内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の切手:赤道ギニア
2017-03-22 Wed 12:40
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年3月22日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は赤道ギニアの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ビオコ自由国(2010)

 これは、赤道ギニアからの分離独立を主張する“ビオコ自由国”が自らの存在をアピールするために制作した“切手”です。ただし、現時点では、ビオコ自由国の独立は認められていませんし、彼らが実効支配地域で郵便サービスを提供しているわけでもありませんので、現実には“切手を模したラベル”という位置づけになります。

 現在の赤道ギニア共和国(以下、赤道ギニア)は、ギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島、および大陸部のリオ・ムニ(ムビニとも)とエロベイ諸島から構成されており、首都のマラボはビオコ島にあります。このうち、エロベイ諸島は無人島で、アンノボン島の人口はわずか2500人しかおらず、国家の総人口の1/4がビオコ島に、残りがリオ・ムニに居住しています。

 伝承によれば、ビオコ島はもともと無人島でしたが、13世紀、現在のブビ人の祖先にあたる人々が、カメルーンおよびリオ・ムニのファン人の攻撃を逃れ、アフリカ本土から同島に移住し、定着するようになったとされており、現在でもビオコ島の住民の多くはブビ人です。

 これに対して、大陸側のリオ・ムニではファン人が圧倒的な多数派を占めており、赤道ギニア全体としては、ファン人が全人口の80%、ブビ人が同15%という割合になっています。

 ブビ人とファン人はいずれもバントゥー系ですが、言語はブビ語とファン語で全く異なっており、文化的な差異も多きかったうえ、居住地域も異なっていました。

 しかし、列強によるアフリカ分割の過程で、ビオコ島(スペイン統治時代の呼称はフェルナンド・ポー)とリオ・ムニは“スペイン領ギニア(後にスペイン領赤道ギニア)”として、一括してスペインの植民地とされます。

 スペインの植民地当局は、典型的な分割統治政策として、少数派のブビ人を優遇。現在でもブビ人の識字率が90%を上回っている一方、ファン人は70%以下となっているのは、その名残といえましょう。

 第二次大戦後、スペインからの独立が具体的に検討されるようになると、ブビ人は、少数派としての権利が保障されない可能性が大きいとして、“ブビ同盟”を結成し、独立に際しては、ビオコ島をリオ・ムニから分離するよう求めましたが、その要求は却下され、1968年、両地域を統合した赤道ギニア国家が独立。ファン人のフランシスコ・マシアス・ンゲマが初代大統領に就任します。

 初代大統領のフランシスコ・マシアス・ンゲマは、東西冷戦という国際環境の下で親ソ姿勢を鮮明にし、1970年には共産諸国の一党独裁体制に倣って与党・労働国民統一党以外の政党を禁止。1972年7月にはみずから終身大統領を宣言して、反政府勢力とみなした国民を容赦なく粛清しました。なかでも、ブビ人に対する迫害・虐殺政策は苛烈を極め、スペイン統治下でブビ人に与えられていた特権や少数派としての保護の多くが剥奪され、ブビ人の政治活動もほぼ全面的に禁止。ブビ人有力者の多くが粛清され、彼らの1/3は恐怖支配を逃れて国外に亡命したといわれています。こうした惨状は“アフリカのアウシュヴィッツ”と恐れられ、国際社会の激しい非難を浴びました。

 マシアスは、1979年8月、甥のテオドロ・オビアン・ンゲマのクーデターにより殺害されたが、その後も、現在まで超長期独裁政権を維持し続けるンゲマの下、ブビ人に対する人権抑圧は継続されています。

 これに対して、1993年、ブビ人民主活動家のマーティン・プエは既存のブビ同盟から分れて“ビオコ自治運動(MAIB)”を結成。ブビ人がビオコ島では多数派であるという条件や、伝統的な酋長の支援を生かし、ンゲマ政権に対し分離要求を行ったが、政権は一切の譲歩を拒否し続けています。

 こうした中で、1998年1月21日、首都マラボでMAIBによる反政府暴動が発生すると、政権側はこれを徹底的に弾圧。MAIBの指導者、マーティン・プエも、同年5月、反逆の罪で軍事裁判所にかけられ、禁錮26年の判決を受けましたが、収監後まもない同年7月、激しい拷問を受けた上、肺炎を病み、マラボの病院で亡くなりました。

