内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 岩のドームの郵便学(24)
2014-12-06 Sat 09:20
 『本のメルマガ』556号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する5回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソマリア・岩のドーム(1978)

 これは、1978年4月30日、、“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”と題してソマリアが発行した切手で、岩のドームが大きく描かれています。

  いわゆるアフリカの角の北側、アデン湾に面したソマリランドの地域は、1870年代までエジプトのムハンマド・アリー朝が支配しており、1876年にはエジプトの郵便局も開設されました。しかし、1884年、アデン駐留の英軍が駐屯するようになり、エジプトはソマリランドから撤退。英国はソマリランドの各部族と協定を締結し、1887年には同国を保護領化します。これに伴い、1884年に英国局が開局し、英領インド切手が用いられるようになりました。その後、ソマリランドの管轄は、英領インド帝国→イギリス外務省→イギリス植民地省と変遷。英領ソマリランドとしての切手も、1903年から発行されるようになります。

 一方、現在のソマリアの南部(内陸部)に相当する地域に関しては、1892年、イタリアが現在のソマリアの首都・モガディシュを租借地とし、イタリア語風にモガディシオと改称。その後、イタリアは1905年にモガディシュを買収し、1908年に現在のソマリアの南部に相当するイタリア領ソマリランドを植民地化しました。

 この結果、ソマリア人の居住地域は英領とイタリア領に分割されますが、第二次大戦中の1941年2月16日、英軍はモガディシオを占領。その後、1950年まで、この地は英国の占領下に置かれていました。

 第二次大戦後の1947年、連合諸国とイタリアの講和条約が結ばれ、イタリアはイタリア領ソマリランドを含むアフリカの全植民地を放棄させられましたが、イタリア撤退後の旧イタリア領ソマリランドの帰属については連合国の間でも合意が成立しなかったため、1949年11月、10年以内にこの地域を独立させることを条件に、この地域を国連の信託統治下に置き、その間、イタリアが統治権を行使することが決定されました。

 こうして、1950年4月1日、イタリア信託統治領ソマリアが成立。イタリアによる南部ソマリアの信託統治期限が切れる直前の1960年6月26日、北部の英領地域がソマリランド共和国として独立。7月1日には南部のイタリア領地域も独立し、この両者を統合して、現在、国際社会が認知している“ソマリア国家”が誕生しました。

 独立当初、ソマリアの政情は安定していましたが、1969年10月15日、モハメド・シアド・バーレ少将が軍事クーデターを起こして、首都モガディシュを制圧。11月1日、みずからを議長とする最高革命評議会を樹立します。最高革命評議会は憲法を停止し、“科学的社会主義”路線への転換を発表して、国号を“ソマリア民主共和国”に変更しました。

 日本語で科学的社会主義というと、一般にはマルクス主義のことを指しています。すなわち、マルクスとエンゲルスは、サン・シモンら先達の理論を空想的社会主義と批判し、自らの思想を弁証法的唯物論に基づく哲学的基礎を有し、“科学”の名に値するとの認識に基づく、彼らの自称だからです。

 これに対して、バーレ政権の掲げた“科学的社会主義”は、マルクス主義とコーランの思想を融合・発展させることは可能であるとするもので、その趣旨は通常の意味での科学的社会主義とは大いに異なっています。

 このように、ある種珍妙な理論が掲げられた背景には、ソマリア国民の95%がムスリム(さらにその98%がスンナ派)であるという現実の下で、「宗教は民衆のアヘンである」とするマルクス主義をそのまま適用することは不可能であったという事情がありました。一方、バーレ政権はキリスト教に対しては教会運営の学校閉鎖を命じ、外国人宣教師を帰国させるなど、抑圧的な政策を取っています。こうして、キリスト教を排除し、イスラムと社会主義の融合を掲げたことで、バーレの最高革命評議会は、イスラム勢力を体制側として取り込むことにひとまず成功したのです。

 さて、バーレは、当初、銀行の国有化・農業の重視・ソマリ語のラテン文字化(従来はアラビア文字による表記)・男女平等の推進などの改革を意欲的に進めようとしました。しかし、そうした“近代化(=西洋化)”を急進的に推し進めようとしたことで、しだいに伝統的な部族社会との軋轢が生じることになります。

