内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の国々:コモロ
2015-11-12 Thu 12:02
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年11月11日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコモロの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コモロ・パペット

 これは、1980年に発行されたアンジュアン島(現地語名:ンズワニ)のパペットの切手です。

 インド洋のコモロ諸島は、グランドコモロ島、アンジュアン島、モヘリ島、マヨット島で構成されていますが、このうち、国家としてのコモロ連合(以下、コモロ)は、フランスの海外領土となっているマヨット島を除く3島を領土としています。

 このうち、アンジュアン島は古くから単一の王朝が支配しており、17世紀初頭以来、英国とオランダが来航し、スエズ運河の開通まで、東方貿易の重要な中継地となっていました。ところが、1886年、コモロ諸島全域がフランスの支配下に入ると、域内最大のグランドコモロ島のプレゼンスが突出することになり、アンジュアン島は事実上、属国のような扱いとなってしまいました。

 当然のことながら、アンジュアン島の住民はグランドコモロ島に対する不満を持っていたため、独立後の1978年、コモロ政府は各島に自治権を与えて連邦制を導入するとともに、国名を“コモロ・イスラム連邦共和国”に変更するなどの懐柔策を取りましたが、実際にはグランドコモロ島に政治権力と予算が集中する状況は改善されませんでした。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で、連邦政府として、アンジュアン島を重視する姿勢を示すために発行されたものです。ちなみに、アンジュアン島では民族衣装のシロマニ(女性の身体を覆う布。多くのアラブ諸国のように黒や地味な色彩ではなく、華やかなプリントが施されているのが特徴)の生産が盛んで、その応用として、シロマニをまとった片手遣い人形(パペット)が民芸品として作られています。

 ところで、もともと産業が乏しかったことに加え、クーデターが頻発して政権が安定しなかったコモロでは、1997年、連邦の国家財政が破綻。これにより、公務員の給与未払の状態が続いたため、アンジュアン島ではグランドコモロ島への不満が爆発し、抗議行動が頻発するようになります。

 これに対して、同年3月、連邦政府はデモ隊鎮圧のため、アンジュアン島へ軍隊を派遣し、デモ隊の国民に死傷者が発生したため、アンジュアン島はコモロからの分離と仏領への復帰を要求し、モヘリ島もこれに続きました。

 これに対して、連邦政府は独立運動を武力で抑え込もうとしたものの失敗。その一方で、フランス側が2島の仏領への復帰も拒絶したため、事態は膠着化。結局、2001年、アフリカ統一機構(現アフリカ連合)の調停により、停戦合意として“フォンボニ協定”が調印され、新憲法を採択して国号は“コモロ連合”に変更され、3島にそれぞれ自治政府と大統領を置き、連合政府の大統領は4年ごとの輪番制とするとの妥協が成立しましたが、その後も、不安定な政治状況が続いています。

 さて、 『世界の切手コレクション』11月11日号の「世界の国々」では、仏領時代からのコモロの近現代史についての概論のほか、シーラカンスやモスクなどを取り上げた切手もご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、1週お休みをいただいて、次回は11月18日発売の11月25日号でのホンジュラスの特集になります。こちらについては、11月25日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 岩のドームの郵便学(33)
2015-09-04 Fri 23:48
 『本のメルマガ』583号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、コモロについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コモロ・岩のドーム(1980)

 これは、1980年にコモロで発行された“岩のドーム”の切手です。

 シーラカンスの島として知られるインド洋のコモロ諸島は、もともと、アフリカ系のマダガスカル人やマレー・ポリネシア系の諸民族が先住民として生活していましたが、10世紀頃からアラブ系およびペルシャ系のムスリム商人が来航するようになり、イスラム化します。

 ヨーロッパ人の来航は、1505年にポルトガル人が上陸したのが最初で、その後、17世紀初頭になると英国とオランダがアンジュアン(現地語名:ンズワニ)島に来航するようになり、同島はスエズ運河の開通まで、東方貿易の重要な中継地となりました。

 なお、コモロ諸島全体をみると、アンジュアン島は単一の王朝による統一支配が行われていたのに対して、グランドコモロ(現地語名:ンジャジャ)島は小規模な王国の分立する状況が続いています。また、マヨット(現地語名:マオレ)島とモヘリ(現地語名:ムワリ)島は、アンジュアン島のスルターン(ムスリムの地方君主)の支配が及ぶこともあれば、マダガスカルの属領となることもありました。

 19世紀に入り、英仏がインド洋に進出するようになると、長年にわたり海賊の被害に悩まされ続けてきたマヨット島の島民はフランスの庇護を得ることを希望。これに対して、当時の同島の宗主国であったマダガスカルのメリナ王国は、“辺境”の治安維持には無関心であったため、1843年、マヨット島をフランスに売却します。

 さらに、1886年、グランドコモロ島を統治していたスルターン、サイード・アリー・ビン・サイード・ウマルはフランスと保護条約を締結。同年、アンジュアン島とモヘリ島もフランスの保護下に入り、コモロ諸島全域がフランスの支配下に入りました。

 当初、コモロ諸島は、行政上、「マヨット島およびその属領」とされていたが、1896年、マダガスカルがフランスの植民地となると、“仏領マダガスカル”に編入されます。

 第二次大戦後の1958年、マダガスカルがフランス共同体の自治共和国になると、コモロ諸島はマダガスカルから分離され、“仏領コモロ諸島”となり、1974年の住民投票を経て、1975年7月6日、マヨット島を除く3島が“コモロ共和国”として独立します。

