内藤陽介 Yosuke NAITO
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 カールカー=シムラー鉄道
2015-09-13 Sun 16:37
 インドの山岳鉄道の一つとして世界遺産にも取り上げられているカールカー=シムラー鉄道のパーヌワー付近で、きのう(12日)、列車が脱線し、乗客の英国人2人が死亡、9人が負傷しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・カールカー=シムラー鉄道

 これは、2003年にインドで発行された“カールカー=シムラー鉄道100年”の記念切手で、雪中を進む鉄道車両が描かれています。

 カールカー=シムラー鉄道は、インド北部・ハリヤーナー州のカールカーから、ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都シムラー間の96kmを結ぶ登山鉄道で、両端の駅の標高差は1420m (カールカーは656 m、シムラーは2076 m)で、途中には103ヶ所のトンネルと864ヶ所の橋があります。

 英領インド帝国の時代、英国人はインドの夏の酷暑に耐え兼ね、夏の間の仕事や生活の場として高原地帯にいくつかの“ヒル・ステーション”を設けていました。帝国の首都は、1911年にデリーへの遷都宣言が発せられるまで、カルカッタ(コルコタ)が首都でしたが、ここも3-10月の平均最高気温が30-35℃と英国人にとっては高温だったため、1864年、ヒマラヤ山麓のシムラー(同じ期間の平均最高気温は20℃前後)が夏の首都とされ、軍司令部や政府部局も置かれます。ちなみに、チベットをめぐる英国と清朝ないしは中華民国との交渉が、しばしば、シムラーで行われたのも、このためです。

 シムラーへの鉄道の建設は、1864年以降、何度か計画されたものの、急峻な地形ゆえになかなか実現できませんでした、しかし、1889年に、デリーからアンバーラー経由でカールカーまで鉄道が到達したことで、カールカー=シムラー間の鉄道建設が具体的に検討されるようになり、1898年、建設工事が開始されました。鉄道建設を担ったのは民間のデリー=アンバーラー=カールカー鉄道会社で、1903年11月にはシムラーまでの全線が開通しましたが、開通後の同鉄道は経営的には厳しい状況が続いたため、1906年、英領インド政府により買収され、国営に移管されています。

 ちなみに、世界遺産としての“インドの山岳鉄道”は、1999年に“ダージリン・ヒマラヤ鉄道(ニュー・ジャルパーイーグリー=ダージリン間)”の名で同鉄道のみが取り上げられたのが最初で、2005年にニルギリ山岳鉄道(タミル・ナードゥ州ニーラギリ県のメットゥパラヤム=ウダカマンダラム間)が登録対象に加えられた際に、現在の名称に変更されました。今回の脱線事故が起きたカールカー=シムラー鉄道が拡大登録されたのは2008年のことです。なお、インドには山岳鉄道が4本あり、残りの一つとして、ムンバイ郊外のネーラル=マテラン間を結ぶマテラン鉄道がありますが、同鉄道は、2010年、世界遺産に登録しないことがインド政府に対して勧告されています。


 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 世界漫郵記:コーチン④
2012-06-22 Fri 01:49
 『キュリオマガジン』2012年7月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記 インド西海岸篇」は、前回に引き続き、コーチン(コーチ)の4回目です。その記事で使ったモノの中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        マハーヴィーラ2600年       コーチン・ジャイナ教寺院

 左の切手は、ジャイナ教の開祖とされるマハーヴィーラの2600年祭を記念して2001年にインドで発行された切手で、法輪のある手と上に3つの点がある卍を組み合わせたジャイナ教のシンボルマークが大きく取り上げられています。右側の写真はコーチンのジャイナ教寺院の入口で、門扉の両脇には、切手と同じシンボルマークが掲げられています。

 ジャイナ教は、釈迦と同時代(紀元前5世紀頃)の思想家、マハーヴィーラが宣教を始めた教えで、バラモンによる祭祀よりも、個人の修行による解脱を重視することや、あらゆる生き物に対する不殺生(アヒンサー)を重視することなどは仏教とも共通です。ただし、ジャイナ教のアヒンサーは仏教に比べてはるかに徹底しており、熱心な信者のなかには、空気中の小さな生物を殺さぬように白い布で口を覆うこともあります。さらに、畑を耕すと虫などを殺すことがあるとして農業を忌避する人もあり、その結果として、在家のジャイナ教徒には商人が多くなっています。

