内藤陽介 Yosuke NAITO
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 50歳になりました。
2017-01-22 Sun 12:18
 私事ながら、本日(22日)をもって50歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかくの“ゴールデン・ジュビリー”(ジュビリーは25年に1度の記念日・祝祭のことで、ゴールデン・ジュビリーは50周年)ですから、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英国・ペニーポスト50年記念葉書

 これは、1890年に英国で発行された“1ペニー郵便50周年記念”の葉書です。

 英国では、ヴィクトリア女王の即位50周年にあたる1897年から新デザインの普通切手が発行されており、これらは“ジュビリー・イッシュー”と呼ばれています。しかし、ジュビリー・イッシューは、たまたま1987年から発行が開始されたというだけであって、それj体には、女王の即位50周年を寿ぐ意図はありませんでした。

 ところが、“ジュビリー・イッシュー”という名称が当初から定着したことで、1839年になると、翌1890年の郵便改革の“ゴールデン・ジュビリー”の記念事業を行うべきとの声が上がるようになり、1890年5月16日から19日までロンドンのギルドホールで、7月2日にサウス・ケンジントン博物館(現ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)で記念の展覧会が開催されることになりました。

 今回ご紹介の葉書は、このうちのギルドホールでの展覧会に合わせて発行されたものです。1890年当時の英国の葉書料金は半ペニーでしたが、今回ご紹介の葉書は、通常の葉書にはない記念の文字やイラストなどが入っていることから、額面は1ペニーに設定されました。ちなみに、英国で切手を貼って私製はがきを差し出す場合の料金が官製葉書と同じになるのは1894年のことで、それまでは、私製はがきは書状料金と同額の1ペニーの切手を貼って差し出す必要がありました。このため、1894年の私製はがきについては、ポストカードと区別して“レターカード”ということもあります。

 また、この葉書の額面は1ペニーでしたが、会場での販売価格は、ローランド・ヒル記念基金への寄付金込みで1枚6ペンスでした。額面との差額が大きかったにもかかわらず、葉書は人気を博し、5月16日の午後10時には当初用意されていた1万枚は完売となり、2000枚が追加発行されています。

 なお、今回ご紹介の葉書の発行の名目となった1840年の英国の郵便改革については、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 おかげさまで11周年
2016-06-01 Wed 08:37
 おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、きょうでちょうど11周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、フィラテリーの世界で“11”といえば、やはり、この1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      ペニー・ブラック11版

 これは、1840年に発行された世界最初の切手“ペニーブラック”の第11版の使用済みです。

 ペニー・ブラックの印刷には、12種類の版(実際に印刷に使用された版なので“実用版”とよばれます)が使われました。専門的には、これら12の版には、印刷所での登録順に1a、1bと2から11までの番号を振って分類しています。一般的な傾向として、後期の版になるほど、印刷数が少なくなるため、市場価格は高くなる傾向があり、最後の11版を入手しようとすると、最初の1a版の10倍程度の出費が必要になります。ちなみに、画像の切手は僕の持ち物ではなく、千葉晋一さんからお借りしてスキャンさせていただいたモノです。

 ペニー・ブラックの版を分類する方法としては、切手の左下と右下に入れられている“チェック・レター”の部分を調べるのが一般的です。

 チェック・レターは、当時の英国切手の印面下部の両脇に入っているアルファベットのことで、1シート240面に対応して、左上端のAAから右下端のTLにいたるまで240種類の組み合わせが存在します。したがって、右側の文字がL以降のMやSになっていれば、直ちにそれは偽造であることがわかりますし、同じ組み合わせのチェックレター(の切手を貼った郵便物)が一度に何枚も郵便局に持ち込まれれば、局員は怪しんでチェックするだろうと考えられたわけです。

