内藤陽介 Yosuke NAITO
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 TICAD 閣僚会合に西サハラ乱入
2017-08-26 Sat 10:48
 きのう・おととい(24・25日)の両日、わが国が主導するアフリカ開発会議(TICAD)の閣僚会合がモザンビークの首都マプートで開催されましたが、初日の24日午後(日本時間25日未明)には、日本などが国家として認めていない西サハラが出席を要求して他国の代表団ともみあいになり、予定されていた全体会合が中止される騒動がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スペイン領西サハラ(1924)

 これは、1924年にスペイン領西サハラとして発行された最初の切手です。

 現在のモロッコを含む北西アフリカの一帯は、ながらく、1660年に成立したアラウィー朝(現王朝)の支配下に置かれていましたが、1912年までに、フランス保護領、スペイン保護領、タンジールに3分割され、事実上の植民地に転落します。

 1956年、アラウィー朝のモロッコが再独立を果たすと、スペインはセウタ、メリリャ、イフニ(いずれも飛び地となっています)とモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)を除いてスペイン領の領有権を放棄し、国際管理都市となっていたタンジールも10月にモロッコ領に復帰。1958年にはモロッコ南部保護領が、1969年イフニが、それぞれモロッコに返還されましたが、西サハラに関してはスペインが領有を続けます。

 一方、モロッコとモーリタニアは、いずれも、スペイン領西サハラに対する領有権を主張していましたが、1975年10月、国際司法裁判所は、モロッコおよびモーリタニアのいずれも西サハラに対して領土権を有しないとして、その要求を却下。これに対して、1975年11月、モロッコ国王、ハサン2世の号令一下、35万人の非武装のモロッコ人が越境大行進を行い、西サハラを実効支配する“緑の行進”が行われ、モロッコは西サハラが“自国領”であることを改めてアピールしました。

 翌1976年、スペインは西サハラの領有を断念し、西サハラはモロッコとモーリタニアが分割して“再統合”することになりましたが、これに対して、スペイン領時代の1973年から独立運動を続けていたサギア・エル・ハムラ・リオデオロ解放戦線(ポリサリオ戦線)は、アルジェリアの支援を得て両国に対する武力闘争を開始。さらに、1976年2月27日、アルジェでサハラ・アラブ民主共和国(SADR)の樹立を宣言します。

 アルジェリアの支援を受けたポリサリオ戦線の攻撃に対してモーリタニアは敗走を重ね、1978年にはクーデターで政権が崩壊。1979年にはモーリタニア政府はポリサリオ戦線と単独和平協定も締結されました。

 こうした中で、同年、OAUは、西サハラの住民が自決への権利を行使できるように住民投票の実施を呼びかけます。また、アフリカ統一機構(OAU)加盟50ヵ国(当時)中、過半数の26ヵ国が1982年までにSADRを承認しました。

 西サハラ問題での国際的な圧力が強まる中、1981年6月に開催されたOAU首脳会議で、ハサン2世は西サハラで独立かモロッコへの帰属かを問う住民投票を行う意思があると表明。その背後には、住民投票の実施までに膨大な数のモロッコ人を西サハラに移住させ、あくまでも“民主的”な自由投票の結果、西サハラはモロッコに帰属するという結論を導き出そうという意図があったことは言うまでもありません。

 ハサン2世の提案を受けて、8月にケニアのナイロビで開催されたOAUの実務者委員会は、西サハラでの停戦と国連PKO部隊の派遣、OAUおよび国連の監視下で住民投票を行うまでの暫定統治機関の設置などを提案します。

 ここまでは、モロッコとしても予想の範囲内でしたが、翌1982年2月、エチオピアのアディスアベバで開催されたOAUの理事会では、当初の議事予定になかったSADRの加盟問題が取り上げられ、賛成多数でSADRの加盟が電撃的に承認されてしまいました。

 当然のことながら、住民投票の実施以前にSADRを独立国として扱い、モロッコによる西サハラ支配を全面的に否定するような決定に対して、モロッコは激怒し、モロッコに近い17ヵ国とともに、直ちにOAUの理事会を退席。さらに、1982年のOAUの年次総会は、8月にリビアのトリポリで開催される予定でしたが、上述のモロッコを含む18ヵ国に加え、リビアと対立していたエジプト、チャド(北部の内戦にはリビアが関与していた)が早々に欠席を表明します。

 当時のOAUの規定では、総会は(議長国を除き)加盟国の3分の2以上の出席をもって成立することになっていましたから、加盟50ヵ国中、最低でも(議長国を除き)30ヵ国の出席が必要でした。したがって、20ヵ国が欠席した時点で総会は成立しません。そこで、OAUは、当初の予定を延期して11月にも再度、総会を招集しましたが、やはり、定足数を満たすことができず、流会となりました。

 1982年の総会が流会となったことを受け、1983年6月、アディスアベバで開催されたOAU総会は、SADRの総会出席資格を一時的に停止するという便法を使うことで、何とか流会を免れます。その後、あらためて、同年12月、翌1984年9月に西サハラで住民投票を実施すべく実務レベルの協議が再開されたのですが、1984年2月には、長年、モロッコと共にSADRの存在を否認し続けてきたモーリタニアが、ついにSADRの独立を承認。西サハラ問題でモロッコは孤立してしまいます。

 これを受けて、強行突破でSADRを総会に参加させてしまえば、モロッコも妥協せざるを得ないとにらんだOAUは、同11月12日、アディスアベバで開催された総会にSADR代表の出席を認めました。

 しかし、たとえ最後の一国になろうとも、絶対にSADRの存在は認めないとのモロッコの決意は固く、モロッコは直ちにOAUを脱退。その後、OAUは2002年にアフリカ連合(AU)へと発展的に改組されましたが、モロッコはAUへも参加を拒否し続けてきました。しかし、2016年9月23日、SADRの独立は認めないという立場は維持したまま、モロッコはAUへの加盟を申請し、今年3月、33年ぶりに(再)加盟したばかりでした。

 さて、今回の騒動は、24日16:30に予定されていた開会式に先立ち、議長国日本からの招待状のない“西サハラ代表団”が入場しようとしたところ、会場の入口前で、モロッコ代表団が彼らの入場を阻止しようと立ちはだかったのが発端です。これに対して、西サハラ側は「我々アフリカ連合に加盟している。会場に入れないのはおかしい」と抗議したところ、両者がつかみ合いの争いに発展。他国の代表団も入り交じっての混乱になり、開催国のモザンビークの外相らが仲裁し、2時間半遅れの19:00になって、ようやく、開会式が始まりました。その影響で、24日に予定されていた全体会合や日本とカメルーンの会談が取りやめになっています。

 西サハラ側は、自らの不満を国際社会にアピールするため、意図的に今回の騒ぎを起こしたとみられていますが、この件に関して、マプートのポラナ・ホテルで行得れた臨時記者会見での河野太郎外相の発言は以下の通りです。

 いわゆる西サハラについては、我が国は国家承認しておりませんし、国連の加盟国でもありませんし、そもそもTICADに我が国から招待状を出しておりません。という立場を明確にした上で、そこの調整については、アフリカ側にお任せをしておりました。それは、日本が立場を明確にしておりますので、そこの調整をお願いしたところ、少し遅れましたが、調整がついたということでしたので、会場へ参りました。少し最初の全体会議が、短くなってしまったのは残念だなと思いますが、モザンビーク大統領、外務大臣、いろいろお心遣いをいただきましたので、そのことについては感謝申し上げたいと思います」と記者会見で語っています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 8月24日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第7回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、9月7日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、24日放送分につきましては、8月31日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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