内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 タージ・マハルの警備強化
2017-03-18 Sat 23:15
 きのう(17日)、インド警察は世界遺産タージ・マハルへのテロに対する警備を強化すると発表しましたが、これに挑戦するかのように、きょう(18日)、タージ・マハル所在地のアグラ駅周辺で、2回の爆発が発生しました。というわけで、きょうは、タージ・マハルを取り上げた切手の中から、この1枚です。

      インド・フダーバフシュ図書館

 これは、1994年11月21日に発行された“フダー・バフシュ東洋図書館”の切手で、同館所蔵の写本に収められたタージ・マハルの絵が取り上げられています。

 インド有数の蔵書家であったムハンマド・バフシュの死後、息子のフダーは父の写本1400点を受け継ぎ、自らもコレクションを充実させ、1880年、ビハール州のパトナに個人図書館を開設。その後、1891年に英領ベンガル総督のチャールズ・エリオットにより一般公開されました。これが、現在のフダー・バフシュ東洋図書館の起源で、現在、同館は1969年に制定されたフダー・バフシュ東洋図書館法により、連邦政府が維持・管理してます。

 フダー・バフシュ図書館は、アラビア語・ペルシャ語・ウルドゥ語の写本と、ムガール、ペルシャ、トルコの細密画のコレクションが充実していることで世界的にも有名です。今回ご紹介の切手には、そのうち、タージ・マハルを建造したシャー・ジャハーン時代の年代記『パードゥシャー・ナーメ』の一葉が取り上げられています。

 さて、今回、インド警察が、タージ・マハルの警備を強化するようになったのは、武装した男が“新たな標的”のタージ・マハルを向いて立っている画像を報道がインターネット上にアップされていたことが発覚したのが発端です。この画像は、イスラム過激派系のメディアが通信アプリで公開したものと見られていますが、今後、これに刺激を受けたテロリストが、世界的観光地のタージ・マハルをテロの標的とする可能性が指摘されていました。

 きょうの爆発がテロによるものかどうかは、現在、捜査中だそうです。もちろん、インド警察は「いかなる不測の事態にも対応できるよう準備している」と強調しているのですが、やはり、不安は拭えませんね。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | インド:ジャナタ・ダル時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 チャンドラ・ボース生誕120年
2017-01-23 Mon 12:30
 インドの独立運動家、スバース・チャンドラ・ボースが1897年1月23日に生まれてから、今日でちょうど120年です。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・チャンドラボース生誕100年

 これは、1997年1月23日にインドが発行した“スバース・チャンドラ・ボース生誕100周年”の記念切手です。

 スバース・チャンドラボースは、1897年1月23日、ベンガル州カタク(現オリッサ州)の弁護士の家庭に生まれました。カルカッタ大学在学中、英国人教師の人種差別的な態度に抗議して学生ストライキが発生すると、ボースは首謀者とみなされて停学処分となりましたが、ともかくも同大を卒業。1919年、英国に留学しました。

 1920年、インド高等文官試験に合格したものの、英国の植民地支配に奉仕することを潔しとせずに資格を返上します。翌1921年、マハトマ・ガンディーの“不服従運動”に参加しましたが、ガンディーの非暴力主義には強く反対。1924年にカルカッタ市執行部に選出されるも、逮捕・投獄されマンダレー(ビルマ)に流刑となり、釈放後の1930年にはカルカッタ市長に選出されたものの、植民地政府の手により免職されました。

 1938年、ガンディーの推薦を受けて国民会議派議長に選出され、インド独自の社会主義“サーミヤワダ”を提唱し、若年層・農民・貧困層の支持を獲得。これに自信を得たボースは、議長はガンディーの指名によって決められるという慣例を破って、議長選挙に立候補し、ガンディーの推薦するボガラージュ・パタビ・シタラマヤに大差をつけて勝利しました。しかし、この結果、ガンディーを支持する国民会議派の多数派の支持を失い、ほどなくして、議長辞任を余儀なくされました。

 議長辞任後の1939年9月、英独開戦を知ると、これを独立運動の好機ととらえたボースは武装闘争の準備を開始。さらに、翌1940年6月、フランスが降伏し、7月にはドイツによる英本土上陸作戦の前哨戦としてバトル・オブ・ブリテンが始まると、ボースはガンディーに対して、反英レジスタンス蜂起のためのキャンペーンを行うよう要求。ガンディーはこれを時期尚早として退けましたが、ボースは大衆デモの煽動と治安妨害の容疑で逮捕されました。

 獄中でのボースは、ハンガーストライキを行い、衰弱のため仮釈放されていた12月にインドを脱出。アフガニスタン経由で、ソ連に亡命しようとしましたが、アフガニスタン駐在のソ連大使がボースの入国を認めなかったため、1941年4月2日、ベルリンに逃れます。

