内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 毎日新聞:この3冊
2017-10-08 Sun 12:18
 本日(8日)付の『毎日新聞』書評欄に掲載の「この3冊」のコーナーは、“切手”をお題に内藤が担当し、①櫻井寛『世界鉄道切手夢紀行』 (日本郵趣出版)、②ヘレン・モーガン(藤井留美訳)『世界最高額の切手「ブルー・モーリシャス」を探せ! コレクターが追い求める「幻の切手」の数奇な運命』 (光文社)、③『鴻爪痕:前島密伝』(副読本として井上卓朗『前島密:創業の精神と業績』と2巻セット、鳴美)の3点をご紹介しました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      毎日新聞・この3冊(20171008)

 さて、紙面では、南伸坊さんによる僕の似顔絵を中心に、4隅に切手のイラストも配しています。このうち、左上の見返り美人、左下の前島密の1円切手、右下の「上を向いて歩こう」(わたしの愛唱歌シリーズ)については、ご存じの方も多いと思うのですが、右上のイタリア切手についてはなじみのない方も多いのではないかと思います。そこで、今回の記事の補足として、この切手について、実物の画像とともに、簡単にご説明しておきましょう。

      イタリア・ランドヴァッサー橋(2010)

 これは、2010年にイタリアで発行された“世界遺産 レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線(と周辺の景観)”の切手で、ランドヴァッサー橋を通過するアルブラ線の車両が取り上げられています。

 レーティッシュ鉄道はスイスのグラウビュンデン州を中心とした同国最大級の私鉄で、そのうちのクール=サンモリッツ間の89キロを結ぶアルブラ線は1904年に開通しました。一方、ベルニナ線はサンモリッツ=ティラーノ間の61キロの路線で、1910年の開通当初はレーティッシュ鉄道とは別個の鉄道でしたが、第二次世界大戦の影響をうけて経済的に厳しい状態になったことから、1944年にレーティッシュ鉄道に吸収されました。

 登山鉄道で広く見られるラック式を採用していない粘着式鉄道としてはヨーロッパ最高地点を通る鉄道であり、20世紀初頭における技術的到達の優れた例証などとして、2008年に世界遺産に登録されましたが、アルブラ線に関しては、トゥジス=サンモリッツ間の67キロ(支線含む)のみが対象となっています。この区間は、標高687メートルのトゥジスから1819メートルのアルブラ峠までの高低差を最急勾配35‰で走行するほか、5866メートルのアルブラ・トンネル、今回ご紹介の切手にも取り上げられたラントヴァッサー橋、ソリス橋など、アルブラ渓谷の絶景地帯を走ることでも有名です。

 今回の記事で僕がピックアップした『世界鉄道切手夢紀行』の表紙カバーは、ブニャイ橋を渡る氷河急行の写真をバックに、この切手を配したデザインになっており、そのため、イラストにも取り上げられたのだろうと思います。
      
 今回ご紹介の3冊は、いずれも、特に切手(収集)に興味のない方でも、十分に楽しんでもらえるものという観点から選んでみました。より多くの方に切手や郵便の面白さを知っていただくためにも、ぜひ、皆様の地元図書館などにリクエストカードを入れていただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月5日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第9回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月19日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、5日放送分につきましては、10月12日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 世界の切手:イタリア
2017-08-28 Mon 10:30
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年8月16日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はイタリアの特集(雑誌としては3回目ですが、僕が担当するのは初めて)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・シチリア・ワイン

 これは、2012年に発行のシチリアのDOCG ワイン “チェラスオーロ・ディ・ヴィットリア”を取り上げた切手です。

 イタリア半島では、紀元前2000年にはワインが製造されていた記録がありますが、ワインの製造に法的な規制がかけられたのは、1716年、トスカーナ大公であったコジモ3世が、自国の著名なワインを保護するため、キャンティ、カルミニャーノ、ポミーノの生産地の境界線を定めた“ワイン法”を公布したのが最初とされています。

 コジモ3世はキリスト教の信仰には熱心でしたが、政治には無関心だったため、53年に及ぶ彼の治世を通じて、メディチ家およびトスカーナ大公国の力は衰退。その反面、トスカーナのワイン産業は活況を呈しました。

