象とされていました。

 いわゆる仏像がつくられるようになるのは、釈迦入滅後500年以上が経過した西暦紀元1世紀頃のクシャナ朝の時代、で、現在パキスタン領となっているガンダーラないしは中インドのマトゥラーがその場所ではないかと考えられています。

 このうち、ガンダーラは現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国で、紀元後1-5世紀、仏教を奉じたクシャナ朝の時代に最盛期を迎えました。マトゥラーとともに最も古い仏教美術が栄えた地で、ギリシャ彫刻の影響を受けた仏像、ガンダーラ仏が有名です。切手に取り上げられている仏陀直立像も、もともとは、現パキスタン領で世界遺産にも登録されているタフティ・バヒーの山岳寺院にありましたが、現在はカブールの国立博物館所蔵の名品として知られています。

 さて、『世界の切手コレクション』11月26日号の「世界の国々」では、ソ連軍のアフガニスタン侵攻以降のアフガニスタン現代史を切手や郵便物でまとめているほか、ジャムのミナレットバーミヤンの大仏、ヒンドゥークシ山脈の景観や民族衣装の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の12月3日号では、「世界の国々」はトーゴにフォーカスを当てておりますが、こちらについては、来週水曜日に、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(12月は都合によりお休みです)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 岩のドームの郵便学(21)
2014-09-06 Sat 08:51
  『本のメルマガ』547号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する2回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・岩のドーム(1977)

 これは、1977年9月11日にアフガニスタンで発行された“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”の切手で、ムスリムの聖地としてのエルサレムの象徴として、岩のドームが描かれています。

 この切手が発行された1977年当時、アフガニスタン国内は共産革命(1978年の4月革命)前夜の騒然とした空気に包まれていました。

 アフガニスタンでは、1973年に共和革命が発生し、病気療養のため外遊中だった国王ザヒル・シャーが退位に追い込まれ、国王の従弟にして義弟で1953年から1963年まで首相を務めたムハンマド・ダーウードが大統領兼首相として政権に復帰します。

 王制時代末期の1964年、アフガニスタンでは、王族を政治活動から排除する条項を含む新憲法が制定され、国会も開設されるなど、一定の民主化がスタートします。後にソ連軍支配下で政権を掌握することになるアフガニスタン人民民主党(共産党)や、それに抵抗するイスラム原理主義系諸派の源流が組織されていくのも、この時期のことでした。

 ところで、第二次大戦後のアフガニスタンの外交政策は、冷戦下での中立を維持すべく、米ソ両国とは等距離を保とうとしていたものの、結果的に、ソ連寄りのスタンスを取らざるを得ませんでした。米ソの世界戦略において、アフガニスタンの価値があまりにも違っていたからです。

 すなわち、“湾岸の憲兵”としてパフラヴィー王朝下のイランを取り込むことに成功した米国にとって、そもそもアフガニスタンの戦略的な重要性は高いものとは言えませんでした。また、米国が友好国とみなしているパキスタンがアフガニスタンと国境紛争を抱えていることもあって、1950年代初頭、米国は、アフガニスタンが再三にわたって軍事援助を求めた際にも、これを無視し続けています。

 一方、ソ連にとっては、アフガニスタンを勢力圏内に収め、そこから係争地カシミールを経てインド(冷戦下では親ソ派の大国と位置づけられていました)につながることで、西側の反ソ包囲網を分断し、インド洋にも到達しうるというプランは、非常に魅力的なものでした。このため、1956年以降、ソ連は、アフガニスタン空軍の創設をはじめ、アフガニスタンに対する軍事援助を進めたほか、1956年から始まった5ヵ年計画にも多額の長期融資を行っています。また、カブール空港の建設やニングラハール河域の開発、テルメズ(ソ連領)=マザーリ・シャリフ=サラン峠=カブール間およびクシク=ヘラート=シンダンド=カンダハル間の自動車道の建設といった大規模土木事業に対しても、巨額の援助が行われました。

