内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 HAPPY NOVRUZ!
2015-03-21 Sat 09:55
 今日(21日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

       アゼルバイジャン・ノウルーズ

 これは、1998年にアゼルバイジャンで発行されたヨーロッパ切手で、アゼルバイジャンの伝統的な祝祭として、ノウルーズが取り上げられています。ノウルーズのアラビア文字表記はنوروز ですが、これをペルシャ語とみた場合、そのラテン文字への転写は、nowruz とするのが一般的です。ただし、アゼルバイジャンの公用語であるアゼルバイジャン語では、今回ご紹介の切手に見られるように、novruz とするのがスタンダードですので、記事のタイトルも v を使ってみました。

 ご承知のように、イスラム世界では預言者ムハンマドと信徒たちがメッカからメディナに移住し、イスラムの共同体を作った“ヒジュラ”のあった年を紀元とするヒジュラ暦が使われています。

 このヒジュラ暦は完全太陰暦で、かつての日本の旧暦のように閏月を入れて調整するということは行われていませんから、毎年、11日ずつ、太陽暦の日付とズレが生じます。 この点について、ムスリム(イスラム教徒)たちは、信徒の義務であるラマダン月(ヒジュラ暦の9月)の断食が、毎年、少しずつ季節を移動していくことによって、地域ごとの断食の負担の格差が是正されるメリットがあると説明しています。たとえば、ラマダン月が真冬の時期に当たると、熱帯の国では比較的楽に断食が行えますが、寒冷地域の断食は非常に厳しいものがあります。逆に、ラマダン月が真夏にぶつかると、熱帯と寒冷地域では、その負担の重さは逆転します。

 したがって、全世界の信徒にとって、断食の負担の平準化を図るためには、ラマダン月が毎年季節を移動していくことは良いことであり、それゆえ、ヒジュラ暦は調整なしの完全太陰暦なのだ、というロジックが導き出されることになります。

 とはいえ、いくら宗教的に重要な意味があるとはいえ、毎年、暦の日付と季節がずれていけば、農作業などでは不便も多く生じます。このため、イスラム世界の各地では、イスラム暦とは別に、太陽暦に連動した農事暦が用いられることも多く、イランの場合は、イスラム以前から使われていたイラン暦として春分を元日とした太陽暦も用いられています。

 この元日が、いわゆる“ノウルーズ”(直訳すると“新しい日”の意味)と呼ばれるもので、イランを中心に中央アジアの5共和国でも祝日になっているほか、トルコでもクルド人に対する宥和政策の一環として国民の休日になっていますが、イスラム圏全体に共通の行事ということではなく、アラブ世界ではほとんど無視されているよいようです。ちなみに、イスラム世界全体としては、イスラム教徒としての新年はヒジュラ暦のムハラッム月(第1月)1日に祝うのが主流ですが、こちらは上述のように年によって季節は一定していません。

 アゼルバイジャンは旧ソ連を構成する共和国の一つでしたが、ソ連時代にはノウルーズの行事も“迷信”として廃されていました。しかし、1991年の再独立後は復活し、現在では、人々が広場に集まってともに伝統料理を食し、歌や踊り、鍬入れの儀礼などが行われています。

 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


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 世界の国々:アゼルバイジャン
2015-01-07 Wed 12:00
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年1月7日号が、昨年末に刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はアゼルバイジャンを取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ホジャリ大虐殺

 これは、1997年にアゼルバイジャンで発行されたホジャリ大虐殺5周年の小型シートです。

 アゼルバイジャン西部のナゴルノ・カラバフの地域は、第一次大戦まで帝政ロシアの支配下に置かれていました。

 1917年のロシア革命を経て、1918年5月、アルメニアとアゼルバイジャンが相次いで独立を宣言。その際、ムスリム国家アゼルバイジャンの領域内にありながら、キリスト教徒のアルメニア人が多数居住している“飛び地”のナゴルノ・カラバフをめぐりアルメニアとアゼルバイジャンが対立。1920年、両国は赤軍の進駐により崩壊し、翌1921年、ロシア革命政府はナゴルノ・カラバフを“自治州”としてアゼルバイジャンに帰属させました。