 1861年、サヴォイア王家がイタリアを統一すると、新生イタリア王国はワインの輸出に力を注ぎ、イタリア・ワインの品質は飛躍的に向上します。特に、この時期はブドウの害虫であるフィロキセラがフランスで蔓延し、フランス国内でワイン不足が深刻になったため、その間隙を突くかたちでイタリアのワイン業界は質・量ともに急成長を遂げました。

 その後、20世紀に入ると、イタリア各地でフィロキセラが蔓延したことに加え、2度の世界大戦により、イタリアのワイン産業は衰退します。しかし、第二次大戦後、徐々に復興し、1970年代以降、再び世界市場で脚光を浴びるようになりました。ちなみに、第二次大戦後の1963年、イタリアではEEC(欧州経済共同体。現EU)の基準に沿って階層構造からなる原産地呼称制度が導入された。これが、現在のイタリア・ワイン法(DOC法)で、その後、数次にわたって改正されて現行法に至っています。

 現行のDOC法では、イタリア・ワインは、上からDOCG(統制保証付原産地呼称ワイン)・DOC(統制原産地呼称ワイン)・IGT(地域特性表示ワイン)・VdT(使用品種や生産地を表示する義務のないテーブル・ワイン)に分類されていますが、ワインそのものの品質ではなく原産地によって分類されているため、キャンティのように品質にかなりのばらつきのあるワインが一括してDOCGにランクされる一方、スーペル・トスカーナと呼ばれる高品質ワイン(トスカーナ地方で、現地の伝統的な品種ではなく、あえて、土壌と相性のよいフランス・ボルドー原産のカベルネ・ソーヴィニヨン種を植えて、カベルネ単独または古くからこの地方で栽培されてきたサンジョヴェーゼ種などとのブレンドによってつくられています)がワイン法の基準に適合しないとの理由でVdTにランクされるなど、制度としては多くの問題点が指摘されています。

 ちなみに、シチリアは、紀元前7世紀にはワインが生産されていた地域で、イタリア全土で最もワイン生産の多い州となっています。かつてはブレンド用のバルク・ワインが生産の中心でしたが、1985年に創業のプラネタ社は、高品質ワインの生産に取り組み、島南東部のヴィットーリア周辺で生育するネーロ・ターヴォラ種60%、フラパート種40%の混醸による“チェラスオーロ・ディ・ビットリア”を開発。その個性的でフレッシュな味わいは、2005年、イタリアワイン最上位のDOCGの格付けを受け、イタリアを代表する輸出商品として、今回ご紹介の切手にも取り上げられました。

 さて、『世界の切手コレクション』8月16日号の「世界の国々」では、今年(2017年)のサミット開催地となったシチリアにフォーカスをあて、両シチリア王国の歴史と最初の切手、エトナ火山、マフィアと戦って殉職した判事、第二次大戦中のシチリア上陸作戦の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のイタリアの次は、30日発売の9月6日号でのチリの特集になります。こちらについては、発行日の6日以降、このブログでもご紹介する予定です。 
 

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 8月24日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第7回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、9月7日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、24日放送分につきましては、8月31日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 切手でひも解く世界の歴史(3)
2017-06-01 Thu 09:01
 本日(1日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第3回目が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、先日、サミットが行われたシチリアにちなんで、こんな話をする予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・シチリア切手150年

 これは、2009年にイタリア発行された“シチリア切手150年”の記念切手です。

 1861年にイタリア王国が建国される以前、イタリアは小国分裂の状態にあり、シチリア島とナポリを中心とする南イタリアは両シチリア王国を構成していました。もともと、両シチリア王国に相当する地域はノルマン人の王朝(オートヴィル朝)が支配していましたが、後にシチリア島とイタリア半島南部の領土が分裂。この2つの王国はどちらも“シチリア王国”を名乗っていました。ただし、半島側の王国は次第に“ナポリ王国”という名が定着します。18世紀になると、ナポリとシチリアはともにハプスブルク家の、ついで、スペイン・ブルボン家の支配下に入ります。

