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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の切手:東アフリカ郵便連合
2018-11-21 Wed 02:56
  ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年10月24日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は、ケニア・ウガンダ・タンガニーカの東アフリカ郵便連合(以下、KUT)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      KUT・タンザニア混貼カバー

 これは、第一次東アフリカ崩壊後の1978年3月8日、KUT切手とタンザニア切手を混貼してタンザニアのムワンダからオーストリア宛に差し出された航空便です。

 近代以前の東アフリカのインド洋沿岸部はザンジバルの支配下に置かれていましたが、1840年代以降、ザンジバルのスルターンの保護の下にヨーロッパ人宣教師がモンバサの海岸周辺から内陸に向かって入植するようになりました。

 1872年、スコットランド出身のウィリアム・マッキノン率いる英領インド汽船会社(BI)がザンジバルへの航路を開設。これを機に、同社はアフリカ大陸内陸への進出を計画します。

 1884-85年のベルリン会議では、アフリカ分割の原則として、沿岸部を領有した国には後背地の領有権が認められました。これを受けて、すでに1884年にブルンディを植民地化していたドイツは、1886年、東アフリカ南部の領有を企図して、ザンジバルに艦隊を派遣。これに対して、ザンジバルは英国に支援を要請し、英国も派兵したため、フランスを交えた3国の協議の結果、同年、東アフリカ南部(現在のタンザニアの大陸部分に相当する地域)をドイツ領とし、北部(現在のケニアに相当する地域)を英領とすることで決着が図られています。

 こうして東アフリカに植民地を得た英国でしたが、当時は国策としてアフリカ大陸南部の権益確保に注力していたため、東アフリカに目を向ける余裕は乏しく、マッキノンのBIがアフリカ東部でのイギリスの勢力圏建設を担当。そこで、マッキノンは1888年、勅許会社の英東アフリカ会社(IBEA)を設立し、ヴィクトリア湖北岸のブガンダ王国の領域(現在のウガンダの領域にほぼ相当)にも勢力を拡大しました。IBEAはモンバサからヴィクトリア湖に至るウガンダ鉄道の建設や農地開発などにも着手し、1894年にはブガンダ王国を保護国化し、英領ウガンダ植民地としました。しかし、ブガンダ王国の有力者や各地の宣教師たちとの対立もあって十分な植民地経営ができず、その収支は悪化。このため、1895年7月1日、英政府は東アフリカの保護領化を宣言し、英国外務省の管轄としました。なお、この間の1890年、ザンジバルは英独間のヘルゴランド=ザンジバル条約により英保護領となっています。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されました。

 一方、英領東アフリカ植民地は、1920年、本国直轄のケニア植民地となり、東アフリカにおける英領植民地は、ザンジバル、タンガニーカ、ケニア、ウガンダの4地域体制となります。

 このうち、ザンジバルを除く3地域では、1921年、共通通貨として、英国東アフリカ通貨局(1919年創設。EACB)の発行する東アフリカ・シリングが導入され、1922年には3地域を包括する関税同盟が結成されました。

 なお、ザンジバルは歴史的にインド世界との経済的な結びつきが強かったため、1908年以来、英領インド・ルピーと等価のザンジバル・ルピーが使用されていましたが、1936年1月1日、1ザンジバル・ルピー=1½東アフリカ・シリングの交換レートで、東アフリカ・シリング圏に組み込まれます。

 第二次大戦後の1961年にはタンガニーカが、1962年にはウガンダが、1963年にはザンジバルとケニアが、それぞれ独立。独立当初、各国は植民地時代からの東アフリカ・シリングをそのまま使っていましたが、1966年、EACBの解体に伴い、ケニア、タンザニア(1964年にタンガニーカとザンジバルが統合して発足)、ウガンダの各国は、それぞれ、東アフリカ・シリングと等価の独自通貨を導入せざるを得なくなりました。ただし、その後もKUT切手は引き続き、発行・使用され続けます。

 その一方で、英領時代以来の東アフリカの政治的・経済的ネットワークの維持・発展を目指して、1967年、ジュリウス・ニエレレ(タンザニア)、ジョモ・ケニヤッタ(ケニア)、ミルトン・オボテ(ウガンダ)の3大統領は東アフリカ協力条約を締結し、タンザニアの首都アルーシャに東アフリカ共同体の本部と事務局が設置します。

