内藤陽介 Yosuke NAITO
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 投票しませう④
2013-07-21 Sun 09:11
 きょう(21日)は参議院議員選挙の投票日です。僕も、この記事を書いたら投票所に行きますが、投票は20時までですから、有権者の皆様は、ぜひお出かけください。というわけで、国政選挙の投票日恒例の“投票しませう”シリーズ、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       投票スローガン・カバー(フランス)

 これは、1958年9月28日にフランスで行われた憲法改正の国民投票に先立ち、投票を呼び掛ける標語印が押されたカバーです。標語の内容は「投票しよう 君の運命を他人に決めさせないように」というもので、まさにおっしゃる通りですな。

 第2次大戦後、アルジェリアではアラブ系およびベルベル系の住民が戦争協力の代償として戦後の自治・独立を要求しましたが、既得権の維持をはかろうとするフランス人入植者は抵抗を続けていました。

 こうした状況の下で、1954年7月、ジュネーヴ協定で曲がりなりにもインドシナ諸国の独立が認められると、これに刺激を受けたアルジェリアでも同年10月、それまでの独立運動を統合するかたちでアルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成され、翌11月、独立戦争が勃発します。

 アルジェリア独立戦争は泥沼の様相を呈し、フランス国内の世論はFLNの独立運動を支持する側とフランスの国家的威信を優先させる側に分裂。混乱が続く中で、1958年5月13日、“フランスのアルジェリア”を支持する現地駐留軍とヨーロッパ系入植者(コロン)の暴動が発生します。アルジェリアは事実上の無政府状態となり、アルジェ駐屯落下傘部隊はコルシカ島をも占拠し、首都パリへの侵攻も現実の脅威となりましたが、第4共和国政府は有効な解決策を出せず、崩壊状態となりました。

 このため、軍部を抑えることのできる人物として、ド・ゴールが政府の要請を受けて首相に就任。9月28日に新憲法を国民投票(今回ご紹介のカバーで宣伝しているものですな)で承認させ、10月5日、第5共和政が発足しました。

 ちなみに、第5共和国憲法では、フランス連合は共和国(本国・海外県・海外領土)と共同体構成国からなるフランス共同体に改編されることになり、共同体構成国には、外交・国防・通貨・経済などの権限を除き、大幅な自治が認められることになりました。これを受けて、仏領西アフリカ連邦を構成していた各植民地も1958年中に共和国となり、“仏領スーダン”は消滅。“マリ連邦”が独立することになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 第100回ツールドフランス開幕
2013-06-29 Sat 11:04
 世界最大の自転車レースとして知られる“ツール・ド・フランス”の第100回大会が、きょう(29日)開幕します。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ツール・ド・フランス(1953)

 これは、1953年にフランスで発行されたツール・ド・フランス50年の記念切手です。
 
 “フランス一周”を意味するツール・ド・フランスは、1903年、スポーツ新聞社のロト(現レキップ)が宣伝のために開催したのが始まりで、第1回大会は、パリ郊外モンジュロンのカフェ“ルヴェイユ・マタン”の前をスタートし、パリ西郊のヴィル=ダヴレーに戻る計2428キロのコースで行われました。当時は、いかなる場合でも選手が他者の協力を得ることは禁止されていたため、選手は修理用の工具や交換用のタイヤを身につけて走っていたほか、眠る際にも選手は道路脇で眠っていたそうです。

 2度の世界大戦による中断があるため、今回ご紹介の切手が発行された1953年に行われたのは第40回大会で、このときはフランスのルイゾン・ボベが優勝しました。ちなみに、ボベはこの時の優勝を皮切りに、1955年までツール・ド・フランス史上初の総合3連覇を達成しています。

 100回目の記念大会となる今年のレースは、初めてコースになったコルシカ島をスタートし7月21日にパリにゴールするコースが設定されており、わが国からは、新城幸也(ヨーロッパカー)が出場します。新城は、これまで、2009年、2010年、2012年の3大会に出場し、いずれも完走しました。これまでの成績は、2012年の84位完走、ステージ別では2009年の第2ステージ5位が最高ですが、今回は、一つでも順位が上がると良いですね。

 なお、自転車切手といえば、1900年にマフェキングで発行された暫定切手が有名ですが、こちらについては、拙著『喜望峰』で詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら是非ご覧いただけると幸いです。
 

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 ナルヴィクでチーズ大炎上
2013-01-23 Wed 21:31
 ノルウェー北部ナルヴィク近郊のトンネルで17日、トラックに積まれていた約27トンのチーズが炎上。火災そのものは21日に鎮火、死傷者はなかったものの、現在なおトンネルは閉鎖されているそうです。というわけで、ナルヴィクといえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