 ナポレオン戦争の時代、ナポリ王国はフランスに占領され、ナポリ王(にしてシチリア王)のフェルディナンドはシチリア島に退避しましたが、ナポレオンの失脚後、1815年6月にナポリに帰還。翌1816年12月、フェルディナンドはナポリとシチリアを両シチリア王国の名の下に合併します。これに伴い、フェルディナンドは、“ナポリ王フェルディナンド4世”と“シチリア王フェルディナンド3世”のふたつの称号をまとめて“両シチリア王フェルディナンド1世”と称することになりました。

 こうして、両シチリア王国として統合されたナポリとシチリアでしたが、切手に関しては、1858年にナポリ王国として独自の切手が発行され、これとは別に、翌1859年にはシチリア王国として独自の切手が発行され、ナポリとシチリアで別々の切手が使われることになります。

 このうち、今回ご紹介のシチリア最初の切手には、両シチリア王・フェルディナンド2世の肖像が描かれていました。

 フェルディナンド2世は、1810年、先王フランチェスコ1世の子として生まれ、1830年に即位しました。青年期は自由主義にも一定の理解を示し、税制改革で減税路線を推進しつつも、王都ナポリ内での実験的な鉄道設置、ナポリ・パレルモ間の電信設備の完備、蒸気船の造船などの近代化政策を推進しました。

 ところが、1837年にシチリアで立憲君主制への移行を求める大規模なデモが発生すると、王は態度を硬化させて、これを軍で鎮圧。その後、1848年1月のシチリアでの農民反乱をきっかけに、自由主義革命がシチリア全域に広まると、自由主義者との妥協を迫られた王は、いったんは1848年憲法の制定を認めます。ところが、王は議会に対する監督権を手放さなかったため、これに抗議する国民がさらなる暴動を起こすと、王は軍を動員して暴動を徹底的に弾圧するとともに、議会を解散しました。また、1848年4月13日、シチリアで自由政府による独立が宣言されると、王は2万の兵をシチリアに上陸させ“反乱軍”を打倒するとともに、報復として、海軍を用いて海沿いの町を徹底的に破壊しました。このため、王は反対派からは憎しみをこめて“砲撃王(= bomba)”と呼ばれています。これにちなんで、シチリア最初の切手は、“ボンバ・ヘッド”と呼ばれることもあります。

 ところで、19世紀の欧米諸国では国家元首の肖像切手が多かったのですが、自らの肖像に消印が押されることを全く気にしない元首がいる一方、それを嫌がる君主もいました。シチリアのフェルディナンド2世は後者の1人で、国王の意向に配慮して、切手の再使用を防ぐための抹消印は、肖像を汚さないように、アーチ型のものが使用されました。今回ご紹介の切手は、そうした消印とその印顆も描かれているので、イメージしやすいのではないかと思います。

 その後、イタリア統一運動(リソルジメント)が進む中で、1860年、両シチリア王国はガリバルディ率いる赤シャツ隊に占領されます。ガリバルディはフェルディナンド2世を廃位し、占領した両シチリア王国の領土をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上。これを受けて、翌1861年にイタリア王国が成立しました。

 ちなみに、イタリア王国が発足すると、旧両シチリア王国の支配下にあった南イタリアは冷遇されます。このため、1880年代以降、南イタリアから、故郷に見切りをつけて米国に渡る移民が急増。彼らの中から、映画『ゴッド・ファーザー』に見られるような在米イタリア・マフィアが生まれてくるのです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は1日! ★★★ 

 6月1日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第3回目が放送予定です。今回は、5月26-27日にG7サミットが行われたシチリアにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 G7サミット、きょう開幕
2017-05-26 Fri 12:29
 G7サミット=主要7か国の首脳会議“シチリア・サミット”が、きょう・あす(26・27日)、イタリア・シチリア島のタオルミーナで開催されます。というわけで、きょうはシチリア島関連のマテリアルの中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      シチリア革命(1848)カバー