 ところで、1974年に行われた独立の是非を問う住民投票では、マヨット島を除く3島では独立賛成の票が95%を占めましたが、マヨット島では64%がフランス領への残留を希望したため、旧仏領コモロ諸島は二分されました。

 この投票結果について、新生コモロ国家やアフリカ諸国は不正があったとしてフランスを批難したため、1976年、再度、マヨット島での住民投票が行われますが、今度は99%以上がフランスへの残留を希望するとの結果が発表されます。ただし、コモロ政府は、現在なお、フランスによるマヨット島の領有を批難し、同党は自国領であると主張し続けていますが…。

 実は、旧仏領コモロ諸島時代の首府は、当初、マヨット島のザウジに置かれていたにもかかわらず、1962年にグランドコモロ島のモロニに遷移。このため、マヨット島の住民は、独立後のコモロ共和国において、モロニを有するグランドコモロ島の風下に置かれることを嫌って、フランス残留を選択したという事情があります。

 はたして、マヨット島が参加しなかったコモロ共和国ではグランドコモロ島のプレゼンスが突出することになり、他の2島は、実質的にその属領として扱われ、2島の不満は次第に募っていきました。

 こうした事情もあって、独立後のコモロ共和国の政情は常に不安定で、独立から1ヶ月もたたない1975年8月3日には、アンジュアン島出身の大統領アーメド・アブダラに対して、グランドコモロ島出身のアリ・ソイリが、フランスの傭兵、ボブ・ディナールの部隊を使ってクーデターを起こし、アブダラを追放します。

 ソイリは、独立以前の1970年、毛沢東主義の影響を受けたコモロ人民民主連合を結成。クーデター後の1976年1月、革命評議会の議長に就任し、1977年には選挙を経て大統領に就任しました。

 しかし、ソイリ政権の政策は、端的にいえば、中国の文化大革命の劣化コピーともいうべきものでした。

 すなわち、選挙権獲得年齢を14歳にまで引き下げたうえで、紅衛兵をモデルに、10代の青少年を中心とした政治警察のモアシーを組織し、長老を中心とした伝統的な村落コミュニティの秩序を否定。結婚式や葬儀は極端に簡素化することを要求され、“自給自足”のスローガンの下、急進的な社会主義政策が強行されます。

 当然のことながら、コモロ社会は大混乱に陥り、旧宗主国のフランスはマヨット島をインド洋の拠点として確保していたこともあって、コモロ国家を完全に見捨て、経済援助も停止しました。もともと、さしたる産業もなく、フランスからの援助に大きく依存していたコモロ経済は壊滅的な打撃を受け、一般市民の不満は鬱積。わずか2年半の間に4回のクーデター未遂事件が発生し、ソイリ政権はそれを強権で抑え込むという状況が繰り返されます。

 こうした情勢を見て、パリに亡命していた前大統領のアブダラは、自分を追い落としたクーデターの実行部隊であったボブ・ディナールを雇い、1978年5月13日、ソイリを襲撃・殺害させました。

 ソイリの死後、アブダラは大統領として復権し、ソイリ時代の“文革もどき”の政策・制度は一掃され、とりあえず、独立時の状態にリセットされます。

 復権したアブダラは、社会不安の要因となっていた地域間対立を解消すべく、新憲法を採択し、各島に自治権を与えて連邦制を導入するとともに、国名を“コモロ・イスラム連邦共和国”に変更した。90%を超える国民がムスリムであるということを踏まえ、イスラムを国家統合の核に据えようとしたのです。

 アブダラ政権下の1980年、コモロ郵政が唐突に今回ご紹介の切手を発行した背景には、こうした状況の下で、国民に対してムスリムとしての団結を強調するという側面があったと考えるのが自然でしょう。

 現在、コモロ国内に残る最古のモスクは首都モロニのバジャナニ・モスク(1427年建立)ですが、コモロ国内の特定の地域のモスクを取り上げれば、他の2島の反発を買うおそれがあるります。このため、コモロ政府としては、地域間の対立感情を刺激しないよう、あえて、全世界的に広く認められたイスラムのシンボルの題材を国外に求め、岩のドームを選択したものと推測できます。

 また、岩のドームのアイコンは、アラブ・イスラム世界では、イスラエルによって不当に占領されているアラブとムスリムの聖地を象徴するものという共通の認識があります。コモロの公用語は土着語のコモロ語に加え、旧宗主国のフランス語と、ムスリムのリンガ・フランカであるアラビア語ですから、アラブ・イスラム世界の末端に連なるコモロ国民もそうした感覚を共有しています。そうした土台の上に、マヨット島の領有権をめぐるフランス(およびマヨット島の住民の圧倒的多数)との対立しているコモロ政府としては、岩のドーム(に象徴される占領下のエルサレム)は、国家として回復すベき“失地”のシンボルとしても使い勝手が良かったといえましょう。

 もっとも、1978年以降、アブダラ政権が地域宥和の方針を打ち出した後も、現実の問題として、グランドコモロ島が他の二島を圧倒するという状況は基本的に改められなかったため、社会の根本的な不安定要因は解消されず、依然としてクーデター未遂が頻発するなど、混乱が続いきます。これに対して、アブドラは強権をもって臨み、そのことがますます、“反主流派”の国民の政府に対する不満を増幅させるという悪循環を招き、コモロ情勢は長らく迷走を続けることになるのです。


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