内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 “ブルガリ”レストランで食中毒
2016-12-21 Wed 10:50
 東京都は、きのう(20日)、イタリアの高級ブランド、ブルガリの日本法人が運営する銀座のレストラン“イル・リストランテ ルカ・ファンティン”で今月11日に行われた立食パーティーで集団食中毒が発生したと発表。同店を20日から3日間の営業停止処分としました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・ブルガリ125年

 これは、2009年にイタリアが“メイド・イン・イタリー”の一種として発行した“ブルガリ125周年”の記念切手で、1965年にブルガリが制作したネックレスが取り上げられています。ネックレスは、(切手に取り上げられていない部分を含めて)ターコイズ計38カラット、カボション・カットのエメラルド計88.50カラット、カボション・カットのアメシスト計22カラット、ブリリアント・カットのダイヤモンド計72カラットを、シンメトリックに組み合わせたもので、ブルガリの宝飾品の中でも有名な逸品として知られています。

 ブルガリの創業者、ソティリオ・ブルガリは、1857年、ギリシャ・エピルスの銀細工職人の一家に生まれました。

 1881年、ローマへ移住。ローマで作った銀製のオーナメントが評判になると、1884年、ローマ市内のヴィア・システィーナ85番地に、最初の店舗を構えました。現在、ブルガリはこれを持って現在の同社の創業としており、今回ご紹介の切手もここから起算して125周年になるのにあわせて発行されたものです。

 その後、ソティリオの店は順調に発展。1905年には、2人の息子コンスタンティノとジョルジョも事業に加わり、コンドッティ通りに店舗を移転しました。これが現在のブルガリ本店となります。さらに、ソティリオは外国人旅行者を意識して、避暑地として有名なスイス・サンモリッツにも店舗をひらくなど事業を拡大し、1934年に亡くなるまでに現在の同社の隆盛の基礎を築きました。

 ブルガリの名が全世界的に知られるようになったのは、女優エリザベス・テーラーによるところが大でした。すなわち、1962年、映画『クレオパトラ』の撮影でローマに滞在していたエリザベス・テーラーは、共演者で後に彼女の夫となるリチャードバートンから、ステップカットが施された8角形のエメラルド(7.4カラット)とぺアシェイプ・ダイヤモンド(計5.3カラット)があしらわれたプラチナ製リングを贈られ、以後、ブルガリを好んで使うようになりました。また、2人の関係が進展するにつれ、ブルガリの店舗は2人の逢瀬の場となり、1962年の婚約時にはコロンビアンエメラルド(23.44カラット)のペンダントトップが、1964年の結婚の際には16のステップカットが施された8角形のコロンビアンエメラルド(計60.5カラット相当)とブリリアントカットおよびペアシェイプのダイヤモンドに囲まれたネックレスが、それぞれ、バートンから彼女に贈られています。エリザベス・テイラーはこのネックレスを結婚式はもちろん、1966年にアカデミー賞主演女優賞を受賞した際にも身に着けており、そうした彼女の姿がメディアで大々的に報じられたことで、ブルガリの名は(ブルガリの宝飾品を買えない庶民を含めて)全世界に広く浸透することになりました。

 こうした状況を受けて、1970年代以降、ブルガリは本格的に海外進出を展開。顧客の多いニューヨークを皮切りにパリ、ジュネーブ、モンテカルロなどに出店し、現在では、日本のブルガリ銀座タワーを含め、世界で150店ほどの直営店を展開しています。

 その過程で、1977年、高級腕時計の“ブルガリ・ブルガリ”を発売。このヒットを機に、1980年代以降、高級時計事業にも本格的に参入するようになり、1982年には部品の供給を受けずに自社で時計を一貫生産するための“ブルガリ・タイム社”を設立。さらに、1990年代以降は、香水やスカーフのほか、テキスタイルからグッズまで多角的な商品展開に乗り出し、2004年にはブルガリ・ホテルズ&リゾーツを設立してホテル経営にも乗り出しました。