 現在も、旧宗主国のスペインやアムネスティ・インターナショナルなどがンゲマ政権によるブビ人弾圧を非難しています。しかし、1992年にビオコ島沖でスタートした原油生産は、ピーク時で日量40万バレル水準を達成し、赤道ギニアがサハラ砂漠以南のアフリカで第3の規模を誇る産油国となったことから、西側諸国の多くは石油利権を重視し、政権に対して好意的な姿勢を取っています。このため、国際世論の圧力でブビ人の状況が改善される可能性は極めて低いのが実情です。

 さて、『世界の切手コレクション』3月22日号の「世界の国々」では、ビオコ島のブビ人について扱った長文コラムに加え、現地のクリスマス、林業、捕鯨、スペイン内戦との関係を示す切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、 「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回の赤道ギニアの次は、本日(22日)発売の3月29日号でのパナマの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の29日以降、このブログでもご紹介する予定です。 
    

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 最長独裁政権、さらに延長
2016-04-28 Thu 17:47
 今月25日に大統領選挙が行われたアフリアの赤道ギニアで、きょう(28日)、1979年以来、世界最長の政権を維持し続けているテオドロ・オビアン・ンゲマ(以下、ンゲマ)大統領の当選が正式に発表されます。というわけで、きょうはこの切手です。

      赤道ギニア・革命2周年(ンゲマ)

 これは、1981年に赤道ギニアが発行した“革命2周年”の記念切手で、当時のンゲマの肖像が取り上げられています。

 スペイン領赤道ギニアは、住民投票の結果、1968年10月12日、赤道ギニア共和国として独立し、急進左派のマシアス・ンゲマ(以下マシアス)が初代大統領に就任しました。

 マシアス政権は親ソ政権として、共産圏諸国に倣った閉鎖的・強権的な国家建設を進め、1970年には与党・労働国民統一党以外の政党を禁止。1972年7月にはみずから終身大統領を宣言し、独裁体制を固めます。また、アフリカ化政策を推進し、地名の変更(たとえば、フェルナンド・ポー島はビオコ島に改称されました)を進める一方、反政府勢力とみなした国民を容赦なく粛清。特に、ブビ人に対する迫害・虐殺政策は苛烈を極め、恐怖支配を逃れて国民の3分の1が国外へ亡命するなど、“アフリカのアウシュヴィッツ”と恐れられました。

 1979年に入るとマシアスは親族の粛清も開始したため、身の危険を感じた甥で陸軍中佐のンゲマは、同年8月3日、クーデターを敢行。ンゲマを最高軍事評議会議長(国家元首)とする軍事政権が樹立され、逮捕されたマシアスは、9月29日に処刑され、翌10月、ンゲマが大統領に就任し、現在まで続く超長期政権が開幕します。

 1982年の民政移管後もンゲマは大統領職に留任し、1987年、一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)を結成。1989年、独立後初の大統領選挙で“信任”されました。

 これに対して、旧宗主国のスペインをはじめ西側諸国はンゲマ政権に民主化を要求したため、1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が制定されたものの、大統領の独裁的な権限は温存されていたため野党勢力は反発。1996年2月の大統領選挙は、野党のボイコットにより、ンゲマが得票率99%で4選を果たしました。

 ンゲマ政権は、2002年12月に5選、2009年11月に6選を果たしていますが、過去の大統領選挙でのンゲマの得票率は、いずれも95%を超えており、選挙の公正性については疑問視されているものの、国内の政権批判は完全に封じ込められています。ちなみに、赤道ギニアには日刊紙を発行する新聞社は存在せず、テレビは国営放送のみ。唯一の民間ラジオもンゲマの息子が経営しており、メディアはこぞって、ンゲマのことを“全知全能の存在”と称賛し続けています。

 2011年には、1969年に発足したリビアのカダフィ政権が崩壊したため、この時点で、ンゲマ政権は、世襲の君主を除くと、世界最長となり、以来、現在に至るまで記録を更新中というわけです。

 その後、2012年には大統領の3選禁止(1期は7年)を定めた改正憲法が施行され、今回の大統領選挙実施となったわけですが、3選禁止の規定は、過去通算ということではなく、今回の選挙からの適用です。このため、今回の選挙で当選したンゲマは、理論上は、さらに2037年まで3期、大統領の地位を維持することが可能とされています。その場合、大統領の在任期間は58年間になりますが、これは、赤道ギニアの平均寿命、52.61歳を軽く超える数字です。なんだかなぁ。


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 世界の国々:赤道ギニア
2015-06-03 Wed 12:56
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年6月3日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は赤道ギニアの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      赤道ギニア・捕鯨