 これに対して、バーレは批判勢力を強引に封じ込めるべく、治安局や治安裁判所を設立して軍人が司法に関与する体制を構築。さらに、1975年には従来の民法を破棄し、社会主義的な新民法を導入しようとしました。

 こうしたバーレの政策は、当然のことながら、それまでソマリアにおけるローカルな司法の担い手であったイスラム法学者たちの社会的存在意義を真正面から否定するものでしたから、彼らは政権に対する抗議活動を展開しましたが、バーレは、指導的な立場にあったイスラム法学者10名を逮捕・処刑。さらに、翌1976年、ソ連型社会主義体制の構築を目指して、ソマリ社会主義革命党(SRSP)を設立し、事実上の共産党一党独裁体制を構築することで事態を強引に乗り切ろうとしました。

 国内情勢が不安定化しつつある中で、バーレはソマリアの主要民族であるソマリ人がソマリア国家の領域を超えてケニアやエチオピア、ジブチなどにも居住していることに目をつけ、全ソマリ人を統合した大ソマリア主義を標榜し、国民の不満をそらそうとします。

 はたして、エチオピア国内では、バーレ政権の支援を受けたソマリ解放運動が分離独立運動を激化させ、1977年8月、ソマリアはエチオピアとの紛争状態に突入。同年11月にはエチオピア東部のオガデン地方でソマリ人勢力の分離独立運動が激化し、翌1978年2月には両国間でオガデン戦争が勃発しました。

 上述のように、オガデン戦争が勃発した時点で、バーレ政権は明確にソ連寄りのスタンスを取っていましたが、当時のエチオピアもまたソ連の友好国でした。このため、ソ連は、当初、社会主義諸国の盟主として、ソマリアとエチオピアの紛争を調停しようとしたものの、それが失敗に終わると、エチオピア支持の立場を鮮明にし、1978年11月以降、ソマリアへの支援を停止します。これに対して、“反ソ”の立場から、米国と中国がソマリアを支援するという構図が生まれ、オガデン戦争は大国による代理戦争の様相を呈するようになりました。

 また、この間の1977年10月、モガディシュ空港にドイツ赤軍によってハイジャックされたルフトハンザ航空181便がモガディシュ空港に着陸し、英国と西ドイツの特殊部隊とソマリア軍が突入して事件を解決するという出来事もありました。

 このため、バーレ政権としては、“社会主義路線”を放棄しないものの、かつてのようなソ連一辺倒の姿勢は修正し、当初の“科学的社会主義”のスタンスに立ち戻る必要に迫られます。すなわち、マルクス主義ととともに“科学的社会主義”のもう一つの支柱であった“イスラム”を重視する姿勢を明らかにしなければならなくなったのです。

 1978年4月30日、中東戦争の開戦記念日とは全く無関係に、バーレ政権下のソマリアが、突如、岩のドームの切手を発行し、ムスリムが連帯してパレスチナの聖地を守ることを訴え出したのは、以上のような国内事情を反映したものとみるのが自然でしょう。特に、ソマリア国家は独立以来、パレスチナ問題にはほとんど関与してこなかったことに加え、1969年以降のソマリア民主共和国が“社会主義国”としてイスラムに関する題材を切手に取り上げてこなかったことを考えると、この切手が発行は、あまりにも唐突なものという印象がぬぐえません。

 ちなみに、オガデン戦争は1988年の停戦協定成立まで継続されますが、実質的には、1983年、エチオピア軍がソマリア領内に侵攻したことで大勢は決したとみることができます。そして、この戦争の敗戦によってバーレ政権は弱体化し、ソマリアは泥沼の内戦に突入していくのです。


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 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
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 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は11月4日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 ソマリアの無政府状態解消
2012-09-11 Tue 21:41
 ソマリアの議会はきのう(10日)、新大統領にハッサン・シェイク・モハムド氏を選出しました。これにより、1991年以来、21年間続いたソマリアの無政府状態が終結することになります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ソマリア解放(1991)

