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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 エルサルバドル、台湾と断交
2018-08-22 Wed 02:28
 中米のエルサルバドルは、昨日(21日)、北京で中国との国交樹立の文書に署名し、台湾と断交しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      エルサルバドル ラ・ウニオン港150年

 これは、2005年にエルサルバドルが発行した“プエルト・サン・カルロス・デ・ラ・ウニオン市150年”の記念切手のうち、“ラ・ウニオン港”を取り上げた1枚です。

 エルサルバドル東部、ホンジュラスとの国境地帯に位置するラ・ウニオン県は、1522年、アンドレス・ニーニョが西洋人として初めて上陸して都市を建設。この都市は、18世紀には、スペイン国王カルロス3世にちなみ、“サン・カルロス・デ・ラ・ウニオン港町”と呼ばれていましたが、スペインから独立後の1824年、“ラ・ウニオン”と改称されました。

 切手に取り上げられたラ・ウニオン港は、かつてはクトゥコ港と呼ばれていましたが、老朽化のため、1996年、いったん閉鎖されていました。この結果、エルサルバドルの貿易港は、同国西部のアカフトラ港のみとなりましたが、同港は自然条件の制約から取扱貨物量に限界がありました。

 そこで、1992年に終結した内戦後の東部地域の復興政策の目玉として、ホンジュラスとニカラグアに面するフォンセカ湾の入り江にある旧クツコ港を埋め立てて、エルサルバドル初の本格的なコンテナ港として“ラ・ウニオン港”を建設し、中米全域の物流ハブとして、ヒト・モノ・カネが集まる“中米のシンガポール”を目指して、“ラ・ウニオン港”の建設プロジェクトがスタート。2005年から日本からの円借款112億円などを資金として、港湾工事が開始されます。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で発行されたもので、取り上げられている風景は旧クツコ港時代のものですが、港の名前は既に“ラ・ウニオン港”と表示されています。

 さて、当初、接岸部の水深は14メートルで設計されていましたが、工事開始後の2007年、パナマ運河の拡張を見越して、“ポスト・パナマックス(喫水15・2メートル)”と呼ばれる大型船の時代に対応するとして、エルサルバドル側は、急遽、水深15メートルに仕様を変更。工事変更に伴う追加費用を捻出するため、荷下ろしに使う大型クレーンが事業範囲から外した状態で、2008年12月末、水深15mのコンテナバース、同14mの多目的バース等から成るラ・ウニオン港が完成しました。

 しかし、港の運営は民間委託するものとされていたものの、そのためのエルサルバドル国内の法整備は完成時には間に合いませんでした。さらに、2009年3月の大統領選挙で、ファラブンド・マルティ民族解放戦線のマウリシオ・フネス政権が誕生し、20年ぶりの政権交代が起きたため、民族主義共和同盟の前政権時代の目玉事業だった新港は宙に浮いた格好となってしまいます。

 その後、2010年に開港を迎えたものの、航路に泥土が流れ込んで埋め戻されてしまうトラブルが発生。エルサルバドル側には定期的に浚渫工事を行うだけの予算はなく、また、大型クレーンがないことによる使い勝手の悪さもあって、2012年末、コンテナを扱う海運会社は撤退。“エルサルバドル初の本格的なコンテナ港”として国際的にアピールするはずだったラ・ウニオン港にはコンテナ船が全く寄りつかなくなりました。

 その後も港の利用はほとんどないまま、2014年、国内法の整備もようやく終わったことを受けて、港の運営業者の入札画行われたものの、応札企業はなく、入札は不調に終わったため、空港・港湾自治委員会が“直営”を続けていました。

 今回、中国はエルサルバドルに対して、ラ・ウニオン港の開発支援とともに、武器供与を提案。これを受けて、エルサルバドル側は、台湾に対してラ・ウニオン港への巨額の支援を求めたものの、断られたため、中国と国交を樹立し、台湾とは断交することを選択したようです。

 おそらく、今後、中国はラ・ウニオン港の開発に積極的にかかわっていくことになるのでしょうが、同港はホンジュラス、ニカラグアにもつながる戦略上の要衝ですからねぇ。5月には、プエルトリコとも至近の距離にあるドミニカ共和国が台湾と断交して中国と国交を樹立したばかりですし、次はどの国が“陥落”するか、大いに気になるところです。


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 東京でソメイヨシノ開花
2018-03-17 Sat 16:30
 気象庁は、きょう(17日)午後、東京でソメイヨシノが開花したと発表しました。平年より9日早く、昨年より4日早い開花です。というわけで、桜を取り上げた切手の中からこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エルサルヴァドル・対日国交70年