 1922年末に成立したソ連ではアゼルバイジャンとアルメニアをともに連邦を構成する社会主義共和国となり、ナゴルノ・カラバフ問題も棚上げとなります。しかし、1985年以降、ゴルバチョフの下でソ連のペレストロイカ改革が進むと、ナゴルノ・カラバフのアルメニア人は自治州のアルメニアへの編入を請願。ゴルバチョフはこれを拒否しましたが、1988年2月、自治州政府は公式にアルメニアへの移管を要請。さらに、2月22日、ナゴルノ・カラバフのアスケランで起きたアゼルバイジャン人青年の殺害事件を機に、対立は一挙に暴力化しっます。6月15日には、アルメニア共和国最高会議がナゴルノ・カラバフ自治州の自国への移管を決議すると、翌16日にはアゼルバイジャン共和国最高会議がこれを否認する決議を採択し、ソ連の枠内での内戦に発展しました。

 1991年、ソ連は崩壊し、アルメニアとアゼルバイジャンは再独立。ナゴルノ・カラバフ紛争は内戦から国際紛争になり、1992年1月6日には“ナゴルノ・カラバフ共和国”の独立が宣言されました。その直後の同年2月、アルメニア人過激派がアゼルバイジャン系住民600人以上を殺害したとされる“ホジャリ大虐殺”が起こります。今回ご紹介の切手は、この事件から5周年に際して、あらためてアルメニア側を非難する目的で発行されたものです。

 さて、国際社会はナゴルノ・カラバフ共和国を承認しませんでしたが、戦況はアルメニア有利に展開され、1994年5月12日には停戦が成立。ナゴルノ・カラバフ共和国は事実上、アゼルバイジャンの統制が及ばない“独立国”となり、アルメニア側は、ナゴルノ・カラバフとアルメニア本国を連結する形で旧自治州の領域を越えてアゼルバイジャンの領土を占領し、実行支配下に置き続けています。

 さて、『世界の切手コレクション』1月7日号の「世界の国々」では、アゼルバイジャン近現代史の概説のほか、伝統的な新年の行事や同国の石油産業、初代大統領アリエフトゥーレ、カスピカイアザラシの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の1月14日号では、「世界の国々」はギニアビサウを特集していますが、こちらについては、来週水曜日に、このブログでもご紹介する予定です。 


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 アゼルバイジャン大統領3選
2013-10-10 Thu 10:14
 カスピ海西南の油田地帯に位置する小国・アゼルバイジャンで、昨日(9日)、大統領選挙が行われ、即日開票の結果、前大統領の息子で2期目のイルハム・アリエフ大統領が得票率84.73%で3選を果たしました。というわけで、アゼルバイジャンの切手からこの1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       アゼルバイジャン・20コペイカ再版

 これは、アゼルバイジャン民主共和国(ミュサヴァト政権)が1920年に発行した20コペイカ切手で、国旗を持つアゼルバイジャン兵が描かれています。

 1813年に帝政ロシアに併合されたアゼルバイジャンは、1917年のロシア革命の混乱の最中、オスマン帝国によって占領されましたが、第一次大戦でオスマン帝国が敗れると、イギリス軍に占領されます。アゼルバイジャン人の民族主義政党ミュサヴァト(ムサヴァト、ムサワトとも)党は、これら占領軍の支援を受けて、1918年5月にアゼルバイジャン民主共和国の独立を宣言しました。しかし、1920年4月の赤軍の侵攻により、首都バクーが陥落。アゼルバイジャン民主共和国は約2年でその幕を下ろすことになります。

 この間の1919年10月、ミュサヴァト政権は、同時期のグルジア切手とほぼ同じ白紙に石版で印刷した独自の切手(第1切手)を発行しました。その後、1920年4月にアゼルバイジャンを占領した赤軍は、廃棄されていた第1次切手の石版を再利用して、新聞用紙に印刷した切手(第2次切手)を発行します。今回ご紹介している切手は、そのうちの第2次切手の1枚です。

 アゼルバイジャンのこの時期の切手は、昔のマッチのラベル風の素朴な味わいがなんともいえず、単純に集めていて楽しくなります。ただし、消印データの読める使用済や実逓カバーの入手は滅多にない上、加刷によって値段がべらぼうに跳ね上がるものには偽物がうようよしていますので、あんまり深入りすると火傷しそうなので、いまいち腰が引けているのですが…。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 ビンラディン殺害
2011-05-03 Tue 11:22
 きのう(2日)、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビンラディンが、パキスタンのアボタバードで米軍により射殺されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アゼルバイジャン・テロとの戦い

 これは、2002年、アゼルバイジャンが発行した「テロとの戦い」の小型シートで、同時多発テロで炎上する世界貿易センタービルを背景にアゼルバイジャン国旗と星条旗、それに、反テロを示す握りこぶし状の地球が描く切手が収められています。