 こうした経緯もあって、アフガニスタン国内では親ソ派の政治的発言力が強く、王制末期の1971年、英国がスエズ以東から軍事的に撤退したことで、国内の政治力学も少なからぬ影響を受けることになります。

 アフガニスタンには、第一次大戦以前、英国の保護国だった歴史があり、それゆえ、英国に対する警戒感が強かったのですが、スエズ以東から英国軍が撤退するとなれば、もはや、英国の直接的な軍事的脅威は消滅しますから、そうした警戒感も薄らぐことになります。

 アフガニスタン政府と王室が志向していた中立外交の基本からすると、現実の問題として米国からはほとんど相手にされない以上、英軍のスエズ以東からの撤退を機に、米国に代わる西側の実力者である英国と接近し、あわせて、イランやパキスタンとも関係を改善して、強大になりすぎた親ソ派の勢力を抑え込み、バランスを回復することが望ましいシナリオだったわけです。

 ところが、こうした政策転換は、ソ連ならびにその強い影響下にあった左翼将校の反発を招き、結果的に、ダ―ウードと軍の左翼将校、親ソ勢力のパルチャム党の連携による1973年の無血クーデター、共和革命を招来することになりました。

 なお、共和革命に際して、いわゆるイスラム原理主義勢力は、王室に対する批判から革命勢力を支援していましたが、権力を掌握したダーウード政権は彼らを弾圧。1974年6月には、カブールで原理主義者200人の一斉逮捕が行われています。その際、青年ムスリム機構の指導者でパシュトゥン人のグルブッディーン・ヘクマチヤルらはペシャワール(パキスタン)に亡命。翌1975年7月、ヘクマチヤルは、反ダーウード政権の名の下に、パキスタン政府の支援を得てパンジシールで武装蜂起しましたが、アフガニスタン政府軍に鎮圧されて失敗し、以後、ペシャワールを拠点に反政府活動を続けていくことになります。

 さて、共和革命当時、アフガニスタンは国家収入の40パーセントを外国に依存する状況でした。このため、ダーウード政権としても、当面は、国家建設に必要な援助を求めてソ連との関係を維持しつつも、将来的には経済的な自立(少なくとも、ソ連への過度の依存状況からの脱却)が緊急の課題でした。

 そこで、ダーウード政権は、石油収入を増大させた王制イランに着目。経済援助を得るために、イランとの外交関係を強化し、ソ連とは距離を置こうとします。そして、国内の体制基盤を固めるためにも、1975年以降、共和革命の際の“同志”であった親ソ勢力を政権中枢から排除しはじめました。

 当然のことながら、こうしたダーウードの“変節”は、ソ連との関係を背景に勢力を拡大しつつあった国内共産主義者たちとの間で摩擦を引き起こし、アフガニスタンの政局は急速に不安定化していきました。

 今回ご紹介の切手は、こうした政治情勢の下で発行されたものですが、この切手が発行される直前の同年7月、思想家ジャマールッディーン・アフガーニーの没後80年が発行されていることとあわせて考えると興味深いものです。

 アフガーニーは1839年、アフガニスタン生まれ。停滞したイスラム社会の悪弊の一掃とイスラムの原点への回帰、ムスリムが人種や言語を越えて団結して西洋列強の侵略に対抗することなどを唱えた思想家で、その後のイスラム世界に絶大な影響を及ぼした人物です。汎イスラム主義の唱道者であり、ある意味では、現在のイスラム原理主義・復興主義の原点ともいうべき人物ともいえましょう。

 もちろん、アフガニスタンというイスラム世界の辺境の地にあって、アフガーニーは数少ない地元出身の世界的な偉人ですから、アフガニスタン政府が、没後80年という機会をとらえて彼を顕彰する記念切手を発行するのは不思議なことではありません。

 ただし、1973年の共和革命以降、1977年7月のアフガーニー没後80年の記念切手まで、ダーウード政権がムスリム国家としてのアフガニスタンを連想させるような切手を全く発行してこなかったことを考えると、親ソ勢力と距離を置き、穏健なイスラム勢力との関係改善を模索していこうという、当時のダーウード政権の立ち位置が、こうした切手を生み出したと推測することは可能でしょうし、今回ご紹介の切手もまた、そうした文脈に沿って発行されたと考えるのが妥当とおもわれます。

