内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ニースでテロ事件
2016-07-15 Fri 23:26
 南仏のニースで、14日夜(日本時間15日未明)、革命記念日の花火を見ていた群衆にトラックが猛スピードで突っ込むテロ事件が発生し、84人が亡くなり、18人が重体という大惨事となりました。というわけで、亡くなられた方々のご冥福と負傷者の方の一日も早い回復をお祈りしつつ、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ニースの紋章(1946)

 これは、1946年にフランスで発行された各地の紋章の切手のうち、ニース郡の紋章を取り上げた60サンチーム切手です。

 現在のニース郡の市域は、近代以前はニース伯爵領の一部でしたが、フランス革命後の1804年、住民投票によってフランス帝国への帰属を決定します。しかし、ナポレオン失脚後の1815年、パリ条約によってニースはサヴォイ家に割譲され、サルディーニャの支配下に入ります。

 今回ご紹介の切手に描かれているニースの紋章は、サヴォイ家統治時代の名残を示すもので、もともと、赤と白の色はサヴォイ家のシンボルカラー、鷲の王冠はサヴォイ王家、鷲が経っている3つの丘(島)はニース周辺のサヴォイ家の支配地を示すものでした。

 ところが、イタリア統一の過程で、サヴォイ家はイタリア王国の成立をフランスに承認してもらうため、1860年、ニースをフランスに割譲してしまいます。これに対して、イタリア統一戦争の英雄でニース出身のジュゼッペ・ガリバルディは激怒。ニースはイタリアによる失地回復の目標となります。

 第二次大戦中の1940年5月10日、ドイツ軍はフランス侵攻作戦を開始。6月10日、ドイツ軍の攻撃の前にフランス政府がパリを無防備都市と宣言して放棄してボルドーに移転すると、ドイツの勝利を確信したイタリアは、同日、英仏に対して宣戦を布告します。そして、6月22日、フランスが降伏して独仏休戦協定が結ばれると、同月24日、イタリアはフランスとヴィラ・インチーサ休戦協定を締結。マントンを併合し、伊仏国境地帯の飛び地への進駐を承認させました。

 この時設定されたイタリアの進駐領域は全体で832平方キロでしたが、これとは別に、伊仏国境からフランス側に50kmまでの地点は非武装ラインとされ、ニースも実質的にイタリアの占領下に置かれることになります。

 1943年9月8日、イタリア政府が連合国に降伏してイタリア進駐領域はフランスに返還されることになりましたが、同年12月、ニースにはドイツが進駐。このため、1944年8月30日、米軍によるニース解放まで、ニースとその周辺では連合国の空爆が行われるなどの激戦が展開されています。

 今回ご紹介の切手には、第二次大戦終結後、あらためて、ニースがフランス領であることを示す意図があったことは明白で、フランス支配の復活を踏まえて、イタリアの実質的な支配下の時代には大きく描かれていた鷲の頭上の王冠は、かなり小さなものに変更されているのがミソです。


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 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


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 パリ解放以来の人出
2015-01-12 Mon 11:41
 昨日(11日)、仏週刊紙「シャルリーエブド」襲撃など一連の事件で犠牲になった17人を追悼する大規模な反テロ行進がパリ中心部の共和国広場から東部ナシオン広場までの約3キロで行われ、オランド仏大統領や、メルケル独首相、キャメロン英首相ら50ヵ国以上の首脳をはじめ、現地報道によると、160万人以上が行進に参加しました。これは1944年8月のパリ解放以来の人出だそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・パリ解放絵葉書

 これは、1944年8月29日に行われたパリ解放の記念パレードの絵葉書に、凱旋門を描く1フラン切手を貼って、11月26日の記念印を押したモノです。

 第二次大戦中、パリはドイツの占領下に置かれていましたが、1944年8月15日、連合軍のパリへの接近に連動して、まず、パリ地下鉄、フランス国家憲兵隊、警察がストライキに突入。翌16日の郵便局員のスト突入を経て、18日にはゼネストに発展し、19日以降、共産党を中心とするレジスタンス派の武装蜂起が発生しました。

 これに対して、翌20日、ドゴールは連合軍最高司令官アイゼンハワーと会見。パリを解放するのは共産党を中心とする国内レジスタンス派ではなく、ドゴール(の自由フランス)であることを内外に誇示するため、連合軍によるパリ一番乗りの栄誉をフランス第2機甲師団に与えるよう要請。アイゼンハワーはこれを受け入れ、第2機甲師団による“パリ解放”が決定されました。

 一方、パリを失うことの政治的ダメージを憂慮したヒトラーは、焦土作戦によるパリの破壊を命じていましたが、パリのドイツ軍司令官フォン・コルティッツ将軍はこの命令を無視。8月24日にルクレール率いるフランス第2機甲師団がパリに到着すると、翌25日、フォン・コルティッツは降伏文書に調印しました。

 これを受けて、同日16時頃、ド・ゴールがパリ入城。一部のドイツ軍部隊が降伏命令を無視して抵抗を続けるなか、陸軍省の建物を訪問。パリ市庁舎に入ります。

 市庁舎では、バルコニーから共和政宣言をしたらどうかとのレジスタンスの提案を退け、「共和政はいまだかつて存在しなくなったことがない。自由フランス、国民解放委員会が相次いでこれを体現してきた。ヴィシーは常に無効であったし、いまも無効である。私自身は共和国(臨時)政府議長なのだ。共和政を宣言すべき理由があろうか」といって、パリ解放を宣言しました。