 これは、1849年3月21日、シチリア自由政府支配下のシチリア島メッシーナ県カストロレアーレから差し出された郵便物で、シチリアの紋章である“トリナクリア”の入った印が押されています。トリナクリアは、ギリシャ語の“3つの岬”に由来する語で、シチリア島のパレルモ、メッシーナ、シラクサの岬を意味するところから、シチリアの古称としても用いられます。紋章としては、ギリシャ神話のメデューサの顔を中心に、3つの岬を意味する3本の素足を組み合わせたデザインになっています。

 11世紀半ば、イタリア半島南部(現在のカンパニア州、カラブリア州、プッリャ州、アブルッツォ州、モリーゼ州、バジリカータ州とラツィオ州の一部)とシチリア島を征服したノルマン人は、1130年、シチリア王国(オートヴィル朝)を創建。オートヴィル朝は1194年に滅亡し、シチリア王国は神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家の支配下に置かれましたが(ホーエンシュタウフェン朝)、1281-1302年のシチリア晩祷戦争の結果、シチリア王国の版図はバルセロナ家の支配するシチリア島のトリナクリア王国 と、アンジュー家の支配する半島部のナポリ王国に分離されました。

 両王国は、いずれも、“シチリア王国”を自称していましたが、次第にシチリア王国と言えばシチリア島側のみを指すようになり、半島側は“ナポリ王国”の名が定着します。

 18世紀初頭のスペイン継承戦争を経て、ナポリ王国の版図はハプスブルク家の、シチリア島はサヴォイア家の支配下に置かれましたが、1720年、両者はシチリア島とサルデーニャ島を交換し、ナポリとシチリアはハプスブルク家の支配下に入ります。その後、1733-34年のポーランド継承戦争を経て、ナポリ王国とシチリア王国はスペイン・ブルボン家(ボルボン家)によって統治されることになりました。

 ナポレオン戦争の時代、ナポリ王国はフランスに占領され、ナポリ王(にしてシチリア王)のフェルディナンドはシチリア島に退避しましたが、ナポレオンの失脚後、1815年6月にナポリに帰還。翌1816年12月、フェルディナンドはナポリとシチリアを“両シチリア王国”の名の下に合併します。これに伴い、フェルディナンドは、“ナポリ王フェルディナンド4世”と“シチリア王フェルディナンド3世”のふたつの称号をまとめて“両シチリア王フェルディナンド1世”と称することになりました。

 1830年、20歳で即位したフェルディナンド2世は、当初、自由主義に理解のある開明的な君主として知られていましたが、1837年、シチリアで大規模な立憲君主制移行を求めるデモが発生すると態度を硬化させ、これを武力で鎮圧。その後も、憲法の制定と立憲君主制への移行を求める自由主義者と対立し、国王親政を主張し続けました。

 こうした状況の下、1847年9月、カラブリアとメッシーナでの反国王の大暴動が発生。さらに、1848年1月12日、シチリア全土で農民反乱が発生し。騒乱はイタリア本土にも波及したため、国王は1848年憲法の制定を認め、両シチリア王国では立憲君主制が実施されることになりました。ところが、国王は議会に対する監督権を手放さなかったため、再び暴動が発生。これに対して、国王は軍を動員して徹底的に弾圧し、1849年3月13日、国民議会を解散します。

 この間、1848年4月13日にはシチリア島で自由政府の樹立と独立宣言が行われましたが、国王は2万の兵を動員してこれを徹底的に弾圧。海沿いの町は軍艦からの砲撃により焦土と化し、1849年5月15日までに、シチリア島の自由主義革命は鎮圧されました。
 
 その後、1860年、イタリア統一戦争の過程で、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディひきいる千人隊が占領して、サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上。翌1861年に成立したイタリア王国に統合されることになります。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は1日! ★★★ 

 6月1日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第3回目が放送予定です。今回は、5月26-27日にG7サミットが行われるシチリアにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 “ブルガリ”レストランで食中毒
2016-12-21 Wed 10:50
 東京都は、きのう(20日)、イタリアの高級ブランド、ブルガリの日本法人が運営する銀座のレストラン“イル・リストランテ ルカ・ファンティン”で今月11日に行われた立食パーティーで集団食中毒が発生したと発表。同店を20日から3日間の営業停止処分としました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・ブルガリ125年