 チェック・レターのアルファベット部分は、職人がパンチと呼ばれる工具をハンマーで一つずつ叩いてくぼみをつけることで、実用版が作られたため、版を作るごとに、それぞれの文字は四角の枠の中で上下左右に寄っていたり、傾いていたりするなど微妙な差異があります。このため、その特徴を確認することによって、それぞれの切手がどの版で印刷されたモノかを特定できます。今回ご紹介の切手に関しては、“HB”の組み合わせのうち、右の“B”の文字が枠の中の右上に寄っており、なおかつ、少し傾いているので、専門的なチェックリストにより、11版の切手であることが確認できたわけです。

 なお、ペニーブラックとその収集のポイントについては、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

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 ワインで泥酔
2015-11-19 Thu 10:44
 きょう(19日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、刊行されたばかりの拙著『ペニー・ブラック物語』にちなんで、こんなワインがらみのマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      カリカテュア(ピックポケット)

 これは、1840年に発行されたマルレディ・カバーのパロディ封筒のうち、“ピック・ポケットNo1”と呼ばれているデザインのモノで、1840年6月9日、イングランド南西部のエクセターからトトネス宛に差し出されています。中央のブリタニアの足元に、ワイングラスを片手に泥酔して寝転ぶ男が描かれているので、今夜の僕じしんの予想図を兼ねてご紹介してみました。拙著『ペニー・ブラック物語』でも図版として未使用の封筒(拙著の表紙のマテリアルと同じく、千葉晋一さんからお借りしました)を使っておりますので、わかりやすいように、そこから泥酔男の部分のみをトリミングした画像も下に貼っておきましょう。こちらは泥酔男の口元に少しシミが出ていて、それがあたかもワインがこぼれたように見えるのがご愛嬌です。
      
      カリカテュア(ピックポケット・部分拡大)

 英国では、ローランド・ヒルの提唱した郵便改革により、1840年1月10日から、1/2オンス以下の書状基本料金を全国1律1ペニーとする統一1ペニー郵便がスタートしました。そして、同年5月、新たな郵便の料金前納の証紙として世界最初の切手ペニー・ブラックが発行されました。これとあわせて、発行されたのがマルレディ・カバーです。

 マルレディとは、封筒のデザインを担当したウィリアム・マルレディ(1786-1863)のことで、カバーは封筒の意味。この封筒は、すでに1ペニーの料金込みで販売されたので、切手を貼らなくとも、切手を貼った封筒と同様に料金納付済の扱いで差し出すことができました。

 マルレディ・カバーのイラストでは、大英帝国を示す女神ブリタニアを中央に、インド、アラビア、中国、南米など、1840年までに英国が進出していった地域の風俗が取り上げられています。新たに発足した近代郵便制度が、全世界を結びつける情報ネットワークとなるという、英国の意気込みを表現した内容で、イギリス政府は切手よりもマルレディ・カバーの方が良く売れると予想していました。

 ところが、実際にはマルレディのデザインは一般国民には不評で、しかも、カバーの代金には郵便料金の1ペニーに封筒代が上乗せされて2ペンスで販売されたため、売れ行きは芳しくありませんでした。

 この結果、マルレディ・カバーは皮肉屋の英国人たちの格好の餌食となり、今回ご紹介のモノのように、さまざまなパロディ封筒が作られ、郵便に使用されています。

 今回ご紹介のカバーに関しては、右上に、廣州での茶の貿易風景が描かれているのと、ブリタニアの左側に、英国の軍艦に撃沈されているジャンクが描かれており、香港の歴史をテーマにコレクションを作っている僕としては、アヘン戦争(じつは、ペニー・ブラックやマルレディカバーの発行と同じ1840年の出来事です)関連のマテリアルとして外せない1点で、つい数日前に、某オークションで落札したものです。残念ながら、拙著『ペニー・ブラック物語』や今回のアジア国際切手展<HONG KONG 2015>の出品作品には間に合いませんでしたので、来年のニューヨーク展でデビューさせてやるつもりです。


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 表紙のマテリアル
2015-11-15 Sun 17:02
 きょう(15日)は、拙著『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーで取り上げた郵便物についてご説明いたします。(画像はクリックで拡大されます)