 同時多発テロ事件に関しては、事件発生当初からアメリカはビンラディンを容疑者と断定し、ビンラディンの身柄引き渡しを拒否したことを理由に、彼の潜伏先であったアフガニスタンを空爆し、タリバン政権を崩壊に追い込みました。

 僕はビンラディンの主義主張や行動を支持するわけではありませんし、一部の人たちが主張するように同時多発テロ事件がアメリカの自作自演だったという陰謀説に与することもありません。ただ、ビンラディンが同時多発テロの首謀者であるとアメリカが主張するのであれば、やはり、彼を殺害するのではなく、身柄を拘束したうえで裁判にかけ、物証をもとに、テロ事件において彼が果たした役割をきちんと立証し、しかるべき判決を下すべきだったと思います。

 事件直後にアメリカが“証拠”として公開したビデオテープでは、実は、ビンラディンは事件を事前に知っていたわけではなく、飛行機がビルに突っ込んだらどうなるかという仮定の話をしているだけですから、証拠としては決定的なものとはなりませんし、事件から3年後の2004年に公開された本人と思しき人物による“犯行声明”も所詮は“声明”ですから、証拠としては弱いでしょう。ビンラディンが事件の首謀者であることは、僕も間違いないと思いますが、そうであればこそ、一点の疑念も生じさせない確実さと慎重さが求められるのではないでしょうか。

 その意味では、今回の一件は事件の真相を明らかにする機会が永遠に失われたのは誠に残念なことです。特に、約40分間続いた銃撃戦では、オサマと彼の息子、身の回りの世話をする男性2人、「盾」になった女性1人の計5人が死亡し、女性2人が負傷したものの、米側には負傷者がなかったというのですから、少なくともビンラディンを生きて拘束することは十分に可能だったのではないかと考えずにはいられません。

 また、ビンラディンが殺害されたとして、いわゆるイスラム原理主義者たちによる反米テロの根本的な要因が解決されたわけではありませんから(たとえば、現在でも、イスラムの聖地メッカ・メディナがあるアラビア半島に米軍が駐留していますし、イスラム世界の人々が欧米のダブルスタンダードに対して抱いている不信感は払拭されていません)、これで各地の反米テロが収まるということは、とうてい考えられません。むしろ、彼らの認識では、欧米でテロと呼ばれている行為は“侵略者に対する自衛のための抵抗運動”ということになるわけですから、ビンラディンが殉教者に祭り上げられ、かえって報復テロを激化させる可能性があることは十分に留意しておくべきでしょう。

 さらに、今回の急襲作戦では、アメリカ政府は機密保持を徹底し、パキスタン政府には作戦終了後に説明したということですが、そうなると、米軍は主権国家であるパキスタンに勝手に乗りこんで、パキスタンの主権を無視して軍事・警察活動を行ったということになりますな。パキスタンも、政府はともかく、国民の間には潜在的に反米感情が根強いですからねぇ。結果的に、パキスタン政府も米軍の行動を追認せざるを得ないでしょうが、今後の動向がちょっと気になるところです。

 いずれにせよ、アフガニスタン空爆やイラク戦争、今回の一件に見られるような強引さが、結果的に、各国の反米感情を醸成する素地となっている面があるのは間違いありません。いい加減、アメリカ自身もそのことに気がついてほしいものです。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・5月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。最新作の『切手百撰 昭和戦後』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。

 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

        切手百撰・昭和戦後
         切手百撰 昭和戦後
       平凡社(本体2000円+税) 

  視て読んで楽しむ切手図鑑!
 “あの頃の切手少年たち”には懐かしの、
  平成生まれの若者には昭和レトロがカッコいい、
  そんな切手100点のモノ語りを関連写真などとともに、オールカラーでご紹介

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 暫定×石油
2008-03-31 Mon 23:55
 国会で与野党が激しく対立していた揮発油(ガソリン)税の暫定税率をめぐる問題は今日(31日)、打開策を見いだせないまま期限切れを迎えました。というわけで、今日は暫定×石油というキーワードで、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 アゼルバイジャン暫定加刷

 これは、1922年、ソヴィエト政権下のアゼルバイジャンで発行された切手で、同国の油田地帯を描いた3000ルーブル切手に額面5万ルーブルの改値加刷を施した暫定切手です。

 カスピ海西南の油田地帯に位置する小国・アゼルバイジャンは、1813年に帝政ロシアに併合されましたが、1917年のロシア革命の混乱の最中、オスマン帝国によって占領され、第一次大戦でオスマン帝国が敗れると、イギリス軍に占領されます。

