内藤陽介 Yosuke NAITO
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 張大千、ピカソを抜く
2012-02-24 Fri 17:28
 美術品情報大手アートプライス(本社パリ)によると、2011年に全世界で行われた美術品競売で、制作者別の落札額合計で前年まで首位だったピカソに代わり、台湾の画家、張大千が初めてトップとなったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        撥墨荷花図

 これは、1984年に台湾で発行された「張大千の絵画」のうち、彼の代表作である「撥墨荷花」を取り上げた1枚です。

 張大千は、1899年、中国四川省内江の生まれ。伝統的な中国画の修行を積んだ後、1917年、日本に留学し、京都芸術専門学校で染色を学びました。帰国後、1920~30年代には上海などで個展を開催して画家としての地位を確立。1942年から取り組んだ敦煌・莫高窟の壁画の模写は、敦煌の壁画を世界に知らしめるきっかけになりました。

 国共内戦が始まると、共産党の支配を嫌って1948年に香港に脱出。その後、南北アメリカでの活動を経て、1978年、台湾に移住。1983年に亡くなりました。今回ご紹介の切手を含む「張大千の絵画」は、彼の没後1周年にあわせて発行されたものです。

 中華人民共和国の建国後も大陸に残って共産党から厚遇された斉白石に対して、中華民国籍のまま海外で活動し、最終的には台湾で亡くなった張大千は、中国の画家というよりも台湾の画家と紹介するのが妥当だと思うのですが、今回の一件を報じたメディアなどでは、“中国の画家”として紹介されていることが多いようです。本来はチベットの動物であるパンダが“中国の動物”として紹介されるのと同様のケースといえましょう。

 ところで、欧米の美術館には中国の古典絵画を収蔵しているところも多いのですが、その中には、張大千による贋作も少なからず含まれているのだとか。もっとも、加熱する中国の美術品市場では、張大千の贋作もかなり出回っているものと思われます。中には、“張大千の作った贋作”と称して、現在の画家が作った商品もありそうです。いずれにせよ、あと何十年かすると、現在、張大千の贋作を作って世に出た人物が、張大千並みのスターになっているということもあるかも知れません。

 いずれにせよ、ホンモノの張大千だと最低でも数百万は覚悟しないと入手できませんが、切手ならせいぜい数百円で入手できるのがうれしいです。このクラスの切手なら、偽物の心配というのもまずありませんしね。


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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 雪中送炭
2011-03-19 Sat 23:35
 きのう(18日)、台湾で紅十字会(赤十字に相当)やテレビ各局などの主催で東日本大震災の被災者を支援するチャリティー番組が行われ、生放送中に7億8800万台湾ドル(約21億5000万円)の義援金が寄せられたとのこと。なんともありがたい話です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        雪中送炭

 これは、1980年9月23日に台湾で発行された「民間故事」のうち、“雪中送炭”を取り上げた1枚です。

 “雪中送炭”とは、宋の太宗(趙光義)の時代、天候異変で大雪に見舞われた際に、皇帝が城内の貧しい人々に米と炭を与えた故事にちなみ、人が苦難を抱え困っている時に助けの手を差し伸べることをいう表現となりました。今回の台湾の方々の善意は、いまだ厳しい寒さの中で震えている被災地の方々にとって、文字通り“雪中送炭”の義挙であり、日本人として感謝の念に堪えません。

 わが国では、ときどき、大陸の共産政権に阿り、彼らの主張する「一つの中国」論なる荒唐無稽なデタラメに追従して台湾を粗略に扱う人がいますが、大陸の共産政権は、わが国に向けて核兵器の照準を合わせ、尖閣諸島に事実上の軍事侵略を行う国だということを忘れてはなりません。

 もちろん、今回の震災に際して大陸からの支援にも感謝すべきではあるのでしょうが、彼らが潜在的な敵国であるという厳然たる事実は、震災の前後でも何ら変わっていないのが現実です。それゆえ、無邪気に彼らの“善意”を信じ、安易に原発事故の処理や重要な防衛拠点での“支援活動”に参加してもらうのは、控えた方が良いように思います。