 ベルリンに到着したボースは、4月9日、ドイツ外務省に対して、インドでの独立派の武装蜂起と枢軸国軍によるインド攻撃を提案。ドイツ外務省は情報局内に特別インド班を設置し、1941年11月には“自由インドセンター”を創設。同センターはインドに対する宣伝工作を行うとともに、北アフリカ戦線で捕虜となったインド兵から志願者を募り自由インド軍団(兵力3個大隊、約2000人)を結成しましたが、対英和平の可能性を探っていたヒトラーは、インド独立への支持を明らかにすることは和平交渉の生涯になると考え経ていたため、おおむね、ボースらの独立運動には冷淡でした。

 一方、日英開戦が現実のものとして迫りつつあった1941年9月、日本の陸軍参謀本部はアジア各地のインド人の反英闘争を組織化するため、バンコクで“藤原機関”を結成。同年12月、いわゆる太平洋戦争(大東亜戦争)がはじまり、日本軍がマレー半島に進攻すると、藤原機関は英軍の中核を占めるインド人兵士への降工作を行い、捕虜となった英印軍将兵の中から志願者を募って、インド国民軍を編制し、マレー半島西岸の街アロースターで投降してきたモーハン・シン大尉がその司令官に就任していました。

 インド国民軍はインド独立を最終目標と掲げ、白人支配からアジアを解放するためことを大義名分として掲げ、1942年8月には4万2000の兵力を擁するまでに成長しましたが、司令官に就任したシンにはその地位に見合った能力がなく、軍内は混乱。このため、インド独立運動の指導者として声望の高かったスバース・チャンドラ・ボースが招聘されることになります。

 こうして、1943年5月、ボースはドイツから日本に渡り、当時の首相・東条英機からインド独立のための支援の約束をとりつけ、シンガポールに乗り込み、同年7月2日、インド国民軍の総司令官に就任。10月21日にはシンガポールで結成された“自由インド仮政府”の首班に就任しました。

 日本政府は、はやくも同月23日、自由インド仮政府を承認。同政府首班としてのボースは、11月5-6日、日本の戦争目的である“アジア解放”を宣伝するために東京で開催された“大東亜会議”にオブザーバーとして招聘され、日本軍の占領下に置かれていたアンダマン・ニコバル諸島を同政府の統治下に置くことが決定されています。

 ところで、日本占領下のビルマから国境を越えてインドへ進攻しようというプランは、日英開戦後の早い時期から検討されていましたが、1943年11月の大東亜会議でボースがその実施を要請し、首相・東条英機がこれを強く支持したこともあって、1944年3月8日、ビルマとの国境に近いインドの都市インパールの攻略作戦が発動されます。

 日本軍は、インド国民軍とともに、4月29日の天長節までにインパールを攻略することを目標としていましたが、その作戦計画は補給面を軽視するなど杜撰なものでした。このため、日本軍はいったん、インパール近郊のコヒマを占領したものの、ジャングル地帯での作戦は困難を極め、空陸からの英軍の反攻が始まると前線は補給路を断たれて餓死者が大量に発生。最終的に、インパール作戦での日本側の損害は、戦死3万、戦傷4万2000を数え、ガダルカナルの4倍以上の被害を蒙り、惨憺たる結果に終わりました。

 インド国民軍は、その後もイラワジ会戦などで日本軍とともに英軍と戦ったものの敗走を重ねます。さらに、ビルマでは、敗色濃厚となった日本軍の能力を見限ったアウン・サン率いるビルマ国軍が反ファシスト人民解放連盟を組織し、日本軍から離反したため、仮政府とインド国民軍は、日本軍とともにビルマからタイに撤退し、そこで終戦を迎えました。

 日本が降伏すると、ボースは戦後の東西冷戦を見越して、イギリスの“敵の敵”であるソ連に渡って独立闘争への支援を得ようとしましたが、1945年8月18日、移動中の台湾で飛行機事故により死亡。彼の死により、仮政府は自然消滅状態となり、インド国民軍も英軍に降伏しました。

 戦後、英植民地政府はインド国民軍幹部を英国王に対する反逆罪で裁こうとします。しかし、ガンディー率いるインド国民会議派と一般のインド国民の激しい抗議活動にあい、被告は釈放。現在でも、チャンドラ・ボースをはじめとする仮政府幹部はインド独立の志士として、インド国民の尊敬を集めています。