 これは、2009年にイタリアが“メイド・イン・イタリー”の一種として発行した“ブルガリ125周年”の記念切手で、1965年にブルガリが制作したネックレスが取り上げられています。ネックレスは、(切手に取り上げられていない部分を含めて)ターコイズ計38カラット、カボション・カットのエメラルド計88.50カラット、カボション・カットのアメシスト計22カラット、ブリリアント・カットのダイヤモンド計72カラットを、シンメトリックに組み合わせたもので、ブルガリの宝飾品の中でも有名な逸品として知られています。

 ブルガリの創業者、ソティリオ・ブルガリは、1857年、ギリシャ・エピルスの銀細工職人の一家に生まれました。

 1881年、ローマへ移住。ローマで作った銀製のオーナメントが評判になると、1884年、ローマ市内のヴィア・システィーナ85番地に、最初の店舗を構えました。現在、ブルガリはこれを持って現在の同社の創業としており、今回ご紹介の切手もここから起算して125周年になるのにあわせて発行されたものです。

 その後、ソティリオの店は順調に発展。1905年には、2人の息子コンスタンティノとジョルジョも事業に加わり、コンドッティ通りに店舗を移転しました。これが現在のブルガリ本店となります。さらに、ソティリオは外国人旅行者を意識して、避暑地として有名なスイス・サンモリッツにも店舗をひらくなど事業を拡大し、1934年に亡くなるまでに現在の同社の隆盛の基礎を築きました。

 ブルガリの名が全世界的に知られるようになったのは、女優エリザベス・テーラーによるところが大でした。すなわち、1962年、映画『クレオパトラ』の撮影でローマに滞在していたエリザベス・テーラーは、共演者で後に彼女の夫となるリチャードバートンから、ステップカットが施された8角形のエメラルド(7.4カラット)とぺアシェイプ・ダイヤモンド(計5.3カラット)があしらわれたプラチナ製リングを贈られ、以後、ブルガリを好んで使うようになりました。また、2人の関係が進展するにつれ、ブルガリの店舗は2人の逢瀬の場となり、1962年の婚約時にはコロンビアンエメラルド(23.44カラット)のペンダントトップが、1964年の結婚の際には16のステップカットが施された8角形のコロンビアンエメラルド(計60.5カラット相当)とブリリアントカットおよびペアシェイプのダイヤモンドに囲まれたネックレスが、それぞれ、バートンから彼女に贈られています。エリザベス・テイラーはこのネックレスを結婚式はもちろん、1966年にアカデミー賞主演女優賞を受賞した際にも身に着けており、そうした彼女の姿がメディアで大々的に報じられたことで、ブルガリの名は(ブルガリの宝飾品を買えない庶民を含めて)全世界に広く浸透することになりました。

 こうした状況を受けて、1970年代以降、ブルガリは本格的に海外進出を展開。顧客の多いニューヨークを皮切りにパリ、ジュネーブ、モンテカルロなどに出店し、現在では、日本のブルガリ銀座タワーを含め、世界で150店ほどの直営店を展開しています。

 その過程で、1977年、高級腕時計の“ブルガリ・ブルガリ”を発売。このヒットを機に、1980年代以降、高級時計事業にも本格的に参入するようになり、1982年には部品の供給を受けずに自社で時計を一貫生産するための“ブルガリ・タイム社”を設立。さらに、1990年代以降は、香水やスカーフのほか、テキスタイルからグッズまで多角的な商品展開に乗り出し、2004年にはブルガリ・ホテルズ&リゾーツを設立してホテル経営にも乗り出しました。

 このように、イタリアから全世界に拡大するブルガリの事業は、イタリアが自国製品を広く内外に紹介するために毎年発行してきた“メイド・イン・イタリー”の題材として相応しいものといえましょう。ただし、“メイド・イン・イタリー”の切手に取り上げられているのは、ブルガリのような高級品ばかりではなく、庶民的なジェラートが取り上げられることもあります。