 このように、イタリアから全世界に拡大するブルガリの事業は、イタリアが自国製品を広く内外に紹介するために毎年発行してきた“メイド・イン・イタリー”の題材として相応しいものといえましょう。ただし、“メイド・イン・イタリー”の切手に取り上げられているのは、ブルガリのような高級品ばかりではなく、庶民的なジェラートが取り上げられることもあります。

 まぁ、今回、食中毒を起こした銀座の“ブルガリ”レストランは2010年3月にも食中毒を起こしているそうですから、僕からすれば、同じ“メイド・イン・イタリー”であっても、口に入れるのなら数百万円・数千万円のブルガリよりも、ひとつ100-200円のジェラートの方が良いですな。


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 コロッセオで“光のイベント”
2016-05-12 Thu 15:50
  日本とイタリアの国交樹立150周年を祝い、きのう(11日)から、秋篠宮ご夫妻ご臨席の下、ローマのコロッセオで“光のイベント”が始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・ツェッペリン(フォーリ・インペリアーリ通り)

 これは、1933年4月24日、飛行船グラーフ・ツェッペリン号のローマ飛行に先立ちイタリアが発行した6種セットの切手の1枚で、 フォーリ・インペリアーリ通りのコロッセオ上空を飛ぶツェッペリン号が描かれています。

 フォーリ・インペリアーリ通りは、ローマ中心部のヴェネツィア広場とコロッセオをつなぐ道で、1924年から1932年にかけて、ムッソリーニの肝煎りで建設されました。1932年4月9日の開通式典では、馬上のムッソリーニがテープカットを行い、第一次大戦の退役軍人がパレードしました。

 その起点となるコロッセオは、古代ローマ皇帝、ウェスパシアヌス帝が、ローマの大火(64年)や内戦(68-70年)で荒廃した人心を蘇らせるため、娯楽施設として計画したもので、79年にウェスパシアヌス帝が崩御した後、後を継いだ息子のティトゥス帝治世下の80年に完成しました。建物は周囲527m、高さ48.5m で、正式名称は“フラウィウス円形闘技場”ですが、付近にネロ帝の巨像があったことから、“コロッセオ”と呼ばれるようになりました。

 今回ご紹介の切手の発行名目となったツェッペリン号のイタリア飛行は、1933年5月、イタリアの航空大臣、イタロ・バルボとの会談を目的として、ナチスの宣伝相ゲッベルスがローマを訪問するために行われたものです。1933年1月に政権を掌握したナチスは、ツェッペリン飛行船の宣伝効果に目をつけ、早くも同年5月1日のメーデーではベルリン上空にツェッペリン号を飛ばしていますが、イタリア飛行は、それに次ぐツェッペリン号のプロパガンダ利用となりました。

 ちなみに、同時に発行された6種セットの切手では、他に、アウグストゥス時代に建てられたケスティウスのピラミッド(3リラ)、執政官クラッススの息子の妻、チェチリア・メッテラの墓(5リラ)、ムッソリーニ・スタジアム(現オリンピック・スタジアム、10リラ)、もともとは皇帝ハドリアヌスの霊廟として建設されたサンタンジェロ城(12リラ)、古代ローマ時代の遺跡群フォロ・ロマーノ(15リラ)といった観光名所が取り上げられており、いずれも、その上空をツェッペリン号が飛んでいるデザインになっています。

 なお、今回の“光のイベント”は、照明デザイナーの石井幹子・石井リーサ明理のプロデュースにより、雅楽を盛り込んだ音楽に合わせ、自然や家族への愛の賛美を表現した水墨画の映像や、世界150の言語で書かれた愛の言葉などをコロッセオの外壁に映し出すもので、明日(13日)まで、現地時間の20:30-23:00、約10分のプログラムが繰り返し上映される予定です。

 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

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 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 小さな世界のお菓子たち:ジェラートの切手
2012-07-10 Tue 23:35
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第16号(2012年夏号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       イタリアン・ジェラート