 これは、スペイン領フェルディナンド・ポーで発行された捕鯨の切手です。

 現在の赤道ギニア国家の首都マラボがあるビオコ島は、1472年、インド航路を求めて大西洋を南進していたポルトガル人のフェルナン・ド・ポーが発見したため、彼にちなんで、“フェルナンド・ポー島”と命名され、ポルトガル人は同島を領有して城砦を築いていました。

 1778年、ポルトガルはブラジル南部のリオ・グランデ・ド・スルでスペインと衝突。このため、ブラジルの領有権をスペインに認めさせる代償として、フェルナンド・ポー島とリオ・ムニ(現在の赤道ギニア国家の大陸部分)をスペインに割譲します。

 スペインの統治下で、フェルナンド・ポー島は奴隷貿易の中継地として繁栄したが、リオ・ムニでは黄熱病の蔓延もあって、スペイン人の入植は進みませんでした。

 1823年、財政難のスペインが英国にフェルナンド・ポー島を賃貸すると、英国は、1827年、現在のマラボの場所に港町としてポート・クレランスを建設。1834年、英領全域において奴隷制度が廃止されると、ポート・クレランスにはギニア湾東部で解放奴隷となった人々が集まり、都市が形成されていくことになります。

 その後、スペインは、1843年にフェルナンド・ポー島の支配を回復し、ポート・クレランスをサンタ・イザベルと改称。現地住民を徴用し、カカオとコーヒーのプランテーションを拡大。これに伴い、通信制度の整備も必要となり、1868年には同島で切手を用いた近代郵便制度も開始されます。

 スペインによる植民地支配はきわめて過酷で、1898年と1902年には大規模な反乱も発生したが、スペインはこれを武力で鎮圧しました。

 一方、列強によるアフリカ大陸分割の過程で、スペインは大西洋岸からウバンギ川にいたる30万平方キロの領有権を主張していましたが、1900年、フランスとの間で結ばれたパリ条約では、スペインの領土はフェルナンド・ポー島と大陸側のリオ・ムニの2万6000平方キロ、および周辺の小島(アンノボン島、大小エロベイ島、コリスコ島)に限定されます。これを受けて、スペイン当局は、1902年にはリオ・ムニ地域で使用するための“スペイン領ギアナ”名の切手を、1903年には沿岸の小島で使用するための“アンノボン、エロベイおよびコリスコ”名の切手を発行します。

 その後、1926年には、これらの地域をあわせて“スペイン領ギアナ植民地”が正式に発足するが、これに先立ち、1909年以降、上記3地域では、“スペイン領ギアナ”名の切手は上記の3地域で使用されるようになりました。

 さらに、1958年、スペイン領ギニアは植民地から海外県に昇格し、住民は本国同様の市民権を得ることになります。1963年にはスペイン領赤道ギニアと改称され、フェルナンド・ポー県と大陸のリオ・ムニ県に分割され、翌1964年には両自治政府が樹立。これに先立ち、1960年から、両地域では別個の切手が使用されます。その後、スペイン領赤道ギニアは、住民投票の結果、1968年10月12日、赤道ギニア共和国として独立し、急進左派のマシアス・ンゲマが初代大統領に就任しました。

 今回ご紹介の切手は、こうした背景の下、1960年にフェルディナンド・ポーで発行された寄附金つき切手で、アンノボン島の伝統捕鯨が取り上げられています。

 アンノボン島はビオコ島の南西595kmの地点に位置する火山島で、地名は1472年にポルトガル人が元旦(=アンノボン)に発見したことが由来です。海岸線は北部を除いて切り立っており、湿度が高く、ほぼ毎日、雨が降り、霧が発生するため、元は無人島でしたが、スペイン統治以降、今回ご紹介の切手に見られるように、カユクスと呼ばれる小型ボートに乗り、銛を使って沿岸で捕鯨を行う漁民が定住するようになりました。現在でも島民による伝統捕鯨は継続されており、そうしたこともあって、赤道ギニア政府は国際捕鯨委員会では捕鯨賛成票を投じています。

 さて、『世界の切手コレクション』6月3日号の「世界の国々」では、赤道ギニアの近現代史について概観した長文コラムのほか、世界最長の独裁政権を維持し続けるテオドロ・オビアン・ンゲマ、亀猟が行われているンビニ海岸、アフリカ有数の産油国としての同国経済を支える国営石油企業G.E.ペトロールの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の6月10日号では、「世界の国々」はコンゴ(旧ベルギー領)を特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。

 * 本日未明、カウンターが152万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。

 
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