      ペニー・ブラック物語 表紙のマテリアル

 これは、マルレディ・カバーのペニー・ブラック加貼使用例のフロントです。

  18世紀以降、近代国家としての基盤を固めたヨーロッパ諸国では、国家規模での郵便事業が展開されていました。もっとも、当時の郵便は、受取人が料金を支払うシステムになっていたほか、料金も高く、一般人には利用しにくいものでした。

 このため、英国のローランド・ヒルは、便箋の枚数と距離制によって複雑に計算されていた従来の料金体系を全国均一の重量制とし、料金の支払方法も受取人でなく差出人が支払う前納制に変えるなど、合理化・単純化を骨子とした郵便改革を提案します。

 この提案が受け入れられ、1840年1月10日から、1/2オンス以下の書状基本料金を全国1律1ペニーとする統一1ペニー郵便がスタートしました。そして、同年5月、新たな郵便の料金前納の証紙として世界最初の切手ペニー・ブラックが発行されました。これとあわせて、英国政府は、マルレディ・カバーと呼ばれる封筒も発行しています。

 マルレディとは、封筒のデザインを担当したウィリアム・マルレディ(1786-1863)のことで、カバーは封筒の意味。この封筒は、すでに1ペニーの料金込みで販売されたので、切手を貼らなくとも、切手を貼った封筒と同様に料金納付済の扱いで差し出せるようになっています。

 ところで、1ペニーの郵便料金で運べるのは1/2オンスまででしたので、これを越えて1オンスまでの郵便物の料金は倍額の2ペンスが必要でした。そこで、こうした郵便物にマルレディカバーを使う場合には、別途、1ペニーを収めなくてはならず、そのためにペニー・ブラックを加貼した例が存在します。

 ペニー・ブラックを加貼したマルレディ・カバーの真正品は少なく(現在、市場に出てくるものの大半は、マルレディ・カバーに後からペニー・ブラックの使用済みを貼り付けたものです)、それゆえに大変高価なもので(状態の良いものだと、数十万円以上の出費を覚悟しないとなりません)、あいにく、僕自身も現物は入手できていません。今回ご紹介の表紙のマテリアルについては、拙著の担当編集者で、ペニー・ブラックのコレクターでもある千葉晋一さんの所蔵品をお借りして本書の表紙に使わせていただきました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 なお、今回、このような表紙の本を出した以上、いずれは、僕自身も、ペニー・ブラックを貼ったマルレディ・カバーを入手しなくては格好がつかなくなりました。金銭的な問題もさることながら、そもそも残存数が少ないので、なかなか道は険しく、かなりのプレッシャーではあるのですが、なんとか頑張りたいと思いますので、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。


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 ペニーブラック
2015-05-01 Fri 11:35
 1840年5月1日に世界最初の切手としてペニーブラックが発行されて、きょう(1日)でちょうど175年です。というわけで、きょうはストレートにペニーブラックの画像を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ペニーブラック・未使用

 19世紀英国の郵便改革の具体的な第一歩は、ウィリアム4世統治下の1833年8月、庶民院(いわゆる下院)の新人議員、ロバート・ウォーラスが郵便制度改革の必要性を議会で訴えたことから始まりました。

 ウォーラスの提案を受けて1835年、ダンキャノン卿を長とする“郵政省に関する管理運営調査委員会”が院内に設置されると、郵便馬車の供給契約を公開入札にさせるなど、改革は一定の成果を挙げます。また、彼の努力により、1837年までに100以上もあった郵便関係の法律が5本に整理され、郵便改革に対する国民の関心も急速に高まりました。

 こうした時代背景の下で、“近代郵便の父”ローランド・ヒルが登場します。

 1837年、ヒルは『郵便制度の改革――その重要性と実行可能性』と題するパンフレットを刊行。郵便料金が高いため、人口の増加や産業の発展の度合いに比べて郵便の利用が増えない現状を指摘した上で、次のような提案を行いました。

 ①郵便料金を大幅に引き下げ、書状の基本料金を1ペニーとする。(料金引き下げによる需要の拡大)
 ②距離別の郵便料金制度をやめ、全国均一料金とする。
 ③手紙の用紙の枚数ではなく、重量別の料金体系を導入する。
 ④郵便料金は、受取人ではなく、差出人が支払う前納制とする。