 これは、2006年にイタリアで発行された「手作りジェラート」の切手です。

 もともと、ジェラートとは、イタリア語で「凍った」という意味で、古代の地中海世界では、夏の暑い時期、山の万年雪や氷室の氷で冷やしたミルク・シャーベットのようなものが好まれました。かのユリウス・カエサル(シーザー)は、若者をアペニン山脈に走らせ、氷や雪を運ばせて乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んだと伝えられています。

 ルネサンスの時代にフィレンツェを実質的に支配していたメディチ家の食卓では、デザートとしてフルーツやナッツなどを使った氷菓が出されていました。その一部は、1533年にメディチ家のカトリーヌがフランス王アンリ2世に嫁いだ際の披露宴でもふるまわれ、フランス貴族を驚かせました。さらに、1565年、フィレンツェの料理人、ベルナルド・ブォンタレンティは現在のジェラートの原型となるレシピを完成させ、カトリーヌに献上。彼女を通じて、フランスの宮廷にその技術が広まりました。

 イタリアでは、毎年、イタリア製品を全世界に紹介するために“MADE IN ITALY”と題する切手を発行していますが、今回ご紹介の2006年に発行された切手には、「手作りジェラート(Gelato Artigianale)」が取り上げられました。

 全世界的に見れば、アイスクリームは工場で大量生産されるものというイメージが強いのですが、イタリアだけは例外で、国内で出回るジェラートの55%は職人の手作りによるものです。ジェラートの切手にも、あえて「手作り」の文字が入っているのは、そうした本物志向のお国柄を反映しているといえましょう。

 切手に描かれているようなジェラートの屋台が登場したのは、第一次大戦後の1920年代のことで、イタリア北部、ロンバルディア州のヴァレーゼが発祥の地といわれています。この屋台の登場により、それまで高級品だったジェラートは一挙に大衆化。イタリアの庶民の味覚として定着し、1953年に公開の映画『ローマの休日』では、オードリー・ヘップバーン扮するアン王女が、庶民の楽しみの象徴として、ローマのスペイン広場でジェラートを食べるシーンが登場するまでになったというわけです。

 さて、切手に取り上げられているジェラートはイタリア国旗の色に対応した3色です。このうち、緑はピスタチオ、赤(紫)はカシスのように見えますが、白は何でしょうか。濃厚なバニラも悪くはありませんが、個人的には、さっぱりとしたシチリア・レモンの方がイタリアらしくていいような気もします。

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 ジリオ島
2012-01-16 Mon 15:57
 先週13日、イタリア中部ジリオ島の沖合で大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号が座礁した事故で、13日の事故発生直後、船長が乗客の救助義務を放棄し、船から先に逃げ出していたことがわかり多くの人々の憤激を買っていますが、これに対して、地元ジリオ島の島民が家やホテルを開放するなどして救助活動に尽力し、称賛を浴びているそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ジリオ島

 これは、2009年にイタリアで発行された観光宣伝の切手で、ジリオ島が取り上げられています。

 ジリオ島はイタリア・トスカーナ州グロッセート県のティレニア海に浮かぶ人口900人ほどの小島で、古来、地中海の海上交通の要衝で、カエサルやプリニウスの著作にも記述が見られます。16世紀にはバルバロッサの名で知られるハイル・ディーンら海賊の攻撃を受け、戦った歴史もありました。

 現在では、風光明媚なビーチに加え、古くからの教会やローマ時代の遺跡などが残るリゾート地として知られており、夏の観光シーズンには多くの観光客が訪れています。今回ご紹介の切手も、島の主要産業である観光をアピールするために発行されたものですが、切手のデザインでは、いまいち、その魅力は伝わってこないように思います。

 なお、島民の多くは、例年なら「(観光客の来る)5月から9月までしか働かない」のだそうですが、今回、彼らの活躍が世界中に報道されたことで、今年の夏は例年以上に忙しくなるかもしれません。ちなみに、逃げ出した船長が務めていた船会社、コスタ・クロシエレ社の船に乗るというのは二の足を踏んでしまいますが、ジリオ島行きのフェリーを運航するのはナヴィガツィイオーネ・マレジリオ社とトレマール社の2社だそうですから、その点では、安心して良さそうですな。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 作品搬入しました
2011-07-26 Tue 23:58
 いよいよ木曜日(28日)から、パシフィコ横浜で世界切手展<PHILANIPPON 2011>がスタートします。わが国では2001年以来10年ぶりの世界切手展開催ということで、僕も、自分のメインのコレクションである JAPAN AND THE 15YEARS WAR 1931-1945 を出品しますが、きょうはその作品を会場に搬入してきました。というわけで、今回の出品作品の中からこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        三国の兵士