 これは、1991年に発行されたソマリア解放の記念切手です。

 現在のソマリア国家の領域は、かつては英領とイタリア領に分かれていましたが、1960年6月26日、北部の英領がソマリランド共和国として独立。7月1日には南部のイタリア領も独立し、この両者が統合されて現在のソマリア国家が誕生しました。

 独立後しばらくの間、ソマリアの政情は安定していましたが、1969年10月15日、モハメド・シアド・バーレ少将が軍事クーデタを起こして、アブディラシッド・アリー・シェルマルケ大統領を暗殺し、大統領に就任。バーレは、1970年10月に社会主義国家ソマリア民主共和国を宣言し、ソマリ社会主義革命党の一党独裁体制が樹立されました。

 1977年、隣国のエチオピアでソマリ人による反政府暴動が起こるとバーレ政権はこれに介入しましたが、ソ連ならびにキューバの支援を受けたエチオピア政府軍に撃退されます。この敗戦に加え、経済失政によって国内の格差が拡大したこともあって、バーレ独裁に対する国内の不満が噴出。1980年代に入ると、反政府勢力による武装闘争が本格化し、ソマリア全土は内戦状態に突入。バーレ政権の支配はモガディシュやベルベラなどに限られた地域にしか及ばなくなります。

 1991年1月、モハメッド・ファッラ・アイディードひきいる反政府勢力の統一ソマリア会議(USC)が首都のモガディシュを制圧。バーレは国外に追放され、ソマリア民主共和国は解体されました。今回ご紹介の切手は、これを記念してUSC政権が発行したもので、切手上には1月26日の日付が印刷されていますが、実際の発行日は定かではありません。

 さて、バーレ追放後、USCは内部の権力闘争によって国内をまともに統治することができず、内戦はさらに悪化。以後、国土は分断され、近年にいたるまで事実上の無政府状態が続いていました。この間、“ソマリア・ポスト”を名乗る組織がソマリア名義の切手を発行してきましたが、いずれも、ソマリア国内の郵便に使用することは想定されておらず、ソマリア正統政府としての正規の切手発行もストップしていました。

 内戦下のソマリアでは、2006年6月、いわゆるイスラム原理主義を掲げるイスラム法廷会議が勢力を拡大し、首都モガディシュを征圧。これに対して、法廷会議以外の諸派は、イスラム原理主義の勢力拡大に危機感を抱いたエチオピアの支援を受けて、ケニアのナイロビで暫定政権を樹立。両派の“戦争”の結果、2007年1月にはエチオピア軍と暫定政府軍がソマリアのほぼ全土を制圧しました。しかし、エチオピア軍の駐留に反対する市民のデモが頻発。その隙を突くかたちで、法廷会議に代わる原理主義勢力としてアルシャバブが急速に勢力を伸張することになりました。暫定政府軍は昨年(2011年)8月、アルシャバブを首都モガディシオから一掃したものの、地方では軍閥も割拠しており、完全掃討と全土の治安回復のめどは立っていません。

 いずれにせよ、今回の新大統領就任により、ともかくもソマリアでは新政府が発足することになったわけですが、その新生ソマリア政府が近々発行するであろう切手はどんなものになるんでしょうか。続報が入りましたら、このブログでもご紹介したいと思います。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 9月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 公開講座 ソウル・国立中央博物館へ行ってみよう
・よみうりカルチャー北千住 9月19日(水)13:00-15:00

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月2日、10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30
 
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00


 ★★★★ 電子書籍で復活! ★★★★

 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち
 そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史

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 ソマリア政府庁舎前で自爆テロ
2011-10-04 Tue 23:57
 ソマリアの首都モガディシオ中心部にある政府庁舎前で、きょう(4日)、イスラム過激組織アッシャバーブによる自爆テロでトラックが爆発。約70人が死亡、50人前後が負傷しました。負傷された方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ソマリア総督府

 これは、イタリア植民地時代のソマリアで1932年に発行された35サンチームの普通切手で、モガディシオの総督府の建物が描かれています。

 インド洋に面したソマリアの中心都市・モガディシュは、1871年にザンジバルのスルターンに征服されますが、1890年にザンジバルがイギリスの保護領となると、1892年にイタリアの租借地となり、イタリア語風にモガディシオと改称されました。その後、イタリアは1905年にモガディシオを買収。1908年に現在のソマリアの南部に相当するイタリア領ソマリランドを植民地化し(北部は英領ソマリランドとなりました)、モガディシオをその首都としました。今回ご紹介の切手に取り上げられている総督府の建物は、これに伴い建設されたものです。