 これらのうち、最後の提案が最終的にペニー・ブラックの発行につながるのですが、当初、ヒルは料金の前納方法として、①料金支払済みの印を郵便局の窓口で押す、②郵便料金込みのレターシート(便箋を折り曲げて封筒状にできるようにしたもの:マルレディ・カバーとして実現)を発売する、③裏にノリを引いた証紙を発売する(ペニーブラックとして実現)、という3種類の方法を考えていたといわれています。

 ヒルの提案は、商工業者や一般大衆をはじめ、有力紙『タイムズ』でも支持され、1837年11月から、庶民院に「郵便料金に関する特別委員会」が設けられ、1839年8月、ヒルの提案を盛り込んだ1ペニー郵便料金法が公布されました。1840年1月10日から、2分の1オンス以下の書状基本料金を原則として全国一律1ペニーとする1ペニー郵便(ロンドン市内に限定されていた旧ペニー・ポストと区別するため、こう呼ばれる)がスタートします。

 1ペニー郵便がスタートした時点では、まだ切手は登場していませんでしたが、ヒルは、新たに発行される郵便切手のデザインは英国を象徴するもので、国民に受け入れられ、なおかつ偽造防止という面もクリアしていなければならないと考えていました。このため、1839年12月、ヒルは、切手のデザインにヴィクトリア女王の肖像を用いる方針を最終的に決定します。

 古来、国王の肖像は貨幣に刻まれ、国民の間を流通していました。それは、本来、誰がその地域の支配者であるか、利用者に目に見えるかたちで示すためでしたが、国民の側では抽象的な愛国心を図像化するイコンの役割を果たすものでもありました。また、見慣れた人間の顔というのは、微細な変化であっても、見る者はすぐに違和感をおぼえるものだから、偽造防止という観点からも好ましいものでした。

 題材が決まると、女王のどの肖像を用いるかが次の問題となりますが、最終的に、1837年11月、女王のギルドホール訪問を記念して作られたメダル(彫刻者のウィリアム・ワイオンにちなんで“ワイオンのメダル”と呼ばれています)に刻まれた肖像が採用されることになりました。

 このワイオンのメダルを元に、当時、最高水準の技術を誇っていたパーキンス・ベーコン・アンド・ペッチ社(以下、パーキンス・ベーコン社)に切手の製造が発注されます。そして、同社の依頼を受けて、デザイナーのヘンリー・コーバウルドが切手に用いる女王の肖像の下絵を作成。パーキンス・ベーコン社の首席彫刻者であったチャールズ・ヒースが原版を彫刻。紙幣と同じ印刷方式の凹版印刷で切手が製造されました。

 こうして、1840年4月27日までに6815万8080枚(1シートは240面なので、シート単位では28万3992シート)の切手がロンドン中央郵便局に搬入され、さらに、英国各地の郵便局に配給され、5月1日、世界最初の切手ペニー・ブラックが発売されました。ただし、実際に郵便に使用できたのは、5月6日以降のことです。

 切手の評判は上々で、発売初日のロンドン管内だけで60万枚の切手が売りさばかれました。また、5月半ばには、切手の供給が需要に追いつかず、パーキンス・ベーコン社は徹夜作業で1日50万枚もの切手を製造したといわれています。


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 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました!

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 “日の本”の切手は美女揃い!
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 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 ペニーブラック物語(2)
2014-05-28 Wed 18:45
 雑誌『キュリオマガジン』2014年6月号ができあがりました。僕の連載「ペニーブラック物語」は、前回に続き、今回も“前史”の話として、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      1ペニー郵便

 これは、1840年にスタートした“1ペニー郵便”で運ばれた郵便物の実例です。

 19世紀英国の郵便改革の具体的な第一歩は、ウィリアム4世統治下の1833年8月、庶民院(いわゆる下院)の新人議員、ロバート・ウォーラスが郵便制度改革の必要性を議会で訴えたことから始まりました。