 これは、2005年12月20日にエルサルヴァドルが発行した日本との国交70周年の記念切手で、握手する手の下に両国の国花・国旗が描くデザインで、日章旗の上にはしっかりと桜の花が見えます。

 1931年、エルサルヴァドルでは同国初の自由選挙による大統領選挙が行われ、工業化と税制改革を訴えたアルトゥーロ・アラウホ・ファハルドが、軍の実力者、マクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス将軍と労働党の支持を得て当選。エルナンデスは副大統領兼国防相に任命されました。

 アラウホ政権は社会改革をめざす労働党の憲法草案を承認したものの、大地主と軍部はこれに抵抗。時あたかも、世界大恐慌の影響でコーヒーの国際価格が暴落し、コーヒー・モノカルチャーに支えられていたエルサルヴァドル経済は壊滅的な打撃を受け、国家収入は4年前の半分、労働者の賃金は半分以下に暴落し、財政も崩壊しました。

 そうした中で、保守派がアラウホへの攻撃を強める一方、腐敗を繰り返す政権与党の労働党に対する批判から、共産党が急速に影響力を拡大。このため、1931年12月、左右両派からの突き上げに立ち往生したアラウホは政権を投げ出し、後継者として副大統領のエルナンデスを指名しました。
 
 大統領代行となったエルナンデスは、翌1932年1月に地方選挙を実施すると公約する一方で、左翼勢力の弾圧を開始。これに対して、共産党は武装蜂起の準備を進め、学校教員を中心としてエルサルヴァドル赤軍を組織します。

 その後、1932年1月5日に行われた地方選挙では共産党候補が大量に当選しましたが、政府はこれを認め、占拠を無効とします。さらに、同月20日、共産党による武装蜂起の計画が発覚し、共産党指導者が一斉に逮捕されると、追い詰められた左派農民は、サンタアナ、アウアチャパン、ソンソナーテで武装蜂起しましたが、エルナンデスはこれを徹底的に弾圧。ソンソナーテ県イサルコ地方を中心に3万人が虐殺されました。そして、2月1日には、武装蜂起の首謀者としてファラブランド・マルティが処刑され、以後、13年間にわたるエルナンデス独裁を含む軍政の半世紀が開幕します。

 エルナンデス政権は、コーヒー保護法を制定し、道路建設を中心としたインフラ整備を進めたため、経済は急速に回復。その一方で、「人間の死よりも蟻の死の方が重いのだ。人間にとって死は転生の始まりだが、蟻にとって死は永遠であるから」との言葉に見られるように、人命を軽視した人権抑圧や神秘主義への傾倒による個人的な奇行などもあって、次第に国民の不満は鬱積。1944年4月に発生したゼネストが、学生、知識人の支持を得て反政府運動に発展したことで、5月8日、退陣に追い込まれました。

 さて、エルナンデス政権は対外政策の面でも独自路線を展開し、1934年5月19日には満洲国を国家承認しています。これは、日本を除くと、世界で最初の満洲国承認国となりました。その背景には、1932年にエルナンデス政権が発足した際、米国や中米諸国その他の各国が、革命政権不承認の原則をうたう1923年の中米条約を尊重して、同政権承認を行なわなかったのに対して、日本がエルナンデスの大統領就任通知の親書に丁寧な返書を寄せたことが影響したためとされています。

 また、満洲国承認に先立つ1933年、エルナンデス政権は移民法を改正して日本人に対する入国禁止を是正したほか、1934年秋には東京で開催された万国赤十字会議にエスピノザ副大統領を派遣し、総領事を駐派するなど日本との関係が深めようとしていました。

 ところが、1933年まではエルサルヴァドルが日本人移民を受け入れていなかったこともあり、1934年の時点では、日本とエルサルヴァドルとの間には正式な外交関係が樹立されないままの状態となっていました。そこで、1935年2月、メキシコ駐在の堀義貴公使が、エルサルヴァドル、グアテマラ、ホンジュラスニカラグア、コスタリカの5ヶ国へ兼任公使として着任することになり、同年6月から8月にかけて、堀公使がこれら諸国の大統領を訪問して信任状を捧呈。各国大統領からは答翰の親書が送られたことで、ようやく、エルサルヴァドルを含む中米5ヶ国と日本との間に正式な外交関係が樹立されることになりました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して70周年になるのを記念して発行されたものです。

 
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