 しかしながら、アフガニスタンの政局は急速に不安定化していくいなかで、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)による反ダーウードのクーデターとして“4月革命”が発生。ダーウードをはじめ政府首脳は暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立しました。

 その後、アフガニスタン民主共和国による急激な社会主義化政策の推進は、アフガニスタン社会を大混乱に陥れ、地方では反政府暴動が頻発してアフガニスタンは事実上の内戦に突入します。こうした状況の中で、1978年12月に締結されたソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約の内乱条項に基づき、ソ連軍がアフガニスタンに軍事侵攻するのは1979年12月のことでした。

 * 昨日(5日)の韓国文化院での講演「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様ならびにスタッフの皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


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 アフガニスタンで大統領選挙
2014-04-05 Sat 11:20
 ハミド・カルザイ大統領の任期満了(憲法の3選禁止規定による退任)に伴うアフガニスタンの大統領選挙が、きょう(5日)、実施されます。というわけで、アフガニスタンでの選挙の切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       アフガニスタン・大統領選挙(1978)

 これは、1978年にアフガニスタンで発行された「アフガニスタン共和国初の大統領選挙1周年」の記念切手で、人々に迎えられるムハンマド・ダ―ウード大統領の姿が取り上げられています。
 
 ダーウードは国王ザヒル・シャーの従弟にして義弟で、1909年生まれ。1953年に王制下のアフガニスタンで首相に就任しましたが、いわゆるパシュトゥニスタン問題でパキスタンと国交断絶。1963年、イラン国王の仲介により両国の関係を正常化する際に辞職しました。

 しかし、王族出身の宰相・ダーウドが対パキスタン関係改善のために辞任したことは、アフガニスタンにおける王族の権威を大きく損ない、以後、アフガニスタンは平民宰相の下で政治的に不安定な状況が続くようになりました。こうした中で、1973年7月、国王ザーヒル・シャーが眼の治療のためにイタリア滞在中、ダーウード元首相を中心に軍の左翼将校と親ソ勢力のパルチャム党が無血クーデタを敢行。国王はローマで退位を表明し、ダーウードがアフガニスタン共和国の大統領兼首相に就任しました。

 この時のダ―ウードの大統領就任はクーデターによるものとして、その正当性に関しては疑義のあるものだったため、1977年、2月14日のロヤ・ジルガによって、彼はあらためて正式な“初代大統領”に選出されました。今回ご紹介の切手は、それから1周年になるのを記念して発行されたものです。

 ちなみに、ロヤ・ジルガというのは、もともと、パシュトー語で“大会議”の意味。もともとは、新国王の選出をはじめ、アフガニスタンにおける重要な政治的問題を討議するため、部族長と長老が参加して行われてきた伝統的な合議機関でしたが、近代憲法の発足後、他国の国会ないしは最高議会に相当する機関と位置付けられることになりました。なお、1977年のロヤ・ジルガには、15%の女性代議員も参加しています。

 さて、ダ―ウードは、1978年4月、アフガニスタン人民民主党(共産党)によるクーデター(4月革命)で他の政府首脳とともに暗殺され、同年6月には人民民主党のヌール・ムハンマド・タラキーを革命評議会議長兼首相とする左翼政権、アフガニスタン民主共和国が成立。ソ連軍のアフガニスタン侵攻への道を開くソ連=アフガニスタン友好善隣協力条約が締結され、苦難のアフガニスタン現代史が幕を開けることになるのです。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 ラッバーニー元大統領暗殺
2011-09-21 Wed 22:57
 きのう(20日)、アフガニスタンのブルハーヌッディン・ラッバーニー元大統領が首都カブールの自宅でタリバンによる自爆攻撃を受けて暗殺されました。というわけで、きょうはアフガニスタン関連のネタの中からこの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

