内藤陽介 Yosuke NAITO
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 G8サミット、きょう開幕
2013-06-17 Mon 11:19
 G8サミット(主要国首脳会議)が、日本時間の今夜(17日)、英国・北アイルランドで開幕します。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      北アイルランド・ラベルカバー(表)     北アイルランド・ラベルカバー

 これは、1950年1月、北アイルランドのアーマーからインド宛に差し出されたカバーとその裏面の画像で、裏面には、北アイルランドが英国の一部であり、それゆえ、関税なしの恩恵を受けていることを宣伝するラベルが貼られています。

 17世紀のクロムウェルによる植民地化以来、アイルランドでは、カトリックが多数を占めるアイルランド人に対する英国国教会の差別や弾圧が続いていました。このため、19世紀に入ると、アイルランドでは英本国からの分離独立を求める民族運動が高揚しましたが、全島32州のうちプロテスタント住民が多数派を占める北部のアルスター6州では、独立に反対する声も少なくありませんでした。

 こうした背景の下、1914年にアイルランドの自治法が成立しますが、第一次大戦の勃発により施行は延期。これを不満として、1916年、独立を求めるイースター蜂起が発生しました。

 英国政府は蜂起を鎮圧したが、1918年の議会選挙ではアイルランド独立派が圧勝。翌1919年、アイルランド国民会議で再度アイルランドの独立が宣言され、これを認めない英国との間でアイルランド独立戦争が勃発します。

 1922年、独立戦争の講和条約として英愛条約が結ばれ、アイルランド全島がアイルランド自由国として英国の自治領となると、北アイルランドはアイルランド自由国からの離脱と連合王国への再編入を決定。これにより、北アイルランドは独自の議会と政府を持つ、英連合王国の構成国の1つとなりました。今回ご紹介のカバーに貼られているラベルは、こうした事情を踏まえて、英国と北アイルランドの一体性を訴えるためにつくられたものです。

 もっとも、1922年以降も、北アイルランド内ではカトリックに対する社会的差別が続いたため、1960年代後半になると、米国の公民権運動などの影響を受けて、カトリックとプロテスタント主体の北アイルランド政府との対立が深刻化。アイルランド民族主義過激派は、1969年、私兵組織として“IRA(アイルランド共和国軍)暫定派”を結成して北アイルランド政府に対するテロを展開し、3700人以上が犠牲になりました。

 その後、1990年代になると和平への道が模索されるようになり、1998年4月、包括和平合意(ベルファスト合意)が成立。今回のサミットは、和平合意後の15年間の“成果”を世界に印象づける一大イベントとして企画されたものです。

 しかし、昨年(2012年)12月3日、中心都市ベルファストの市議会が英国旗掲揚を制限すると決めたことに、プロテスタント系住民が激しく反発。2013年初から1か月以上にわたり暴動が続くなど、宗派間の対立が再燃し、逆に平和がいかにもろいものかが浮き彫りになりました。

 おそらく現地ではものすごい厳戒態勢となっているのでしょうが、まずは、無事にすべての日程が終了することをお祈りしております。


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 岩のドームの郵便学(5)
2013-05-21 Tue 10:29
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』499号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」は、今回は第2次大戦中のイギリス委任統治領パレスチナを題材として、いろいろと書いてみました。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       パレスチナ宛航空便取扱停止(赤印)

 これは、1944年6月19日、英国オクスフォードから、パレスチナのベンシェメン宛に航空便として差し出されたものの、欧州大戦により航空便の運航が不可能になったため、船便により宛先まで届けられたカバーです。

 大戦の勃発後、欧州大陸が戦場になり、パレスチナと英本国との間の交通に鉄道や航空機(当時、英国=パレスチナ間の航空便は、途中、給油などのため欧州大陸の都市を経由していました)を利用することは不可能になりましたが、船舶による物流は引き続き可能であした。これは、大西洋への出入口にあたるジブラルタル(ちなみにジブラルタルの周囲を領有するスペインは中立国)と、地中海のほぼ中央に位置するマルタ島を抑えていた英国が、大戦の期間を通じて、地中海の制海権・制空権を保持し続けたことによるものです。

 今回ご紹介のカバーもそうした事情を反映したもので、ジブラルタル海峡から地中海を航行する船によってパレスチナ最大の港であるハイファに陸揚げされ、宛先まで届けられたものと思われます。また、カバーには、すべてのエアメールが取扱停止となっていることを受取人から差出人に知らせてほしいとの指示の入った印が押され、エアメールの表示も抹消されています。