 1960年にソマリアが独立すると、旧総督府の建物はそのまま新生ソマリア政府の庁舎となりましたが、1991年以降の内戦下では、政府庁舎の主もモハメド・シアド・バーレ(社会主義国家ソマリア民主共和国の独裁者)→モハメッド・ファッラ・アイディード(反政府勢力の統一ソマリア会議・議長)→イスラム法廷会議(いわゆるイスラム原理主義勢力)→ソマリア暫定政権(法廷会議以外の諸派連合)と目まぐるしく変転しています。

 おそらく、建物自体も長期にわたる内戦で大きく損傷しているものと思われますが、今回の自爆テロでもさらなるダメージを受けているのかもしれません。

 事実上の無政府状態に陥っているソマリアでは、現在、ソマリア正統政府としての正規の切手発行もストップしている状況です。正規のソマリア切手が復活し、そこに再び政府庁舎が取り上げられる日が来るのはいつのことになるのか、現状では全く見当もつきませんな。


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 国内最高齢のアフリカゾウ死ぬ
2011-07-29 Fri 23:38
 東京都日野市の多摩動物公園で飼育されていた国内最高齢のアフリカゾウ“マコ”(雌、推定46歳)が今朝、亡くなりました。死因は、自分の体重で肺を押しつぶしたことによる呼吸不全だそうです。というわけで、きょうはアフリカゾウの切手です(画像はクリックで拡大されます)

        ソマリア1番切手

 これは、1903年10月12日に発行されたイタリア領ソマリアランド最初の切手です。

 アフリカの角の東端に位置するソマリアは、紀元後40年から70年ごろのインド洋海域の貿易について記された『エリュトゥラー海案内記』にも登場しますが、900年ごろ、アラビア半島からアラブ系の商人たちが住み着き、以後、海上貿易のみならず、内陸との交易の拠点としても発展し、12世紀初頭にはアフリカ東海岸を代表する商業都市に成長しました。14世紀のイブン・バトゥータや15世紀の鄭和もこの地を訪れています。

 1871年、ソマリアの中心都市であったモガディシュはザンジバルのスルターンによって征服されますが、1890年にザンジバルがイギリスの保護領となると、1892年、モガディシュはイタリアの租借地となり、イタリア語風にモガディシオと改称されました。その後、イタリアは1905年にモガディシュを買収。1908年に現在のソマリアの南部に相当するイタリア領ソマリランドを植民地化し(ちなみに、北部は英領ソマリランドとなりました)、モガディシオをその首都としました。

 今回ご紹介の切手は、そうしたイタリア領ソマリランドの成立過程で、1903年にイタリアが、モガディシュを含む沿岸部のべナディールでの郵便のために発行したものです。なお、切手の通貨単位となっているベサは、4ベサで1アンナ、4アンナで1ルピーという勘定になります。


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 ソマリアの海
2009-08-17 Mon 18:38
 海賊対策で今年3月14日からアフリカ・ソマリア沖へ派遣されていた海上自衛隊の護衛艦「さざなみ」と「さみだれ」が、7月下旬、第2陣の護衛艦2隻と任務を交代し、きのう(16日)、母港の海上自衛隊呉基地に無事帰港したそうです。というわけで、きょうはソマリアがらみのネタの中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 ソマリア・香料貿易

 これは、1959年9月28日、イタリア信託統治時代のソマリアで発行された“第5回ソマリアフェア”の記念切手で、紀元前15世紀の香料貿易のイメージが表現されています。

 アフリカの角に位置するソマリアは、古来、インド洋海域の交通の拠点となっており、紀元後40年から70年ごろのインド洋海域の貿易について記された『エリュトゥラー海案内記』には、すでにモガディシュ地域とインド沿岸との通商関係のことが記されています。その後、900年ごろ、アラビア半島からアラブ系の商人たちが住み着き、以後、海上貿易のみならず、内陸との交易の拠点としても発展。12世紀初頭にはアフリカ東海岸を代表する商業都市に成長しまし、14世紀のイブン・バトゥータや15世紀の鄭和といった大旅行家たちもこの地を訪れています。