 まぁ、今回、食中毒を起こした銀座の“ブルガリ”レストランは2010年3月にも食中毒を起こしているそうですから、僕からすれば、同じ“メイド・イン・イタリー”であっても、口に入れるのなら数百万円・数千万円のブルガリよりも、ひとつ100-200円のジェラートの方が良いですな。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 コロッセオで“光のイベント”
2016-05-12 Thu 15:50
  日本とイタリアの国交樹立150周年を祝い、きのう(11日)から、秋篠宮ご夫妻ご臨席の下、ローマのコロッセオで“光のイベント”が始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・ツェッペリン(フォーリ・インペリアーリ通り)

 これは、1933年4月24日、飛行船グラーフ・ツェッペリン号のローマ飛行に先立ちイタリアが発行した6種セットの切手の1枚で、 フォーリ・インペリアーリ通りのコロッセオ上空を飛ぶツェッペリン号が描かれています。

 フォーリ・インペリアーリ通りは、ローマ中心部のヴェネツィア広場とコロッセオをつなぐ道で、1924年から1932年にかけて、ムッソリーニの肝煎りで建設されました。1932年4月9日の開通式典では、馬上のムッソリーニがテープカットを行い、第一次大戦の退役軍人がパレードしました。

 その起点となるコロッセオは、古代ローマ皇帝、ウェスパシアヌス帝が、ローマの大火(64年)や内戦(68-70年)で荒廃した人心を蘇らせるため、娯楽施設として計画したもので、79年にウェスパシアヌス帝が崩御した後、後を継いだ息子のティトゥス帝治世下の80年に完成しました。建物は周囲527m、高さ48.5m で、正式名称は“フラウィウス円形闘技場”ですが、付近にネロ帝の巨像があったことから、“コロッセオ”と呼ばれるようになりました。

 今回ご紹介の切手の発行名目となったツェッペリン号のイタリア飛行は、1933年5月、イタリアの航空大臣、イタロ・バルボとの会談を目的として、ナチスの宣伝相ゲッベルスがローマを訪問するために行われたものです。1933年1月に政権を掌握したナチスは、ツェッペリン飛行船の宣伝効果に目をつけ、早くも同年5月1日のメーデーではベルリン上空にツェッペリン号を飛ばしていますが、イタリア飛行は、それに次ぐツェッペリン号のプロパガンダ利用となりました。

 ちなみに、同時に発行された6種セットの切手では、他に、アウグストゥス時代に建てられたケスティウスのピラミッド(3リラ)、執政官クラッススの息子の妻、チェチリア・メッテラの墓(5リラ)、ムッソリーニ・スタジアム(現オリンピック・スタジアム、10リラ)、もともとは皇帝ハドリアヌスの霊廟として建設されたサンタンジェロ城(12リラ)、古代ローマ時代の遺跡群フォロ・ロマーノ(15リラ)といった観光名所が取り上げられており、いずれも、その上空をツェッペリン号が飛んでいるデザインになっています。

 なお、今回の“光のイベント”は、照明デザイナーの石井幹子・石井リーサ明理のプロデュースにより、雅楽を盛り込んだ音楽に合わせ、自然や家族への愛の賛美を表現した水墨画の映像や、世界150の言語で書かれた愛の言葉などをコロッセオの外壁に映し出すもので、明日(13日)まで、現地時間の20:30-23:00、約10分のプログラムが繰り返し上映される予定です。

 
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 小さな世界のお菓子たち:ジェラートの切手
2012-07-10 Tue 23:35
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第16号(2012年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       イタリアン・ジェラート

 これは、2006年にイタリアで発行された「手作りジェラート」の切手です。

 もともと、ジェラートとは、イタリア語で「凍った」という意味で、古代の地中海世界では、夏の暑い時期、山の万年雪や氷室の氷で冷やしたミルク・シャーベットのようなものが好まれました。かのユリウス・カエサル(シーザー)は、若者をアペニン山脈に走らせ、氷や雪を運ばせて乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んだと伝えられています。

 ルネサンスの時代にフィレンツェを実質的に支配していたメディチ家の食卓では、デザートとしてフルーツやナッツなどを使った氷菓が出されていました。その一部は、1533年にメディチ家のカトリーヌがフランス王アンリ2世に嫁いだ際の披露宴でもふるまわれ、フランス貴族を驚かせました。さらに、1565年、フィレンツェの料理人、ベルナルド・ブォンタレンティは現在のジェラートの原型となるレシピを完成させ、カトリーヌに献上。彼女を通じて、フランスの宮廷にその技術が広まりました。