 その後、1977年、ケニアとタンザニアの主導権争いや各国の国内事情などにより、共同体は事実上瓦解。1978年にはウガンダがタンザニアに侵攻して完全消滅しました。なお、1976年を最後にKUT切手は発行されなくなっていましたが、その後も、KUT切手そのものは無効とされなかったため、今回ご紹介のような混貼使用例が生まれることになりました。

 なお、2001年、地域の情勢が安定したことを受けて、ケニア、タンザニア、ウガンダの3か国は東アフリカ共同体を再結成。2005年には関税同盟が発足するとともに、2007年以降は加盟国を拡大し、現在は原加盟3国にルワンダ、ブルンジディ、南スーダンを加えた6国体制となっています。

 さて、『世界の切手コレクション』10月24日号の「世界の国々」では、KUTの歴史についての長文コラムのほか、サファリラリー、ウガンダ鉄道、マケレレ大学、タンザニア独立の父ジュリウス・ニエレレ、東京五輪の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のKUTの次は、11月7日発売の同14日号でのメキシコ、同14日発売の同21日号でのブルガリア、同21日発売の同28日号でのスリランカの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


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 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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 タンザニア、ケニアに医師500人派遣
2017-03-19 Sun 19:09
 昨年12月からの100日間に及んだ医療関係者のストライキで、医療サービスがマヒ状態になっているケニアに対して、隣国タンザニアのジョン・マグフリ大統領は、きのう(18日)、500人の医師を派遣すると発表しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ケニア・ウガンダ・タンザニア:ケニヤッタ病院

 これは、1973年12月12日、ケニア・ウガンダ・タンザニア名義で発行されたケニア独立10周年の記念切手で、ケニアの首都、ナイロビのケニヤッタ国立病院が取り上げられています。

 近代以前の東アフリカのインド洋沿岸部はザンジバルの支配下に置かれていましたが、1840年代以降、ザンジバルのスルターンの保護の下にヨーロッパ人宣教師がモンバサの海岸周辺から内陸に向かって入植するようになりました。

 1886年、ドイツがザンジバルに艦隊を派遣すると、ザンジバルからの支援要請を受けた英国も派兵。このため、フランスを交えた3国の協議の結果、東アフリカ南部(現在のタンザニアの大陸部分に相当する地域)をドイツ領東アフリカとし、北部(現在のケニアに相当する地域)を英領東アフリカとすることで決着が図られました。この時きめられた英領東アフリカの範囲は、タナ川の河口からモンバサを経てドイツ領東アフリカとの境界線までの150マイル(240キロメートル)の海岸線とその内陸部です。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されます。

 その後、1927年、英国は東アフリカのウガンダ、ケニア、タンガニーカ、ザンジバルの4地域を包括する関税同盟を結成し、同盟の域内では共通通貨として東アフリカ・シリングの使用が開始されます。これに伴い、ザンジバルを除く大陸の3地域では郵便組織も共通となり、“ケニア・ウガンダ・タンガニーカ”表示の切手がこれら3地域で使用されました。

 その後、1961年にタンガニーカが、1962年にウガンダが、1963年にケニアが、それぞれ独立した後も、各国の切手と並行して“ケニア・ウガンダ・タンガニーカ”表示の切手の発行は継続され、1964年にタンガニーカとザンジバルの統合によって現在のタンザニア国家が誕生すると、今回ご紹介の切手のように、“ケニア・ウガンダ・タンザニア”に国名表示を変更した切手が1976年初まで発行されていました。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられたケニヤッタ病院は、1901年、先住民を対象としたネイティヴ市民病院として、40床で開業しました。ちなみに、当時のケニアでは、現地在住の白人に対する医療行為は、同病院の近くにあるヨーロッパ病院(現ナイロビ病院)で行われていました。その後、1952年に宗主国の君主である英国王ジョージ6世が崩御すると、ネイティヴ市民病院はジョージ6世病院と改称されましたが、独立後は“建国の父”ジョモ・ケニヤッタにちなんで、ケニヤッタ国立病院と改称されました。現在のスタッフ数は6000人、ベッド数は1800床です。
 