 アゼルバイジャン人の民族主義政党ミュサヴァト(ムサヴァト、ムサワトとも)党は、これら占領軍の支援を受けて、1918年5月にアゼルバイジャン民主共和国の独立を宣言しますが、1920年4月の赤軍の侵攻により、首都バクーが陥落。アゼルバイジャン民主共和国は約2年でその幕を下ろし、ソヴィエト政権の時代が幕を開けることになりました。

 当初、赤軍はミュサヴァト政権時代の切手の原版を再利用して切手を印刷し、使用していましたが、1921年10月1日以降、“アゼルバイジャンソヴィエト社会主義共和国“名でオリジナルデザインの切手を発行し始めます。しかし、革命後の混乱の中、ハイパーインフレが進行したため、次第に正刷切手の発行が追い付かなくなり、1922年以降、以前発行した切手に必要な額面を加刷した暫定的な切手が使われるようになりました。

 アゼルバイジャンの油田地帯を描く切手は、1921年10月に5ルーブル切手が発行されましたが、翌1922年1月には、ハイパーインフレに対応して3000ルーブル切手が発行されます。さらに、同年中に、この3000ルーブル切手にナンバリングの機械を用いて5万ルーブルの加刷を施したのが今回ご紹介の切手というわけです。なお、今回ご紹介のモノに関しては、ナンバリングがうまく打てなかったのか、2重加刷になっているのがミソです。

 その後、アゼルバイジャンは、1922年末のソ連結成に伴い、ザカフカス・ソビエト連邦社会主義共和国の一部に組み込まれ、1936年以降はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国として、以後、1991年8月に独立を回復するまで、ソビエト連邦を構成する共和国の一つにされてしまいました。

 アゼルバイジャンのこの時期の切手は、昔のマッチのラベル風の素朴な味わいがなんともいえず、単純に集めていて楽しくなります。ただし、消印データの読める使用済や実逓カバーの入手は滅多にない上、加刷によって値段がべらぼうに跳ね上がるものには偽物がうようよしていますので、あんまり深入りすると火傷しそうですが・・・。

 さて、暫定税率の失効で明日(4月1日)からガソリンの値段は一時的に下がることになりそうですが、原油の値段そのものが下がっているわけではありませんから、むしろその他の生活用品なんかは値上がりするものも多く、頭の痛いところです。ハイパーインフレというのは、切手やカバーのコレクションを楽しむ分にはいいのですが、自分がその当事者となるのは勘弁してほしいですからねぇ。
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 1フレーム展
2006-07-14 Fri 23:07
 週末の15~16日の2日間、東京・目白の切手の博物館で、(財)日本郵趣協会の登録審査員による1フレーム展(難しいことをいうといろいろあるのですが、まぁ一言で言えば、切手の専門家によるミニコレクションの展示会、とお考えください)が開催されます。

 今回、僕はカスピ海西南の小国、アゼルバイジャンの切手のミニコレクションを出品しています。その中の1リーフをサンプルとして、ご紹介してみます。(画像はクリックで拡大されます)

アゼルバイジャン・リーフ

 1813年に帝政ロシアに併合されたアゼルバイジャンは、1917年のロシア革命の混乱の最中、オスマン帝国によって占領され、第一次大戦でオスマン帝国が敗れると、イギリス軍に占領されます。アゼルバイジャン人の民族主義政党ミュサヴァト(ムサヴァト、ムサワトとも)党は、これら占領軍の支援を受けて、1918年5月にアゼルバイジャン民主共和国の独立を宣言しました。しかし、1920年4月の赤軍の侵攻により、首都バクーが陥落。アゼルバイジャン民主共和国は約2年でその幕を下ろすことになります。

 この間の1919年10月、アゼルバイジャンのミュサヴァト政権は独自の切手を発行します。このときの切手(第1次切手)は同時期のグルジア切手とほぼ同じ白紙に石版で印刷されていました。その後、1920年4月にアゼルバイジャンを占領した赤軍は、廃棄されていた第1次切手の石版を再利用して、新聞用紙に印刷した切手(第2次切手)を発行します。このとき、版面の損傷により印面にさまざまなバラエティが生じたこともあり、版の構成がある程度解明されていて、パズル感覚でリコンストラクションを楽しむことができます。

 今回の展示では、ミュサヴァト政権の第1次切手と第2次切手をまとめたもので、画像のリーフ(第2次切手の60コペイカ切手をまとめたものです)のように、版面のバラエティを中心に整理してみました。