 ウォーラスの提案を受けて1835年、ダンキャノン卿を長とする“郵政省に関する管理運営調査委員会”が院内に設置されると、郵便馬車の供給契約を公開入札にさせるなど、改革は一定の成果を挙げます。また、彼の努力により、1837年までに100以上もあった郵便関係の法律が5本に整理され、郵便改革に対する国民の関心も急速に高まりました。

 こうした時代背景の下で、“近代郵便の父”ローランド・ヒルが登場します。

 1837年、ヒルは『郵便制度の改革――その重要性と実行可能性』と題するパンフレットを刊行。郵便料金が高いため、人口の増加や産業の発展の度合いに比べて郵便の利用が増えない現状を指摘した上で、次のような提案を行いました。

 ①郵便料金を大幅に引き下げ、書状の基本料金を1ペニーとする。(料金引き下げによる需要の拡大)
 ②距離別の郵便料金制度をやめ、全国均一料金とする。
 ③手紙の用紙の枚数ではなく、重量別の料金体系を導入する。
 ④郵便料金は、受取人ではなく、差出人が支払う前納制とする。

 これらのうち、最後の提案が最終的にペニー・ブラックの発行につながるのですが、当初、ヒルは料金の前納方法として、①料金支払済みの印を郵便局の窓口で押す、②郵便料金込みのレターシート(便箋を折り曲げて封筒状にできるようにしたもの)を発売する、③裏にノリを引いた証紙を発売する、という3種類の方法を考えていたといわれています。

 ヒルの提案は、商工業者や一般大衆をはじめ、有力紙『タイムズ』でも支持され、1837年11月から、庶民院に「郵便料金に関する特別委員会」が設けられ、1839年8月、ヒルの提案を盛り込んだ1ペニー郵便料金法が公布されました。

 その結果、1840年1月10日から、2分の1オンス以下の書状基本料金を原則として全国一律1ペニーとする1ペニー郵便(ロンドン市内に限定されていた旧ペニー・ポストと区別するため、こう呼ばれる)がスタートします。

 今回ご紹介の郵便物は、1ペニー郵便開始後の1840年4月15日、イングランド南部イースト・サセックスのバトルから同中部ウェスト・ミッドランズのストールブリッジ宛に差し出された1ペニー郵便の実例で、料金支払い済みを示す“PAID”の文字の入った印と、1ペニーの郵便料金を示す“P1”の文字が赤で大きく書き込まれています。1840年5月のペニー・ブラック発行後も、切手を貼らない1ペニー郵便はしばらく継続されますが、今回は、ペニー・ブラック発行以前のものを持ってきたというのがミソです。

 さて、雑誌『キュリオマガジン』の今月号は、「シルクロードのコイン」を特集しています。「西洋と東洋が交わる道、古の栄華を極めた国々への誘い」と銘打ち、古代史のロマンあふれる内容となっておりますので、機会がありましたら、ぜひ雑誌を手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 新連載・切手の帝国
2013-03-27 Wed 11:05
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2013年4月号が発売になりました。今回から、同誌では「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」と題する新連載がスタートしました。で、今回は初回ですので、ストレートにこんなモノをご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

        マルレディ・カバー

 これは、1840年8月27日、ホーンキャッスルからシェフィールド宛に差し出されたマルレディ・カバーの使用例です。

 18世紀以降、近代国家としての基盤を固めたヨーロッパ諸国では、国家規模での郵便事業が展開されていました。もっとも、当時の郵便は、受取人が料金を支払うシステムになっていたほか、料金も高く、一般人には利用しにくいものでした。

 このため、英国のローランド・ヒルは、便箋の枚数と距離制によって複雑に計算されていた従来の料金体系を全国均一の重量制とし、料金の支払方法も受取人でなく差出人が支払う前納制に変えるなど、合理化・単純化を骨子とした郵便改革を提案します。

 この提案が受け入れられ、1840年1月10日から、1/2オンス以下の書状基本料金を全国1律1ペニーとする1ペニー郵便がスタートしました。そして、同年5月、新たな郵便の料金前納の証紙として世界最初の切手が発行されました。