 イタリアでは、毎年、イタリア製品を全世界に紹介するために“MADE IN ITALY”と題する切手を発行していますが、今回ご紹介の2006年に発行された切手には、「手作りジェラート(Gelato Artigianale)」が取り上げられました。

 全世界的に見れば、アイスクリームは工場で大量生産されるものというイメージが強いのですが、イタリアだけは例外で、国内で出回るジェラートの55%は職人の手作りによるものです。ジェラートの切手にも、あえて「手作り」の文字が入っているのは、そうした本物志向のお国柄を反映しているといえましょう。

 切手に描かれているようなジェラートの屋台が登場したのは、第一次大戦後の1920年代のことで、イタリア北部、ロンバルディア州のヴァレーゼが発祥の地といわれています。この屋台の登場により、それまで高級品だったジェラートは一挙に大衆化。イタリアの庶民の味覚として定着し、1953年に公開の映画『ローマの休日』では、オードリー・ヘップバーン扮するアン王女が、庶民の楽しみの象徴として、ローマのスペイン広場でジェラートを食べるシーンが登場するまでになったというわけです。

 さて、切手に取り上げられているジェラートはイタリア国旗の色に対応した3色です。このうち、緑はピスタチオ、赤(紫)はカシスのように見えますが、白は何でしょうか。濃厚なバニラも悪くはありませんが、個人的には、さっぱりとしたシチリア・レモンの方がイタリアらしくていいような気もします。

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 ジリオ島
2012-01-16 Mon 15:57
 先週13日、イタリア中部ジリオ島の沖合で大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号が座礁した事故で、13日の事故発生直後、船長が乗客の救助義務を放棄し、船から先に逃げ出していたことがわかり多くの人々の憤激を買っていますが、これに対して、地元ジリオ島の島民が家やホテルを開放するなどして救助活動に尽力し、称賛を浴びているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ジリオ島

 これは、2009年にイタリアで発行された観光宣伝の切手で、ジリオ島が取り上げられています。

 ジリオ島はイタリア・トスカーナ州グロッセート県のティレニア海に浮かぶ人口900人ほどの小島で、古来、地中海の海上交通の要衝で、カエサルやプリニウスの著作にも記述が見られます。16世紀にはバルバロッサの名で知られるハイル・ディーンら海賊の攻撃を受け、戦った歴史もありました。

 現在では、風光明媚なビーチに加え、古くからの教会やローマ時代の遺跡などが残るリゾート地として知られており、夏の観光シーズンには多くの観光客が訪れています。今回ご紹介の切手も、島の主要産業である観光をアピールするために発行されたものですが、切手のデザインでは、いまいち、その魅力は伝わってこないように思います。

 なお、島民の多くは、例年なら「(観光客の来る)5月から9月までしか働かない」のだそうですが、今回、彼らの活躍が世界中に報道されたことで、今年の夏は例年以上に忙しくなるかもしれません。ちなみに、逃げ出した船長が務めていた船会社、コスタ・クロシエレ社の船に乗るというのは二の足を踏んでしまいますが、ジリオ島行きのフェリーを運航するのはナヴィガツィイオーネ・マレジリオ社とトレマール社の2社だそうですから、その点では、安心して良さそうですな。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 作品搬入しました
2011-07-26 Tue 23:58
 いよいよ木曜日(28日)から、パシフィコ横浜で世界切手展<PHILANIPPON 2011>がスタートします。わが国では2001年以来10年ぶりの世界切手展開催ということで、僕も、自分のメインのコレクションである JAPAN AND THE 15YEARS WAR 1931-1945 を出品しますが、きょうはその作品を会場に搬入してきました。というわけで、今回の出品作品の中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        三国の兵士

 これは、第二次大戦中のイタリアの軍事絵葉書で、日独伊三国同盟の兵士がともに突撃している場面が描かれています。日独伊三国同盟関連のマテリアルというと米英の船をぶった切る鎧武者の絵葉書が有名ですが、きょうは、これから始まる切手展に「いざ出陣」というつもりで、この葉書を持ってきました。