 19世紀から20世紀にかけて、ソマリアはイタリアならびにイギリスの支配を受けますが、その時代も交通の要衝としての価値は減じることはなく、1960年に独立を達成した新生ソマリア国家もインド洋交易の拠点としての地位を国家建設の重要な手段として位置付けていました。今回ご紹介の切手は、独立直前、すなわち、イタリアによる信託統治期限切れ直前に発行されたものですが、やはり、海上交通の拠点としてソマリアが歴史的に重要な位置を占めてきたことをアピールする内容となっています。

 1991年以降の内戦により、ソマリア本土は無政府状態に陥っているわけですが、だからといって、国際交易ルートとしてのソマリア沖の重要性が減じるわけでなく、そのことが、結果的に、治安の空白による海賊の跋扈を招いていることは周知のとおりです。海賊の取り締まりは、本来、ソマリア政府が行うべきものですが、現実にそれがきちんと行われていない以上、貿易立国であるわが国が、関係各国と連携して、この地域における海上輸送の安全を自ら確保するのはきわめて当然のことです。そして、ロケット砲まで持ち出す海賊連中を相手に漁船・商船を守るには、やはり、海の警察としての海上保安庁だけでは無理な話で(話を陸上に置き換えてみれば分かりやすいでしょう)、海上自衛隊こそが適任であることは明らかです。

 そういえば、月末の総選挙では、ソマリアに派遣するのは海上保安庁で十分と言っていた某政党が衆議院の第1党になりそうだというのが大方の予想ですが、かの政党が政権を取った後、自衛隊を派遣せずに、わが国の船舶が襲われるようなことになったら、彼らはどう説明するつもりなんでしょうかねぇ。

 いずれにせよ、過酷な環境の中で任務を終え、無事に帰国された自衛官の皆様には「お疲れさまでした。ゆっくりお休みください」と、日本国民の一人として、お礼申し上げたいと思います。

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 ソマリアの難民救済切手
2009-03-15 Sun 22:06
 昨日の午後、海上自衛隊の護衛艦が海賊対策のため、アフリカ・ソマリア沖にむけて、広島県の海自呉基地を出港しました。というわけで、今日はソマリアの切手の中から、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ソマリア・難民救済

 これは、1981年にソマリアで発行された難民救済の寄附金つき切手です。

 1977年、隣国のエチオピアでソマリ人による反政府暴動が起こると、ソマリアはこれに介入しましたが、ソ連ならびにキューバの支援を受けたエチオピア政府軍に撃退されます。この敗戦に加え、経済失政によって国内の格差が拡大したこともあって、ソマリ社会主義革命党のバーレ独裁に対する国内の不満が噴出。1980年代に入ると、反政府勢力による武装闘争が本格化し、ソマリア全土は内戦状態に突入。バーレ政権の支配はモガディシュやベルベラなどに限られた地域にしか及ばなくなりました。今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で難民救済のために発行されたものです。

 その後、1991年1月にモハメッド・ファッラ・アイディードひきいる反政府勢力の統一ソマリア会議(USC)が首都のモガディシュを制圧。バーレは国外に追放され、ソマリア民主共和国は解体されます。しかし、バーレ追放後、USC内部の権力闘争から内戦はさらに悪化。以後、国土は分断され、現在にいたるまで事実上の無政府状態が続き、ソマリア正統政府としての正規の切手発行も事実上ストップしています。

 現在問題となっているソマリアの海賊も、こうしたソマリアの“無政府状態”による治安の空白が背景になっているわけで、事態の根本解決にはまだまだ時間がかかりそうです。なお、ソマリアというのは郵便史的にはなかなか面白い対象でもありますので、このブログでも、自衛隊の皆さんの応援企画として、これから随時、ソマリア関連のマテリアルをご紹介していけたら、と思っています。