 これは、第二次大戦中のイタリアの軍事絵葉書で、日独伊三国同盟の兵士がともに突撃している場面が描かれています。日独伊三国同盟関連のマテリアルというと米英の船をぶった切る鎧武者の絵葉書が有名ですが、きょうは、これから始まる切手展に「いざ出陣」というつもりで、この葉書を持ってきました。

 今回の出品作品は、1931年の満洲事変から1945年の終戦までの“昭和の戦争”のあらましを各種の郵趣マテリアルを用いて再構成したもので、今年2月のインド展に出品した作品を大幅に手直ししています。時節柄、“戦争”の話題がメディアでも取り上げられることが多くなっておりますが、僕の作品も、切手や郵便物などを通して語る“昭和の戦争”の歴史絵巻として、ぜひ、会場にてご覧いただけると幸いです。


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    5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載
  『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で
  酒井順子さんにご紹介いただきました !

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 世界で2番目に高い切手
2011-06-11 Sat 22:39
 一昨日(9日)、スイスのバーゼルで行われたオークションで、イタリア統一以前のシチリアの半グラナ切手のカバーが、180万スイス・フラン(約1億7200万円)で落札されました。スウェーデンの“黄色の3スキリング・バンコ”の287万スイス・フラン(当時の為替レートで約2億5000万円)に次ぎ、“世界で2番目に高い切手”として、日本のマスコミでも紹介されましたので、ご存知の方も多いかと思います。というわけで、きょうはその画像(クリックで拡大されます)をネタに書いてみたいと思います。

        シチリア・半グラナカバー

 統一以前のイタリアでは、シチリアはナポリと共に両シチリア王国を構成していましたが、切手に関しては、それぞれ別のものが発行されていました。このうち、シチリアでは、1859年に両シチリア王フェルディナンド2世の肖像を描く最初の切手が発行されています。

 フェルディナンド2世は、1810年、先王フランチェスコ1世の子として生まれ、1830年に即位しました。青年期は自由主義にも一定の理解を示し、税制改革で減税路線を推進しつつも、王都ナポリ内での実験的な鉄道設置、ナポリ・パレルモ間の電信設備の完備、蒸気船の造船などの近代化政策を推進しました。

 ところが、1837年にシチリアで立憲君主制への移行を求める大規模なデモが発生すると、王は態度を硬化させて、これを軍で鎮圧。その後、1848年1月のシチリアでの農民反乱に端を発して、自由主義者との妥協が必要になると、いったんは1848年憲法の制定を認めましたが、王は議会に対する監督権を手放さず、これに抗議する国民の暴動を軍を動員して徹底するとともに、議会を解散しました。また、1848年4月13日、シチリアで自由政府による独立が宣言されると、王は2万の兵をシチリアに上陸させ“反乱軍”を打倒するとともに、報復として、海軍を用いて海沿いの町を徹底的に破壊しました。このため、王は反対派からは憎しみをこめて“砲撃王(= bomba)”と呼ばれています。シチリア最初の切手が、時として“ボンバ・ヘッド”と呼ばれるのはこのためです。
 
 さて、“ボンバ・ヘッド”には、半グラナ、1グラナ、2グラナ、5グラナ、10グラナ、20グラナ、50グラナの各額面があり、1グラナと5グラナは色違いで2種類に分類されます。このうち、半グラナ切手は、本来はオレンジ色なのですが、2グラナ切手と同じ青色のモノがごく少数存在しています。この青の半グラナ切手は、郵便局の窓口から発売されたのではなく試作品の流出ではないかとも言われているのですが、実際に郵便に使用された例が2点報告されており、それゆえ“色違いのエラー”という扱いをされています。