 コーチンのジャイナ教寺院は1904年に建立され、第19代ティールタンカラ(マハーヴィーラに先立つ23人の祖師のひとり)であるマッリに献じられました。

 さて、ジャイナ教のシンボルマークのうち、法輪のある手は、アヒンサーの誓いを示すシンボルで、本来、法輪の中にはアヒンサーの文字が入っているのですが、目の前の門扉の装飾では省略されていました。なお、法輪は徹底的な追求と非暴力を通じて再生の循環を停止しようという決心を表すのだそうです。

 一方、卍(スヴァスティカ)は、インドではジャイナ教に限らず仏教やヒンドゥーでも広く用いられている吉祥の印で、その上の3つの点は、ジャイナ教の宗教的な生活の心得とされる“三宝(①正しい信仰、②正しい知識、③正しい行い)”を意味しています。もっとも、コーチンのジャイナ教寺院の門扉では、点が一つ取れてしまって“二宝”になっていたのは、ご愛嬌ですが…。

 さて、今回の連載記事では、ジャイナ教関係の切手などもご紹介しながら、コーチンのジャイナ教寺院を訪ねた時のことをまとめてみました。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
       韓国語版・韓国現代史
     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

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    米国と20世紀を問い直す意欲作

   切手、歴史を送る
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

      延恩文庫より好評発売中!

 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。なお、『우표,역사를 부치다(切手、歴史を送る)』につきましては、7月以降、このブログでも刊行のご挨拶を申し上げる予定です。


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 インドの長距離ミサイル
2012-04-19 Thu 21:31
 インド国防省は、きょう(19日)、核弾頭搭載可能で、中国全土を射程に収める初の長距離弾道ミサイル“アグニⅤ”(射程約5000キロ)の発射に成功しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        アグニ・ミサイル

 これは、2000年1月1日、インドが発行した「防衛研究開発機構(DRDO)41周年」の記念切手で、アグニⅡミサイルが描かれています。

 アグニというのはインド神話に登場する火の神のことで、インドの弾道ミサイルのシリーズ名となっています。ちなみに、最初のアグニIは、1989年に覇者実験が行われ、射程距離は700-1200キロでした。切手に描かれているアグニⅡは、1999年4月に発射実験が行われ、射程は2000キロ以上とされています。さらに、2006年7月の実験失敗を経て2007年4月に核弾頭が搭載可能で射程距離4000キロのアグニⅢが開発されると、アグニⅡとアグニⅢの射程距離のギャップを埋めるものとして、射程距離2500-3500キロのアグニⅡAミサイルが開発され、2011年11月15日に打ち上げ実験が行われました。その後、アグニⅡAはアグニⅣと改称され、現在にいたっています。

 今回、打ち上げに成功したアグニⅤは、アグニⅢをベースに改良されたもので、大陸間弾道弾(ICBM)として射程距離6000キロを目指し、2007年から開発がすすめられていました。ロケットは3段式で、第1段はアグニⅢを継承し、第2段はアグニⅢを改造したものを用いていますが、第3段は飛距離を伸ばすため、アグニⅢよりも小型化されています。

 インドの軍事というと、わが国ではパキスタンとの対立に関心が集まりがちですが、インドの主要敵はあくまでも中国であり、インドの核開発は中国の脅威に対抗するために進められてきました。

 その背景には、1959年から1962年まで3年間続いた中国との国境紛争での屈辱的な敗北に加え、1964年に中国が核実験を行い、さらに、1970年の核拡散防止条約(NPT)発効で核保有国が米英ソ中仏の5ヵ国に限定されたことに対する不満があります。すなわち、核兵器は究極的には廃絶すべきであるが、現実にインドに脅威を与える国(中国)が核兵器を保有している以上、みずから核武装する権利はインドにもあるはずだ、というスタンスです。

 1995年、NPTは条約発効から25年を迎え、無期限延長が決定されましたが、インドにしてみれば、その不平等な性格は全く変化しておらず、しかも核保有国の保有する核兵器についての廃絶の見通しや削減義務が盛り込まれていないという点で、加盟に値するものとは言えないのも当然といえましょう。

 当然のことながら、おなじく、中国と北朝鮮の核の脅威に直接さらされているわが国も同様のロジックを用いて、断固として核武装を行い、ICBMを配備して中国・北朝鮮に照準を合わせるべきだという議論が(賛否は別にして)メディアにも大々的に登場していいはずなのですが、なぜ、そうならないのか実に不思議な話です。先日の北朝鮮のミサイル発射に関しても、“国際社会と協調して圧力をかける”という論調ばかりでしたが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と憲法前文で謳っている国では、それも仕方のないことなんでしょう。