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 ブラックホーク・ダウン
2007-04-16 Mon 00:30
 昨夜(15日)は、夕食後、原稿を書かずについついテレビで映画「ブラックホーク・ダウン」(1993年にソマリアで起こった米軍とゲリラの市街戦を描いた戦争映画)を見てしまいました。テレビを見ながら、手元にこんなカバー(封筒)があったことを思い出して、引っ張り出してきてみました。

ソマリア実逓便

 これは、内戦下のソマリアの首都・モガディシュ(モガディシオ)からイギリス宛に差し出されたカバーです。

 1977年、隣国のエチオピアでソマリ人による反政府暴動が起こると、バーレ独裁体制下のソマリアはこれに介入しましたが、ソ連ならびにキューバの支援を受けたエチオピア政府軍に撃退されます。この敗戦に加え、経済失政によって国内の格差が拡大したこともあって、バーレ独裁に対する国内の不満が噴出。1980年代に入ると、反政府勢力による武装闘争が本格化し、ソマリア全土は内戦状態に突入。バーレ政権の支配はモガディシュやベルベラなどに限られた地域にしか及ばなくなりました。

 1991年1月、モハメッド・ファッラ・アイディードひきいる反政府勢力の統一ソマリア会議(USC)が首都のモガディシュを制圧。バーレは国外に追放され、ソマリア民主共和国は解体されます。しかし、バーレ追放後、USC内部の権力闘争から内戦はさらに悪化。以後、国土は分断され、現在にいたるまで事実上の無政府状態が続き、ソマリア正統政府としての正規の切手発行も事実上ストップしています。

 その後、ソマリア郵政の名を騙ってさまざまな切手が発行されていますが、これらが実際にソマリア国内で使われる可能性はおそらくほぼゼロで、実際には郵便がどうなっているのか、外部の我々にはうかがい知れない状況が続いています。

 今回ご紹介のカバーは、切手は貼られておらず、料金収納済みを示す“PORT PAYE”の印を押して処理されています。モガディシュ局の印も押されていますが、あいにく、日付がほとんど読めません。ただ、宛先のBBCがSOMALI SECTIONという独立の部署を置くようになるのは内戦が国際問題化してからのことでしょうから、内戦期のカバーであることはまず間違いないとみてよいでしょう。

 このカバー一通だけでは内戦下のソマリアの郵便事情の概要などわかるはずもないのですが、それでも、ある時期、モガディシュでも料金収納印を用いた郵便が行われていたことだけは、とりあえず確認できたといえそうです。おそらく、欧米の郵趣誌には内戦下のソマリアの郵便事情についてのレポートも載っているのでしょうが、日本ではあまり話題として取り上げられることもないようですので、ちょっとご紹介してみたという次第です。

 <お知らせ>
 4月29日(土)14:30~、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場で、拙著『沖縄・高松塚の時代』の刊行を記念して講演+サイン会を行います。入場無料ですので、是非、遊びに来てください。
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 アラブの都市の物語:モガディシュ
2007-03-19 Mon 00:41
 NHKのアラビア語会話のテキスト4・5月号が出来上がってきました。僕の担当している連載「切手に見るアラブの都市の物語」では、今回は、ソマリア(れっきとしたアラブ連盟の加盟国です)の首都、モガディシュを取り上げました。その記事に使ったものの中から、今日は、テキストではスペースの都合で一部分しかお見せできなかったカバー(封筒)の全体像をお見せしましょう。(画像はクリックで拡大されます)

ソマリア独立記念

 これは、1960年7月1日、ソマリア独立の記念切手が貼られた初日カバーで、ソマリア国旗を描く首都モガデシュ局の記念印が押されています。

 19世紀後半に始まる帝国主義の時代、1890年にザンジバルがイギリスの保護領となると、1892年、モガディシュはイタリアの租借地となり、イタリア語風にモガディシオと改称されます。その後、イタリアは1905年にモガディシュを買収。1908年に現在のソマリアの南部に相当するイタリア領ソマリランドを植民地化(ちなみに、北部は英領ソマリランドとなった)した際に、モガディシオをその首都としました。

 第2次大戦中の1941年2月16日、イギリス軍はイタリア領ソマリランドの首都であったモガディシオを占領。その後、1950年まで、この地はイギリスの占領下に置かれます。