        アフガニスタン航空書簡・30アフガニ加刷

 これは、1992年3月28日、カブールからアメリカ宛てに差し出されたアフガニスタンの航空書簡で、もともとの額面は12アフガニですが、30アフガニ料金への改値加捺のうえで使用されています。

 1979年12月にアフガニスタンに侵攻したソ連軍は、国際社会の非難とムジャーヒディーンの頑強な抵抗により、1989年2月15日をもって、なんら得るところなく、アフガニスタンからの完全撤退を余儀なくされました。ソ連軍撤退を受けて、ムジャーヒディーン諸派は暫定政権の樹立に合意。カブールの人民民主党政権(共産党政権)打倒に向けて本格的な攻勢を開始します。

 ムジャーヒディーン諸派の攻勢が続く中、1991年5月、国連事務総長は和平提案を行い、7月から、ムジャーヒディーン諸派とパキスタン、イランの三者会談が始まります。さらに、同年8月のソ連保守派のクーデター失敗でアフガニスタン問題にしがらみのないボリス・エリツィンがロシアの実権を掌握すると、人民民主党政権に対するソ連の直接援助も大幅に削減。9月には米ソ両国がアフガニスタンへの武器供給の停止で合意し、翌11月にはムジャーヒディーンとソ連との交渉でアフガニスタンの全権を(新設予定の)イスラム暫定評議会に移管することが決定されました。

 1991年末のソ連崩壊を経て、1992年3月18日、人民民主党政権の大統領だったムハンマド・ナジーブッラーは辞任。4月10日には、国連の仲介によりイスラム暫定評議会の設立が正式に決定されます。これに対して、ナジーブッラーはインドへ亡命しようとしたしましたが、4月16日に捕えられ、カブールの国連ビルに軟禁されました。

 こうして人民民主党政権は完全に崩壊。政府崩壊を知ったムジャーヒディーン諸派がカーブルに殺到し、首都は混乱状態に陥ります。今回ご紹介のカバーは、まさに、人民民主党政権最末期の混乱の中でアメリカ宛てに差し出されたものということになります。

 人民民主党政権の崩壊を受けて、4月28日、ムジャーヒディーン諸派はシブガトゥッラー・ムジャッディディーを暫定国家元首として新政府作りを進めます。その過程で、イスラム協会の最高指導者であったラッバーニーが亡命先のペシャワールから帰国し、暫定評議会議長に就任。翌1993年1月、ラッバーニーを初代大統領とするアフガニスタン・イスラム国が誕生しました。

 もっとも、このイスラム国はあくまでも旧反ソ勢力諸派の妥協的な連合政権であったため、成立後まもなく新政権内部の主導権をめぐる内戦が勃発ます。内戦は、周辺諸国がそれぞれの思惑から各勢力を支援したことから泥沼化し、ふたたび大量の難民が発生。その過程で既存の旧ムジャーヒディーン諸派はすべて堕落しているとすターリバーンが生まれ、勢力を拡大していくことになります。

 ターリバーンという共通の敵を前に、反ターリバーン諸派は“北部同盟”を結成して戦いましたが、1996年9月、州都カブールは陥落し、大統領のラッバーニーもカーブルから脱出します。2001年、アメリカ同時多発テロ事件後の米軍のターリバーン攻撃に協力したラッバーニーは、ターリバーン政権崩壊後、カブールに戻りましたが、アフガニスタン暫定行政機構の発足に伴い、暫定行政機構の議長に選出されたハーミド・カルザイに権限を移譲。大統領職を退きました。

 その後、ラッバーニーは新政府の主要ポストには就かず、2007年3月、野党同盟「国民戦線」の党首となり、昨年10月からはターリバーンとの和解交渉担当の高等和平評議会の議長を務めていました。もっとも、ラッバーニーといえば反ターリバーン派のシンボルともいうべき人物ですから、彼がターリバーンとの和解交渉をまとめられるか否かという点を疑問視する声も少なからずあったようです。