 そうであれば、“われらの安全と生存を保持”するためにも、せめて、“平和を愛する諸国民”の一つであるインドにが長距離弾道ミサイルを配備して、周辺諸民族への侵略を続ける“ならず者国家”を牽制することに対して、感謝の念を表し、拍手喝采を送るというのが理にかなった行動といえそうです。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 下記の通り、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

 詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

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 世界漫郵記:コーチン①
2012-03-28 Wed 22:19
 『キュリオマガジン』2012年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は、インド西海岸篇の4回目。今回から、コーチン(コーチ)の話が始まります。その記事の中から、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

        コーチン地図カシェ

 これは、2000-01年にコーチンに派遣されたフランス海軍の駆逐艦、ジョルジュ・レイグの関係者が現地から差し出したカバーで、左下に、地図とへびつかいを描いたカシェが押されています。コーチンの話を始めるにあたって、コーチンがインドのどのあたりにあるのか示すフィラテリック・マテリアルとして、記事中の図版として使ったという次第です。

 さて、アラビア海に面したマラバル海岸は、肥沃な水郷地帯であるばかりでなく、古代から各国の商人が交易に訪れ、繁栄を誇っていました。古代におけるマラバル海岸最大の港町は、コーチンの北方40キロの地点にあるクランガノール(コドゥンガルール)で、この地には、キリスト教の伝道のため、使徒トマスが上陸したとの伝承もあります。

 1102年、それまで南インド一帯を支配していた古代チェラ王朝のひとつ、クラセカラから、配下のチョーラのラジャラジャが自立。これが、20世紀まで続くコーチンの藩王国のルーツとなりました。

 1341年、ケーララ最大の大河、ペリヤール川がモンスーンにより氾濫し、マラバル海岸の重要都市であったクランガノールが壊滅的な打撃を受けます。このため、水害に強い港町として、南北に細長い入り江をはさんだ地形のコーチンが注目されることになり、貿易港としての開発が進みます。さらに、1405年ごろには、藩王国の宮廷も、それまでの首都であったティヴァンチクラム(マホダヤプラム)からコーチンに移り、コーチンは名実ともにこの地域の中心となりました。

 一方、マラバル海岸の北方では、このころ、カリカットのザモリンが急速に勢力を拡大していました。ヒンドゥーのカースト制度では、コーチンの王の序列はカリカットのザモリンよりも下位に位置づけられていましたから、コーチンの王は外国人と手を組むことによってザモリンを牽制しようとします。

 かくして、1498年5月、ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに上陸すると、これを好機ととらえたコーチンの王は、ガマに続いてポルトガルの第2回インド遠征で1500年9月にカリカットに来訪したペトロ・アルヴァレス・カブラルをコーチンに招き、貿易取引の許可を与えました。ちなみに、1500年3月、リスボンを出発したカブラル一行はインドへ向かおうとしたものの海流に流されて、同年4月、ブラジルに漂着し、ブラジルの“発見者”としてヨーロッパにその名をとどろかせることになりました。

 いずれにせよ、アラブ・ムスリム商人を排除してマラバル海岸の香辛料貿易を独占したかったポルトガル人にとっても、コーチンの王からの申し出は渡りに船でした。そして、ポルトガル船がアラブの商館を砲撃したのを機に、1503年3月、カリカットとコーチンとの間に戦端が開かれると、ポルトガルはコーチンとともに戦い、大いに戦果を挙げることになります。

 この功績に対して、コーチンの王は地峡の北端にポルトガルの砦を建造することを認め、砦の周囲にポルトガル人の居留地が築かれます。これが、現在、多くの観光客を集めるフォート・コーチン地区のルーツとなりました。なお、建設当初の砦は、当時のポルトガル国王、マヌエル1世にちなみ、フォート・マヌエルと呼ばれていました。

 これを機に、コーチンの実質的な支配権はポルトガルに牛耳られるようになりましたが、そのポルトガルも1663年には退場してオランダが新たな支配者として君臨。さらに、1773年には藩王国のマイソールがコーチンを占領し、1814年にはイギリスがコーチンを保護国化します。