 今回話題になったのは、そのうちの1点のカバーです。いわゆるクラシックの場合、単片切手に比べてカバーの評価は数倍というケースも珍しくありません。したがって、今回のマテリアルはたしかに珍品ではあるのですが、スウェーデンの“黄色の3スキリング・バンコ”と同列に置いて、“世界で2番目に高い切手”と称することに違和感を覚えた収集家も少なくないのではないかと思います。

 なお、今回ご紹介のカバーを見ればお分かりのように、当時のシチリアでは、切手に描かれた王の肖像を汚さないように、アーチ型の消印が使われています。同様の措置はスペインでも行われたことがあるのですが、そうした国王の肖像と切手・郵便との関係については、拙著『皇室切手』でも取り上げていますので、機会がありましたらぜひご覧いただけると幸いです。


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 イタリア解放記念日
2010-04-25 Sun 23:35
 きょう(4月25日)は、イタリアにとって第二次大戦の終戦記念日となった“解放記念日”です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      トリエステ1945カバー

 これは、イタリア解放直前の1945年4月3日、トリエステのドイツ顧問団がゴリツィア宛てに差し出した書留公用便です。

 1943年7月、イタリアではムッソリーニが失脚し、後継のバドリオ政権は連合国に降伏します。これに対して、同年9月、ドイツは逮捕・幽閉されていたムッソリーニを救出し、北イタリアにムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国を樹立しました。この結果、イタリアはドイツの傀儡政権である共和国と、米英の支援する王国(バドリオ政権)の内戦に突入。しかし、連合軍の北上や反独パルチザンの活動により、次第に共和国は追い詰められ、1945年4月25日に崩壊。同27日にはムッソリーニも市民のリンチによって処刑されました。

 さて、今回ご紹介のカバーの差出地であるトリエステは、1943年9月以降、ドイツの傀儡政権であるイタリア社会共和国領となっており、ドイツ人顧問が統治の実権を握っていました。今回ご紹介のカバーに用いられている封筒にナチス・ドイツの紋章が入っているのも、そうした事情を反映したものといってよいでしょう。

 イタリア社会共和国の崩壊後、トリエステでは、1945年4月30日、大戦中のパルチザンによる“イタリア反ファシスト解放委員会”が組織され、翌5月1日、ユーゴスラビア・パルチザン軍が到着し、市の大半を解放(=占領)しました。ただし、サン・ジュスト城と庭園にあった兵舎には、ニュージーランド軍以外に降伏することを拒んだ者たちが集まっていたため、翌2日のニュージーランド軍到着を待って、降伏が行われています。以後、6月12日までの約40日間、トリエステを掌握したユーゴスラビア軍は、彼らにとっての“好ましからざる人物”に対する大規模な虐殺を行いましたが、ニュージーランド軍によって退けられます。

 その後、トリエステと周辺地区は、国際連合管理下において、連合国占領地域の北部(Zone A)とユーゴスラビア占領地域の南部(Zone B)に分割され、1954年にZone Aのトリエステ市は、イタリアへ返還されましたが、南部のZone Bは、ユーゴスラビア領となりました。

 なお、上記のZone AとBの境界線上に位置していたのが、カバー宛先地の旧ゴリツィア県で、戦後、旧ゴリツィア県はイタリア領とユーゴスラビア領に分断されています。

 * 先ほど、カウンターが68万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。


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  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 ギリシャを救え
2010-02-12 Fri 11:30
 ギリシャの経済危機問題に関して、きのう(11日)、EUのファンロンパイ大統領(首脳会議の常任議長)、欧州委員会のバローゾ委員長、フランスのサルコジ大統領、ドイツのメルケル首相、欧州中央銀行(ECB)のトリシェ総裁、ギリシャのパパンドレウ首相による協議が行われ、ギリシャへの支援を行うことで合意しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・バイロン

 これは、1959年4月21日にイタリアが発行した切手で、デンマーク人彫刻家トーヴァルセンによるバイロン像(ローマにあります)が取り上げられています。バイロンの切手は、当然のことながら、ギリシャでも何度か発行されていますが、今回はギリシャを救済する側のユーロ圏の国の切手がよかろうと思って、この1枚を持ってきました。

