内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手でひも解く世界の歴史(2)
2017-04-27 Thu 07:51
 本日(27日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、先日、第1回投票があったフランス大統領選挙(第2回投票は5月7日)にちなんで、こんな話をする予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      ナポレオン3世(共和制)

 これは、第2共和政末期の1852年にフランスで発行されたナポレオン3世の25サンチーム切手で、国名が“フランス共和国”を意味する“REPUB FRANC”となっています。

 フランス共和国大統領、Président de la Républiqueという職名の国家元首が生まれたのは、1848年に始まる第2共和政の時代のことです。

 1848年の革命で第2共和政が発足した当初、フランスの国家元首の職名は、“臨時政府主席(Chef du gouvernement provisoire、2月24日-5月9日)”でした。ついで、行政権委員会議長(首相。Président de la Commission exécutive、5月10日-6月24日)、フランス国主席(首相兼任、Chef de l’État français、6月28日―12月20日)を経て、12月10日に行われた大統領選挙を経て、同20日、共和国大統領(Président de la République)となります。

 ちなみに、第1回の大統領選挙に立候補したのは、カヴェニャック将軍、ラマルティーヌ、ルドリュ=ロラン、ラスパーユ、シャンガルニエ将軍、そしてルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)でした。

 後にナポレオン3世を名乗るシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトは、皇帝ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)の弟、ルイ・ボナパルトと、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの連れ子、オルタンス・ド・ボアルネの3男として、1808年、パリで生まれました。皇帝の甥として優雅に暮らしていた彼は、伯父の失脚後、母親のオルタンスとともに亡命生活を余儀なくされ、ドイツ・イタリアを転々とした後、スイスで少年時代を過します。

 血は争えないというべきか、20歳前後の彼はギリシャ独立戦争に参加しようとしたり、スイスのトゥーンにある砲兵学校で軍事訓練を受けたりしていましたが、1830年のフランス7月革命を機に帝政復活の野望に目覚めてしまいます。

 この年、彼は避暑のためイタリアを訪問。ナポレオン1世の支配が崩壊した後のイタリアは、オーストリアとローマ教皇の影響力が強い分裂国家の状態にあり、これに反発する秘密結社のカルボナリが各地で一揆を起こしていました。「伯父がいなくなったからこのザマだ」と憤慨したルイ=ナポレオンは、兄とともにカルボナリの活動にコミットし、その結果、オーストリアの官憲から追われる身となります。さらに、1832年には、従弟の“ナポレオン2世”(ナポレオン1世とハプスブルク=ロートリンゲン家のマリー・ルイーズ皇后の子)が若くして病死したこともあって、ルイ=ナポレオンは伯父の後継者になることを固く決意するようになりました。

 その第一段階として、1836年10月、ルイ=ナポレオンはストラスブールのフランス軍駐屯地で、砲兵第4連隊に呼びかけて7月王制打倒の一揆を試みます。“ナポレオンの甥”を名乗れば部隊はひれ伏すと考え、ほとんど準備らしい準備もせずに行なわれた一揆は、当然のことながら瞬時に鎮圧され、逮捕された彼は米国に追放されました。

 その後、ロンドンに移り住んだ彼は、1840年8月、英仏海峡の港町ブローニュでも第24歩兵連隊に呼びかけての一揆を試みますが、やはり失敗。今回は、前回のように“性質の悪い冗談(本人は大真面目でしたが)”ではすまされず、彼は終身禁固の判決を受けて北フランスのアム要塞に収監されました。しかし、1846年に出入りの職人に変装して脱獄に成功した彼は、再びロンドンに渡り、莫大な財産を蕩尽して恋と革命に熱中する生活を続けます。

 そうしているうちに、1848年、2月革命が勃発。7月王制は打倒され、第2共和制が発足すると、社会的安定を求める国民の間に根強いナポレオン神話を背景に補欠選挙で議員に当選。晴れて、政界デビューを果たしました。