 ちなみに、ことし(2017年)は、インド独立70周年にして日印文化協定発効60周年にあたっていることから、日印両国においてさまざまな交流事業を実施する“日印友好交流年”だそうですから、この機会に、ボースの波乱に満ちた生涯を切手や郵便物でたどってみるのも面白いかもしれません。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | インド:ジャナタ・ダル時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の国々:インド
2016-10-23 Sun 08:03
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年10月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はインドの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・ナーランダ僧院

 これは、1997年にデリーで開催されたインド国際切手展の記念切手のうち、ナーランダ僧院跡を取り上げた1枚です。

 インド北東部ビハール州ナーランダは、生前の釈迦が説法を行ったほか、名僧・ナーガールジュナ(150-250年頃)も講義を行った土地です。

 427年、グプタ朝のクマーラグプタ1世の治世下で、世界最古の大学のひとつとされるナーランダ僧院が創設され、最盛期には1万人の学生と1500人の教員を擁しており、645年には玄奘三蔵がここに学んで657部に及ぶ経典を中国に持ち帰ったほか、761年には、ここで後のチベット仏教が生まれ、密教とも混淆して独自の教義が生まれました。

 しかし、インドにおける仏教は、土着の文化や宗教の要素を取り込むとともに、ヒンドゥーに対抗するための理論体系化を試みた結果、次第に密教化し、ヒンドゥーの区別が曖昧になっていきました。そして、12世紀以降、ムスリムの襲撃により、多くの仏教寺院が破壊され、多くの仏教僧が犠牲となるなかで、1193年、ナーランダ僧院が破壊されたことで、インド仏教は壊滅的打撃を受け衰退の道をたどることになります。なお、かつてのナーランダ僧院の跡地には、切手に見られるような遺構が残るだけとなっています。

 さて、『世界の切手コレクション』10月19日号の「世界の国々」では、誕生から入滅までの釈迦の生涯とインドにおける仏教の展開をたどった長文コラムのほか、ギルギット法華経写本、ガンジス川、大菩提寺、菩提樹、独立後の仏教復興運動を主導したアンベードカルの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、次回は、19日に発売された10月26日号でのベルギーの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | インド:ジャナタ・ダル時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 アルナーチャル・プラデーシュ州
2016-06-16 Thu 11:49
 中印国境地帯のインド側アルナーチャル・プラデーシュ州で、今月9日、中国人民解放軍が国境を越えて侵入していたことが明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・アルナーチャル・プラデーシュ州

 これは、1997年にデリーで開催されたインド国際切手展の記念切手のうち、アルナーチャル・プラデーシュ州の民族服の女性を取り上げた1枚です。

  アルナーチャル・プラデーシュ州は、主にヒマラヤ山脈東部の中印国境紛争地帯において、インドが実効支配している領域に設置された州で、南はアッサム州、東はミャンマー(ビルマ)、北は中国、西はブータンと接しています。

 現在の中印国境(の一部)は、1914年、チベット政府と英領インド帝国の間で取り決められた国境線“マクマホンライン”がもとになっています。当時のチベットには中国中央政府の統制は完全には及んでおらず、チベットは実質的に独立国の様相を呈していましたが、チベットを中国の一部分だと主張する中華民国は、マクマホン・ラインよりもさらに南側をインドとの国境と主張。1951年にチベットを“平和解放”した中華人民共和国政府もその立場を継承しています。

 中国は1954年にインドと平和五原則を締結し、インド側を油断させたうえで、1959年9月、国境を越えてインド領内に侵攻。さらに、キューバ危機で世界の関心がキューバに集中している隙をついて大規模な国境紛争をインドに仕掛けます。1962年の紛争では、主にカシミールとその東部地域のアクサイチンおよびラダック・ザンスカール・バルティスターン、ブータン東側の東北辺境地区(現・アルナーチャル・プラデーシュ州)での激しい戦闘の末、中国が勝利して国境をインド側に進めました。また、インドの保護国だったシッキム王国でもナトゥラ峠周辺で小規模な戦闘があり、中国は峠の西側を占領してしまいました。
 
 こうした経緯を踏まえ、インドは東北辺境地区のインフラ整備につとめ、1987年、この地にアルナーチャル・プラデーシュ州を創設し、現在に至っています。

 さて、今回の越境事件では、約250人の中国人民解放軍兵士がアルナーチャル・プラデーシュ州内に侵入し、数時間後に退去したそうです。現場周辺は人家がない荒野でインド軍との衝突はなく、けが人もなかったそうですが、事件翌日の10日からは沖縄東方海域で日米印の海上共同訓練マラバールが行われる予定となっていたため、中国側としては、その背後から揺さぶりをかける意図があったのでしょう。まぁ、それだけ、マラバールの抑止効果があったということではあるのですが、ホント、迷惑な話ですな。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー荻窪 6/26(日) 14:00~15:30
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | インド:ジャナタ・ダル時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/