 バイロンは、1788年、ロンドン生まれ。情熱の詩人として知られ、社交界の寵児として恋に憂き身をやつす生活を送っていましたが、1824年、ギリシャ独立戦争に参加するためミソロンギに上陸。かの地で熱病にかかり没したことは広く知られています。一方、バイロン像の作者であるトーヴァルセンは、1770年、コペンハーゲン生まれ。26歳の時にローマに留学し、以来24年間、ローマを拠点に活躍し、ヨーロッパ各地に作品を残しました。

 「ヨーロッパ文明の源であるギリシャをオスマン帝国の圧政から救え!」とのバイロンの訴えは、当時のヨーロッパ社会に大きなインパクトをもたらし、多くの文化人たちがギリシャの独立運動を支援していました。もっとも、オスマン帝国の支配層には、ギリシャ人やギリシャ正教も組み込まれており、トルコ人によって抑圧されるギリシャ人という構図はあまりにも単純化されすぎたものでしたし、なによりも、ヨーロッパ各国の政府首脳はオスマン帝国があまりにも弱体化すればバルカンから東地中海にかけての地域が大混乱に陥ることを恐れ、ギリシャをオスマン帝国宗主権下の自治国とすることで問題の解決を図ろうとしていました。はたして、1832年のロンドン議定書でギリシャの独立が認められましたが、その後、バルカン情勢は不安定化の道をたどっていくことになります。

 さて、現在問題になっているギリシャの経済危機ですが、問題の根はなかなか深いものがあります。すなわち、もともとギリシャは放漫財政が問題視されていましたが、2008年のリーマンショック以降の金融危機で税収が減少し、財政状況が悪化。さらに、昨年(2009年)10月の政権交代後、前政権が財政赤字を過少計上していたことが明らかになり、国内総生産(GDP)比5%超とされていた2009年の赤字は12.7%にまで膨れ上がり、統計データへの信頼失墜から、債務返済能力も疑われ、ギリシャ国債の格付けが引き下げられ、経済危機が深刻化したのです。 

 従来、経済危機に陥った国に対しては、IMFの支援による解決が図られることが多かったのですが、ギリシャに関しては、アメリカ主導のIMFの介入を嫌ったフランス・ドイツがユーロ防衛のために欧州による問題解決を強く主張。このため、今回のようなギリシャ支援への合意となりました。

 かねがね、ユーロ圏内のポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペインの各国は“PIIGS”として財政破綻予備軍とされており、ここでギリシャを救わなければドミノ現象が起こってユーロ圏全体が危機的な状況に陥ることも想定されています。その意味では、今回ご紹介の切手を発行したイタリアにとっても、「ギリシャを救え」とのバイロンの言葉は他人事ではないのでしょうね。


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 100年前のイタリア大地震
2009-04-07 Tue 21:04
 きのう(6日)、イタリア中部で大規模な地震が発生。現地時間7日朝の時点で死者179人、行方不明34人、負傷者1500人という大きな被害が発生しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこの1枚をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 メッシーナ地震

 これは、昨年(2008年)、イタリアが発行したメッシーナ大地震100周年の記念切手で、瓦礫の山と化した市街地がデザインされています。

 メッシーナはシチリア島の北東に位置する港湾都市で、その歴史は紀元前8世紀にまでさかのぼります。

 1908年12月28日未明に発生した地震でメッシーナ市街はほぼ全壊。さらに、続けて発生した津波により多数の人が亡くなりました。マグニチュードや死者数については、資料によってばらつきがありますが、USGS(米国地質調査所)の資料では、マグニチュード7.2、死者7万2000人としています。この数字は、2004年12月26日のスマトラ沖地震(30万人超)、1923年9月1日の関東大震災(14万3000人)に次ぐ史上第3位の規模で(ちなみに、第4位は1970年に発生したペルー・ペルビアン地震の6万7000人)、ヨーロッパ史上最悪の地震といわれています。