 じっさい、震災復興のために必要であるとはいえ、自衛隊の兵力が一挙に10万人も被災地に派遣されているという現状では、わが国の国防には大いに不安があります。したがって、中国がわが国に対する“援助”を申し出るのなら、なによりもまず、わが国に向けて核兵器の照準を向けることを止め、尖閣地域での侵略活動を停止することこそが、わが国に対する真の援助といえるのではないでしょうか。

 ちなみに、19日付の香港紙『東方日報』には、「中国が釣魚島を奪回するには、コストとリスクを最小限にしなくてはならず、今が中国にとって絶好のチャンスだ」との論評が掲載されたそうです。日本に支援をしようという一般の香港人が多数いる中で、中共政権の本音が垣間見えた瞬間といえましょう。

 なお、“雪中送炭”の反対語は“錦上添花”ですが、これは金持ちにへつらい、堤燈を持つことの比喩として使われます。対中ビジネスでの目先の利益を追求するばかりに、真に日本のことを心配してくれている友邦を蔑にする人には、ぴったりの表現ですな。

 こういう時だからこそ、我々には真の友好国を見極める眼力が必要だということを忘れてはなりません。


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 中正紀念堂
2007-12-09 Sun 15:47
 台北の観光スポットとして有名な中正紀念堂で、蒋中正(=蒋介石)の名前にちなむ“大中至正”の文字が当局によって撤去されたという記事をネットのニュースで読みました。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

中正紀念堂

 これは、1985年に発行された蒋介石没後10周年の記念切手の1枚で、中正紀念堂が取り上げられています。

 台湾の独裁者であった蒋介石が1975年に亡くなると、行政院(日本の内閣に相当)は同年6月、紀念堂の建設を決定します。紀念堂の工事は蔣の生誕90年にあたる1976年10月31日に始まり、1980年3月31日に完成。同年4月5日から、一般公開されています。

 紀念堂を取り上げた最初の切手は、一般公開前日の1980年4月4日に発行された“蒋介石没後5周年”の2円切手ですが、このときは紀念堂のメインの建物のみで、今回問題になった正門と“大中至正”の額は登場しません。正門から紀念堂を臨む構図の切手としては、1981年4月5日から発行が始まった普通切手が最初のものとなりますが、いかんせん、“大中至正”の文字が小さくてわかりにくいので、今回は、1985年の記念切手を持ってきたという次第です。

 蒋介石に関しては、1947年の2・28事件をはじめとする数々の本省人(1945年以前から台湾に居住していた人々とその子孫)への差別と弾圧、戒厳令や白色テロによる恐怖支配などから、本省人の中では「アメリカは、日本には原爆を落としただけだが、台湾には蒋介石を落とした」として、台湾の本省人の間では根強い拒否感があります。

 こうしたこともあって、台湾を中国とは別個の存在として台湾の独自性を内外にアピールしたい陳水扁政権は、今年(2007年)5月、人権侵害を重ねてきた独裁者の名前を冠した記念施設は不適切として、中正紀念堂を台湾民主紀念館へと改名しようとしました。これに対して、翌6月、立法院(台湾の“脱中国化”に否定的な野党勢力が多数を占めている)が政府提出の「台湾民主紀念館組織規程」を否決し、建物の名称は中正紀念堂に戻されたという経緯があります。

 今回の措置について、陳水扁は「蒋介石の威光を維持し続けることは反民主、反人権であり、反台湾でもある」と説明し、“大中至正”の文字が取り外された跡には、自由廣場の文字が取り付けられています。まぁ、建物そのものを破壊してしまえとならないだけ、旧朝鮮総督府庁舎を解体してしまった韓国なんかと比べて、台湾での“過去の清算”のやり方はマイルドだといえるのかもしれません。

 僕の個人的な感覚からすると、台湾では清朝の時代から現在にいたるまで、原則として、中国本土と別の切手が使われ続けてきたことでもありますし、台湾が“中国”の一部であるというロジックには、感覚的になじめないものがあります。それだけに、現在の陳政権による“脱中国化”の流れは至極まっとうなことのように思えてならないのですがねぇ。
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