 今回の出品作品は、1931年の満洲事変から1945年の終戦までの“昭和の戦争”のあらましを各種の郵趣マテリアルを用いて再構成したもので、今年2月のインド展に出品した作品を大幅に手直ししています。時節柄、“戦争”の話題がメディアでも取り上げられることが多くなっておりますが、僕の作品も、切手や郵便物などを通して語る“昭和の戦争”の歴史絵巻として、ぜひ、会場にてご覧いただけると幸いです。


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 世界で2番目に高い切手
2011-06-11 Sat 22:39
 一昨日(9日)、スイスのバーゼルで行われたオークションで、イタリア統一以前のシチリアの半グラナ切手のカバーが、180万スイス・フラン(約1億7200万円)で落札されました。スウェーデンの“黄色の3スキリング・バンコ”の287万スイス・フラン(当時の為替レートで約2億5000万円)に次ぎ、“世界で2番目に高い切手”として、日本のマスコミでも紹介されましたので、ご存知の方も多いかと思います。というわけで、きょうはその画像(クリックで拡大されます)をネタに書いてみたいと思います。

        シチリア・半グラナカバー

 統一以前のイタリアでは、シチリアはナポリと共に両シチリア王国を構成していましたが、切手に関しては、それぞれ別のものが発行されていました。このうち、シチリアでは、1859年に両シチリア王フェルディナンド2世の肖像を描く最初の切手が発行されています。

 フェルディナンド2世は、1810年、先王フランチェスコ1世の子として生まれ、1830年に即位しました。青年期は自由主義にも一定の理解を示し、税制改革で減税路線を推進しつつも、王都ナポリ内での実験的な鉄道設置、ナポリ・パレルモ間の電信設備の完備、蒸気船の造船などの近代化政策を推進しました。

 ところが、1837年にシチリアで立憲君主制への移行を求める大規模なデモが発生すると、王は態度を硬化させて、これを軍で鎮圧。その後、1848年1月のシチリアでの農民反乱に端を発して、自由主義者との妥協が必要になると、いったんは1848年憲法の制定を認めましたが、王は議会に対する監督権を手放さず、これに抗議する国民の暴動を軍を動員して徹底するとともに、議会を解散しました。また、1848年4月13日、シチリアで自由政府による独立が宣言されると、王は2万の兵をシチリアに上陸させ“反乱軍”を打倒するとともに、報復として、海軍を用いて海沿いの町を徹底的に破壊しました。このため、王は反対派からは憎しみをこめて“砲撃王(= bomba)”と呼ばれています。シチリア最初の切手が、時として“ボンバ・ヘッド”と呼ばれるのはこのためです。
 
 さて、“ボンバ・ヘッド”には、半グラナ、1グラナ、2グラナ、5グラナ、10グラナ、20グラナ、50グラナの各額面があり、1グラナと5グラナは色違いで2種類に分類されます。このうち、半グラナ切手は、本来はオレンジ色なのですが、2グラナ切手と同じ青色のモノがごく少数存在しています。この青の半グラナ切手は、郵便局の窓口から発売されたのではなく試作品の流出ではないかとも言われているのですが、実際に郵便に使用された例が2点報告されており、それゆえ“色違いのエラー”という扱いをされています。

 今回話題になったのは、そのうちの1点のカバーです。いわゆるクラシックの場合、単片切手に比べてカバーの評価は数倍というケースも珍しくありません。したがって、今回のマテリアルはたしかに珍品ではあるのですが、スウェーデンの“黄色の3スキリング・バンコ”と同列に置いて、“世界で2番目に高い切手”と称することに違和感を覚えた収集家も少なくないのではないかと思います。

 なお、今回ご紹介のカバーを見ればお分かりのように、当時のシチリアでは、切手に描かれた王の肖像を汚さないように、アーチ型の消印が使われています。同様の措置はスペインでも行われたことがあるのですが、そうした国王の肖像と切手・郵便との関係については、拙著『皇室切手』でも取り上げていますので、機会がありましたらぜひご覧いただけると幸いです。


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