 さて、ケニアでは、昨年12月、各地の公立病院で医療関係者約5000人が賃上げと労働環境の改善を求めてストライキを開始。今月14日、ケニア政府と労働側の合意が成立し、ようやくストライキが終結したものの、医師の中にはいまだに職場復帰していない者もおり、職場復帰した医療関係者は診療を待つ大勢の患者たちへの対応に追われています。

 今回のタンザニア政府による医師派遣は、タンザニア最大都市のダルエスサラームでマグフリ大統領とケニアのクレオパ・マイル保健相率いる代表団が会談した後、発表されたもので、ケニア側は派遣される医師たちに対して「所定の給与を支払い、住居を用意し、良好な環境で働けるようにする」ことになっています。
 
 まぁ、タンザニアからすれば、地続きの隣国のであるケニア国内の衛生環境が悪化すれば、自国にも深刻な影響が生じることが懸念されるわけで、事態を放置できなかったというのが正直なところでしょうが、かつての英領時代の紐帯が、こんなところで生きてくるというのもなかなか興味深い話ではあります。


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 ケニアで反密猟サミット
2016-04-30 Sat 10:40
 ケニア中部のナニュキで、きのう(29日)から、野生動物の密猟と象牙密輸の防止をテーマに、アフリカ諸国の首脳級も参加する“反密猟サミット”が始まりました。会議はきょう(30日)まで2日間の日程で、きょうは密猟根絶に向けた取り組み強化をアピールするため、ケニア国内で保管されている象牙100トン以上が一斉焼却処分される予定だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ケニア・ウガンダ・タンガニーカ・象(1954)

 これは、1954年にケニア・ウガンダ・タンガニーカで発行されたアフリカゾウの切手です。

 近代以前の東アフリカのインド洋沿岸部はザンジバルの支配下に置かれていましたが、1840年代以降、ザンジバルのスルターンの保護の下にヨーロッパ人宣教師がモンバサの海岸周辺から内陸に向かって入植するようになりました。

 1886年、ドイツがザンジバルに艦隊を派遣すると、ザンジバルからの支援要請を受けた英国も派兵。このため、フランスを交えた3国の協議の結果、東アフリカ南部(現在のタンザニアの大陸部分に相当する地域)をドイツ領東アフリカとし、北部(現在のケニアに相当する地域)を英領東アフリカとすることで決着が図られました。この時きめられた英領東アフリカの範囲は、タナ川の河口からモンバサを経てドイツ領東アフリカとの境界線までの150マイル(240キロメートル)の海岸線とその内陸部です。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、イギリス委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されます。

 その後、1927年、英国は東アフリカのウガンダ、ケニア、タンガニーカ、ザンジバルの4地域を包括する関税同盟を結成し、同盟の域内では共通通貨として東アフリカ・シリングの使用が開始されます。これに伴い、ザンジバルを除く大陸の3地域では郵便組織も共通となり、“ケニア・ウガンダ・タンガニーカ”表示の切手がこれら3地域で使用されました。

 その後、1961年にタンガニーカが、1962年にウガンダが、1963年にケニアが、それぞれ独立した後も、各国ごとの切手と並行して“ケニア・ウガンダ・タンガニーカ”表示の切手の発行は継続され、1964年にタンガニーカとザンジバルの統合によって現在のタンザニア国家が誕生すると、“ケニア・ウガンダ・タンザニア”に国名表示を変更した切手が1976年初まで発行されていました。

 さて、今回の反密猟サミットの開催にあたって、議長を務めるケニアのケニヤッタ大統領は「象たちを失うことは、わが国の遺産の重要な部分を失うことを意味する。われわれはそれを許さない。象が殺されているのを傍観することはできない」との基調演説を行いました。その主張はお説ごもっともで、反対すべき点は何もないのですが、そのアピールのために、象牙を焼却部分にするというのはどうなんでしょうかねぇ。むしろ、政府が象牙をきちんと管理して輸出し、その収益を野生動物の保護にまわという方が良いのではないかと、僕などは思ってしまうのですが…。


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 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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