 今回の暗殺事件は、不幸にしてそうした見方が正しかったことを証明してしまったわけですが、群雄割拠のアフガニスタンで首都周辺にしか威令が届いていないとされるカルザイ政権が、その首都の治安さえも満足に維持できないという現状もあらためて明らかになりました。現在、かの国では2014年までに現地駐留の国際治安支援部隊からアフガニスタン政府への治安権限の移譲を完了すべく準備が進められていますが、これも、アフガニスタン情勢が落ち着いてきたからではなく、これ以上、国際社会もアフガニスタンの混乱には付き合いきれなくなったため、と理解するのが妥当なんでしょうな。


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 ISAFが権限移譲を開始
2011-07-17 Sun 22:58
 アフガニスタン中部のバーミヤーンで、きょう(17日)、現地駐留の国際治安支援部隊(ISAF)からアフガニスタン政府に治安権限を移譲する式典が開かれました。というわけで、久しぶりに、バーミヤーンのネタです。(画像はクリックで拡大されます)

        バーミヤーン葉書

 これは、1980年代にアフガニスタンで発行された観光絵葉書(絵面にはアフガニスタン各地の風景写真が取り上げられています)の1枚で、印面部分に、ありし日のバーミヤーンの大仏が取り上げられています。アフガニスタンで発行されたバーミヤーンの大仏の切手といえば、1951年の切手1985年の切手がありますが、どちらも大仏の部分のみを取り上げた縦型の切手です。これに対して、今回ご紹介の葉書の印面は横型のデザインですので、大仏が彫られていた石窟の全体像がよくわかるのが良いですな。

 さて、今回の権限移譲式典を皮切りに、来週24日頃までには、バーミヤーン州と共に最初の対象地に選ばれた6地域でも治安権限がアフガニスタン政府に移譲される予定で、ISAF側は2014年までに国内全域での権限移譲を目標としています。治安権限が移譲された地域では、アフガニスタンの警察や国軍が治安維持を主導し、ISAFは後方支援に回ることになっていますが、現実の問題としては、ターリバーンなど反政府勢力の攻勢が続く中で治安は全く改善されていません。したがって、今後、カルザイ政権が真に自立して、国内の治安維持という責任を果たしうるのか否かは大いに疑わしいのが実情です。

 なお、カルザイ政権は、ターリバーンの蛮行を非難するため、バーミヤーンの大仏が破壊された後の岩窟を取り上げた切手も発行しています。拙著『事情のある国の切手ほど面白い』では、バーミヤーンの破壊前・破壊後の切手を並べながら、ターリバーンとアフガニスタンの話についてもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
  
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 バーミヤーンの大仏(カラー版)
2010-09-05 Sun 21:15
 アフガニスタンで取材中に反政府武装勢力タリバンに誘拐されていたフリージャーナリスト常岡浩介さんが、きょう(5日)までに解放されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         バーミヤン(1985)

 これは、1985年に共産主義政権下のアフガニスタンで発行されたバーミヤーンの大仏の切手です。

 バーミヤーンの大仏の切手といえば、王制時代の1951年に発行のモノが有名ですが、今回ご紹介のモノは世界観光機関10周年として1985年に発行されました。

 世界観光機関は、その名の通り、観光に関する国際機関で、本部はスペインのマドリードにあります。前身は、1925年にハーグで設立された公的旅行機関国際連盟で、現在の組織になった1975年です。2003年12月に国際連合の専門機関となりました。

 さて、バーミヤーンはアフガニスタンのほぼ中央に位置していますが、常岡さんが誘拐・監禁されていたクンドゥズはアフガニスタンの北部、タジキスタンと国境を接しています。タジキスタンには、現在でも中央アジア最大の涅槃仏が残されているのですが、国境を越えたクンドゥズはターリバーンの拠点の一つで、2001年のいわゆるアフガニスタン戦争の際には彼らが最後まで守っていた地域ですから、現在では、主だった仏像はあらかた破壊されてしまっているのかもしれません。

 なお、アフガニスタンでは、ターリバーンの蛮行を非難するため、バーミヤーンの大仏が破壊された後の岩窟を取り上げた切手も発行されています。先日刊行の拙著『事情のある国の切手ほど面白い』では、バーミヤーンの破壊前・破壊後の切手を並べながら、ターリバーンとアフガニスタンの話についてもまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 *昨日の切手市場は、無事、盛況のうちに終了いたしました。会場にお越しいただきました皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 お待たせしました。8ヶ月ぶりの新作です!