 近代郵便の本格的なスタートにあわせて、英国政府は、切手だけではなく、マルレディ・カバーと呼ばれる封筒も発行しています。

 マルレディとは、封筒のデザインを担当したウィリアム・マルレディ(1786-1863)のことで、カバーは封筒の意味。この封筒は、すでに1ペニーの料金込みで販売されたので、切手を貼らなくとも、切手を貼った封筒と同様に料金納付済の扱いで差し出せるようになっています。

 マルレディは、貧しいアイルランドの移民の子で12歳から絵を描き始め、14歳で王立美術院に入学。田園風景に取材した作品で評判となり、画家としての地位を確立しました。また、油彩のみならず、銅版画やレタリングの技術にも習熟していました。たとえば、1807年に出版されたウィリアム・ロスコーの『蝶の舞踏会とバッタの宴』には、若き日のマルレディの手になる挿絵が13枚収められていますが、彼の絵が評判となり、1年間で4万部というベストセラーとなったそうです。

 マルレディ・カバーのイラストでは、大英帝国を示す女神ブリタニアを中央に、インド、アラビア、中国、南米など、1840年までに英国が進出していった地域の風俗が取り上げられています。新たに発足した近代郵便制度が、全世界を結びつける情報ネットワークとなるという、英国の意気込みを表現した内容です。特に、カバーの発行された1840年がアヘン戦争の起きた年でもあったことを考えると、ブリタニアの左側に描かれた辮髪の中国人の目の前に置かれた箱の中身はアヘンなのではなかろうかと想像力を掻き立てられます。

 ところで、近代郵便の創業に際して、イギリス政府は切手よりもマルレディ・カバーの方が良く売れると予想していました。ところが、実際にはマルレディのデザインは一般国民には不評で、しかも、カバーの代金には郵便料金の1ペニーに封筒代が上乗せされて2ペンスで販売されたため、売れ行きは芳しくありませんでした。

 この結果、マルレディ・カバーは皮肉屋の英国人たちの格好の餌食となり、このカバーを模したさまざまなパロディ封筒が作られ、郵便に使用されています。その中には、アヘン戦争を題材にしたものなど、見ているだけで楽しいモノも少なくありません。

 『英語教育』の連載では、今後、切手や郵便物を通じて“大英帝国”の諸相を読み解いていこうと考えていますので、よろしくお付き合いいただけると幸いです。


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 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 アロー号事件150年
2006-10-08 Sun 00:38
 今日(10月8日)は、1856年にアロー号事件が起こってから150年だそうです。というわけで、アロー戦争がらみのモノということでこんなカバー(封筒)を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

アロー戦争のカバー

 これは、イギリス本国からアロー戦争時に香港に駐在していたイギリスの海軍士官宛に差し出されたカバーです。切手が貼られていないのは、送料無料の軍事公用便だからで、カバー表面には1857年11月5日の印も押されています。

 1856年10月8日に清の官憲がイギリス船籍を名乗る中国船アロー号に臨検を行い、清人船員12名を海賊の容疑で逮捕するという事件が起こりました。臨検は合法的なものでしたが、イギリス側はこれを不当なものとして言いがかりをつけ、同じく、広州での宣教師殺害事件の被害者であったフランスを誘って共同出兵を行います。いわゆるアロー号事件に端を発するアロー戦争(第2次アヘン戦争)の勃発です。

 1857年12月に広州を占領した英仏連合軍は、米露も誘い、北京政府に対して条約改正交渉を求めます。しかし、これに対する清の回答に不満を持った英仏連合軍は再び北上して天津を制圧し、ここで天津条約を締結。公使の北京駐在・キリスト教布教の承認・内地河川の商船の航行の承認・英仏に対する賠償金などでを清朝に認めさせました。