 さて、ナチスによる弾圧と戦禍を逃れてパレスチナへと逃れようとするユダヤ系難民もまた、船でハイファ港を目指すのが一般的なコースでした。

 そうした中で、781人のユダヤ系難民を乗せた難民船シュトルーマ号が、1941年12月12日、ルーマニアのコンスタンツァ港を出港し、パレスチナを目指したものの、英当局はマクドナルド白書を理由に難民船の入港を拒否。シュトルーマ号は行き場のないまま地中海を迷走しつづけ、1942年2月、ルーマニアへ戻る途中、黒海で沈没し、760人以上の難民が死亡する大惨事となりました。

 この事件は、ユダヤ系社会に大きな衝撃を与え、英国の責任者にあたる植民地相のウォルター・モインは彼らの怨嗟の対象となります。そして、1944年6月、資金調達のためには銀行強盗をも辞さない過激派組織の“シュテルン(正式名称は「イスラエル自由戦士団」を意味するロハメイ・へルート・イスラエルですが、創立者のアブラハム・シュテルンにちなんで、こう呼ばれることが多い)”が、事件の報復として、モインをカイロで暗殺。すでに、それ以前から、シュテルンを含む一部シオニスト過激派は反英テロを展開していましたが、モイン暗殺を機に、英国のシオニストに対する不信感は決定的になりました。

 かくして、英国政府は、パレスチナ問題を収拾する意欲を喪失し、次第に、委任統治領の管理者としての責任を放棄していくようになります。ちなみに、英国のパレスチナからの撤退は1948年5月のことでした。


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 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 ロンドン五輪開幕
2012-07-28 Sat 16:02
 ロンドン五輪が開幕しました。というわけで、きょうはこの切手す。(画像はクリックで拡大されます)

       ロンドン五輪(1948年)

 これは、前回のロンドン五輪を記念して開催国のイギリスが会期初日の1948年7月29日に発行した記念切手のうち、2ペンス半切手です。

 1948年のロンドン五輪は7月29日から8月14日まで開催されました。もともと、ロンドンでの五輪開催は1944年に予定されていましたが、第2次大戦のため中止され、戦後最初の大会として繰り越しとなり、ベルリン五輪以来12年ぶりの開催となりました。なお、ロンドン五輪は昨日開幕した2012年大会と、今回ご紹介の切手の1948年大会に加え、1908年にも開催されていますが、1908年に関しては、イギリスは記念切手を発行していません。

 1948年のロンドン五輪は、敗戦国であるドイツや日本の参加が認められなかった大会として知られていますが、大韓民国発足前の“KOREA”チームが参加したり、イギリスから独立したばかりのインドがホッケーでイギリスを破ったことなども興味深いエピソードといえましょう。

 ところで、今回ご紹介の切手の地図を見ると、朝鮮半島は確認できるものの、日本列島がほとんど見えません。まぁ、参加国の中でも、オーストラリアは地図に描かれていませんので、意図的な日本外しということではないと思いたいところですが…。

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 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <SHARJAH 2012> の作品募集要項が発表になりました。国内の応募〆切は8月3日です。くわしくはこちらをご覧ください。


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 インドネシアが原油輸出停止も
2012-01-27 Fri 15:23
 きのう(26日)、インドネシアの副エネルギー相がロイターの取材に対して「インドネシアは基本的に輸出より国内需要を優先する。需要が増大し、生産が減少していることから、原油輸出の停止を検討している」と述べたそうです。というわけで、インドネシアがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ジャワ宛返戻便(払い戻し)

 これは、1942年2月、イギリスからオランダ領東インド(蘭印、現インドネシア)のスラバヤ宛に差し出されたものの、いわゆる太平洋戦争の開戦により配達不能となったため、“NO SERVICE/RETURN TO SENDER”(業務停止・差出人戻し)との表示が入った紫色の角印を押して、差出人戻しとされたカバーです。それだけなら、よくある返戻便のひとつなのですが、今回ご紹介のものに関しては、差出人戻しとなった後、料金の払い戻しを受け、そのことを示す“POSTAGE REFUNDED”(郵便料金払い戻し済み)の印が切手上に押されているのがミソです。