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 アフガニスタンの観光地
2010-06-18 Fri 12:19
 アフガニスタンのカルザイ大統領が来日し、きのう(17日)、菅首相と会談しました。首相が就任後、他国の首脳と会うのは、これが初めてだそうです。というわけで、アフガニスタン切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      南アジア観光年

 これは、1975年に発行された南アジア観光年の小型シートで、左からジャムのミナレット(尖塔)、バグラムから出土したグリフォンに乗る黄金の女性像、ハッダの仏頭の切手が収められています。

 ジャムのミナレットは、アフガニスタン西部、ハリ・ルド川の南の堤防に位置しており、高さは65m。ゴール朝のスルタン、ギヤースッディーン・ムハンマド(在位1163-1202)が、12世紀末に築いたとされています。ゴール朝建築の最高峰とされていますが、アフガニスタンの混乱が続く中で、長年、放置されてきたために痛みがひどく、2002年には遺跡保護のためユネスコの世界遺産に登録されるとともに、問題の早急な対応を促すため危機遺産にも指定されました。

 黄金の女性像が出土したバグラムは、首都カブールの北側にあり、現在では米軍基地がある町として知られています。切手に取り上げられた女性像は西暦2世紀頃のモノです。

 仏頭が出土したハッダは、アフガニスタン東部、ジャラーラーバードの南東10キロ弱の場所にあり、玄奘の『大唐西域記』には那掲羅曷国の醯羅城として記録されています。釈迦が生前に訪れたとされる場所の一つでもあり、2世紀から7世紀にかけては巨大な僧院があり、多くの巡礼者が訪れて仏教と市として繁栄しました。切手に取り上げられた仏頭は4-5世紀頃のモノです。

 東西交流の要衝であったアフガニスタンの地は、今回ご紹介の小型シートを見てもお分かりのように、さまざまな民俗・宗教の文化遺産の宝庫となっており、情勢が安定していれば、世界各地から多数の観光客が訪れても不思議はありません。しかし、現実には、先日も日本人ジャーナリストが、身代金目的の山賊と思われる集団に拘束されるなど、観光客が気軽に訪れることができる状況ではありません。

 日本を含む世界各国は、アフガニスタンの復興を支援することはできても、アフガニスタンの治安を回復し、旅行者が安心して訪れることができる、すなわち、麻薬に代わる外貨収入の重要な手段として観光業がなりたつような環境を整えるのは、なによりも先ず彼ら自身の努力が必要なことはいうまでもありません。

 なお、バーミヤンの大仏を始め、アフガニスタンに残る仏像を取り上げた切手については、拙著『切手が語る仏像』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
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 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 2期目のカルザイ政権
2009-11-20 Fri 18:12
 2カ月以上の混乱を経たアフガニスタン大統領選で再選を決めたハミド・カルザイ氏の2期目の就任式が19日、首都カブールで行われました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 バーミヤン(廃墟)

 これは、2002年にアフガニスタンで発行された切手で、ターリバーンによって破壊されたバーミヤンの大仏があった石窟が描かれています。カルザイの大統領としての1期目の任期がスタートしたのは2004年12月7日でしたが、すでに2001年12月22日には彼はアフガニスタン暫定行政機構の議長に就任し、翌2002年6月19日にはアフガニスタン・イスラム移行政権の大統領に就任していましたので、この切手もカルザイ政権下での発行とみなしてよいでしょう。

 バーミヤーンはカブールの北西約240 km、アフガニスタンのほぼ中央部に位置する都市で、西暦1世紀からバクトリアによって近郊に仏教の石窟寺院が開削され始めました。有名な大仏は5世紀から6世紀にかけて彫られたもので、周囲の壁画などから弥勒菩薩像と考えられています。また、630年にこの地を訪れた玄奘(いわゆる三蔵法師ですな)は、大仏が金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していたと記録しています。