 翌26日、ド・ゴールは早速、シャンゼリゼ通りで第2機甲師団を中心とするパレードを行いましたが、この時点では、依然として市内になおドイツ軍の狙撃兵が残っており抵抗を続けていたため、銃弾が飛来して市民が慌てて地面に伏せるようなこともあったそうです。

 その後、事態が落ち着いた29日になって、あらためて米第28歩兵師団主催のパレードが行われ、米軍と自由フランス軍の車両がパリの街中を進んで行きました。今回ご紹介の葉書はこの時の様子を撮影したもので、いわゆる“(フランス史上最大といわれる)パリ解放時の人出”も、このときのようすを指しています。

 なお、パリ解放といえば、興奮した市民が“対独協力者”とみなされた女性を丸刈りにして、市中引き回しにするということもありましたな。一連の事件をきっかけに、フランス国内では反イスラム感情が噴出し、“報復”と称して、事件とは何ら無関係の善良なムスリムたちをターゲットに、モスクやレストランが襲撃されるなどの事件が相次いで起こっているというニュースに接すると、かつての女性の丸刈り同様の理不尽なリンチが繰り返されることのないように…と思わずにはいられません。

 
 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 コルシカの独立闘争に幕
2014-06-26 Thu 20:26
 地中海に浮かぶコルシカ島でフランスからの独立を求めて武力闘争を続けてきたコルシカ民族解放戦線(FLNC:Front de la Liberation Nationale de la Corse)が、きのう(25日)、40年近くにわたって続けてきた武力闘争を放棄すると発表しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・コルシカの紋章

 これは、1946年にフランスで発行された各地の紋章の切手のうち、コルシカ島を管轄するコルス県の紋章を取り上げた10サンチーム切手です。ちなみに、当時の旧コルス県は1975年に島の南半分を占めるコルス=デュ=シュド県と北半分の オート=コルス県に分割されています。分割に先立つ1970年には、コルシカ島全域を管轄する自治体としてコルス地域圏が設置されましたが、これは、1991年に現在のコルス地方公共団体に改組されています。

 さて、18世紀初頭までのコルシカ島はジェノヴァ共和国の支配下にありましたが、1729年12月、徴税を巡るトラブルから農民反乱が発生。翌1730年、コルシカ側は革命評議会を召集し、3名の代表がジェノヴァと交渉して事実上の独立を勝ち取ります。その際、独立後の政体として王制が良いとされ、ハプスブルク家のカール6世(スペイン王にして、ナポリシチリア、サルディニアの王も兼ねていました)にコルシカ王位に就くことを依頼したものの拒絶され、さらに、コルシカ王になると名乗りを上げてきたテオドール・ド・ノイホフは、実際にコルシカ島に上陸すると、その貧しさに失望して逃走してしまいました。

 こうした混乱を見たフランスは、1737年、地中海の要衝であるコルシカを制圧すべく軍事干渉を開始。以後、コルシカ占領を狙うフランス軍とこれに抵抗するコルシカ側との戦闘が断続的に続きましたが、1769年、フランスがコルシカ全島を制圧。コルシカ側の指導者であったパスクワーレ・パオリは亡命を余儀なくされ、翌1770年、コルシカ島はフランス領となりました。ちなみに、今回ご紹介の切手の紋章は“ムーア人の頭”と呼ばれており、パオリを首班とするコルシカ共和国の旗にも用いられていたデザインです。

 こうした歴史的経緯に加え、コルシカ島内では、フランス語に加え独自のコルシカ語が用いられていることもあり、コルシカ内ではフランスからの分離を求める勢力が、常に、一定数存在していました。

 今回、武装闘争を放棄したFLNCは、1975年8月、自治主義勢力のピエ・ノワールとフランス治安当局との間で衝突が生じ、ピエ・ノワールが非合法化されたことをきっかけに、翌1976年に設立された過激派組織で、島内でフランス関連の施設などを標的にした爆破や強奪、襲撃といったテロ事件を起こしています。

 これに対して、フランス当局は1982年に地方分権政策の一環としてコルシカ地域議会を設置。これにより、コルシカの自治拡大は要求するものの、フランスからの独立までは考えていなかった一般のコルシカ住民は満足し、FLNCは急速にその求心力を失うことになります。追いつめられた彼らは、1997年には銀行や政府機関を狙った連続爆破事件を起こしたほか、1998年には当時の知事を暗殺するなど過激化したため、フランス政府は厳しい取り締まりを実施。2003年にはFLNCの分派が武力闘争の放棄を発表したものの、その後も散発的にテロが続けられていました。

 ちなみに、コルシカ島といえば、なお、皇帝ナポレオン・ボナパルトの出身地として有名ですが、彼の父親であったシャルル・マリ・ボナパルトはパオリらの独立派に対しては批判的な親仏派の人物で、フランスによるコルシカ領有後、最初の総督として派遣されたマルブフとも個人的な親交を結んでいました。そのことによって、ボナパルト家はフランス貴族の身分を獲得。息子のナポレオンもフランス国籍を持ち、フランス本土の士官学校への入学資格を与えられたというわけです。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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