 さて、現在、インドネシア産原油は主としてオーストラリア、中国、日本、韓国に輸出されており、昨年10月の輸出量は1日あたり約47万7000バレル。ちなみに、わが国の1日当たりの石油の消費量は、ちょっと古い統計ですが、2009年のデータでは、約440万バレルで、原油輸入の3%がインドネシアからとなっています。まぁ、この数字を見る限り、インドネシアからの原油輸入がストップしても、一見、日本への影響は大したことがなさそうにも見えます。しかし、インドネシアが原油輸出を停止すれば、ただでさえ、値上がり傾向が続く原油価格がさらに上昇することは避けれられないわけで、イランからの原油輸入を削減し、その代替分を手当てしなければならない状況の中では、なんとも頭の痛い話です。

 こういうときこそ、とりあえず安全性に細心の注意を払いながら運転停止中の原発の稼働再開を急ぐべきだと思うのですが、昨日のダボス会議には野田首相の代理として前首相の菅直人が出席して“反原発”の与太話を飛ばし、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)に「日本の前首相、反核活動家に転身」と揶揄される始末です。「バカは死ななきゃ治らない」という以外の言葉が見つかりませんな。


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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 泰国郵便学(12)
2011-03-04 Fri 14:03
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第45巻第1号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回と次回の2回に分けて、第二次大戦中のタイ俘虜収容所の郵便物についてご紹介します。その中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます) 

        泰・第2分所宛てカバー

 これは、1944年1月に英国から泰俘虜収容所第2分所宛の郵便物です。

 タイのバンコクとビルマ(ミャンマー)のラングーン(ヤンゴン)を結ぶ鉄道の建設は、20世紀初頭、ビルマを支配していたイギリスの下でいくつかのルートが検討されたものの、地形が険しく、断念されていたという経緯があります。

 日本軍は、ビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するため、イギリスがかつて検討したルートの一つを継承するかたちで、ビルマのタンビュザヤとタイのノーンプラードックを結ぶ415キロの鉄道建設を計画し、これに既存の鉄道路線をつなげることで、タイ=ビルマ間の輸送ルートを確保することとし、タイ側と正式な建設協定を締結。1942年9月から本書き的な工事を開始します。

 完成までには5年の工期が必要との予測もありましたが、日本軍は、鉄道隊と旧国鉄職員の軍属およそ1万2500名を派遣し、6万人を越える連合軍捕虜(英国3万、オランダ1万8000、オーストラリア1万3000、米国700)を労働者として投入。さらに、少なくとも20万人を越えるアジア各国の労働者を動員して、突貫作業の末に、同年10月25日、工事を完成させました。

 最も早い時期に鉄道建設に動員された捕虜の例としては、1942年5月、シンガポールのチャンギ収容所からビルマのモールメン(モーラミャイン)に移送された3000名のオーストラリア兵の例があります。彼らは当初、ビルマ域内での空港建設を行いましたが、後にタイ側に移送され、バーンポーンとカーンチャナブリーでの捕虜収容所の建設に従事しました。

 1942年秋からは、多数の連合軍捕虜がスマトラ、ジャワ、シンガポールから動員され、ビルマ側のタンビュザヤとタイ側のバーンポーンの二手に分かれて工事を開始。その後、鉄道建設のために動員された捕虜たちは、まず、各地の収容所からシンガポールのチャンギ収容所を経て、モールメンに集められ、それぞれの建設現場に移送されるというのが、一般的なルートとなりました。

 今回ご紹介のカバーの名宛人も、そうした経路を経て、チュンカイにあった第2分所に送られたもので、鉄道の完成後は、保守作業等に従事していたものと思われます。

 なお、「泰国郵便学」の連載では、次回は、収容所で使われたさまざまなフォーマットの葉書をご紹介する予定ですが、その一部については、拙著『タイ三都周郵記』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 第二次欧州大戦70年
2009-09-01 Tue 13:32
 1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、第二次欧州大戦が勃発してからきょうでちょうど70年です。というわけで、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 欧州大戦開戦返戻カバー

 これは、ドイツ軍がポーランドに侵攻した1939年9月1日にロンドンからドイツ宛てに差し出されたものの、郵便業務が停止されたため、差出人戻しとなったカバーです。

 1935年にヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を宣言したドイツは、1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていたラインラント地方に軍隊を進駐させたのを皮切りに、1938年3月にはオーストリアを併合。 同年9月にはミュンヘン会談でチェコスロヴァキアのズデーテン地方の獲得を英仏に呑ませ、翌1939年3月にはプラハを占領し、チェコを保護国とし、リトアニアからメーメル地方を割譲させています。