 その後、この地域はムスリムの支配下に入り、一部は略奪を受けたりもしましたが、多くの壁画は残され、19世紀以降、この地を探検した西洋人や日本人によって、その美術的価値が世界的に高く評価されるようになりました。しかし、2001年には、当時アフガニスタンを実効支配していたターリバーン政権の手により爆破され、現在では国際支援による修復作業が進められているのはご存じのとおりです。

 今回ご紹介の切手は、そうしたタリバンの蛮行を誇示することで、カルザイ政権が自らの正統性を内外にアピールすべく発行したものですが、そのカルザイ政権も汚職の蔓延や経済状況の低迷などにより、国民の支持率は低迷しています。このため、ターリバーン勢力も息を吹き返し、反政府テロが頻発するなど、治安も極端に悪化。そのことが、ますます政権の求心力を弱めているのが現状です。ちなみに、この切手の額面は25000アフガニとなっていますが、これって、やはり国内のインフレがすごかった(いまでもそうかもしれませんが)ことの証なんでしょうね。

 多難な船出となる2期目のカルザイ政権ですが、その任期中に、再び、今回ご紹介したような“反タリバン”の切手が発行されることになるかもしれません。

 なお、バーミヤンの大仏に関するマテリアルというのは、このほかにもいろいろとあるのですが、それらについては拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもご紹介していますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 出版記念パーティーのご案内 ★★★

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』の刊行を記念して、ルーマニア民主革命20周年の記念日にあたる12月22日、下記のとおり出版記念パーティーを開催いたします。ちょっと変わったオフ会あるいは忘年会としていかがでしょうか。当日は、僕のトークのほか、楽しいアトラクションを予定しております。

 ・日時 2009年12月22日 18:30~

 ・会場 レストラン・ルーマニア(本格的ルーマニア料理のレストランです)
     *東京都中野区本町1-32-24(東京メトロおよび都営地下鉄中野坂上駅1分)
      tel: 03-5334-5341 地図などはこちらをご覧ください。

 ・会費 7000円(『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』1冊つき)
     *当日会場にてお支払いをお願いいたします。

 ・参加ご希望の方は、12月18日までにキュリオマガジン編集部まで、電子メール(info@fujimint.com)にてお申し込みください。たくさんの方々のお越しを心よりお待ちしております。
 

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 バーミヤーンの大仏
2009-08-20 Thu 12:17
 2001年のターリバーン(タリバン)政権崩壊後、5年ぶり2度目となるアフガニスタン大統領選挙の投票がはじまりました。といわけで、きょうはアフガニスタンといえば、やっぱりこれだろうという1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 バーミヤン(単色)

 これは、1951年にアフガニスタンが発行した20プル切手で、いまはなきバーミヤーン(バーミヤン)の大仏が取り上げられています。

 バーミヤーンはカブールの北西約240 km、アフガニスタンのほぼ中央部に位置する都市で、西暦1世紀からバクトリアによって近郊に仏教の石窟寺院が開削され始めました。有名な大仏は5世紀から6世紀にかけて彫られたもので、周囲の壁画などから弥勒菩薩像と考えられています。また、630年にこの地を訪れた玄奘(いわゆる三蔵法師ですな)は、大仏が金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していたと記録しています。

 その後、この地域はムスリムの支配下に入り、一部は略奪を受けたりもしましたが、多くの壁画は残され、19世紀以降、この地を探検した西洋人や日本人によって、その美術的価値が世界的に高く評価されるようになりました。しかし、2001年には、当時アフガニスタンを実効支配していたターリバーン政権の手により爆破され、現在では国際支援による修復作業が進められているのはご存じのとおりです。

 なお、バーミヤーンの大仏を取り上げたマテリアルというのは、今回ご紹介の切手以外にもいろいろあるのですが、それらについては拙著『切手が語る仏像:意匠と歴史』でも取り上げていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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