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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ボリビア大統領のメダル盗難
2018-08-09 Thu 14:36
 ボリビアの大統領が式典での正装時に着用するメダルが、7日(現地時間)、盗難に遭ったものの、翌8日、ラパス中心部の教会玄関先に捨られているのが発見され、無事に回収されたそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     ボリビア・バリエントス大統領

 これは、1975年にボリビアで発行された独立150年の記念切手(歴代大統領の正装姿の肖像を取り上げたセットになっています)のうち、1964-69年に大統領を務めたレネ・バリエントス・オルトゥーニョを取り上げた1枚です。ボリビア国旗の3色のサッシュとともに、今回、盗難事件に遭ったメダルもしっかりと切手に描かれています。

 ボリビアでは、1941年に結成された民族革命運動(MNR)が、主要輸出品目である錫の利権を、一般国民が財閥や外国資本から奪還することを訴えて支持を拡大していました。そ翌1942年12月、カタビ鉱山で軍により労働者700人が虐殺される“カタビの虐殺”が起きると、MNRは鉱山労働者組合連合を背景に勢力を拡大し、1951年5月の選挙で勝利を収めました。

 ところが、この選挙結果を認めない軍部はクーデターを起こしてMHRを帆非合法化したため、1952年4月、MNRは鉱山労働者や国家警察部隊とともに、事実上の首都であるラパス(憲法上の首都はスクレ)で武装蜂起し、ヴィクトル・パス・エステンソーロが大統領に就任しました。

 これが、いわゆるボリヴィア革命です。

 エステンソーロ政権下では、インディオに選挙権や公民権が付与された新憲法が採択されたほか、国策として、サンタクルスを中心とする東部の低地地帯の開発が進められました。また、1953年8月2日には、農地改革が実施され、貧農に対する農地の分配も行われています。しかし、その一方で、MNRの内部は、革命後、右派のエルナン・シーレス・スアーソ(副大統領)、中間派のエステンソーロ、左派のフアン・レチン(鉱山労働者組合連合の創立者)の三巴に事実上分裂。革命後の混乱で治安は悪化し、連日、銃撃による死傷者が発生しました。

 第1次エステンソーロ政権は1956年までで任期が満了し、大統領の連続再選を禁止した憲法の規定に従い、1956-60年にはスアーソが大統領に就任。1960年、ふたたび、エステンソーロが政権に復帰しました。

 エステンソーロは、政権基盤を安定させるため、空軍の実力者であったバリエントスを副大統領に抜擢しましたが、1964年5月、バリエントスはアルフレード・オバンド・カンディーアとともに軍事クーデターを起こしてエステンソーロを追放。バリエントスは自ら“軍事評議会”議長となり、軍事政権を樹立し、ボリビア革命後のMNR体制を崩壊させます。

 バリエントスは、先住民のケチュア語を理解したため、農民層を支持基盤に取り込んで権力基盤を固めたうえで、1966年7月、大統領選挙を実施。自らが大統領となり、鉱山労組を中心とする反対勢力や左派勢力に対する取締りを弾圧しました。

 また、1966年11月、革命家のチェ・ゲバラが、ボリビア北部の山岳地帯を拠点に“アンデス計画(現地の農民を革命兵士に育て上げて訓練施設を拡充→近隣諸国から送り込まれる志願者を革命兵士として教育→その見返りとして資金的・物質的援助を得て、活動の範囲を拡大、というプロセスを循環させていくプロセス)”を展開すると、元ナチス親衛隊中尉で、CIAの庇護下でボリビアの軍事顧問をしていたクラウス・バルビーの支援も受けて掃討作戦を行い、1967年10月、ケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)の山中でゲヴァラを逮捕し、そこから7kmのラ・イゲーラで殺害しました。