 こうした経緯を踏まえて実行に移されたドイツ軍のポーランド侵攻に対して、英仏両国は、9月3日、ポーランドとの援助協約に基づきドイツに宣戦布告しましたが、この時点ではポーランドに派兵してドイツ軍と戦ってはいません。また、9月17日には、ソ連が独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、9月17日、ポーランドへ東から侵攻しましたが、英仏両国はソ連に対しては宣戦布告をしていません。

 ところで、イギリスはポーランドとの条約上、ドイツに対して宣戦布告をしたものの、「宣戦布告が即戦闘を意味するわけではない」として、早々にドイツとの和平交渉を開始しています。この時点でのイギリス政府内ではナチス・ドイツよりもソ連の共産主義の方が深刻な脅威であるとの考え方が支配的で、イギリス側はヒトラーが下野し、ドイツがポーランドならびにズデーテン地方を除くチェコスロヴァキアから撤退すれば、和平に応じる用意があるとしていました。このため、クリスマスまでには停戦だろうと楽観視するイギリス国民も少なくなかったようです。

 しかし、最終的にはヒトラーの排除という一点で両者の妥協は成立せず、さらに、反ナチス強硬派のチャーチルが熾烈な権力闘争の末に権力を掌握したことで、両国の亀裂は修復不能となり、1940年5月以降、ドイツ軍が西欧諸国に本格的に侵攻していくことになります。

 ドイツ軍のポーランド侵攻は、イギリス・チェンバレン政権時代の対独宥和政策が、結果的にドイツの拡大を追認し、ドイツをつけあがらせたことが最大の原因です。実際、ヒトラーは、以前から宥和政策を実施し、反共産主義という点で利害が一致していた英仏両国が宣戦布告してくるとは想定していなかったといわれています。

 古今東西を問わず、国家間の関係では、とにかく相手になめられてはいけないのが鉄則であることは、いまさら言うまでもありません。“友愛”というスローガンを掲げて近々発足する予定の新政権は、70年前の欧州の教訓をどう考えているのか、お考えをうかがってみたいものです。

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 タイから返戻
2008-12-02 Tue 12:41
 タイの反政府市民団体「民主主義のための市民同盟」(PAD)によるバンコクのスワンナプーム国際空港およびドンムアン空港の占拠から、きょうでまる1週間となります。非常事態宣言のもと2空港の占拠は依然として続き、先ほどは空港占拠のデモ隊に爆弾が撃ち込まれ、デモ隊の1人が死亡、22人が負傷するなど、事態は深刻さを増しています。こういう状況では、郵便なんかも届かないんだろうなぁ、と思いながら、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 タイから返戻便

 これは、第2次大戦末期の1945年6月、イギリスのイーストレイから日本軍の泰俘虜収容所第4分所宛に差し出されたエアメールの葉書ですが、到着時には戦争はすでに終わり、収容所も解放されていたため、差出人に返送されたものです。

 葉書上には“別掲の理由により配達せず:差出人戻し(UNDELIVERED FOR REASON STATED/ RETURN TO SENDER)”ならびに“以前、日本軍により占領された地域から配達されなかった郵便物として返戻された(RETURNED IN UNDELIVERED MAILS/ FROM TERRITORY FORMERLY OCCUPIED/ BY JAPANESE FORCES)”との事情説明の印も押されていますが、実際に、差出人の手元に戻ってきた日付については、書き込みなどもありませんのでよくわかりません。

 現在、日本郵便のHPには、11月27日付の「おしらせ」として、「タイ、スワンナブーム国際空港が封鎖されEMS、航空及びSAL郵便物の発送が行えないことから、同国あてEMS、航空及びSAL郵便物は、配達に遅延が生じるおそれがあります。予めご了承願います。」とのアナウンスが掲載されています。この記事を書いている時点では、かならずしも、タイ宛の郵便物送達が停止されているわけではないようですが、現実の問題として東京からバンコク宛の航空路は途絶しているわけですから、そろそろ配達不能で差出人に返戻される郵便物が出てくるかもしれません。

 もっとも、タイ国内の混乱は、ほぼバンコクのみで、地方都市の多くは平静を保っているようですので、チャンマイなどを経由してタイ国内に郵便物を運び込むという方法もありそうです。その場合、郵便物に中継印などが押されていると、今回の混乱を物語る資料として興味深いものになるかもしれません。

 なお、第2次大戦中、タイ国内に設けられていた日本軍の収容所とその郵便については、拙著『タイ三都周郵記』でも解説していますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。


 ★★★ 年末年始はコタツにミカンと、この1冊 ★★★
 
 <解説・戦後記念切手>シリーズの別冊 『年賀切手』が12月25日日付で刊行されます!(下の画像は出版元制作の広告:クリックで拡大されます)

 『年賀切手』広告

 奥付上の刊行日は12月25日ですが、すでに原稿は僕の手を離れて、印刷所の輪転機も回っていますので、17日の羽子板市の頃には実物はできあがっていると思います。なにとぞ、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。

 
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 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中!