 今回の記事では、次回以降のコーチン漫郵記のイントロダクションとして、上記のようなコーチンの歴史的なアウトラインを中心にまとめてみました。水上から眺めたフォート・コーチンの風景や現地の子供たちの写真などもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 *昨日(27日)のトークイベントは、無事、盛況のうち終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

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 切手展グッズのTシャツ
2011-02-17 Thu 11:56
 昨晩(16日)、南インドのコーチからデリーに戻ってきました。デリーは日本の秋のような気候で常夏の南インドとはだいぶ気温が違うので、会期初日の12日に切手展の会場でTシャツを2枚買い、向こうでは来ていました。こんな感じのTシャツです。(画像は切手展のウェブサイトから拝借しました)

      INDIPEX Tシャツ(白)     INDIPEX Tシャツ(黒)

 で、このTシャツのデザインはどこかで見たことがあると思っていたら、この切手が元ネタでした。(画像はクリックで拡大されます)

        インド共和国50年

 これは、2000年にインドで発行された「共和国50年」の記念切手で、杖をついて歩くガンジーの後姿がインド地図に見立ててイラスト化されています。

 ここでいう「共和国50年」というのは、独立後の1950年1月26日に憲法が施行され、正式に共和制が発足したことから起算してのことで、インドでは毎年1月26日が“共和国記念日”として祝日になっています。

 ちなみに、インドでは独立以来現在にいたるまで100回以上も憲法を改正しており、必要に応じて憲法を社会の実態に沿うように修正するという姿勢は徹底しています。そういうインド人の目から見れば、現実との乖離が大きくなっているにもかかわらず、60年間、まったく憲法を変えてこなかった日本人というのはさぞかし不思議な国民に見えるんでしょうねぇ。


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 カタカリと歌舞伎
2011-02-16 Wed 23:56
 きのう(15日)はコーチンの各所をまわり、最後は日印交流年の切手にも取り上げられた伝統舞踊のカタカリを見て締めくくりました。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        インド=日本国交50年

 これは、2002年4月26日にインドで発行された対日外交関係50周年の記念切手で、インドを代表する古典舞踊のカタカリと日本の歌舞伎が取り上げられています。ちなみに、この年は日本と南アジア諸国との外交関係の節目の年(インド、パキスタン、スリランカとの国交樹立50周年にしてバングラデシュとの国交樹立30周年)にあたっていたため、日本側では、これらを一括して「21世紀における日本と南アジア」と題する4種セットの切手を発行。このうち、インド関係のものとしては、タージ・マハルが取り上げられました。

 さて、インドの切手に取り上げられたカタカリはインド最南端ケララ州の舞踏劇で、世界最古の演劇の一つとされる呪術劇のクリヤッタムやクリシュナッタム(ヒンドゥーの神、クリシュナを題材にした舞踏劇)、カラリパヤットという武術の要素が加わり、西暦1500年頃に現在のようなスタイルのものとして確立されました。

 劇のストーリーはラーマやクリシュナの神話に基づいており、本来は夜通し演じられるものですが、現在では2時間程度に圧縮されたダイジェスト版も演じられています。また、台詞やナレーションなどの言葉に相当する部分は歌で表現されますが、伴奏は打楽器のみです。

 舞踊劇としてのカタカリでは、ムドラー(指や手の動き)で物語を表現し、顔の筋肉を動かしてナヴァラサ(9種類の感情)を表現します。これに、ストーリーとは直接関係なく、純粋にステップや肉体の動きを見せるためのヌリッタ(“純粋舞踊”とも訳される)が組み合わされることで、物語が表現されています。

 しかしながら、カタカリの最大の特徴といえば、なんといっても独特のメイクと衣装でしょう。このメイクには、いくつかの基本的な型があるのですが、そのうち、切手に取り上げられているのはバッチャと呼ばれるもの。顔の色は高貴さを示す緑色で、目と眉毛は黒く、口は赤く塗られており、物語の主人公(高貴な心の英雄)を示すスタイルです。顔の周囲につけられている白い紙は、頬を強調するための頬型です。

 カタカリはインドを代表する古典舞踊の一つですが、日本の歌舞伎、中国の京劇と並んで世界三大化粧劇の一つにも数えられています。カタカリと歌舞伎を並べた切手を目にしたインド人が、歌舞伎という単語は知らなくても、日本にもカタカリと同じような古典芸能があることを認識し、日本に対する親近感を感じてくれたら良いですね。


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