 第2次大戦後の1947年、連合諸国とイタリアの講和条約が結ばれ、イタリアはイタリア領ソマリランドを含むアフリカの全植民地を放棄させられました。しかし、イタリア撤退後の旧イタリア領ソマリランドの帰属については連合国の間でも合意が成立しなかったため、1949年11月、10年以内にこの地域を独立させることを条件に、この地域を国連の信託統治下に置き、その間、イタリアが統治権を行使することが決定されます。こうして、1950年4月1日、イタリア信託統治領ソマリアが成立し、モガディシオはその首都となります。

 イタリアによる南部ソマリアの信託統治期限が切れる直前の1960年6月26日、北部のイギリス領がソマリランド共和国として独立。7月1日には南部のイタリア領も独立し、この両者が統合されて現在のソマリア国家が誕生。モガディシュは新生ソマリアの首都となりました。

 独立後しばらくの間、ソマリアの政情は安定していましたが、1969年10月15日、モハメド・シアド・バーレ少将が軍事クーデタを起こして、アブディラシッド・アリー・シェルマルケ大統領を暗殺し、大統領に就任。バーレは、1970年10月に社会主義国家ソマリア民主共和国を宣言し、ソマリ社会主義革命党の一党独裁体制が樹立されました。

 1977年、隣国のエチオピアでソマリ人による反政府暴動が起こるとバーレ政権はこれに介入しましたが、ソ連ならびにキューバの支援を受けたエチオピア政府軍に撃退されます。この敗戦に加え、経済失政によって国内の格差が拡大したこともあって、バーレ独裁に対する国内の不満が噴出。1980年代に入ると、反政府勢力による武装闘争が本格化し、ソマリア全土は内戦状態に突入。バーレ政権の支配はモガディシュやベルベラなどに限られた地域にしか及ばなくなります。

 1991年1月、モハメッド・ファッラ・アイディードひきいる反政府勢力の統一ソマリア会議(USC)が首都のモガディシュを制圧。バーレは国外に追放され、ソマリア民主共和国は解体されます。しかし、バーレ追放後、USC内部の権力闘争から内戦はさらに悪化。以後、国土は分断され、現在にいたるまで事実上の無政府状態が続き、ソマリア正統政府としての正規の切手発行も事実上ストップしています。

 1992年12月、国連安保理はアイディード派の攻撃でモガディシュを脱出したアリ・マハディ・モハメド大統領の要請で、米軍を中心とする多国籍軍を派遣しましたが、アイディードは国連に対して宣戦布告し、国連パキスタン軍を攻撃して30名近い兵士を殺害します。このため、米軍が本格介入するものの、1993年10月、アイディード派の殲滅を狙って起こしたモガディシュの戦闘で20名近い兵士を失って撤退。主軸を失った国連活動も1995年には撤収を余儀なくされました。

 その後も泥沼の内戦が続く中で、いわゆるイスラム原理主義を掲げるイスラム法廷会議が勢力を拡大し、2006年6月にはモガディシュを征圧します。これに対して、法廷会議以外の諸派は2004年10月にはケニアのナイロビで暫定政権を樹立。エチオピアとの国境に近いバイドアを拠点に、イスラム原理主義の勢力拡大に危機感を抱いたエチオピアの支援を受けて法廷会議に対抗します。

 このため、2006年12月下旬、イスラム法廷会議がバイドアに攻勢をかけると、同24日、エチオピアはソマリアへの空爆を開始し、法廷会議との「戦争状態」を宣言。同28日には暫定政府軍とともに法廷会議をモガディシュから撤退させました。その後、2007年1月にはエチオピア軍と暫定政府軍がソマリアのほぼ全土を制圧しましたが、エチオピア軍の駐留に反対する市民のデモが頻発しており、現在なお首都の治安が回復されているとはいいがたい状況です。

 さて、4年目に突入した僕の連載「アラブの都市の物語」では、今回はそうしたモガディシュの歴史をさまざまな切手でたどってみました。ご興味をお持ちの方は、是非、現在発売中のNHKアラビア語会話のテキストをお手にとってご覧いただけると幸いです。
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