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
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 KGVI
2007-05-12 Sat 00:36
 今日(5月12日)は、いまからちょうど70年前にイギリスのジョージ6世(エリザベス女王の父君。KGVIと略されることもある)が戴冠式を行った日だそうです。といっても、戴冠式の記念切手は以前の記事でご紹介してしまいましたので、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

イギリス・切手100年カバー

 これは、1940年5月に発行されたイギリスの切手100年の記念切手が貼られたカバーです。切手は、最初の切手のヴィクトリア女王と当時の国王のジョージ6世をならべて1840と1940の文字を配したシンプルなデザインになっています。

 ジョージ6世は、1936年12月、いわゆる“王冠をかけた恋”で兄エドワード8世が退位したため、急遽、国王として即位しましたが、その際、「これはひどいよ。私は何の準備も、何の勉強もしてこなかった。」とぼやいていたそうです。

 しかし、即位後は、国王としての義務と責任を誠実に実行。 特に第2次世界大戦では、ロンドンから疎開せずイギリス国民の先頭に立ってドイツ軍の空襲に耐え、ドイツ軍による空襲の被災地を訪問して親しく国民を慰めました。このことが、イギリス国民を大いに勇気づけ、国土は疲弊しながらも戦勝へと精神的に導いたと評価されています。

 今回ご紹介のカバー(封筒)は、戦時下の1940年6月に差し出されたもので、“HELP TO WIN ON THE KITCHEN FRONT”とのスローガンの入った印が押されています。また、「すべては私しだい」というスローガンの入ったユニオンジャックのラベルが貼られているのも、戦時下という当時の世相を象徴したものと言ってよいでしょう。

 ジョージ6世の治世は、ちょうど第2次大戦の前後をカバーしているので、いろいろと面白いマテリアルが沢山あります。いままで、このブログでご紹介したものだけでも、たとえば、こんなモノだとかこんなモノこんなモノこんなモノ・・・といった具合に、さまざまなマテリアルがすぐに出てくるぐらいで、僕にとっては、下手するとエリザベス女王よりも顔なじみの王様といっても良いかもしれません。

 もちろん、6月末の刊行を目指して現在制作中の『香港歴史漫郵記』でも、ジョージ6世の切手やカバーはいろいろと面白いものを取り上げていますので、刊行の暁には、ご覧いただけると幸いです。

 なお、今日ご紹介のカバーに関しては、拙著『これが戦争だ!』でも取り上げています。よろしかったら、こちらも是非、ご一読ください。
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 国連デー
2005-10-24 Mon 14:17
 今日は国連デー。国連憲章が発行して正式に国連が発足した日です。というわけで、こんなモノを引っ張り出してきました。

 国連総会

 このカバーは、第1回の国連総会にあわせてイギリスで使われた宣伝の標語印が押されたものです。

 国連というと、我々は条件反射的にニューヨークと思ってしまいがちですが、ジュネーヴとウィーンにも事務局はありますし、ニューヨークの本部ビルが完成する以前の第1回総会はロンドンで開催されています。

 当初、第1回の総会は1945年12月からスタートの予定で、それにあわせて、イギリスでは宣伝の標語印を使い始めました。ところが、実際には準備が遅れて、総会は1946年1月10日スタートとなりました。このため、12月1日から使われていた標語印の試用期間も当初より延長され、1月19日まで使われています。なお、標語部分には、“1945”の文字が入っていますが、これは1946年になっても修正されず、そのまま使われています。

 さて、10月28日スタートの<JAPEX >では、日本における国連切手の収集・研究の第一人者、佐々木謙一さんのコレクションの一部として、国連草創期の郵便をまとめた作品も展示されています。ここでご紹介しているカバーは、おなじく特別展示の“1945年”に並べる僕の作品で使っていますが、これよりもはるかに、国連に関する興味深い資料が並んでいます。めったに見ることのできないマテリアルがテンコ盛りの展示ですので、是非、池袋の会場でご覧いただけると幸いです。
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