 ゲバラの処刑により南米における武装ゲリラ闘争は沈静化したものの、その後もボリビアの政情不安は収まらず、バリエントスは、1969年4月、農民を懐柔するために金を配りに行く途中、搭乗していたヘリがカニャ・ドン・アルケ峡谷で墜落し、亡くなりました。

 さて、今回盗難に遭ったメダルは、平素はラパスの中央銀行に保管されており、式典があるたびに大統領の元に届けられることになっています。

 現職のエボ・モラレス大統領は6日に行われた独立記念日の式典でメダルを着用。その後、大統領は8日に中部コチャバンバで行われる軍事パレードを閲兵する予定になっていたため、メダルは中央銀行には戻されず、保管担当の軍将校が7日夜、現地に運部という段取りになっていました。ところが、将校の搭乗予定だった飛行機が遅れたため、将校は 「何軒か売春宿に入ってから自分の車を止めた場所に戻ると、国章が付いたかばんが持ち去られていた」(本人談)そうです。

 その後、窃盗犯はメダルを、ラパス中心部の教会の玄関先に捨てて逃走。大手テレビ局ユニテルに匿名の通報があり、メダルは発見され、回収されました。なお、8日の軍事パレードには、大統領はメダルを着用せずに望んだそうです。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、バリエントス政権下のボリビアでゲバラが展開していた“アンデス計画”と彼の最期について、1章を設けてまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

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 世界漫郵記:リオデジャネイロ⑩
2016-12-03 Sat 19:57
 『キュリオマガジン』2016年12月号が発行されました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記」は前回に続き、リオデジャネイロ篇の第10回目(最終回)。今回は、コパカバーナ海岸にフォーカスをあてました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ボリヴィア・コパカバーナ

 これは、1939年7月19日にボリヴィアで発行された“コパカバーナの聖母像”を描く航空切手です。

 コパカバーナというと、現在では、リオデジャネイロのビーチを連想する人が圧倒的多数だと思いますが、もともとは“美の女神”を意味するアイマラ語(ボリビアとペルーの公用語の一つ)の“コタ・カワニャ”が転訛したもので、ティティカカ湖に面したボリヴィアの地名でした。

 ボリヴィアのコパカバーナは、かつてのインカ帝国時代、ティティカカ湖に浮かぶ“太陽の島”への巡礼の拠点で、聖地として太陽神の神殿が置かれていました。ところが、16世紀にこの地を征服したスペイン人はインカ時代の神殿を破壊し、その跡にカトリックの教会を建立。先住民の職人、ティト・ユパンキに幼いイエスを抱いて葦船に乗った聖母像を作らせました。これが、今回ご紹介の切手に取り上げられた“コパカバーナの女神”です。

 こうして、地元の先住民も、やむを得ず、この聖母像に祈るようになりますが、聖母像の霊験はあらたかで、祈りをささげた善男善女は病気が治ったとか、船が難破しても助かったなどの噂がボリヴィアの領域を越えてラテンアメリカ全域、さらにはスペイン本国にも広まり、17世紀初めにはかの地で大規模な聖堂も建立されました。

 その“コパカバーナの聖母”の霊験にあやかろうと、18世紀半ば、サコペナパンと呼ばれていたリオの岬の突端に彼女を祀る礼拝堂が建てられ、いつしか、その周辺一帯はコパカバーナと呼ばれるようになりました。

 当初の礼拝堂は、1908年、岬の突端に首都防衛のための要塞が建設された際に取り壊されてしまいましたが、要塞の敷地内には新たな礼拝スペースが設けられ、現在も下の画像のような聖母像が安置されています。

      コパカバーナの聖母像(リオ)

 ちなみに、コパカバーナ海岸の要塞と礼拝堂については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しく取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 なお、雑誌『キュリオマガジン』の連載、「郵便学者の世界漫郵記」ですが、2016年3月号からスタートしたリオデジャネイロ篇は今回で終了し、次回・2016年1月号からは新たに泰国篇がスタートします。ぜひ、ご期待ください。

  
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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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