 しかし、清朝の内部では、連合軍が引き上げた後の北京では天津条約を非難する声が強くなり、1859年6月17日、天津条約の批准のために天津の南の白河口に来ていた英仏連合軍に対して、清朝が砲撃するという事件が発生。これに激怒英仏軍は大艦隊と約1万7千人の兵力を動員して、清の砲台を占領し、北京に迫ります。このため、狼狽した咸豊帝は熱河に避難するという有様でした。

 なお、この時に英仏連合軍は円明園を略奪し、最後には放火して証拠を隠滅したことは広く知られています。

 結局、1860年に一連の戦争の講和条約として結ばれた北京条約により、清は、天津の開港、イギリスに対し九竜半島の割譲、中国人の海外への渡航許可などを認めさせられました。

 アロー戦争とそれに続く円明園の焼き討ちに関しては、最近、中国近代史研究の第一人者として知られる中山大学(広州市)の袁偉時教授が、その原因の一端は愚昧な清朝皇帝らにもあるとして、英仏の侵略を招いた中国人自身の責任を問う論文を発表したところ、中国政府から発禁処分を受けたというニュースはご記憶の方も多いのではないかと思います。こういう歴史解釈をめぐる中国政府の硬直的な姿勢を聞くたびに、正直なところ、ついていけないな、と思う日本人は筆者だけではないでしょう。

 いずれにせよ、150年前の事件が現在でも政治的に問題となるのは、まさに、歴史に仮託して現在を語るという中国の伝統を地で行く事件の典型といえるわけで、今日のマテリアルは、そうしたニュースも思い出しながら、引っ張り出してきてみたという次第です。

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 アヘン戦争のカリカテュア
2005-07-01 Fri 02:12
7月1日というのは区切りの良い日だけに、いろんな記念日が重なっていますが、僕としては個人的に1997年の香港返還が印象に残っています。

 意外と見落とされがちですが、アヘン戦争の起こった1840年はイギリスで世界最初の切手が発行された年でもあります。

 ところで、当時のイギリスでは、世界最初の切手と同時に、料金込みの封筒(この封筒を使えば、切手を貼らなくても郵便物を出すことができた)を発行しました。この封筒には、イラストとして、大英帝国が進出していった世界各国の風景が描かれており、近代郵便のネットワークが世界を結ぶというイメージが表現されています。この封筒は、イラストの作者の名前を取って“マルレディ・カバー(カバーは封筒の意味)”とよばれています。

 イギリス政府としては、切手よりもこのマルレディ・カバーのほうが人気が出ると思っていたのですが、実際には、マルレディ・カバーはとても評判が悪く、そのデザインをおちょくったカリカテュアの封筒がいくつも民間で作られています。

カリカテュア

 この封筒には、左下に清朝の官吏に痛めつけられる“哀れなアヘン商人”の姿が描かれており、当時のイギリスの重要な政治問題であった中国とのアヘン貿易が取り上げられています。ただ、イラストの筆致からすると、イラストの作者は、アヘン貿易を妨害する清朝のほうに非があると見ているようで、こんなところからも、当時の大英帝国の世界観の一端が透けて見えるように思います。

 1997年の香港返還を前に、僕は『切手が語る香港の歴史―スタンプ・メディアと植民地 』という本を出版しました。今回のカバーは、その制作時には間に合わず、この本には掲載できませんでした。

 あれから8年が過ぎ、香港関係のマテリアルもそれなりに増えてきましたので、そろそろ、1997年に出した香港本のリニューアル版を出したいところです。その際には、今日ご紹介したカバーをぜひとも使ってやりたいものだと、毎年、7月1日になると思っています。

★★★★★ イベント告知 ★★★★★

 『反米の世界史』の刊行を記念して、下記のイベントを行います。
 皆様、お気軽に遊びに来ていただけると幸いです。

◎ 7月2日(土) 即売・サイン会@切手市場
 (詳細はhttp://kitteichiba.littlestar.jp/ をご覧ください)
◎ 7月5日(火) トークイベント@新宿ロフト
  「復活!!!!北朝鮮祭り~最近の北鮮総括!」
 (詳細はhttp://www.piks.or.tv/ をご覧ください)
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