        ナルヴィク

 これは、1952年にフランスが発行したナルヴィクの戦いの記念切手で、フランス・ノルウェー両国旗に挟まれた戦闘のモニュメントが描かれています。

 ナルヴィクはノルウェー北部の不凍港で、スウェーデンの鉄鉱石をドイツへ輸送するための積出港として重要な意味を持っていました。

 このため、チャーチルは、ナルヴィク近郊のノルウェーの領海に機雷を設置するとともに、ナルヴィクを占領して、ドイツに対して打撃を与えるのみならず、当時、ソ連の侵攻を受けていたフィンランドを支援することを計画。1940年4月、ドイツの輸送船を攻撃するための機雷を設置するウィルフレッド作戦を開始しました。

 これに対して、ナルヴィクを確保したいドイツは、4月9日、ノルウェー侵攻のヴェーゼル作戦を開始。こうして、ナルヴィクをめぐる戦闘が本格的に始まり、イギリス軍がドイツ軍の歩兵隊を乗せた駆逐艦や船隊を破壊し、海岸線を支配する一方で、ドイツの戦艦シャルンホルストとグナイゼナウは、ナルヴィク沖でイギリス軍の撤退時に空母グローリアスを撃沈しました。

 その後、同年5月28日、ノルウェー・フランス・ポーランド・イギリスの連合軍はナルヴィクを奪還しましたが、フランス戦線での敗走が続きダンケルクからの大規模な撤退作戦を展開しなければならなくなり、6月8日、ナルヴィクからの撤退を余儀なくされました。

 連合軍の撤退後、孤立無援となったノルウェー軍は6月10日にドイツに降伏。以後、ナルヴィクはドイツ海軍の重要拠点となりましたが、ノルウェー国内では内陸部を中心にレジスタンスの闘争が続けられることになります。


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 オランド新大統領の住まい
2012-05-07 Mon 15:34
 きのう(6日)、フランス大統領選の決選投票が行われ、社会党のオランド前第1書記が現職大統領のサルコジを破って当選しました。というわけで、きょうはこの切手です、(画像はクリックで拡大されます)

        エリゼ宮

 これは、1957年にフランスで発行されたエリゼ宮の切手です。

 エリゼ宮は、建築家モレの設計により、エヴェール伯爵のために建てられた宮殿で、完成は1722年のことです。その後、 ポンパドゥール夫人やナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌの住居としても用いられました。ナポレオン1世の失脚と王政復古により1816年に王室財産に復しましたが、1848年の2月革命で第2共和国が発足すると、国民議会により大統領官邸に指定されました。

 ところが、第2共和国の初代大統領となったルイ・ナポレオンは、エリゼ宮を官邸とせぬまま、1851年にクーデターで皇帝ナポレオン3世として即位してしまいます。結局、エリゼ宮が大統領官邸として定着したのは、ナポレオン3世の失脚後に発足した第3共和国の第2代大統領マクマオン以降のことでした。

 ちなみに、オランド新大統領の就任式は今月15日の予定だそうですが、それまでにサルコジ現大統領はエリゼ宮を明け渡さなければならないということになります。選挙に負けたから仕方ないといえばそれまでですが、10日以内というのはあまりにも慌ただしくて、ちょっと気の毒な感じがしますな。

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 世界のダム:ドンゼル=モンドラゴン・ダム
2009-01-16 Fri 12:43
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の1月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手の中の世界のダム」では、今回はこの1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 ドンゼル=モンドラゴン・ダム

 これは、1956年にフランスで発行されたドンゼル=モンドラゴン・ダムの切手です。

 フランス南部のドンゼル=モンドラゴン・ダムは、その名の通り、北のドンゼルと南のモンドラゴンを結びローヌ川(フランス4大河の一つで、スイスに源流を発し、レマン湖、リヨン、アルルなどを経て地中海へと抜ける)につながるドンゼル=モンドラゴン運河に作られたダムで、幅240メートル、高さ15メートルです。

 このダムは、第2次大戦後まもないヴァンサン・オリオール政権下の1947年夏、戦後復興の一翼を担うものとして、アメリカから3300万ドルの支援を受けて着工し、1952年10月24日に完成しました。当時のインドシナの再植民地化をもくろみ、インドシナ戦争を戦っていたフランスに対して、アメリカの世論は批判的でしたが、東西冷戦という国際状況の中で共産主義の拡大を阻止するため、アメリカはフランスの戦争を経済的に支援していました。すでに、1951年の時点で、アメリカの軍事援助は5億ドルに達しています。これだけでダム15個分ですから、やはり、戦争というのはお金がかかるもんなんですね。

 さて、ダムに設けられた発電所は水力発電所としてはこの地域最大のもので、フランス南東部の主要都市リヨンの年間諸費電力量をほぼまかなうだけの発電能力があるそうです。

 また、設計を担当したアルベール・カコー(1881-1976)はフランスを代表する建築家で、ドンゼル=モンドラゴン・ダムの他にもアルプス地方・サヴォワのラ=ジロット・ダムの建設も手掛けています。