 このように悲惨な出来事ではあったのですが、“災い転じて福となす”結果もいくつかもたらされていますたとえば、この地震をきっかけに、欧米諸国では耐震建築の研究が本格的に開始されるようなりましたし、ヨーロッパ各国が協力しての救援活動は欧州連帯の象徴的な出来事とされています。1955年6月、西欧諸国の外務大臣が“メッシーナ会議”を開催し、それが、のちの欧州経済共同体(EEC:現EU)設立の端緒となったというのも、この地がヨーロッパ連帯のシンボルとされていたからとみるのが妥当でしょう。今回ご紹介の切手もまた、そうした歴史的意義を踏まえてのものといえます。

 さて、昨日発生したイタリア中部の地震は、日本時間のきょう(7日)午後6時過ぎにも強い余震が観測されるなど、現在も緊迫した状況が続いているようです。被災地の1日も早い復興をお祈りしております。


 ☆★☆TV出演の予定☆★☆

 4月10日、「スーパーJチャンネル」(TV朝日系列)の両陛下大婚50年(金婚式)記念特集に、僕も『皇室切手』の著者として登場します。特集は17:36頃からの放送予定です。機会がありましたら、ぜひ、ご覧ください。なお、放送番組の常として、急遽、内容が変更となる可能性もありますが、その場合はあしからずご容赦ください。
 

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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。

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 “裸の王様”の絵葉書
2009-03-18 Wed 22:16
 イタリア・ミラノの証券取引所で、ポルノ女優のラウラ・ペレゴが金融危機に抗議してイタリア国旗の色にペイントした体に下着だけを身につけた姿で、証券取引所の入り口の中にあるテーブルの上に登る騒動を起こして逮捕されたそうです。

 というわけで、今日はこんな絵はがきを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(ヌード絵はがき)

 これは、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の肖像を取り上げた絵葉書ですが、よくよく見ると、裸の女性を組み合わせてポートレイトが構成されています。制作者については調べきれなかったのですが、どんな国であれ、自国の国王をこんなかたちでパロディにしたら問題になるでしょうから、おそらく、フランスあたりで作られたものではなかろうかと思います。なお、国王の元の顔については、こちらをご覧ください。

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は1869年11月生まれ。1900年に父ウンベルト1世の暗殺によりに王位に就き、一次世界大戦では、オーストリアとの対立から三国同盟を破棄して連合国側につきました。しかし、イタリアは第一次大戦で勝利を収めたものの、期待したほどの領土や賠償金は獲得できず、国内経済は低迷。そうした中で、国王は新興勢力のムッソリーニに組閣を命じました。

 ムッソリーニ政権下で、イタリアはエチオピアとアルバニアに侵攻しますが、これに伴い、国王はエチオピア皇帝とアルバニア国王を兼ねることになります。しかし、第二次大戦の戦局が悪化すると、1943年7月、国王は王制護持のためにムッソリーニを解任。同年9月に連合国に降伏しました。

 戦後の1946年5月、国王は第二次大戦の敗戦の責任を取って退位し、息子のウンベルト2世に譲位します。しかし、ファシスト政権への積極的協力や、降伏直後のドイツ軍の侵攻を前に国民を見捨ててローマから逃げだしたことなどが問題視され、退位直後の6月、イタリアの王制は廃止されました。

 さて、今回のミラノ証券所の事件に限らず、欧米などでは、たとえば毛皮反対の女性活動家などが抗議のためにヌードになるという話を時々聞きますが、ヌードで抗議をするという思考回路は僕にはどうも理解できませんねぇ。それだったら、愛国心の表現として、馬の背中に国旗を敷き、その上でヌード写真を撮影したというペルーの女性の方が、まだ、理解できます。もっとも、彼女のヌードを見て愛国心ではなく別の感情が奮い立ってしまうというケースもあったのでしょうけれど…。

 まぁ、今回、逮捕されたイタリアの女性は「多くの人から集めたお金の運用に失敗している人たちに抗議したかった」と話しているそうですから、案外、身ぐるみ全部はがされて自棄になっただけということなのかもしれませんがね。


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