 去年・一昨年と2年にわたって雑誌『郵趣』で「月々5000円からのコレクションつくり」という連載で、実際に女性コレクターに1フレームのコレクションを作ってもらったのですが、その裏番組として、僕が個人的に作ってみたのが、今回のコレクションです。

 収集期間は約1年半(中断期間もあるので、実質1年弱でしょうか)、総コスト約5万円で、その内訳は、切手に約4万円、文献に約1万円といったところでしょうか。切手の入手先は、主としてebayとraritan stamps(ロシア関係に強いアメリカのオークション会社)です。

 今回のコレクションのそもそもの発端は、平凡社の『中央ユーラシアを知る事典』で“通信”の項目を担当した時、図版用に1920年前後のアゼルバイジャン切手のアキュムレーションをraritan stampsから手に入れたことにあります。昔のマッチのラベル風の小洒落た切手なので、なんとなく、気になっていたのですが、その後、R.J.CeresaのThe Postage Stamps of Russia, 1917-1923のアゼルバイジャンの部がebayで売りに出ていたのを見つけましたので、早速手に入れて、それを片手に、関連する文献やそのコピーを集めつつ、ポツポツ、ブロックなどを買い足していきました。この時期のアゼルバイジャンの切手は、消印データの読める使用済や実逓カバーの入手は容易ではありませんが、未使用切手は安価で容易に入手できますので、製造面に限定して、今回のようなかたちでまとめてみたというわけです。

 お金と時間をあまりかけなくとも、とりあえずリーフを丁寧に作ると、それなりに格好がつくものだという一つのサンプルとして展示していますので、見に来ていただいた方が「この程度なら自分にもできそうだから、秋の<JAPEX>に出品してみるか」と思っていただけたら、僕としては万々歳の気分です。

 なお、会期中は、<JAPEX>の審査員メンバーが常に誰かしら会場にいます。僕も、15日(土曜日)の午後2時過ぎ頃から会場にいる予定ですので、是非、お運びいただけると幸いです。

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 アゼルバイジャン
2006-03-11 Sat 23:52
 ニュース・サイトに、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領が来日して小泉首相と会談し、日本の国連安保理常任理事国入りへの支持を明記した共同声明に署名したとのニュースが小さく出ていました。

 というわけで、アゼルバイジャン・ネタとして、こんな1枚を引っ張り出してみました。

アゼルバイジャン切手

 この切手は、ロシア革命後の1919年にアゼルバイジャン民主共和国が発行した切手で、首都バクーの旧市街を取り囲む(ユネスコの世界遺産)が取り上げられています。(画像はクリックで拡大されます)

 カスピ海の西南岸に位置するアゼルバイジャンは、近代以前は、おおむねペルシアの支配下にありましたが、19世紀に帝政ロシアに征服されました。その後、アゼリー(アゼルバイジャン人)は、ロシア革命後の混乱に乗じ、1918年5月にアゼルバイジャン人民共和国を樹立することに成功します。アゼリーたちは、当初はオスマン帝国の、オスマン帝国が第一次大戦に敗れた後はイギリスの支援を得て国家建設を行い、ベルサイユ講和会議には代表団も送っています。

 今回ご紹介しているのは、この時期に新生アゼルバイジャンの切手として発行された1枚ですが、マッチのラベルみたいな素朴な感じがお洒落で、結構お気に入りの一枚です。

 もっとも、バクーという一大油田地帯を抱える国をモスクワ政府が放っておくはずがなく、1919年8月、イギリス軍が撤退すると、1920年、ボリシェヴィキ政権は赤軍をバクーに侵攻させて共和国を解体し、ソヴィエト政権を樹立してしまいます。そして1922年末のソ連結成に伴い、ザカフカス・ソビエト連邦社会主義共和国の一部に組み込まれ、1936年以降はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国として、以後、1991年8月に独立を回復するまで、ソビエト連邦を構成する共和国の一つにされてしまいました。

 さて、今回来日した大統領は、イルハム・アリエルは、2003年に父親のヘイダルから権力を委譲された2代目です。

 中央アジアの旧ソ連地域では、概して強権的な独裁体制を取る国が多いので、プロパガンダに興味を持っている人なら、けっこう楽しめるネタには困らないかもしれません。ただし、こうした国々に関しては、どこぞのエージェントが政府に無断で作っているインチキ切手(ハリウッドのスターやスポーツ選手などが取り上げられているものなど)が多く、実際の郵便にはどんな切手が使われているのか、よく分からないのが実情です。この辺をクリアできると、いろいろと面白いものも見えてくるんでしょうけれど…。

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