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 多謝!
 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(左の画像)が掲載されました。 こちらでお読みいただけます。また、日本郵政本社ビル・ポスタルショップでは、『年賀切手』の販売特設コーナー(右の画像)も作っていただきました。
 *写真はいずれも:山内和彦さん撮影

 夕刊フジ(イメージ)   日本郵政特設コーナー 
 
 
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 『郵趣』今月の表紙:パリUPU大会議
2008-08-31 Sun 11:22
 ご報告が遅くなりましたが、(財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』の2008年9月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 パリUPU大会議

 これは、1947年5月7日にフランスが発行した「第12回パリUPU会議」の航空切手で、パリのシテ島を西側から見た景観が取り上げられています。

 花の都・パリの名は、セーヌ川の中州のシテ島に住み着いたケルト系のパリシー人に由来するといわれており、それゆえ、シテ島は“パリ発祥の地”と呼ばれています。

 切手の画面の一番手前、島の先端部にはアンリ4世にちなむヴェール・ギャラン公園がありますが、その緑のすぐ後ろに架かっているのがポン・ヌフです。直訳すると、“新しい橋”の意味ですが、実は、パリに現存する一番古い橋です。

 その右奥には、川に面してコンシェルジュリーが見えます。この建物は、もとはフィリップ4世の宮殿でしたが、後に牢獄として使われるようになり、フランス革命の際にはかのマリー・アントワネットも投獄され、ここから引き出されて断頭台へ向かったのだとか。

 さらにその右奥には、ノートル・ダム大聖堂の二つ並んだ屋根の塔も見えます。その左側、画面中央にそびえたつ尖塔は、ゴシック建築の最高傑作として名高いサント・シャペルのものです。
 
 切手は、マリアンヌやサビーヌ、リベルテなど普通切手でもおなじみのピエール・ガンドン48歳の時の作品。ガンドンが最初に手掛けた切手は1941年に仏領ダホメーで発行されたもので、同年、本国の紋章切手にも作品が採用されています。今回ご紹介の切手は、第2次大戦後の1945年、“ガンドンのマリアンヌ”で彼の名がフランスのみならず広く世界に知れ渡るようになってから間もなくの作品で、直線的な島の街並みと宙を舞うカモメの丸みを帯びた姿のコントラストが印象的な1枚に仕上がっています。

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 テロリスト図鑑:ロベスピエール
2005-07-14 Thu 08:59
 “テロリズム”という言葉は、フランス革命時のジャコバン派による“恐怖政治(regime de la Terreur 1793年6月 - 1794年7月)が語源となっています。で、その恐怖政治の主役だったのが、今日ご紹介するロベスピエールでした。

 マクシミリアン・ロベスピエールは、もともとは弁護士で、1789年、三部会にアルトワ州の第三身分代表として参加しました。同年、革命が起こると、最左翼ジャコバン派に属して頭角を現し、国王ルイ16世の処刑問題では主導的な役割を果たしました。革命の収束をめざすジロンド派内閣と対立し、サンキュロット(職人などの労働者庶民階級)の支持を得て、1793年6月2日、国民公会からジロンド派を追放。同年7月、彼は独裁的な権力を掌握します。そして、公安委員会、保安委員会、革命裁判所などの機関を通して、“恐怖政治”を断行し、反対派を次々とギロチン台に送って粛清し、独立小生産者による共和制樹立を目指しました。1793年10~12月までの処刑者は177名です。

 しかし、革命後の混乱の中でジャコバン派の経済統制は期待された成果を挙げることがなく、ハイパーインフレが進行。また、革命で土地を得た農民や経済的な自由を求める商工業者が保守化し、ジャコバン派の独裁と恐怖政治に対する不満が強まるなかで、1794年7月27日反ジャコバン派の起こしたテルミドールのクーデターによって逮捕、処刑されました。

ロベスピエール

 さて、ロベスピエールの肖像は、1950年に、彼に処刑されたダントンら他の革命指導者とともに寄付金つき切手に取り上げられています。

 ロベスピエールに関しては、死後ながらく、恐怖支配を主導した“ルソーの血塗られた右手”とのネガティブ・イメージが強かったのですが、20世紀になると、彼個人の清廉潔白なキャラクターが見直され、恐怖政治は革命を守るための非常手段であったという再評価がなされるようになっています。切手の発行も、そうした歴史の見直しに沿って行われたものであることは間違いありません。

 7月14日のフランス革命記念日ということで、今日は、元祖“テロリスト”のロベスピエールを取り上げてみました。


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 『反米の世界史』刊行を記念した行商・即売・サイン会です。ぜひ、遊びに来てください。

  ◎ 7月16日(土) 切手のガレージセール・横浜
 (詳細は同イベントのHP をご覧ください)
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