 同年末、フランスは初めての大統領選挙を実施し、ルイ=ナポレオンもこれに立候補しました。玄人筋の予想では、大本命はカヴェニャック将軍でルイ=ナポレオンは泡沫候補扱いでしたが、フタをあけると、日本のタレント候補同様、“ナポレオン”ブランドの力で彼が圧勝。ルイ=ナポレオンはフランス共和国の初代大統領になったわけです。

 もっとも、大統領にはなったものの、政治家一年生で権力基盤のなかった彼は、議会の反対で自分の思い通りの政策を実現することができなかったこともあり、1851年12月、クーデターを起こして議会を解散して有力議員を逮捕。翌1852年には偉大なる伯父の先例にならって、国民投票を経て皇帝ナポレオン3世として即位し、帝政復活の彼岸を果たしました。

 ところで、フランス最初の切手は1849年に発行されました。最初の切手のデザインは、豊穣の女神“セレス”でしたが、1852年には今回ご紹介のナポレオン大統領の肖像を描く切手が登場します。ところが、その直後に、ナポレオン3世がクーデターを起こして皇帝として即位したため、肖像部分はそのままに、国号を“フランス共和国”から“フランス帝国”に変更した切手が登場することになります。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は27日! ★★★ 

 4月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第2回目が放送予定です。今回は、23日のフランス大統領選挙の第1回投票と5月7日の決選投票の間の放送ということで、フランスの初代大統領と切手についてのお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


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      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 奇跡の出来栄え
2005-11-17 Thu 15:32
 今日はボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、“収穫”に関するフランス関連のマテリアルということで、こんな1枚を引っ張り出して見ました。

スペラッティのセレス

 フランス最初の切手は1849年に発行されました。デザインは豊穣の女神セレスです。セレスを描いた最初のシリーズは1849年から翌1850年にかけて発行されましたが、このうち、黄緑色の15サンチーム(100サンチーム=1フラン)は1850年の発行で、手元の古いスコット・カタログによると未使用で8500ドル、使用済みで875ドルという評価がついています。

 こういう風に書くと、上の画像がそのセレスの15サンチーム切手のように見えてしまうんですが、実は、これはホンモノの切手ではありません。とはいっても、凡百のニセモノではなく、稀代の天才“切手模造家”として名をはせたジャン・ド・スペラッティの“作品”です。

 スペラッティは、1884年、中部イタリアのピストイアに生まれました。もともと、模写の際にすぐれていたことに加え、化学や写真の知識が深かった彼は、切手商でもあった兄の影響から切手収集にも関心を持ち、切手の模造に手を染めるようになったといわれています。

 彼の模造は、1942年、彼の“作品”がフランス税関によって摘発されたことで明るみに出ました。すなわち、スペラッティの精巧な“作品”を高価な切手の真正品と誤解した税関側が、それらに課税しようとしたところ、彼は自分が“作品”をつくったことを主張。裁判の過程で、彼の“作品”は何度か真正品との鑑定が下されますが、彼は摘発を受けたものと同じ模造品を再度作成して裁判所に提出。結局、1948年になって、彼の“作品”は精巧な模造品であることが認められました。

 彼の“作品”は、たとえば、模造のターゲットとなった切手と同時代の安価な切手の印面を拭い去るなどの方法で同時代の用紙を調達した上で、デザインや刷色を精巧に模写し、さらに、必要があれば、ホンモノそっくりの消印まで押すという代物でした。結局、350点以上にも及ぶスペラッティの“作品”は、1954年、今後新たな“作品”を作らないという条件で、英国郵趣協会が引き取っていますが、その精巧な出来栄えゆえに、名のあるニセモノとして収集家のマーケットでは決して安くはない値段で取引されています。

 今回、ご紹介している切手も、そうしたスペラッティの“作品”の一つで(裏面には彼のサインが入っています)、真正品に比べてマージンが広いことを除けば、見事な出来栄えです。

 今年のワインはできの良さから“奇跡のヌーボー”とされているそうですが、さてさて、スペラッティの“作品”同様、ほんとうに奇跡の出来栄えを味わうことが出来るのかどうか、仕事が終わった後の夕食の時間が待ち遠しくてなりません。
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